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TPPは地域を壊し、地産地消を脅かす。批准は許されない

2016331 

 昨日(330日)、「TPPを批准させない3. 30 国会行動」が行われた。主催は「TPP批准阻止アクション実行委員会」。私も呼びかけ人に名前を連ねた「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」は賛同団体に加わり、私は個人としてこの日の行動の呼びかけ人に加わった。行動は3部制で行われた。
 第1部(1430分~1630分):衆議院第2議員会館前での座り込
                                                  み行動
 第2部(1700分~1830分):決起集会(憲政記念館ホール)
 第3部(1900分~2000分):国会請願キャンドルデモ

 私は都合により、第3部の行動には参加できなかったが、第2部で、呼びかけ人の1人として、植草一秀さん、内田聖子さんとともに、短いスピーチをした。事前に司会者から5分でという指示を受けていたので、散漫なスピーチにならないよう、今の時点でぜひ話したいと思うことを持ち時間の中で話せるよう、用意した原稿を読み上げる形にした。もう少し、その場の話し言葉で発言した方が親しみを持っていただけたのではと、後で反省したが、とにもかくも限られた時間で言いたいことは言えたかなと思っている。
 以下、読み上げ原稿を転載しておきたい。
 なお、第2部の集会の模様はIWJの記録録画が次のように、ネットにアップされている。

  TPPを批准させない3.30集会 in 憲政記念館ホール IWJ 録画
 
 http://www.ustream.tv/recorded/85065028
  (右サイドバーの「2016/03/30 16:50」)

UPLANの録画もyoutubeにアップされている。
    https://www.youtube.com/watch?v=6VKR7kXNJxk
  (私のスピーチは7:251300

 11
40秒~ 呼びかけ人あいさつ 原中勝征(前日本医師会会長)
 16
40秒~3900秒 呼びかけ人スピーチ
               醍醐 聰、植草一秀、内田聖子
3950秒~1時間1100秒 各党代表あいさつ
               民進党、無所属、日本共産党、社民
               党、生活の党
1時間1500秒~ 制服向上委員会 スピーチ&うた
1時間2100秒~ 各界参加者決意表明

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    3.30憲政記念館集会スピーチ 読み上げ原稿

                          醍醐 聰

 皆さん、こんにちは。安倍首相は3月3日の参議院予算委員会で、TPP交渉において日本は勝利した、と誇らしげに発言しました。どうしてでしょう? ほとんどの国が98%の農産品の関税を撤廃したのに対し、日本は82%にとどめたからだ言うのです。しかし、これは、安倍首相の過剰な自己愛に災いされた実績詐称のホラフキです。
 日本が関税を撤廃した82%の品目の中には、政府がTPP交渉に参加する時に「聖域」とした170の重要品目が含まれています。交渉からの脱退も辞さず守るよう、国会でも決議された「聖域」のうちの29%の農産品の関税を政府投げ売りしたのです。

 さらに、「日本農業新聞」の調査によると、関税を守ったと政府が言う農産品の細目のうちの20は既に関税がゼロになっていたもので、これ以上、下げようのないものでした。こんなデタラメな説明を国会で通用させてはだめです。

 TPP協定文書には私たち市民にとっても日本の国家主権にとっても毒素が随所にちりばめられています。ここでは、地域経済をこわすという毒素について考えてみたいと思います。
 今、日本の各地で「地産地消」の取り組みが続けられています。直売所での地元産品の販売、地元農林水産物を活用した加工品の開発、学校給食での地元農林水産物の利用などを通じて、生産者と消費者が「顔の見える繋がり」をつくり、地域の活性化、流通コストの削減を図ろうという取り組みです。
 農水省は学校給食における地場産物の利用割合を2015年までに30%以上にするという目標を掲げて地産地消を奨励してきました。

 ところが、TPP協定文書の投資の章を見ると、自国の領域において生産された物品を優先的に購入するような措置は許されないと定めています。となりますと、外国産品も出回っている中で、学校給食などで地元産品の利用を奨励することは、内外無差別の原則に反するとして海外食品企業から、ISDS条項を使った訴訟を起こされる恐れが出てきます。政府調達の章でも、入札にあたって現地調達を行ってはならないとされています。
 こうしたルールは既に日本も加盟しているWTO政府調達協定で定められた水準と同等であり、新たな懸念には及ばないと政府は説明しています。

 しかし、2012年に発効した韓米FTAには内外無差別原則は盛り込まれていませんでしたが、韓国政府は、この協定に入れられたISDS条項で米国企業から訴訟をおこされることを恐れて地方自治体に地産地消の条例を止めるよう指示しました。その結果、約9割の自治体が「地産地消」の条例を変更し、米国産品も選べるような表現に直しました。
 さらにTPP協定では3年以内に、国際入札を義務付ける対象範囲、基準額を再交渉すると謳っています。
 地域主権、地域経済を脅かし、地産地消の流れに逆行する危険な船に乗ることはぜったいに阻止しなければなりません。

 皆さん、たとえ、お腹にパンチをくらおうと(注)、私たちには道理と大義があります。今の国会でTPP協定の批准を阻止し、さらにアメリカ、カナダ、日本が足並みをそろえれば、TPP協定を永久に葬り去ることができます。ともに頑張りましょう。

