« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

佐古忠彦記者(TBS・Nスタ)の感銘深い語り ~沖縄慰霊の日のテレビ番組を視て(2)~

2015630

  一つ前の記事で紹介した623日、沖縄慰霊の日にちなんだTBSNスタ「「わが家は今も基地の中 証言あの日から70年」を視た感想記の続きである。
  
沖縄戦前、現在の普天間飛行場の北側一角に住んでいた新城信敏さん(86歳。当時16歳)を佐古忠彦記者が取材する場面が放送された後
、画面は、普天間飛行場を見渡す宜野湾市の嘉数高台、さらに慰霊の日の式典が行われた平和の礎に切り替わり、それぞれの地から佐古記者の語りが放送された。大変、感銘深い内容だったので聴きながら視聴メモを取った。それをもとに以下、書き出すことにする。(小見出しは私が付けたもの)


現在の抑止力にもつながる宜野湾村での戦禍の教訓
 「ここはかつての激戦地、嘉数高台。うしろに見える普天間基地の北側と南側では当時犠牲となった住民の方に大きな違いが出ていました。それを左右したのは日本軍の存在でした。」

   <ここでナレーションが挿入されたが省略する。>

 「教育は武器よりも怖い。この言葉は非常に重いと思いました。沖縄では琉球処分で日本に取り込まれてから徹底した皇民化教育が進められてきました。『沖縄にとって本土の日本人よりも立派な日本人であろうとしたのが沖縄戦だった。』この言葉はよく取材の中で出会う言葉です。
 
そして、ご覧いただいた宜野湾村では日本軍がいたかいないかで〔住民の生死が〕分かれたあのデータ。これは戦争が起きればいったい何が起きるのか、軍のそばにいる住民に何が起きるのかを実証しています。現在の抑止力にもつながるひとつの答えが沖縄戦にあるのではないでしょうか?」

「なぜ犠牲を食い止められなかったのか」を問うことこそ
  「よく“尊い犠牲のうえに今日がある”と言うんですけれども、確かにそういう部分もあるかも知れませんけれども、しかし、そこで思考が停止しているんではないかという気も時々するんですよね。なぜ、その犠牲を食い止めることができなかったのかという疑問はどうしても消えません。
 生きることを追い求めて、それでもそれがかなわないという孤独な状況の中で、いかに死ぬかという選択を迫られた人々が数多くいました。それは文字どおり、生死の境目だったわけですけれども、そんな選択を国民にさせることは二度とあってはなりません。

70
年前の出来事は昔話ではない
 70年前の出来事を考えることは決して昔話をしていることではないんだというふうに思います。取材で出会った80歳代後半の男性はこう言いました。『これから証言する人間が確実に減っていく。私自身もいなくなる。だから焦っているんです』という言葉でした。そこには、また、同じことが繰り返されるのではないかという、今のこの国を包む空気に対する焦燥感があるような気がしました。
 いつまでもこの国が戦後であり続けるために、この沖縄戦からくみ取るべきものはたくさんあります。それが70年後を生きる私たちの責任ではないでしょうか。」




| | コメント (1)

民放とNHKの番組の質の差を決めた課題着眼・報道意欲の落差~沖縄慰霊の日のテレビ番組を視て(1)~

2015626

沖縄戦と現在の基地問題の連続性を見事に描いたNスタ
 沖縄慰霊の日にちなんだテレビ番組が数多く放送された。その中で印象深かったのは民放の中で非常に良質と思えた番組があったことだ。それを逐一、紹介すると余りに長くなるので、一つだけ、TBSNスタ(朝5時~)の視聴ノートをもとにまとめたレポートを掲載することにした。
 特に、番組の最後で、佐古忠彦記者が平和の礎のそばに立って述べた語りは、「沖縄戦」と「現代の沖縄の基地問題」を連続的にとらえる視点、裏付けとなる史実をリアルに提供した言葉と思えた。
 そこで、佐古記者のスピーチ全文を原稿におこした。それを次の記事に掲載することにした。

 なお、佐古記者の語りの裏付けとなった新城信敏さんの証言の録画がTBSの次のサイトに掲載されている。証言者の生の声を聞くとリアリティが増してくる。

「沖縄戦が残した教訓、住民の生死を分けたのは」
 
TBS 2015623日、Nスタ ニューズアイ)
 
