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都知事選:自省なくして革新候補への支持は広がらない(2)

2016727

「眼高手低」あるいは当選あっての理想?
 「だったら、人気もある候補者で勝つしかないじゃないか」というつもりはありません。しかし、「政策の現実味に根拠を!」という政策に対する〈ご意見番的存在の要求に応え〉つつ、〈少なからず存在する、政策を吟味できない有権者からの支持〉も得ることが、自民党やおおさか維新の議員が当選してしまう現在では、必要なのだと思います。

 憲法学者の長谷部恭男早大教授が、「一般市民が、憲法や立憲主義について意識したり、声高に叫ばなければならない状況というのは、悲惨な状況だ」といったようなことを発言されたようです。
 政策の根拠や現実性についてのチェックは、醍醐先生のような学者の方々が冶金して整えて、そして、その苦労を知らない私たちの前に、政策や公約として提示されるのが本筋なのでしょう。

 「理想は高いものの実力が伴わないこと」をいう「眼高手低」という言葉があります。〈眼高〉は〈先生がた〉で、〈手低〉は〈私たち庶民〉です。しかし、これは、〈眼高〉と〈手低〉との間に《乖離がある》とか、〈眼高〉に〈手低〉が《追いつかない》と言いたい訳ではありません。〈眼高〉は〈手低〉を「理想的な方向に導くべく引き上げてくれる存在」という意味で、この言葉を、いま引きました。

 <醍醐:私は持論として、「有識者」という言葉は好みません。「専門家」は真空では難しい議論をしますが、実際に起こった問題の処方箋を訊かれると、ありきたりの話でお茶を濁す場合が少なくないと感じています。
 たとえば、NHK問題に関わる中で放送法第4条の解釈が問題になる時、専攻学者の解説書を読んだり、彼らと議論をしたりしても、問題になっている論点、たとえば、放送法第4条に掲げられた「政治的公平」と「多角的論点の提示」はどのような関係にあるのか、について明快な説明になかなか巡り合えません。
 「専門知」が「実践知」と乖離して社会的影響力を持たない現実、「実践知」が論理的思考で冶金されず、制度論や政策論の場で俎上に乗せられない現実、これら両極に分化しているのが大きな問題ではないかと感じています。>

 ぼくは、過去4年間ほど、ずっとTPPの危険性を知ってもらうべく、何千枚も、自費でコピーしてポスティングしてきました。また参院選でも、職場の周囲に、政治の話題や危険性の話題を出して、バカにされてきました。バカにされるのと孤立することは、覚悟の上で、政治の話を周囲にふってきた立場として、先生の立ち位置と視点は〈眼高〉だと思います。でも、世の中に〈眼高〉がいないと、私たちは盲目になってしまいます。しかし、有権者全体の割合で、先生のような方は、多くないと思います。

反小池キャンペーンの前にやるべきことがある
 <醍醐:「原理的立場」と「実践的処方」の葛藤という点で今、私が考えているのは、両者の溝をつなぐ運動論は何かということです。私の今の発想は、大学生の間でさえ、政治の話を持ち出すとアウェイの状況を味わうという現実、地域でも政治の話をし出すと周りが引いてしまうといった現実を変えていく地味な根っこからの苦労をしないと、政治を変える確かな地盤は根付かないのではないかということです。
 野党共闘は、おっしゃるとおり、自力では多数与党に立ち打ちできないという少数野党の危機感の産物といえると思います。そして個々の一人区で足し算で成果を収めたことも事実です。しかし、それでも全国的には与党改憲勢力に初めて3分の2を超える議席獲得を許した現実を直視しないわけにはいきません。
 そのような選挙結果を踏まえて言えば、個々の選挙区の足し算を超えた、野党それぞれの支持率の底上げを果たす以外、政治の革新は望めない気がします。そして、その底上げのためには、社会の隅々で政治を自分の言葉で語り合う風潮、特に異なる意見と冷静に向き合い、対話する機会を育み、大切にする努力が欠かせないと痛感しています。

 「アベ政治は許さない」と仲間内で唱和するよりも、なぜ有権者は改憲政党に3分の2を超える議席を与えたのか(小選挙区制の問題はありますが)、いろいろ批判される小池百合子候補がそれでも優勢と言う状況がなぜ生まれているのか、彼女の危険な右翼的体質を都民が見抜いていないことが主な理由なのか、一本化したはずの野党統一候補が2人の保守候補のあとを追うという展開になっているのはなぜなのか------都民の政治意識と向き合った政治活動という意味では、こうした点を自問し、冷静に考えることの方が、小池百合子候補の右翼的体質を暴露することに執心するよりも重要だ、と言うのが私の感想です。>

 「今回のような対立の図式は、中央の選挙結果」への反動なのは、それだけ危機的状況で地盤沈下が起こっているからだ、と拝察し、生意気ながら申し上げます。
 どのようにしてTPP批准を阻止できるか惑いつつ、心細くなっているくせに、長々と書かせてもらいました。
 どうぞ、これからも宜しくお願いいたします。

「アベ依存症から脱却せよ」~浅羽通明さんの論説に触発されて~
 <醍醐:いただいたコメントと私が今、思案している問題とが重なる地点で、考えるヒントにしたいと思っている論説を一つだけ、紹介させてもらいます。抜き書きは私が共感した箇所です。

 「(耕論)瀬戸際のリベラル 浅羽通明さん、五野井郁夫さん」
 (「朝日新聞」2016716日)
 
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12462723.html?rm=150 

 まず敗北直視し絶望せよ 浅羽通明さん(著述業)
 「すべて「安倍」を前提にしないと何も打ち出せない「アベ依存症」です。ライバルだけ見ているから、国民=顧客が何を望んでいるのかがさらに見えなくなってゆく。」
 「思えば明治の昔から、日本のリベラル勢力は、有権者と向き合った等身大のところからビジョンや政策を立ち上がらせる姿勢に乏しい。ボトムアップが少なすぎる。」
 「超長期構想と地道な地盤作り。そのためにはまず、リベラル野党が、とことん絶望する必要があります。それなのに民進党の岡田克也代表は『3年前と比べると、よくぞここまでという気持ちもある』などと、敗北を全く直視せず現実逃避している。他人から見たら体形なんて変わらないのに、『ダイエットで3キロやせた!』とはしゃぐ人みたい。まずこの甘えぶりに絶望してほしいですね。」
(聞き手・尾沢智史)>

 

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都知事選:自省なくして革新候補への支持は広がらない(1)

2016727

 ブログに寄せられたコメントへの応答をかねて 

 昨夜、正確に言うと今日の午前0時過ぎに、このブログの一つ前の記事、「都知事選:都民も自らも欺く政策軽視の独善的議論」に対し、高樹辰昌さん(未知の方)から、以下のような長文のコメントをいただいた。
 今の危機的な政治状況を考えれば、私の当該ブログ記事に対して予想されたコメントではあるが、その記事を書いたあとで次の記事を考えながら思案していた私の頭の中を行き来する問題と重なる点がたくさんある。
 そこで、私の感想を挿入しながら、高樹さんのコメントを紹介させていただく。< >内の文章が私の書き込みである。文中の小見出しは私が勝手に付けたものである
 このブログを訪ねていただいた方々にも何か共有していただける問題意識があれば幸いである。

