互いの老いを見つめ合ったウメとの別れ
2014年7月29日
最期は痛ましい姿だったが
7月18日、深夜の1時40分過ぎにウメが息を引きとった。
前日の夜10時ごろから、いつもと違う吠え方が続くので気になり、連れ合いがあやしたり、スポイトで水分を飲ませようとしたりしたが受け付けず、日付が替わる頃、突然、嘔吐し始めた。
最初は、これまでにも時々あった食物を戻す症状かなと思ったが、やがてドバっと、どす黒いものを吐いたことから、吐血とわかった。
驚いて、深夜だったが、かかりつけの動物病院に電話、運よく居合わせた医師によると肺か胃からの出血ではないかとのこと。しかし、動かすこともできないので、吠え疲れて寝入るのを見守るしか、なかった。
それから約1時間後、静まり返ったかと思った矢先、横たわったままの姿勢で突然、どっと吐血して、間もなく息を引き取った。呼吸が止まってからも、しばらく口から血があふれ、顔に当てたタオルを何度も取り替える有様だった。
夫婦立ち合いで火葬
思いもよらない急変に茫然としたが、ウメを寝かせた布団をエアコンの近くへ移動し、夜が明けるまで私たちもうたた寝。
7時過ぎ、携帯メールで娘に連絡。その後、電話帳で近くの何か所かの霊園に電話したところ、わが家から近い「ペット霊園」とつながった。その主によると、この暑さなので、なるべく早く、出来れば今日のうちにも、火葬にした方がよいとのこと。
ただ、この日は2限が某大学での非常勤の講義の日。その後、NHKへ出向いて4つの団体の共同で申し入れ書を提出するとともに、私が関わっている「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」単独で3つの文書をNHKに提出することになっていた。
これらの用務は外せないので、連れ合いと相談の結果、この日の午後3時半ごろに、霊園から車で迎えに来てもらい、連れ合いが同乗して霊園に出向き、私はNHKでの用件を中座して最寄りの駅まで戻り、そこから車で霊園に直行、4時半ごろから火葬をしてもらうことにした。
予定より少し早く霊園に着くと、火葬の準備は整っていた。一足先に着いていた連れ合いと一緒にウメと最後の対面、焼香をしてウメは火葬場へと向かった。
火葬の間、控室で待機。その間2度、霊園の主が現われ、火葬の仕方を説明してくれた。話によると、この霊園では、1体ごとに骨の状況を確かめながら、なるべくお骨がきれいに残るよう、火葬の仕方を工夫しているとか。
これまで人間の火葬に何度か立ち会ったが、そういう話を聞くのは初めてだった。そういえば、人間の火葬は1時間前後で終わるのが通例だが、ウメの場合、4時40分ごろから始まった火葬が終わったのは6時半ごろだった。
まだ、様子がよくわからないまま、霊園主の案内でお骨になったウメのそばに近づくと、尾骶骨、歯、足、頭と小骨がきれいに整とんされていた。人間でもこのような形でお骨を壺に収めるのを見たことはなかった。
仏壇で再会した姉妹犬
霊園主に車で送ってもらって帰宅したのは7時だった。急いで仏壇を整理し、7年前にお骨で帰ってきた姉犬・チビの骨壺と並べて、焼香。好物だった牛乳のお湯割りを供えた。
引っ越しをした隣家に居たウメを引き取った時、わが家には姉犬がいた。ウメが来てしばらくは、ちょっとしたきっかけで3度、双方が血を流す喧嘩をした。一度は止めようとした連れ合いにも歯が当たって血が出る騒ぎになった。特に、姉犬は自分が先住民と言わんばかりの態度で、容易にウメを受け入れようとしなかった。
そのせいか、わが家に来てしばらくの間、ウメは家人が外から戻るのを見届けるや、玄関先にあった靴やサンダルをさっと咥え、これ見よがしにそれを差し出す仕草で近寄ってくるのが日課だった。あの愛らしい光景はウメと過ごした16年間で一番の思い出である。
大ゲンカをした姉妹犬だったが、数年経つと写真のように、二匹並んで、しゃがんで前足を伸ばし、台所で挽きたてのコーヒー入りの牛乳を作る家人の姿を見つめるようになった。
ウメの老いを見つめて
7年前、姉犬がなくなってからも特に変わった様子はなかったが、2011年3月11日の大震災の体験がウメの生活の大きな転機になった。
あの日、夫婦そろって都内の催しものを見に出かけ、電車の中で地震に遭遇した。結局、その日は帰宅難民となり、やっとつながった公衆電話で近所の知人にウメの散歩と食事を頼んで、その日は都内泊。
