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自分の外に主人(あるじ)を持たない一市民として ~新年のご挨拶に代えて~

201511

               迎 春


平凡な年越しだったが
 
 荒れ模様の天候の地も多いと伝えられていますが、皆さま、穏やかな新年をお迎えのことと思います。私は年々、「新年」を迎えるという感慨が薄れ、いつもと変わらない年越しの時間を過ごしました。
 昨年はこのブログに初めて訪ねていただいた方々、更新が途絶えがちなこのブログへ根気よく訪ねていただいた方々に厚くお礼を申し上げます。

 暮れから連載を始めた「安倍首相の自画自賛を検証する」を年内に終えるつもりでしたが、4回目を書く途上で、調査不足を思い知らされる資料に出くわし、データをあれこれいじるうちに、新年に持ち越す羽目になりました。あと2回(5まで)書いて終える予定です。

以下、新年のご挨拶に代えまして。

昨年1年間のアクセス・ベスト10
 1年の締めくくりのつもりで年末にブログのアクセス解析で去年1年間のアクセス件数(トップ・ページへのアクセスを除く)の上位記事を調べたところ、次のとおりだった。

 第1位 受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理 
    由を説明できないNHK 〔掲載日2014827日〕
 第2位 衛星映画評「ジュリア」――反戦の知性に裏打ちされた2人の女
    優の演技に魅せられる―― 〔2008221日〕
 第3位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(1) 〔2014
    年14日〕
 第4位 安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発 〔2014819日〕
 第5位 受信料凍結運動で籾井NHK会長の辞任を求める包囲網を! 
    〔201451日〕
 第6位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(3) 〔2014
    年14日〕
 第7位 護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実(2
    〔201419日〕
 第8位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(2:前篇) 
    〔201414日〕
 第9位 医薬品メーカーを独り勝ちさせている高薬価の是正が急務 
    〔2012421日〕
 第10位 「クローズアップ現代」がおかしい 〔201473日〕

摩擦を避けるNHK
 1は掲載日以降、コンスタントにアクセスが続いた記事だったが、私にとってはこれがトップとは意外だった。訳ありで受信料を止めている人の中には、NHKから定期的に「受信料お支払いのお願い」文書が届くが、今のNHKでは払う気になれない、どう抗弁したものかと思案する人が少なくないと思われる。そのような方の目にとまり、一読いただけたのなら、ありがたいと思う。

 昨年12月の衆議院総選挙にあたって自民党からはNHKや在京テレビ・キー局に対して、選挙報道についてこと細かな「要請」が出されたと伝えられている。これについてNHKは、余計なおせっかいと拒否なり抗議なりをしたのかというと、「そのような要請文書を受け取ったかどうか自体を答えない」という対応だった。

「自民党からテレビ局各社への放送法違反の「要請」に関する質問状」およびこの質問状をめぐるNHK視聴者部との応答メモ」
2014
126日、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」HPより)

http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-c3ed.html

 「摩擦を避けるNHK」(ベンジャミン・クリフォード『日本のマスコミ臆病の構造』2005年、宝島社)を地で行く様である。

 しかし、受信料支払い義務が放送法でではなく、視聴者とNHKとの双務契約である受信規約で定められているということは、受信料は、無条件の義務ではなく、NHKが放送法等で定められた自主自立、不偏不党、民主主義の発達に資する放送を提供しているという視聴者の信頼を見合いとして成り立つものである。
 そうなら、昨今のNHKの番組、とりわけ、ニュース報道は視聴者の参政権行使に資する情報を自主自立の立場で編集し、伝えていると言えるのか。私は国策放送に急旋回していると感じている。(この点は今月中旬に刊行される雑誌『季論』No.27, 2015年冬号、に「国策放送に急旋回するNHKというタイトルで寄稿した。)
 自民党による選挙報道への干渉に対してNHKがだんまり戦術を押し通す様は、政権からの自立がNHKの内部に「組織の文化」として、いかに根付いていないかの証しと言ってよいだろう。

異論と真摯に向き合わない「革新陣営」への警鐘として
 昨年1月に投開票された東京都知事選に宇都宮健児氏が立候補したことに端を発して書いた記事のうちの4つがアクセス・ベスト10に入ったことは印象深かった。私としては、異論と真摯に向き合わない、組織内で自律した意見を発信せず、付和雷同する「革新陣営」の体質について日頃から(今も)感じている疑問、異論に対して、そうした体質が露見したと思えた具体的な事実をとらえて、警鐘を鳴らすつもりで書いた記事だった。1年前の新年早々だったが、自分なりに準備し思案の上で書いたつもりだ。それだけに、これらの記事に多くのアクセスがあったのは、私の見解への賛否は別にして、ありがたかった。
 しかし、私がその中で書いた次の指摘は、例えば昨年末の衆院選の結果をめぐる議論や昨今の政党・市民運動の状況を見るにつけても、意義を失っていないと思える。(以下、下線は今回追加。)

 「特定の主義・信条で集まった政党、団体であっても、個人の間であっても、さまざまな問題をめぐって、初めから常に意見が一致しているということは、よほどマインドコントロールが強固で自立した個人の存在が不可能な組織でないかぎりあり得ない。むしろ、異なる意見を相めぐり合わせて、各人が知見を広げ、自分の思考力、判断力を磨き、鍛錬することが、政党なり団体なりの構成員の意欲、組織外の人々への信頼と影響力を広げる基礎になるはずである。少なくとも私は、自分の判断なり意見表明をするにあたって、耳を傾ける先達、友人はたくさんいるが、自分をコントロールする『主人』なり『宗主』は持ち合わせていない。そういう『主人』持ちの人間を私は尊敬する気になれない。」

