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互いの老いを見つめ合ったウメとの別れ

2014729

 最期は痛ましい姿だったが
 718日、深夜の140分過ぎにウメが息を引きとった。
 前日の夜10時ごろから、いつもと違う吠え方が続くので気になり、連れ合いがあやしたり、スポイトで水分を飲ませようとしたりしたが受け付けず、日付が替わる頃、突然、嘔吐し始めた。
 最初は、これまでにも時々あった食物を戻す症状かなと思ったが、やがてドバっと、どす黒いものを吐いたことから、吐血とわかった。
 驚いて、深夜だったが、かかりつけの動物病院に電話、運よく居合わせた医師によると肺か胃からの出血ではないかとのこと。しかし、動かすこともできないので、吠え疲れて寝入るのを見守るしか、なかった。

 それから約1時間後、静まり返ったかと思った矢先、横たわったままの姿勢で突然、どっと吐血して、間もなく息を引き取った。呼吸が止まってからも、しばらく口から血があふれ、顔に当てたタオルを何度も取り替える有様だった。

 夫婦立ち合いで火葬
 思いもよらない急変に茫然としたが、ウメを寝かせた布団をエアコンの近くへ移動し、夜が明けるまで私たちもうたた寝。

 7時過ぎ、携帯メールで娘に連絡。その後、電話帳で近くの何か所かの霊園に電話したところ、わが家から近い「ペット霊園」とつながった。その主によると、この暑さなので、なるべく早く、出来れば今日のうちにも、火葬にした方がよいとのこと。
 ただ、この日は2限が某大学での非常勤の講義の日。その後、NHKへ出向いて4つの団体の共同で申し入れ書を提出するとともに、私が関わっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」単独で3つの文書をNHKに提出することになっていた。
 これらの用務は外せないので、連れ合いと相談の結果、この日の午後3時半ごろに、霊園から車で迎えに来てもらい、連れ合いが同乗して霊園に出向き、私はNHKでの用件を中座して最寄りの駅まで戻り、そこから車で霊園に直行、4時半ごろから火葬をしてもらうことにした。

 予定より少し早く霊園に着くと、火葬の準備は整っていた。一足先に着いていた連れ合いと一緒にウメと最後の対面、焼香をしてウメは火葬場へと向かった。

 火葬の間、控室で待機。その間2度、霊園の主が現われ、火葬の仕方を説明してくれた。話によると、この霊園では、1体ごとに骨の状況を確かめながら、なるべくお骨がきれいに残るよう、火葬の仕方を工夫しているとか。
 これまで人間の火葬に何度か立ち会ったが、そういう話を聞くのは初めてだった。そういえば、人間の火葬は1時間前後で終わるのが通例だが、ウメの場合、440分ごろから始まった火葬が終わったのは6時半ごろだった。
 まだ、様子がよくわからないまま、霊園主の案内でお骨になったウメのそばに近づくと、尾骶骨、歯、足、頭と小骨がきれいに整とんされていた。人間でもこのような形でお骨を壺に収めるのを見たことはなかった。

 仏壇で再会した姉妹犬
 霊園主に車で送ってもらって帰宅したのは7時だった。急いで仏壇を整理し、7年前にお骨で帰ってきた姉犬・チビの骨壺と並べて、焼香。好物だった牛乳のお湯割りを供えた。

 引っ越しをした隣家に居たウメを引き取った時、わが家には姉犬がいた。ウメが来てしばらくは、ちょっとしたきっかけで3度、双方が血を流す喧嘩をした。一度は止めようとした連れ合いにも歯が当たって血が出る騒ぎになった。特に、姉犬は自分が先住民と言わんばかりの態度で、容易にウメを受け入れようとしなかった。
 そのせいか、わが家に来てしばらくの間、ウメは家人が外から戻るのを見届けるや、玄関先にあった靴やサンダルをさっと咥え、これ見よがしにそれを差し出す仕草で近寄ってくるのが日課だった。あの愛らしい光景はウメと過ごした16年間で一番の思い出である。

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  大ゲンカをした姉妹犬だったが、数年経つと写真のように、二匹並んで、しゃがんで前足を伸ばし、台所で挽きたてのコーヒー入りの牛乳を作る家人の姿を見つめるようになった。

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 ウメの老いを見つめて

 7年前、姉犬がなくなってからも特に変わった様子はなかったが、2011311日の大震災の体験がウメの生活の大きな転機になった。
 あの日、夫婦そろって都内の催しものを見に出かけ、電車の中で地震に遭遇した。結局、その日は帰宅難民となり、やっとつながった公衆電話で近所の知人にウメの散歩と食事を頼んで、その日は都内泊。
 翌日、昼前に帰宅すると建物に被害はなかったが、家中、書棚などが倒れ、片づけに追われた。
 あの日、ウメは結局、家人不在の家の外で一夜を過ごしたことになる。わが家に来て初めての体験だった。そのせいか、それ以降、昼間は玄関の外で過ごしたが、夕方の散歩を終え、食事を済ませるや、居間に向かって猛突進。さっと自分の定位置となったマットに座るとしばし、そこに陣取るかのように座ったままだった。

 こうして、次第に室内犬になっていくにつれ、散歩の時も遠出を嫌がり、行動範囲が狭くなっていった。また、それからしばらくして、認知症と思える症状が現われ、声を出さなくなるとともに、家の中をよろめきながら徘徊するようになった。といっても、夜鳴きなどは全くなく、うたた寝から目を覚ました時、近くに人の気配がないのを知って鳴いて呼ぶことはよくあったが、穏やかな毎日を過ごしているように思えた。