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醍醐先生、こんばんは。
 今夜、「そうだったのか!TPP寺子屋」第6回 岡田知弘京都大学教授「地域経済・中小企業への影響」のIWJさんによる中継を観終わった後に、《心細くなって》、醍醐先生のブログに訪問させてもらいました。
 この記事ふくめ最近3件の記事を読ませていただきました。
以下は、先生の記事に対する論評でもなく、また議論でもなく、建設性を生まない感想だと思いますが、啓上させていたします。

会計学研究歴から染みついたリアリズム
 読んだ本のなかの知識や情報が、どの本に書かれているかを忘れてしまうのがイヤで、ノートすることと、読書が趣味です。
 しかし、知識を多く抱えれば抱えるほど、持っている情報同士で、矛盾し合ったり、対立関係をもつことに出くわすことがあります。対立したり、正反対の内容だったり、矛盾したりする情報同士のうちの、どちらが妥当か/正しいか、について、さらにもっと広く知ることで総合的に判別する、という、要領の善くない、あるいは、埋蔵金探しのような作業をすることになります。
 そうした〈埋蔵金さがし〉の他方、醍醐先生が従事なさってきた〈会計学〉は、「数字ではっきりと一目瞭然に見て取れる」点で、物の見方や尺度として、すごい武器だな、とカルチャーショックを、個人的に受けたことがあります。

 もし、会計学についての捉え方が間違っていなければ、醍醐先生によるこの記事に見られる態度や視点は、会計学者ならではの視点なのかも、と感じました。

 <醍醐:最近は会計学の知見を活かせる場面が少ないことにかかわっていますが、リアリティに欠ける議論に出会うと、賛同といかないこと
がよくあります。財源論のない政策提言に物足りなさを感じるのもその一種です。たかが実学、されど実学ですね。>

 と言ったところで、「お前(高樹)は何を言いたいのだ?」と思われたかもしれません。会計学者でなくても、経営者の視点であっても、その政策を実現するための根拠や財政が無ければ、机上の空論で絵に描いた餅にすぎない、という指摘や批判は、当然かもしれません。

危機的状況に原理原則は有効か?
 
〈当選しなければ、政策を実行さえできない〉しかし他方、〈いかに人気があって当選に成功して、望ましい政策でも、根拠や財源に乏しい机上の空論ならば、やはり実現もできない〉というジレンマが、あるのでしょうか。
 しかし現状は、『また皆、きらびやかなことばかり言っている』『都政の99%は地道な仕事。次こそ、そこをわかった人に来てほしい』」『また知名度争いの人気投票になった・・・・』とならざるを得ないほどの《民主政治における地盤沈下》が起こっているような気が、個人的にはします。
 「知名度争いの人気投票」が“再び起こった”という発言からも、いまに始まったことではないのは確かでしょうが、なぜ野党共闘まで起こってしまったのか、というと、やはり《危機的状況》あるいは《地盤沈下》が起こっているからなのではないでしょうか。

 <醍醐:一つ前の記事で私が批判を向けた澤藤弁護士の論説は、おっしゃるような危機意識が背景にあるように思えます。>

 安倍政権は、平気でうそを吐く。TPP公約も簡単に反故にする。内閣支持率を底上げする為には、株式市場に年金を投下する。年金運用の公表を今年は、参院選後の7月下旬まで引き延ばす。争点を隠して選挙に勝つ。選挙に勝つためには、どんな汚い手も使う・・・・という事をしてきています。
 「だったら、仕方が無いではないか」とか、「だったら、こちらも財源の具体的根拠は無くてもいいではないか」ということを言うつもりはありません。

 ぼくは、先生のように、しっかりした政策監視者や目利きの方がいらっしゃらないと、ほんとうに〈ポピュリズム合戦〉に終始してしまうでしょう。そして、その帰結として、まったくの政治不信に陥るという悪循環になるかもしれません。
 しかし、学術者の先生の交友関係や周囲の方々は、リテラシーが高いかもしれませんが、ぼくの周囲は、先生のような政策ウォッチ力(りょく)は、誰も持ち合わせておりません――ぼくは都民ではありません――。
 「本当に根拠を持った政策をベースに候補者を選ぼうとする有権者」は、有権者全体の何パーセントいるのか、というと、本当に希少者なのではないか、と思われます。
 国政選挙では、政策を全く知らない、元SPEEDの今井絵理子が当選しました。朝日健太郎も。三原じゅん子が、神奈川県地区でトップ当選しました。

小池百合子氏がリードする都知事選の現状をどう見るか
 都知事選挙では、2階建て車両は、東海道線で20年前に導入されて、すでに失敗しているのが分かっているにもかかわらず、小池百合子は、満員電車の解消に、と二階建て電車を政策に掲げています。保育所の規制緩和で、児童の死亡事故など事故が起こっているにもかかわらず、保育所の規制緩和を掲げています。
 《核廃棄物の処理に出口がない》にもかかわらず、また《核の冬》問題が、そんなに的外れではないという科学者の声が出てきているにもかかわらず、また、地震の活動時期に差しかかっているにもかかわらず、《原発稼働》や《核武装》を唱えているが、《そんな小池百合子が、リードしている》といいます。

 <醍醐:各種世論調査で、小池百合子氏が一歩リードしていると報道されて以降、鳥越陣営から、お書きになったような小池批判のキャンペーンが強まっています。それをどう見るかも含め、次のブログ記事で都知事選について続編を書くつもりでいます。私は小池批判もさることながら、鳥越陣営には政策の粗さ、街頭での選挙活動の消極性、「週刊文春」が掲載した女性問題への対応についての疑問など、自省すべき点が多々あると感じています

 一例ですが、鳥越さんは「伊豆大島では消費税を5%にするよう政府に働きかける」と現地で発言しました。消費税増税反対論者でもこれを理解できるでしょうか? 都が島しょ助成金を増やすと言うなら、まだわかりますが。
 鳥越さんは7月25日の個人演説会で「半径250キロ圏内の原発の廃炉を求める」と発言しました。東京都知事にそんなことできるのかと、普通の都民なら素朴に疑問を感じるのではないでしょうか? よく確かめると、「東京電力に申し入れる」ということだそうです。それなら、東京電力の本社に出向いて文書を提出することで公約を果たしたことになります。が、それを「公約」と言うのでしょうか? 廃炉となれば、なおさら、都知事の管轄から離れます。 
 
 政策論から離れますが、週刊誌が掲載した候補者にまつわる女性問題への対応にも強い疑問を感じています。週刊誌を刑事告発した後は、「弁護士にすべてを委ねている」との応答ですが、こうした釈明は保守系の政治家の常套句でした。その場合、革新陣営や市民団体は、それでは説明責任逃れと厳しく批判してきたはずです。攻守入れ替わると態度が一変するのでしょうか? これでは都民は納得しないのも当然です。
 事実無根というなら、それを立証できる当事者(候補者)が進んで説明をするよう、支持政党なり市民団体はなぜ、候補者に求めないのでしょうか? これでは身内に甘い対応と都民に見られ、都民の信頼を少なからず損ねる原因となるはずです。>


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都知事選:都民も自らも欺く政策軽視の独善的議論

2016717

政策論争よりも「わが陣営の政略」を優先させる議論

 1つ前の記事で書いたような「選挙戦は政策論戦が本位」という考え方はごく常識と思いこんでいたら、そうでもないことが最近わかった。
 たとえば、次のような議論が目にとまった。

 「鳥越俊太郎の擁立がギリギリまで遅れ、宇都宮健児の不出馬が公示前日の土壇場になったため、結果的に、保守側(安倍側)に一本化の余地を与えず、保守分裂選挙に持ち込ませることができた。これが政治というものだ。公開の政策協議だの政策協定のプロセスだの言ってたら、この政治は実現してないのさ。」(「世に倦む日々」715日)

