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護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実(2)

2014119
  ・護憲と破憲の内外落差
 ・護憲を掲げる資格が問われている
 ・構成団体にも問われる自浄の意思と能力

護憲と破憲の内外落差 
 日本国憲法の諸条項、特に、人種・信条・性別・社会的身分・門地を理由とした政治的・経済的・社会的関係における差別の禁止(第141項)、思想・良心の自由(第19条)、信教の自由(第20条)、集会・結社および言論・出版の自由(第21条)、学問の自由(第23条)などの精神的自由権の効力は私人間にも及ぶのかどうかは憲法解釈上の一大問題である。なぜなら、憲法、とりわけ精神的自由権はもともと国民の国家権力に対する防御権として制定されたものであり、私人間関係までも直接に律することを予定したわけではないからである。
 現に、学説上も判例上も、私人間の関係はあくまでも民法、商法、労働法といった関係法令によってあるいは個人が属する団体の自治によって律せられるものとし、憲法の自由権条項ないしは人権条項の効力は私人間関係にも直接及ぶとする「直接適用説」はほとんど支持されていない。むしろ、憲法の当該条項の効力は関係法令や契約自由の原則、私的自治の原則を介して間接的に及ぶとする「間接適用説」が通説になっている。これを今の問題に当てはめて考えるとどうなるだろうか。
 憲法会議のホームページを閲覧すると、同会の目的が次のように記されている。

 
「(目的)本会は日本国憲法のじゅうりんに反対し、民主的自由をまもり、平和的・民主的条項を完全に実施させ、憲法の改悪を阻止することを目的とします。

 また、憲法会議が20131023日に発表した「『戦争する国』づくりに直結し、憲法原理を覆す『秘密保護法案』に反対します」と題する声明の冒頭で次のように記されている。

 「憲法会議は、安倍内閣が25日の閣議で決定し、今臨時国会に提出しようとしている『秘密保護法案(特定秘密保護法案)』に断固反対します。それは同法案が、国民の知る権利、言論・表現の自由を脅かすなど民主主義の根幹と国民主権、平和主義の日本国憲法の基本原理を根底から覆すものだからです。」

 この文章に表わされた知る権利、言論・表現の自由が、国家権力からの国民の防御権という意味で用いられていることは明らかである。私も「特定秘密保護法案」の脅威をこのようにとらえ、同法案の成立・施行を阻止する運動を強く支持してきた。

護憲を掲げる資格が問われている
 しかし、今日、私たちが社会生活で直面する思想の自由や言論の自由の侵害、信条等を理由にした社会関係面での差別的処遇は、国家や公共機関と個人との関係だけで起こっているわけではない。企業内の労使関係、職域団体、大学、地域の自治会・町内会などでも例外といって済まない頻度で起こっている。さらに言えば、私が東京都知事選をめぐる問題を扱った一連の記事で取り上げたように、民主的市民団体と通称される団体内でも、「運動の世界で生きていきたければ騒ぐな」といった恫喝まがいの言動や執拗に異論を唱えるものを組織から排除するといった行為が起こったことが報告されている(そうした行為をしたと名指しされた当事者からはこれまでに反論なり反証はない)。
 このように、憲法の基本的人権を自治の中で活かすことが期待されているはずの団体の内部で、逆に基本的人権を侵害する行為がまかり通っているのは「悪い冗談」では済まない深刻な事態である。
 憲法会議が自ら掲げた「目的」の中で擁護すると謳った憲法の「民主的条項」に思想・良心の自由、言論の自由は入っていないはずがない。とすれば、自ら守ると擁護を唱える憲法の民主的条項を自らが蹂躙したのであるから、自己撞着の極みである。こうした自己撞着、言動のダブル・スタンダードを速やかに自浄すべきは当然である。それなしには憲法会議は憲法の民主的条項の擁護を国民に向かって呼びかけ、啓蒙する資格はないのである。

構成団体にも問われる自浄の意思と能力
 もうひとつ、私が指摘したいのは憲法会議に参加している諸団体の道義上の連帯責任である。憲法会議事務局から澤藤氏に送られたファックスの文面には、澤藤氏の論稿を『月刊憲法運動』の2月号に掲載するのは、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成諸団体の納得を得ることはできないと記されている。

 私はこの構成団体がどういう団体か知らないが、構成諸団体の意向に沿わないとして澤藤氏の論稿掲載の延期(最終的には見送り)理由が説明された以上、各構成団体は憲法会議事務局が犯した言論・思想の自由侵害行為の関係当事者ということになる。したがって、これら諸団体は憲法会議事務局の当該行為をどう受け止めるのか――澤藤氏の論稿を機関誌の2月号に掲載することを本当に納得しないのか、しないのならその理由は何なのか――について態度表明があってしかるべきである。また、憲法会議事務局の取った対応の方にむしろ納得しないのなら、事務局にどのような善後策を要請するのかについて、しかるべき見解を表明するのが道義的責任である。

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憲法」カテゴリの記事

コメント

idog様

>それに醍醐先生が言ったようにそろそろ止めたらいかがかしら。しょーもない議論ですわな。

私はすでに都知事選投票日より前に終えておりますが。

蒸し返したのは、idogさん、あなたです。あなたがおやめになれば良いだけでしょう。
「しょーもない議論」だと思われるのなら、そもそも、お書きにならなければよかったのではないでしょうか。
また、この議論全体を開始した最初の方はPONさんですよ。そこから派生して様々な論が展開されたのです。それをあなたが「しょーもない議論」として括るのは、まずPONさんに対して失礼かと。そして、様々な論がありましたが、私はそれらから得られたものはたくさんありました。その結果、言説の政治学と社会科学の心得についてまで思考を巡らすことが出来ました。実り多き議論の場を頂けたと思っています。

私の方は、PONさんの議論についての具体的な検証コメントは、すでに「2014年2月 4日 (火) 07時41分」のコメントで「終わりにします」と述べ、実際に終えております。

そのことを踏まえていらっしゃらないようですので、蛇足ながらこのコメントを書いております。

あなたが私宛に書いたこのコメントで参照されているところの、私の「2014年2月28日 (金) 09時49分」のコメントは、「言説の政治学と社会科学の心得ということについて」であって、「PONさんの議論について」は、すでに論じておりません。前フリ的に、以前述べたことをまとめて提示し直したのみでございます。それも、あなたがPONさんについて取り上げた側面からのみです。


それともうひとつ、話しが前後いたしますが、

>っていうのはカナリの読解ミスでは?私には到底そんな読み方はできませんでしたが。一人で黙って検証するならともかく文脈を理解しないままイロイロ書き連ねるというのは相手に失礼だと思いますけどねぇ。。

PONさんがお書きになった全てと、私がレスをした全てを突き合わせて、もう一度お読み頂ければ幸いです。何か私が間違っているというのなら、何が違うのか具体的にお示しいただくべきでした。

そして、あなたにとって可能な読み方が、普遍的で正当な読み方であるという保証はないでしょう。
あなたこそ、一人で黙って検証するならともかく文脈を理解しないままイロイロ書き連ねるというのはここに書き込まれたPONさんをはじめとする皆様に対して失礼です。

尚、PONさんのハンドルネームを、idogさんにつられたとは言え、確認不足のまま「Ponさん」と表記してしまい、大変失礼いたしました。末筆ながらお詫び申し上げます。

これまでの醍醐先生の寛大なるコメント公開に深く感謝いたします。それでは御免下さい。皆様、ごきげんよう。idogさんも、お元気で。

投稿: tomoe | 2014年3月 3日 (月) 23時30分

tomoeさま
別にPon氏の弁護をするわけではないが(氏も勝手にされても困るでしょうが)《Pon氏はidogさんがおっしゃるように「主張は主張として、事実とは切り離して捉えるべき」という心づもりでいらっしゃったかもしれませんが、実際には、ご自身の解釈に徹した論議だったように思います。それはある種の「これが事実であろう」という基底部を、Ponさんが無意識に設定されていたからだと思われました。よって、残念ながらご本人の意思とは反対に、「主張も事実真実もごちゃ混ぜにして漫然と物事を捉える」結果になっているのではないかということを、失礼を承知で、私なりにご検証申し上げたのです。》っていうのはカナリの読解ミスでは?私には到底そんな読み方はできませんでしたが。一人で黙って検証するならともかく文脈を理解しないままイロイロ書き連ねるというのは相手に失礼だと思いますけどねぇ。。それに醍醐先生が言ったようにそろそろ止めたらいかがかしら。しょーもない議論ですわな。