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 しかし、次第に足が弱り、最後の2年間は歩行や用便も自力ではできなくなって、要介護の状態になった。
 そして、年明けまもないころから、連れ合いと交代で添い寝をするようになった。起き上がろうとして、足をばたつかせるのを放っておくと、息苦しくなって消耗してしまうし、何とか立ち上がってもすぐによろめいて壁などに顔や頭をぶつける心配があったからだ。
 それでも夜中、目を覚まして覗き込むと、いつの間にか、こちらのそばに寄り添い、鼻が顔に触れていたこともあった。

 通学途中の近所の子どもから、よく、「ソックスを履いているみたい」と言われた。他人に吠えかかるでもなく、頭をなでられると前足を挙げて抱きついたウメの穏やかで愛らしい姿は、これからも私の思い出の宝物として生き続けることと思う。
  ウメ、また天国で会いたいね。

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NHK「ニュース7」は政府に不都合な話題を「さらり」とかわすのか? ~最近の番組ウオッチ経験の一コマ~

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 集団的自衛権の行使容認を閣議決定で強行しようとする政府の動きが強まった今年の5月以降、NHK「ニュース7」を、録画を取りながら、ウオッチしている。すべての定時のニュース番組をウオッチするのに越したことはないが、個人の作業としては、そこまで手が回らない。それならと、NHKのニュース番組の中で最も視聴率が高い「ニュース7」に絞った次第である。

国連の人権勧告をさらりとかわした「ニュース7
 725日のNHKNEWS WEB」を検索すると、同じ話題(国連の自由権規約委員会が日本に対して人権状況の改善を求める勧告を発表したという話題)を取り上げた3つ記事が掲載されていた(カッコ内の数字は各記事がNEWS WEBに投稿された日時を示す)。

①「『知る権利の保障を』国連の委員会が日本に勧告」(725 414分)
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140725/k10013275761000.html 
 「各国の人権状況を審査する国連の委員会は24日、日本について特定秘密保護法の適用にあたって国民の知る権利を保障することやヘイトスピーチと呼ばれる民族差別をあおる街宣活動を禁止するよう勧告しました。
 国連の自由権規約委員会は、表現の自由や男女の平等などの基本的な人権が日本で守られているかどうか審査した結果を、24日にスイスのジュネーブで発表しました。
 それによりますと、およそ20の点について日本に対する勧告が行われ、このうち年内に施行されることになっている特定秘密保護法については「国民の知る権利を保障する国際条約と適合するよう、あらゆる措置をとるべきだ」と指摘しています。
 またヘイトスピーチについては「差別や敵意、暴力につながるような人種的優越感や憎悪を助長する、宣伝行為をすべて国が禁止するべきだ」としています。
 このほか、これまでの審査と同様に、死刑の廃止を検討することや、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡り国家としての責任を認めて公式に謝罪することなども盛り込んでいます。
 委員会が発表した文書に法的な拘束力はありませんが、国連の公式文書であるだけに、今後日本政府に対して改善を求める声が内外で強まることも予想されます。」

②「官房長官 国連勧告残念 強制示す記述なし」(725 2009分)  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140725/k10013300491000.html 
 

③「NGO『国連の人権改善勧告 速やかに実行を』」(725 2113分)   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140725/k10013301181000.html 

  ヘイトスピーチといい、秘密保護法といい、死刑廃止問題といい、従軍慰安婦問題といい、日本の内政、外交上の重要問題が網羅された国連の委員会勧告である。
 しかし、その日の「NHK ニュース7」では、①は、短い時間配分のフラッシュニュースも含め、一切、報道されなかった。NHK ONLINE の「ON DIMAND」の一覧にも載っていないので、今日、「NHKふれあいセンター」(☎0570-066-066) に問い合わせて調べてもらったところ、次のとおりだった。
 
 ①は25日の「おはよう日本」で43237秒から放送されたとのこと。し
  かし、この日の(「ニュース7」だけでなく)「ニュースウオッチ9」で
  も放送されていない。
 ②はBS1のニュース番組で放送された模様(何時のニュースかは未確認と
  のこと)。
 ③は筆者自身、未調査。

 
この間の「ニュース7」のウオッチ活動をしていて気が付いたのは、
  *その日の早い時刻のニュースで放送された重要な話題でも、「ニュー
   ス7」では省かれることが少なくない。
 
 *重要なニュースが短い時間配分のフラッシュニュースで、さらりと伝
   えられることがある。
 という点である。

佐賀県へのオスプレイ配備を例にして言うと
 これを、佐賀県へのオスプレイ配備を例にして言うと次のとおりである。
  *719日、「ニュース7」では、画面上、フラッシュニュースのリスト
   に挙げながら、読み上げがパスされた。
  *720日、昼のニュースで「オスプレイの配備検討 佐賀県知事に伝え
   る」という見出しで放送したが「ニュース7」では放送されなかった。
  *722日の「ニュース7」のフラッシュニュースのコーナーで短く伝
   えられた。

 
こうした経緯を見ると、佐賀県へのオスプレイ配備問題 ~広くいえば、政府が国民に周知されることを好まないと思われる問題 ~を「ニュース7」は極力、「控え目に」扱おうとしている気配を読み取れる。