 「鳥越都政が実現するかどうかは国民にとって大きな問題だ。実現すれば、都庁に反安倍の強力な野党の拠点ができる。」(同上、同日)

 「
せっかくの4野党共闘による知事選の枠組みが人選で難航しているときに、告示間際となって鳥越候補が出現したのだ。政策は共闘成立に必要な大綱でよい。私は、出馬会見で彼が語った第3項目は、『ストップ・アベ暴走』であったと思う。中身は、改憲阻止であり、戦争法廃止である。歴史を学んだ者として、アベ政権の歴史修正主義を許せないという趣旨の発言もあった。これだけでも十分ではないか。・・・・・」(「澤藤統一郎の憲法日記」2016716日)

 「果たして、細目の公約がなく都民不在であるか。もちろん、時間的余裕があってきちんとした公約ができてからの立候補が望ましい。今回の経緯では不十分であることは明らかだが、『都民不在』とまでいう指摘は当たらないものと思う。
 その理由の一つは、候補者の経歴がよく知られていることにある。候補者の政治的スタンスとそして人間性の判断は十分に可能であろう。出馬会見はそれを裏書きする誠実なものであった。都知事としての資質と覚悟を窺うに十分なものであった。
 また、4野党共闘の枠組みは広く知られているところである。立憲主義の回復であり、民主主義と平和の確立であり、戦争法の廃止であり、改憲阻止である。この枠組みに乗れる人であることが、都民に示されたのだ。それは、都政に関係がないというのも一つの意見であろうが、『候補者+4党+支持する市民』で具体的な都政の政策はこれから練り上げられることになる。それでも、けっして遅すぎることにはならない。」(同上)

 「事前の政策協定ができればそれに越したことはないが、ようやくにして成立した4党共闘の枠組みが成立して、これに乗る魅力的な候補者が見つかったのだ。これを大切にしなければならない。多くの市民団体が鳥越支持の声を上げている。各勝手連も動き出している。政策は、おいおい素晴らしいものが体系化されるだろう。もとより理想的な展開ではないが、今回はやむを得ない。判断材料としての最低限の情報提供はなされており、さらに十分なものが追加されるはずである。都民不在という指摘は当たらないものと思う。」
(同上)

 これらの意見に共通するのは、今回の都知事選を、先の参院選で示された野党共闘の「成果」を受け継いで都知事選を反安倍政権の橋頭保づくりの機会とすること、を主要な選挙戦略に掲げていることである

 首都東京で、野党統一候補が、政権与党が擁立した候補者を破って当選するとなれば、安倍政権に大きな打撃となることは間違いない。しかし、それを都知事選の戦略的目標に掲げ、立憲主義の回復、民主主義と平和の確立、戦争法の廃止、改憲阻止を掲げて実現した参議院選での野党共闘の成功体験を受け継ぎ、発展させる場として都知事選を位置づけるのでは東京都政を国政の縮図ないしは外延とみなすのも同然である。

 しかし、そうした選挙戦略は、野党共闘陣営の政治戦略ではあっても、都民に信を問う政策のベースとなるものではないし、そうすべきものでもない。候補者が安倍政権阻止を表明したら、それで十分、政策はおいおいでよいという発言は、都民不在という以前に、われに正義ありと自認すれば、公けの場での都政をテーマにした政策論争は二の次、という独善的発想である

 「今回の都知事選挙を、『前知事の責任追及合戦』に終始し、『新都知事のクリーン度』を競い合うだけのものとするのではもの足りない」(「澤藤統一郎の憲法日記」2016714日)という意見には私も同感である。
 しかし、だからといって、「都知事は、憲法の精神を都政に活かす基本姿勢さえしっかりしておればよい」、「ストップ・アベ暴走」という所信こそ肝要、「これだけでも十分ではないか」という見方は、都知事候補として都民に信を問う人物を評価する言葉としては粗雑に過ぎ、都政に関する政策を吟味して賢明な選択をしようとする都民にとっては暴論である。

公約は誰に向けるものなのか~想定支持層か? 都民か?~
 澤藤氏は前掲のブログ記事の中で次のように記している。
 「都知事は、憲法の精神を都政に活かす基本姿勢さえしっかりしておればよい。その基本姿勢さえあれば、細かい政策は、ブレーンなりスタッフなりが補ってくれる。4野党が責任もって推薦しているのだ。そのあたりの人的な援助には4野党が知恵をしぼらなければならない。」
 「事前の政策協定ができればそれに越したことはないが、ようやくにして成立した4党共闘の枠組みが成立して、これに乗る魅力的な候補者が見つかったのだ。これを大切にしなければならない。・・・・判断材料としての最低限の情報提供はなされており、さらに十分なものが追加されるはずである。都民不在という指摘は当たらないものと思う。」(「澤藤統一郎の憲法日記」2016716日) 

 それにしても、
 <鳥越氏が立候補に当たって述べた都知事候補としての基本的姿勢と野党+市民団体が推したという事実だけで判断材料としてはもう十分である、あとの細かな政策は支持母体の野党4党なり市民団体なり勝手連に任せればよい。>
という書きぶりを目にとめると、選挙の時の公約は何のためにあるのか、誰に向けるものなのか、と考え込んでしまう。

 「あとはブレーンなりスタッフなりに任せればよい」という議論は当選して始めて通用する議論であり、かつ、支持者に向けてのみ通用する身内話である。
 しかし、「公約」とは当選する前の、当選するための都民に向ける政策の所信である。
 もし、「野党4党+市民が支持している」、「細かな政策は有能なブレーンなりスタッフなりがまとめてくれる」という説明を「公約」とみなすなら、「選挙公約」とは想定支持層に信を問い、彼らを納得させるためのものということになる。

  「あなたに都政を取り戻す」という鳥越氏の選挙スローガンにある「あなた」とは「わが陣営の支持者」ではなく、「都民」全体を指すはずだ。そうなら、身内意識同然の政治的思惑で鳥越氏を支援するのは自他(自分も都民も)を欺く歪んだ発想であり、ひいきの引き倒しである。
 なぜ、「自らも欺く」のかというと、そのような都民軽視の独善的意識では、自らが掲げる「ストップ安倍政権」という呼びかけに共鳴する有権者を広げるどころか、細らせる結果になってしまうからである。
 あるいは、そうした意識で支援した候補者が当選したとしても、それは政策が支持された結果ではなく、知名度を強みにした当選、あるいは与党の分裂に助けられた当選とみなされてもやむを得ない。




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都知事選:地方行政の99%は地味な仕事、政策本位の静かな論戦を望みたい

2016717

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候補の「公約」がようやく出そろったが
 14日、都知事選が告示され、有力3候補の弁戦が始まった。告示日から2日後の昨日、ようやく3候補の「公約」が出そろった。

鳥越俊太郎「あなたに都政を取り戻す」
http://www.shuntorigoe.com/pg_tochiji.html
 

増田寛也「増田ひろや 3つの実現~東京の輝きを取り戻すために~」
http://www.h-masuda.net/policy.html
 

小池百合子「東京大改革宣言」
https://www.yuriko.or.jp/senkyo/kouyaku.pdf
 

これらに目を通した私の感想を手短に箇条書きしたい。

 *3候補が共通して挙げているのは、「子育て」「高齢者対策」といった社会福祉、災害に強いまちづくり、東京オリンピック・パラリンピックに向けた取り組みである。それぞれ、精粗の差はあるが、「公約」のスタンスに大差はない。

