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虚妄の自由貿易原理主義

2014129
 
 以下は、『農業共済新聞』(201414週号、129日発行)の1面「ひと 意見」欄に掲載された拙稿である。同紙編集部の許可を得て、このブログに転載することにした。

           虚妄の自由貿易原理主義
          ――TPP阻止へ最後まで――

    TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会呼びかけ人
                           醍醐 聰

 越年したTPP(環太平洋経済連携協定)交渉は今、強行決着か破たんかの岐路にあるが、日本政府が、農業分野の重要品目の関税維持渉で1cmたりとも譲歩しないと言いつつ、交渉の中身を国民に明らかにしないまま、日米が協調して早期妥結を目指すと語るのは自己矛盾である。なぜなら、食の安全・安心、国民皆保険制度の維持、ISD(投資家対国家紛争解決手続き)条項の拒否など、非関税分野の事項も含め、国会決議や自民党の決議で厳守するよう求められた国益(国民益)が守られる目途がないなら交渉から脱退せよという項目も決議に盛り込まれているからである。なにはともあれ妥結せよとはどこにも謳われていない。
 TPPを支持する見解の根底にあるのは「自由貿易原理主義」である。TPP推進論者の伊藤元重氏は「保護主義で栄えた国などない」と主張しているが、経済学者として責任を負える主張なのか?

元米国大統領も食料の独自性強調
 伊藤氏は関税などによって国内産業を守ろうと各国が保護政策に走ると結局はお互いを傷つけ、すべての国が被害を蒙る結果になると述べている。しかし、20081016日、国連世界食料デーに出席したビル・クリントン元米国大統領は、「食料は他の商品と同じではない。われわれは食料自給率を最大限高める政策に戻らなくてはならない。世界の国々が食料自給率を高めることなく開発を続けることができると考えることは馬鹿げている」と演説した。
 実際、世界の国々(08年現在でロシア、ウクライナ、中国、インド、エジプトなど11カ国)は国内の主要穀物について輸出制限枠を設けたり輸出税を賦課したりする輸出規制を行っている。これは気象変動やバイオ燃料需要の増加に伴う農産物の国際価格が騰貴したときも国内需要の安定的充足を図るための措置である。EU(欧州連合)も共通農業政策の中で境界価格が域内価格を上回る場合は輸出関税を課し、投機的な輸出を抑制する仕組みを採用している。

食料安全保障は自給を基本に
 このような食料をとりまく自然環境、世界の需給状況を考えると国民が最低限必要とする食料は自給を基本とし、それに備蓄と輸入を組み合わせる食料安全保障政策を採用すべきは当然である。とりわけ、先進国の中でも穀物の自給率が28%(2011年現在)と極端に低い日本では自給率の向上こそ喫緊の課題である。そう考えると、例外なき関税撤廃で国内農業生産を壊滅させるTPPはまさに亡国の異常協定である。私たち「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」は、TPPを阻止するまで運動を続けていく決意である。
 
(『農業共済新聞』201414週号、129日発行、掲載)

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NHK籾井会長の解任を求める要望書を提出:視聴者コミュニティ

2014127

 さる25日、NHK会長の籾井勝人氏は就任記者会見で「従軍慰安婦」はどこでもあったこと、補償せよとなぜ蒸し返すのか」、「領土問題で政府が右ということを左とは言えない」、「特定秘密法は決まったこと、ああだこうだいってもしょうがない、あまりカッカすることはない」などと、公共放送の長としてあるまじき暴言を連発した。
 これについて、私も共同代表の一人になっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は緊急に運営委員の間で対応を相談し、今日(127日)、NHK会長の任命権者であるNHK経営委員会と籾井会長本人宛に、解任・辞任を求める申し入れを提出した。

NHK
経営委員会宛「籾井NHK会長の解任を求める申し入れ」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhk_keieiiinkai_ate20140127.pdf

NHK
会長・籾井勝人氏宛「会長職の自主的辞任を求める申し入れ」
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhk_kaichoate20140127.pdf

 どちらの申し入れでも、籾井会長の発言を、①NHKが行う国際放送に関する部分、②「従軍慰安婦」問題に関する部分、③安倍首相らの靖国神社参拝に関する部分、④特定秘密保護法に関する部分、に分けて整理し、それぞれについて、(1)「放送法」、(2)「NHK放送ガイドライン」、(3NHK経営委員会の指名部会が合意した会長資格要件、に照らして、それぞれ検討し、どの観点に照らしても籾井氏はNHKの会長職に不適格な人物であると判断した。それにもとずいて、
 ・NHK経営委員会には籾井氏を会長から解任する、もしくは籾井氏に会長辞職勧告をするよう求めた。
 ・籾井氏に対しては、今回の発言の重大性を自覚し、自ら辞任するよう求めた。

NHK会長選考システムの構造的欠陥

 今回の籾井氏の発言は、現在のNHK会長選考システムの構造的欠陥を露呈したものと私は考えている。一言でいえば、その構造的欠陥とは、NHK経営委員会が会長選任機関であるということを拡大解釈して、経営委員個々人が会長候補者を推薦する権限を専有しているかのように誤解されている点にある。そのような誤解が通用しているため、近年、個々の経営委員が自分の知己なり人脈なりに依って会長候補者を推薦し、その中から「よりましな」人物を選ぶという慣例が定着していると見受けられる。その結果、経済界に「太い」人脈を持つ財界出身の経営委員が多くの候補者リストを持ち、強い発言権を持つことになり、就任初の記者会見で「私は公共放送のことはほとんどわかりません」と公言するような財界人が、「大きな組織を統括した手腕」、「日本ユニシスの社長に就任して以降、3,000億円以上の年間総売上を達成するなどの実績を持つ」ことまで推薦の理由に挙げてNHK会長が選ばれる結果になるのである。
 近年、NHKの会長選考が迷走したり、選任された会長が迷走発言や暴言を吐いたり、民間企業に移りたいと称して会長職を辞するなど、NHK会長職の威信を傷つける言動が後を絶たない状況を改革するには、今述べたような会長選考システムの構造的欠陥を根本から改革する必要があると私は考えている。
 以下は、NHK経営委員会宛の申し入れ書の全文である。

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 2014
127
NHK
経営委員会御中
         籾井NHK会長の解任を求める申し入れ

                NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
  
                    共同代表 湯山哲守・醍醐 聰

 貴委員会におかれましては、日頃より、NHKの公共放送として充実をはかるためご尽力されていることと存じます。

籾井会長発言の要旨

 126日の全国紙各紙朝刊によれば、籾井勝人・NHK会長は25日に開催された会長就任の記者会見で、放送法を順守すると発言する一方で、次の様な発言をしたとのことです。

 第1に、NHKが行う国際放送に関し、「領土問題については明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない。」

 第2に、「従軍慰安婦」問題について、「戦時中だからいいとか悪いとは言うつもりは毛頭ないが、この問題はどこの国にもあったこと」、「韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜむし返すのか。おかしい。」

 第3に、安倍首相らの靖国神社参拝について、「総理の信念で行かれた。それをいい悪いという立場に私はない。昔の人は戦争に行くときに『死んで靖国に帰る』と送り出した。こう言う人たちが大勢いる」

 第4に、特定秘密保護法の取扱いについて、「一応決まったことをああだこうだ言ってもしょうがないんじゃないか。必要ならやる。あまりかっかすることはない。」

 

当会の評価

 こうした籾井会長の発言は、以下に述べる三重の意味で、同氏がNHK会長職に不適格な人物であることを示したものと考えます。

1. 「放送法」に照らして

 「放送法」は第13項で、本法の目的を「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と定め、第4条で「放送事業者は、・・・・放送番組の編集に当たつては、政治的に公平であること」を求めています。今回の籾井会長の、現政権の見解を代弁するに等しい一連の発言は、これら放送法の条項に反するものであり、放送法を率先して遵守すべき立場にあるNHK会長としてあるまじき発言です。

2. NHK放送ガイドライン」に照らして

 2011年に定められた「NHK放送ガイドライン」は冒頭で「報道機関として不偏不党の立場を守る」とし、「放送とは直接関係のない業務にあたっても、この基本的立場は揺るがない」と定めています。NHKの全役職員の先頭に立って、この不偏不党の立場を堅持すべき会長が、こともあろうに会長就任の記者会見という職務遂行の場で時の政権の立場に寄り添うような発言をすることは、「NHK放送ガイドライン」に真っ向から反する暴言を吐いたものというほかありません。

 さらに、領土問題、靖国神社参拝問題の報道に関する籾井会長の発言は、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」という言葉に代表されるように、政府の見解を追認し、代弁するものです。しかし、「NHK放送ガイドライン」は国際報道の基本姿勢として、「各国の利害が対立する問題については、一方に偏ることなく、関係国の主張や国情、背景などを公平かつ客観的に伝える」と定めています。この点で、籾井会長の発言はアジア諸国に対する日本の侵略責任を認めた村山談話を無視する一方で、国内でも異論が多い現政権の歴史認識を代弁するものであり、上記の「NHK放送ガイドライン」に背くものです。また、「従軍慰安婦」問題についての発言は、河野談話によって日本政府の公式見解となり歴代内閣が踏襲してきた立場を真っ向から否定するものです。

加えて、籾井会長の発言は、昨今、日韓・日中両国はもとより、アメリカや欧州諸国からも厳しく警告・批判されている日本政府の偏狭な歴史認識を代弁するものですが、それは「NHK放送ガイドライン」が定めた「国際平和や、各国国民との相互理解、友好・親善の促進に貢献する」という規定にも逆行するものです。

 次に、特定秘密保護法について、籾井氏は、通ったものをどうこういってもしょうがないと発言しましたが、同法案が成立した後に行われた世論調査でも、法案の国会審議が「十分でない」という回答が76%、法案自体に「反対」が51%を占め、「賛成」の24%の2倍以上となっています(「朝日新聞」2013127日調査)。また、同法の修正・廃止を求める意見が合せて82.3%に達しています(「共同通信」20131289日調査)。現に、複数の政党は今国会に同法の廃案法案を提出する準備をしています。

 このような世論および政治の状況に照らせば、今回の籾井会長の発言は、「政治上の諸問題の扱いは、あくまでも公平・公正、自主・自律を貫き、・・・・視聴者の判断のよりどころとなる情報を多角的に伝える」と定めた「NHK放送ガイドライン」に真っ向から反しています。

3. 指名部会が合意した次期会長の資格要件に照らして

 経営員会内に設置された指名部会の第8回部会(20131126日開催)会議録によれば、次期会長の資格要件として6点が合意されたと記され、その第1に「NHKの公共放送としての使命を十分に理解している」こと、第3に「政治的に中立である」ことが挙げられています。籾井会長の会長就任会見での一連の発言はこれら両項に背反することは明らかであり、経営委員会が合意した資格要件に照らしても籾井氏はNHK会長に不適格な人物と言わなければなりません。