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ETV番組改ざんの二の舞にしてはならない~「クローズアップ現代」をめぐる官邸とNHKのやりとりの真相は?~

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NHK
の名誉棄損というなら
 722日、NHKは『週刊新潮』424日号に掲載された、籾井会長の初出勤の日の言動などを取り上げた記事について、NHKおよび籾井会長に対する重大な名誉棄損にあたるとして同誌出版元の新潮社を相手どり、損害賠償の支払いと謝罪広告の掲載を求める訴訟を、東京地方裁判所に提起した。

 「籾井会長に関する週刊新潮の記事をめぐる訴訟の提起について」
 
 http://www9.nhk.or.jp/pr/keiei/opinion/index.html
 
  『
週刊新潮』の記事に個人の人格を貶める不適切な表現や誇張、事実の裏付けに疑義があったことは否めないが、NHKの上記告知文によると、今回の提訴はNHKと籾井会長が原告となって起こしたとある。訴因となった『週刊新潮』の記事が籾井氏の名誉にとどまらず、NHKの名誉まで棄損し、NHKの信用まで失墜させるものだったからというのがその理由のようだ。
 NHKが訴訟に参加するとなれば、訴訟費用の一部はNHKが負担することになる。さらに、損害賠償が認められれば、訴訟費用補てん後のその一部はNHKが受け取ることになる。それだけに、『週刊新潮』の記事が籾井氏の名誉にとどまらず、NHKの名誉も傷つけたとする理由を示される必要がある。

「籾井よくやったと書いて」というけれど
140万円の期末報酬返上で償われるのか?~

 
 しかし、『週刊新潮』の記事を離れて言えば、籾井氏の会長就任会見以来の一連の妄言でNHKの名誉は著しく棄損されてきた。715日の定例記者会見で籾井氏は上期の期末報酬の全額140万円を自主返上した理由を質した記者に対して、「籾井よくやったと書いてくれれば十分じゃないか」と応えたという(『毎日新聞』716日)。
 それで本当に十分か?
 金銭に換算するのは容易ではないが、会長就任会見で「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」、「通ちゃったもの〔特定秘密保護法案のこと〕はカッカすることはない」、「戦時には従軍慰安婦はどこにでもあった」などと言い放って国民を仰天させ、NHKの自主・自律、政治的公平、不偏不党の立場に対する信頼を貶めた籾井氏の罪は140万円で引き合うとは、とても思えない。

名誉毀損というならNHKは百田氏を訴えるべき
 私は『週刊新潮』を擁護する気はないが、NHKが名誉を毀損されたというなら、その深刻さにおいて百田尚樹氏の一連の暴言は『週刊新潮』の記事の比ではない。百田氏の暴言を挙げると枚挙にいとまがないが、代表的なものを摘記しておく。

 「日本がアジア諸国を侵略したというのも南京大虐殺も嘘である。」「他の候補者は人間のクズだ。」(23日、東京都内で行った都知事候補・田母神俊雄候補の応援演説で)

 「護憲派の人たちは大ばか者に見える。・・・・侵略されて抵抗しない国と、侵略されたら目いっぱい自衛のために戦う国、どちらがより戦争抑止力があるかというリアリティの問題だ。」(53日、「21世紀の日本と憲法有識者懇談会」が都内で開いた公開憲法フォーラムで)

 「(軍隊を持たない南太平洋の島しょ国、バヌアツ、ナウルは)家に例えると、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」(524日、自民党岐阜県連の定期大会で)

 いずれもNHKの監督機関のメンバーとして、その稚拙な歴史認識、下品な言辞は、いかに職務外の発言と弁明しても、聴き手には通用しない。それぞれの言動に現れた見識と人格の低劣さがNHKの名誉をはなはだしく棄損したことは明白である。
 したがって、NHKは自らの名誉が棄損されたというなら、百田尚樹氏を訴えるのが道理である。また、経営委員会の他のメンバーは経営委員会の名誉と威信をかけて百田氏の言動を厳しく質し、それでも悔い改めないなら、彼に辞職を勧告するのが道理である。

 (追伸)今朝の「朝日新聞」に次のような見出しの記事が掲載された。
 「百田氏、番組へ異議 『強制連行で苦労』キャスター発言に 放送法抵
  触の恐れ」(2014年7月25日、朝日新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140725-00000007-asahi-soci

 
 NHKの名誉というなら『FRIDAY』の指摘をなぜ放置するのか?
 
 NHKが公表した前記の「籾井会長に関する週刊新潮の記事をめぐる訴訟の提起について」によると、NHKは『週刊新潮』に対し、422日付で謝罪と訂正を求めて抗議した、と記されている。問題の記事を掲載した『週刊新潮』は424日号となっているが、発売日は417日だった。したがって、NHKは発売日から5日後に新潮社に対して問題の記事について謝罪と訂正を申し入れたことになる。
 ところで、公共放送NHKの名誉というなら、『FRIDAY725日号に掲載された記事が伝えた内容の方がはるかに重大である。記事によると、73日放送の「クローズアップ現代」(「集団的自衛権 菅官房長官に問う」)の放送終了直後に、待機していた菅氏の秘書官が、国谷キャスターの突っ込んだ質問、再質問に不快感を覚え、「いったいどうなっているんだ」と抗議したという。さらにそれから数時間後に官邸からNHK上層部に「君たちは現場のコントロールもできないのか」と抗議が届いたという。
 これに対し、NHKの上層部は平身低頭、籾井会長は菅氏に詫びを入れ、NHK上層部は番組制作部署に対し、「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」など「犯人捜し」まで行ったと記されている。この番組は私も視聴し、感想を番組専用サイトに送った。このことは本ブログに書いたとおりである。
 もともと、この番組は71日の閣議で集団的自衛権の行使を容認する決定がされた件について、菅義偉官房長官を招き、国谷裕子キャスターと原聖樹・政治部記者が討論を交わすというものだった。国民の過半が異論・疑問を持つ閣議決定を担った官房長官だけを出演させる番組を放送したこと自体、問題だったが、国谷キャスターは閣議で憲法解釈を変えてよいのか、集団的自衛権の行使を認めると他国の戦争に巻き込まれるのではないかという、多くの国民が抱いている疑問を代弁する形で菅氏に質したまでであり、何ら非とするべき点はなかった。

