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死刑存廃の世論調査はどう設計されるべきか

2015131

今回は主体的解釈にもとづく報道も見られた
 前回(20123月)の死刑存廃の世論調査に関するメディアの報道は、内閣府が発表した主質問に対する結果をそのまま受け止め、「85.6%が死刑容認」をメインの見出しにした横並び報道だった。
 それに対し、今回は新たに「終身刑(仮釈放のない無期懲役刑)を導入した場合の死刑制度の存廃」が質問事項(注)に追加されたこともあって、メディアの報道にはバラツキが生まれた。
 (注)この質問に対する回答結果は次のとおりだった。
    死刑を廃止する方がよい (37.7%)
    死刑を廃止した方がよい (51.5%)
    わからない・一概にいえない (10.8%)

 「読売新聞」、「朝日新聞」、「毎日新聞」はそれぞれ「死刑『容認』、高水準を維持」、「死刑制度を容認80%」、「死刑制度 容認8割」という見出しを付け、主質問に対する回答結果に重きを置いた記事を掲載した(いずれも125日朝刊)。
 これに対して、NHK124日のニュースで「『終身刑導入でも死刑存続』は半数」という見出し(字幕)を付けて、「現状での死刑制度の存続は80%の人が容認する一方、仮に終身刑を導入した場合でも死刑は存続した方がよいと考える人は51%にとどまりました」と伝えた。「東京新聞」(125日朝刊)も、「死刑容認 微減80%」という小見出しを添えた上で、「終身刑導入なら『存続』は51%」という文言を主たる見出しにした記事を掲載した。
 ただし、「朝日新聞」は記事の最後の部分で終身刑を導入した場合は、「死刑容認の割合が大きく減る一方で、半数以上は「終身刑は死刑の代わりにならない」と答え、意見が割れた状況も伝えた。「毎日新聞」も「終身刑を導入した場合の死刑容認派は半数程度にまで減るとの結果も今回初めて出た」というコメントも付け加えた。

 死刑を廃止したイギリス、ドイツ、フランスで死刑廃止後の最高刑として、各国それぞれに適用緩和の条件を付けて、終身刑を採用している事実を参照すると、終身刑を導入した上での死刑廃止に関する賛否を問う意味は十分あると思われる。
 しかし、「死刑の存続か」、「最高刑として終身刑の導入による死刑の廃止か」という枠組みに収斂させて死刑存廃の世論調査なり国民的議論なりを進めるのはなお早計と思える。
 その前に、死刑存廃(特に廃止)の時間軸を明確にした世論の趨勢を見極めることが重要と思える。

死刑制度の存廃を問題にする時間軸
 政府が行った死刑存廃の世論調査の結果に関し、「当面は存続、将来、状況が変われば廃止してもよい」という回答を政府解釈のように「死刑存続」に含めるべきか、「死刑廃止」に含めるべきかの判断を難しくするのは、一連の質問の設計の仕方に問題があるためと思われる。
 というのも、冒頭の主質問で死刑の存廃に関する回答を求めた後で、「即時廃止か」、「漸進的廃止か」、あるいは「将来も存続か」、「状況が変われば、将来的には廃止してもよいか」を選ぶ質問が設けられたところからすると、「死刑制度の存廃」を問う主質問は暗黙裡に将来はともかく、「当面は存続か」、「ただちに廃止か」を問う趣旨だったと解される。そのうえで、「当面は存続」と答えた人に「将来的にはどうか」、「状況が変化した場合はどうか」を問う質問形式と受け取れるのである。
 質問の趣旨がそうなら、その趣旨が調査対象者に明瞭に伝わるよう、質問の文言を工夫する必要がある。また、質問の形式がこのように段階的なものだとしたら、「当面の存廃」を問うた主質問への回答結果が、その後のサブ・クエションと切り離して、一人歩きすることがないような広報や報道のあり方が求められる。 
 なぜなら、死刑制度について日頃から特定の強い主義・信念を持ち合わせている人は別として、死刑制度に疑問を感じている国民の間でも、「即時廃止に賛成か」と問われるとためらいを感じ、十分な国民的議論を経て(段階的に)廃止といった意見を選好する国民も少なくないと予想されるからである。

 実際、法務省が「死刑制度に関する世論調査についての検討会」第1回会議(2014828日開催)に提出した「死刑廃止国における死刑廃止に至る経緯等について」という標題の資料によると、イギリス、フランスにおける死刑廃止までの経緯は次のとおりである。