 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2524193.html 

   ただし、番組では新城さんの証言以外に番組制作者((佐古記者ら)が今の普天間基地周辺の沖縄戦の戦中・戦後の状況を調査・取材して得た情報も放送された。
 この記事ではその要旨を紹介しながら、同じ日に放送されたNHKニュースウッチ9の放送内容との比較もしておきたい


  ------------------------------------------------------------

  
沖縄戦前、現在の普天間飛行場の北側一角に住んでいた新城信敏さん(86歳。当時16歳)を佐古忠彦記者が取材。
 194541日に沖縄本島に米軍が上陸した翌日、宜野湾村に住んでいた新城さんたち300人は湧き水があった自宅近くの壕(アラグスクガー)に避難。

 しかし、上陸してから4日後には、そこへ銃を構えた米兵が現われた。日頃から、教え込まれていた「女は強姦されて殺される。男は銃殺される」という言葉を信じない者はいなかったと新城信敏さんは言う。
 さらに、当時の日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」とする戦陣訓を徹底。敵への投降を禁じていた。しかし、アラグスクガーには渡米経験のある住民がいてアメリカ兵と交渉し、「何も持たずに洞窟から出る」ことを条件に300人全員が捕虜となった。

地域住民の命をかえって危険にさらした日本軍の存在
 しかし、同じ普天間飛行場周辺といっても、新城さんたちが住んでいた北側とは逆の南側では日本軍が多くの陣地を構築し、アメリカ軍を迎え撃った。
 その結果、普天間飛行場の北側と南側では、犠牲となった住民の数に大きな違いが出た。それを左右したのは、日本軍の存在だった。

 今の普天間基地の北側の地域の戦没者率
   普天間12%  新城12%  喜友名13%  伊佐9
 今の普天間基地の南側の地域の戦没者率
   長田49%  志真志44%  我如古49%  佐真下47%  
   嘉敷48%  大謝名26% 

 戦没者率の高い南側の地域の住民は、日本軍のそばにいたため投降することも許されず、激しい戦闘に巻き込まれて多数の人々が命を落とした。
 一方、新城さんたちがいた北側は日本軍が既に後退した地域で、住民たちが冷静に集団投降できるケースが多く、早くからアメリカ軍の支配による戦後が訪れていた。
 しかし、投降後、2年間の収容所生活を終えて新城さんが、もとあった自分の家に戻ると、 生まれ育った家があった場所はアメリカ軍に接収され、普天間基地へと姿を変えていた。

教育は武器よりも怖い
 
 沖縄戦から70年経った今、何を思うかと尋ねられた新城さんはこう語った。「今、考えると悪夢ですよね。教育っていうのは一番恐ろしい。武器より怖いですよ。」

 相手軍への投降を禁じ、「生きて虜囚の辱めを受けず」
と教え込んだ「教育は武器よりも怖い」という新城さんの言葉を聴いて私は、「国策翼賛報道は武器よりも怖い」という言葉もありと思えた。

沖縄戦と現在の基地問題の連続性に踏み込まなかったNHK
 Nスタの番組は、慰霊の日にちなんだNHKのいくつかの番組がおおむね、「沖縄戦の悲劇」を回顧的に描き、どの番組も戦争体験をいかに引き継ぐかが課題というトーンに収斂し、「現代の沖縄の基地問題」との連続性に立ち入ることがなかったのと好対照だった。

 しかし、慰霊の日の式典で翁長知事は犠牲者への慰霊の言葉を述べて終わらず、
沖縄戦終結後の土地の強制収用から目下の辺野古基地問題を説きおこし、「辺野古が嫌なら代案を出せ」と求める政府の物言いの不条理を厳しく批判する言葉を平和宣言に盛り込んだ。高校生の知念さんは「今は平和でしょうか?」と沖縄の「今」を問いかけた。

 こうした発言を聴いて、沖縄戦の犠牲者の慰霊と目下の基地建設に反対する沖縄の民意は強く繋がっていることを思い知らされ、沖縄問題をめぐる報道の質は、課題設定(agenda setting)―――何に対して、どのような問いかけをするのか
―――で左右されると感じさせられた。

 Nスタが、現在の普天間基地の形成史に焦点を当てると同時に、沖縄戦当時、普天間基地周辺に住んでいた住民の間でも、日本兵がそばにいた地域かどうかで戦没率に大きな差があった事実に注目して、住民にとって軍隊は平和を維持する抑止力とは真逆の存在であるという教訓で番組を結んだのは、「課題着眼」の重要性を例証するものだった。