 そうした質問を受けたことに官房長官側が不快感を覚え、クレームを付けたのだとしたら、NHKは官邸の意向通りに放送をするのが当然だと言わんばかりの傲慢な態度であり、NHKの放送の自主・自律を定めた「放送法」や「放送ガイドライン」への無理解を露呈したものである。

 にもかかわらず、籾井会長以下、NHK上層部が官房長官側の不当な干渉にうろたえ、番組制作現場に締め付けをしたのが事実なら、外部からの圧力を排除し、放送の自主・自律を守る活動の先頭に立つべきNHK会長らが、あろうことか、それと正反対の行動――官邸からの圧力を番組制作現場に伝える導管の役割――を演じたことになる。
 放送の自主・自律、とりわけ、時の政権からの独立は公共放送としてのNHKの生命線であるから、『FRIDAY』が指摘したNHK上層部の対応の真偽はうやむやにされてよいはずがない。NHKが自らの名誉を確固として守るというなら、事の真相を主体的に調査し、記事に誤りなりねつ造があるなら、直ちに『FRIDAY』編集部なり出版元の講談社なりに記事の訂正と謝罪を求めるのが道理である。
 逆に、記事で指摘されたことが真実なら、籾井会長ほかNHK上層部は自ら、事実関係を公表し、引責辞任するか、罷免されるのがふさわしい大罪を犯したことになる。

NHK
の静観は何を意味するのか?
 
 ところが、菅官房長官は711日の記者会見で、『FRIDAY』の記事について「事実とまったく違う。ひどい記事だ」と発言したものの、同誌編集部なり出版元の講談社なりに抗議するかどうかは「効果があるかを含めて考えたい」と述べるにとどまった。
 NHKの対応はどうかというと、『FRIDAY』の記事では、「ご指摘のような事実はありません。NHKは放送法の公平・公正、不偏不党などの原則に基づいて放送しております」という広報局のそっけないコメントが掲載されただけである。また、715日の会長会見の際、この件を質した記者に対し、広報局は「官邸から抗議を受けた事実はない」と答えたにとどまる。
 さらに、『東京新聞』719日によると、籾井会長は、「NHKで菅氏を出迎えたことは認めているが、『収録には立ち会っていない。テレビで放送を見ていた。菅さんはお化粧を落として帰っていった』」などと述べたという。
 私自身も何度かNHK視聴者部に問い合わせたが、717日現在、同誌編集部なり出版元の講談社なりに記事の訂正も謝罪を求める抗議も行っていないとの返答だった。その後も、一昨日(723日)までのところ、NHKがこの件で同誌編集部なり出版元の講談社なりに何らかのアクションを起こしたとは伝えられていない。

 
しかし、「そのような事実はない」という広報局の応答では『FRIDAY』の記事への反証力は無に近い。『東京新聞』が伝えた籾井会長の説明は肝心の場面を飛ばした駄弁である。
 また、NHKの会長が収録現場に立ち会うなど、もともと、ありえないことだから、「収録には立ち会っていない」という説明はアリバイ説明としての意味はゼロであり、「語るに落ちる」の感さえある。

 それにしても、問題の『FRIDAY』は724日号であるが、発売日は711日であるから、すでに12日が経過している。『週刊新潮』に対して発売日の5日後に記事の訂正と謝罪の申し入れをしたことと対比すると、記事が伝えた模様を頭から否定するにしては、反応が鈍すぎる。
 NHKとしては、事実を否定して見せるだけで、事の真偽には一切、立らないという「戦術」で押し通すつもりかと思われる。
 しかし、NHKは、その意思さえあれば、指摘された点を反証することは十分に可能である。にもかかわらず、「事実無根」と繰り返すだけで、進んで反証し、新潮社に対して行ったのと同様に、記事の訂正、名誉棄損の謝罪を求めないのはなぜなのか?
 NHKの名誉という点では『週刊新潮』の記事の場合と比べ、『FRIDAY』の記事の真偽の方がはるかに重大である。にもかかわらず、NHKが『FRIDAY』の編集部に対しても出版元の講談社に対しても何らの対応も取らないとなれば、記事で指摘された点を反証する自信のなさを意味するか、指摘された点を真実と認めたかのいずれかである。

「クローズアップ現代」の制作現場も声を上げるべき
 
 もう一つ、言いたいのは、NHKの上層部にとどまらず、「クローズアップ現代」の制作現場のスタッフも事の真偽について語るべきだということである。
 報道によれば、73日の放送の折、キャスターは事前の打ち合わせと異なる質問を繰り返した、それについて官房長官側がクレームを付けたとも伝えられている。一体、どのような事前の打ち合わせがあったのか、番組ではすべて台本通りに進行させないといけないのか、番組終了後、官邸から届いたクレームを受けて、NHK上層部が番組制作部署に対し、「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」など詰問したという事実はなかったのか、あったとしたら、それに対して番組制作スタッフはどのように応答したのか? こうした事実の有無を公にするべきだ。

