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メディアの監視対象である政権がメディアを監視しようとする愚かで危険な野望

2016215

 28日、9日の衆議院予算員会で、高市総務相は放送法第4条に違反する、政治的に不公平な放送などを繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して電波停止の処置を取ることもあり得ると発言した。
 これについて、高市氏や菅官房長官は、総務省がこれまでから言ってきたことを繰り返しただけで、当たり前のこと、と平静を装っている。しかし、多少とも国会会議録等を調べるとわかることだが、今回の停波発言は、菅総務相(2007年当時)の国会説明や国会審議の経緯をたどると、これまでの総務省見解の繰り返しどころか、反故というべきものである。
 また、ネット上では、虚偽の放送をした以上、行政が乗り出して正すのは当然と言う意見が見受けられるが、「何が虚偽か」「何が公平か」を誰が、どのような基準で判断するのかは、番組編集の根幹にかかわる問題である。ましてや、放送法第4条第14号で定められた「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に適合するかどうかは報道番組の編集の生命線ともいえる問題である。
 時の政権の一員である放送事業の所管庁が、こうした問題の審判者かのように振る舞うとしたら、放送の国家統制の入口に立つことになる。
 そもそも、報道番組の多くは、時の政権が推進しようとする国策を取材対象とするものである。そのように取材・報道の対象(国策のプレイヤー)である行政機関が取材・報道のアンパイアかのように振る舞い、自らを監視するメディアをコントロールしようするのは、相互に独立し、緊張関係を保つべき一方当事者が2役を兼ねる矛盾である。

 このような認識から、私も共同代表の1人を務める「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は運営委員会の協議を経て、今日、高市総務大臣宛てに次のような申し入れ文書を発送した。また、同文を放送界の次の団体(の長)宛てにも発送した。
 ・BPO 濱田純一理事長
 ・BPO放送倫理検証委員会 川端和治委員長
 ・BPO放送人権委員会 坂井 眞委員長
 ・NHK 籾井勝人会長
 ・日本民間放送連盟 井上 弘会長
 ・民放労連
 ・日本放送労働組合 中村正敏 中央執行委員長


   高市総務相の「停波」発言の撤回と総務大臣の辞職を
                             求める申し入れ
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/takaichi_daizin_ate_mosiire_20160215.pdf

                                                     2016
215
総務大臣 高市早苗様

       高市総務相の「停波」発言の撤回と総務大臣の辞職を
                              求める申し入れ


          NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
               共同代表 湯山哲守・醍醐 聰

 さる28日、9日の衆議院予算員会で、高市総務相は、政治的に公平であること等を定めた放送法第4条に違反する放送を繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して停波もあり得るとの答弁をした。安倍政権のもとで放送に対する介入が頻発している状況の中で放送事業を所管する大臣から、放送番組の内容と関わらせて行政処分を発動する可能性が公言されたことは、報道の自由、放送の自主自立の原則に照らして、極めて由々しき問題である。当会は以下の理由から、高市総務相に対し、上記の発言の撤回を求めるとともに、高市氏が放送事業を所管する大臣としてわきまえるべき資質を欠いていると判断し、総務大臣の職を辞するよう求める。

1
. 倫理規範たる放送法第4条違反を理由に行政処分を可とするのは法の曲解であり、違憲である

 憲法・放送法学者の間では放送法第4条は放送事業者に法的義務を課す規範ではなく、放送事業者が自覚すべき倫理を定めた規定とみなすのが定説である。その理由は、政治的公平であること、報道は事実を曲げないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること、などを定めた放送法第4条は、言論・表現・報道の自由の根幹をなす番組の編集方針や番組内容に関わるものであり、これらに違反するかどうかを所管庁や政権が判定し、違反を理由に行政処分や罰則など法的制裁を発動するとなれば、憲法21条で保障された言論・表現の自由を侵害するおそれが強いからである。
 現に、真実でない放送をされ、人権を侵害されたとして放送事業者に訂正放送を請求できるかどうかが争われた事件で最高裁は申立人の訴えを棄却する判決を言い渡した(20041125日)。その判決文の中で最高裁は放送法第4条の性格を次のように解釈している。