 (注)「たとえ、お腹にパンチをくらおうと」という台詞は唐突に
    思われたかもしれないが、次のような報道を念頭に入れて
    使った言葉である。

 「自民・山田俊男氏、農協関係者に暴力 党幹部が公表」
 
(朝日デジタル 20163252132分)
 http://www.asahi.com/articles/ASJ3T652DJ3TUTFK01S.html
 
 「自民党の山田俊男参院議員(比例区)が18日の党会合に出席した際、農協関係者に対して暴力を振るっていたことが25日、明らかになった。伊達忠一党参院幹事長が同日の記者会見で、「本人に話を聞いた。事実関係を認めていた」と説明した。
 山田氏は、食品の原料原産地表示をテーマにした会合の終了後、出席者の農協関係者と口論になり、腹部を素手で殴ったという。伊達氏によると、山田氏は党参院執行部による事情聴取に対して「親しい間柄で、暴力の認識はなかった。迷惑をかけ、申し訳なかった」と謝罪したという。
 山田氏は農協の組織内候補として2007年参議院で初当選し、2期目。」

35_3 TPP影響試算の一環として訪問したJA北海道中央会で
 (2013年5月14日 醍醐聰撮影)

35_4 同上。帯広市での調査を終えて出かけた帯広市内緑ヵ丘公園内の中
 城ふみ子の歌碑(2013年5月16日 醍醐聰撮影)

  母を軸に子の駆けめぐる原の晝 木の芽は近き林より匂ふ    





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宮城県の民共政策協定を全国へ

2016325

 宮城県での画期的な民共政策協定
 
 32日、民主党宮城県連と日本共産党宮城県委員会は定数1となった今夏の参議院宮城選挙区の候補者を民主党現職の桜井充氏に一本化することで合意した。私が注目するのは候補者1本化にあたって両党が交わした以下のような6項目の「政策協定書」である。

政策協定書
 
1)立憲主義に基づき、憲法違反の安保関連法廃止と集団的自衛権行使容認の
  7. 1閣議決定の撤回を目指す。
2)アベノミクスによる国民生活の破壊を許さず、広がった格差を是正する。
3)原発に依存しない社会の早期実現、再生可能エネルギーの促進を図る。
4)不公平税制の抜本是正を進める。
5)民意を踏みにじって進められる米軍辺野古新基地建設に反対する。
6)安倍政権の打倒を目指す。

民主・共産、政策協定調印式(ニュース録画)
 https://www.youtube.com/watch?v=ss3fMgYdRHw
201632日、FNN Local

 なぜ、私はこの「政策協定書」に注目し強い賛意を表すのか? 私は無力を承知で、昨年1215日に野党5党の党首宛てに次のような要望書を提出した。

「目下の重要課題を共通公約に掲げた選挙協力を」~来年の参議院選に臨む野党各党への要望書~
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/yobosho_yato_toshu_ate20151215.pdf

 要望書の骨格は、野党の選挙協力の前提となる政策合意を「安保関連法の廃止」に絞るのではなく、
 2. 移設条件なしの普天間基地閉鎖、辺野古基地建設阻止
 3. 出口がふさがった原発再稼働は認めない
 4. 税制・財源に関する具体的対案
も含めるよう求めるというものだった。その時アップしたブログ記事に、それぞれの
項目、特に4について肉付けした説明を書いているので、ご覧いただけると幸いである。

参議院選挙の共通公約について野党党首に要望書を提出」
  http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-4299.html 

 今回の宮城県での民共両党の政策協定書は、私も要望した安保関連法廃止からさらに踏み込んで「集団的自衛権行使容認の7. 1閣議決定の撤回を目指す」と明記しているのはたいへん意義深い。「安倍政権の打倒を目指す」が協定書に入っているのも合意の基礎を固める上で意義深い。

 と同時に、安保関連法廃止に加え、私も強く要望した「辺野古新基地建設反対」、「不公正税制の抜本改革」も含まれていることにむろん賛同する。さらに、私が、野党間の合意可能性を考慮して、「原発再稼働を認めない」とした点について、再稼働反対からさらに踏み出して、「原発に依存しない社会の早期実現、再生可能エネルギーの促進を図る」と謳ったのは貴重な合意であり、強く支持したい。
 また、民共両党の政策協定の2つめの「アベノミクスによる国民生活の破壊を許さず、広がった格差を是正する」も時宜にかなった合意であり、今後はその具体化が求められる。

宮城県の「政策協定」を全国へ、全野党間へ
 
 日本共産党の中島康博県委員長は、「政策協定」調印式の場で、
「安倍内閣が締結しようとしている環太平洋連携協定(TPP)には反対」、「安倍内閣が進める消費税10%への増税に反対」の2点を、今後の政策協議の中で検討することを求めていくと発言している。
 私は既成の6項目だけでも大きな意義があると考えるが、さらにこれら2点が合意に加わるなら、いっそう価値ある政策協定となる。かつ、それは、選挙時の政策協定にとどまらず、今後の政権構想を協議する時の土台にもなると思われる。
 維新の会と合流して民進党となった旧民主党が当面は宮城県レベルで、この「政策協定書」を誠意をもって実行することが求められる。