 そんなことは無理強いだと言われるかもしれない。しかし、韓国の公共放送KBSでは416日に起こった客船「セオル号」沈没事故の報道をめぐって、大統領府から報道内容に圧力があったとして同局の2つの労組は、この圧力を受け入れた吉社長の解任を求め、記者や番組制作スタッフらが29日からストライキを決行した。その際、前報道局長は大統領府からKBS社長に事故報道に干渉する圧力があったと暴露した。KBSの理事会は65日、吉社長の解任決議案を可決、その後、朴大統領もこの決議を承認した。

 
 さる621日、大阪中之島中央公会堂で開かれた集会に発言者の一人として参加した私は第2部のパネル討論の折、壇上にいた元NHKプロデュサー/ディレクターに向かって、こうした内部からの告発が「韓国のKBSではできてNHKではできないのはなぜか」と質した。
 元NHKディレクターからは、日本と韓国での民主化闘争の歴史の違いが主な要因、という応答があった。しかし、このやりとりの前に、「内部から声を上げられないのを環境のせいにしていては、いつまで経ってもNHKの体質は変わらないのではないか」と質していた私としては、納得できる回答ではなかった。

 『FRIDAY』の記事の指摘を全面否定するNHKの上層部に対して制作現場が異議を申し立てるのがいかに困難かは十分、承知している。しかし、記事の指摘が要所において真実なら、「クローズアップ現代」のスタッフは一致結束して官邸からの圧力に媚びるNHK上層部を告発し、真相を国民の前に明らかにすることが強く期待される。
 否、問題は「クローズアップ現代」の制作現場にとどまらない。NHKの様々なドキュメンタリー番組や報道番組の制作現場のスタッフは、今回の問題を我が事として、番組編集の自由と自律を守るために結束し、真相を告発するよう求められている。
 また、『FRIDAY』の記事の指摘がありもしない事実のねつ造なら、それはそれで「クローズアップ現代」のスタッフはNHK上層部に対して、記事の訂正と謝罪を『FRIDAY』編集部と講談社に求めるよう意見を提出すべきだ。
 一遍の否定でこのまま真相を闇に葬るなら、「ETV2001」特集第2夜の番組改ざん問題の二の舞になる。

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「クローズアップ現代」がおかしい

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特定秘密保護法を取り上げなかったNHKの体質
 籾井NHK会長が125日の会長就任会見で、特定秘密保護法の報道のあり方を問われ、「通っちゃったんで、言ってもしようがない」、「あまり、かっかかっかすることはない」と発言して、多くの人を驚かせた。この発言のもとになった質問は、

 「秘密保護法について、NHKスペシャルやクローズアップ現代で取り上げられていない。法律の是非について幅広い意見があり、問題点の追及が必要との指摘もあるが、NHKの伝え方についてどう考えるか」
 
というものだった。つまり、質問者は特定秘密保護法が「通る前」の時期も含め、NHKがこの法律(法案)の問題点を大きな時間枠を持つ主たるドキュメンタリー番組で取り上げなかったことを質したのだから、「通ってしまったものはとやかく言っても仕方がない」という返答では答えになっていない。
 もっとも、法案が審議された時期、籾井氏はNHKの外にいたから、自分にどうだと尋ねられても答えようがないと受け止めるのは無理からぬところである。しかし、法案が「
通った後」はもう報道すべき問題はないと籾井氏が考えているとしたら、特定秘密保護法に関する無知、無理解を露呈したものと言わなければならない。

 籾井氏がNHK会長に就任して以降、政府が行う特定秘密の指定や解除が適切かどうかをチェックするために国会に常設される「情報監視審査会」の権限、実効性を定める改正国会法が成立したのは、この620日。この間の国会審議は籾井氏がNHK会長に就任して以降である。ところが、NHKスペシャルやクローズアップ現代はこの改正国会法についても、取り上げたことは皆無だった。

 しかし、改正国会法で設けられた「情報監視審査会」の権限はどうかというと、法案審議の過程で野党各党が問題にしたように、政府が「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ」があると判断したら、審査会が資料の提出を請求しても拒否できる仕組みになっている。また、特定秘密の提出を政府に求める審査会の権限は「勧告」にとどまり、強制力がない。これでは、政府による特定秘密の指定、解除の適性性をチェックできるのか、きわめて疑問とみなされるのも当然である。このような状況で、政権を監視する役割を担うNHKのトップが「通ってしまったものはとやかく言っても仕方がない」と言い放ったところに重大な問題があったのだ。

優れた番組もあったが
 もちろん、この時期に「クローズアップ現代」が放送した番組の中には、NHKの取材力、企画力を存分に発揮した貴重な番組も少なくなかった。
 例えば、416日に放送された「イラク派遣 10年の真実」
 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3485.html

は、NHKが独自に入手した、迫撃砲を撃ち込まれた時の秘蔵映像、人道復興支援活動の全貌をまとめた内部資料などを駆使して、「多国籍部隊の中に派遣され、多くの自衛官が『最も戦場に近かった』と回想する自衛隊イラク派遣で、隊員たちが直面した活動の実情を浮き彫りにするとともに、今後の自衛隊の任務を考え」た番組だった。NHKの取材力を発揮したイラク派遣の貴重な検証番組といえるものだった。