当会の申し入れ

1.  以上3つのどの観点から検討しても、籾井氏がNHK会長の職に不適格な人物であること、NHK
に対する
視聴者・国民の信頼を著しく損ねたことは明らかです。よって、当会は、会長任命機関としての貴委員会に対し、すみやかに籾井氏をNHK会長職から解任するか、籾井氏に辞職を勧告されるよう申し入れます。


2. 会長就任早々、言論・報道機関の責任者としての自覚のなさをさらけ出す発言をするような人物を選任した貴委員会の責任は極めて重大です。なぜ、そのような選任になったのかを徹底的に検証し、審議の模様をそのまま議事録として公開するよう求めます。

3. ここ数年、NHK会長選考が混迷したり、選任された会長が問題発言をしたりすることによってNHK会長の威信が著しく低下しています。こうした事態を改めるには、現在のNHK会長選考のシステムを、視聴者に開かれた、より透明なものにするよう抜本的に改革する必要があると考えます。その第一歩として、当会はNHK会長選考のあるべき仕組みについて、広く視聴者から意見を求める機会(パブリックコメントや公聴会の開催)を近々に設けるよう求めます。

 以上3点の申し入れに関する貴委員会の対応なりご見解を、210日までに別紙掲載宛てに書面でご回答くださるようお願いします。
                                
以上

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護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実(2)

2014119
  ・護憲と破憲の内外落差
 ・護憲を掲げる資格が問われている
 ・構成団体にも問われる自浄の意思と能力

護憲と破憲の内外落差 
 日本国憲法の諸条項、特に、人種・信条・性別・社会的身分・門地を理由とした政治的・経済的・社会的関係における差別の禁止(第141項)、思想・良心の自由(第19条)、信教の自由(第20条)、集会・結社および言論・出版の自由(第21条)、学問の自由(第23条)などの精神的自由権の効力は私人間にも及ぶのかどうかは憲法解釈上の一大問題である。なぜなら、憲法、とりわけ精神的自由権はもともと国民の国家権力に対する防御権として制定されたものであり、私人間関係までも直接に律することを予定したわけではないからである。
 現に、学説上も判例上も、私人間の関係はあくまでも民法、商法、労働法といった関係法令によってあるいは個人が属する団体の自治によって律せられるものとし、憲法の自由権条項ないしは人権条項の効力は私人間関係にも直接及ぶとする「直接適用説」はほとんど支持されていない。むしろ、憲法の当該条項の効力は関係法令や契約自由の原則、私的自治の原則を介して間接的に及ぶとする「間接適用説」が通説になっている。これを今の問題に当てはめて考えるとどうなるだろうか。
 憲法会議のホームページを閲覧すると、同会の目的が次のように記されている。

 
「(目的)本会は日本国憲法のじゅうりんに反対し、民主的自由をまもり、平和的・民主的条項を完全に実施させ、憲法の改悪を阻止することを目的とします。

 また、憲法会議が20131023日に発表した「『戦争する国』づくりに直結し、憲法原理を覆す『秘密保護法案』に反対します」と題する声明の冒頭で次のように記されている。

 「憲法会議は、安倍内閣が25日の閣議で決定し、今臨時国会に提出しようとしている『秘密保護法案(特定秘密保護法案)』に断固反対します。それは同法案が、国民の知る権利、言論・表現の自由を脅かすなど民主主義の根幹と国民主権、平和主義の日本国憲法の基本原理を根底から覆すものだからです。」

 この文章に表わされた知る権利、言論・表現の自由が、国家権力からの国民の防御権という意味で用いられていることは明らかである。私も「特定秘密保護法案」の脅威をこのようにとらえ、同法案の成立・施行を阻止する運動を強く支持してきた。

護憲を掲げる資格が問われている
 しかし、今日、私たちが社会生活で直面する思想の自由や言論の自由の侵害、信条等を理由にした社会関係面での差別的処遇は、国家や公共機関と個人との関係だけで起こっているわけではない。企業内の労使関係、職域団体、大学、地域の自治会・町内会などでも例外といって済まない頻度で起こっている。さらに言えば、私が東京都知事選をめぐる問題を扱った一連の記事で取り上げたように、民主的市民団体と通称される団体内でも、「運動の世界で生きていきたければ騒ぐな」といった恫喝まがいの言動や執拗に異論を唱えるものを組織から排除するといった行為が起こったことが報告されている(そうした行為をしたと名指しされた当事者からはこれまでに反論なり反証はない)。
 このように、憲法の基本的人権を自治の中で活かすことが期待されているはずの団体の内部で、逆に基本的人権を侵害する行為がまかり通っているのは「悪い冗談」では済まない深刻な事態である。
 憲法会議が自ら掲げた「目的」の中で擁護すると謳った憲法の「民主的条項」に思想・良心の自由、言論の自由は入っていないはずがない。とすれば、自ら守ると擁護を唱える憲法の民主的条項を自らが蹂躙したのであるから、自己撞着の極みである。こうした自己撞着、言動のダブル・スタンダードを速やかに自浄すべきは当然である。それなしには憲法会議は憲法の民主的条項の擁護を国民に向かって呼びかけ、啓蒙する資格はないのである。

構成団体にも問われる自浄の意思と能力
 もうひとつ、私が指摘したいのは憲法会議に参加している諸団体の道義上の連帯責任である。憲法会議事務局から澤藤氏に送られたファックスの文面には、澤藤氏の論稿を『月刊憲法運動』の2月号に掲載するのは、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成諸団体の納得を得ることはできないと記されている。

 私はこの構成団体がどういう団体か知らないが、構成諸団体の意向に沿わないとして澤藤氏の論稿掲載の延期(最終的には見送り)理由が説明された以上、各構成団体は憲法会議事務局が犯した言論・思想の自由侵害行為の関係当事者ということになる。したがって、これら諸団体は憲法会議事務局の当該行為をどう受け止めるのか――澤藤氏の論稿を機関誌の2月号に掲載することを本当に納得しないのか、しないのならその理由は何なのか――について態度表明があってしかるべきである。また、憲法会議事務局の取った対応の方にむしろ納得しないのなら、事務局にどのような善後策を要請するのかについて、しかるべき見解を表明するのが道義的責任である。

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護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実(1)

2014年1月19日
 ・「民主団体」の言動の内外落差を示す事態がまた一つ
 ・掲載延期の求め、なぜ?
 ・掲載延期に一理あったのか?
 ・宇都宮批判は前科?

「民主団体」の言動の内外落差を示す事態がまた一つ
 「革新陣営」「民主団体」の言動の内外落差――他者に批判を向けるのと同じ過ちを自らが犯すという自己撞着、その自己撞着を自覚せず自浄できない体質――を考えさせられる事態がまた一つ、伝わってきた。澤藤統一郎氏の私設ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の本年115日付記事「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい-その26」が明らかにした事態である。
    http://article9.jp/wordpress/?p=1926
 
 http://article9.jp/wordpress/?p=1936
  それによると、この18日、憲法会議(正式名称は「憲法改悪阻止各界連絡会議」)の平井正事務局長が澤藤氏宅を訪ね、昨年1227日に電話で澤藤氏に執筆を依頼した同会機関誌『憲法運動』2月号(1月末発行)への寄稿を2月号に掲載できなくなった、3月号以降に掲載を延期したいが、いつになるかはわからないと告げたという。

掲載延期の求め、なぜ?
 澤藤氏のブログ記事によると、依頼された原稿のテ-マは「岩手靖国訴訟」で、澤藤氏も即座に応諾し、執筆の準備にとりかかっていた。それだけに、澤藤氏は掲載延期の申し出が腑に落ちず、理由を尋ねると、平井氏は「先生が宇都宮さんを批判していることが問題なのです」と答えた。さらに、こうした掲載延期を求めるのは誰かがそう言っているからではなく、憲法会議事務局の判断だと告げたという。
 澤藤氏は納得せず、自分には宇都宮氏を批判する言論の自由がある、あなたがやろうとしていることは私の言論への口封じだと反論した。しかし、平井氏はこれにはほとんど応答せず、持ち帰って再度内部で協議するといって澤藤宅を辞したという。
 それから6日後の今月14日、平井氏から澤藤氏に電話があり、再度、要請をしたいので訪問したいとのこと。前回とは別の提案なのかと澤藤氏が尋ねたところ、平井氏は前回の要請をさらに詳しく説明したいとの答え。澤藤氏が、それでは会う意味はないので翌日までに要請の趣旨と理由を文書にしてファックスで送ってほしいと伝えたところ、翌日、確かにファックスが届いた。しかし、そこでは、澤藤氏が掲載号延期の要請を受け入れない場合は「掲載見送り」となっていたことを知って澤藤氏は怒った。氏は、ファックスの文面の最後の4行に記された掲載拒絶の理由を原文のままと断ってブログ記事に転載している。重要な部分なので以下、そのままを引用しておく。

 「年が変わった時点で、澤藤先生がブログで『宇都宮健児君、立候補はおやめなさい』と題する文書を発信し続けていることを知りました。29日投票の東京都知事選挙において、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成諸団体の納得を得ることはできません。」
 
 それから2日後の117日付けで澤藤氏が連載28として掲載したブログ記事には次のような経過が記されている。
 同日、澤藤氏が平井氏宛に電話をし、依頼を受けた原稿が完成したこと、それを送ったら2月号に掲載してもらえるか尋ねたところ、ファックスで要請したように3月号以降への掲載と依頼しているとおりとの返答。そこで、澤藤氏が、掲載延期の理由は同氏が宇都宮健児氏を批判する記事をブログに掲載したからか、と再度尋ねたところ、平井氏は「そのとおりです。そのこともファックスに記載しています」と答えたという。
 長々と経過を説明したのは、澤藤氏と平井氏のやりとり、送られてきたファックスの内容に重要な意味があると考えたからである。

掲載延期に一理あったのか?
 この問題を性急に論評するのを避け、論点を整理しながら考えていきたい。
 かりに、澤藤氏が依頼された原稿の中で、宇都宮氏の立候補を阻止・撤回させることを意図した記述をする公算が高いと考えられたとしよう。この場合、そうした内容を含んだ論稿を掲載した機関誌を都知事選の選挙期間さなかの1月末に発行することが公選法で禁じられた文書図画の頒布に当たらないかと憲法会議事務局が懸念し、選挙後の3月号以降への掲載延期を申し出たのだとしたらどうなるか?そうなら憲法会議事務局は、公選法のどの条項に抵触する恐れがあるのかを澤藤氏に丁寧に説明し、掲載延期を了解してもらうよう努めるのが道理である。
 しかし、事実経過を見ると、このような想定のもとに今回の事態を検討する意味はないことがわかる。澤藤氏がブログに書いた内容から判断して、同氏が依頼原稿に書こうとしたのは依頼されたテーマ(岩手靖国訴訟の記録と現時点での教訓)に沿ったもので、それと関係のない宇都宮氏の立候補をめぐる持論を展開するつもりがあったとは思えないからである。それでもなお、澤藤氏が言に反して出稿した原稿に、依頼したテーマとはずれた宇都宮氏の立候補に関する言及があったのなら、原稿の修正なり加除なりを、あるいは掲載延期なりを両者協議するのが道理である。