 *増田寛也氏地方行政に精通した実務型候補者という下馬評だったが、「公約」を見ると、意外にも、3候補の中で、もっとも抽象的で独自色が無い。討論会でしばしば語っていた「『待機児童解消・緊急プログラム』を策定し、8,000人の待機児童を早期解消」を「公約」の真っ先に掲げているが、早期に解消する道筋も財源も一切、示されていない。高齢者対策でも、「高齢者やチャレンジドの方が安心して暮らせるユニバーサルデザインの街づくり」とあるのみ。

 *小池百合子氏は「3つの『新しい東京』をつくります」というキャッチフレーズのもとに、
 ①「セーフ・シティ」 もっと安心、もっと安全、もっと元気な
  首都・東京
 ②「ダイバー・シティ」 女性も、男性も、子どもも、シニアも、
  障がい者もいきいき生活できる、活躍できる都市・東京
 ③「スマート・シティ」 世界に開かれた、環境・金融先進都市・
  東京
3つを挙げ、それぞれ8~10の政策細目を列挙している。
 そのうち、子育て支援については、「『待機児童ゼロ』を目標に保育所の受け入れ年齢、広さ制限などの規制を見直す」、「保育ママ・子供食堂などを活用して地域の育児支援態勢を促進する」とし、具体的な政策を示している。この点では増田寛也氏の粗い「公約」と対照的である。
 ただし、保育所の受け入れ年齢、広さ制限などの規制緩和で保育の安心、質の確保が可能なのか、疑問がある。何よりもこれらの政策の実行を裏付ける人員と財源をどのように確保するのかがまったく示されていない。 

 *政策づくりが一番遅れた鳥越俊太郎氏は、他の2人とも共通する上記の3項目に加え、「正社員化を促進する企業の支援」、「職人を大切にするマイスター制度の拡充」といった労働・中小事業者問題に独自の政策を掲げている。また、がん検診率をまずは50%、最終的には100%へ引き上げる、住宅耐震化率を現在の83.8%から100%へ、再生可能エネルギーの割合を今の8.7%から30%へ、といった数値目標を示しているのも特徴的である。また、「人権・平和・憲法を守る東京」といった課題を掲げているのも他の2候補にはない特徴である。
 しかし、最後の項目は別として、これらの「公約」を実施するには相当な財源が必要となる。たとえば、都内の1,100万人の有権者を対象にがん検診率を100%へ引き上げるためには11,000億円の予算が必要となる(「毎日新聞」2016715日)。当面、その半分としても、どのように財源を賄うのかを示さないと机上の理想にとどまる。

実行財源の提示がない「公約」では信を問えない
 総じて、一部の候補者の一部の「公約」を除けば、いまだ、「語呂合わせのキャッチフレーズ」、「政策」というよりも「抱負」の列挙と言えるものが目に付く。特に、どの候補者も「公約」の実施を裏付ける財源が全く示されていないのは大きな欠陥である。これでは、内容が似かった上に、実行可能性が示されない点でも似かった「公約」ということとになり、別の基準(国政上の政治的スタンスなど)を選択の取りどころにする都民は別として、都政に関する政策をベースに候補者を選ぼうとする都民にとっては、判断のより所が乏しい状況になってしまう。

 ただし、財源問題をめぐって候補者間で全く論戦がないのかというとそうではない。713日に放送されたフジテレビのBSプライムニュースに3人の候補が出演し、司会者をまじえて約1時間25分、討論を交わした。

BSプライムニュースでの
財源論戦を聴いて
 その中で、地方法人課税が話題に上り、小池氏から鳥越氏に地方法人税の一部である「法人事業税」が国税化され、地方財源の偏在を緩和するため(の地方交付税)の財源にされたが、これについてどう思うかという質問が投げられた。これについて、鳥越氏は都民の財源を国が吸い上げるそのような仕組みには反対していきたいと答えた。
 問題になった法人事業税(地方税の一種)の国税化は増田氏が総務大臣を務めた福田康夫内閣の時代(2008年度~)に始まったものだが、これについて、今度は鳥越氏から増田氏に対し、次のような質問が投げられた。すなわち、先に行われた日本記者クラブでの共同記者会見の場で、増田氏は法人事業税の国税化はもうなくなったと発言した、しかし、調べてみると今でも続いている、これはどういうことか?
 これについて増田氏は、本来は国税化するのではなく、地方消費税に入れて地方に再配分するべきものと考えている、実際はどうかというと消費税率の10%への引き上げが実施されるまでの暫定的措置として導入されたため、消費税引き上げが見送られたことから、廃止されないままとなっていると答えた。ちなみに、東京都の計算によると、こうした法人事業税の国税化で、これまでに累計1.3兆円もの財源が失われた(東京都財政局「東京都の財政」20164月、8ページ)。

 このように、国の税財政とも密接に係わる地方財源をめぐって、曲がりなりにも候補者間で議論が交わされたことを私は好ましい姿と評価したい。今後は、さらに次の点で、より実りのある論戦が交わされることを期待したい。
 *他の候補への質問・批判の前に、各候補者が自分の見解、あるべきと考える政策を示すこと。
 *フジテレビでの討論では法人事業税の国税化が取り上げられたが、2014年度からは法人住民税の国税化(地方交付税の原資に組み入れて財政力の弱い地方自治体に配分する制度)が導入された。さらに、2016年度の税制改正で、法人住民税の国税化が拡大された。

 このような税制の動向からいって、その影響が甚大な東京都においては特に深い議論が交わされることを期待したい。
 *法人に関わる地方財源を論じるなら、安倍政権のもとで国税としての法人税の税率が数次にわたって引き下げられた影響を検討する必要がある。なぜなら、①地方交付税の基幹的原資に組み入れられる法人税収が減少したことが地方法人税の国税化を採用する理由の一部とされ、②法人税収の減少は地方法人税の法人税割り部分を減らし、地方税収の減少の一因となったからである。

地方行政は地味な仕事、望まれる落ち着いた政策論戦
 今回の都知事選は、与野党ともに候補者選考の段階から党中央が前面に出て、都政の選択というよりも、先の参院選の「後続選」といった様相を呈している。特に鳥越俊太郎氏で一本化にこぎつけた野党、市民団体は、与党が分裂選挙となったことから「反安倍政権の運動」にとっての千載一遇のチャンスととらえ、「ストップ・安倍暴走政権」の場として今回の都知事選を捉える意識が強い。

 

そのような風潮になじめないでいたところ、715日の「朝日新聞」に、次のような記事が掲載されているが目にとまった。

 「主要候補が並んだテレビ番組を見ていた都幹部は、こうつぶやいた。『また皆、きらびやかなことばかり言っている』・・・・『都政の99%は地道な仕事。次こそ、そこをわかった人に来てほしい』」
 ある都庁幹部は、『また知名度争いの人気投票になった・・・・』と話した。テレビで主要候補の共同記者会見を見たが、『誰の政策も全然、煮詰まっていない』と感じた。17日間の選挙戦で、具体的な都政の課題を挙げ、それぞれ方向性を示してほしいと願っている。」