 また、521日(水)に放送された「戸籍のない子どもたち」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3500.html
は、「毎年、日本では「無戸籍」となる人が少なくとも500人以上いる。学校に一度も通ったことのない人や、無戸籍のまま30年以上生きてきた人もいることがNHKの取材で明らかになった。背景には、DVや離婚の増加がある。夫の暴力から逃げ出し、居場所を知られるのを恐れて離婚もできずに歳月が経ち、新たなパートナーとの間に子供が生まれた場合、法律上は「夫の子」と推定され、「夫の戸籍」に入る。そのため、母親が出生届けを出せず、子どもが無戸籍になってしまうのだ。実の父親の戸籍に入れるには裁判所での手続きが必要だが、前夫が関与することを恐れて、断念する人が多い。法律ができたのは明治時代。DV、離婚、そしてDNA鑑定など、家族を取り巻く環境が大きく変わる今、無戸籍の子どもをどうしたら救えるのか考える」というのが趣旨だった。

 放送後、527日、「朝日新聞」の「はがき通信」欄と「東京新聞」の「反響」欄に2つの投稿が掲載された。

 21日の『クローズアップ現代 戸籍のない子どもたち』(NHK)は、胸痛む話だった。母のDV逃れなどで離婚手続きも出来ず、母の新しい伴侶との間に生まれ、戸籍のないままに育っている子どもたち。自治体で義務教育は配慮されても、進学、免許、就職、あらゆる面で道がふさがれる。『日本は戸籍がしっかりしている』なんて空論。自治体から国会まで、こんなに大勢の議員がいるのに、こんなことに気付いていないなんて。(東京都杉並区、無職、81歳、女性、」(「朝日新聞」527日)

 「旧来の家制度に重点を置いた法律の弊害により、さまざまな事情で、戸籍が得られない子どもが年間六百人もいるとは驚きでした。これは国家による人権侵害では?集団的自衛権の前に国民の生命と幸福を見直し、一日も早く救済されることを願います。(荒川区、65歳、女性)」(「東京新聞」527日)

 
集団的自衛権についても沈黙を守る「クローズアップ現代」
 しかし、この時期、「クローズアップ現代」が沈黙を続けたのは特定秘密保護法だけではなかった。71日のニュース7で、「戦後日本の安全保障政策の大転換」と表現した集団的自衛権の行使を安倍政権が閣議決定で容認しようとした今年の前半(16月期)に「クローズアップ現代」は一度もこの問題を取り上げなかった。このこと自体、異常といってよい。

 その一方で、「なぜこのテーマを今?」と、首をかしげたくなる番組もあった。
 例えば、623日には、「四国遍路1400キロ 増える若者たち」が放送された。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3518.html
 近年、若者が目立って増えているという。中でも、厳しい大自然の中を40日以上かけて歩く歩き遍路を行う若者たち。」「最近では、若手社員に遍路を経験させることで、人材育成につなげようという動きも出てきている。こうした歩き遍路の効果を、科学的に解明しようという動きも始まった。まだ予備調査の段階だが、わずか数日の歩き遍路で、日常生活の中ではなかなか体感出来ない、理想的な心理状態に至ることが判明、今後の本格調査が期待されている。いったい、若者たちを引きつける四国遍路の不思議な力とは何なのか。1200年も人々を惹きつけてきた理由は何か、考える」と言うのが番組の眼目だった。

 「最近増えている」というが、四国遍路に出かける若者がどれほどいるのか、企業の人材育成のために社員に遍路を体験させる心理効果を公共放送が探ることにどれほどの意味があるのか、疑問が募る。

 また、政府が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした翌72日に、「クローズアップ現代」が野球女子私が球場に行く理由」と題する番組を放送したのには唖然とした。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3524.html
 番組予告によると、「サッカーW杯の熱気もさめやらぬ中、20代~30代の女性たちが夢中になっているのがプロ野球の応援。今、野球女子が急増している。番組では、いま急増している野球女子に密着。なぜ、女たちは野球に夢中になるのか、現代女性の姿を描く」となっていた。
 しかし、なぜこの日なのか? なぜ、お昼の時間帯ではいけないのか?・・・・疑問を拭えなかった。

と思っていたら、今夜、菅官房長官の単独出演で

 と訝しがっていた昨夜、NHK ONLINEで「クローズアップ現代」の専用サイトを見ると、「集団的自衛権 菅官房長官に問う」を今夜(73日)放送するという予告が目に飛び込んだ。
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/#3525

 予告文によると、「政府はこれまでの憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定。今後、法整備などが図られれば、自衛隊とアメリカ軍などの連携強化が進み、海外での自衛隊の活動は拡大していくものとみられ、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えました。なぜ今、集団的自衛権の行使容認が必要なのか。行使容認は日本に何をもたらすことになるのか。そして今後の政権運営は。政権の要、菅官房長官へのインタビューで迫ります」とある。聞き手は、NHK政治部の原聖樹記者。

 「時の政権の要である官房長官に閣議決定の趣旨、今後の政権運営の抱負を聞いてなにがおかしい」という意見があるかも知れない。
 しかし、NHKは政府広報の放送局ではない。官房長官に、「なぜ今、集団的自衛権の行使容認が必要なのか」を問えても、「過半の世論の反対があるなか、集団的自衛権の行使を憲法改正を経ず、閣議決定で容認したのは立憲主義に照らして正当化できるのか」と正面から質せるのか、そう質す気概が原記者にあるのか? 多様な意見を反映させるというなら、解釈改憲反対論者、さらには集団的自衛権の行使にそもそも異議を唱える論者をなぜ登場させないのか? 