イギリス
 1957年以前 謀殺罪には死刑を絶対刑として適用
 1957年 犯情の重い謀殺犯、以前に別の謀殺で有罪判決を受けた者には死
      刑を適用し、これらに該当しない謀殺には終身刑を適用するとの
      法律を施行
 1965年 5年間の死刑停止を定めた法律が成立
 1969年 1965年制定の死刑停止法を恒久的なものとする動議が可決さ
                れ、謀殺罪が全廃される。
 1998年 反逆罪、暴力を用いた海賊行為罪の死刑および軍法犯罪の死刑廃
      止(死刑全廃)

 つまり、死刑制度をめぐる議論が立法府で議論され始めた1957年から起算すると死刑全廃まで41年を要し、その間、謀殺罪など犯罪の類型ごとに死刑の適用が段階的に停止・廃止されてきたのである。
 また、イギリスでは、その間、下院議会ではたびたび(直近では1994年死刑復活の是非を問う投票が行われたが、いずれも復活反対票が賛成票を上回った。
 死刑廃止後の最高刑は無期刑とされ、裁判所は無期刑を言い渡す場合、犯罪が極めて重大な場合は最低拘禁期間を「終身」とする(終身刑)ことも可能とされている。

フランス
 1970年代に相次いで発生した凶悪殺傷事件およびその被告に対する判決な
      どが国民の間にも死刑の存廃をめぐる議論を喚起
 1977年 この年に死刑が執行されたのをきっかけにバダンテール弁護士を
      中心とする死刑廃止派が死刑の廃止に向けた運動を強力に展開、
      数回にわたって死刑廃止法案が提出されたが、いずれも可決に至
      らなかった。
 1981年 死刑の存廃が争点の一つになった大統領選挙で死刑廃止法 案の
                提出を公約に掲げたミッテラン候補(社会党)が勝利 
 同年6月 司法大臣に就任したバダンテールは死刑廃止法案を国民議会に提
      出、可決・成立し、同年1010日から施行
 
その後、2007年までに死刑復活を規定した法律案が約30回国会に提出され
 たが、いずれも否決または採決見送り。
 2007年 死刑禁止規定を創設した憲法改正。これにより死刑復活の議論終
      結 

 
このようにイギリスでは死刑存廃の議論が始まってから死刑廃止に至るまで41年を要した。フランスでも死刑存廃の議論が起こってから死刑廃止が確定するまで37年が経過した。
 わが国でも、かりに死刑廃止の是非に関する議論を起こすとしても、立法的結論に至るまでには死刑をめぐるそもそも論や効用(犯罪抑止力)などについて、国民的な議論、国会での審議、専門家の間での国際的な刑法制度の比較研究などに長い年月を要することは間違いない。

死刑の存廃に関する世論調査の設計私案
 であれば、今の時点での死刑の存廃に関する世論調査は、死刑制度存廃をめぐる論議の長期的な展望に立って、次のように設計されるべきではないか。

 主質問 1 死刑の存廃をめぐる今後の議論の進め方について
   A. 死刑存続を基本にして議論を進めていくのがよい
   B. 死刑廃止を基本にして議論を進めていくのがよい
 
      C. わからない、一概に言えない。
 
主質問 2 死刑の存廃が定まるまでの間の制度の運用・見直しについて
   D. 現在の死刑制度に則り、対処していく
   E. 存廃の議論が定まるまで、死刑を停止する
   F. わからない、一概に言えない
 サブ質問1 (A, Bどちらを選んだかを問わず、すべての対象者に)
  今後、死刑の犯罪抑止力に関する評価が変わるなど、死刑をめぐる状況
      が変わった場合
   D. 議論の基本的方向性を見直す
   E. 議論の基本的方向性を見直す必要はない
     F. わからない、一概に言えない
 サブ質問2 (Aを選んだ回答者に対して) 
 