宇都宮批判は前科?
 しかし、憲法会議事務局はこうした対応を取らなかった。むしろ、事務局が澤藤氏に送信したファックスの文面から判断すると、澤藤氏が宇都宮氏の立候補について言及する意図がないことがわかっても、都知事選の選挙期間さなかに発行される機関誌に、「宇都宮氏を批判した実績のある」澤藤氏の原稿を掲載するのを忌避する意図があったと受け取れる。現に、澤藤氏が、自分が承諾した原稿は都政の問題でなはなく靖国問題である、宇都宮氏への批判が出てくるわけがない、と反問したのに対して平井氏は「それは分かっています。それでも先生が宇都宮さんを批判していることが問題なのです」と答えたという。これでは、原稿の内容以前に(内容を理由に掲載の時期を差別扱いすること自体も問題となりうるが)、特定の主張をした人物であることを理由に論稿の掲載時期を差別的に扱ったことになる。
 こうした憲法会議事務局の態度は、二重の意味で――日本国憲法の該当条項の効力が直接及ぶといえるかどうかは別にして――言論の自由、思想・良心の自由を抑圧するものだった。
 一つは、澤藤氏の原稿の掲載を正当な理由なく差別的に扱った点で言論の自由の抑圧に当たる。もう一つは、澤藤氏が過去に(といっても直近の時期であるが)執筆し公表した記事の中で特定の主義・主張を展開したことを理由に(まるで「前科」かのようにみなし)、論稿発表の自由を奪ったという意味で思想の自由の侵害にあたる。 

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「利敵行為」論を考える(1)

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「利敵行為」論を考える(1
  ・「利敵行為」との指摘に対する応答
  ・自分の外に「主人」を持たない自立した個人こそ民主主義社会の支柱
  ・異なる意見との討論が思想の硬直化を防ぎ、対話力を鍛える

「利敵行為」との指摘に対する応答
 私が14日以降、新旧宇都宮陣営の選対のあり方、宇都宮氏の資質、選挙運動費用収支をめぐる疑問点について一連の記事をこのブログに掲載し、それを関係する政党、団体、少なからぬ知人に知らせたが、数名の知人を除いて直接、私宛に感想を伝えてきた人はない。ほとんどが沈黙のままである。ゆっくり読む時間がないのか、ややこしそうな問題には関わらないという態度なのか、今は私が提起した問題より、もっと重要な問題が山積しており、そちらに関わるべきだという判断なのかもしれない。最後だとしたら、当然とも思う。
 しかし、沈黙の理由の多くは、自分の経験に照らして、ややこしそうな問題には関わらないという態度によるものではないかと想像している。その限りでは予想した状況なので特段驚いていない。
 ただ、ネット上で散見される異論、違和感の多くは「利敵行為論」に該当するといってよい。そこで、この点に応答しておきたい。
 この議論の要旨はこうである。―――都知事選は告示日を控え、複数の候補者が立候補(の意向)を表明して、いよいよ論戦が始まろうとしている。そのような時期に不特定多数の目に留まるブログ等で宇都宮氏やその陣営に対して公然と批判をするのは、対立する陣営を利するものであり、好ましくない。意見があるなら、関係者に直接伝えるべきだ、と。
 結論からいうと、この議論は今回、私が一連の記事を書く動機として述べた次のような見解と相反するものである。
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 私が入手した旧宇都宮選対の体質に関わる情報、それを正すために宇都宮氏がどのように対応したかを示す情報は、私自身が近年、市民運動に係わる中で体験したいわゆる革新陣営(個人か団体かを問わない)の中に少なからず存在する言動の内外落差――対峙する陣営に対して向けるのと同じ反民主主義的体質、個の自立の欠如、身内の弱点を自浄する相互批判を回避・抑制する悪弊に染まっている弱点――を感じた。
 これは宇都宮氏の再出馬にどう向き合うかを考えるうえでゆるがせにできない問題であると同時に、それを超えた日本の革新陣営と市民運動全体に再考を迫る問題と思えるので、問題が具体的に表面化した実態を題材として私の見解を明らかにすることにした。日本の市民運動に民主主義的理性を根付かせるためにこの連載記事がオープンな議論の一助となれば幸いである。
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 つまり、私が一連の記事を私設のブログに掲載した動機は、告示日ぎりぎりまで最善と思える革新統一の都知事候補の選考のために政党、団体、個人が叡智を寄せ合って協議を深めてほしいという差し迫った願いと同時に、革新陣営に少なからず存在する上記のような言動の内外落差を再考するきっかけとしてほしいという、より根源的な思いからだった。
 このような動機、特に後者の動機は今でも正当なものと考えており、ネット上で少なからぬ方々から同感、賛意が寄せられたことを心強く思っている。

自分の外に「主人」を持たない自立した個人こそ、民主主義社会の支柱
 後者のような動機からすれば、私の見解を特定の関係者にだけ伝えるということは、動機を実行する方法として不相応である。特定の主義・信条で集まった政党、団体であっても、個人の間であっても、さまざまな問題をめぐって、初めから常に意見が一致しているということは、よほどマインドコントロールが強固で自立した個人の存在が不可能な組織でないかぎりあり得ない。むしろ、異なる意見を相めぐり合わせて、各人が知見を広げ、自分の思考力、判断力を磨き、鍛錬することが、政党なり団体なりの構成員の意欲、組織外の人々への信頼と影響力を広げる基礎になるはずである。少なくとも私は、自分の判断なり意見表明をするにあたって、耳を傾ける先達、友人はたくさんいるが、自分をコントロールする「主人」なり「宗主」は持ち合わせていない。そういう「主人」持ちの人間を私は尊敬する気になれない。
 もちろん、私も、問題によっては政党なり団体なりの内部で議論をし、解決を見出するのが適切だと思う。だから、なんでもかんでもオープンにすべきといった極論をいうつもりはない。
 しかし、今回、私が提起した東京都知事選の候補者選考とか、選挙母体の運営のあり方といった公的な問題に関しては、さまざまな意見を特定の団体なり、グループなり、関係者の間だけにとどめず、できる限りオープンにし、極力すべてのメンバーに、異なる意見に出会う機会、自分の意見を述べる機会を開くのが言論の自由を支柱にした民主主義の本来の姿だと考えている。
 「身内のごたごたや弱点を組織外に広めるのは支持者を離反させ、対立する陣営に塩を送るようなものだ」という意見をよく聞く。確かに、問題によっては―――個人のプライバシーが絡む問題など―――団体なり組織の内で議論をし、解決するのが適切なこともある。また、異論を提起する場合もその方法に配慮が必要である。しかし、内々で議論をするのが既成のマナーかのようにみなす考えは誤りである。むしろ、組織内の意見の不一致、批判を内々にとどめ、仲間内で解決しようとする慣習や組織風土が、反民主主義的体質、個の自立の軽視、身内の弱点を自浄する相互批判を育ちにくくする体質を温存してきたのではないか。

異なる意見との出会い・討論が思想の硬直化を防ぎ、対話力を鍛える
 往々、日本社会では同じ組織メンバー間の争論を「もめごと」とか「内ゲバ」とか、野次馬的に評論する向きが少なくない。しかし、「もめごと」と言われる状況の中には上記のとおり、組織(革新陣営を自認する政党や団体も例外ではない)が抱える体質的な弱点――少数意見の遇し方の稚拙さ、反民主主義的な議論の抑制や打ち切り等――が露見した場合が少なくない。その場合、組織内の少数意見を組織内ですら広めず、幹部など限られたメンバーだけにとどめて「内々に」処理しようとする場合もある。あるいは、組織外から寄せられた賛同や激励の意見は組織内外に大々的に宣伝するが、苦言や批判は敵陣営を利するとか、組織内に動揺を生む恐れがあるという理由で、組織外はもとより、組織内でさえ広めようとしない傾向が見受けられる。これは大本営発表と同質の情報操作であり、組織内外の個人に自立した判断の基礎を与えないという意味では近代民主主義の根本原理に反するものである。
 この世には全能の組織も全能の個人も存在しない。自らに向けられた異論や批判にどう向き合うか、それをどう遇するかはその組織にどれだけ民主主義的理性が根付いているかを測るバロメーターである。その意味では、組織内外から寄せられた異論、批判、それに当該組織はどう対応したかを公にすることは、その組織に対する信頼を多くの国民の間に広げるのに貢献するはずであり、相手陣営を利することにはならない。また、異なる意見、少数意見も尊重し、真摯な議論に委ねる組織風土を根付かせることこそ、「自由」に高い価値を置く多くの国民の共感を呼ぶと同時に、組織構成員の対話力を鍛え、組織の影響力を高めるのに貢献するはずである。このように考えると、組織内の問題を公にする行為を「利敵行為」というマイナス・イメージの言葉で否定的にとらえるのは偏狭な思考の産物といえる。
 私は、今回の問題に限らず、これからもこうした理性を支えにして、必要と考えた時に自分なりの見解を伝え、行動していきたいと考えている。
 次の記事では、公益通報者保護制度と海外での「利敵行為」をめぐる司法判断や立法動向を題材にして、「利敵行為」をめぐるそもそも論を考えることにしたい。

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新旧宇都宮陣営は問題の重大性を自覚すべきである(2)

領収証の記載に間違いがないなら違法な選挙報酬の支払いとなる
 しかし、想定を変えて、上記2つの領収証が記載のとおり、上原、服部両氏に対する労務者報酬(選挙運動報酬)の支払いを意味したのだとしたら、公選法で選挙運動報酬の支払いが禁じられている選挙運動統括者らへの報酬の支払いを裏付ける資料となり、公選法違反を免れない。
 この点を少し解説すると、公選法上、東京都内の選挙運動で実費弁償とは別に報酬を支払うことができるのは、①自分は決定権を持たず、選挙事務所内で責任者の事務的作業をサポートする選挙事務員(1日につき1万円以内)、車上等運動員(いわゆるウグイス員。同上15千円以内)、手話通訳者(同上15千円以内)、②電話の取次ぎ、ビラや証紙貼り作業、演説会の設営・撤去作業などを行う要員(基本日額/1万円以内、超過勤務手当/基本日額の5割以内)、とされている。
 したがって、公選法上、上原公子氏がそうであったような選対本部長や服部泉氏がそうであったような出納責任者には事務員報酬であれ、労務者報酬であれ、支払いは禁じられているのである。
 この点でいうと、他ならぬ出納責任者であった服部泉氏自らが、「選挙報酬として」と記載した領収証を、違法性に気づかず提出したとなれば、それ自体、初歩的な法令順守義務違反に当たり、重大な批判を免れない。また、かりに、真実は交通費や宿泊費の実費弁償であると認識しながら、「誤って」「選挙報酬として」と直筆した領収証を提出したのだとしたら、出納責任者としての適格性を著しく欠いた行為と言わなければならず、そうした人物を選任した宇都宮健児氏の責任も問われなければならない。