 「『身内のごたごたや弱点を組織外に広めるのは支持者を離反させ、対立する陣営に塩を送るようなものだ』という意見をよく聞く。確かに、問題によっては――個人のプライバシーが絡む問題など――団体なり組織の内で議論をし、解決するのが適切なこともある。また、異論を提起する場合もその方法に配慮が必要である。しかし、内々で議論をするのが既成のマナーかのようにみなす考えは誤りである。むしろ、組織内の意見の不一致、批判を内々にとどめ、仲間内で解決しようとする慣習や組織風土が、反民主主義的体質、個の自立の軽視、身内の弱点を自浄する相互批判を育ちにくくする体質を温存してきたのではないか。」

 「往々、日本社会では同じ組織メンバー間の争論を『もめごと』とか『内ゲバ』とか、野次馬的に評論する向きが少なくない。しかし、『もめごと』と言われる状況の中には上記のとおり、組織(革新陣営を自認する政党や団体も例外ではない)が抱える体質的な弱点――少数意見の遇し方の稚拙さ、反民主主義的な議論の抑制や打ち切り等――が露見した場合が少なくない。・・・・あるいは、組織外から寄せられた賛同や激励の意見は組織内外に大々的に宣伝するが、苦言や批判は敵陣営を利するとか、組織内に動揺を生む恐れがあるという理由で、組織外はもとより、組織内でさえ広めようとしない傾向が見受けられる。これは大本営発表と同質の情報操作であり、組織内外の個人に自立した判断の基礎を与えないという意味では近代民主主義の根本原理に反するものである。」

 「この世には全能の組織も全能の個人も存在しない。自らに向けられた異論や批判にどう向き合うか、それをどう遇するかはその組織にどれだけ民主主義的理性が根付いているかを測るバロメーターである。その意味では、組織内外から寄せられた異論、批判、それに当該組織はどう対応したかを公にすることは、その組織に対する信頼を多くの国民の間に広げるのに貢献するはずであり、相手陣営を利することにはならない。また、異なる意見、少数意見も尊重し、真摯な議論に委ねる組織風土を根付かせることこそ、『自由』に高い価値を置く多くの国民の共感を呼ぶと同時に、組織構成員の対話力を鍛え、組織の影響力を高めるのに貢献するはずである。」

衆院選の結果をどう受け止めるべきか
 昨年1214日に私は「本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか(2)」というタイトルの記事を書いた。その中で記した次の一文は、1年前に東京都知事選をめぐって書いた上記の考えの延長線にある。

 「選挙後に予想される衆議院の議席分布から見ても、政策面で自民党と対峙する野党とはいえない政党を除くすべての野党が連合したとしても、自公政権と伯仲する勢力とはなり得ない。
 このような政治状況のもとで『自党が伸びることが自民党政治の転換につながる』と訴えるだけでよいのか? そのような訴えが果たして与野党伯仲を期待する有権者の願いに沿うリアリティを持つのか? 今、野党各党はもちろん、政治の革新を求める有権者が熟慮すべきはこの点である。」 

 「・・・・有権者や各界の団体には、自分がどの党を支持するかは別に、自分が第一義的には支持しない政党、意見に隔たりがある有権者や団体であっても、目下の喫緊の課題――憲法改悪を阻止し、憲法を生活の様々な局目に活かす課題、集団的自衛権の法制化を阻止する課題、原発再稼働を阻止し、原発に依存しない社会を目指す課題、特定秘密保護法による知る権利の侵害を排除し、同法の廃案を目指す課題等――での共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党の動き待ちではなく、政党の呼びかけに受け身的に応えるだけもなく、自らが政治の主人公らしく、望ましい政治勢力の結成のために何をなすべきかを主体的に熟慮し、行動を起こすことが求められる。
 こうした行動は、節度を保ちさえすれば、自分が支持する政党の伸長のために行動することと二者択一ではなく、両立するはずである。そのために強く求められるのは『異なる意見と真摯に向き合い、対話する理性』である。ここでは、気心の知れた仲間の間でしか通用しない『身内言葉』、『われこそ正論』と構える独善的な態度は最悪の風潮である。」

 政党で言えば、選挙で自党(ここでは反自民の野党)に一票を投じた有権者の中には、自党の理念なり政策、体質なりを全面的に支持したわけではなく、選挙区では他に選択肢がない状況で棄権するかどうか迷った末に、反自民の意思を優先して、セカンドベスト、サードベストで自党に投じ、比例区では別の野党に投じた有権者が少なくないという事実を直視する必要がある。
 また、それ以前に、自民・公明与党と対抗しうる大きな枠組み(既存の野党間での候補者調整に限る必要はない)が選択肢として作られることを願った有権者が少なくなかったと思われる。
 自党に投票した有権者の中にも少なくない、このような意識を冷静に見極め、それに謙虚に向き合い、今後の政党活動のあるべき形を検討することが重要と思える。

 また、政党がどうか以前に、有権者自身、自らが支持する政党の伸長のために尽くすだけでなく、自・公両党が衆議院で3分の2を超える議席を占めた現実を直視し、日本の政治の行方を危惧する多くの国民との共同を広げ、強めるために何をなすべきかという大局的な見地から、自分と大なり小なり意見が異なる人々との対話を強め、広げる努力が強く求められている。

「自分の外に主人(あるじ)を持たない」の矜持を貫いて
 大げさな言い方かも知れないが、私は一人の自立した人間としての尊厳を守りつつ生きている証しとして、「自分の外に主人(あるじ)を持つ」ような宗派的言動とは一線を画したい、「自分の理性が自分の思考の主人」という、言葉としては当たり前だが、いざという時に頓挫してしまいがちな矜持
をこれまで以上に毅然と貫いていきたいと考えている。

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