終身刑を導入した場合の死刑制度の存廃について
   G. 死刑を存続させる
   H. 死刑を廃止する
   I.  わからない、一概に言えない

 上川法務大臣は、さる127日の記者会見で内閣府が実施した死刑制度に関する今回の世論調査の結果について、死刑について「肯定的な結果が示された」、「慎重かつ厳正に対処していく」と述べつつ、死刑制度を維持し、刑を執行していく考えを示した(「朝日新聞」2015128日)
 現職の法務大臣として現行制度に則って死刑を施行していくのは当然と言えば当然であるが、刑の執行については大臣の判断が介在してきたことは周知のところである。そして、その判断にあたって、死刑をめぐる国内世論(冤罪の確定、それが死刑制度や死刑執行に及ぼす世論の動向なども含む)や死刑制度をめぐる国際的な議論の動向が斟酌されるのも当然だろう。
 その意味で、内閣府が行う(質問形式は法務省が作成)世論調査の回答結果は慎重に解釈される必要があると同時に、質問形式の適否にまで及ぶ十分な検討が必要である。


 

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今回もおかしい死刑存廃の世論調査

2015131

前回の調査(質問形式)について感じた疑問
 昨日、内閣府大臣官房政府広報室は「基本法制度に関する世論調査」の一環として昨年11月に行った「死刑制度に対する意識調査」の結果の概要を公表した。
 「基本法制度に関する世論調査 2. 死刑制度に対する意識」
 
「調査結果の概要」(2015126日 内閣府大臣官房政府広報室)
   http://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-houseido/2-2.html

 これに先立ち、NHK124日夜のニュースで、新聞各紙は125日の朝刊で、「死刑制度を容認80%」(朝日新聞)、「死刑『容認』80%、高水準を維持」などの見出しで調査結果の要旨を伝えた。

 こうした死刑制度の存廃に関する政府の世論調査は1956年以降これまでに9回実施されているが、私がこれに関心を持ったのは、2012329日、3人の死刑囚に対する死刑が執行されたことを伝えた同夜のニュース番組で2009年に内閣府が行った死刑制度の存廃に関する世論調査の概要が紹介されたのを視たのがきっかけだった。
 その折、私は、NHKのニュース番組の画面に、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」が5.7%だったのに対して、「死刑を容認する国民は約85%」という字幕が出、そのすぐ後で、この約85%という数字は「場合によっては死刑もやむを得ない」という問いに対する肯定の回答だったことを示す字幕が出たのを視て驚いた。「場合によっては」という条件がついた死刑肯定を「死刑容認」と括ってしまってよいのか、「場合によっては」という条件を、なぜ「死刑存続」の方にだけ付けて、死刑廃止の方には付けないのか(「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢を設けるなら、それと対称的に、「場合によっては死刑を廃止してもよい」という選択肢を設けるべきではないか)という疑問がよぎったからである。

 そこで、改めて内閣府政府広報室が公表したこの世論調査の結果の概要を見ると、「場合によっては死刑もやむを得ない」に肯定の回答をした人に対して次のような追加質問がされ、その回答結果が掲記さていることが分かった。

  d. 将来も死刑を廃止しない。(60.8%)
  e. 状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい。(34.2%)
  f. わからない。(5%

 となると、世論調査の結果は次のように集約するのが的確ではないか、というのが私の感想だった。

  *将来とも死刑を存続させせるべきである。(52.6%)
   (注)0.856×0.6080.526
  *現在はやむを得ないが、将来、状況が変われば廃止してもよい。
         (29.3%)
   (注)0.856×0.342=0.293

  *どんな場合でも廃止すべきである。(5.7%)    
  *わからない、一概にいえない。(8.7%)
   (注)10.8560.0570.087

 このような資料分析とそれをもとに、その日のうちにこのブログに論評記事をアップした。
 「死刑制度に関する内閣府の誤導的世論調査、それを受け売りしたメディ
   ア
の報道」(2012330日)
 
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-34ef.html

 また、翌41日にはNHKニュース番組制作担当へ次のような意見を送った。
 「死刑支持は85.6%ではなく、52.6%と伝えるべき~NHKに意見を提出
     ~」
201241日)
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/856526nhk-88b7.html
 

 このような経緯があったので、今回の世論調査について正式の公表前に報道された「死刑容認80%」という調査結果の詳細ならびに質問形式の変化の有無に強い関心を持った。

今回の質問正式と回答結果は
 今回の質問正式と回答結果の詳細は前記の内閣府政府広報室の発表記事で示されている。その要点を再掲すると次のとおりである。(アルファベットは醍醐が追加)