真実は2つの想定のどちらなのか? 
 一つ前の記事で、私は上原公子氏と服部泉氏に支払われた10万円の趣旨に関して、2つの解釈を併記し、どちらが真実に近いかについては判断を留保した。以下では、それぞれの解釈ごとに道義上、どのような問題が生じるのか、公選法上、どのような扱いになるのかを述べた上で、私は2通りの解釈のどちらに信ぴょう性が高いと考えているかを、根拠を添えて述べたい。

領収証の記載が虚偽なら公選法違反となる
 弁護士3氏の連名で公表された「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(以下、「法的見解」と略す)によると、上原、服部両氏に対する支払いを「労務者報酬」としたのは事務的ミスで、「交通費」、「宿泊費」の実費弁償と訂正するとのことである。「選挙運動費用収支報告書」上は、このような訂正申告(要するに記載すべき「支出費目」を取り違えたという事務的ミス)で事は済むかに見える。
 しかし、この10万円の支払い(金額、日時、支出の目的等)を証するために作成され、報告書に添付された上原、服部両氏名を受取人とする領収証は訂正箇所の上書きでは済まず、全面的な訂正、すなわち差し替えが必要になる。果たして、領収証の遡及的差し替えがそれほどたやすく行えるのだろうか?
 ここでは、仮定の話として記すが、公選法第246条第5号に次のような定めがある。
 「第246条 次の各号に掲げる行為をした者は、3年以下の禁固又は50万円以下の罰金に処する。
 <中略>
 五.第188条の規定に違反して領収書その他支出を証すべき書面を徴せず若しくはこれを送付せず又はこれに虚偽の記入をしたとき。」

 もし、上の領収証が事実と異なることを認識したうえで作成され、東京都選管に提出されたのだとしたら、虚偽の領収証を提出したことになるから、上記のとおり、公選法第246条第5号に違反した行為となり、3年以下の禁固又は50万円以下の罰金が課されることになる。

「法的見解」は事実を隠ぺいする文書に当たる疑いが強い
 
 しかし、私は問題の領収証が虚偽記載に該当する可能性は低いと考えている。その理由は次のとおりである。 
 「法的見解」は、上原氏(ら?)に対する「交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない10万円の実費弁償に何の違法性もない」と記している。ここからすると、訂正するのは支出費目だけで、10万円という支払い金額は訂正しないと解される。しかし、それなら、
 ①交通費、宿泊費といった異質な実費に対する弁償について、1枚の領収証が発行されるということがありうるのか?
 ②上限のない交通費を含む実費の弁償といいながら、上原、服部両氏に対する支払いが、なぜどちらもぴったり10万円で同じなのか? なぜ、毎回(10日分)、常に両氏とも1万円なのか? この1万円とは労務者報酬として支払うことが認められた基本日額の上限額1万円を意味したと理解するするのが合理的である。
 ③上原氏、特に出納責任者でもあった服部氏が、自分宛に支払われる真の目的が交通費や宿泊費の実費弁償であると自覚していたなら、サインを求められた領収書に「人件費」とあらかじめ印字されていたことを不審に思わず、自ら「選挙報酬として」と直筆することがありうるだろうか? むしろ、真実、支払いを受ける目的が選挙報酬だと認識していたからこそ、「人件費」という印字を了解し、「選挙報酬として」と直筆した(あるいはそのように記載するよう促されたのに応じた)と解釈するのが自然である。

 以上、一つ前の記事とこの記事で示した事実、そしてそこから合理的に導けると考えられる推論の帰結として私は、弁護士3氏が「選挙運動費用収支報告書」の作成に関する基礎的規程を理解したうえで連名で「法的見解」を公表したのだとすれば、その「法的見解」は真実を立証するに値しないだけでなく、真実を隠ぺいする意図をもって作成され、公表された文書である疑いが強いと考えるに至った。「些細な金額にどうしてそこまでこだわるのか」という反問が出ることを承知の上で、この記事を書いた主な理由はここにある。
 念のためにいうと、ここでいう「真実」とは、上原、服部両氏に対して支払われた
10万円は「選挙報酬」という趣旨・目的での支払いであったということである。これが確かなら、両氏に対する10万円の支払いは報酬の支払いをできる者を制限した公選法第197条の2に違反したことになる。
 かりに、弁護士3氏、宇都宮健児氏、あるいは当該「選挙運動費用収収支報告書」の作成責任者(出納責任者)であった服部泉氏、その他関係者が、私のこうした推論に誤りがあるというなら、それを反証する証拠を公開して、どこがどう誤っているのかを説明するよう要望する。

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新旧宇都宮陣営は問題の重大性を自覚すべきである(1)

 (注)この記事と次の記事で表記する「新旧宇都宮陣営」とは、「2012年の東京都知事選に立候補した宇都宮健児氏、その選挙母体であった政治団体ならびに選対関係者、宇都宮氏を支持した政党、団体、宇都宮氏を支持した個人と、今回の東京都知事選に立候補を表明した宇都宮健児氏、その選挙母体である政治団体ならびに選対関係者、宇都宮氏を支持することを表明した政党、団体、個人としての支持者」の総称である。

「宇都宮氏を支持する前にやるべきこと」はなされたのか?
 私は14日に「宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある」という標題で4つの記事をこのブログに掲載した。(次の記事以下に逆順で掲載している。)
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-041d.html

 しかし、宇都宮氏は16日に都知事選にのぞむ基本政策を発表し、それを受けて日本共産党、社民党、いくつかの市民団体、個人が宇都宮氏支持を表明した。
 この間、私が知り得た情報を見ると、「宇都宮さんを支持したいが、投げかけられた疑問にはきちんと答えてほしい」といった声を見かけた。しかし、上記の政党や団体、個人の支持表明を見ると、政策面での一致が強調され、私が指摘した「宇都宮健児氏を支持する前にやるべきこと」がなされたことを確認する術は今のところない。非公式になんらかの検討がされたのかもしれないが公にはされていない。逆に、この時期に、私(や澤藤統一郎氏)がしたような公の場での宇都宮陣営批判は敵陣営を利するだけだ、という声が一部からではあるが直接、間接に聞こえてきた。(これについては次々回の記事で応答する予定である。)


 さらに、15日付で発表された弁護士3氏(中山武敏、海渡雄一、田中隆の各氏)の連名の文書「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に関する法的見解」(以下、「法的見解」という)は、その結びで、「澤藤氏の主張する法的問題について簡潔に検討したが、それらのどれもが、些細な事務的ミスを針小棒大に取り上げたものであるか、悪意に基づく憶測によるものであり、前回の宇都宮選挙が、公職選挙法の厳しい制限のもと、市民選挙としてきわめてクリーンに行われた事実を私憤に基づいて中傷誹謗するものとなっていることは、きわめて遺憾である」と記している。

「些細な事務的ミス」なのか?
 上の指摘のうち、「悪意に基づく憶測」、「私憤に基づく中傷誹謗」という指摘が当たるのかどうかについてはここでは立ち入らない。しかし、
「それらのどれもが、些細な事務的ミス」であるとの記述、「前回の宇都宮選挙が、公職選挙法の厳しい制限のもと、市民選挙としてきわめてクリーンに行われた」という記述には疑問を覚えた。このうち、については、冒頭に掲記した連載記事「宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある」の(2) 前篇、(2) 後編で、澤藤父子の告発記事に基づいて疑問を呈した。ただし、そこでは、澤藤父子が一方側の当事者であることを考慮して、事の真偽を説明するよう宇都宮氏と旧宇都宮選対の関係者に求めた。澤藤父子の告発が事実なら、前回の宇都宮選挙は市民選挙らしからぬダーティな面を含んだ選挙だったということになるから、宇都宮氏ならびに旧宇都宮選対関係者は自らの信頼をかけて事の真偽を説明する必要がある。

 他方、
については、私が入手した旧宇都宮陣営の「選挙運動費用収支報告書」とそれに添付された領収証に基づいて3つの疑問点を提起し、①に根本的に反論する以下の記事をこのブログに掲載した。
 「旧宇都宮陣営の選挙運動支出に関する法的見解は真実の証明になっていない(1)」

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-cab2.html

「旧宇都宮陣営の選挙運動支出に関する法的見解は真実の証明になっていない(2)」

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-c45e.html

  

 私が指摘した疑問点が些細な事務的ミスなら目くじらを立てることはない。私はそうは考えなかったので反論を書き、記事(2)の末尾でその要旨を述べた。しかし、やや慎重な言い回しをしたので、ここでは追加資料を添えて、より端的に記したい。

 領収証も記載ミスだったのか? そのような説明は通用するのか?
 上原公子氏と服部泉氏に支払われた各々10万円を「選挙運動費用収支報告書」に「労務者報酬」(人件費の1種)と記載したのは事務的ミスで、正しくは交通費や宿泊費などの実費の一部を弁償する支払いだったとしよう。弁護士3氏によると、このような形で支出費目の訂正届けを東京都選管に提出するとのことである。しかし、それなら、上原、服部両氏が各々、この10万円の受領につき宇都宮健児事務所宛に提出した「領収証」はどうなるのか? そこには、「人件費―5」、「¥100,000」、「但 選挙報酬として」(以上、上原公子氏名の領収証)、および、「人件費―6」、「¥100,000」、「但 選挙報酬として」(以上、服部泉氏名の領収証)と記載されている。これらの記載もすべて事務的ミスとして訂正届けを出す(出せる)のだろうか? これらの記載すべてが、正しくは「交通費」や「宿泊費」の実費弁償のための支払い(受け取り)であったのに「誤って」、「人件費」「選挙報酬として」などと記載してしまったという釈明が通用するのだろうか?
 上限のない交通費を含む実費弁償であるなら、これらの領収証に記載された金額がともに10万円という切りのよい同額になったのはいかにも不自然ではないか? 2人がそろって、これら数か所の記載を勘違いするということがありうるのだろうか? 
 また、交通費を含む実費弁償額が「10,000×10日」という積算で、日当かのように計算されたのも不可解である。
 以上のような疑問点が当たらないのかどうか、3名の弁護士ならびに「選挙運動費用収支報告書」の出納責任者でもあった服部泉氏は、わかりやすく説明してほしい。