 と同時に私が強く要望したいのは、この6項目(ないしは8項目)の政策合意を宮城県にとどめず、また、民主党・日本共産党2党間にとどめず、①全国化すること、②全野党の合意に広げること、である。
 今回の宮城県における民主・共産両党の6項目の政策協定は、どれも宮城県に固有のものではなく、全国の選挙区、ひいては国政レベルにも当てはまるものであり、各地域、各党間で合意が可能なものばかりである。なによりも各地の市民団体、野党各党に要望したいのは、宮城県での先駆的な政策合意を全国に、全野党間に広げる努力である。

問われる税制改革の中身
 なお、今回の宮城県での政策協定の4番目の「不公平税制の抜本是正を進める」は、2番目の「アベノミクスによる国民生活の破壊を許さず、広がった格差を是正する」という政策を実行する上での財源確保という意味を持っている。多くの国民は野党が掲げる格差是正、社会保障の充実という公約に共感は持っても、直ちにそれが野党支持につながらない最大の壁は「財源の目途があるのか」という疑問である。
  この疑問を解消するためにも、「不公正税制の抜本的是正」という政策合意の中身を具体化することが不可欠である。そこで私は、

 ①消費税10%への引き上げの(延期ではなく)撤回
 ②法人税減税の中止、当面、安倍政権下で進められた不合理な法人
  税率引き下げをもとに戻す(40.69%→32.11%)、それによっ
  て約4兆円の税収を確保する、

という税制改正案を提案してきた。
 ①の消費税10%への引き上げは、景気低迷の中、安倍政権もためらいを見せているが、10%への引き上げ「延期」ではなく、「撤回」が重要である。でないと、不公正税制の根は残るばかりでなく、個人消費底上げの効果も乏しくなる。
 しかし、①だけでは、「穴が開いた財源をどうするのか」という議論が起こるのは必至である。そのような議論に備えるためにも、②を①と併せて政策合意する必要がある。
 ただ、さらに言うと、消費税率を8%に据えおくことによって税収見込みは4.4兆円ほど減少する。これをまかない、かつ今後も増加していく社会保障財源を確保するには、別途、規模の大きな税収が必要となる。

留保利益税の創設に向けた議論を
 そうした財政需要面からのニーズと不公正税制の是正という面からの要請を共に満たす税制改革案として、私が提案しているのは、約343兆円(金融・保険業を除く全規模の法人計、2015年度第一四半期末現在)に上る留保利益への課税である。提案の骨子は、資本金1億円以上の法人が保有する留保利益に当面2%の税率で課税をするというものである。この提案でいくと当面、約5.4兆円の税収を確保できる。
 留保利益課税の根拠、二重課税論への反論など詳細は、日本科学者会議東京支部『個人会員ニュース』No.10620151210日発行、に寄稿した次の拙稿をご覧いただけるとありがたい。

 醍醐 聰「留保利益課税の提案」
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/ryuhoriekikazei_no_teian.pdf

 企業が労働分配を抑え、低賃金の非正規雇用を増やしながら、内部留保(留保利益)を増やし続ける現実について、麻生財務相も「守銭奴」と批判し、安倍首相もたびたび経団連首脳を呼んで、賃上げに回すよう要請した。しかし、企業業績が堅調に推移している今春闘でも賃上げは低迷した。

 そもそも労使の賃金改定交渉に政治が介入することに問題があるばかりか、政府の要請が実効性を持つ保証はどこにもない。また、給与は年々の税引き前の企業利益を算定する手前で差し引かれる費用であって、既に積みあがった留保利益を減じるものでもないし、留保利益の活用を意味するものでもないことは会計学のイロハである。


 留保利益の活用というなら、直截に留保利益を課税対象とした法人税の補完税(過去の不公正な税制・社会保険料負担・労働分配などによって適正に課税されなかった企業利益に対する補完税)を課し、それによって増加した税収を社会保障財源などに充てるのがもっとも適正で公正な税制である。この点を政府、野党を問わず、熟慮されるよう強く求めたい。とりわけ、現政権に代わる政権を目指す野党には強く検討を要望したい。また、この留保利益課税は、理解さえ行き届けば、多くの国民の支持を得ることが十分可能な税制だと私は考えている。

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小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(下)~

2016318

「政治的に公平」は「多角的な報道」と関わらせて
 今回の小川氏の見解に限らず、報道の政治的公平が議論とされる場合、賛否の意見をバランスよく伝えたかどうかが問題にされることが多い。しかし、言葉の本来の意味に立ち返ると、それはいわゆる報道の「中立」の問題であって「公平」の問題ではない。しかも、放送法には「公平」という言葉はあるが、「中立」という言葉はない。

 ここで私が留意したいと思うのは、放送法第4条第1項第4号が「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めていること、「意見が対立している問題については、それぞれの意見を公平に伝えること」とは定めていないことである。

 どちらであるかで意味が全く異なることは明らかである。では、放送法が前者のような定めをしたのはどうしてだろうか? この点を考える上で参考になるのは荘宏氏(放送法の制定作業にかかわった元電波監理局次長)の次のような指摘である。