基地負担を「担ってきた」のではなく、「担わされてきた」のだ
 そのようなNHKの番組の中で、23日のニュースウオッチ9に登場した沖縄放送局の西銘記者(沖縄出身、記者歴22年)が、今の「基地問題は沖縄戦の延長線上にあるのです」、「沖縄戦と基地問題をトータルで考える必要があります」と懸命に語ったのが印象的だった。

 また、西銘記者は短い持ち時間の中で、「沖縄は基地負担を担ってきたのではなく、担わされてきたのです」と険しい表情で語たった。この一言は何を意味したか?
 私は、とっさに、その日の慰霊式典で安倍首相が「沖縄の人々には米軍基地の集中など安全保障上の負担を長きにわたって担っていただいています」と語った言葉を思い浮かべた。
 「すすんで担ったのではない。担わされたのだ」・・・・西銘記者は、沖縄県民を代表して、こう言い返えさずにはいられなかったのではないか。沖縄出身の放送人のせめてもの矜持かと思えた。

覆うべくもない「言葉の軽さ」
 しかし、それに続く河野キャスターの結びの語りは、「沖縄が背負ってきた基地負担をどうやってやわらげていくのか、日本全体で考えていくべき課題だと改 めて感じました」という定型文で終わった。言葉の「軽さ」、リアリティの希薄さは覆うべくもなかった。
 沖縄戦の悲劇を語り継ぐ必要性を説いた河野キャスター自身、慰霊の日に先立って、どれくらい、沖縄戦の体験者、遺族の生の声を聞き、住民が生死の境をさまよった戦跡を巡ったのだろう? 
 番組では、地元の高校生を相手に、沖縄戦の体験談をどれくらい聴いたか?とか、街中を歩く旅行者に、戦跡に出かける予定は?とマイクを向けていた。「新婚旅行なので戦争系はちょっと・・・」とか、「私たちはアレなので・・・」とかいった返しの言葉を拾っていたが、いかにもお手軽な「取材」である。

 調査・取材の密度、もしかしたら調査報道の意欲の差が、語りの質、ひいては沖縄慰霊の日にちなんだNHKと民放の番組の質の差を決めたよううに思えてならなかった。


| | コメント (0)

シンポジウム「沖縄 戦後70年:基地問題とジャーナリズム」のお知らせ

 2015624

 NHKの放送のあり方を考え、意見発信を続けている首都圏の4つの市民団体は、このたび、沖縄の基地問題と共同体論を研究されている明治大学政経学部教授の山内健治氏との共同で次のようなシンポジウムを企画し、準備を進めている。

  案内チラシ
 
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/712sinpo_chirasi.pdf

  ----------------------------------------------------------

シンポジウム 「沖縄 戦後70年:基地問題とジャーナリズム」
7
12日(日)13時~1630
(開場1230分)
会場 明治大学(御茶ノ水)駿河台キャンパス
   グローバルフロント棟 グルーバルホール(1階)
   JR中央線・総武線/東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅下
        車、徒歩約3
   (地図はチラシの裏面をご覧下さい。)
●研究報告 山内健治(明治大学政経学部教授)
   “基地接収・返還に揺れた共同体――読谷村の事例から”
●パネル討論 “辺野古から考える日本のジャーナリズム”
   金平茂紀(TBSキャスター)
   影山あさ子(映画「圧殺の海」監督)
   宮城栄作(沖縄タイムス東京支社報道部長)
   司会 醍醐 聰(東京大学名誉教授)
   (パネリストの詳しいプロフィールはチラシの裏面をご覧
            下さい。)
●主催・会場責任者 山内健治
●協賛団体・賛同者(チラシの表面をご覧下さい。)
●資料代800円(学生400円)

 山内氏の報告は、今日の沖縄の基地問題の源流といえる、戦中・戦後の米軍による土地接収・基地形成の実態を実地調査された研究成果をスライドを交えて話されるものである。シネマ沖縄の好意により「あけもどろ」(読谷の沖縄闘争ドキュメント)も放映する予定。ぜひ、お聴きいただきたい。