 さらに立ち入って言おう。これらの領収証に記載されている「人件費」はどちらも手書きではなく、あらかじめ領収証の受領者が入力したとみられる印字である。そして、これら2通の領収証に対応する人件費が計上された「選挙運動費用収支報告書」の支出の部の【4】ページを見ると、上から順に「事務員報酬」として3名宛の支出が記載され、それに続く4番目にM氏に対する「労務者報酬」が、5番目に上原公子氏に対する「労務者報酬」が、6番目に服部泉氏に対する「労務者報酬」がそれぞれ記載されている。ここから、次のような推定が成り立つのではないか。
 つまり、上原公子氏名の領収証に印字された「人件費-5」は、「選挙運動費用収支報告書」上の選挙運動報酬の5番目の支払いであることと突合するために付された番号であり、服部泉氏名の領収証に印字された「人件費-6」は「選挙運動費用収支報告書」上の選挙運動報酬の6番目の支払いであることと突合するために付された番号だったのではないか? こういう解釈が誤っているというなら、「人件費-5」、「人件費-6」と付された番号が何を表すものだったのか。これについても3名の弁護士ならびに服部泉氏はわかりやすく説明してほしい。

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旧宇都宮陣営の選挙運動支出に関する法的見解は真実の証明になっていない(2)

201417

「費目区分のミス」という説明の不自然さ
 1つ前の記事で書いたように、旧宇都宮陣営を代表して3名の弁護士が連名で公表した「法的見解」は、旧宇都宮選対本部長だった上原公子氏、服部出納責任者に支払われた10万円は、実費弁償の「交通費」あるいは「宿泊費」とすべきところ、誤って、「労務者報酬」と記載したもので、その点を訂正すれば済む問題で違法性など何もないと主張している。しかし、この説明に納得できるだろうか?
 出納責任者でもあった服部泉氏、あるい「選挙運動費用収支報告書」を取りまとめたと考えられる事務担当者・田代馨氏が公選法の中の当該報告書の記載様式に係る条文なり記載例を知らなかったとは考えにくい。万が一、本当に知らなかったのなら、公選法の条文も理解していない人物を出納責任者に選任した宇都宮健児氏の責任が問われることになる。
 現に、宇都宮健児名で東京都選管に提出された「選挙運動費用収支報告書」は、東京都選管が定めた報告書の記載様式にならって、支出は人件費、家屋費(選挙事務所費)、通信費、交通費、印刷費、広告費、文具費、食料費、休泊費、雑費に区分して記載されている。また、人件費の内訳項目として事務員報酬を記載したのは適正であり、労務者報酬も上原氏、服部氏を除く6名分を人件費の区分に記載したことは適正だった。上原、服部両氏に対する支払いだけ、記載区分を誤るということがありうるのだろうか?
 むしろ、実際はこうではなかったか? つまり、上原氏、服部氏にも「労務者報酬」としてそれぞれ10万円を支払った、しかし、澤藤氏の指摘を受けて、よくよく考えると、選対本部長や出納長という立場(選対幹部の指揮を受けて機械的事務作業を担うわけではなく、むしろ、指揮をする側の職)にあった両氏には公選法上、実費とは別に報酬を支払うことを禁じられえていることが分かった、このままではまずいというので、公選法で両氏に対しても支払うことが認められている交通費、宿泊費に対する実費弁償だったということにしょうとしたのではないか? 
 実際、「選挙運動費用収支報告書」に添付された上原公子、服部泉両氏名の領収証(宛先・宇都宮けんじ事務所様)の右肩には「人件費―5」、「人件費-6」という記載があり、金額欄には
100,000、但し書き欄には「選挙報酬として」と記載されている。これでも、「交通費」「宿泊費」だという認識を持ちながら「誤って」人件費の費目に記載してしまったという釈明が成り立つのだろうか? こうした私の推論は次の疑問を吟味するなかで、さらに裏付けられる。

実費弁償の支出がなぜ日当なのか?
 宇都宮健児名で東京都選管に提出された「選挙運動費用収支報告書」(受理日:平成241228日)を見ると、支出の部の「人件費」の項に上原公子宛「労務者報酬」として100,000円が記載され、備考欄に「10,000円×10日」という積算が記載されている。同様に、服部泉氏宛にも「労務者報酬」として100,000円が記載され、備考欄に「10,000円×10日」という積算が記載されている。ちなみに、3名に支払われた「事務員報酬」の備考欄にも「10,000円×5日」と記載され、2名に対する「事務員報酬」の備考欄には「10,000円×12日」、別の3名に支払われた「事務員報酬」の備考欄には「10,000円×17日」と記載されている。上限がある宿泊費は別にして、実額全額を弁償する交通費への支払いが含まれているというなら、被支払者ごとに金額にばらつきがあるはずなのに、なぜ、日当制と解釈されるような10,000円に張り付いた金額が横並びで用いられたのか、初歩的な疑問が拭えない。
 むしろ、ここで1万円と記載されたのは「東京都選挙執行規程」の第81条(実費弁償及び報酬の額)の2のイで、選挙運動のために使用する事務員1人につき1日に支給できる報酬の上限額が1万円と定められていることを十分認識したうえで、どの事務員にも1日当たりの限度額を事務員報酬として支払ったからこそ、「日当1万円」を想起させるような記載がなされたと考えるのが自然である。そうだとすると、実際は交通費、宿泊費として支払ったものを報告書上は誤って「事務員報酬(人件費)」として記載してしまったという説明は虚偽の疑いが濃厚になる。

10
万円相当の実費の支払いを証する帳票を開示すべき
 前の記事で説明したとおり、宇都宮健児名で提出された「選挙運動費用収支報告書」では「交通費」、「宿泊費」が1件ごとに支出の目的(電車代、タクシー代、高速代、チャージ代等)別、支出先別に克明に記載されている。にもかかわらず、上原氏、服部氏の場合だけ、交通費、宿泊費とすべき支払いの費目を「間違って」人件費に入れてしまったとは考えにくい。むしろ、「法的見解」が述べたとおり、上原、服部両氏に支払われた10万円が実際は「交通費」等だったとすれば、交通費の二重払いがされていたことになる。
 このような解釈が間違いだというなら、すべての帳票、領収書等を保管しているはずの3氏もしくは旧宇都宮選挙事務所は、「選挙活動費用収支報告書」に記載された以外に、上原、服部両氏への交通費、宿泊費の支払いの事実があったことを証する領収書なり現金出納帳なりを提示するとともに、それらも東京都選管に提出しなければならない。「選挙活動費用収支報告書」に添付された上記の2通の領収証の支出目的を「人件費」から「交通費」、「宿泊費」に書き換えるだけでは、両氏に対して、それぞれ10万円という「切りのよい」実費弁償が真実、なされたことを証明することにはならないからである。
 むしろ、これら領収証はそこに記載された目的どおりの現金授受の真実を示さないというなら架空の領収証ということになるから、こうした領収証がなぜ存在したのか、なぜこうした虚偽の領収証を東京都選管に提出したのかを旧宇都宮事務所・選対、そして弁護士3氏は明確に説明する必要がある。逆に、あくまでもこれらの領収証に記載されたとおりの人件費(労務者報酬)の支払いが上原、服部両氏に対してなされたのであれば、両氏への10万円の支払いはやはり公選法に違反したことになる。
 上のような「袋小路」にはまらない一貫性のある論理で事実を説明しなければ、弁護士3名の連名による「法的見解」は真実を証明する文書に値しない。

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旧宇都宮陣営の選挙運動支出に関する法的見解は真実の証明になっていない(1)

201417

澤藤弁護士が投げかけた疑問に対する旧宇都宮陣営の反論
 15日付けで「人にやさしい東京をつくる会」は3名の弁護士(中山武敏・海度(「渡」の誤りでは?)雄一・田中隆の各氏)の連名で「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(以下、「法的見解」と略す)と題する文書を発表し、同会のHPに掲載した。
 
「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」
 
http://utsunomiyakenji.com/pdf/201401benngoshi-kennkai.pdf

 この「法的見解」の趣旨は、澤藤統一郎氏が自らのブログに掲載した記事(注)の中で、201212月の東京都知事選に立候補した宇都宮健児氏の支持母体となった「人にやさしい東京をつくる会」が東京都選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告」を検討したうえで、公職選挙法上、報酬を受け取ることが禁じられた上原公子選対本部長と服部泉出納責任者に「労務者報酬」の名目で支払いがされていた点を問題視(公選法違反の疑い)したのに応えようとしたものである。
 (注)「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」(「澤藤統一郎の憲法日記」に掲載。目下、連載中)。
http://article9.jp/wordpress/ なお、澤藤氏もこの時の宇都宮陣営の選対メンバーの1人だった。

 なお、澤藤氏は上記のほかにも、宇都宮健児氏が自身の
法律事務所の事務職員を選対に派遣して給与を支給しながら選挙運動をさせた「運動員買収」の疑い、ならびに宇都宮選対事務局長・熊谷伸一郎氏が勤務先の岩波書店から給与を受領しながら選挙運動を行っていた「運動員被買収」の疑いも指摘しているが、ここでは「選挙運動費用収支報告」から明示的に事実の裏付けができる上原、服部両氏への報酬の支払いに絞って、その適法性を検討する。

「法的見解」の要旨
 3氏はこの「法的見解」の中で次のように述べている。
 「澤藤氏は上原選対部長らが交通費等のごく一部の実費弁償として金10万円を受領していたことをもって、『公選法に違反』しているとの主張を繰り返している。
 だが、公職選挙法は『選挙運動に従事する者』の実費弁償を認めている。(197条の2)上原氏はこの『選挙運動に従事する者』であり、交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない10万円の実費弁償に何の違法性もないことは明らかである。」

 「もっとも上原さんらの上記10万円の実費弁償が選挙運動費用収支報告書に誤って『労務費』と記載されていることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である。」

 「公選法は『選挙運動の為にする労務者』には実費弁償以外に報酬を支払えることを認めている。(197条の2)自らの裁量に基づき投票獲得の活動を行う『選挙運動に従事する者』には実費以外には支払えないが、機械的仕事を担う『選挙運動の為にする労務者』には報酬が支払えるのである。・・・・・・これらの支払いは単純労働への対価の支払いであり、何らの違法性もないものである。」

 旧宇都宮陣営が提出した「選挙運動費用収支報告」を見ず、公選法の知識も乏しい人々は、3名の弁護士が連名で条文を示しながら「法的見解」と銘打った見解を公表したとなると、「そうか、法律で認められた実費弁償の範囲内の支払いなら問題はないのか」と受け取る恐れがある。しかし、それは大きな間違いである。以下、私がそう考える理由を説明したい。

