「韓熱日静」:日韓合意をめぐる両国世論の落差は何を意味ずるのか?~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(2)~
2016年1月7日
「韓熱日静」
昨年末に発表された「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓合意に対する両国内の反応の落差を表すために私が造語したこなれの悪い言葉である。
前向き評価が大勢、静かな日本
昨日(1月6日)の『東京新聞』は日韓合意について、「国内反応ねじれ 保守層反発 共産は評価」という見出しの大きな記事を掲載した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201601/CK2016010602000130.html
確かに一部に「ねじれ」は見られるが、マスコミの論調も含め、日本では日韓合意を前向きに評価する意見が大勢である。昨日の国会での野党の代表質問でも、日韓合意を取り上げたのは民主党の岡田代表のみ。それも「合意を率直に評価する」というものだった。
合意に不同意が過半の韓国
韓国でも「過去よりは進展した形式で日本政府が責任を認めたとみることができる」、「単純な『道義的責任』レベルは脱して『法的責任』の方向に進んだ形の外交的折衝」『中央日報日本語版』2016年01月06日09時27分)と評価する意見があることは確かだ。
しかし、当事者である元「慰安婦」の女性の大半は自分たちの頭越しに合意がなされたこと、10億円で「最終決着」とされたことに強く反発している。
また、このブログの一つ前の記事で紹介したように、韓国の世論調査会社リアルメーターが12月30日に発表した少女像の移転に関する世論調査(12月29日に成人535人を対象に実施)によると、回答者の66.3%が「反対」と回答、「賛成」は19.3%にとどまっている。
さらに『中央日報』が行った世論調査(1月5日、同紙掲載)の結果も次のとおりである。
「慰安婦問題の不可逆的解決」に同意するか
強く同意する 5.4%
ある程度同意する 31.9%
「同意する」 小計 37.3%
それほど同意しない 36.2%
全く同意しない 22.0%
「同意しない」
小計 58.2%
分からない・無回答 4.5%
安倍首相の謝罪に誠意はあるか
非常にある 1.7%
ある程度ある 19.8%
「誠意はある」 小計 21.5%
あまりない 39.6%
全くない 37.0%
「誠意はない」 小計 76.6%
分からない・無回答 1.9%
なによりも私が注目したのは、少女像の移転に関する世代別の「反対」の割合である。20代では86.8%に達し、30代では76.8%、40代は68.8%と、若い世代ほど反対が多いのである。
合意廃棄を訴え、大学生が少女像を守る韓国
現に、韓国では各地の大学の総学生会が合意廃棄を訴え、少女像は自分たちが守ると、徹夜で像の周りに座り込みをしている。そして、彼らを徹夜で現場取材した『ハンジョレ』の記者は、少女像を守る若者たちに近づいた中高年者が
「守ってくれてありがとう」とカイロを渡す光景や、「仕事の合間に立ち寄った」という運転代行のドライバーがいたと伝えている。
[ルポ]冬空の下、日本大使館前の少女像を徹夜で守る若者たち
(「ハンギョレ新聞」2016年1月6日)
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/22968.html
(ソウル市内のテヒョン文化公園内に建てられた少女像の前で、韓日交渉の破棄を主張する梨花女子大総学生会の学生たち。『ハンギョレ』2016年1月4日)
(ソウルの駐韓日本大使館の向かい側の少女像の前で「少女像の守り役」として徹夜する若者たち。『ハンジョレ』2016年1月4日)
また、韓国の元「慰安婦」支援団体の挺対協は1月6日、「自分たちの募金で元「慰安婦」支援の財団を作り、日本政府からの資金は受け取らないとする「特別声明」を発表した。
(TBSニュース、2016年1月7日、1時35分配信)
志位氏が言う、尊厳を守るべき個人のなかに元「慰安婦」は含まれないのか?