 “辺野古から考える日本のジャーナリズム”と題したパネル討論は、辺野古基地建設の実態を現地でつぶさに観察された3人のパネリストに、基地建設の実像をリアルに語っていただくと同時に、本土のメディアの報道のあり方について、それぞれの視点から直言していただく。
 討論の後半30分ほどは参加者との質疑・討論を予定している。司会を務める私も内容の濃い、白熱した討論となるよう、準備をしたいと考えている。

    --------------------------------------------------------

 昨日、623日の沖縄全戦没者追悼式において翁長雄志・沖縄県知事は「そもそも私たち県民の思いとは全く別に強制接収された『世界一危険』といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、その危険性除去のため『辺野古に移設する。嫌なら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは到底、県民には受け入れられるものではありません。国民の自由・平等・人権・民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります」と語った。
 今回のシンポジウムが翁長知事のこの言葉を咀嚼し、理解を深めるのに寄与することを願っている。


    チラシ 表面
712_2
   裏面
712_3


| | コメント (0)

籾井会長の任免経緯をめぐって迷走する釈明~上村達男氏の新稿を読んで(2)~

2015617

上村達男氏のその後の言説
 しばらく間が開いたが、上村達男氏はNHK経営委員長代行者の職を退任して以降、前の記事(「他者への思いやり」を装った「自分への思いやり(自己弁護)」~上村達男氏の新稿を読んで(1)~)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-0ec6.html
 
で取り上げた、
 1. NHKの再生はどうすれば可能か」(雑誌『世界』20156月号)、
に続き、いくつかの紙誌に登場して持論を語っている。ここでは、次の2点の論説を対象に加えて、籾井NHK会長の任免をめぐる上村氏の議論の迷走ぶり、それがよって来る所以、今後のNHK会長選考のあり方にどのような示唆を残したかを検討したい。

 2. 「特集ワイド:もう辞めるべきでは? 籾井会長 元NHK経営委員、上村達男・早大教授の直言」(『毎日新聞』2015526日、夕刊)
 http://mainichi.jp/shimen/news/20150526dde012040003000c.html

 3.
「政府が人事で独立性を壊した」(『赤旗日曜版』2015614日号)

 ただし、上村氏のNHKガバナンス論については、同氏がNHK経営委員を退任するにあたって浜田健一郎・経営委員長宛てに提出した「意見書 NHKのガバナンスと監査委員会の機能について」を取り上げる必要がある。ただ、これは続稿に回し、この記事では、NHKのガバナンス制度ではなく、現在の制度のもとで今年の2月末まで3年間、経営委員(長代行者)を務めた上村氏自身の事績を同氏の言説にもとづいて検討することにする。

「最大の問題は放送法違反の信条を持つ人物がNHK会長職にいること」
 
~上村氏のこの指摘には大いに同感するのだが~
 経営委員退任後、上村氏は上のような発言を繰り返している。確かに何回言っても言い過ぎでないくらい、今のNHKの人事の最大の恥辱を言い表す言葉である。
 「政府が右というとき、左と言うわけにはいかないい」・・・・籾井勝人氏の会長就任会見の場でのこの一言で、同氏がNHK会長職と真逆の人物であったことが歴然とした。
 私は2つ前の記事で書いたように、今のNHKが伝えるべき事実を伝えず、国民の前に提示すべき論点を示さない釈明として「会長が籾井氏だから」は通用しないと考えている。しかし、上村氏が上のような点を強調する点では、私も上村氏の見解にまったく同感である。

 しかし、上村氏自身が、そんな信条の持ち主をNHK会長に選んだ経営委員の一人だった・・・・私に言わせると、この持論と実際の行為の背反を上村氏が誠実かつ理性的に検証できないでいることが、上村氏の苦しい釈明、議論の混迷の原因になっている

 前記2の『毎日新聞』のインタビュー-記事の中にこんなくだりがある。

 「〔籾井氏への〕批判はさりとて、上村さん自身、籾井氏を会長に選んだ経営委員の一人だった。『内心忸怩たる思いです』と打ち明ける。『三井物産の副社長を務めるなど経営手腕があり、海外勤務経験も長いというのが推薦理由でした。経済界のトップクラスという点は“品質保証”になると思いました。ご本人も選任後のヒアリングで『放送法は順守する』と語っていましたから・・・・』と悔いる。」

「こんなはずではなかった」で済むのか?
 