 まったく同感である。

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都知事選:「政策協定」を都民に示すことが急務

2016713

 私は東京都民ではないが、日本の政治の動向に大きな影響を及ぼす都知事選の動きに思うことを書きたい。

政策不在の候補者選び
 明日の告示を控え、与党に加え、野党も前日まで分裂選挙の可能性が強まっていた。今日、日本記者クラブで開かれた共同記者会見に、自民・公明両党が推す増田寛也氏、無所属での立候補を表明している小池百合子氏、野党4党が支援を決定した鳥越俊太郎氏、元日弁連会長の宇都宮健児氏の4人が出席した。
 与党候補者が増田、小池の両氏に分裂する流れは数日前から濃厚になっていた。もつれたのは野党候補である。11日夜に民進党に立候補の意思を伝え、12日に正式に出馬表明の会見をした鳥越氏を、会見から1時間後に野党4党が共同で支援すると表明した。水面下の動きはともかく、急転直下の決定である。
 11日に民進党東京都連は古賀茂明氏に立候補を要請、古賀氏も前向きに検討すると表明したばかりだった。

 早くから、立候補の意向を表明していた宇都宮健児氏はこうした動きに、「知名度頼み、政策不在の候補者探し」と反発を強め、上記のとおり、告示日前日の今日、開かれた共同記者会見にも立候補者の1人として出席した。このままでは、野党も分裂選挙となる可能性が強まった矢先、ちょうど、この記事を書いているさなかに、一転、立候補辞退を表明した。

 前回の都知事選にあたって私は宇都宮健児氏の立候補表明、同氏の行政人としての力量と資質、過去の宇都宮選対の非民主的体質などをこのブログで厳しく批判した。その指摘に対し、今日まで宇都宮氏本人からも宇都宮選対の幹部(政党、個人)からも誠意ある応答は直接にも間接にも全くなかった。そうである以上、私の宇都宮氏とその選対幹部に対する評価は今も変わらない。

 今回の都知事選にあたって、野党統一というより、市民共同を願う立場からすると、宇都宮氏がまたも、都政の刷新を望む政党、市民団体、個人の協議を待たず、立候補の意向を表明したことに賛同できない。共同候補を検討する協議を困難にし、市民団体に分断を引き起こす要因を生んだことは否めないからだ。

 では、野党各党や市民団体は、この間、政治・行政面で信頼に足る力量と資質を備え、なおかつ、「勝てる可能性」を十分に持った共同候補を模索する努力をどれほど尽くしてきたのかとなると、きわめて不透明で怠慢である。
 鳥越俊太郎氏のジャーナリストとしての経験と力量は私も十分に評価している。告示日が迫る中、大詰めの段階で鳥越氏が野党統一候補者となったことも理解できる。しかし、それで、胸をなでおろし、あとは鳥越氏勝利のために頑張ろう、では都民不在である。それでは、判官びいきではなく、「知名度頼み、政策不在の候補者選び」という宇都宮氏の批判に一理がある。

「抱負」を「政策」へ具体化することが急務
 712日、13日に開かれた立候補予定者の共同記者会見における鳥越氏の発言を聞くと、同氏が述べた都政に関する発言は次のように要約できる。
 ①住んでよし、働いてよし、環境によしと、この3つのよしを持つ東
  京都のために自分の全力を注ぎたい。
 ②東京オリンピック、パラリンピックは、全力を挙げて輝かしい日
  本の、東京の存在を世界中に発信できるようにやりたい。ただ
  し、税金を使う以上、コンパクトでスモールな大会をめざすべき
  だ。
 ③現在の東京都に広がっている「きょうより、あすは悪くなる」と
  いう不安をなくす施策の一例として、がん検診の受診率を100
  に引き上げるよう改善していく。また、公共事業よりも待機児童
  問題、少子高齢化問題にお金を使っていく。
 ④戦争を知る最後の世代として、戦後の平和と民主主義の教育のな
  かで育ってきた第一期生として、憲法改正について考えていく。

 どれも、都政を担う政治家、行政人が今日の東京都が置かれた状況に照らして、避けて通れない問題である。しかし、また、どの発言も「抱負」であって「政策」「公約」と言えるものではない。それぞれについて、肉付けをし、都民に信を問うに足りる具体策に練り上げる作業が急務である。

 ①の「3つのよし」は何人も異論がない抽象的な理念にとどまる。②の簡素なオリンピックは、どの候補者も掲げるにちがないスローガンである。
 具体的な政策といえるのは③だが、総体としての社会保障政策が不在のまま、「がん検診の受診率を100%」と語られると唐突な感を否めない。待機児童問題、少子高齢化問題となると、施設用の土地と財源を確保する目途を示すことなしには誰もが口にする机上の空論で終わる。
 ④は改憲が日程に上った今日、重要なテーマであるが、都政のレベルでどう具体化するのか、たとえば石原都政時代以来、続いている学校行事の場での国旗・国歌への起立・斉唱の強制問題にどう向き合うのか、などを示し、都民の信を問うことが求められる。

 こうした都民に向ける政策、公約が告示日の前日になっても不在のまま、4党の合意で候補者だけが決まるというのは異常である。

地方自治不在・政党中央主導の候補者選びがまかり通る異常
 告示日前日まで政策づくりが進まず、候補者選びがもつれた大きな原因は、与野党を問わず、参議院選が終わるまでは作業を見合わせるという判断がまかり通ったからである。
 小池百合子氏はこうした党本部、都連の対応に業を煮やし、自民党の公認なしでも立候補するという意思を表明した。増田氏は参院選の結果が判明するのを待ちかねたように自民党に推薦依頼をし、同党都連は直ちに増田氏擁立を決定した。その間、どのような政策協定があったのか、都民には何も知らされていない。

 野党の場合は「日替わり候補者選び」といってもよいほど、混迷した。それも支持母体の政党、市民団体との政策の合意に手間取ったというより、参院選での4党共闘の枠組みを踏襲したい各党中央の意向に沿う候補者を探すのに手間取ったというのが実状のようである。そのため、自民党の場合以上に、野党、特に民進党では党中央と都連の意思がしばしばすれ違い、それが候補者選びを混迷させる大きな要因になった。

 その象徴は鳥越氏を擁立する4党と鳥越氏の共同会見に並んだ野党の顔ぶれが、すべて都連の代表者ではなく、党中央の幹部だったという点である。
 首都東京といえでも、一地方自治体である。辺野古移設を強行しようとする政府の姿勢を沖縄の自治権侵害と訴える野党が、東京都の知事選となると、東京都の自治権を無視するかのように党中央が候補者選考の前面に出るのはどういうことなのか?
 舛添氏の政治資金使用をめぐる公私混同を追及した時は、当然のことはいえ、各党都議団が前面に立った。にもかかわらず、後任の知事候補選びとなると、各党の都連ではなく、党中央が取り仕切るのはどうしてなのか?
 各党の内部自治とはいえ、自民党のように国会議員が都連の幹部を占めるのは、国と地方の自立した対等の関係を確立するうえで好ましい姿とは思えない。
 こうした与野党に共通する実態は、都民と東京都の自治よりも、政党の内部事情、思惑が優先される内向き志向の弊害が露出したものと思えてならない。

都民に信を問うに足る政策を一日も早く
 遅きに失したとはいえ、私は鳥越俊太郎氏が野党と市民団体の共同候補にふさわしい、都民に信を問うに足る、充実した政策を一日も早く練り上げ、都民に示すことを強く要望する。

 

 

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安倍首相と会食し、原発の早期再稼働を求めた行為を悔い改める意思があるのか? ~石原進NHK経営委員長への追加質問を提出~