安倍首相の「お詫び」と10億円の資金拠出、それと引き換えの少女像の移転――被害者である元「慰安婦」も被害国の過半の国民も拒否し、廃棄を求めている日韓合意を、日本のマスコミ、野党までがこぞって「前進」と評価する「ねじれ」、しかも、このねじれに正面から疑問を投げかける団体も市民も現れない日本社会の光景――私は今、この光景に暗澹たる思いを募らせている。
日韓合意が発表された翌12月29日に、日韓外相会談の結果を「問題解決に向けての前進」と評価する談話を発表した志位和夫・日本共産党委員長は1月4日、党本部で開かれた党旗びらきのあいさつの最後で、同党が提唱した「国民連合政府」で掲げる「立憲主義の回復」とは平和だけの問題ではなく、「国家によって侵害を受け、傷つけられている『個人の尊厳』を回復し、守り、大切にする社会をつくろうということにほかなりません」と発言している。その真意を私は全く疑ってはいない。
ここで問いたいのは、志位氏がいう「個人」とは日本人だけなのか、朝鮮半島で暮らす元「慰安婦」の女性は含まれていないのか、ということである。もちろん含まれているという答えが返って来ることを百も承知している。
しかし、それなら、「日本軍慰安婦として強制動員され、人間の尊厳と価値が抹殺された状態で、長期間、悲劇的な人生を過ごした被害者たちの、毀損された人間の尊厳と価値を回復させるべき義務は、大韓民国臨時政府の法統を継承した今の〔韓国〕政府」にある(韓国憲法裁判所決定「大韓民国と日本国間の財産権及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定第3条不作為違憲確認」、2011年8月30日)だけでなく、第一次的には加害国である日本政府にあることは自明である。
その日本政府が、たとえ政府資金とはいえ、性格も理由も明かさないまま、10億円を拠出するのと引き換えに、「従軍慰安婦」問題を蒸し返すなと一札をとったり、韓国市民が平和の碑として建立した「慰安婦像」(少女の像)の移設を10億円拠出の条件にするかのような合意を、なぜ「問題解決に向けての前進」などと評価できるのか? 韓国国民の76.6%が「誠意を感じない」と受け止める安倍首相の「心からのおわび」がなぜ前進なのか?
金で被害者、被害国の国民の口を封じようとする野卑で傲慢な安倍政権の外交が「人間の尊厳」を守り発展させると謳う日本共産党の党是と合致するのか?
今は「戦争法廃止」の一点に注力する時だから、で説明がつくか? 戦争法廃止のための政権構想として提案した「国民連合政府」が掲げる「立憲主義の回復」とは平和だけの問題ではなく、「国家によって侵害を受け、傷つけられている「個人の尊厳」を回復し、守り、大切にする社会をつくることを目指すものなら、日韓合意を「前進」と評価した談話をそのままにしておいてよいのか? 国会の代表質問で日韓合意が元「慰安婦」の尊厳を回復するものかどうかをなぜ、正面から質さないのか?
私は前記の暗澹たる思いで立ちすくむのではなく、日本社会のこうした光景が何を意味するのかを考え、自分なりの見解を持ちたいと資料を集め、思案しているところである。
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コメント
バッジ@ネオ・トロツキストさんへ
私は世界と日本の共産主義運動の歴史に明るくないのですが、最近の日本共産党の動向(国会でのオリンピック歓迎の全会一致決議への参加以降)は上等の政治理論とか政治思想(のゆれ)とかによるものというよりも、もっと底の浅い「機会主義」のあらわれではないかと感じています。それは国会内でも外でも同調圧力に膝を曲げるというより、自ら、国民意識にすり寄って同調(翼賛)していく点に特徴があると思えます。
自らすり寄るわけですから、主体的な政治理論とか政治思想などの備えは必要ないわけです。「状況適合主義」と言ってもよいと思います。
「天皇制をどうするかは国民の総意で決める」とする同党の思考停止の方針はその典型ではないでしょうか? 政党である以上、国民の総意待ちではなく、自らの方針を示すべきところ、それをしない(回避する)わけですから、原理も理論も要らないのです。また、そのような「待ち」のスタンスをとることによって、多くの国民が(天皇制ではなく)天皇に親近感を持っている現実と対峙する「苦労」を避けているのだと思います。本来、この場合は、「象徴天皇制」について、どう考えるのか、自党の思想を示すべきところなのに、です。
投稿: 醍醐 | 2016年1月28日 (木) 04時18分
下の投稿にやや意味不明な書き方をしてしまったので補足させていただきます。
被害者不在の今回の日韓合意だけでなく、拉致問題への対応でも感じられる人権問題をめぐる日本共産党のユレには、根本の哲学的混迷(=基礎的社会観・世界観における個別と普遍の間の分裂、振動)が現れているとしか思えないのです。
このことがより普遍的に現れているのが「変革主体の問題」です。
マルクスの「万国の労働者、団結せよ!」の精神・方針を「国民が主人公」路線に矮小化し、「自主独立」路線の看板の下に(プロレタリア)国際主義を等閑視・放棄しているのが現在の日本共産党をはじめとする20世紀型左翼諸党でしょう(ギリシャ、スペインなどの新・新左翼党も含む)。
この原因に、20世紀に起こった中ソ覇権主義による干渉問題があったことはたしかに否定できないかもしれません。しかし、議会活用変革路線とも結びついている(「国民国家」の誕生と不離不即の議会制度はEUを除き一国主義制度だ!)一国主義的な視野狭窄は、左翼の世界観や変革戦術をマルクス時代とかなり異なるものに変質・歪曲させてしまったのではないでしょうか。