 確かに、経営委員会内に設置された指名委員会がまとめた、籾井勝人氏をNHK会長に推薦する理由の一つに、「ITに関する見識も深く、日本ユニシスの社長に就任して以降、3,000億円以上年間総売上を達成するなどの実績を持つ」という記載があった。
 しかし、ITに関する見識があること、三井物産の副社長、日本ユニシスの社長を歴任したこと、日本ユニシス社長として年間3,000億円以上の総売上を達成したこと・・・・それがNHK会長の資質とどう関係するのか? そうした経歴が、どういう理由で公共放送のトップとしての「品質保証」になるのか?
 メディアであり放送文化の担い手であるNHKのトップというなら、ジャーナリズムに関する造詣、教養文化の深さと広さをなぜ真っ先に問わなかったのか? 放送法の字面を復誦することで公共放送に関する理解の確かさが試されるとでも思っているのか?

 あにはからんや、籾井氏の会長としての第一声は、「私の主たる任務は(NHKの)ボルトとナットを締め直すことになるんではなかろうかと思っている」という発言だった。これが経済人としての籾井氏の経歴から出た使命感だとしたら、あまりに侘しい。
 こんな人物を、トップクラスの経営者という推薦理由を信じてNHK会長に任命する人事案に同意したことを「忸怩たる思い」という通り一片の言葉で済ませてよいのか?
 また、上村氏は前記3の『赤旗日曜版』への寄稿文の中でこう語っている。

 「経営委員会が会長を選びますが、書類とその場でのやりとりだけでは本当に最適任かはわかりません。推薦者の推薦を信頼するしかありません。」

 こんないい加減な審議で選ばれたNHK会長に受信料から年間報酬3,092万円を支払わなければならない視聴者はやりきれない。

会長任命権と会長候補推薦権は切り離すべき
 ここで、問題なのは「推薦者」とは誰だったのかである。選考に加わった経営委員の誰かからの推薦だったというのが公式の説明だということは分かっている。しかし、会長選考の成り行きを追跡取材したある報道関係者は次のように証言している。

 「松本会長(当時)に引導を渡してNHKの『偏向』をただす――。政権発足以来、安倍晋三首相ら政権幹部がこだわってきたのはこの1点だ。」「だが、後任がなかなか決まらない。・・・そんな中、菅義偉官房長官は財界に人脈のある麻生太郎副総理(73)に『経営感覚のあるいい人をご存じないですか』と相談。麻生氏は『籾井っていうのがいるなあ』と、同じ九州出身で旧知の籾井勝人氏の名前を挙げた。」
 (「検証・安倍政権 前会長降ろしに躍起 NHK籾井体制」朝日新聞DIGITAL, 201433005:00

 
籾井氏を推薦したのは、仕事上から10年来のつきあいがあった、経営委員の石原進・JR九州会長だ。今月10日夜、石原氏を乗せた黒塗りの車が東京・南麻布の高級料亭の敷地内に吸い込まれていった。料亭にいたのは安倍晋三首相本人と首相を支援する財界人たちだ。現NHK会長の松本氏の交代を求めていた葛西敬之JR東海会長も出席していた。」
 
(「NHK会長交代劇に政権の影 問われる『中立』」(朝日新聞DIGITAL, 20131221, 10:56

 籾井氏が会長に選ばれた背後に、このような動きがあったのだとしたら、籾井氏を会長に推薦したのは、財界出身の経営委員だったと考えるのが自然である。
 とすれば、政権中枢と気脈を通じた経済界出身の経営委員が推薦理由として挙げた経済人としての経歴で「品質が保証」されたと信じて籾井氏をNHK会長に選任することに同意した上村氏は自分の不明を大いに恥じる必要がある。

 しかし、現行の「放送法」では会長任命権は経営委員会にあると定めてはいるが、それに先立つ会長候補の推薦まで経営委員だけの知見なり人脈に頼ることまで定めたわけではない。

むしろ、会長任命権と会長候補者推薦権を切り離し、後者は広く各界、各分野の推薦に委ねる方が適任者を見つける可能性を高められるはずである。この点は今後のNHK会長選考制度の見直しをするにあたって、重要な論点にすべきだと私は考えている。