 「この〔政治的公平を要請した放送法の〕規定は一見政治的な不公平を避ければよいとの消極的制限の規定にとどまるかのように見える。しかしながら政治的な公平・不公平が問題となるのは意見がわかれている問題についてである。そこで本号では第4号との関連において、単なる消極的制限のみの規定ではなく、政治的に意見の対立している問題については、積極的にこれを採り上げ、しかも公平を期するように各種の政治上の見解を十分に番組に充実して表現していかなければならないとしているものと解される。」

(荘宏『放送制度論のために』1963年、日本放送協会、136ページ。下線は醍醐が追加)

 つまり、荘氏は、放送法第4条第1項第2号の「政治的に公平であること」は、それ単独でではなく、まして、対立する意見をバランスよく伝える「中立性」の意味ででもなく、同項第4号の「多角的な論点の提示」と関連付けて解釈すべきものと理解しているのである。

  では、第2号規定と第4号規定を関連付けるとはどういうことか? この点を考える上で、荘氏の次のような指摘は含蓄に富んでいる。

  
政治運営に不可欠な常識の普及 (前略)この政治のあり方を決定づけるものは主権者たるわれわれである。すなわちわれわれは国会議員などの議員を選挙し、その活動ぶりを注視し、議決された法律・予算等を理解し、政府その他の行政当局の施策を知ってこれに基づいて行動するとともに、これを批判し、立法及び行政について希望を表明し、さらに次の選挙における意思を固める。・・・・民主主義国家が完全に運営されるためには、国民にあまねく高度の常識が普及していることが必要である。放送はこの目的のためにその機能を発揮しなければならない。
(荘、同上書、148ページ。下線は醍醐が追加)

 メディアの使命をこのように、「国民にあまねく高度の常識を普及させる、それを通じて国民の政治参加を民主主義国家にふさわしいものとすること」と理解することは、放送法がその目的を謳った第1条で、「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と定めたことと整合する。また、国民の知る権利に奉仕することがメディアの根幹的使命と広く理解されていることとも合致する。

「多角的な論点報道」に「中立」はなじまない
 ところが小川氏は記事の中で、放送法4条第14号の定めを原文で紹介しながら、在京6局の安保報道を批判する段になると、上記の4で紹介したように、安保報道番組における法案に対する賛否のバランスを問題にしている。
 しかし、意見が分かれている問題について、「賛否をバランスよく伝える」ことと、「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は全く別個の問題である。
 意見が分かれている問題だからこそ、国民に賢明な判断の拠り所となる情報を多角的に伝える報道機関の使命が大きいと解するのが立法趣旨に適った解釈なのである。

 小川氏が事務局長を務める「放送法遵守を求める視聴者の会」のHPを見ると、「知る権利とは?」と題した記事が掲載され、その中で、次のように記されている。

 「ただし『報道の自由』の目的は、国民の「知る権利」に奉仕することです。報道が多様な情報や意見を公平に紹介することによって、国民は主権者としての政治判断を適切に行うことが可能になります。報道が国民の『知る権利』への奉仕であるからこそ、取材や発表が自由に行えること(=報道の自由)が大切となるのです。」

 最後の文章に異論はない。問題は、「国民の知る権利に奉仕する報道」とは何を指すのかである。安保法案に賛成する意見と反対する意見をバランスよく伝えること(それも必要な要素の一つではあるが)が国民の知る権利にどれほど奉仕するのか? 
  「多角的に論点を明らかすること」と定めた放送法第4条第14号規定の趣旨に沿っていうなら、疑問点が多岐にわたる法案を報道する時にそれらの疑問点を考える情報を独自の調査報道も手掛け、掘り下げて伝えてこそ、「国民は主権者としての政治判断を適切に行うことが可能にな」るのである。

 こう考えると、疑問点が多岐にわたる法案を報道する時に、多くのコメンテーターが、それらの疑問点を指摘し、それに費やす放送時間が多くなるのは自然なことであり、「政治的に公平であること」と矛盾するわけではない。
 そもそも、法案の疑問点を指摘することを以て「法案に反対する論者」と決めつけること自体が稚拙な独断である。このようなレッテル貼りこそ、事なかれ主義を報道機関にはびこらせ、メディアの劣化に拍車をかける罪深い主張なのである。

植木枝盛は次のように述べている。
 
「人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、これを信ずること厚ければ、益々これにくけ込み、もしいかなる政府にても、良政府などといいてこれを信任し、これを疑うことなくこれを監督することなければ、必ず大いに付け込んでいかがのことをなすかも斗り難きなり。」 (家永三郎編『植木枝盛選集』岩波文庫、1112頁)

 メディアの権力監視は市民による政治監視を有効にするための土台であり、ジャ―ナリストは政治権力者のパ-トナー、広報官であってはならない。メディアによる権力監視の基礎には「権力を疑え」という思想がある。このような使命を持つメディアの政治報道に「中立」を要求するのは、「国民の知る権利に奉仕するメディアの使命」を理解しない低俗で危険な反理性主義である。

