確定した不幸の発掘だけでなく、不幸を確定させない警鐘こそ ~NHKスペシャルを視て思うこと~
2015年8月5日
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政権べったりの報道をやめろ
怒りの声でNHKを包囲しよう!
8.25 NHK包囲行動
チラシ:
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/825NHKhoui/NHKhoui.pdf
日時: 2015年8月25日(火) PM: 6:30~
場所: NHK放送センター(渋谷)
(放送センターの周囲、正面玄関側、西門側、東
門側を包囲し、各箇所でリレートークとコール
(随時)を行なう。)
主催: NHK包囲行動実行委員会
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皆さんは8月2日、夜9時から放送された次の番組をご覧になっただろうか?
NHKスペシャル 「密室の戦争 ~発掘・日本人捕虜の肉声~」
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150802
【番組の予告記事】
「70年以上埋もれていた「肉声」が発見された。第二次世界大戦中、太平洋の激戦地で捕虜となった日本兵。連合軍の極秘の施設で記録された尋問の録音が、初めて見つかったのだ。
取材班は、発掘された音源を、最新のデジタル技術で修復・解析。その内容は驚くべきものだった。殺すか殺されるかの戦場を生き抜いた日本人捕虜の壮絶な告白、尋問官から祖国への裏切りを持ちかけられ葛藤する姿、そして連合軍に筒抜けとなっていた機密事項・・・・。
密室で、日本兵たちはひとりの人間として、自らの戦場と向き合っていた。そして、音源の分析から、捕虜となった日本兵と尋問が行われた「秘密尋問所」の場所を特定した。
戦後、家族にすら伝えることのなかった密室の告白。現代に蘇った捕虜たちの肉声を通じて、歴史の闇に埋もれてきたもう一つの戦争を伝える。」
私は見逃したが、この番組を見た連れ合いが、いつもの辛口とは打って変わって、「とてもよかった。録画を取れなかったのが残念」と言って、さっそくブログに書いた感想を読んだ。
昨夜、調べると、5日の午前0時10分(4日の深夜)から放送することがわかり、開始直前に録画予約をしたうえで視た。
肉声で聞く日本兵捕虜の尋問の模様には釘づけになった。特に、尋問を通じて過去の自分と向き合うことに耐え切れず、自殺した捕虜がいたのは痛ましい。
こうした記録を発掘し、調査したスタッフの番組制作意欲と力量に敬意を表したい。今どきのNHKの番組、といって十羽ひとからげにはできない、重いテーマを手掛ける気骨のあるスタッフがNHKにいると改めて感じさせられた。
そのうえで言うと、確定した過去の事実を発掘し、視聴者に投げかけて、史実の評価や教訓の汲み取りを視聴者に委ねるというのがドキュメンタリィ番組の王道なのかも知れない。
しかし、民主主義社会の支柱の一つとして放送が果たす役割という点では、目下進行中の重いテーマに挑み、将来、もしかしたら修正を迫られるかもしれないリスクを背負いながらも、明るみに出ていない事実、治世者にとって不都合な事実を発掘して、治世者のたくらみに対する警戒情報を国民に向かって発する番組を、もっと手掛けてもらいたい、といつもながら感じる。
特に、対立する政治的テーマを避けたり、中立を標榜して「両論併記」の安全地帯に逃げ込んだりする組織としてのDNAを根治しないかぎり、NHKは上で述べた「警戒情報」を国民に向かって発するのはおぼつかないどころか、不幸を生む政治への警戒心を摘み取り、不幸を生む政治を支持させる役割を果たす結果になってしまう。
過去を知ることは未来を変える力になると信じながらも、もはや避けようがない不幸を確定させないための理性が国民の間でいきわたるよう促すことこそ、公共放送NHKの使命である。
そうした使命に対する自覚、使命を果たす意思と能力があるのかどうか・・・・少なからぬ国民からこうした問いを突き付けられているNHKこそ、「存立危機事態」にある。
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コメント
明治以降の現状再生産的追いつき方媒介知の愚劣は、「東大マルクス主義」にも共有されているからジャーナリズムの体制順応主義に対する批判に対しても不徹底なんでしょうね。
認識とは、価値認識をも排除出来ないのですから、どんな事実を採用しそれに立脚するかという選択事態とも無縁じゃないんです。
やはり、先人たちの「地べたを這う実証主義」への批判は正当です。
「確定した不幸の発掘だけでなく、不幸を確定させない警鐘こそ」とは、ウェーバー的な事実と価値の峻別・分裂という蒙昧や、ドイツ実証主義論争の地平を超え出ることの必要の再確認です。
投稿: | 2015年8月 7日 (金) 20時00分