政権与党から承認を受けて経営委員になったから会長罷免まで踏み込めない?!
 会長職にとどまること自体が問題、と自ら考え続けていた籾井氏の罷免要求なり罷免の動議なりをなぜ経営委員在任中に出さなかったのかについて、上村氏は、繰り返し釈明している。が、その理由は発言の場面、場面でぶれている(罷免動議が否決されたら、逆に信任になってしまうからという理由は一貫しているが)。
 たとえば、上村氏は上記2の『毎日新聞』のインタビュー記事の中で、各経営委員の心境を忖度して、次のように語っている。

 「会長に問題があると思っていても、政権与党から承認を受けて委員になった以上、〔会長〕罷免までは踏み込めないと考えてもおかしくないでしょう

 上村氏自身がこう思ったわけではないにせよ、「政権与党から承認されて経営委員になったこと」と「籾井会長の罷免まで踏み込めないと考えること」が、どういう因果でつながるのか? 経営委員は国会の同意人事(その帰趨は上村氏も言うように多数議席を占める政権与党の意向で決まるが)で任命されるという今の制度の中に、「国会なり政権与党なりの意向を無視して、経営委員会がNHK会長を罷免することはまかりならない」という黙契があるのだろうか?
 「放送法」は第55条で、「経営委員会は、会長、監査委員若しくは会計監査人が職務の執行の任に堪えないと認めるとき、又は会長、監査委員若しくは会計監査人に職務上の義務違反その他会長、監査委員若しくは会計監査人たるに適しない非行があると認めるときは、これを罷免することができる」と定めている。罷免に当たっては国会なり政権与党なりの同意が必要などと、どこにも書かれていない。明文法を脇において、荒唐無稽な憶測を挟むのは慎むべきだ。

視聴者の罷免要求よりもNHKOBの辞任要求の方が重い?!
 もう一つ、上村氏の言動のなかで私を驚かせたことを指摘しておきたい。
 上村氏は上記3の『赤旗日曜版』に掲載された論説の中で次のように語っている。
 
 「市民団体からは〔籾井会長に対する〕抗議や罷免要求が寄せられました。私が重く受け止めたのは1500人ものOBからあがった会長辞任要求でした。これは現職の声を代弁していると思ったからです。」

 ウーン・・・・。OBの申し入れにはNHKの現職職員の意向がより反映されている・・・・ここまでは了解しよう。また、籾井会長の妄言によって多くのNHK職員の職務遂行に支障が生じていることも理解できる。
 しかし、だからといって、NHKOBからの会長辞任要求の方が、OB外の「純粋」?市民からの会長罷免要求よりも重いとは、なにゆえか?

 「経営委員会委員の服務に関する準則」の第1条(服務基準)には、「経営委員会委員は、放送が公正、不偏不党な立場に立って国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資するとともに、国民に最大の効用と福祉とをもたらすべき使命を負うものであることを自覚して、誠実にその職責を果たさなければならない」と記されている。
 また、第3条(職務専念義務)には、「経営委員会委員は、公共放送を支える受信料の重みを深く認識し、職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用いなければならない」と記されている。

 NHK会長としての資質と真逆の人物をすみやかに罷免すべきという視聴者の要望の重みとNHKOBの要望の重みを天秤にかけること自体、珍妙な発想であるが、後者の方を前者より重視するというのでは、「公共放送を支える受信料の
重み」が言葉の上でしか理解されていないと言って過言でない。
 これでは、籾井氏に「放送法」の「家庭教師的な役目」を申し出る(前掲『世界』掲載論稿、96ページ)前に、上村氏自身が「経営委員服務準則」を学び直す必要があったことを意味している。



| | コメント (1)

「テレビは革命を伝えないだろう」

2015616
 

今朝、ブログへのアクセスを確かめると、昨日アップした記事に2つ、コメントがついていた。すでにブログ上では公開したが、多くの方に知らせたい文章なので以下、全文を紹介したい。

1
つ目のコメント

「『Revolution Will Not Be Televised』(革命はテレビ中継されないだろう)というスコット=ヘロンの歌もあります。
 どんな大事件でも報道されなければ存在しないことになるし、逆になでしこジャパンやらのどうでもよさそうな事を繰り返し報じることで、人々にはそれの方が大事件・大きな話題なのだと刷り込めます。
 (2012629日夕刻にやはり20万もの人々が原発止めろと国会正門前を埋めたのに、報じたメディアは一切ありませんでした。「正しい報道ヘリの会」はこれへの批判から生まれています)」