 「放送法遵守を求める視聴者の会」が昨年1114日(産経新聞)と15日(読売新聞)に出した意見広告の中で名指しで攻撃された岸井成格氏は、「私たちは怒っている」という横断幕を掲げた6人のジャーナリストの記者会見(2016229日)に出席し、意見広告に関する感想を聞かれて、「低俗だし、品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」と答えた(「朝日新聞」201631日)。このような気骨が報道界に広がり、共有されることを私は期待している。 


「放送法」遵守というなら、放送法違反を繰り返す籾井NHK会長の罷免こそ急務
 
 小川氏は放送法違反を口にし、小川氏が事務局長を務める視聴者の会は「放送法遵守を求める」という文言を冠している。それなら放送の自主自立を謳った放送法のイロハに反する言動を繰り返す籾井会長の資質を問題にし、同氏の会長不適格、辞職を促すのが筋であり、急務である。

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権力監視  大切な自立性

                                                                     醍醐 聰

  メディアには時の権力を監視する役割が期待されています。テレビで放送された番組が政治的に公平かどうかを総務大臣が判断するのは、監視される側が、監視先をチェックするという矛盾が起き、問題です。
 政権の意向におもねることなく、伝えるべき課題を探り、それを調査して報道する使命がメディアにはあります。

 例えば昨年、安全保障関連法案の違憲性が指摘されました。政府は「必要な自衛のための措置」はとれるとした1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に、集団的自衛権の行使は「合憲」と主張しました。これに対しテレビ朝日系の「報道ステーション」は裁判に関わった元最高裁判事が判例集に書き込んだメモを発見し、政府の解釈に無理があると指摘しました。
 こうした調査報道こそメディアの自立的報道の強みを発揮したものです。番組内容には偏りがあるか判断するのは視聴者、各放送局の審議会、NHKと民放が設置した放送倫理・番組向上機構(BPO)です。

 「政治的に公平である」などと書かれた放送法第4条は、放送事業者が自覚すべき倫理規定だと考えています。4条に違反したとして行政処分や法的制裁が科されれば、憲法21条で保障された言論や表現の自由を侵害する恐れがあるからです。

 自民党はやらせ問題などを理由にNHKやテレビ朝日の幹部から聴取するなど、メディアへの介入を強めています。政権との摩擦を避けるためか、当たり障りのない番組が増え、テレビ界全体で自粛ムードが広がっている気がします。政権に物申してきた報道番組のキャスターもこの春、一斉に交代します。

 今回の総務相発言について、わたしたちは発言撤回と大臣の辞職を求める申し入れを行いました。しかし、肝心の放送事業者から反論が噴出して来ないのが気になります。(上田貴子)

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小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(上)~

2016年3月18日
 

「北海道新聞」に対論が
 目下、高市総務相の停波発言(28日、9日の衆議院予算員会で高市総務相が、政治的に公平であること等を定めた放送法第4条に違反する放送を繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して停波もあり得ると答弁したこと)をめぐって各方面で論議が広がっている。

 そのような折、「北海道新聞」の314日朝刊の<月曜討論>欄に、「放送局電波停止発言 どう考える」というタイトルで、「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎さんの見解と私の見解が対論形式で掲載された。掲載された私の見解の全文(元原稿)は2回めの記事の末尾に載せておく。

 このような状況の中で、TBSの「NEWS23」のアンカーを務めていた岸井成格氏の発言を捉えて「政治的に公平であること」と定めた放送法第4条に違反するとして、岸井氏を名指して攻撃した意見広告を読売、産経両新聞に出した「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎氏の見解は、高市発言がはらむ問題点を考える上でも有益と思われる。

 そこで以下、小川氏の見解を論点ごとに2回に分けて検討することにした。各項冒頭の引用文は今回の記事に掲載された小川氏の文章からの抜粋である。

小川氏は放送法4条をめぐって何が問題なのかを理解できていない
1. 
「放送法4条は民主党政権時代から、倫理規定ではなく法規範性を持つと解釈されてきました。」

 小川氏はこう述べて、放送法を倫理規定ではなく、法規範だと解釈するのは民主党政権時代も同じだったと説明している。しかし、民主党と自民党の解釈が同じかどうかは政党間の話であって、視聴者・国民から見てどうなのかに関わる議論ではない。
 政治の世界での解釈、見解というなら、国権の最高機関である国会での次のような経緯を知っておくことが肝心である。

 いわゆる「ねじれ国会」時代の2007年の国会で、政府から提出された放送法改正案の中に、ねつ造番組を放送した事業者に対し、再発防止計画提出を義務付ける行政処分規定が盛り込まれ た。しかし、衆参両院の法案審議において、こうした規定は「公権力による表現の自由への介入にあたる」との反対意見が出されたのを受けて、新たな行政処分規定は削除され、代わって、衆参両院の総務委員会は、放送界が共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議を採択した。
 当時、総務大臣だった菅義偉・現官房長官も、放送法改正法案の趣旨説明の中で、新たな行政処分は「BPOによる取り組みが発動されるなら、私どもとしては作動させないものにしていきたい」と述べ、BPOによる再発防止策が機能している間は、行政処分規定を凍結する考えを示していた(2007522日、衆議院本会議 )。
 以上については、奥田良胤「『ねつ造』に関する新行政処分放送法改正案を国会に提出」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所、20076月も参照)