2016712

 一つ前の記事で書いたように、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は78日、NHK経営委員長に就任した石原進に対し、4つの事項の質問を書面で提出し、719日までに文書で回答をもらうよう要望した。


政権トップと会食し、経済界の利害を代弁した石原氏

しかし、その後、調査を進めると、2014718日に、当時、NHK経営委員だった石原進氏が、福岡市内で開かれた安倍首相と九州財界人との会食に出席していたことがわかった。その時の模様を「日本経済新聞」は次のように伝えている。

「川内原発の再稼働、首相『何とかする』」(「日本経済新聞」2014718日)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS18024_Y4A710C1EE8000/
 

 「安倍晋三首相は18日夜、福岡市内の日本料理屋で麻生泰九州経済連合会会長、石原進JR九州相談役らと会食した。石原氏らは原子力発電所の早期再稼働を要請。会食後に取材に応じた石原氏によると、首相は原子力規制委員会が新たな規制基準を満たすと認めた九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)について「川内(原発)は何とかしますよ」と答えたという。」

 これを読むと、石原氏はNHK経営委員に就任していた当時から、九州電力の首脳も出席した安倍首相との会食に同席し、かつ、会食後、まるで九州経済界を代表するスポークスマンかのように、会食の折に川内原発が話題に上ったこと、川内原発の早期再稼働を安倍首相に求めたことを披露していたのである。

 そもそも、様々な権力、とりわけ、時の政権からの自主自立を生命線とするNHKの役員であり、監督機関の委員でもある人物が、時の首相と親しく会食を共にし、わが国で世論を二分する政治的アジェンダとなっていた原発再稼働について、経済界の利害を代弁するような国策を首相に要請するのは、あるまじき行為である。現に、「経営委員会委員の服務に関する準則」は第2条で、

 「経営委員会委員は、放送が公正、不偏不党な立場に立って国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資するとともに、国民に最大の効用と福祉とをもたらすべき使命を負うものであることを自覚して、誠実にその職責を果たさなければならない。」

と定めている。
 また、「NHK放送ガイドライン2015」は、

 「全役職員は、放送の自主・自律の堅持が信頼される公共放送の生命線であるとの認識に基づき、すべての業務にあたる。日々の取材活動や番組制作はもとより、NHKの予算・事業計画の国会承認を得るなど、放送とは直接関係のない業務にあたっても、この基本的な立場は揺るがない。」

と定めている。ちなみに、「放送法」第49条で明記されているとおり、経営委員もNHKの役員である。

 かりに、経営委員としての業務外の場での言動であっても、石原氏の上記の言動はNHKの政治的公平に関する視聴者の信頼を揺るがすのは避けられない。

経営委員としての業務の場でも原発停止に不満をぶつけた石原氏
 しかし、石原氏の言動を調べていくと、NHK経営委員としての業務の場でも石原氏は多くの原発の稼働停止が続く状況にいらだちを募らせ、NHKの番組制作方針に不満をぶつけたこともあった。

 「日本放送協会第1146回経営委員会議事録」 (平成23628日開催分)

http://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/giji/g1146.html
を読むと、原発問題を扱った番組が話題になった際、委員の間で次のようなやりとりが交わされている。

 ------------------------------------------------------------------------

「(安田代行)
 先ほどの塚田理事からのご紹介がありましたように、放射能汚染に対する問題が国民の最も大きな関心の1つですので、やはりNHKの役割として、今後もぜひこの問題に焦点を当ててほしいと思います。それを掘り起こすような、えぐるような、言いにくいことにも焦点を当てて、例えば放射能汚染された汚泥処理の問題などは大変重要な問題で、これらを番組で取り上げていただいて、政治を変えていくというぐらいのインパクトを持つ番組を作っていただけるように、切にお願いしたいと思います。」
「(石原委員

 今の話とも関連があるのですが、原子力発電所は、定期検査が終わったにもかかわらず稼働していません。このまま稼働しない場合、来年の3月か4月には日本 の原発54基は全部止まってしまうことになります。もしそうなると日本はエネ ルギーの大危機が来るわけですね。エネルギーの需給は国家の基本ですから、これについてはどういう番組を作っておられるのか、どうしようとしているのかということです。また、外資を中心に産業は日本からどんどん出ていっています。
 九州へ移転の話でだめになったものもあります。こういう問題については、扱い方が難しいのですが、ぜひ何か考えていただければと思います。」
                <中略>
「(今井理事)
 個別の番組、放送の内容については、経営委員の方々から注文を受けるというのはちょっといかがと思いますので、それは別として、放送として、どのようなものが出せるかということをさまざま検討したいと思います。」

 

-----------------------------------------------------------------------

 

最後の今井理事の発言は放送法第32条を念頭に置いたものと思われる。「委員」とは「経営委員」のことである。

「(委員の権限等)

第三十二条  委員は、この法律又はこの法律に基づく命令に別段の定めがある場合を除き、個別の放送番組の編集その他の協会の業務を執行することができない。
 
 委員は、個別の放送番組の編集について、第三条の規定に抵触する行為をしてはならない。」

石原氏はNHKの自主自立に背く行為を悔い改める意思があるのか?
 
そこで、「視聴者コミュニティ」は昨日(711日)、全国27の市民団体の連名で、次期NHK会長の選考に関する再度の申し入れ書を提出するため、NHKと面会した折に、8日に提出した「石原経営委員長宛て質問書」に〔質問5〕を追加した差し替え版を今日の経営委員会の場で経営委員に届けてもらうことにした。

追加した〔質問5〕の文章は次のとおりである。

 

 「〔質問5〕 貴職が安倍首相との会食に出席し、世論が分かれている川内原発の再稼働をめぐって議論を交わし、早期の再稼働を要請されたこと、さらに、九州の財界人あるいは安倍首のスポークスマンのようなふるまいをされたことは、政治的公平、政治からの自主・自律を生命線とするNHKの監督機関の委員としてあるまじき行為です。貴職は今、そのようなかつての言動を悔い改める意思を持っておられるかどうか、お聞かせください。」

 参考までに、石原進経営委員長宛て質問書の差し替え版全文を掲載しておきたい。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/ishihara_ate_situmon_sasikakehan.pdf



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安倍首相と会食し、原発再稼働を鼓吹してきた石原進氏がNHKの監督機関の長でよいのか

201679

視聴者コミュニティ、石原進・NHK経営委員長に質問書を提出
 628日のNHK経営委員会で石原進氏が委員全員の一致で新しい経営委員長に選ばれた。しかし、その石原氏の、経営委員に就任以降の言動歴には数々の重大な問題がある。

 1.3年前のNHK会長選考の時、籾井勝人氏を会長候補に推薦し、籾井氏の選任に中心的役割を果たしたのが石原進氏であったことはマスコミ報道も含め、関係者の間では一致した見方になっている。
 その籾井氏は会長就任後、「政府が右と言う時、左とは言えない」、「NHKが従軍慰安婦問題をどのように扱うかは政府のスタンスが決まらないと定まらない」、「原発報道は、国民の不安をかき立てないよう、公的発表をベースにしてほしい」等々、NHKを政府の広報機関のように見なす発言を繰り返してきた。にもかかわらず、石原氏は経営委員長就任直後の記者会見でも、籾井会長には「誤解を生む発言があった」と述べて済ませている。「誤解」とは、誰の誤解なのか、視聴者が公共放送のトップと真逆の発言と受け取るのは「誤解」なのか? 籾井氏の上記のような発言は舌足らずではなく、自分の本心を「正直に」口にしたということではないのか。
 自らが積極的に推薦したNHK会長の、公共放送のトップと真逆の発言を何ら諫めず、「誤解を生む発言」で済ませる態度で経営委員長が務まるのか?