 また、「行使容認は日本に何をもたらすことになるのか」と言う時、武装による抑止力を高めることによって国民の生命、財産を守る砦は一層強固になるという政府見解を独演させる場にならないか? 「毎日新聞」の「特集ワイド」欄の71日に掲載された、
  特集ワイド: 集団的自衛権の行使容認で「日本が失うもの」
http://mainichi.jp/shimen/news/m20140701dde012010008000c.html
(全文を閲覧するには会員登録(無料)が必要)
が鋭く指摘したような、「集団的自衛権の行使など・・・・で政府が手に入れるのは、まさにそれ、憲法9条の無力化だ。だとすれば、代わりに「日本が失うもの」とは何か」(吉井理記)を問いかけることもぜひ必要だ。
 はたして、こういう「政府が答えにくい」問いかけを原記者が投げかけるのか、じっくり番組を見ることにしたい。

実態を直視した大局観が不可欠
~視聴者は現在のNHKにどう向き合うべきか~

 NHK問題に関心を持つ人々の集まりに出かけ、上のようなスピーチをすると、必ずと言ってよいほど、「NHKの制作現場のスタッフは物がいいにくい環境に置かれている。そうした中でも優れた番組を作ろうと必死に頑張っている人々がいるし、現に優れた番組も放送されている。だから、批判ばかりでなく、激励も大事だ」という意見が必ず出る。特に、NHKの制作現場の実情に多少とも通じた人々からこういう発言があると、共感を呼び、「そうか、それなら自分も激励しよう」という感想が少なくない。

 しかし、最近、私はこうしたやりとりに懐疑的な見方をしている。NHKに、特にドキュメンタリー番組の中に、優れた番組が少なくないことは、上記のとおり、私も承知している。しかし、今、NHKとの向き合い方で問われなければならないのは、「優れた番組」と「政府広報的、国策翼賛的な番組」を両論並列的に語り、批判と激励をバランス論で相対化してよいのかということである

 この問いに対する今現在の私の考え方を一言でいうと、「現実を直視した大局観で」ということになる。NHKの番組が扱うテーマは多岐にわたり、個々のテーマを制作するスタッフはそれぞれ独立しているから、十羽一からげに良し
悪しを論じられないのは当然である。

 しかし、今、NHKの報道番組が向き合うべき死活的テーマは、国の憲法体制の根幹を揺り動かす集団的自衛権の解禁問題であり、わが国の言論の自由に甚大な影響を及ぼす特定秘密保護法の法整備をめぐる動きである。原発問題や安倍政権が新成長戦略を盛り込んだ骨太方針も国民の命と健康、働く権利の根幹を揺り動かすものだから、十分な目配りが必要なことは言うまでもない。

 このような大局的観点に立つと、NHK解説委員が担当する「時論公論」の集団的自衛権をめぐる無気力でおざなりな論説は言うに及ばず、優れた番組を数多く輩出してきた「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」(詳しくは別の場で触れる)も、集団的自衛権や特定秘密保護法を封印している現実を直視することが、総体としてのNHKの報道番組を評価するにあたって欠かせない視点である。それなしに、個々の優れた番組を取り上げ、「激励を送ろう」と呼びかけるのは、視聴者運動のすすむべき方向を誤らせる恐れさえある、と私は感じている。

 報道の実態に照らして激励を、というなら、多くの記者が戦地体験者への聞き取り、かつて国連軍の一員として武力行使に参加した国々の「その後」を追跡取材して、意欲的な記事を出稿した「朝日新聞」、「毎日新聞」、「東京新聞」、そして多くの地方紙の記者にこそ、激励の声を送りたいと私は思う

  しかし、視点を変えると「良薬は口に苦し」である。「のど越しのよい」薬がいいのか、「苦い」薬がいいのかは先験的に決まるわけではない。どちらも道理にかなっていれば、薬に違いない。どちらが適切かは、当事者の「健康状態」できまるのであって、NHK憎しや番組制作者への思い入れといった情緒で判断すべきものではない。のど越しの良い薬は相手に受け入れられやすい。しかし、それが常に効果的だといえるものではない。どのような温かいまなざしも、理性が貫かれなければ主観的意図に反した結果を助長することがある。

 NHKは「被災者に寄り添う」という標語のもと、しばしば、被災者支援の「微笑えましい話題」や行政頼みでないNPOなどが手がける自助、共助の姿にスポットを当てる。その実践は確かに貴重である。しかし、しばしば指摘されるように、「自助」「共助」を強調する、それに焦点を当てることで、「公助」が後景に追いやられがちなことに留意しなければならない。
 批判にせよ、激励にせよ、理性に裏付けられた大局観が欠かせない。この視点をおろそかにすると主観的意図とは異なる誤った方向に視聴者運動が向かってしまう、と危惧している。

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つぶやき日記(6月28日・7月1日) ~創価学会・公明党関係者との対話より~

2014年7月2日
 このところ、自宅で物書きと犬の介護に時間を費やす日々だが、先週金曜日(628日)、創価学会本部へ電話した。応対した男性と思ったより落ち着いた対話になった。  