「法的見解」を吟味するための予備知識
 その前に、予備知識として、東京都選挙管理委員会が定めた「選挙運動費用収支報告書」の報告様式を確かめておきたい。その中の「東京都知事選挙用」の備考の8で支出は、(一)人件費、(二)家屋費、(
)通信費、(四)交通費、(五)印刷費、(六)広告費、(七)文具費、(八)食料費、(九)休泊日、(十)雑費の費目を設けて費目ごとに記載するものとする、と記されている。ここで注意してほしいのは、人件費、交通費、休泊費は別個の費目とされ、それぞれ区分して記載するものとされているという点である。
 現に、宇都宮健児名で東京都選挙管理委員会に提出された「選挙運動費用収支報告書」(2回に分けて提出され、受理日はそれぞれ、平成241228日付、平成25212日となっている)では支出の部は、上の記載例に従って、「人件費」、「家屋費」(選挙事務所費)、「通信費」、「交通費」、「印刷費」、「広告費」、「文具費」、「食料費」、「休泊費」、「雑費」に区分して記載されている。
 このうち、「人件費」の費目の内訳を見ると、上原公子氏、服部泉氏を含む8名に対して「労務者報酬」がそれぞれ支払われ、別の8名に対して「事務員報酬」が支払われている。また、「手話通訳者派遣料と(?読解困難)交通費」、「労務者派遣料」がそれぞれ1名に支払われている。

「法的見解」に対する3つの重大な疑問
 以上のような事実から、私は宇都宮健児名で東京選管に提出された上記の「選挙運動費用収支報告書」に関する弁護士3名連名の「法的見解」には次のような不自然さあるいは疑義があると考えた。
 ①費目の記載区分を誤るということがありうるのか?
 公職の候補者名が指名した事務担当者が「選挙運動費用収支報告書」の記載様式のイロハといえる費目の区分を知らなかった、あるいは知っていたが「交通費」「宿泊費」とすべき支出を「うっかり」「人件費」に記載するというミスを犯すことがはたしてありうるのか?

 ②実費弁償というなら、なぜ日額(定額)なのか? 
 実費が弁償される「交通費」を含む支払額が「日額×日数」という積算で算出されるということはありうるのか? 上限なしに実費全額が弁償される「交通費」を含む実費の弁償なら、運動員によってばらつきがあるはずなのに、なぜ誰に対する支払いもそろって1万円なのか?

 ③10万円相当の実費の存在を証明する帳票を公開すべき
 「労務者報酬」として記載した10万円分だけ、交通費、宿泊費の記載漏れだったというなら、「選挙運動費用収支報告書」に記載された以外に、上原、服部両氏に対して10万円ぴったりの交通費なり宿泊費なりの実費弁償がなされたことを証する領収証なり現金出納帳を公開する必要がある。

 次の記事では、これら3つの疑問を順次論じることにする。

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宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(3)

前のめりの再出馬表明
 昨年1228日に、市民グループが都内で開いた集会で宇都宮健児氏は出馬の意思を表明した。私はその場に居合わせなかったが、宇都宮氏のスピーチと集会の休憩時間中に行われた記者会見の模様を録画で視聴した。

宇都宮氏が個人の意思で出馬を表明するのは自由であるが、都知事選ともなれば、それ相応の支持母体が必要なことはいうまでもない。しかし、当日までにどのような市民団体、政党、個人から宇都宮氏に出馬の要請があったのか? 一昨年12月の都知事選で宇都宮氏を支持した市民グループの一部から再出馬を求める声が挙がっていたことはネット上で知っていたが、それ以外に、どれほどの個人、団体、政党等から出馬を求める動きがあっただろうか?

 私は宇都宮氏を革新統一の自明の候補者と見立てるのではなく、多くの政党、団体、個人の叡智を集めて、宇都宮氏も含め、幅広い視野で透明な形で、最善の候補者を選考する努力が重要と考えてきた。今もそう考えているが、これまでのところ、そのような努力が尽くされたとは思えない。

水面下で宇都宮氏を推す動きがあったのかもしれないが、限られた個人、団体、政党の間で候補者擁立の事が運ばれたのだとすれば不透明な候補者選考といわなければならない。
 宇都宮氏自身、昨年1220日に都内で開かれた集会の場で、「まだ、いろんな市民団体、グループが議論をされているところだが、あなたしかいないということなら覚悟はできている」と発言していた。
 さらに、1226日夜に開かれた支持者との会合では「前回の敗戦を踏まえて別の候補者擁立を探る意見も出てまとまらなかったが、宇都宮氏が他陣営に先駆けて年内に出馬表明することを決断した」(「毎日新聞」20131228日)と報道されている。
 これでは、「宇都宮氏しかいない」という判断を、幅広い市民、団体、政党の意思を集約する前に、宇都宮氏が自分自身で早々に下したことになる。宇都宮氏の温厚な外見に不似合いな前のめりの、先走った決断と言わざるを得ない。

宇都宮氏の説得力、論戦力、組織統括力への疑問

この半年ほどの間、市民運動の集会や記者会見、リレートーク等で宇都宮氏と同席し、同氏のスピーチや報道関係者との応答をそばで聴く機会があった。そのような体験を通じて私が痛感したのは宇都宮氏の発言に説得力と論戦力が不足しているということである。貧困・サラ金問題などに取り組んできた経験を通じて蓄積された宇都宮氏の知見、弱者への暖かな人柄(ただし、本連載記事の(3)で紹介した澤藤父子の証言が事実とすれば、宇都宮氏の温厚で「弱者にやさしい人柄」という評価にも重大な疑問符が付く)に定評があることは私も承知している。
 しかし、大都市・東京都の知事ともなれば温厚な人柄に加え、大局的な行政判断能力、議会での予算や各種議案等に関する高度な説得力や論戦力が求められるが、私が知りえた宇都宮氏にはそうした資質が不足していると言わざるを得ない。宇都宮氏のスピーチには派手さはない分、実直さが窺える。その反面、議論に具体性、論理性が欠け、多くの人を引付ける説得力と魅力に欠けることは否めない。
 澤藤大河氏は澤藤氏の連載記事の第6回に、「私の経験した宇都宮選挙」と題する小文を寄せ、その中で宇都宮氏の街頭演説に同行した時の感想として、「聴衆を魅了する憲法訴訟の経験談や、人権擁護の熱意がほとばしるという魅力に溢れた演説は一度も聞いたことがない」、「都知事候補者としての政策の政策能力が十分でな」く、「具体的に都政を語る力が十分とは言えない」、「常に同じ内容の繰り返し。選挙戦の進展に伴って、演説の内容が深化していったり、訴える言葉の完成度が高まるということはなかった」と記している。
 いささか厳しい評価ではある。宇都宮氏をよく知る別の人から見れば、「いや貧困問題を語る時の彼の見識は素晴らしく、熱意に満ちている」といった評価もあるだろう。また、「これまで法曹界で仕事をしてきた宇都宮氏に性急に都政を語る能力を問うのは酷だ、それは今後の課題とするべきだ」という意見も当然あるだろう。
 これらの点は評価を保留するとしても、宇都宮氏のスピーチには各状況に見合った具体的な筋立て、聞き手を引付ける魅力に欠けるという指摘は私の見方と一致する。しかも、この点は都知事に求められる資質と深く関わる。なぜなら、選挙時に優れた政策なり公約なりを示すことは候補者としての基本的な条件であるが、それだけでは政策面で都政を担う資質が十分とはいえない。むしろ、課題が分野的にも地域的にも多方面に及ぶ東京都の場合、基本政策を個々の状況に適合するよう具体化する応用力が強く求められる。それだけに、それぞれの状況に見合った問題解決の具体的な筋立てという点での宇都宮氏の資質に関する懸念を私は拭えないのである。
 とりわけ、自公両党が圧倒的多数を占める都議会では幾度となく激しい批判、攻撃に直面することが予想される。それだけに、そうした批判、攻撃に対して冷静かつ毅然と論戦できる資質が求められる。はたして、宇都宮氏にそうした能力、資質が備わっているのか、私はいささか危惧する。
 さらに、東京都という大組織を統括する能力という面でいえば、この連載記事の(3)の後半で紹介したことが事実とすれば、宇都宮氏の組織を統括する指導力にも少なからず不安が付きまとう。この点は、宇都宮氏はもとより、宇都宮氏を都知事候補として支持・推薦しようとする政党、団体、個人は都民に対する責任の一端を担う当事者として、事前に十分に吟味しなければならない問題である。

 私の結論的要望
 結論的に私の希望をいえば、告示日までまだ時間はある、残された期間を最大限活かして、革新統一候補にふさわしい人物を選考する努力を尽くしてほしいということに尽きる。もう候補者探しの手は尽くしたという意見もあるに違いない。しかし、全国の都道府県を見渡すと女性知事も少なくない。東京都でも清新でしなやかな知性と見識に富む女性知事を誕生させる可能性はないのか? 男女を問わず、法曹界、文化人、学界で清新で幅広い見識、安倍政権の悪政に立ち向かう意思と理性、行政手腕にも通じる問題解決能力に富む人材はいないのか? 広範な市民、団体、政党の叡智を結集して候補者選考に尽力してほしいと願う次第である。
 そして、僭越な言い方ではあるが、宇都宮氏には、これから先も、弁護士として、貧困問題を始め、同氏のこれまでの知見、経験を活かす活動に専念してほしい。その中で、「TPPに反対する弁護士ネットワーク」の共同代表の1人として、正念場を迎えるTPP阻止の運動にも力を発揮してもらい、私も呼びかけ人に加わっている「大学教員の会」や主婦連、その他多くの市民団体との共同行動の発展に尽力してほしいと心から願っている。

 付記
  この連載記事の(2)で触れたように、私は澤藤統一郎氏の連載記事「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」で指摘された宇都宮健児氏の政治団体「人にやさしい東京をつくる会」の選挙運動費用収支報告書」の記載内容、およびそれと関連する同会の「政治資金収支報告」の記載内容に関心を寄せている。そして、関係する法令、報告書の写しは入手し、ひととおりの検討は終えているが、同会によると、公選法専門の弁護士団が公式見解をまとめ、この6日に発表する予定とのことである。
 そこで、私はその公式見解の発表を待って、必要となれば、この連載記事の続編で自分なりの分析と見解を述べることにしたいと思う。

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宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(2・後編)