 こうした経緯に照らしても、今回の高市発言はこれまでから政府・総務大臣が言ってきたことを繰り返したまで、という小川氏や高市総務相、菅官房長官の反論は事実に反する説明である。

2
. 「 放送法が悪法と言うなら野党は法改正を提案するべきですし、報道機関もその観点で批判してはどうでしょうか。現にある法律を執行するなと迫るのはルール違反です。」

 小川氏はこう述べているが、誤解ないしは曲解である。高市発言をめぐって野党あるいはいくつかの視聴者団体や報道機関、多くのメディア関係者が指摘しているのは、「放送法は悪法だ」ということではなく、「高市氏は放送法第4条の解釈を誤っている」(放送局が自覚的に遵守すべき倫理規定を法的な義務規定かのようにみなす曲解)ということである。言い換えると、放送法4条を「執行するなと迫っている」のではなく、「放送法第4条は行政処分を発動する根拠にならない」と言っているのである。

報道機関への行政指導には反対と言いつつ、報道機関への行政指導を促す自己矛盾

3
. 「民間放送局は視聴者が支持しなければスポンサーがつかず、抑制が働く建前になっています。しかし日本では企業が広告を出すに当たり、報道の内容を精査して判断する状況になっておらず、有効な監視手段が行政以外にないのが現実です。」

 小川氏はこう語っている。小川氏は、日本ではと断って、広告主が報道内容を精査する状況になっていないと言う。しかし、広告主が報道内容をチェックすることを期待できないのは、広告主にその意思があるかないかにかかわらず、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(第3条)と定めた放送法総則が民間放送にも適用されるからである。

 公共的資源というべき電波の割り当てを受けた放送事業には、第三者による放送内容の検証、チェックが必要だが、問題はそれを「誰が」「どういう方法で」行うのかである。チェックをするのは政府・行政なのか、視聴者なのか、BPOなのかを区別せず、自明のように行政を監視役に見立てて、「強いパワーには抑制する仕組みを持つのが民主主義の基本原理だ」という小川氏は立憲民主主義の何たるかをわきまえず、憲法・放送法が言論の自由、放送の自主自立を謳った意義を理解できていないことになる。
 また、それ以前に、総務省も含んだ政府はメディアによって、その言動・国策を監視される対象である。その政府が監視役の報道のあり方に口を挟むのは主客を転倒させた自己矛盾である。

権力の監視報道に「中立性」を要求する俗流解釈
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. 「私が代表理事を務める社団法人日本平和学研究所が昨年9月の安全保障関連法の成立直前5日間、在京6局の主要報道番組の賛否バランスをキャスターの発言などに基づき調べたところ、6局合計で賛成11%(1462秒)、反対89%(11452秒)と極端な偏りがありました。これでは視聴者はハト派の局とタカ派の局が主張を競い合うという多様性を期待できません。放送法に基づき、各局の番組内で多角的な論点と公平性を確保する以外ないのです。」

 まず、前段の指摘について。ここで小川氏は報道番組に出演したキャスターの安保法案に関する賛否を発言時間(秒数)をもとに計測し、その偏りを問題にしている。調査方法の是非はここでは論じないとして、念のため指摘しておくと、放送法にもNHK放送ガイドラインにも番組基準にも「中立であること」と謳った条項はない。
 小川氏も紹介した「多角的な論点と公正性の確保」からすると、安保関連法案には、日本の平和と安全、世界の平和に関わる重大な論点が数多く含まれていた。発進準備中の戦闘機への給油を認めるのは武力行使との一体化に当たるとの指摘が参考人として国会に出席した元法制局長官から出された。国会審議では野党から、自衛隊の内部資料にもとづいて、安全な「後方支援」というものがあり得るのかという疑問が提起された。

 一昨年、安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認することは現憲法の解釈としても可能とする見解を決定した際、安倍首相は武力紛争から避難しようとする赤ん坊を抱えた母親のパネルを指し示し、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認しなければ、こうした邦人を救出しようとする米艦船を日本は防護できないと、記者会見で訴えた。

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 ところが、昨年826日、参議院安保特別委員会で中谷防衛相は「邦人が乗っているか乗っていないか、これは絶対的なものではございません。総合的に判断するということで・・・」とあっさり答弁した。