投稿: idog | 2014年3月 2日 (日) 12時33分

idogさん、すみませんが、あなたのお書きになったことに繋がるということで、言説の政治学と社会科学の心得ということについて、憚りながら少しだけ語らせていただけないでしょうか。(ミシェル・フーコーでも誰でもいいんですけど、そのあたりはうろ覚えなので適当に…。)

idogさんwrote:
>Pon氏の言うとおり、主張は主張として、事実とは切り離して捉えるべきいうのはあたりまえっしょ。先生も当然それを前提にして記事を書かれている。そのことを理解できずに主張も事実真実もごちゃ混ぜにして漫然と物事を捉える人間が多すぎる、ということなんでしょうな。

Pon氏はidogさんがおっしゃるように「主張は主張として、事実とは切り離して捉えるべき」という心づもりでいらっしゃったかもしれませんが、実際には、ご自身の解釈に徹した論議だったように思います。それはある種の「これが事実であろう」という基底部を、Ponさんが無意識に設定されていたからだと思われました。
よって、残念ながらご本人の意思とは反対に、「主張も事実真実もごちゃ混ぜにして漫然と物事を捉える」結果になっているのではないかということを、失礼を承知で、私なりにご検証申し上げたのです。(意図は後述します。)
これさえ、私の「Ponさんに対する読解」にしか過ぎぬと言われることも覚悟の上で書いております。しかし、そうなると、

・現場にいなかった者は事実を知らないので議論が一切できない
・当事者は事実を知っている(澤藤氏は事実を認識している、等)
ということになってしまいます。

前者の問題は、可能な限りデータ等根拠に基づき検証するということで対応されますし、例の公選法違反の件は収支報告書のようなデータが客観的に存在します。ですが、データが組織行動の次元で生じた事件に関しては、宇都宮陣営がほとんどロクなデータを出してこない以上、澤藤氏の言説のみが根拠となるという状況です。このような場合は一般に少なくありません。犯罪の取り調べ調書も同様な問題を抱えています。
そして、現場にいた当事者本人でさえ、正しい認識をしているとは限らないということもあります。
例えば、本件では、長年付き合っていた友人についての判断ががらりと変わったという澤藤氏の言葉が何よりそれを表すでしょう。ところがPon氏は、長年の友人であるなら真実を知っているはずだという仮定に基づく推論をあたかも事実であるかのように展開なさっていたわけです。

さて、これらは、事実とは何かという認識論の次元での議論に到ります。醍醐先生のブログのテーマからは逸れますので、それを持ち出すのは畑違いと思い、禁欲させていただきますが、しかし、社会科学において、言語と認識の関係は、欠くべからざる議論であると思います。そこが自然科学とはまた異なるところです。(自然科学でさえ、言語の問題と切り離せないとする議論は、すでにトマス・クーンとカール・ポパーの議論などでなされていたかと。遠い昔のことで恐縮ですが。)
このような科学的認識の検証という次元について念頭に置きながらでないと、議論は出来ないと思うのですよ。どこからが言葉であり、どこまでがデータとして根拠があるものか。また、言葉であっても、論理的に検証できることがないかどうか、いわゆる「言葉読み」が必要になるのです。(整合性や他の理論の援用によって演繹されること等)
そのこともあり、Ponさんの言葉について、いくつか書かせていただきました。

そして、もうひとつの理由があります。こうしたネット上での言論は、いわゆる「言説の政治学」の次元となっております。平たく言えば、情報操作です。世の中は、このような言説政治によって動かされていると言って過言ではありません。それは、事実を隠蔽し、また、事実の解釈を拡大し、拡散させることでなされてゆくのです。
澤藤氏のブログに対するツイッター上での、ろくに読んでもいないで印象操作をし続ける輩の跋扈は「まさに政治」であり、工作員という言葉さえも彷彿とさせるものでした。
私は、このような印象操作、情報操作、言説政治に対抗するという意思をもって書いております。
特に、メディアの情報操作が酷いことや、特定秘密保護法の影響などを考えた言論統制に対抗するためには、よくよく言葉に対する感覚を研ぎ澄まさなければならないと思います。

さて、私が予告したように、都知事選を過ぎれば、宇都宮氏に対する評価も出るだろうというのは、その通りになったようです。
ですが、残念ながら、視点によって異なる世界像を結んでしまったようですね。それらがあたかも事実であるかのように一人歩きをし、異なる視点をもつ者を糾弾し、排除し続けるという分断された世界が出現してしまいました。今回の一本化騒動の余波が大いに気になるところです。自らの主張に盲目的になり、他者を排除する動きは、再度、繰り返されています。澤藤氏のブログを教訓としなければいけないはずなのに。

投稿: tomoe | 2014年2月28日 (金) 09時49分

Pon氏の言うとおり、主張は主張として、事実とは切り離して捉えるべきいうのはあたりまえっしょ。先生も当然それを前提にして記事を書かれている。そのことを理解できずに主張も事実真実もごちゃ混ぜにして漫然と物事を捉える人間が多すぎる、ということなんでしょうな。権力者にとったら一番扱いやすい人間ですなあ。自分に有利な情報ながせばすべて事実真実と理解してくれるんだから。

投稿: idog | 2014年2月20日 (木) 07時55分

 私がコメントを差し上げてから、先生のブログで延々と論議があったことを知りました。 
 改めて拝見しまして、私も含めて、先生が御指摘になった論点を誤読していましたら本当に失礼であったことと冷や汗ものでした。
 ともあれ、論者が「議論する人間として最低限弁えるべき相手への敬意を身につけるべきと強く感じます。」と論難されるように、民主主義社会では、相手の人権を損なう表現形態には自らを戒めるべきである、と強く思いました。 また、「表現形態」のみでは無くて、人権そのものを重んじる人格を有していれば、今回の様な事件は生起しなかったことと信じます。
 先生のブログのみでは無くて、他のブログ上でも、自身の主張に沿わない論者に、あらゆる表現で悪口を吐く輩が居ますが、彼等は、自身の主張自体が、何等の実証も無しの「空中楼閣」であるのには口を拭い平然としているのです。
 そうした輩へは、先生の論稿を参照されるべきと云いたものです。 先生のブログでは、御自身の御専門から、実証される事実に基づき批判を加えておられるのですから、例えて言いますと、英米の訴訟実務を観るような印象です。 事実を主観的に捉えず、反証にも耐える客観的事実とすべく努めておられる御姿は、英公判廷におけるQC
のようです。 一連の御論稿は、論旨の運びの参考とさせて頂きます。 

投稿: とら猫イーチ | 2014年2月18日 (火) 12時34分

また荒らしてしまい誠に申し訳ありません。
先生の仰るとおりだと思います。

この「議論」が「社会の進歩」にいささかなりとも役立つなどということはありえないでしょう。生産性のない議論です。

本当に申し訳ありませんでした。

投稿: PON | 2014年2月 4日 (火) 15時50分

コメントで意見を交わされている皆様へ
 このところ、澤藤・宇都宮両弁護士の親交がいつごろからか、その間の澤藤弁護士の人(宇都宮弁護士)を見る目をどう評価するかをめぐって議論が交わされているようにお見受けします。しかし、この点はなかなか決着がつかないように思われます。
 私自身は、その点を澤藤弁護士の告発の信用性とは絡めず、告発の内容そのものに即して議論を提起したつもりです。
 できましたら、上の議論はこのあたりで収束してはどうでしょうか。

投稿: 醍醐 | 2014年2月 4日 (火) 15時15分

すみません。連投申し訳ありません。

tomoeさんとのやりとりですが、、これから先、不毛な「議論」が続いても何も得るものはないであろう、と、かなりウンザリしております。先ほどの私のコメントの最後の部分で示したとおり、「いや、私はそれとは違う解釈が一般的だと思います」という「たった一言」の反論で、私としては「ああ、なるほどそういう考えもあるのね」と言わざるをえず、この部分についての「議論」はそれだけでとっくに終了していた、ということは指摘しておきます。この部分は私の主張の「オマケ部分」ですので、あまりこんなところで大展開するというのは実益もなく不毛、としかいいようがないです。

投稿: PON | 2014年2月 4日 (火) 14時10分

途中で文章がtomoeさんの切れているのですがこれは私の方に問題があるんでしょうか(以前のコメントもそうでしたが)?よくわかりませんが。

それから、私がこの下りで問題にしているのは「いつの時点」での「何の事実」についてのことだと理解していらっしゃるのでしょうか。(ちなみに「40年以上の付き合い」とだけ書いていますが、私がこれだけしか指摘していない理由は、私がゴチャゴチャ力を注いで書かなくても常識で考えて特にこの問題で反論する人などいないだろう、という認識があったからですが)。