 1. 死刑制度の存廃(該当者総数1,826人) 
   a. 死刑は廃止すべきである(9.7%)
   b. 死刑もやむを得ない(80.3%)
   c. わからない・一概に言えない(9.9%)
 2. 即時死刑廃止か、いずれ死刑廃止か
  (1で「死刑は廃止すべきである」と答えた者に)
   d. すぐに、全面的に廃止する(43.3%)
   e. だんだん死刑を減らしていき、いずれ全面的に廃止する(54.5%)
   f. わからない(2.2%)
 3. 将来も死刑存置か
  (1で死刑制度について「死刑もやむを得ない」と答えた者に)
   j. 将来も死刑を廃止しない(57.5%)
   k. 状況が変われば、将来的には死刑を廃止してもよい(40.5%)
   l . わからない(2.0%)
 4. 終身刑を導入した場合の私刑制度の存廃
  (注:すべての調査対象者に対して)
   m. 死刑を廃止する方がよい(37.7%)
   n . 死刑を廃止しない方がよい(51.5%)
   o . わからない・一概に言えない(10.8%)

誘導的な文言は消えたかに見えるが
 ここから、「死刑容認80%」という報道の見出しは質問1に対してbを選択した人が80.3%だったことを捉えたものだったことがわかる。ただし、前回2009(平成21)年の調査と比べ、「死刑容認」が5.3ポイント減少し、「死刑廃止」が4ポイント増えている。
 ここで注意したいのは、質問1(しばしば「主質問」と呼ばれる)の死刑容認の選択肢から「場合によっては」という文言が削除されていることである。これは日弁連の意見書や国会での質疑で、死刑廃止の選択肢には「どんな場合でも」という強い意思を想定した文言が付けられていたのに対し、死刑容認の選択肢には「場合によっては」という緩やかな意思を想定した文言が付けられ、死刑容認への回答を誘導しがちな形式になっているとの指摘を受けた見直しと言われている。
(注)日本弁護士連合会が20131122日に発表した「死刑制度に関する
 
   政府の世論調査に対する意見書」の全文は次のとおり。
         http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2013/opi nion_131122_4.pdf
  
 こうした見直しによって、「死刑容認」と「死刑廃止」の選択肢の表現の非対称性が幾分緩和されたことは確かだ。しかし、対称的な質問形式というなら、冒頭の質問を「死刑は廃止すべきである」、「死刑は存続させるべきである」とするのがすっきりした文言であり、「死刑廃止」の選択肢の方は「べきである」という強い意思を想定し、「死刑存続」の選択肢の方は 「やむを得ない」という柔軟な意思を想定させる文言を使ったのは見直しの不徹底を物語っている。とりわけ、婉曲で温和な意思や考えに支持が集まりやすい日本人の気質を前提にすると、質問1の文言にはなお見直しの余地があると考えられる。

条件次第で「死刑廃止」に転じる意見も「死刑容認」と括ってよいのか
 しかし、今回の世論調査にはもっと大きな問題がある。「死刑もやむを得ない」という選択肢を設けることによって、条件次第で「死刑廃止」に転じる意見まで「死刑容認」と括ってよいのかというのがそれである。 
 今回の世論調査でも質問1(主質問)に続くサブ・クエッションの一つとして、「死刑は廃止すべきである」と答えた人に対して、「即時死刑廃止か、いずれ廃止か」という質問が設けたれた。回答結果は先に再掲したように、即時廃止か漸進的かで意見が分かれているが、「死刑廃止」の考えはこのサブ・クエッションへの回答でも揺らいでいない。では、「死刑存続」の方はどうか?
 サブ・クエッションとして設けられた「将来も死刑存置か」という問いには、「死刑存続」論者のうちの40.5%が「状況が変われば、将来的には死刑を廃止してもよい」を選び、「将来も死刑を廃止しない」を選んだ人は57.5%にとどまっている。

集計結果の組み替え~世論をより的確に表すために~
 とすれば、死刑制度の存廃をめぐる世論は次のようにまとめるのが実態にもっとも忠実な集計になると考えられる。

  ①将来とも死刑を存続させる(46.2%)
    (注)0.803×0.5750.462 
  ②当面は存続、将来、状況が変われば廃止してもよい(32.5%)
 
  (注)0.803×0.4050.325
  ③当面は存続、その先どうすべきかはわからない(1.6%)
 
  (注)0.803×0.0200.016
  ④だんだん死刑を減らしていき、いずれ全面的に廃止する(5.3%)
    (注)0.097×0.5450.053
  ⑤すぐに全面的に廃止する(4.2%)
 