2
つ目のコメント
 「最近のNHKニュースには呆れ果てつつ強い怒りを覚えます。

地方にいると、ニュースソースはNHKニュースからと言う家庭が非常に多いですね。そこが、安保法制に反対する世論の動きをほとんど伝えず、一方安倍さんや菅さんの発言を長々と詳細に報道するのですから、正しく情勢をつかめるわけはありません。
 NHKに限らず、他の民放各局の政治の動きに対して完全に腰が引けた報道ぶりと、お笑いタレントを多用した実にくだらないバラエティ番組の多さにため息ばかりついています。メディアの総腰砕けが安倍政権を支えていると言っても過言ではないでしょう・・・・。」

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 1つ目のコメントで紹介されたギル・スコット・ヘロンの「Revolution Will Not Be Televised」という鋭利な言葉を、恥ずかしながら私は知らなかった。ネットで検索すると、次のような、この歌の原文・和訳対照が見つかった。
http://protestsongs.michikusa.jp/english/heron/revolution_will_not_be_televised.html

 

55年前の昨日、安保条約の強行採決に抗議する33万人(主催者発表)が国会を包囲した。樺美智子さんの死という事態まで起こしたこの日の流血の有様(政権が手配した右翼・暴力団も出動していたと言われている)を議会政治の危機とみた電通の吉田秀雄と朝日新聞社の笠信太郎らを中心に在京新聞社7社は、2日後の617日に共同宣言『暴力を排し議会政治を守れ』と題する社告を掲載した。

結果として、この報道機関の共同声明は安保反対の国民運動を分断し、運動に冷や水を浴びせる結果になった。

 上の2つ目のコメントで記されたように、現状を「メディアの総腰砕け」と言い切れ
るのかはともかく、安倍首相と親しく会食を重ねる報道人が再びこうした「窮地に立たされた政権を救援する」役割を演じることがないよう、あるいは、かりに彼らが政権救援・大勢翼賛の行為に乗り出したとしても、そんな浅はかな行為に動じない強固な民意を作り上げることが急務である。
 ささやかながら、私も、その一環として、このブログを書き続けたい。

 

| | コメント (3)

香港の数千人のデモは伝えても自国の2万5千人の国会包囲行動は隅っこで扱うNHK

2015年6月15日
戦争法案反対の国会包囲行動に出かけた
 昨日、午後2時から開かれた「とめよう! 戦争法案 国会包囲行動」に連れ合いと出かけた。元の職場の有志で最寄りの地下鉄の改札口に集まり、地上へ出ると、周辺の歩道はくまなく人があふれ、少し歩いて国立国会図書館近くの歩道まで移動した。そこで約1時間半、スピーチに聞き入ったり、合間に行われるコールをしたりした。

 スピーチの中では、沖縄のうるま市から来た大学生のAさんのあいさつが印象的だった。

   「私は米軍ジェット機が墜落した、あの宮森小学校出身です。
  東京へ来ると米兵が歩いていない。戦闘機の爆音が聞こえない。
  ・・・・・・
   私は今、ここで貴重な体験をしています。
   私は選挙権を持って初めての選挙が去年の知事選でした。
   ・・・・・・
   あきらめたくない。思考停止したくない。・・・・」

 
(注)宮森小学校事件
     1959630日、1020分、2時間目が終わった時刻に嘉手納基
    地を飛び立った米軍ジェット機が炎上、墜落し、生徒11名と近所の
    住民7名が死亡、200名を超える人々が重軽傷を負った事件

主催者発表で25千人。
しかし、昨夜のNHKニュース7は見事にスルー。一昨日の17千人の集会も同様。

他方、昨夜のニュース7は香港で選挙制度改革案の採決を前に数千人のデモがあったこと、その背景には制度改革を抑え込もうとする中国への不満、さらには中国人観光客が高級ブランド品を買い占めることへの不満もある、とまで話題を展開、嫌中意識はしっかり、かき立てていた。
 にもかかわらず、自国の平和憲法を死に追いやろうとする法案に反対して国会を包囲した民意は無視。

官邸広報とどこが違うのか
 昨夜、アクセスしたツィッタ-には、こんな書き込みが。
 https://twitter.com/kou_1970/status/610032434726371328 
 「7時のNHKニュース、香港の『数千人』のデモを延々と伝えたが『数万人』の日本の国会包囲デモにはまったく触れず、「数千人」の渋谷の若者たちのデモなんか完全無視。NHK、恥を知らないらしい。でも、なんでこんなロコツなことが出来るのだろう。」