外国人参政権の保障が求められる時代になっているにもかかわらず、自党の党員資格規定の変遷や憲法の「国民主権」的な時代的制約に無反省・無関心な日本共産党も例外ではありません(コミンフォルムの引き回しに盲従して終戦直後に「外国人党員の党外追放」を行った日本共産党も、戦後の4、5回党大会の頃までは、在日朝鮮・中国人の党員を抱えていましたし、一方、野坂参三氏のように一時外国の党に籍を置いていたような人間もいたのがかつての共産主義運動でした)
つまり、20世紀型左翼は、「(変革)主体」の概念や定義が怪しいのです。
したがって、権利主体の規定や人権問題の社会的性格についての見方も狂ってくる。
「国家」による権利の簒奪に対する鈍感は、その最たるものでしょう。性奴隷犯罪被害者個人の賠償請求権簒奪の等閑視や拉致犯罪によって侵された権利が何であったのかというような犯罪の被害性格についての誤認は、全体主義批判の立場に立つ人間にさえ国家主義のホーりズが潜んでいることの表白だと思います。
個人(=自然人)の上に国家を置く態度の露出なのですから。
しかし、ホーリズムに対するそのような無自覚は、その裏面では朴裕河を擁護するような「進歩派」のアトミズムにも転回してしまうのです。「個人」と「国家」の関係をめぐる把握態度の振動です。
権利の抽象化は、普遍の孤立化が反転した個別の孤立化に過ぎません。有井論文が指摘しているところです。
先生は、いかがお考えでしょうか?
投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2016年1月24日 (日) 06時26分
>ここで問いたいのは、志位氏がいう「個人」とは日本人だけなのか、朝鮮半島で暮らす元「慰安婦」の女性は含まれていないのか、ということである。もちろん含まれているという答えが返って来ることを百も承知している。
共産党の人権問題の捉え方には哲学的根本に遡って検討されるべき動揺があるんですね。思い出したので書いておきます。
90年頃の『前衛』誌論文で、一度は「拉致は人権侵害であり人権問題は国内問題にとどまらない国際問題だ」というような見解を表明し、拉致問題を内政不干渉原則が貫かれるべき性質の問題に矮小化することは出来ないという立場を採ったくせに、被害者帰国頃には、拉致は「国家主権の侵害」という立場に後退してしまった。近年はまたぞろ人権擁護の立場からの「拉致」批判を行っていますが、ユレがあることは否定できない。
共産党には、「北」の悪行一般に対する認識態度でも同様のユレがあるのです。
大韓航空機爆破事件の頃は、「北」の犯行の「証拠」に固執して「北」の犯行を曖昧化・免罪してしまう当時の社会党に対して、宮本議長が「実証主義は不可知論に転化する」と喝破・批判したのに、90年代後半の拉致事件をめぐる国会対応では、不破氏が「外交問題は実証主義の立場で」なる指導を下しました)。
ま、実証主義と現象学の偽りの対立と両者間のいたちごっこに無自覚な20世紀型マルクス主義の当然の理論的帰結なのでしょうね。
実証主義的アトミズムと現象学的ホーリズムは、相互補完する同じメダルの表裏でしかないのです。
朴裕河を擁護する日本の「進歩派」文化人も共産党の幹部も、抽象的個別主義と抽象的普遍主義の両極間でヌエのように双面を露出させているだけなのです。
有井行夫(↓)に耳を傾けよ!
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/10856/KJ00005119982.pdf
投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2016年1月21日 (木) 11時16分
隠ぺい、ねつ造を繰り返し居直る加害者側だけでなく、それに迎合する被害国のアンクル・トムたちも糾弾されるべきでしょう。
そういう連中を放置しておくと、ハーケンクロイツや旭日旗も墓場からますます蘇ってくる。
投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2016年1月15日 (金) 15時23分
L様
いろいろと示唆に富むコメントと情報をお知らせいただき、ありがとうございました。『帝国の慰安婦』と著者の朴裕河さんが検察に告発された件、それについて日韓の識者が抗議声明を出したことについては、私も関心を持ち、今回の日韓外相の共同声明以前に何人かの知人と意見交換をしました。
コメントを拝見して、目下、連載中の記事の一つとして『帝国の慰安婦』と日韓「合意」の関わりを取り上げ、上記の抗議声明が日韓「合意」の補助線になったというLさんの指摘についても吟味したいと思います。
抗議声明についての私の意見をえば、同調しないということです。その理由は、声明が、言論の自由に過度に重きを置き、『帝国の慰安婦』の歴史認識それ自体、同書の記述が元「慰安婦』の人権と尊厳を正当に扱っているのかどうかの検討がおろそかにされていると考えるからです。
今回の件の示唆も含んだと思える徐京植氏の論説として、「ハンギョレ新聞」2015年9月19日に掲載された「寄稿 他者認識の欠落-ー安保法制をめぐる動きに触れて」
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/21990.html
を興味深く読みました。
取り急ぎ、お礼と返信をいたします。
投稿: 醍醐 | 2016年1月13日 (水) 02時20分
こんばんは。