 「法41項自体をみても,放送をした事項が真実でないことが放送事業者に判明したときに訂正放送等を行うことを義務付けているだけであって,訂正放送等に関する裁判所の関与を規定していないこと,同項所定の義務違反について罰則が定められていること等を併せ考えると,同項は,真実でない事項の放送がされた場合において,放送内容の真実性の保障及び他からの干渉を排除することによる表現の自由の確保の観点から,放送事業者に対し,自律的に訂正放送等を行うことを国民全体に対する公法上の義務として定めたものであって,被害者に対して訂正放送等を求める私法上の請求権を付与する趣旨の規定ではないと解するのが相当である。」

 
このような最高裁の法解釈に照らしても、放送法第4条が放送事業者に対外的義務を課す規範規定ではなく、4条各項で定められた事項を自律的に確保するよう促した倫理規定であることは明らかである。したがって、放送法第4条に違反する放送がなされたことを以て行政処分の根拠とするのは法の趣旨の曲解であり、違憲であって許されない。
 
 もっとも、ここで言う「倫理規定」とは放送事業者の「編集権」なるものを無条件に容認する趣旨ではない。まして、放送法第4条第1項各号への適合を番組編集者の裁量に無制約に委ねたものでもない。「倫理」とは最高裁判決も指摘するように放送事業者が国民全体に負う「義務の自覚」を前提にした自律を意味している
 昨今のNHKの放送、特に報道番組は政府の意向を忖度し、代弁する政府広報に偏したものが多い。こうした政治的偏向を正すには、NHKの自律を待つだけでなく、BPOによる監視はもとより、NHKの主権者というべき視聴者からの理性的な批判が不可欠である。NHKはこうした視聴者の批判に真摯に向き合い、「義務の自覚」を実際の番組編集に活かすことが不可欠である。放送事業者の「自律」とは国民の知る権利に奉仕する使命を果たすために与えられた自治であって、視聴者からの批判を「聞き置く」身勝手な裁量を意味するのではないことを、ここで強調しておく

2.  
停波発言は2007年の放送法改正にあたって行政処分の新設案が削除され、真実性の確保をBPOの自主的努力に委ねるとした国会の附帯決議を無視するものである。
 
 2007年の国会で、政府から提出された放送法改正案の中に、ねつ造番組を放送した事業者に対し、再発防止計画提出を義務付ける行政処分規定が盛り込まれた。しかし、衆参両院の法案審議において、こうした規定は「公権力による表現の自由への介入にあたる」との反対意見が出された。日本弁護士連合会も2007328日に発表した「会長談話」の中で、「行政機関が,免許権限を背景として再発防止計画の提出を求めることは,その要件が必ずしも明確でないことも相まって,放送事業者に萎縮的効果をもたらすおそれが強く,国民の知る権利を損なうものとなることが懸念される」とし,「放送倫理上の問題は,放送事業者が自らを厳しく律することによって解決されるのが望ましい」と指摘した。

 こうした意見を受けて、新たな行政処分規定は削除され、代わって、衆参両院の総務委員会は、放送界が共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議を採択した。
 この附帯決議は放送法第4条が倫理規範であることを踏まえた妥当なものであった。義偉総務相(当時)も、新たな行政処分は「BPOによる取り組みが発動されるなら、私どもとしては作動させないものにしていきたい」と述べ、BPOによる再発防止策が機能している間は、行政処分規定を凍結する考えを示した。
 (2007522日、衆議院本会議 。なお、以上については、奥田良胤「『ねつ造』に関する新行政処分放送法改正案を国会に提出」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所、20076月も参照)

 ところが、高市総務相はさる今年28日の衆院予算委員会で、「BPOBPOとしての活動、総務省の役割は行政としての役割だと私は考えます」と答弁し、BPOの自立的な努力の如何にかかわらず、行政介入を行う意思を公言した。このような発言は2007年の衆参附帯決議の趣旨に反し、菅総務相(当時)の答弁とも相反する不当なものである。

3.  
放送法第4条に違反するかどうかを所管庁が判断するのは編集の自由の侵害である。

 
放送法第4条違反を理由に停波を発動することがあり得るとした高市総務相の発言は、放送された特定の番組の内容が事実を曲げたものかどうか、政治的に公平かどうか、意見が対立している問題について多くの角度から論点を明らかにしたかどうかを所管庁(総務省もしくは総務大臣)が判断することを意味している。当会が今回の高市発言で最も問題視するのはこの点である。
 というのも、事実を曲げたかどうか、政治的に公平だったかどうか、多角的に論点を明らかにしたかどうかは往々、価値判断や対立する利害が絡む問題である。そして報道番組の取材対象の大半は、時の政権が推進しようとする国策であり、報道番組では政府与党自身が相対立する当事者の一方の側に立つのがほとんどである