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 また、昨年723日、イランのナザルアハリ駐日大使が日本記者クラブで記者会見した折、安倍首相が集団的自衛権を行使できる事例としてホルムズ海峡の機雷掃海を例示したことに対し、「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」と述べ、イランが機雷を敷設するなどして同海峡を封鎖する可能性を否定した。その理由としてナザルアハリ大使は「イランは有数の原油輸出国。(核開発疑惑を巡る)制裁で輸出額が半減し、これから輸出を増やそうとしているのに、なぜ海峡を封鎖する必要があるのか」と強調した。
 また、ナザルアハリ駐日大使はイランの核開発をめぐる主要6か国との最終合意が成立したのを受けて、中東をめぐる緊張緩和が進展したこともあって、ホルムズ海峡の機雷掃海という集団的自衛権行使の事例も信憑性がはげ落ちた。結局、安保法案は「立法事実」(立法を必要とする根拠)の欠落が次々と明らかになったのである。
 そして、とどめは違憲性だった。昨年7月に「朝日新聞」が憲法学者209人を対象に行ったアンケート調査によると、回答した122人のうち104人(85.2%)が「憲法違反」と答え、15人(12.3%)が「憲法違反の可能性がある」と答えた。「憲法違反にはあたらない」と答えたのは2人だった。
 また、昨年7月の時点で、全国で144の地方議会が国会や政府に対して安保法制や集団的自衛権の行使容認に「反対」の意見書を可決していた。「賛成」の意見書を可決したのは6議会、「慎重」は181議会だった。
 
 このような法案内容、法案審議の状況の中でテレビの報道番組に出演したキャスターの多くが、法案をめぐって多岐にわたる疑問点を指摘したら、「反対」の意見表明にカウントされるのか? 事実として多くの疑問点が存在するのなら、それを指摘するのに多くの時間を費やしたとして何が問題なのか? 

 取材対象に多くの問題点が含まれていることを指摘するのは「多角的な論点の提示」に適ったことではないのか? そのような状況でも、「法案にはこんないい点もあります」とバランスを取る「中立」が「公平」なのか?

 数万人の安保法案反対のデモと、数百人の安保法案賛成のデモをバランスよく伝えて世論が二分しているかのような印象を与えるのは「公平」な報道ではなく、「中立」の外装をこらして、政府に不都合な事実をゆがめて伝える政権援護報道であり、権力を監視するという自らの使命を投げ捨てるメディアの自殺行為である。

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徐京植氏の和田春樹氏に対する全面批判の論稿を読んで(上)~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(9)~

2016312
 

 標題の連載テーマについて128日に8回目の記事を書いてから、次は朴裕河『帝国の慰安婦』論やら、上野千鶴子氏の「従軍慰安婦」論について論評したいと思いながら、長らく中断してしまった。
 今回、続編を書こうと思い立ったのは今朝の『ハンギョレ』新聞に「日本知識人の覚醒を促す 和田春樹先生への手紙」と題する徐京植(ソギョンシク)氏の長文の寄稿が掲載されたことを知ったのがきっかけである。まずは、3回に分けて掲載された徐氏の論稿のURLと小見出しを書き出しておきたい。

徐氏の論稿の構成
 
1http://japan.hani.co.kr/arti/international/23573.html
  ・「最終解決」
  ・暗鬱な風景
  ・初心
  ・「第四の好機」
2http://japan.hani.co.kr/arti/international/23576.html
  ・アジア女性基金
  ・亀裂
  ・初期設定の誤り
  ・逆方向のベクトル
  ・現実主義
  ・当事者のため?
3http://japan.hani.co.kr/arti/international/23577.html
  ・朴裕河現象
  ・「邪悪なる路」

理よりも「同志的」心情を立てる日本社会にとっての反面教師
 徐氏の論稿に触発された―――言うまでもなく無批判的な「共感」ではない―――のは2つの理由からである。
 一つは、徐氏が、「私自身の肉親も含めて、苦難を嘗めた者たちからみれば、恩人ともいえる」和田春樹氏に対し、心情を絡めず、和田氏の「和解の思想」に対し徹底した理性的全面的な批判を展開している点である。
 
たとえば、徐氏は、和田氏がアジア女性基金を推進する中心的人物に就いたことに「驚愕した」と記し、1953年、日韓会談が「久保田発言」で中断されたとき、当時17歳の高校生であった和田氏が、「昔のことはすまなかったという気持ちを日本側がもつか持たぬかは会談の基礎、この点について歩み寄りの余地はない」という韓国側の主張は「朝鮮民衆の声」であり傾聴されるべきだと思った、そのとき以来、自分は日本国民の考えが改められるように願ってきた、と語ったことを振り返り、「その思いがなぜアジア女性基金推進へと繋がっていくのか、論理がうまくつながりません」と疑問を突きつけている。

 さらに、徐氏は、「当事者のため?」という小見出しがついた箇所で、基金の「償い金」支給事業を正当化するときに、よく用いられる「被害当事者は高齢化しており残り時間は少ない。せめて償い金を受け取ってもらって心の安らぎを与えたい」という物言いを「国家責任回避装置であるアジア女性基金に『道徳』」という粉飾をこらす機能を果たしている」と切り込み、こうしたレトリックの普及に小さくない役割を買って出た「〔和田〕先生は徹頭徹尾、国家によって利用されたということになるでしょう」と断罪している。

 日本社会では、「世間」と称される空間ばかりでなく、左派とかリベラルとか称される人々の間でも、否、そうした人々の間ではよけいに、過去の親交とか「同志的配慮」とやらを理由(口実?)にして、原理原則に関わる意見の相違を脇に置く傾向が強まっているように見受けられる。それが強権政治や右派イデオロギーと思想的に対峙できない脆弱さの原因にもなっている。
 今回の徐氏の寄稿は、このような日本社会の理性よりも心情を立てる陥穽、長い目で見た共同の意思の思想的底上げよりも、当座の協調を重んじる機会主義的言動の危うさに身をもって警鐘を鳴らすかのような論理の切れの良さ、鋭さがちりばめられている。この点に私は魅せられた。