 「学会員の方ですか?」  
 「いえ、違います。学会員でないと話せませんか?」
 「いえ、そういうことはありません。たくさんの方から意見をいただいています。朝日新聞に出た学会の見解(注:後掲)についてですか?」
 「それだけではありませんが、読みました。公明党は集団的自衛権の行使容認に同意すると伝えられていますが、今でも学会はあの見解に変わりはないのですね?」
 「ここでお答えはしません。ご意見を伺えば、本部に伝えます。」
 以下、持論を伝え、15分ほどで終り。

 【参考】集団的自衛権行使「改憲経るべきだ」 創価学会が見解(「朝日新聞DIGITAL 20145170502分)
 http://digital.asahi.com/articles/ASG5J4407G5JUTFK004.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG5J4407G5JUTFK004 

 創価学会広報部が朝日新聞に回答した集団的自衛権に関する見解は以下の通り。  

 「私どもの集団的自衛権に関する基本的な考え方は、「保持するが行使できない」 という、これまで積み上げられてきた憲法第九条についての政府見解を支持して おります。    したがって、集団的自衛権を限定的にせよ行使するという場合には、その重大性に鑑み、本来の手続きは、一内閣の閣僚だけによる決定ではなく、憲法改正手続きを経るべきであると思っております。
 
  集団的自衛権の問題に関しては、今後、国民を交えた、慎重の上にも慎重を期し た議論によって、歴史の評価に耐えうる賢明な結論を出されることを望みます。」 

 その後、公明党本部に何度も電話したがつながらず。そこで、山口党代表の国会事務所に電話すると女性が応答。曰く、

 「新聞はもう党の対応が決まったかのように書いていますが、まだこれからです。山口がテレビでも言いましたように「解釈改憲」ではなく、「解釈適正化」です。」
 「機雷除去のための掃海活動も『適正化』ですか?」
 「まだ、そこまで決まったわけではありません。」
  ・・・・・・・
 「山口代表に入閣の誘いが来ているのですか?」
 「そんなこと聞いたこと、ありません。仮に入閣しても今の自公協議とは関係ありません。」

   続いて太田昭宏・国交大臣に、閣議決定の時、どうするのか聞こうと国会事務所に何度か電話したが、つながらず。
 その後、公明党千葉本部へ電話。次の「西日本新聞」の記事の真偽を尋ねたところ、「報道したのは西日本新聞だけということからして、信ずるに足りない」という応答。

  【参考】自衛権行使「新3要件」公明が原案 自民案装い、落としどころ   
 
 (西日本新聞 20140620日) 以下、抜粋。http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/96159  

 「実はその原案は、公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に渡した ものだった。解釈改憲に反対する公明党が、事実上、新3要件案の「下書き」を用 意したのだ。 ・・・・
 
  『この紙を見たのは初めてだ』。協議会後に北側氏は明言した。だが、事実は違う。
 
 政府関係者によると、その数日前に公明党執行部がひそかに集合。解釈改憲で対立す  る首相と山口氏の「落としどころ」を探るためだった。連立維持を優先させ、解釈改  憲を受け入れる政治決断の場でもあった。
 山口氏が『憲法解釈の一番のベースになっている』と尊重してきた72年見解を援用  する形で、限定容認と読み取れる原案を内閣法制局に作成させる。北側氏がそれを指示  していた。

 
原案に自公協議の焦点となる「恐れ」があったかどうかは分からない。しかし、自民党関係者は言い切る。『新3要件は自公の『合作』だ」

   
公明党が、こうした水面下のやりとりを認めることはないだろう。しかし、自公協議の議事録が存在するのかどうか、わからない。存在しても公表されることはなさそうだ。  

 週が明けて71日。再度、公明党本部に電話したが、やはりつながらなかった。そこで、公明党千葉県本部へ2度目の電話。

 「もう閣議決定したのですか?」
 「いえ、まだ、聞いていません。」
 「先日、行われた党の地方代表者の会合で、千葉県本部はどのような意見を表明したのですか?」
 「ちっと、待ってください。確かめてきます。」  
 ・・・・・・・
 「三役に一任しました。」
 「三役とは党中央の三役ですか?」
 「そうです。」  
 「千葉県本部として、なぜ意見表明をしなかったのですか?」
 「大事な時に党として結束することが大切だということです。」
 「党の結束は目的ではなく、公明党が党の政策や理念を実現するためでは? 公明党は与党協議の当初、15の事例をひとつずつ、じっくり協議すると言っていました。まだ、どれについても合意がないのに閣議決定に同意するのですか?
 新聞報道(注:「朝日新聞」618日)では公明党の幹部は『15の事例は小道具。一つ一つの事例について吟味し出したら自民党との違いが出てしまう』と語ったと書かれていますが、そういうことだったのですか?」
 「新聞がそう書いているだけです。」
 「山口代表は『公明党は<下駄の雪>ではなく<下駄の鼻緒>だ、鼻緒が切れたら歩けなくなる、と話されたそうですが、今回、閣議決定に同意したら、鼻緒は切れますか?』 
 「これからを見ていてください。」
 「『これまで』と離れて、『これから』はないのでは?」

 「朝日新聞」、「毎日新聞」などは公明党内の意見の動向を取材し、何度か、大きく報道した。そのうち、「東京新聞」627日の記事の中で紹介された意見が印象に残っている。
 後になって『苦渋の選択だった』という言い訳は聞かされたくない。」

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