 ③澤藤大河氏の「任務外し」にまつわる旧宇都宮選対幹部と宇都宮健児氏の言動(連載第7回、第8回)
 前篇で紹介した「任務外し」に強く反発した大河氏ともう一人のTさんは、上原選対本部長ら旧宇都宮選対幹部に対して、問題解決のための話し合いの場を設けるよう要求し、2013228日に1時間だけという条件付で事情聴取の場が設けられたという。
 その場で大河氏とTさんが解任された当事者として事実主張を行ったところ、選対事務局長の熊谷氏は机をたたいて立ち上がり、「侮辱だ!撤回しろ!」と声を張り上げ、自分を罵倒したと大河氏は記している。また、同席した選対運営委員の河添誠氏は「ゲス!ゲス!」と大声で怒鳴り続け、居合わせた中山武敏氏(「人にやさしい東京をつくる会」代表)にたしなめられたという。
 はたして、熊谷氏、河添両氏のこうした言動は事実としてあったのか? 事実とすれば、「人にやさしい」どころか、他者の人格の尊厳を侮辱する下品で理性に背く発言である。逆に、事実無根なら、熊谷氏、河添誠氏の名誉を貶める記述になるから、両氏は大河氏に記述の訂正と謝罪を求めるのが筋である。

 ④河添誠氏の「恫喝」発言の真偽(連載第10回)
 澤藤弁護士によると20131220日に召集された「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議で、当時の運営会議を解散する旨の決議案ならびに新しい協議機関の選任・招集は宇都宮・中山(武敏)両氏に一任する旨の決議案が突如提案され、約30分のやり取りの後に反対1(澤藤氏)、その他は賛成で可決されたという。澤藤氏は、これを事前にしめし合された、自分を排除するための「騙し討ち」と糾弾している。都知事選をめぐる革新陣営の体質が問われる問題だけに、当事者の真摯な情報公開を通じて事の真相が明らかにされなければならない。
 ここで私が問題にしたいのは、より具体的な点である。澤藤氏によると、この時のやり取りの中で河添誠氏は、「澤藤さん、あなたはいいよ。しかし、息子さんのことを本当に考えたことがあるのか。これから先、運動の世界で生きていこうと思ったら、そんなこと(会と宇都宮氏の責任の徹底追及)をやってどうなると思う。よく考えた方が良い」と発言したという。
 澤藤氏は、この河添発言、そしてその発言をたしなめる者が1人もいなかったことが、宇都宮健児氏、宇都宮選対、「人にやさしい東京をつくる会」の三者をブログ上で告発する決断をする引き金になったと述べている。
 一字一句が正確に再現されているかどうかは別にして、河添氏が要旨、上記のような発言をしたのだとすれば、「運動の世界」を「やくざの世界」と置き換えるだけで、典型的な恫喝発言といえる。もっとも、「それは恫喝か」と問い返した澤藤氏に対して、河添氏は「いや忠告です」と答えたという。
 しかし、この文脈での「忠告」とは何を意味するのか? 「運動の世界で生きていけなくなる」とは何を言いたいのか? 「運動の世界」にも、強いもの、しかるべき役職に就いている者に公然と盾突いたら、はじき出される「掟」があるとでもいうのか?
 河添氏は自らの人格をかけて指摘された発言の真偽を明らかにしなければならない。そうでないと、河添氏こそ「運動の世界」どころか、人間としての信頼を失墜することになる。それほどに重大な発言である。

 ⑤宇都宮氏の組織統括力が問われる事態の真偽(連載第7回~第10回)
 2012228日に行われた大河氏とTさんの事情聴取には宇都宮氏も同席していたが、大河氏によると、宇都宮氏は熊谷氏や河添氏が上記のような暴言を吐いたとされる場面でも、それを諌めるでもなく黙過したという。最終的には、宇都宮、中山、上原の3氏に解決方法を一任することになり、宇都宮氏は「何とかする、このまま放置はしない」と発言したとのことで、大河氏はその言葉を信じて解決策を待っていたが、今日まで何の解説策の提案もなかったと記している。
 また、大河氏は自分が宇都宮氏の随行員の任務を外された直後は、「随行員としての任務執行に何の問題もない」、「よくやってくれた」と言いながら、後日になって、手のひらを反すように、大河氏の「コミュニケーション能力に問題があった」と発言したと記している。
 さらに、上の④で紹介したような河添氏の「恫喝」まがいの発言に対しても、その場に居合わせた宇都宮氏は、河添氏を諌めるでもなく沈黙していたと記されている。
 これら一連の証言が事実とすれば、宇都宮氏は外見に反し、人に対して、特に弱い立場の人間に対してやさしくなく、強い立場の人間におもねる人物ということになる。それだけに、宇都宮氏は澤藤父子の申し立てを真摯に受け止め、事の真偽を明確にする必要がある。これは大都市・東京都の知事として組織を統括するに足る資質を宇都宮氏が備えているのかどうかにも関わる重要な問題である。

旧宇都宮選対にまつわる問題は過去のことではない
 以上書いてきたことは、201212月の都知事選にあたって立ち上げられた旧宇都宮選対の幹部にまつわる言動である。それが、今回の都知事選に宇都宮氏が再出馬することに関する論議とどう関わるのか、いぶかる向きもあるだろう。しかし、私は次の2点から今回の都知事選に宇都宮氏が立候補することへの評価にも関わりがあると考えている。

1つは、他ならぬ宇都宮氏自身が都知事選の公職の候補者として、宇都宮選対の選挙活動の究極の責任者だったという点である。その意味では、旧宇都宮選対内部で起こった随行員の「任務外し」問題やその遠因でもあったと考えられる選挙運動のスケジュール管理の問題、選対幹部と候補者随行員・街頭宣伝チームとの意見の対立に宇都宮氏がどう向き合い、解決に向けて指導力を発揮したかどうかは、今回の都知事選に臨む選挙態勢とも大いに関わる問題である。
 第2に、宇都宮氏が今回の都知事選に立候補を表明した1228日の記者会見を録画で視ていると、旧宇都宮選対の事務局長であった熊谷伸一郎氏と同選対の中心メンバーの一人だった海渡雄一氏が会見に同席している。その中で熊谷氏は年明けからの宇都宮陣営の行動予定にも言及している。
 このような状況からすると、両氏は今回の都知事選においても宇都宮選対の中枢を担うものと予想される。であれば、熊谷氏はこの記事で紹介した①~③のような自らの言動の真偽について説明する道義的責任がある。それなしに新しい宇都宮選対メンバーに横滑りすることは許されない。

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宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(2・前篇)

澤藤父子の告発に接して
 (1)で書いたように私は昨年末にA氏から、今回の都知事選に立候補する宇都宮健児氏の政策づくりをする委員に加わってもらえないかという依頼を受けた。これはいうまでもなく、通常の研究会への参加ではなく、政治的意味合いを帯びた任務である。つまり、立案した政策は都知事候補者とその支持母体で練られ、選挙公約として成文化されたうえで都民に向けて広報されるのである。
 とすれば、依頼に応じるかどうかの返答をするにあたっては、自分が政策の立案にふさわしい能力を備えているかどうかに加え、候補者およびその支持母体に、立案された政策を咀嚼して成案に仕上げ、実行する能力が備わっているかどうか、革新統一候補(を支える母体)として支持者はもとより都民の負託に応える誠実性、民主主義的倫理観を備えているのかどうかを考慮するのは当然である。
 そこで、手始めに、前回(一昨年1216日投票)の都知事選で宇都宮氏の支持母体となった「人にやさしい東京をつくる会」のHPなどにアクセスし、宇都宮候補が掲げた選挙公約と同会の組織体制を調べていくうちに、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という記事が「澤藤統一郎の憲法日記」に掲載されているのを発見した。
http://article9.jp/wordpress/

そして、筆者が澤藤弁護士であることにも驚いた。澤藤弁護士は知らぬ間柄ではなく、NHK番組改ざん問題以来、時折、言葉を交わしたこともある人だ。この記事は今も連載中で(13日の時点で14回目)であるが、初回の記事によると澤藤氏と宇都宮氏は同期の弁護士で、前回都知事選で澤藤氏は宇都宮選対の中心メンバ-の一人でもあったという。

澤藤氏の告発に寄せる私の3つの関心
 1. 2012年の都知事選に立候補した宇都宮健児氏の選対(以下、「旧宇都宮選対」と略す。選対本部長:上原公子)の体質を厳しく批判した部分
 2. 澤藤氏が旧宇都宮選対メンバー-としての自らの体験、および同氏が入手した 旧宇都宮選対とその母体といえる「人にやさしい東京をつくる会」(代表者:中山武敏)の「選挙運動費用収支報告書」を読み取って指摘した旧宇都宮選対の中心メンバ-の公職選挙法違反の嫌疑
 3. 宇都宮健児氏の都知事候補としての資質に対する疑念

 ここで断っておくが、私の今回の一連の記事は、澤藤氏の連載記事「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」だけに依拠したわけではないし、そこで指摘されたことがすべて真実と予断しているわけではない。特に、宇都宮氏の都知事候補としての資質に関する意見は、あくまでも私自身の体験から得た知見を基本にし、参考情報として上記の3を咀嚼している。また、上記の13に含まれる事実関係の指摘は、今の時点では当事者の一方側の記述であることから、それぞれの記述の真実性は留保したうえで、指摘された問題の重大性に照らして、記述されたことが真実かどうかの説明を他方の当事者(宇都宮氏、旧宇都宮選対、「人にやさしい東京をつくる会」)に求めるというスタイルで記述している。
 さしあたって、この稿と次稿では1の旧宇都宮選対の問題点に関する私のコメントを書いておく。もともと、旧宇都宮選対の内部事情を外部者の私が知るすべは今のところ澤藤氏の連載記事以外にないので、以下ではこの記事で記されたことを情報源として―――現時点では真偽の判断は保留して――書くことにする。ただし、抽象的に記しても議論が深まらないので、澤藤氏の連載記事のなかで私が重大と受け止めた箇所(日時、発言者の氏名、発言内容が具体的に記された部分)を摘記したうえで私のコメントを付記するというスタイルで書いていくことにする。多くは、20121119日から1213日までほぼフルタイムで旧宇都宮選対の運動員として選挙活動した澤藤統一郎氏の子息・澤藤大河氏の体験談である。ちなみに、大河氏は運動員として活動した期間中は宇都宮氏のスケジュール管理など秘書的任務に就き、選挙期間中に行われたNHKや民放での宇都宮氏の政見放送の録画取りや宇都宮氏の大学生時代の同窓会にも随行したと記されている。