最後に一番重要なことですが、あくまで「推論」(可能性とでもいいましょうか)のお話ですので、いや、私はこう思う、という反論(別の可能性)が提起された場合には当然、それを私が否定することは不可能です。これまでの方々はそれをしなかったので問題なわけですけど、この方々から万が一にも私の推論にツッコミが入れば当然私はこの推論については手を引かざるを得ない、と考えていました。「否定」しようとしても互いに水のかけ合いになるだけですからね。つまり「事実認定」とは違い「誤認」はありえませんから。そして、どちらの推論、可能性が「一般的か」ということを争おうにも、それこそ澤藤氏の記事を大勢の人に見せてどちらの推論が一般的なのか、あるいは別に成り立つ推論があるのか、大掛かりな「世論調査」でもしなければならなくなるでしょう。もちろん、無理なお話しですね。ですから、私がこの部分で示した主張というのは、(有効な)反論がない限りにおいてのみ意味がある、という程度のものだったということですね。

投稿: PON | 2014年2月 4日 (火) 13時23分

PONさん

こんにちは! ご返信を頂き、ありがとうございました。二つまとめて返信します。

>『場合によっては、PONさんのご発言は、澤藤氏と宇都宮氏が長年非常に親しい間柄であったとする意図的誘導に読めないこともない』 (by tomoe)

>これは私の文章の「誤読」ですね。

それは失礼いたしました。お気を悪くされたようで、すみません。
「場合よっては~読めないこともない」と、一つの読み方の可能性を示唆したのみですので、何分ご容赦ください。ですが、いささか解釈のすれ違いもあるようです。

>ちなみにですが、この部分に関する私の主張の本旨としては、40年もの間、『澤藤氏と宇都宮氏が長年非常に親しい間柄であった』かどうかなんてどうでもいい話なのですよ。念のため言っておきますが。

どうでもいい話しなのですか?

コメント欄で議論されてきたのは、PONさんが澤藤氏の主張の「信用性」を疑っているということについてでした。その疑念への異議申し立てでなければ、私も投稿はいたしません。そしてPONさんの問題提起は、一貫して「長年付き合っていれば、わからないものなのだろうか(いや、わかる)」ということです。特に澤藤氏の「観察眼」があるならばと。

>そしてちなみに、お二人がその間にどの程度の濃淡のお付き合いをしていらしたのか、正確にいつ頃「再開」したのか、もはっきりはわかりませんね。
>
>ですから、私の『その長い長い(仕事上の付き合いも含めた)付き合いの年月の中で自ずと理解していないということはありえない』の括弧書きで括っている部分はそういう趣旨ですね。これがわかりづらかったのかもしれませんね。酒でも飲んで肩を並べて歩くような関係だったとは限らない、ということです。

お二人のお付き合いの実質に関して、とても曖昧ですよね。なのに「~理解していないということはありえない」とまで、きっぱりとおっしゃっているのは、いかなる根拠においてでしょうか。
狭い業界の中にいるからと言って、そんなに接触があるというわけでもありますまい。
むしろ、ポイントは「長い長い付き合いの年月」だからですよね? 私が書いたのは、まさしくそのことです。

一つには、いかに「長い長い付き合いの年月」があろうとも、疎遠な時期が長ければ、少しも「長い長い付き合いの年月」ではないです。だから、交流にブランクがあったことを引用したのでした。

二つ目は、PONさんが参照されているフレームワーク、「長年付き合っていれば、わからないものなのだろうか(いや、わかる)」という、これに検討の余地がないかどうか、無前提に持ち込まれていないか検証していただきたく。長年だろうが、付き合い方や、関係のあり方にもよると思います。

そして、「澤藤氏の観察眼ならば」というご指摘についてですが、親交の度合いや形態によって、観察の機会も頻度も変わりますし、人によっては一度観察しただけで見抜くようなこともあるでしょう。

この機会と頻度の積み重ねを「非常に親しい」と、質的尺度として私が読み変えたわけでした。私は「非常に親しい」の関係の内実など、ここでは問うてはおりません。
結果的に、「長い長い付き合いの年月」があれば、イコールそうした経年の「積み重ね」があるかようにPONさんが解釈されていらっしゃるのでは、と思ったのです。

それゆえに、PONさんが「長い長い~」「何十年もの」「40年以上の」と、いくつものコメントにおいて畳みかけて来ることで、あたかも「長年の継続したつきあい」を印象づけようとしているようにさえ、見えてきたわけです。一つの可能性として。
もし、印象づければ、澤藤氏の主張の「信用性」を疑うPONさんに反論しづらくなります。というのも、常識的なニュアンスだと、そうした継続的な(多少のインターバルはあろうとも)付き合いがあるのなら、「わからなくてはおかしい」と、簡単に結論づけてしまいがちだからです。
しかも、長年の付き合いがあったと「氏は述べています(最初の御投稿)」とPONさんに最初から指摘されてしまっており、文章以外に根拠を持たない全員が、「そうか、長年の付き合いの積み重ねがあるって本人が言ってるのか」って思ってしまい、返答に詰まり、反論しづらくなります。(そのような効果があった。だからわざわざ澤藤氏を引用しました。)

ですが、この場合、返答に窮する側も上記のフレームワークで無前提に解釈してしまっているのと、本当に「長年の付き合い」と言っていいのかどうか(上記一つ目)に関する検証がないのが問題なのですけども。

また、三点目、初めて書きますが観察眼についてです。冷静な人物でも、時に他者を尊敬し、心酔したり惚れこんでいるような場合は、観察眼も曇ることはあるものです。(澤藤氏の文章からは、都知事選へと至る何年かの間にそのような関係の山場が出来ていたように私には感じられました。単なる感想です。)

いかに相手を知るかに関しては、年数との相関にも、観察眼という能力の恒常的な発揮にも因らないこともあるのでは?(トラウマや投影といった深層心理学の領域もあるでしょう。)

以上、まとめると、これは「長い長い付き合いの年月」と言い切ってよいのか、さらに「長年の」「観察」の積み重ねにより理解可能であったはずだと言い切れるのかということです。

いずれにせよ、澤藤氏がどのくらい宇都宮氏を理解していて、それがどういう経過を辿った交流の結果によるものかなど、推量の域を出ないものです。人間は非合理的な面を持つ存在です。よって、おっしゃるように「その程度のお話」ということでよろしいのではないでしょうか。

以上、私からは終わりにさせていただきます。PONさん、もし議論がおありでしたら、都知事選の後にでも。その頃には、今期の選挙運動における宇都宮氏に対する周囲や支援者の見方も明らかになっていることと思われます。

投稿: tomoe | 2014年2月 4日 (火) 07時41分

すみません。追加で一言だけ。今読み返していて思ったのですが、これは私の文章の「誤読」ですね。

『場合によっては、PONさんのご発言は、澤藤氏と宇都宮氏が長年非常に親しい間柄であったとする意図的誘導に読めないこともない』

それはないですね。『長年非常に親しい間柄』かどうかなんて私には知りようがないですから。そんな事情を示す事実もなかったでしょう?そしてちなみに、お二人がその間にどの程度の濃淡のお付き合いをしていらしたのか、正確にいつ頃「再開」したのか、もはっきりはわかりませんね。

ですから、私の『その長い長い(仕事上の付き合いも含めた)付き合いの年月の中で自ずと理解していないということはありえない』の括弧書きで括っている部分はそういう趣旨ですね。これがわかりづらかったのかもしれませんね。酒でも飲んで肩を並べて歩くような関係だったとは限らない、ということです。

ちなみにですが、この部分に関する私の主張の本旨としては、40年もの間、『澤藤氏と宇都宮氏が長年非常に親しい間柄であった』かどうかなんてどうでもいい話なのですよ。念のため言っておきますが。

投稿: PON | 2014年2月 3日 (月) 02時50分

記事とは関係なくて恐縮ですが、大阪の橋下市長が辞任して市長選挙を行うという報道があります。対して野党側には「橋下氏の1人相撲」で終わらせるべき(対立候補は立てない。市長選挙がどうなろうと議会の構成は変わらないのだから、負ければ橋下氏に正統性を与えるリスクしか負わない、対立候補を立てることのメリットはない、ということなのだと思います。)、という主張があるようですが、この主張についてどのように思われるでしょうか。正論でいけば、選挙で堂々と橋下氏の信を問うべき、という意見もあろうかとは思いますが、ただ、都構想の是非を問いたいだけなら精緻な世論調査をすればいいだけで、野党側の主張にも一理ありそうな気もします。お時間があるときにお考えをお聞かせ頂けると幸いです。