リツイートは1,424(6月15日、17時30分現在)。

 55年前(1960年)の今日6月15日、安保条約の強行採決に抗議する35万人が国会周辺を埋め尽くした。今の事態は当時をはるかに超える、戦争の危機、憲法破壊の危機が現実のものとして差し迫っている。
 2万5千人ではとうてい少ない。20万人、30万人の民意が国会周辺を埋め尽くす状況を作ることが悪法案を廃案に追い込む唯一の方法だと思う。

 国民の目を中国・韓国(連日のMERS報道など))の失政、両国のマイナス・イメージのニュースに仕向け、伊勢志摩サミットなど「安倍政権浮揚の話題」は政治部記者の解説付きでクローズアップ、女子サッカーの話題で国民を歓喜させようとするNHKの「あざとい」話題選別、情報操作をしっかりと射止めて視聴者に打ち返す運動が必須になっている。

 昨夜ここまで下書きしたところで知人からメールが届いた。開くと、NHKがニュース7の後の時間にNHKが、戦争法案反対の国会包囲行動等を伝えたとのこと。

ニュースウェッブに掲載された次のような動画付ニュース原稿が貼り付けられていた。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150614/k10010114461000.html

 

何時のニュースか、わからなかったので、「テレビでた蔵」で確かめると、20:4521:00の時間帯のニュースの一コマだった。
http://datazoo.jp/tv/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E6%B0%97%E8%B1%A1%E6%83%85%E5%A0%B1/865596
 

 昨日はニュースウオッチ9はなし。(あっても伝えたかどうか、不確かだが)
 だったら、もっと多くの人が見るニュース7でなぜ伝えなかったのか?それほどのニュース価値はないとNHKは判断したのか?

 しかし、北海道砂川でのひき逃げ事件は、6月8日~12日と連日報道。昨夜は事件から1週間という前置きで、何度も聞いた情報、何度も見た映像を使いまわして2分37秒かけた。
 「何を伝えるべきか」ではなく、「何で時間枠を埋めようか」と思案しているようだ、というと言い過ぎか? 
 
こうした番組編集は、これまでからNHKのニュース番組で見られた話題選別・アリバイづくりの手合いであるが、以前は「目立ちにくく」だった。今は、「なりふり構わず」になっている。

 しかし、被害者には痛ましい事件にせよ、一つの刑事事件である。それと、一国の平和と安全、人権に根底からかかわる憲法を大転換させる政権の動きに対して示された大きな民意を報道する価値をNHKはどのように比較秤量したのだろうか?
 政権に不都合な話題はすり抜け、政権に追い風となる話題は持ち上げる・・・・これでは官邸広報と、どこが違うのか?

会長がだめだからの言い訳は通用しない
 そんな放送局、そんな番組編集に従順な役職員に手厚い待遇をする原資を差し出すいわれは視聴者にはない。
 そういう番組制作のために自分が収めた受信料を使われたくない、そういう放送、あるいは今の安倍政権と似て、視聴者が何をいっても聞く耳を持たないNHKの姿勢が改まるまで受信料の支払いを停止するのは自分の良心に忠実な視聴者のまっとうな行為である。

 
ここまでくると、「会長が籾井氏だから」などと言うのは言い訳である。本当にあのような品性・知性の会長のせいで、つくるべき番組、伝えるべきニュースを伝えられないのなら、「籾井会長がどうの」という前に、そういう自分たちをふがいないと煩悶する意識が、NHKの役職員にあるのかどうかを問うことが先決である。
 「激励が大事」という名のもとに、こうした根源的な問いかけを、のらりくらりとすり抜けるNHK役職員、労組の習性を放置したのでは、はれ物には近づかない、触らないというNHKの体質は、会長が誰になっても営々と生き続けるのではないか?
 今のNHKの全役職員に差し向けるのにふさわしい言葉は、やはり、茨木のり子さんの次の詩だと私は思っている。
 
  「初心消えかかるのを
   暮らしのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志にすぎなかった
   駄目なことの一切を
   時代のせいにはするな
   わずかに光る尊厳の放棄
   自分の感受性くらい
   自分で守れ
   ばかものよ」
   (茨木のり子『自分の感受性くらい』1977年、花神社、1516ペー
    ジ)

| | コメント (4)

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »