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元NHK職員・多菊和郎さんの受信料支払い停止行動(1)~制度の深い洞察と気骨ある行動に敬服して~

201499
 
 ある機縁で、元NHK職員の多菊和郎さんのことを知った。多菊さんはNHKに在職中、国際放送局国際企画部、NHK放送文化研究所のメディア経営研究部長などを歴任され、2005年に江戸川大学のマス・コミュニケーション学科に教授として着任された。ネットで調べると、今年の319日に多菊さんが開設されたHPが見つかった。そこには4つの文書が掲載されていた。

 「多菊和郎のホームページ」トップページ)
 
http://home.a01.itscom.net/tagiku/
1.
 籾井勝人NHK会長あて「会長職の辞任を求める書簡」(20143
  3日) 
2.
 浜田健一郎NHK経営委員長あて「NHK会長の罷免を求める書簡」
  (201433日) 
3.
 受信料支払い停止の経緯に関する報告資料(2014428日) 
4.
 参考資料(論文)「放送受信料制度の始まり―ー『特殊の便法』をめ
  ぐって」(『情報と社会』江戸川大学紀要、20093月)


 どれを読んでも深く共鳴した。多菊さんご本人から、このブログで紹介することについて了承を得たので、4つの文書を適宜、原文引用しながら、記事を書くことにした。

玄関のすぐそこに裏口があるような人物はNHK会長に不適
 
 籾井勝人NHK会長および浜田健一郎NHK経営委員長に宛てた多菊さんの「会長職の辞任・罷免を求める書簡」を読んで私が注目したのは次の一節である。
 「籾井氏が会長就任時の記者会見で『私見』を述べたことが悪かったとは私は思いません。この場(会長就任会見の場)で籾井氏が述べた『私見』によって、籾井氏がNHKの会長にふさわしい人ではないことが露呈し、経営委員会の人選の失敗が明らかになったからです。
 建物の玄関を開けるとすぐそこに裏口があるような奥行きの狭い思考をする人は報道機関・ジャーナリズムの仕事に向いていません。その玄関と裏口の間に『政治権力』という1枚のフィルターが立ててあるような考えかたの人はなおさらです。」

気骨ある受信料支払い停止行動、それを支えた受信料制度の深い洞察
 
 3つ目の「受信料支払い停止の経緯に関する報告資料」を読むと、銀行口座引き落とし解約届の「お客様控え」を添え、昨年10月に1年分、先払いした受信料のうち、未経過分の返還請求までするという、気骨のみなぎった受信料支払い停止行動であることが窺える。
 NHKに批判的な人々の間には、受信料の支払いを停止(凍結)している人が少なくないが、それを公言する人は少ない。そのような人たちと会話をしていると、受信料の支払いを停止していることに「後ろめたさ」を感じている様子が窺える。こうした人々と多菊さんの言動の違いはどこからくるのだろうか? 
 4つ目に<参考資料>として転載された多菊さんの論文「放送受信料制度の始まり」(『情報と社会』江戸川大学紀要、20093月)には、この違いの由来を知る手がかりがちりばめられているように思えた。

 本稿は、日本でラジオ放送が開始された1925(大正14)年以前まで遡り、日本放送協会が歴史的に民間放送という形態をとらず、あるいは、財源の面で、国庫を経由せず、視聴者が受信料を直接、日本放送協会に納付するという仕組みが出来上がった歴史的沿革を、『日本無線史』(1951年、電波監理委員会編)や『日本放送史』(1951年、日本放送協会編)、『日本放送史』(1965年、日本放送協会放送史編集室編)などを紐解きながら、克明に検証したものである。
 ここでその中身を詳しく紹介するゆとりはないが、私が注目したのは多菊さんが受信料制度の要素として、①法規、②解釈(論理)、③負担者心理、の3つを挙げ、「受信料を負担すべき人々が、公共放送としてのNHKの必要性とその費用負担の合理性を観念的に認めることと、実際に受信料を支払うこととの間には懸隔がある。そこには『法規』や『論理』が求めるものを現実の行動に結びつける『心理』の要素が大きく介在する」と記し、受信料を徴収する側の「建前」だけでなく、受信料を支払う側の「心理」を重視している点である(205ページ)。
 これを敷衍して、多菊さんは、受信料の性格を、NHKを維持運営するための「特殊の負担金」と表現しても、視聴者に受信料支払いの必要性を説得する力は乏しく、「見もしないチャンネルにお金を払いたくない」、「お隣が支払っていないのになぜ」という気持ちを切り替えさせるのは容易でない、という。この点を評して多菊さんは、日本放送協会の受信料制度は「それ自身では受信料徴収の正統性の主張を完結できないという『脆弱性』をはらんでいる」(205ページ)と記している。

受信料の支払いを内面から促す社会慣習の力
 
 にもかかわらず、元NHK副会長・永井多恵子さんをして、「現況の受信料支払率は7割で、この数字を向上させることに全力をあげなければならないが、『罰則なしで、この数字はすごい』というのが率直な感想だ」(「朝日新聞」2006918)と言わしめるほど、NHKが堅調な受信料徴収実績を挙げてきたのはなぜだろうか?
 これについて、多菊さんは戦中から戦後にかけて逓信行政の現場に在り、戦後は日本放送協会の幹部に転じて放送法の制定に関わった荘宏氏の著書『放送制度論のために』(1953年)の中の次の一節を紹介している。
 
 「このようにして協会は国の保護と協力の下に発展してきた。両者の関係が極めて緊密であったので、世の中には放送局(中略)を一つの役所と思う人もあったくらいである。さらに当時は協会以外には放送事業体がなかった。このような状態で四分の一世紀が経過した。その間に日本人の間には、放送を受信するには受信料を納めることを要するものという社会常識、社会慣習が成立した。民族がつくり上げた貴重な歴史的所産の一つといえる。」(原書、253ページ。下線は多菊氏の付加。)

 確かに、私の体験に照らしても、こうした「社会常識」、「社会慣習」が国民の間に広く浸透していることが受信料の支払いを内面から促す心理として視聴者に大きな作用を及ぼしていると思える。これまで、NHK問題をテーマにした各地の集会に参加し、それぞれの地で参加者や主催者の人々と話をした折、ごく一部とはいえ、そうした人々の中でも、凍結運動に強硬に反対する人と出会った。それらの人たちとやりとりをして感じたのは、受信料凍結(保留)と不払いがいわば先入観として同列視されていること、テレビを見ている以上、受信料を払うのは国民の義務だという観念が根強いということだった。まさに荘宏氏がいう、受信料の支払いを社会慣習として受け入れる国民意識そのものである。

 しかも問題は、そうした意識が受信料支払い停止(凍結)に強硬に反対する人たちだけにあるのではなく、現在のNHKの報道番組の国策放送化に抗議するため、あるいは「政府が右と言えばNHKは左とは言わない」と公言して憚らないような人物が会長に居座るかぎり、受信料を支払わない、支払う気になれない、支払うのを止めたという人の中でさえ、自分のそうした思いを公言したり行動に移すのをためらったりする人が少なくない。その根底には、自分の行動が日本社会に行き渡った上記のような「社会常識」になじまないことを気にし、「粛々と」受信料を支払っている周りの人たちから冷ややかな目でみられないかという「後ろめたさ」にとりつかれた心理が働いているように見える。それだけに、受信料の支払い義務をNHKと視聴者の契約関係でとらえるのではなく、「社会常識」として多くの国民に受容させる「社会慣習」の「事実上の規範力」を実感させられる。
(次の記事に続く)

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