投稿: Momo | 2014年2月 2日 (日) 23時29分

ようやく反論らしき反論がきたようです笑もちろん、そのような解釈も可能でしょう。ただ、改めて私も見直しましたがとくに自分の解釈が特に不自然とは思いませんでした。「友人」であった旨や大金である「300万円」云々という話も、ある程度の関係性や信頼関係がないとでてこない話だろうと思いますけどね。また、別に専門は違っても、同じ「陣営」にはいるわけですから狭い社会ですよ。何らかの形での交流はあったのだろうと気にも止めていませんでしたが。ただ、いずれにしてもどちらが自然か、という話なので、私の解釈が自然であっても実際のところは実はそうではなかった、ということも当然ありえます。逆のケースもあり得るかもしれません。本人に聞いてみる以外に方法はありませんが、その程度のお話ですね。

投稿: PON | 2014年2月 2日 (日) 22時50分

醍醐先生

PONさんと先生、そして皆様のやり取りに関しまして、先生がこの件は終了とするとお書きになられていたのですが、どうしても一点だけ、示させていただきたく。
というのは、もともとがPONさんの誤読に基づくものだからです。
また、場合によっては、PONさんのご発言は、澤藤氏と宇都宮氏が長年非常に親しい間柄であったとする意図的誘導に読めないこともないので、注意喚起をいたします。

===引用===
■投稿: PON | 2014年1月20日 (月) 07時45分
しかし、澤藤氏と宇都宮氏は何十年もの付き合いだと氏は述べています。それならば、宇都宮氏がこのような「欠陥だらけ」の人物であることは、その長い長い(仕事上の付き合いも含めた)付き合いの年月の中で自ずと理解していないということはありえないと思います。

■投稿: PON | 2014年1月22日 (水) 02時39分
40年以上もの付き合いで、しかも澤藤氏程の「観察力」があるならば、この間、このような「明らかに決定的な」欠点に気づかないことが本当にあるだろうか、
==========

長くなりますが、下に澤藤氏のブログ「その3」からも抜粋しておきます。「何十年も」「40年以上もの付き合い」というのは、澤藤氏が宇都宮氏と知り合ってから現在にいたる期間としての意味しか持たない文章です。この長きに渡り、お二人が昵懇であったり、ずっと仕事を一緒にしてきたというのは、明らかにPONさんの「読み違い」です。
澤藤氏の文章からすると、司法修習生として知り合い、軽い友人関係はあったとしても、関係にはしばらくブランクもあり、実際に近いところで仕事をなさるようになったのは比較的近年であり、それさえ、本当に直近で仕事をされていたのかどうかまではわかりません。直近で関わられたのは前都知事選の選対でのことというのが、この文章の通常の読解だと思いますが、私のリテラシー不足でしょうか。さらに言うならば、比較的長いつきあいであっても、よくよく近くに寄らないと、宇都宮氏の温厚さに隠れた別の相貌は気付きづらいということを示すために、40年以上付き合いがあることを述べておられるようにも感じます。それは、澤藤氏が周囲に宇都宮氏を推薦して回った事へのエクスキューズでもありましょう。

尚、これらについては、もちろんPONさんのおっしゃるように、私自身も澤藤氏のブログ記事以外の情報を存じませんので、実際はお二人には長期間に及ぶ密なる親交関係があったのかもしれませんが。
しかし、それがもし真実だとするならば、PONさんが、なぜご存知なのですか?(笑)
PONさんご自身、「澤藤氏のブログ記事のみ」を情報源とされているのなら、情報源に即した読みとりをなさるべきです。

また、反論した皆様も、原典にあたった上で、きちんと反論をしないと、噛み合わない議論になりますよね? 以下、URLを載せるだけで良いのでしょうけれど、皆さんがちゃんと原典に当たらない様子に業を煮やして、引用いたします。醍醐先生、すみません。

===引用===
■宇都宮健児君、立候補はおやめなさい -その3
 http://article9.jp/wordpress/?p=1759
私は、宇都宮君とは同期の弁護士という間柄になります。ともに、1969年春に大学を中退して司法修習生となり、そこで知り合いました。ですから、付き合いの期間は40年を遙かに超えることになります。

ともに71年に東京弁護士会に登録をしましたが、活動の分野を異にすることとなりました。私は主として労働事件に携わる弁護士となり、青年法律家協会や自由法曹団などに拠って活動をする立ち場となりました。彼が何をしているのか、しばらくはよく分かりませんでしたが、次第に「サラ金問題の宇都宮」として知られるようになってきました。

私の関心の分野が労働問題オンリーから、憲法訴訟や教育問題、医療事件などを経て消費者問題にも拡がり、東京弁護士会の消費者委員長を務めました。そのころ、宇都宮君は「サラ金問題」のエキスパートとして6代目の日弁連消費者委員会の委員長に就任しました。彼の後塵を拝して、私は8代目の委員長となりました。(なお、中坊公平さんが2代目でした。)

同じ「消費者族」と見られる立ち場となって、当然に宇都宮君を仲間と思って信頼もし、彼の温和な人柄も好もしいものと思ってきました。それだけでなく、サラ金問題を個別事件としての解決に終わらせず貸金業法改正問題に取り組む姿勢も、「反貧困」の運動に足を踏み出したことも大いに評価していました。

そんなことから、2012年暮れに降って湧いた東京都知事選では、喜んで宇都宮健児候補陣営の選対本部委員になりました。友人としての自発性に支えられたもので、何の組織的な背景を背負ってのものでもありません。

「人にやさしい東京をつくる会」の中の、「人にやさしい」のネーミングは私の発案です。私は、傲慢な石原都政に我慢がならず、宇都宮君であれば、その対極として、一人ひとりの都民にやさしい都政を実現してくれると、心から期待したのです。とりわけ、弱い立場にある者、貧しい者、差別されている者、少数者の側、たった1人で孤立する公益通報者にも、意識的に味方してくれるはず。そう信じての精いっぱいの応援でした。

私的なことですが、私は肺がん手術後の身で、十分な体力はありませんでした。それでも、自分の影響力の及ぶ限りは、宇都宮君を「弱者の味方」として、大きく声を上げて推薦してまわりました。

その私の内部にあった、宇都宮君の虚像は選挙に関わったころから、徐々にメッキが剥がれて瓦解を始め、ちょうど1年かかって完全な崩壊に至りました。この選挙に関わるようになってから1年余。今は、自分の「人を見る目のなさ」を嘆き、深く恥じいるばかりです。1年前、このような候補者についての私の推薦に耳を傾けてくれた皆様、とりわけ熱心に選挙を支えていただいた都教委と闘う退職教員の皆様にお詫びの言葉もありません。
==========

投稿: tomoe | 2014年2月 2日 (日) 16時51分

醍醐先生、やはり、間接的適用説には問題があるでしょうね。
それどころか、直接的適用説にも問題がある。
つまり、「直接的適用説と間接的適用説の対立」という外観も、本当は仮象だと思います。

少なくとも、自由で対等・平等な私的所有する諸人格間の商品交換関係に立脚するはずの近代市民社会誕生以来の法的規範性を考えれば、立憲主義との混同を内包するような諸議論は、マルクスがプルードンに向かって投げつけた批判・「法律学の幻想」(=社会構造観・歴史観における観念論的転倒)の一形態だと思います。

この問題では、実は過去にも面白い論争がありました。日本共産党が「自由と民主主義の宣言」を発表した直後の大昔です。私の師でもあった芸術家(偉大なアマチュア哲学者でもあった)と共産党員らしき法曹関係者の間で行われた論争(ただし「論争」は公開論争では無く、私が私信と口頭で仲介したやりとり)です。
論争は「生存の自由と自殺の自由」と「国家が保障すべき権利」という、ややすれ違った対立を残したままで尻切れトンボに終わったように記憶していますが、要は、自由や人権とその内包や外延は、どこから発生し何に規定されて変化・発展していくのかということについての理解が問われる内容だったように思います。そう、自由や権利の具体化・拡張方向と、「奴隷所有の禁止」や建築規制条項のようなその制限・規制の必然性・正当性は、いったい何に依拠するのか、というような問題でした。

日本社会(特に革新民主陣営内)でも、あの時のような一般社会レベルで行われる論争が、もっと必要だったのでしょうね。
満場一致の承認だけで終わっていると、後世へのツケが残るのでしょう。

投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2014年2月 1日 (土) 08時31分

もとからひどいと思っていたがもうガマンならん。NHK何とかならんのですか?不特定秘密保護法の時なんて、国会よりもNHKにデモ行進すべきと思うほどでしたからね。私のなかでは今回のことで完全に一線越えましたよ。受信料、、という感じです。