  (注)0.097×0.4330.042 
  ⑥廃止すべきだが、すぐにか、段階的にか、はわからない(0.2%) 
 
  (注)0.097×0.0220.002 
  ⑦(存廃の是非は)わからない・一概に言えない(9.9%)

 ここで、死刑の存廃に関する世論を二者択一的に分類しようとすると、②③の扱い方が問題になる。これらを存続に加えれば、死刑制度を支持する回答は一部の新聞報道の見出しに付けられたように80.3%となり、圧倒的国民が死刑の存続を支持しているという解釈になる。
 他方、③はともかく②を「死刑廃止を支持する回答」とみなすと、死刑存続は46.2%、死刑廃止は42.2%(=32.55.34.20.2)となり、存廃の意見分布は接近する。

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平均値で隠された賃上げ格差の実態~安倍首相の自画自賛を検証する (その4)~

 20151月13日

 1つ前の記事では安倍首相が使う「過去15年間で最高の賃上げ率2.07%」という数字は全雇用者の5%程度をカバーするに過ぎない連合傘下の大企業の賃上げ率を指すことを指摘した。この記事では平均値で示された賃上げ率によって隠された格差の実態をもう少し掘り下げて確かめることにしたい。

従業員1,000人以下の企業の約4割は賃上げ率1.4%以下
 
1は従業員規模を4つの階級に分け、階級ごとに賃金改定率の分布を示したものである。

 
1 企業規模別に見た1人平均賃金の改定率の分布
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kigyokibo_betu_chinage_kaiteiritu_no_bunpu.pdf
   (出所)厚労省「平成26年賃金引上げ等の実態に関する調査の概況」付表
     4より作成 

 上の表を見ると、従業員1,000人以上の企業では賃上げ率の最頻値は2.02.9%で、4550%の企業が2.0%以上の賃上げ率を達成している。
 これに対し、従業員999人以下の企業では賃上げ率0.11.4%が最頻値で、約40%が賃上げ率1.4%以下に属している。また、従業員999人以下の企業の60%以上は賃上げ率が1.9%以下となっている。
 
 全規模の賃金改定率の分布をグラフにすると正規分布とならず、0.11.4%と2.02.9%に2つのヤマができる。これは、規模別の賃金格差が存在していることを表している

 ところで、上の厚労省の集計では、企業規模が常用雇用者数に応じて4つに区分され、規模ごとの1人当たり賃金改定率が示されている。しかし、集計対象に就いては、「民営企業で、製造業及び卸売業,小売業については常用労働者30人以上、その他の産業については常用労働者100人以上を雇用する企業のうちから産業別及び企業規模別に抽出した 約3500企業を対象とした」、「平成26年調査の回答企業は 2,044社で、有効回答率は 57.8%であった」と記されているだけで、2,044社の規模ごとの分布は示されていない。
 企業規模ごとに賃金改定率にバラつきがあるにもかかわらず、集計対象の規模ごとの分布が示されず、各調査項目に対する回答も百分比のみで実数が示さていないのは統計調査の結果の公表の仕方として不可解である。

集計対象の割合を直近の実態に合わせて組み替えると加重平均賃上げ率は1.5%を割り込む
 連合201473日に発表した2014年春季生活闘争 第8回(最終)回答集計」(平均賃金方式)では、従業員規模ごとに賃上げ回答があった組合、人員数、加重平均賃上げ率が示されている。そこで、連合が集計した人員(常用雇用者)の企業規模ごとの割合を「平成24年経済センサス-活動調査」に収録された常用雇用者(国内)の規模ごとの分布と突き合わせると次のとおりである。

 
2 連合の集計対象を組み替えた上での賃上げ率の加重平均の再計算
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/rengo_no_chinageritu_no_kumikaekeisan.pdf


 そのうえで、連合が集計した常用雇用者の企業規模ごとの割合(分布)を「平成24年経済センサス」で集計された常用雇用者数の企業規模別百分比に合わせて組み替え、それをもとに全規模の賃上げ率の加重平均を計算し直すと1.87%となり、連合が発表した2.07%より0.2ポイントだけ低くなる
 さらに、より最近の実態を集計した国税庁「民間給与実態統計調査」(平成25年分)に収められた「事業所規模別の給与所得者数の構成割合」に準じて連合の集計組合割合を組み替えて賃上げ率の加重平均を再計算すると、上の表で示したように、全規模の賃上げ率の加重平均は1.43%となり、連合が発表した数値より0.64ポイントだけ低くなる