 ①旧宇都宮選対事務局長・熊谷氏(岩波書店社員)の「居留守」問題(連載第7回)
 記事によると、東京市民法律事務所を間借りして宇都宮氏の選挙運動立ち上げの準備をしているさなかの20121120日、当事務所に「革新都政を作る会」の中山伸事務局長から熊谷氏と連絡をとろうと何度も電話がかかってきた。その場に居合わせた大河氏は事務所に帰ってきた熊谷氏に返電するよう伝えたところ、熊谷氏はこう返事をしたという。「ああその人には電話しない」、「その人には(熊谷は)いないっていっといて」、「ぼくはその人が嫌いなんだ」、「その人が、出馬会見前に支持表明しようとして、生活の党からの支持が吹っ飛ぶところだった。大変な迷惑を被ったんだ」。中山氏はその後も、熊谷氏が在室中に熊谷氏宛に電話をしてきたが、熊谷氏は電話応対者に不在と告げるようサインをしたという。
 特定の候補者が複数の政党なり団体に支持を要請する場合、「あの党が共闘組織に入るなら、うちは支持を控える」といった問題がしばしば起こることは予想できる。その場合、選対の要職者は支持表明のタイミングなどをめぐって気苦労をすることだろう。しかし、「革新都政を作る会」は過去何度か都知事選に候補者を擁立した実績のある団体である。この点から言えば、同会が掲げる政策への賛否はどうであれ、熊谷氏が、宇都宮候補を支える有力団体の一つと目された同会の事務局長を鼻から嫌悪し、排除するかのような発言をしたのであれば、革新統一候補を支える選対事務局長としての最低限の資質と道義を欠くといって差し支えない。
 事実はどうであったのか。熊谷氏は事の真偽について責任ある説明をする道義的責任がある。

 ②澤藤大河氏の「任務外し」にまつわる旧宇都宮選対幹部の状況判断の妥当性(連載第7回、第8回)
 連載7回目で大河氏は投票日4日前(運動期間終了日まであと3日)の201212月11日の夜9時半に上原選対本部長から呼ばれ、宇都宮候補の随行員としての任務を外すと言い渡されたという。大河氏がその理由を聞くと「疲れているから」ということだったそうだが、大河氏は突然の任務外しの真意を終始いぶかり、強く抗議している。
 ここで私は大河氏の言い分を代弁するつもりはないし、「任務外し」に至った経緯について予断を挟むつもりもない。さしあたって、私が重大な関心を持つのは、この「任務外し」が行われた判断が選対として妥当だったのかどうかを、当時の宇都宮候補の選挙運動の実態に照らして評価することである。
 ただし、当時の選挙運動の状況判断をめぐる主観の食い違いを取り上げても水掛け論に終わるだろう。その場合は、選対責任者なり事務局長なりの判断が優先したとしても、一般論としておかしなことではない。私が知りたいのは大河氏が指摘した次のような事実の真偽である。
 大河氏は宇都宮候補の随行員として各地の街頭演説会のスケジュール管理をしたり、候補者に同行したりしたという。その時の体験を振り返って候補者スケジュールの決定が信じがたいほど遅く、不手際だったため、前日の夜になっても翌日の予定がよくわからないことがたびたびあったと記している。そのため、各演説場所の広報が遅れ、行く先々で聴衆が集まらないことが続いたとも記している。これには宇都宮氏も閉口し、スケジュールの早期決定を選対本部に要求するよう大河氏に何度も指示を出したという。
 こうした事態が起こった理由の一つとして大河氏は、選対事務局長・熊谷氏が選挙戦の序盤で「安全上の問題から、宇都宮候補の予定は公開されるべきではない」という方針を採用したことにあると指摘している。これには街頭宣伝チームの多くが当惑し、街頭車の車長や他の街頭宣伝チームのメンバ-は一致してスケジュールの早期開示を選対本部に求めたと記されている。
 以上のような大河氏の記述から判断すると、宇都宮候補の選挙運動のスケジュール決定をめぐり、街頭行動の最前線にいた運動員と選対本部の幹部の間でしばしば意見の食い違い、意思疎通の悪さがあったと見受けられ、特に選対本部に対して強く意見を告げた大河氏を選対幹部が快く思わなかったことが「随行員任務外し」の大きな理由だったと推定できる。
 であれば、問題の「任務外し」が当時の選挙運動状況の中で適切な判断だったといえるのかどうかを事実に基づいて検証する必要がある。かりに、大河氏の指摘したことが事実とすれば、「任務外し」をした旧宇都宮選対幹部の選挙運動能力の拙劣さが問われなければならず、状況の改善を強く求めた運動員を突然、任務から外すというやり方は本末転倒の官僚的対応として批判されなければならない。
 さらに、この「任務外し」が組織の幹部に対して執拗に異議を唱える者を煙たがり、排除する意図で行われたのかどうかも重要な問題である。大河氏らが指摘した旧宇都宮選対のスケジュール管理に稚拙さがあったのが事実であればもちろん、選対幹部の判断にそれ相応の根拠があったとしても、幹部に異議を唱え続ける、選対メンバ-と言い争いが少なくなかった、組織内での協調精神に欠けていたといったことを理由に挙げて、本人に十分な説得がないまま、選挙戦の最終盤で任務を外すという行為だったのであれば、革新陣営にふさわしい組織運営ではなく、むしろ、異論を煙たがり、組織への同調圧力で組織内の言論を抑制する前近代的な「ムラの論理」に他ならない。
 他方、かりに大河氏の指摘が事実の歪曲、ねつ造だというなら、革新陣営の信頼を大きく傷つける名誉棄損行為に当たるから、旧宇都宮選対幹部(上原選対本部長や熊谷氏)は大河氏に対して記述の訂正と謝罪を求めるのが筋である。

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宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(1)

宇都宮支持をいう前に

東京都知事選の公示日(123日)が近づくなか、さまざまな候補者擁立の動きが伝えられている。しかし、表立った動きとしては去る1228日に宇都宮健児氏が一昨年12月の都知事選に続いて再出馬の意思を表明したにとどまり、その他の候補者擁立は越年となった。このような状況の中で、どの政党も多くの団体、個人も態度表明を控えているが、革新陣営に属する団体、個人の一部では宇都宮氏の立候補表明を歓迎する動きがみられる。

しかし、こうした宇都宮支持者の動きを「安倍政権の暴走を止める」という大義のもとに無批判に支持できるのか、私は昨年末以降、疑問に感じてきた。そこで、宇都宮氏を支持するグループが予定している宇都宮氏推し出しのキックオフ集会(18日)、および、それに先立って宇都宮氏が予定している都知事選に臨む政策発表の前に、都知事選の候補者選考に関する私の見解を示すことにした。

今、宇都宮氏の再立候補について発言するに至った経緯と動機

私は東京都民ではなく、都知事選に投票権を持っていない。そのような私が不特定多数の人の目に触れる私設のブログで宇都宮健児氏の都知事選立候補について、より端的に言えば宇都宮氏の都知事候補としての適格性、宇都宮氏を支持する選挙母体の資質について、意見を述べるのを唐突に思われる人が少なくないだろう。そこで、今回、私が以下のような連載記事を書くに至った経緯と動機をはじめに説明しておきたい。

 

私は前々回の都知事選(2011410日投票日)にあたって、革新統一候補の政策立案(正確にいうと候補者が掲げる政策の参考となる政策分析と提言)にメンバ-の1人として関わった。正確にいうと、石原都政を主な分野ごとに批判的に検証し、これに代わる都政のビジョンを策定することを目的に200812月に発足した「新東京政策研究会」(代表者・渡辺治氏)に財政分野の研究グル-プの1人として参加した。共同研究の成果は20113月に『東京をどうするか――福祉と環境の都市構想』(岩波書店)として公刊されている。その間、2度、共同研究の中間成果を発表する公開シンポジウムが開催され、それぞれの機会に私は新銀行東京の財政分析、東京都の財政分析と提言を論題として報告をした。

前回の都知事選(20121216日投票日)に当たっては、宇都宮健児氏が出馬表明した直後に熊谷伸一郎氏(岩波書店社員)から、新銀行東京について宇都宮氏にレクをしてもらえないかという要請があり、これに応じて宇都宮氏に新銀行東京に関する私なりの知見と見解を説明した。この時、案内役を務めたのが河添誠氏だった。熊谷氏、河添氏はこの連載記事の続編の中でしばしば登場するが、当時私は熊谷氏が宇都宮選対の事務局長を務めるとは思いもよらなかった。また、河添氏が宇都宮選対のメンバーに加わっていたことを知ったのもごく最近のことである。

今回の都知事選に当たっては、昨年1226日にA氏から、立候補を予定している宇都宮氏の政策を策定する委員に加わってもらえないかという依頼を受けた。しかし、この連載記事の4回目で詳しく触れるが、前回2012年の都知事選以降、宇都宮氏と幾度か行動を共にし、宇都宮氏の言動を近くで見聞きした体験から私は、宇都宮氏が都知事に最適任の人物と言えるのか疑問を感じた。さらに、次回以降、詳しく紹介する「澤藤統一郎の憲法日記」で連載され始めた「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」で指摘された宇都宮氏の資質、旧宇都宮選対とその中心メンバ-の資質・理性と道義に関わる品性、選挙資金収支の透明性、適法性にも強い関心を持った。
 こうした問題点について納得できる状況に至らなかったので私は宇都宮氏の出馬を前提にした政策立案のための委員に加わることを辞退した。

市民運動全般に通じる悪弊の氷山の一角
 辞退の返答を思案する過程で私が入手した旧宇都宮選対の体質に関わる情報、それを正すために宇都宮氏がどのように対応したかを示す情報は、私自身が近年、市民運動に係わる中で体験したいわゆる革新陣営(個人か団体かを問わない)の中に少なからず存在する言動の内外落差――対峙する陣営に対して向けるのと同じ反民主主義的体質、個の自立の欠如、身内の弱点を自浄する相互批判を回避・抑制する悪弊に染まっている弱点――を感じた。
 これは宇都宮氏の再出馬にどう向き合うかを考えるうえでゆるがせにできない問題であると同時に、それを超えた日本の革新陣営と市民運動全体に再考を迫る問題と思えるので、問題が具体的に表面化した実態を題材として私の見解を明らかにすることにした。日本の市民運動に民主主義的理性を根付かせるためにこの連載記事がオープンな議論の一助となれば幸いである。また、告示日ぎりぎりまで最善の革新統一の都知事候補を選考する努力の一助になることを願っている。

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新年のごあいさつ

                             新 春

           
皆様にはよい1年となりますよう、お祈りいたします。
                           本年もよろしくお願いいたします。

                                   2014年元旦

 昨年は、年頭には予想もしなかったTPP阻止の運動に関わり、大学教員の会の呼びかけ人の1人としてシンポジウムや関税撤廃の影響試算の企画に参加しました。
 また、十勝、盛岡、新潟、八ヶ岳、唐津などへ現地調査や講演に出かけ、各地で農業、医療、食の安全などに関わっている団体、個人の方々、報道関係者の方々と出会い、知見を広める機会を得たことは貴重な体験でした。
 今年はTPPをつうじてアジアでの権益拡大をもくろむアメリカの大国主義的野望を挫折させるところまで運動を続けたいと思っています。
 家庭では夫婦と老犬と互いの老いを見つめ合い、いたわり合いながら穏やかな日々を過ごしたいと思います。
 
                                
                                                                                                          醍醐 聰 

40              八ヶ岳山麓で見つけたサラサドウダン(2013年6月17日撮影)

 

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