日本のリベラル知識人の思想の真贋に対する問いかけ
 
 私が徐氏の寄稿に注目したもう一つの理由は、「日本知識人の覚醒を促す」という寄稿のメイン・タイトルにもあるように、徐氏が和田春樹氏の「和解の思想」の質を問うだけでなく、「リベラル」という枕詞を付けられる日本の知識人の思想の質の真贋にまで鋭く、仮借なく切り込んでいる点である。

 たとえば、寄稿の(3)で徐氏は「朴裕河現象」を取り上げ、同書の歴史認識と「和解の思想」の特徴的な誤りを鋭く指摘すると同時に、「朴教授の著作そのものよりも深刻な問題は、それが日本で持てはやされている現象です」と危惧を提起している。
 この点をさらに、踏み込んで徐氏は、「『帝国の慰安婦』には(しばしば互いに矛盾する)いろいろなことが書かれていますが、執拗に繰り返される核心的主張は、慰安婦連行の責任主体は『業者』であり『軍』ではない、『軍』の法的な責任は問えない、というものです」と指摘すると同時に、「この主張は、実際のところ、長年にわたる日本政府の主張と見事に一致しています」、「安倍首相が『人身売買の犠牲者』という言葉を使うのも、『業者』に責任転嫁して国家責任を薄めようとする底意を表しています」と続けている。
 ここで徐氏が強調するのは、「嘆かわしいことは、このような朴教授の著書が日本ではいくつかの賞を受賞し、人気を得ている現象」である。徐氏は「なぜ、こういうことが起こるのだろうか?」と自問、かつての自著「和解という名の暴力」で述べた次のような推論を改めて記している。

 「朴裕河の言説が日本のリベラル派の秘められた欲求にぴたりと合致するからであろう。/彼らは右派の露骨な国家主義には反対であり、自らを非合理的で狂信的な右派からは区別される理性的な民主主義者であると自任している。しかし、それと同時に、近代史の全過程を通じて北海道、沖縄、台湾、朝鮮、そして満州国と植民地支配を拡大することによって獲得された日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じているのである。」

 徐氏のこの前段の指摘は、以前、この私設のブログにもコメントとして紹介があった。正直な感想として、「日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じている」という意識が日本のリベラル派にも浸透しているとまで私は考えていない。この点では徐氏と認識を異にしている。

「お詫び」は日本人が自らの「良心」を慰めるためのものではなかったか?
 しかし、ありていに言うと、安倍政権批判を繰り広げる日本の市民の間で―――さらに、そのような行動を呼びかけているメンバーや革新政党の間でもーーーアジア女性基金が「被害者救済のためではなく、まして、日本国家の責任を明らかにして新たな連帯の地平を切り開くためでもなく、日本人が自らの『良心』を慰めるためのものだったのではないのか。それは謙虚の衣をまとった自己中心主義ではないのか、その心性を克服することこそが問われている課題ではないのか」(徐氏、今回の寄稿の(2))という洞察をどこまで理解できるのか、この問題にどれほど関心を向け、理性的に考える思想を持ち合せているのかという疑問を私は拭えないでいる。

 こうした疑義、批判、思想面のもろさは、昨年12月の日韓「合意」の際に安倍首相が従軍「慰安婦」問題について韓国政府に「お詫び」の言葉を伝え、「日本軍の関与」を認めたことを以てーーー「不可逆的」という条件が付けられたことも、10億円の拠出と交換条件で日本政府が「少女像」の撤去を要求したという加害国と被害国の関係を倒錯したような外交にも一切触れず―――「慰安婦」問題の解決に向けた前進と評価した日本の革新政党にも、当てはまる。

 徐氏も指摘するように、この日韓「合意」はアジア女性基金設立の時と同じ「和解の思想」を低意とし、韓国政府がそれに卑屈に同調した結果、成立したものである。そこでも、日本政府の「お詫びの言葉」は、朝鮮半島の「被害者救済のためではなく、まして、日本国家の責任を明らかにして新たな連帯の地平を切り開くためでもなく、日本人が自らの『良心』を慰めるためのものだったのではないのか」という根本的疑義を私は持っているし、なによりも当の被害者や韓国社会にそのような疑義や不信が今も渦巻いている。こうした事実について黙して語らずの態度のまま、立憲主義の基礎には個人の尊厳を重んじる思想があると当の革新政党に言われても心底から信任はできないのである。


 替えられし弁当の砂に額伏せて食(は)めばたちまち喚声あがる

 喚声にかこまれて食(は)む砂の粒声こらえつつ地を這うわれは

 隠滅のはてに還らぬ慰安婦ら朝鮮おみなと知れば悲しく

 侵略戦争語らず詫びず恥じるなく戦後を了(お)えて日本は強し

  (李正子『鳳仙花のうた』磯貝治良・黒古一夫編『<在日>文学全
    集 17巻 詩歌集』2006年、勉誠出版、に収録)



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