 そうなるわけは、表2の対比表からわかるように、実際には全常用雇用者の32.7%を雇用するにとどまる1,000人以上の規模の企業に属する常用雇用者が連合の集計においては全体の68.7%を占めるという集計対象の偏りに起因して、これら大企業の相対的に高い賃上げ率が全規模の賃上げ率の加重平均値を押し上げたからである。

 また、連合の集計では常用雇用者99人以下の中小・零細企業は全集計対象の常用雇用者の3.9%を占めるにとどまっているが、「平成24年経済センサス」では全規模の常用雇用者の37.8%がこの規模の企業に属し、国税庁「民間給与実態統計調査」(平成25年分)では全規模の常用雇用者の47.1%がこの規模の企業に属している。

 しかも、経産省2014815日に公表した「中小企業の雇用状況に関する調査 集計結果の概要」によると、常用雇用者100人以下の企業(集計数では6,981社)のうち定期昇給制度を含む賃金制度を持たない企業が4,108社(58.8%)を占め、そのうちの61.7%(2,535社。集計された常用雇用者100人以下の企業の24.4%)は2014年度中に月給の引き上げを実施しなかったと回答している。連合の集計では、このように賃上げを見送った中小・零細企業のウェイトが実態よりも極端に低かった。このことからも連合が発表した2014年春闘における平均賃上げ率2.07%という数字は実態よりも相当高めの数字だったことは明らかである。

 

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自分の外に主人(あるじ)を持たない一市民として ~新年のご挨拶に代えて~

201511

               迎 春


平凡な年越しだったが
 
 荒れ模様の天候の地も多いと伝えられていますが、皆さま、穏やかな新年をお迎えのことと思います。私は年々、「新年」を迎えるという感慨が薄れ、いつもと変わらない年越しの時間を過ごしました。
 昨年はこのブログに初めて訪ねていただいた方々、更新が途絶えがちなこのブログへ根気よく訪ねていただいた方々に厚くお礼を申し上げます。

 暮れから連載を始めた「安倍首相の自画自賛を検証する」を年内に終えるつもりでしたが、4回目を書く途上で、調査不足を思い知らされる資料に出くわし、データをあれこれいじるうちに、新年に持ち越す羽目になりました。あと2回(5まで)書いて終える予定です。

以下、新年のご挨拶に代えまして。

昨年1年間のアクセス・ベスト10
 1年の締めくくりのつもりで年末にブログのアクセス解析で去年1年間のアクセス件数(トップ・ページへのアクセスを除く)の上位記事を調べたところ、次のとおりだった。

 第1位 受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理 
    由を説明できないNHK 〔掲載日2014827日〕
 第2位 衛星映画評「ジュリア」――反戦の知性に裏打ちされた2人の女
    優の演技に魅せられる―― 〔2008221日〕
 第3位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(1) 〔2014
    年14日〕
 第4位 安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発 〔2014819日〕
 第5位 受信料凍結運動で籾井NHK会長の辞任を求める包囲網を! 
    〔201451日〕
 第6位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(3) 〔2014
    年14日〕
 第7位 護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実(2
    〔201419日〕
 第8位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(2:前篇) 
    〔201414日〕
 第9位 医薬品メーカーを独り勝ちさせている高薬価の是正が急務 
    〔2012421日〕
 第10位 「クローズアップ現代」がおかしい 〔201473日〕

摩擦を避けるNHK
 1は掲載日以降、コンスタントにアクセスが続いた記事だったが、私にとってはこれがトップとは意外だった。訳ありで受信料を止めている人の中には、NHKから定期的に「受信料お支払いのお願い」文書が届くが、今のNHKでは払う気になれない、どう抗弁したものかと思案する人が少なくないと思われる。そのような方の目にとまり、一読いただけたのなら、ありがたいと思う。

 昨年12月の衆議院総選挙にあたって自民党からはNHKや在京テレビ・キー局に対して、選挙報道についてこと細かな「要請」が出されたと伝えられている。これについてNHKは、余計なおせっかいと拒否なり抗議なりをしたのかというと、「そのような要請文書を受け取ったかどうか自体を答えない」という対応だった。