翌日、昼前に帰宅すると建物に被害はなかったが、家中、書棚などが倒れ、片づけに追われた。
あの日、ウメは結局、家人不在の家の外で一夜を過ごしたことになる。わが家に来て初めての体験だった。そのせいか、それ以降、昼間は玄関の外で過ごしたが、夕方の散歩を終え、食事を済ませるや、居間に向かって猛突進。さっと自分の定位置となったマットに座るとしばし、そこに陣取るかのように座ったままだった。
こうして、次第に室内犬になっていくにつれ、散歩の時も遠出を嫌がり、行動範囲が狭くなっていった。また、それからしばらくして、認知症と思える症状が現われ、声を出さなくなるとともに、家の中をよろめきながら徘徊するようになった。といっても、夜鳴きなどは全くなく、うたた寝から目を覚ました時、近くに人の気配がないのを知って鳴いて呼ぶことはよくあったが、穏やかな毎日を過ごしているように思えた。
しかし、次第に足が弱り、最後の2年間は歩行や用便も自力ではできなくなって、要介護の状態になった。
そして、年明けまもないころから、連れ合いと交代で添い寝をするようになった。起き上がろうとして、足をばたつかせるのを放っておくと、息苦しくなって消耗してしまうし、何とか立ち上がってもすぐによろめいて壁などに顔や頭をぶつける心配があったからだ。
それでも夜中、目を覚まして覗き込むと、いつの間にか、こちらのそばに寄り添い、鼻が顔に触れていたこともあった。
通学途中の近所の子どもから、よく、「ソックスを履いているみたい」と言われた。他人に吠えかかるでもなく、頭をなでられると前足を挙げて抱きついたウメの穏やかで愛らしい姿は、これからも私の思い出の宝物として生き続けることと思う。
ウメ、また天国で会いたいね。
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コメント
ミヤコ様
コメントありがとうございました。
人間も犬と同じ動物・・・・そのとおりと思いました。
今は、記事に挿入した最後の写真を携帯電話の待受画面にして見つめ合っています。
投稿: 醍醐 | 2014年8月 8日 (金) 02時57分
私も犬と、猫をおくりましたので、読んでいて涙出ました。心の通った視線を写真から感じましたので本当に家族として幸せだったのだなと思って、それで涙が出たのだと思います。
動物は素晴らしい存在です。人間も動物ですもん、...人の社会の中で幸せに暮らす動物を見ると私も幸せな気持ちになります。
投稿: ミヤコ | 2014年8月 7日 (木) 17時26分
AS様
「泣く」という表記、「涙を伴う動作」という本来の意味からすれば、確かに誤用と思い、「鳴く」に改めました。ただし、冒頭のパラグラフでは「鳴く」とすると、その時の状況にそぐわないため、「吠える」と改めました。
投稿: 醍醐 聰 | 2014年7月31日 (木) 13時11分
高樹様
私も「ペット」、「飼い犬」、「飼い主」という言葉を好みません。「ペット霊園」は実名なので、そのままにしましたが、コメントをいただいて、「飼い主」を「家人」と改めました。
投稿: 醍醐 聰 | 2014年7月31日 (木) 13時07分
表記に一言。
「泣く」(cry)は人間のみに使用する表現です。
この場合は動物ですから「鳴く」(roar)になります。
イヌは涙を流して泣かないと思うんですが。
投稿: AS | 2014年7月30日 (水) 20時54分
わたしは、愛猫と日々を過ごさせてもらっていま。
個人的には「ペット」という言い方は嫌いなのですが、「ペットロス」という言葉がある通り、動物の家族を失うのは、とても辛いことのようです。
愛犬/愛猫・・・との死別を、自分が迎えるのも辛いですが、
しかし、愛猫/愛犬が、
飼い主との死別で、居所を失うのを想像すると、
もっと胸が苦しくなります。
“この驚くべき生きものが、皆に愛されるのは何故か――ひとつには、私たちの在るべき姿を、彼らがはっきりと示してくれているから。
犬の眼に映る世界は、人間の目で見る世界よりも、ずっと素晴らしく、つねに愛と思いやりに満ちていて、寛容そのもの。犬を愛すれば、私たちも、そうした世界に生きることができる”
レスリー・ビーン「Blessings」
投稿: 高樹孝宗 | 2014年7月29日 (火) 19時26分