 このような状況の中で、政府の一員であり、放送に関する許認可権を持つ総務大臣が、放送された番組が政治的に公平かどうかの審判者のようにふるまうのは、自らがアンパイアとプレイヤーの二役を演じる矛盾を意味する。その上、総務大臣が自らの判断で放送法第4条違反を認定し、その結果をもとに行政処分に踏み切る可能性を公言するとなれば、放送事業者に及ぼす牽制・威嚇効果は計り知れず、そうした公言自体が番組編集の自由、放送の公平・公正に対する重大な脅威となる

 当会は以上挙げた理由から高市総務相の停波発言に抗議し、直ちに発言を撤回するよう求める。さらに、放送法の番人を装いながら、その実、行政処分権をちらつかせて放送事業者を萎縮させ、放送を政府のコントロール下に置こうとする野望を隠そうとしない高市氏は放送事業の所管大臣として失格であり、すみやかに辞任するよう求める。


                         
以上

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安保法案の採決「不存在」へのこだわり

201629 

国会内の重要な動き
 先日、ある大学教員の方から、24日の『中日新聞』に次のような記事が出ていることを知らせてもらった。

「安保法「可決」追記 議事録の調査要求 参院議運委で野党
 参院の議員運営委員会は四日午前の理事会で、安全保障関連法を「採決」したとする昨年九月十七日の特別委員会の議事録問題について協議した。野党側は参院特別委の議事録で、委員長発言を「聴取不能」とした後、「速記を開始し可決すべきものと決定した」との文言が追記されていることについて、同様の追記方法が過去にあったかどうかなどを事務局に調査するよう正式に求めた。

 野党側理事の吉川沙織氏(民主)は調査を求めた理由を記者団に「野党側は議事録掲載の経緯を明らかにするよう、参院事務局などに求めていたが、昨年秋に臨時国会が開かれず協議の場がなかったためだ」と説明した。調査委決壊は次回以降の理事会で示される。

 速記の中断や開始は、審議の休憩や再開を意味する。野党側は、審議の細管が確認できない中で採決が行われたことを問題視してきた。採決をめぐっては、野党側は「委員長の声は全く聞こえなかった。理事会での与野党協議もなく築城したのは納得できない」と反発してきた。弁護士や研究者の間からも、議題や結果の宣告の聞き取れない中での採決は「法的に認められない」との声が上がっていた。」

 見落としていたが、『東京新聞』の夕刊にも同文の記事が載っていた。

道理へのこだわり
 こうした国会の動きは遅きに失した感は否めないが、市民の間でもあの「採決」の体をなさない議事進行に対する怒りは収まっていない。
 2
6日、名古屋に出かけて「安保報道の検証とNHK改革への提言」というテーマで話をさせてもらった後の質疑の中でも、「天皇陛下がご臨席される国会であんな無茶がまかり通ったままでよいのか。この先、何かやれることはないのか」という発言、質問があった。「天皇陛下のご臨席」云々という言葉が挿入された意味は忖度しないとして、「採決」の外形すらない917日の参院安保特別委員会の異常な議事進行は日本の憲政史上まれに見る汚点である。
 しかし、野党や市民団体の安保法案反対運動が、こうした法案審議の決定的な「瑕疵」を素通りし、法案は成立したことにして「安保法廃止」を求める運動に切り替わっていったことに私は強い違和感――道理へのこだわりの不徹底――を感じてきた。

「規則」「先例録」にことごとく反する議事進行
 そのような中で、遅まきながら、上記のような動きが国会で現れたことは歓迎したい。ただ、特別委委員長の指示にしたがったまで、などという事務局からの通り一遍の回答や、与党判断で「可決」という文言が議事録に追加された(『東京新聞』20151012日)不当行為をまかり通らせてはならず、参議院議事規則に従った議事進行がなされなかった事実が確認されるまで徹底究明されなければならない。

 参議院事務局『参議院委員会先例録』(平成25年版)には次のような記載がある。小学校のホームルームの規則を紹介するようで気が引けるが、そうも言っていられないので引用しておく。①②は醍醐の追加。