 2. 石原氏は628日の経営委員会終了後に行われた記者会見の場で、過去3年続けてNHKの次年度予算案が国会で全会一致とならなかった問題を指摘したうえで、「NHKは国民の意思を反映している国会で予算を通さなければ、業務を執行できないので、政治との関係は大切である」と発言した。
 しかし、「NHK放送ガイドライン2015」は、「全役職員は、放送の自主・自律の堅持が信頼される公共放送の生命線であるとの認識に基づき、すべての業務にあたる。日々の取材活動や番組制作はもとより、NHKの予算・事業計画の国会承認を得るなど、放送とは直接関係のない業務にあたっても、この基本的な立場は揺るがない」と定めている(注:放送法第96条に定められているように、経営委員もNHKの役員)。
 私は、NHK予算案が国会承認事項となっている現行制度自体を改める必要があると考えているが、「NHK放送ガイドライン2015」は、国会でNHK予算が承認されなければNHKは業務を執行できないとしても、NHKの予算・事業計画の国会承認を得る場面でも自主・自律の基本的な立場を貫く、と謳っている。
 とすれば、「国会で予算を通さなければ、業務を執行できないので、政治との関係は大切である」という石原氏の発言は、この「NHK放送ガイドライン2015」の立場と整合するのか? うやむやで済ませてよい問題ではない。

 3.石原氏は経営委員就任後も九州経済界の首脳として繰り返し、原発再稼働を強く促す発言を繰り返してきた。意見が分かれる政治問題でNHKの監督機関の委員が、そのような発言を繰り返してよいのか。

 4. 「日本会議福岡」のHPを見ると、石原進氏は名誉顧問の職に就いている。しかし、「日本会議福岡」の「推進事業」を見ると、「わが国の中心的慰霊施設である靖國神社への首相の参拝を支持し、政治的施設である国立追悼施設建設に反対。英霊の方々を追悼し顕彰する行事を毎年開催」、「占領軍の圧力によって制定された現行憲法も約60年。制定過程や内容、わが国を取り巻く現在の諸情勢からも憲法改正は必至。毎年53日は憲法講演会を開催」などが掲げられている。
 ここから、日本会議は、特定の政治的立場を鮮明にした団体というにとどまらず、あの忌まわしい侵略戦争に対する痛恨の反省の上に築きあげられた戦後日本の民主主義体制を敵視する団体であると見なして間違いない。
 このような政治信条を掲げる団体の役員に、NHKを監督する機関の長が就いていてよいのか。

 以上のような事実確認と判断に基づいて、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は昨日、運営委員2名がNHK放送センターへ出向き、石原進経営委員長に対し、次のような質問書を提出し、7月19日までに文書で回答を求めた。

重要な
追加情報
 2014719日の「朝日新聞」朝刊、38ページに次のような記事が掲載されていたことがわかった。

 「首相『川内、何とかしますよ』 九電会長と会食」
 安倍晋三首相は18日夜、視察に訪れた福岡市内で、貫正義九州電力会長ら九州の財界人と会食した。出席者から九電川内(せんだい)原発(鹿児島県)の早期再稼働を要請された
首相は『川内はなんとかしますよ』と応じたといい、再稼働に前向きな安倍政権の姿勢をより鮮明にした。
 首相は福岡市博多区の料亭で約2時間、貫会長らと会食。麻生太郎副総理兼財務相の弟の麻生泰(ゆたか)九州経済連合会会長、石原進JR九州相談役らが同席した。会食後、石原氏が首相とのやりとりを記者団に明らかにした。<以下、省略>」

 同様に、「日本経済新聞」(2014718日、電子版)も次のような記事を掲載している。
 「川内原発の再稼働、首相『何とかする』」
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS18024_Y4A710C1EE8000/
 この記事でも会食に石原進氏が同席し、会食後、石原氏が記者の取材に応じたと記されている。

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                         201678
NHK
経営委員会
委員長 石原 進 様
同報 経営委員 各位

       貴職の経営委員長就任にあたっての質問書

           NHK を監視・激励する視聴者コミュニティ  
                  共同代表 湯山哲守・醍醐 聰
                        
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/

 628日に開催されたNHK経営委員会で貴職は全員一致で新しい経営委員長に選任されました。この機会に当会は、貴職に対し、一連の質問をさせていただきます。経営委員長としての重責を担われ、ご多忙の日々をお過ごしのことと思いますが、今回の質問はどれもNHK経営委員会の自主自律、視聴者・国民からの信頼に直結する、きわめて重大な問題ですので、書面で719日までに別紙宛てにご回答くださるよう、お願いいたします。

1
.籾井勝人氏を会長に推薦された貴職の責任について

籾井勝人氏はNHK会長に就任以降、「政府が右と言う時、左とは言えない」、「NHKが従軍慰安婦問題をどのように扱うかは政府のスタンスが決まらないと定まらない」、「原発報道は、国民の不安をかき立てないよう、公的発表をベースにしてほしい」等々、NHKを政府の広報機関かのように見なす発言を繰り返してきました。また、私的なハイヤー代を一時的とはいえ、NHKに立て替えさせるなど、公共放送の信頼を失墜させるような行為もありました。

〔質問1 経営委員会が籾井勝人氏をNHKの会長に選任する際、貴職が同氏を推薦され、籾井氏の会長選任を主導された経緯については衆目の一致した見方です。しかし、その籾井会長が上記のような公共放送の信頼を失墜させるような言動を繰り返したにもかかわらず、貴職は、経営委員会会議録を読むかぎり、籾井会長を諫め、厳重に指導監督する発言をされた場面は皆無です。そのような貴職が経営委員長として次期会長選考のとりまとめ役を務められることに当会は強い懸念と違和感を覚えます。
 貴職は籾井氏をNHK会長に推薦された当事者として、どのように責任を感じておられるのか、次期会長選考に当たって、その反省をどのように活かすお考えなのか、明確にご説明ください。

2
.政府・与党、政治からの自立に関する貴職の見解について
6
29日の「朝日新聞」朝刊は、新経営委員長選任の経緯を伝えた記事の中で、石原氏は、籾井会長の言動が原因でNHKの新年度予算案が3年連続で全会一致とならなかったことを挙げ、「次期会長の条件を『政権・与党との関係がしっかり築ける方がいい』と説明している」と記しています。
 また、貴職は628日の経営委員会終了後に行われた記者会見の場で、「経営委員会が政権に近いのではないか、という指摘についてどのように考えているか」という質問に対し、「経営委員会が政権と近すぎるとは思わない。ただNHKは国民の意思を反映している国会で予算を通さなければ、業務を執行できないので、政治との関係は大切である」と答えておられます。

 しかし、「NHK放送ガイドライン2015」は、「全役職員は、放送の自主・自律の堅持が信頼される公共放送の生命線であるとの認識に基づき、すべての業務にあたる。日々の取材活動や番組制作はもとより、NHKの予算・事業計画の国会承認を得るなど、放送とは直接関係のない業務にあたっても、この基本的な立場は揺るがない」と定めています。ちなみに、貴職も先刻ご承知のことと思いますが、経営委員もNHKの役員です(「放送法」第49条)。

〔質問2 「国会で予算を通さなければ、業務を執行できないので、政治との関係は大切である」という貴職の発言は、「NHK放送ガイドライン2015」の上記の定めと、どのように整合するのか(抵触しないのか)、わかりやすく、ご説明ください。