投稿: 金木犀 | 2014年1月27日 (月) 00時19分

すみません。一部訂正です。
①「心情」→「信条」です。
②それから、宇都宮氏を支持していない、というのは不正確でした。正解には、「細川氏と宇都宮氏でワンツーフィニッシュを決めてくれ」、つまり、「二人で舛添を三着に追い込んでやれ」ということですね。「脱原発」を目指すなら、細川が勝てば実現する、なんて甘いことはないでしょう。知事選後も皆が協力しあって運動を続けなければならないですしね。お互いを潰し合うことは目的に反する行為だと考えます。

投稿: PON | 2014年1月26日 (日) 00時17分

忘れていました。言ってもいないし思ってもいないのに「宇都宮支持」と言われるのは、正直不愉快極まりないです。自分がそう言われる立場だとしたら、不愉快には思わないのでしょうか。熱心なタイガースファンが「お前は巨人ファンだろ」、と第三者から言われたときにどのような感情を抱くか、想像すべきです(マジメな話です)。憲法19条は、「自己の(政治的)心情とは異なる心情を有することを外部に表明する行為」を強制することを禁止している(最判平成19年2月27日「君が代ピアノ伴奏強制禁止訴訟」)わけですが、その趣旨が痛いほどよくわかります。私人間での間接適用ということも併せて考えれば、日頃の会話のなかでこのような「内心の根幹部分」に踏み込む場合は、安易に乱暴な扱いをしないよう、相手の意図をきちんと汲み取るなどして配慮を尽くすことが必要なのだろうと思います。
もちろん、私も気をつけなければならないはなしですが。

投稿: PON | 2014年1月25日 (土) 22時30分

以下は誰に対する「反論」でもありません。私のコメントを見た方が「私自身の思い」とは異なる解釈をなされるとなると、非建設的極まりないと思うので、それを防ぐべく私の見解を若干敷衍するものです。

『宇都宮氏…に対しては「今彼らを責めるのは酷では」などと、温度が明らかに違う…。バッジ氏の「贔屓」との指摘は、残念ながら当てはまる…。片方の意見ばかり聞いてはいけない、澤藤氏の正当性には疑義を容れるべき…というのなら、…同様の疑義は宇都宮側にも向けられるべき…。‥『もちろん「そうすべき」ということは理解できますが』と留保の表現をとっていることから…心情的には宇都宮氏支持でおられ、澤藤氏の論は私情も挟まれており妥当な反論ではない、という立場なのでは…』

これは私の思いとは真逆の解釈です。

まず、私は、ある問題を考える際によって立つべき思考は、①「事実」と②「評価」をきちんと区別し、かつこの順序で考えることにあると考えています。「ある特定の評価」(先入観ですの)から「事実」を見てしまうと、その評価に合わない不都合な事実を捨象してしまい、正当な評価は不可能になるからです。

私が「澤藤氏」の反論について問題にしているのは①の事実についてです。私のコメントを見ていただければ分かるとおり、『澤藤氏の論は私情も挟まれており妥当な反論ではない』などと、氏の反論に対する②評価は一切しておりません。①の事実関係の認定について一方当事者である者の主張であることや、私が抱いた疑問という観点から「慎重に」見極める必要がある、と言っているだけです(これだけから、あるとかないとか、直ちに断定すべきでない)。
「宇都宮氏」についても①事実関係を問題にしています。『今彼らを責めるのは酷』というのは、「理屈ではそうすべきでも、実際には実行困難なことはある」という当たり前のことを言っているだけです。「仮に」、宇都宮氏が反論する意思があっても、選挙が近い中で収斂も期待できない「内輪」争いを公に披露することを「現段階で」宇都宮氏に要求するのは無理ではないか、少なくとも私が選対の人間の立場ならそう考えます。しかし、あくまで「現段階」ということで、「選挙後」も無視するとすれば、そのことに特別合理的な理由がない限り、澤藤氏の主張する事実関係の真実性が推認されることになりましょう。

以上の通り、私は「宇都宮支持」云々とは全く違う次元でのお話をしただけなのですね。

投稿: PON | 2014年1月25日 (土) 21時49分

非常に興味深い論争が起こっているようなので、ちょっと私も意見を書いてみたくなりました。
このお二人の議論のありようこそが、今回の宇都宮・澤藤騒動の鏡写しのような構図になっているように思います。
お互い同じ立場にあるはずの人たちが、しかし悲しいほどにいがみ合ってしまっている。
バッジ氏の仰る内容自体には私も賛成なのですが、仰りようが凄まじく攻撃的、威圧的。愚論だとか盲信だとか、とてもではないですが議論をする人間が弁えるべきマナーを守っているとは思えません。PONさんの応答が感情的になるのも已む無しと思えます。
対してPONさんも、澤藤氏に対して持つ疑問は大きいようですが、宇都宮氏及び宇都宮選対に対しては「今彼らを責めるのは酷では」などと、温度が明らかに違うように思います。バッジ氏の「贔屓」との指摘は、残念ながら当てはまるように思います。片方の意見ばかり聞いてはいけない、澤藤氏の正当性には疑義を容れるべきでは?というのなら、公平無私に考えるなら同様の疑義は宇都宮側にも向けられるべきでしょう。PON氏は『もちろん「そうすべき」ということは理解できますが』と留保の表現をとっていることからも、恐らく心情的には宇都宮氏支持でおられ、澤藤氏の論は私情も挟まれており妥当な反論ではない、という立場なのではと推察します。私は、それはそれでいいと思うのです。人にはそれぞれの立場があるのですから。まずはご自身の立場を明確にすべきと思います。
その上で、醍醐先生のご提示された数々の疑念に対して、応答すべきではないかと思います。
またバッジ氏には、議論する人間として最低限弁えるべき相手への敬意を身につけるべきと強く感じます。

こういった、無理解とボタンの掛け違いが、大きくズレて進行していってしまって、今回の様々な「おぞましい」内紛に発展してしまっているのではないかという危惧を抱いている次第です。
冷静さ、公平さ、そして他者への敬意というものを身につけ、実りある議論を行い、そして、今の日本の社会にある不穏な情勢に対して、力を併せて対抗していければと、私は強く思うのです。
お目汚し、失礼いたしました。

投稿: | 2014年1月25日 (土) 18時38分

やはり非論理的な思考しかできない方のようです。
非論理的な文章は読んでいて疲れるものです。「決して解けない謎解き」を強要させられているようなものですから。
相手の立場を思いやることができる人ならば、このような文章は決して書かないでしょう。そしてこの方が相手の立場を思いやれる人間かどうかは、これまでのこの方の感情的、攻撃的、非論理的文章を見れば明らかといえるでしょう。御自身では、「オレは宇都宮選対とはチガウ」と思っているのかもしれませんが、客観的にみれば必ずしもそうとはいえない、ということは指摘しておきたいと思います。


最後に一点、主張に対する反論の仕方を教えて差し上げます。これから「論争」する際にお役立てください。

『永年付き合っている同志や友人同士だって、相手側の人格的欠陥や隠れての悪行を看取出来ないケース』
『戦前から50年近くも付き合っていた同志関係であっても、悪行に気がつかなかったということ。この世には、そんなケースも有り得るんですよ。』


私が前回のコメントで示したのは、ある事実から別の事実に向けての「推認」のお話なわけです。この推認の強さ(推認力)は、その程度は様々あるわけですが、推認力は「ある事実」と「別の事実」それぞれの内容と組み合わせによって異なるわけですね。当たり前の話をしていますが、理解できてますかね。

で、私のコメントを読み返して「ある事実」と「別の事実」にあたる事実を当てはめてください。私は、その「ある事実A」から「別の事実B」を推認する力は十分認められる(それが社会通念に照らして、もしくは一般経験則に照らして推認できる)と考えているわけです。

ですから、あなたは、その「A」と「B」とを結びつける強さは必ずしも一般ではない、常識に反している、と主張しなければならないのです。

ところが、あなたはABとはまったく関係のない、「W」や「Z」を持ち出してきて、『この世には、そんなケースも有り得るんですよ。』などと言っているわけです。まったく反論になっていないわけです。
意味がわかりますか。

もし、このあたりのことを勉強したいのであれば、刑事訴訟法や民事訴訟法の教科書でも買ってお読みください。


で、すみません。あなたのコメントのその他の部分も「同質」の問題がありますが、この非生産的なやり取りにはもう疲れました。あとは御自身で落ち着いて考えてください。

ではでは。

投稿: PON | 2014年1月23日 (木) 01時03分

PON様
直前のコメントになおご意見がありましたら、もう一度だけ投稿をお願いします。ないということでしたら、今回の話題に関するコメント上でのやりとりはこれで終わりにさせていただきます。皆様の熱心なご意見ありがとうございました。