「自民党からテレビ局各社への放送法違反の「要請」に関する質問状」およびこの質問状をめぐるNHK視聴者部との応答メモ」
2014
126日、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」HPより)

http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-c3ed.html

 「摩擦を避けるNHK」(ベンジャミン・クリフォード『日本のマスコミ臆病の構造』2005年、宝島社)を地で行く様である。

 しかし、受信料支払い義務が放送法でではなく、視聴者とNHKとの双務契約である受信規約で定められているということは、受信料は、無条件の義務ではなく、NHKが放送法等で定められた自主自立、不偏不党、民主主義の発達に資する放送を提供しているという視聴者の信頼を見合いとして成り立つものである。
 そうなら、昨今のNHKの番組、とりわけ、ニュース報道は視聴者の参政権行使に資する情報を自主自立の立場で編集し、伝えていると言えるのか。私は国策放送に急旋回していると感じている。(この点は今月中旬に刊行される雑誌『季論』No.27, 2015年冬号、に「国策放送に急旋回するNHKというタイトルで寄稿した。)
 自民党による選挙報道への干渉に対してNHKがだんまり戦術を押し通す様は、政権からの自立がNHKの内部に「組織の文化」として、いかに根付いていないかの証しと言ってよいだろう。

異論と真摯に向き合わない「革新陣営」への警鐘として
 昨年1月に投開票された東京都知事選に宇都宮健児氏が立候補したことに端を発して書いた記事のうちの4つがアクセス・ベスト10に入ったことは印象深かった。私としては、異論と真摯に向き合わない、組織内で自律した意見を発信せず、付和雷同する「革新陣営」の体質について日頃から(今も)感じている疑問、異論に対して、そうした体質が露見したと思えた具体的な事実をとらえて、警鐘を鳴らすつもりで書いた記事だった。1年前の新年早々だったが、自分なりに準備し思案の上で書いたつもりだ。それだけに、これらの記事に多くのアクセスがあったのは、私の見解への賛否は別にして、ありがたかった。
 しかし、私がその中で書いた次の指摘は、例えば昨年末の衆院選の結果をめぐる議論や昨今の政党・市民運動の状況を見るにつけても、意義を失っていないと思える。(以下、下線は今回追加。)

 「特定の主義・信条で集まった政党、団体であっても、個人の間であっても、さまざまな問題をめぐって、初めから常に意見が一致しているということは、よほどマインドコントロールが強固で自立した個人の存在が不可能な組織でないかぎりあり得ない。むしろ、異なる意見を相めぐり合わせて、各人が知見を広げ、自分の思考力、判断力を磨き、鍛錬することが、政党なり団体なりの構成員の意欲、組織外の人々への信頼と影響力を広げる基礎になるはずである。少なくとも私は、自分の判断なり意見表明をするにあたって、耳を傾ける先達、友人はたくさんいるが、自分をコントロールする『主人』なり『宗主』は持ち合わせていない。そういう『主人』持ちの人間を私は尊敬する気になれない。」

 「『身内のごたごたや弱点を組織外に広めるのは支持者を離反させ、対立する陣営に塩を送るようなものだ』という意見をよく聞く。確かに、問題によっては――個人のプライバシーが絡む問題など――団体なり組織の内で議論をし、解決するのが適切なこともある。また、異論を提起する場合もその方法に配慮が必要である。しかし、内々で議論をするのが既成のマナーかのようにみなす考えは誤りである。むしろ、組織内の意見の不一致、批判を内々にとどめ、仲間内で解決しようとする慣習や組織風土が、反民主主義的体質、個の自立の軽視、身内の弱点を自浄する相互批判を育ちにくくする体質を温存してきたのではないか。」

 「往々、日本社会では同じ組織メンバー間の争論を『もめごと』とか『内ゲバ』とか、野次馬的に評論する向きが少なくない。しかし、『もめごと』と言われる状況の中には上記のとおり、組織(革新陣営を自認する政党や団体も例外ではない)が抱える体質的な弱点――少数意見の遇し方の稚拙さ、反民主主義的な議論の抑制や打ち切り等――が露見した場合が少なくない。・・・・あるいは、組織外から寄せられた賛同や激励の意見は組織内外に大々的に宣伝するが、苦言や批判は敵陣営を利するとか、組織内に動揺を生む恐れがあるという理由で、組織外はもとより、組織内でさえ広めようとしない傾向が見受けられる。これは大本営発表と同質の情報操作であり、組織内外の個人に自立した判断の基礎を与えないという意味では近代民主主義の根本原理に反するものである。」