今回、国内での評価が高いこと、共産党が肯定的に評価したことに非常に不審に思っていらっしゃるご様子ですね。しかし、先日のパクユハ名誉毀損起訴抗議声明を補助線とし経緯を考えに入れれば自然な反応だと思います。
>「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」に対する違和感と本来何を問題とすべきだったかについてhttp://d.hatena.ne.jp/scopedog/20151128/1448732567
>抗議声明の主目的が、朴裕河「帝国の慰安婦」に対する賛美であり、朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決に手放しで賛成することであり、韓国における言論の自由の状況を日韓市民で共有し協力しようというものになっていない、と評せざるを得ないんですよね。
また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html
この一文がそれを物語っています。韓国における言論の自由の状況を憂いているというより、(朴裕河路線での)“慰安婦問題”の最終解決が遠のくことを恐れているという感じです。
引用終了
※朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決
原則論的な挺隊協を黙らせた上で元慰安婦のみなさんの頭越しに日韓のボス交で、日本の国家責任と謝罪を曖昧にした形でアジア女性基金の延長のような仕組みで手打ちして慰安婦に金を握らせて終わったことにする路線らしい。たぶん水曜デモと少女像の禁止も込みで。
>朴裕河教授は日本の右翼でもなければ容易に試みない真に独特な挑戦に乗り出した。 ~日本政府に法的責任はないという点を論証しようと努めている
原文は2015/02/27 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19811.html と。
>慰安婦がこうした苦痛を受けた1次的原因は当時の不幸な社会像のせいであって日本政府の責任ではないという点を強調
>著者の見解は、日本政府に慰安婦を作った構造的な“罪”に対する責任を問うことはあっても、それが法的責任を負わなければならない“犯罪”ではないということ
>日本政府の法的責任を追及できる端緒である慰安婦動員過程で広範囲に行われた人身売買に対する軍の黙認と慰安所設置に関する軍の指示などに対する言及は消極的に扱っている。
>日本政府が「法的責任」を負わなければならないという主張を曲げない挺対協に非難の矛先を転じる。
>挺対協が自分たちが考える運動の正義のために
>実際には日本を「容赦」し「和解」する意志のある慰安婦被害者の小さな声を死蔵させた(と主張)
>しかも「併合(韓日併合条約)が両国の条約締結を経たことだったので法的には有効」であり「植民支配という不法行為に対する他国の国民動員に関する賠償」を通じて慰安婦に対する賠償を主張できず、1965年の韓日協定で個人請求権が消滅し個人補償を要求する根拠もなくなったという指摘も忘れない
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19811.html
もちろん、日本で教育を受け日本で活躍しているパクユハ世宗大学教授だけが悪いわけでなく、彼女の提起は安倍自民的政治家のみならず、日本のインテリたちの受容体に特異的に結合したからこそこのようなことになったのだけれども。
>なぜ、こういうことが起こるのだろうか? その理由を推測するに、朴裕河の言説が日本のリベラル派の秘められた欲求にぴたりと合致するからであろう。
徐京植、「和解という名の暴力−−朴裕河『和解のために』批判」
(『植民地主義の暴力』、高文研、2010年)http://readingcw.blogspot.jp/2015/02/blog-post_18.html
というわけで、11月末に「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」に賛成したみなさんは、(12月の末に)「朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決」で野合することを予期し希望していたわけです。先月発売の?「世界」の和田春樹さんの記事には、10月の段階で日韓の話が進んでいた旨が書いてあるそうです。
で、かの「抗議声明」の賛同人は
浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順)
小森陽一さんのような共産党系な方をはじめ、国会前で「安倍政治を許さない!」とスピーチなさってる方も少なからず含まれていますし、朝日や毎日などの偉い人もいます。自民や社会の重鎮も。
ですから、野合後の反応自体には不思議はないのです。むしろ不思議は、沖縄ノート裁判を戦った大江を含め、なぜ彼らは野合を望みそれが正当だと考えたか?でしょう。(翻訳してもらった大江辺りのように深く考えないまま、義理で署名した人も多かったろうとは思いますが。しかし、さすがに柄谷行人さんは断ったようで)
それは、ソキョンシク先生が指摘する”日本のリベラル派の秘められた欲求”を探ればきっと分かるのだろうと思います。で、先生のような階層の方なら、きっと上記の人々のハラを知ることが出来ると思います。とりあえず、本郷に行って後輩の小森さんと、対照として高橋哲哉さんにインタビューしてみては如何でしょう?
期待しています。
投稿: L | 2016年1月11日 (月) 01時49分