投稿: 醍醐 | 2014年1月23日 (木) 00時13分

まだ愚論に固執しているんですねw

永年付き合っている同志や友人同士だって、相手側の人格的欠陥や隠れての悪行を看取出来ないケースなんて、ザラにあるじゃないですか。

例えば、永年、日本共産党の最高指導者だった野坂参三がソ連共産党の「内通者」だったというような事件。
ソ連東欧の旧体制が崩壊して野坂がソ連共産党の内通者であったことの物証がゾロゾロ出てきましたが、それまでは宮本顕治も不破哲三も、「野坂=スパイ」説をいち早く主張した袴田里見をデマ屋呼ばわりしていた。

宮本などは、北朝鮮の大韓航空機テロ事件に曖昧な態度しか示せなかった当時の社会党に向かって「実証主義は不可知論に転化する」などと哲学的教養までひけらかせたくせに、袴田がソ連崩壊の20年も前に暴露した状況証拠を信じなかったのです。戦前から50年近くも付き合っていた同志関係であっても、悪行に気がつかなかったということ。この世には、そんなケースも有り得るんですよ。

それから、金権体質に染まっている相手陣営がブーメラン効果を恐れてこの問題で攻撃してこないからといって、「不都合な真実」が消滅するわけではないんですよ。
無党派有権者の中でもこの問題を知っている人はすでに3桁じゃきかないでしょうから、もう隠蔽なんてできません。もっとも、「お得意回り」的な活動しかしていないような「狭い人」では、打撃も痛痒も感じないのでしょうがねw
謀略ビラによる攻撃や官憲による摘発に遭遇してから慌てたって、後の祭りなのです。猪瀬陣営への摘発じゃないけれど、「災難は、忘れた頃にやってくる」のです。

醍醐先生も形容されるように、この事件は革新・民主陣営にとって、本当に「おぞましい」事件なのです。

投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2014年1月22日 (水) 17時48分

ありがとうございます。何気ない気持ちでコメントしただけでしたが、本当に親切に対応していただき感謝しています。文章を抜粋させていただくことをお許しください。

『1.宇都宮氏と長い交友をしてきた澤藤氏がなぜ、今になって宇都宮氏の欠陥を告発するのかというご質問について。』

40年以上もの付き合いで、しかも澤藤氏程の「観察力」があるならば、この間、このような「明らかに決定的な」欠点に気づかないことが本当にあるだろうか、欠点があれば気づくはずだし、そうであればそもそも前回知事選で選対に加わることは澤藤氏の性格から推察すればありえないだろう、これを説明できるとすれば、選対を外された腹いせに私憤に任せて「針小棒大」に主張しているだけなのではないか、より慎重に見極めた方がよいのではないか、とフト疑問がわいたわけです。

『2.澤藤氏の主張はあくまでも一方当事者の言い分であり、相手側の応答がない状況ではそれを真実と受け取るのは早計ではないかというご意見について。
 私も澤藤氏の事実関係をめぐる記述については、現時点では一方当事者の申し立てと受け止め、断定は避けました。』

先生が大変慎重な言い回しをしていらっしゃることはすぐに理解できました。

『選挙資金をめぐって澤藤氏が指摘した疑問については、私は今の時点で根拠のある判断を下せると考えています。今は、私の解釈について宇都宮氏なり3名の弁護士なりからの応答を待っている状況です。』

何の異論もありません。
私も是非応答を拝見したいと思います。

『澤藤氏の告発は動機なりきっかけなりはどうであれ、内容は「革新」、「民主」を名乗る団体の社会的信頼に関わる問いかけと思えますので、宇都宮氏や旧宇都宮選対の関係者は誠実な応答を求められていると考えています。応答がないまま、真相不明でうやむやに済ませるのは公職の候補者として責任ある態度ではないと考えています。』

ここは難しいです。私が選対にいたとして、真偽不明でうやむやに済ませるつもりがなくても、現段階で応答することには正直自信がありません。もちろん「そうすべき」ということは理解できますが、「私の」感覚からすれば今彼らを責めるのは酷では、と思ってしまいます。しかし、いずれにしてもこれから先も一切無反応ということは絶対に許されないでしょう。正式な応答があることを願うばかりです。


ありがとうございました。

投稿: PON | 2014年1月22日 (水) 02時39分

PON様
皆様

いろいろとコメントありがとうございます。
もともとはPON様の私に対する質問でしたので、お答えします。
澤藤氏の記述への疑問については私はお答えする立場にないのですが、お尋ねの趣旨は澤藤氏の記述を第三者はどう受け止めるかということですので、私の理解をお伝えします。

 1.宇都宮氏と長い交友をしてきた澤藤氏がなぜ、今になって宇都宮氏の欠陥を告発するのかというご質問について。
 澤藤氏の連載記事を読んだ限りでは、ご自分が旧宇都宮選対から「騙し討ち的」に排除されるという体験をされたこと、旧宇都宮選対で運動員として活動していたご子息が「いわれのない」任務外しをされたこと、この件で旧宇都宮選対メンバーとやりとりをした際の体験から宇都宮氏には弱者に寄り添う資質、組織を統括する力量が欠けていることを痛感されたこと-――こうしたこの1年余、特に昨年末の体験が宇都宮氏に対する澤藤氏の評価を大きく変えたのではないかと私は理解しています。それ以前の宇都宮氏と澤藤氏の交友については知りませんのでコメントできません。

 2.澤藤氏の主張はあくまでも一方当事者の言い分であり、相手側の応答がない状況ではそれを真実と受け取るのは早計ではないかというご意見について。
 私も澤藤氏の事実関係をめぐる記述については、現時点では一方当事者の申し立てと受け止め、断定は避けました。その上で、宇都宮氏ほか、名指しされた旧宇都宮選対メンバーに応答を要望しました。ただ、それを承知で私が澤藤氏の告発を取り上げたのは具体的な事実関係―――いつ、どこで、誰々が、どういうやり取りをしたか-―-について記述されている部分です。そうした事実関係が示されていれば、相対当事者は反証可能だと思うからです。
 最初の告発から約1か月が経ちますが、これまでのところ、私が知る限りでは、宇都宮氏側からの応答は1月5日付けで発表された「法的見解」だけだと思います。これについては、私は自分が入手した関係資料に基づき検討をし、見解は旧宇都宮陣営の選挙運動費用収支に向けられた疑惑を払しょくするものにはなっておらず、むしろ、疑惑を深める結果になっているとする記事を私設のブログに掲載しました。従いまして、選挙資金をめぐって澤藤氏が指摘した疑問については、私は今の時点で根拠のある判断を下せると考えています。今は、私の解釈について宇都宮氏なり3名の弁護士なりからの応答を待っている状況です。
 澤藤氏が告発したその他の問題については、上の「法的見解」は私憤に基づくものとし、立ち入った応答はしていないと受け止めています。しかし、澤藤氏の告発は動機なりきっかけなりはどうであれ、内容は「革新」、「民主」を名乗る団体の社会的信頼に関わる問いかけと思えますので、宇都宮氏や旧宇都宮選対の関係者は誠実な応答を求められていると考えています。応答がないまま、真相不明でうやむやに済ませるのは公職の候補者として責任ある態度ではないと考えています。

 

投稿: 醍醐 | 2014年1月22日 (水) 01時12分

醍醐先生のブログ上であれこれと書き連ねてしまい誠に申し訳ありませんでした。本来は澤藤氏のブログ上で行うようなことであり、場を荒らしてしまったことを後悔しております。

しかし、澤藤氏の主張の真偽はさて置き、この方が法曹として極めて有能な方であることは間違いのないことであり、そのような方と宇都宮氏側との間で「争い」が生じてしまっていること、それ自体が社会にとっても大きな「損失」といえます。澤藤氏についても話の材料がやや怪しいものになりつつありますが、もう私憤が多少なりとも収まったのであれば、有能な第三者が間に入って双方一歩でも先に前へ進むことを願ってやみません(現状のやり取りが続くだけでは何かが変わることは期待できないでしょう)。

投稿: PON | 2014年1月22日 (水) 01時09分

 コメントされる方々の、諸々の意見に耳を傾ける醍醐先生の度量の深さこそ、宇都宮氏とその選対に求められる素質でしたね。
 問題を観る視点には違いはあっても、民主主義の発展には、こうした障害が、有っては為らないと考えるのであれば、その視点に相違があっても未来を見据えて有意義と思います。
 私は、澤藤氏が法曹であることから、「権利のための闘争」として、自己の権利主張をされることが、今後に繋がる一里塚として重要に思います。