 「この世には全能の組織も全能の個人も存在しない。自らに向けられた異論や批判にどう向き合うか、それをどう遇するかはその組織にどれだけ民主主義的理性が根付いているかを測るバロメーターである。その意味では、組織内外から寄せられた異論、批判、それに当該組織はどう対応したかを公にすることは、その組織に対する信頼を多くの国民の間に広げるのに貢献するはずであり、相手陣営を利することにはならない。また、異なる意見、少数意見も尊重し、真摯な議論に委ねる組織風土を根付かせることこそ、『自由』に高い価値を置く多くの国民の共感を呼ぶと同時に、組織構成員の対話力を鍛え、組織の影響力を高めるのに貢献するはずである。」

衆院選の結果をどう受け止めるべきか
 昨年1214日に私は「本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか(2)」というタイトルの記事を書いた。その中で記した次の一文は、1年前に東京都知事選をめぐって書いた上記の考えの延長線にある。

 「選挙後に予想される衆議院の議席分布から見ても、政策面で自民党と対峙する野党とはいえない政党を除くすべての野党が連合したとしても、自公政権と伯仲する勢力とはなり得ない。
 このような政治状況のもとで『自党が伸びることが自民党政治の転換につながる』と訴えるだけでよいのか? そのような訴えが果たして与野党伯仲を期待する有権者の願いに沿うリアリティを持つのか? 今、野党各党はもちろん、政治の革新を求める有権者が熟慮すべきはこの点である。」 

 「・・・・有権者や各界の団体には、自分がどの党を支持するかは別に、自分が第一義的には支持しない政党、意見に隔たりがある有権者や団体であっても、目下の喫緊の課題――憲法改悪を阻止し、憲法を生活の様々な局目に活かす課題、集団的自衛権の法制化を阻止する課題、原発再稼働を阻止し、原発に依存しない社会を目指す課題、特定秘密保護法による知る権利の侵害を排除し、同法の廃案を目指す課題等――での共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党の動き待ちではなく、政党の呼びかけに受け身的に応えるだけもなく、自らが政治の主人公らしく、望ましい政治勢力の結成のために何をなすべきかを主体的に熟慮し、行動を起こすことが求められる。
 こうした行動は、節度を保ちさえすれば、自分が支持する政党の伸長のために行動することと二者択一ではなく、両立するはずである。そのために強く求められるのは『異なる意見と真摯に向き合い、対話する理性』である。ここでは、気心の知れた仲間の間でしか通用しない『身内言葉』、『われこそ正論』と構える独善的な態度は最悪の風潮である。」

 政党で言えば、選挙で自党(ここでは反自民の野党)に一票を投じた有権者の中には、自党の理念なり政策、体質なりを全面的に支持したわけではなく、選挙区では他に選択肢がない状況で棄権するかどうか迷った末に、反自民の意思を優先して、セカンドベスト、サードベストで自党に投じ、比例区では別の野党に投じた有権者が少なくないという事実を直視する必要がある。
 また、それ以前に、自民・公明与党と対抗しうる大きな枠組み(既存の野党間での候補者調整に限る必要はない)が選択肢として作られることを願った有権者が少なくなかったと思われる。
 自党に投票した有権者の中にも少なくない、このような意識を冷静に見極め、それに謙虚に向き合い、今後の政党活動のあるべき形を検討することが重要と思える。

 また、政党がどうか以前に、有権者自身、自らが支持する政党の伸長のために尽くすだけでなく、自・公両党が衆議院で3分の2を超える議席を占めた現実を直視し、日本の政治の行方を危惧する多くの国民との共同を広げ、強めるために何をなすべきかという大局的な見地から、自分と大なり小なり意見が異なる人々との対話を強め、広げる努力が強く求められている。

「自分の外に主人(あるじ)を持たない」の矜持を貫いて
 大げさな言い方かも知れないが、私は一人の自立した人間としての尊厳を守りつつ生きている証しとして、「自分の外に主人(あるじ)を持つ」ような宗派的言動とは一線を画したい、「自分の理性が自分の思考の主人」という、言葉としては当たり前だが、いざという時に頓挫してしまいがちな矜持
をこれまで以上に毅然と貫いていきたいと考えている。

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