155 採決は、挙手又は起立の方法によるのを例とする
 ①採決を行うには、委員長は、まず、表決に付する問題を宣告する。
委員会における採決は、挙手又は起立の方法によるのを例とするが、異議の有無を諮ってこれを行った例も多い。
 ②挙手又は起立により採決するときは、委員長は、問題を可とする者を挙手又は起立させ、挙手又は起立者の多少を認定して可否の結果を宣告する。
(以下、省略) 」(150~151ページ)

 昨年917日の参院安保特別委の議事進行は、この「先例録」にことごとく反するものだったことは一目瞭然である。

 速記録には「議場騒然」「速記不能」という記載のみだった。特別委終了後、廊下で報道陣からマイクを向けられた福山哲郎理事(民主党)は、「可決はされていません。委員長が何を言ったかわからない。いつ動議を出したのか、採決されたのかわからない」と吐き捨てるように発言した。井上哲士委員(共産党)も 「そもそも動議が出たのかどうかも、委員長が何を発言したのかも誰もわからない。だからこれは全く無効」と語った(朝日デジタル、2015年9月17日、19時28分)。

 実況中継をしていたNHKの高瀬耕造アナウンサーも「委員長の姿は多くの委員の姿に隠れて見えない状況になっています」、「委員長の発言はまったく聞き取れない状況になっています」と語った。
 中継に同席し、「法案は可決された模様です」と語った田中泰臣・政治部記者も当日23時から放送されたNHK WEB NEWSに出演して「私自身も今、何が行われているのかということが正直言ってわからない状況でした」と発言している。

   このNHK WEB NEWSでは番組放送中、視聴者から寄せられた投稿(ツイッター)がテロップで次々と流されたが、そこには次のような感想が続いた。

「あれ、採決取ってないじゃないか! あれで可決が成立ですか @sekicot

「今回の採決、議事録は取れているのでしょうか? 委員長何を言っているのか全くわかりませんでしたが @sotentyou

「佐藤議員が手で立てと合図して自民党議員が立ち上がっている様にしか見えない @reteracy

「採決の映像は子ども達に見せられないと思ったのは私だけですか?? @pyongkichi

議事録ねつ造
 
 こうした一連の証言をまとめると、
 
*鴻池委員長が事前の進行案にそって議事進行を宣告したとしても、何を今、表決に付そうとしたのか、宣告の声は大半の委員には全く聴取できていない。それでも与党委員が断続的に起立したのは自民党の佐藤理事の合図に呼応したものであって、鴻池委員長の表決の宣告、起立を促す発言に従ったものではない。よって、参院議事規則も上記の「先例録」の①も全く満たしていない。

*鴻池委員長は委員長席から委員の姿を見える状況になかったから、起立の多少を認定できる状況になかった。よって、これも参院議事規則と上記の「先例録」の②を全く満たしていない。

*議事の実態が以上このようなものであったにもかかわらず、閉会後、委員長の「認定」なるものや「与党の判断」で、存在もしない「可決」を議事録に追記したり、実際にはなされなかった公聴会報告を議事録の末尾に「参考」と称して追録したりするのは、議事録のねつ造以外の何物でもない。

追加された議事録も欠陥だらけ
 さらに、追加された議事録も瑕疵だらけであることを指摘しておかなければならない。
 というのも、委員会室で行われたといわれる5件の「採決」―-質疑打ち切り動議、安保関連2法案、鴻池委員長に審査報告書の作成を一任する動議、付帯決議――
のうち、安保2法案に関する「採決」以外は、案件ごとに採決がされたことを証する記録がないということである。
 例えば、追加された議事録の
末尾に、「右両案の質疑を終結した後、いずれも可決すべきものと決定した」と記されているが、自民党の山本一太議員から提案され、「採決」されたとされる質疑打ち切り動議の「採決」が宣告され、起立多数で「可決した」という記録自体がないのである。
 同様に、これでは、鴻池委員長に審査報告書の作成を一任したとされる5番目の「採決」も、外形上存在しないと同時に、議事録の上でも存在しない。
 記録(議事録)とは存在を裏付ける唯一の証拠である。委員長の「認定」がこれに代わり得るはずがない。議事が終了した後で、委員長が廊下で「可決した」と発言したら、委員会室で存在しなかった「採決」が「創作」され、法案が「可」と決せられるなら、委員長独裁以外の何物でもない。

 国会議員は、立憲主義を語る以前に、このような子供にも見せられない国会の非行、不正行為を撤回し、法案の審議をやり直すことが先決である。有権者はこのことをしつこく質し続ける必要がある。

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