投稿: とら猫イーチ | 2014年1月21日 (火) 23時54分

『つまり、宇都宮応援団は、反論不能であることを告白しているのです。』

→非論理的な一方的推測ですね。(『』内。以下同じ)

宇都宮応援団が「法的見解」という『内容と範囲でしか言い訳(それも、すこぶる付きの素人だましです)出来なかった』事実自体に、何よりも宇都宮氏周辺の深刻な現状が鮮明に露呈している。

→これまた同じ。

公表されている批判について『頬被りし続ける』問題当事者や応援団とは、『悪政を批判され反論不能に陥ったので批判を黙殺する悪質政治家と基本的には同質』でしょう。

→これも同じ。初めからバイアス入りすぎですね。


『妄信対象に加えられた批判』を自分の頭を使って具体的に考えてみようともしていない点で

→これはヒドい!もう少し冷静に。妄信対象というのは、私が宇都宮氏を妄信しているという意味ですか(初め、今度は何を言い出したのかと考えてしまいましたよ)?勝手に話を捏造しないでください。


総じていいますと、まったく非論理的と言わざるをえません。
それから、そもそも論ですが、私のコメントを批判するなら、せめて理解した上でお願いします。感情論剥き出しにしているだけで到底理解しているとは思えません。いろいろ仰っていますが、私の言っていることと噛み合っていないのですね。
こちらが問題にしていないことを、問題にしているかのように話をふっかけるというのは非生産的であり、あなたにとっても時間の無駄でしょう。

澤藤氏がいう「共感者」のなかにあなたのような方が含まれていないことを願うばかりです。

(以下は澤藤氏とは無関係な話です)
こうみてくると、常に批判に対して反論する必要はあるのか?とますます疑問に思えてきます。まったく感情論剥き出しの非論理的な批判に対して反論してみても、何も生み出さないからです。ますます感情的にさせるだけでしょう。そんな無駄なことをやるよりも、別のもっと生産的なことに時間を割いた方がいいに決まっています。
しかし、このような批判に対して無視し続けていると「反論不能」という評価を受けるのだとすれば、これほど滑稽な話はありませんよね。

投稿: PON | 2014年1月21日 (火) 21時05分

>澤藤氏が主張していること「すべて」に対して、宇都宮側がすべて反論しているわけではありません。「法的見解」のみですね。

それもまた、すでに明らかになっている重要な基本的事実ですね。
つまり、宇都宮応援団は、反論不能であることを告白しているのです。
宇都宮応援団が「法的見解」という内容と範囲でしか言い訳(それも、すこぶる付きの素人だましです)出来なかった事実自体に、何よりも宇都宮氏周辺の深刻な現状が鮮明に露呈している。

>ネット上での批判を放置していると実際にあったとされてしまうのでは、たまりませんよね。

選管提出書類など、すでに数々の証拠も例示公表されている批判について頬被りし続ける問題当事者や応援団とは、悪政を批判され反論不能に陥ったので批判を黙殺する悪質政治家と基本的には同質でしょう。

>わたしがどの部分で宇都宮氏を「贔屓」したのでしょう。

あなたは、自分たちが認めがたい「不都合な真実」を隠蔽、黙殺、改竄する靖国派の人たちなどと同じく、妄信対象に加えられた批判を自分の頭を使って具体的に考えてみようともしていない点で、正に「贔屓の引き倒し」に加担しているのですよ。そんなことにも気がつけない程の盲信状態なのです。
指摘されている宇都宮選対の政治とカネの問題ぐらい、自分でも考えてみたまえ!

投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2014年1月21日 (火) 16時54分

『澤藤氏の「信用性」に疑問符をつけるあなたのコメントは、澤藤氏や醍醐氏が提起した問題の本質をまったく理解できないでいることを明らかにしましたね。長い経験のなかで、それまでの認識を一変させるような体験をしたとき、自分の認識を根底から問い返すということは、真に勇気の要る事です。澤藤氏は、前回の選挙選の期間中から選対首脳部と候補者の対応に疑問を持ち、意見を表明してきたこと、一年の時間をかけて「ルビコン」を渡る決心をされたのです。選対のありように大きな問題があったことは、昨日の「活憲左派」の集会で、澤藤氏と共に意見表明された吉田万三氏も認めています。』

ええとですね
私が言っていることの「問題の本質をまったく理解」しないまま反論を加えるというのは如何なものでしょう。

「ルビコンを渡る決心」をして、四面楚歌覚悟で意見表明したら、それがイコール、事実であり、公平な評価を加えた主張になる、なんてことはありえないでしょう。感情論としてはわからなくもないですがね。
それから、吉田万三氏の話をされていますが、この方が「何を」認めたのかも不明でしょう。それはともかく、吉田氏云々の話は、私のコメントの趣旨とは何の関係もないでしょう。


私がいいたいのは、澤藤氏がウソつきだとか宇都宮氏に肩入れするつもりとか、そんなことではないのですよ。もしそのように受け止めて反論しているのであれば、それは「誤想過剰防衛」もいいところです。

私は澤藤氏の問題提起に対して重大な関心をもってみています。私自身もかつて「労働者の味方」「民主的」と標榜する団体の中で働いて、中身はブラックそのもの(賃金は最低賃金以下、無給の時間帯もある)であり、極めて非民主的で思想差別もなんのその、という状況に遭遇したことがあります。仲間とともに、御用組合を通さずに、直接その会社に強引に要求を認めさせて、しかし結局会社に居られなくなるという散々な結末を迎えましたが。

いずれにしても、私にとっては他人事の話ではないわけです。

であるからこそ、まず何があったのかを冷静に把握する必要があります。それがすべてのスタートなわけです。

そのためには、当事者である澤藤氏や宇都宮氏側の主張の「信用性」や、実際に何があったのかを、現在客観的に明らかになっている「あらゆる」事実から的確に推測し、評価する必要があるわけです。

当たり前の話をしているだけですね。

投稿: PON | 2014年1月21日 (火) 16時28分

PONさん

澤藤氏の「信用性」に疑問符をつけるあなたのコメントは、澤藤氏や醍醐氏が提起した問題の本質をまったく理解できないでいることを明らかにしましたね。長い経験のなかで、それまでの認識を一変させるような体験をしたとき、自分の認識を根底から問い返すということは、真に勇気の要る事です。澤藤氏は、前回の選挙選の期間中から選対首脳部と候補者の対応に疑問を持ち、意見を表明してきたこと、一年の時間をかけて「ルビコン」を渡る決心をされたのです。選対のありように大きな問題があったことは、昨日の「活憲左派」の集会で、澤藤氏と共に意見表明された吉田万三氏も認めています。その事態に宇都宮氏は最高責任を持つべき立場でありながら、無視してきたのです。澤藤氏がなぜ「私憤」という言葉をあえて使ったか。自分が傷ついたとき、心底から怒り、痛みを直視することなしには、弱者の痛みにも怒りにも寄り添えないと思われたからでしょう。この点において、宇都宮氏の資質が問われているのです。いま、告発されているのは宇都宮氏一人ではありません。一緒に闘った澤藤氏自身への自己批判も含まれているかも知れません。そこに澤藤氏の真実があると考えます。

選対の中枢にあった人たちが「革新」を標榜しながら宇都宮当選に向けて真摯に取り組んだ若者を切り捨てた、その人権無視の感覚、「小権力」に寄りかかる驕りが、いくつかの公選法違反につながったのでしょう。旧選対の中枢を徹底的に検証することなしに、社会を根底から作り直すことなど望むべくもありません。

澤藤氏に記事の掲載を拒んだ「憲法会議」編集部の驚くべき現実は、社会改革が、目指すものとは逆の結果をもたらしかねない危険性が存在することを示しています。

投稿: S.I. | 2014年1月21日 (火) 13時00分

『澤藤、醍醐両氏による告発と宇都宮サイトの「法的見解」に対する再批判にダンマリを決め込む』『双方が主張する事実や双方の事実認識、事実解釈の基本的部分は、すでに出揃っている』

①まず、澤藤氏が主張していること「すべて」に対して、宇都宮側がすべて反論しているわけではありません。「法的見解」のみですね。

②そして(「再」も含めて)反論しないこと=「実際にあったこと」につながるわけではありませんね。ネット上での批判を放置していると実際にあったとされてしまうのでは、たまりませんよね。

③わたしがどの部分で宇都宮氏を「贔屓」したのでしょう。特定の立場には立ったコメントはしておりません(というよりも考え方自体がそうですから)。私のコメントを「本当に真面目に読まれたのかすこぶる疑わしい。」と言わざるを得ません。「あなたのご主張はすでに、半ばデマ宣伝の性格さえ帯びてい」るといえるでしょう。

投稿: PON | 2014年1月21日 (火) 12時03分

>その方々は一方当事者である澤藤氏の「主張」を目にしたに過ぎません。「実際の事実」を目にしたわけではないのです。従って、澤藤氏の主張を目にした方は、澤藤氏が「そのような主張をしている」ことを認識できるだけで、「実際の事実」がどうなのかについては別の問題として留保しておく必要があるわけです。

PONさん、あなたのご主張は、澤藤、醍醐両氏による告発と宇都宮サイトの「法的見解」に対する再批判にダンマリを決め込む、大方の宇都宮応援団の態度と大差ない、非常に不真面目なものですね。
あなたこそ、両氏の見解と宇都宮陣営の「法的見解」の両方を本当に真面目に読まれたのかすこぶる疑わしい。
双方が主張する事実や双方の事実認識、事実解釈の基本的部分は、すでに出揃っているのですよ。あなたは、それらの具体的論点について一切触れることなく不可知論と相対主義を振り回しているだけです。「贔屓の引き倒し」はもういい加減にお止めなさいな。この世には「愚かな味方は最大の敵」という警句もあるのですからね。

あなたのご主張はすでに、半ばデマ宣伝の性格さえ帯びていますよ!!!

投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2014年1月21日 (火) 08時08分

先ほど投稿させて頂きました。もう一点付け加えたいことがありますので連投をお許し下さい。
澤藤氏の仰ることで、さらに氏の主張の「信用性」に疑問を抱かざるを得ない発言があります。

澤藤氏は、ブログ上で宇都宮氏(とその周りの方々)の「実態」を「告発」しており、それに対する共感を得られたことをプラスに評価しています(「今、私は覚悟して宇都宮批判に踏み切った意味があったと考えている。反響は大きい。共感・共鳴の声が寄せられている。」「思いを綴って公表して、多くの人の共感を得ることの精神的な浄化作用は想像以上に大きい。」「地獄にも仏がいた。まったく思いがけなくも、自分の主宰するブログで、私の立場にご理解を示していただく何人かの方に出会えた。私にとっては、賽の河原のお地蔵様だ。」など)

実際もネット上で、澤藤氏の主張を見て、「宇都宮氏の実態がよく理解できた」、と言う方々を見かけることがあります。

しかし、そのような「共感」は好ましいことなのでしょうか。

その方々は一方当事者である澤藤氏の「主張」を目にしたに過ぎません。「実際の事実」を目にしたわけではないのです。従って、澤藤氏の主張を目にした方は、澤藤氏が「そのような主張をしている」ことを認識できるだけで、「実際の事実」がどうなのかについては別の問題として留保しておく必要があるわけです。

裁判でも「実際の事実」を巡り、2当事者の「主張している事実」に食い違いが生じている場合があることは常識のはずです。
この、誰かが「主張しているに過ぎない事実」を「実際の事実」と同視してはならないことは極めて重要なことのはずです(例えば、「従軍慰安婦は捏造だ」「軍の強制があったなんて捏造だ」などと鼻息を荒くして仰る方の中には度々そのような「主張」をしている人間の著書を紹介してくださるのですが、これも同じ「症状」に陥っているといえましょう)。

従って、澤藤氏が「思いを綴って公表して、多くの人の共感を得ることの精神的な浄化作用は想像以上に大きい。」などと、ブログ上で氏の「主張」を見ただけで共感を寄せた方々の存在を肯定的に捉えることは、大いに疑問をもつわけです。私なら、そのような「共感」を目にすればこれは由々しきことと思い、「宇都宮側は、私の主張とはまったく違う事実認識をもち、それへの評価も私のものとは違うかもしれないから、私の主張をそのまま鵜呑みにしてはならない」と言うでしょう。

投稿: PON | 2014年1月20日 (月) 13時51分

 現代の日本では、社会の各種各層で、このような事象が起きているのではないのでしょうか。 その昔に、或る宗教信者団体に依る言論弾圧事件があり、革新を標榜する政党や各種団体が批判を繰り広げましたが、批判者自身が同じ事象の当事者になるのですから、皮肉なものです。
 客観的事実の実証に依るべき科学研究の世界に在っても、この種言論の封殺行為は実在し、科学的に実証されてはいない「仮説」が、政治・経済等の要請から権力的に独り歩きして行く事象は多々存在します。 その一つには、最近でこそ、天文学における太陽観測事実から、地球環境の寒冷化が憂慮される事態となり、その科学的根拠に疑問符が付きつつある「二酸化炭素地球温暖化仮説」があります。
 でも、国連IPCCの「権威」を後ろ盾に、権力的に利権擁護をされる学会に在っては、批判的研究者の言論封殺は当然視さえされています。 その結果は、「気象学会における議論の封殺(査読者の誤った思い込み、あるいは故意の曲解による論文掲載拒否や学会発表の拒否)や、前回紹介したように物理学会の槌田論文の単独掲載の拒否などに見られるように、残念ながら日本の学会組織、そしておそらく海外の学会組織においても利権団体と化した学会のボスによって、科学の自由な論争を行うことは非常に困難な状況になっているのが実態です。」と記される結果になっているのです。

http://www.env01.net/fromadmin/contents/2010/2010_01.html#n453
No.453 (2010/01/12)「地球温暖化懐疑論批判」をめぐって見えてきたもの・・・ 「環境問題」を考える 近藤邦明

 私の職業経験からでも、流域下水道事業に対する疑問符を突きつけられた、当時の東大工学部の中西準子氏に対する様々な陰湿な攻撃を思い出されます。
 環境部門での異端者に対する陰湿な攻撃、と言うより排除は、私自身も経験しました。 「二酸化炭素地球温暖化仮説」に批判的な者は、NPOでは、発言権も認められません。 
 この日本では、憲法で保障された人権の諸規定が空洞化しているようです。

投稿: とら猫イーチ | 2014年1月20日 (月) 11時02分

鋭いご指摘ですね。

そして、この論点は、いわゆる「民主集中制」組織原則を掲げる革新政党内における内部告発権や匿名言論公表権、ロシア革命期から左翼運動内で問題になってきた「事後批判権」などの問題とも通底するように思います。日本国憲法や現代人類社会で保障されている「結社の自由」と「言論の自由」の関係は、さしあたりは国家権力に対する自由として出発したハズですが、今日的な未解明論点を残すものだと思うのです。

また、「検察ファッショ」を糾弾し金権政治家・小沢一郎氏を擁護する人たちが盛んに援用する「推定無罪」や「一事不再理」「時効」などの法的カテゴリーと、マルクスが批判した「法律学の幻想」の問題にも関連するように思います。澤藤氏も若干触れていますが、既存の法的規範性と「民主的・階級的道義(=現時点では未成文の法的規範性)」のようなものの関係を考察する際には、本物の民主主義者は既存の法的諸関係を過度に抽象化・一般化して既存の社会的到達点を安定的に媒介・再生産・絶対視するだけでは不十分でしょうからね。

それにしても、護憲・活憲派も、理論的学問的怠慢の謗りは免れないのでしょうね。
9条をめぐる論議でも、護憲派には、幻想に満ちた「改憲派の現実」観を根底から批判するような論陣は少ないようですから、「自由」や「権利」の問題などでも同様の理論状況なのだと思います。
先生や澤藤弁護士のように、ラジカルに思考出来る言論人・専門家に強く期待する次第です。
(なお、現代的な検討諸課題にそくした「法律学の幻想」批判としては、永井潔氏や有井行夫氏の著書が参考になるかと思います)

投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2014年1月20日 (月) 09時33分

澤藤統一郎氏の主張に目を通しましたが、どうしても腑に落ちないことが頭から離れません。実際に氏の主張通りならば、宇都宮氏はどうみても明らかな「欠陥だらけ」の(候補者云々を超えた問題として)人間としか評価しえないでしょう。しかし、澤藤氏と宇都宮氏は何十年もの付き合いだと氏は述べています。それならば、宇都宮氏がこのような「欠陥だらけ」の人物であることは、その長い長い(仕事上の付き合いも含めた)付き合いの年月の中で自ずと理解していないということはありえないと思います。そうだとすると、そのような人物を前回の知事選で積極的に支援しようと考えるでしょうか。主張から読み取れる澤藤氏の性格から考えると、おそらく断るでしょう。しかし澤藤氏はそうはしていない。ここがまったくもって腑に落ちないわけです。そうなると澤藤氏の主張の「信用性」という部分に?がついてくるのです。

投稿: PON | 2014年1月20日 (月) 07時45分

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