3. 
原発再稼働に関する貴職の発言について
 貴職は、経営委員に就任された20101211日以降も、原発再稼働を強く促す発言を繰り返されました。たとえば、2012年の総選挙の大きな争点として「原発政策」が浮上している最中に、福岡市で、「原発を全廃すれば、電気料金が2倍となり、日本の産業は死ぬ」とまで述べ、原発の早期再稼働を訴え、再生可能エネルギーは原発の代替電源となり得ないとの考えを強調。民主党が掲げる「2030年代の原発ゼロ」について「日本国家が潰れ、失業者だらけになる。」と批判したと報じられています(産経新聞1130日)

 しかし、「経営委員会委員の服務に関する準則」は第2条で、「経営委員会委員は、放送が公正、不偏不党な立場に立って国民文化の向上と健全な民主主義の発達に資するとともに、国民に最大の効用と福祉とをもたらすべき使命を負うものであることを自覚して、誠実にその職責を果たさなければならない」と定めています。

 〔質問3 NHK経営委員にも言論の自由が保障されていることは当会も重々、承知しています。しかし、上記のような経営委員の服務準則に照らせば、たとえ放送に直結する場面でないにせよ、世論が二分される原発再稼働の可否について、一方の見解に偏した発言をNHKの最高決議機関の長が繰り返せば、NHKの政治的公平について視聴者・国民の間から疑念が生まれることは避けられません。
 貴職は、今後、こうした特定の政治的立場を支持し、広報する言動を慎まれるべきだと当会は考えます。貴職のお考えをお聞かせ下さい。

4.
「日本会議福岡」の名誉顧問に就任されている件について
 「日本会議福岡」のHPに掲載された「役員の紹介」欄を見ますと、貴職は同会議の「名誉顧問」と記載されています。
 しかし、同会議のHPに掲げられた「推進事業」を見ると、「わが国の中心的慰霊施設である靖國神社への首相の参拝を支持し、政治的施設である国立追悼施設建設に反対。英霊の方々を追悼し顕彰する行事を毎年開催」、「占領軍の圧力によって制定された現行憲法も約60年。制定過程や内容、わが国を取り巻く現在の諸情勢からも憲法改正は必至。毎年53日は憲法講演会を開催」などが掲げられています。これを見ると、日本会議は、特定の政治的立場を鮮明にした団体というにとどまらず、忌まわしい侵略戦争に対する痛恨の反省の上に築きあげられた戦後の民主主義体制を敵視する団体であると見なして間違いありません。

〔質問4 貴職が、上記のような事業を進める「日本会議福岡」の名誉顧問の職にとどまることは、公共放送を監督する組織の長として不適切であり、直ちに名誉顧問の職を退かれるべきだと当会は考えます。貴職のお考えをお聞かせ下さい。
                          
                               以上



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安倍政治批判、野党共闘、日本共産党の政治姿勢について思うこと

201674

 (以下は昨夜、知人のAさんに送ったEメールである。このブログへの転載に当たっては一部、表現を加除した。小見出しも付け加えた。)


 私のように気分が乗った時、手が空いた時に不規則にブログを更新する人間にとって、欠かさず、ブログを更新されるAさんの様子に馬力の違いを痛感しています。

 有権者はなぜ安倍政治を支持し続けるのか?
 最近お書きになっている記事に一貫して流れているのは、護憲への熱意と安倍政治への徹底した批判と思えました。
 しかし、私は、安倍政権批判が足りないというよりも、なぜ、それでも有権者は安倍政権を支持するのかを立ち止まって考えることの方が重要ではないかと思っています。
 民主主義が往々、「愚民の数の力に支えられた民主主義」に堕落しがちなことは確かです。しかし、今の安倍政治を支持する民意を「愚民」と言ってしまえるのか、疑問です。

 積極的な安倍支持者は別して、消極的な安倍支持者の主な支持の理由は、次の2つではないかと思います。
 ①安倍(自民党)政権に代わり得る受け皿が見当たらない。
 ②安倍政治に幻想を持っている。
 
 ②が主であれば、安倍政権を徹底的に批判することが重要ですが、その場合も、安保関連法を、誰もに自明のように「戦争法」と呼称してかかるやり方では、「幻想」を解くのにほど遠く、逆に決めつけに対する反感を買うおそれもあると思います。
 今の野党共闘陣営(日本共産党も含め)には、借り物ではない、自分の言葉で、意見が異なる人々と対話する能力が決定的に欠けていると日々、感じています。

 しかし、議論が前後しますが、私は安倍政治に対する支持が持続する主な理由は上記の②ではないと考えています。なぜなら、安保法、憲法改定、消費税増税、原発再稼働、沖縄基地問題など、どれをとっても過半の有権者は安倍政権の中核的政策を支持していないからです。
 このように個々の主要な課題では安倍政権の政策に過半の有権者が反対であるのに、内閣支持率なり、自民党支持率なりが持続するというねじれが起こる主な理由は、文脈からして①と言うほかないと思います。

 「野党共闘」の内実を問う
 こういうと、「だからこそ、今回の参議院選挙にあたって実現した野党共闘に大きな価値がある」という答えが返ってくるのかもしれません。
 しかし、私は今回の「野党共闘」に冷めた見方をしています。そのわけは、一つには、当事者(野党各党)の間で真にどこまで政策の一致があるのか、疑問だからです。Aさんは改憲阻止を野党共闘の大義に据えておられますが、野党共闘で当選した民進党の候補者は選挙後、本当に改憲阻止で一貫した行動をするのでしょうか?
選挙戦のさなかに、改憲阻止を叫んでも、民進党所属議員である以上、選挙後、「党として○○と決定した以上、私はそれに従わざるを得ない」という口上で、改憲阻止の「共通公約」が脇に追いやられる可能性が低くないと思っています。
 そうならないためには、野党共闘=既存の野党間の候補者調整、ではなく、比例区も含め、市民が主体的に無党派の候補者を擁立し、それを既存の野党も共同推薦するという形をなぜ組めなかったのかという気がしてなりません。それに部分的に該当するのが小林節氏のグループだけというのは寂しすぎます。

 日本共産党の中途半端な自衛隊論
 共産党の志位委員長が昨日、「今は自衛隊が合憲か違憲かは問題でない。自衛隊の海外派兵を阻止することこそ重要だ」と演説しているのをNHKの夜7時のニュースで見ました。一見、共感を得やすい議論ですが、立ち止まって考えると底抜けする発想だと思います。
 なぜなら、自衛隊の海外派兵という場合、国連のPKOへの参加という形も考えられますが、より本格的なのは日米共同の軍事行動だろうと思います。現に、そのための共同訓練が常態になっています。

 「防衛」予算が5兆円を超え、重厚な装備を備えた自衛隊によって、日米共同の軍事行動がスタンバイの状況になっている現状で、自衛隊の海外派兵阻止というなら、ここまで肥大化した自衛隊の存在自体の違憲性を問うのが全うなはずです
 そのような正面からの問いかけをせず(脇に置いて)いかにして自衛隊の海外派兵を阻止する運動をおこすというのでしょうか?
 安保関連法の違憲性を主張しながら、法を施行する際に武力行使の中核を担う自衛隊の違憲性は棚上げするという議論を、私は全く理解できません
 国民の間で抵抗を生みそうな議論に蓋をするというポピュリズムが透けて見えます。

 内実が伴わない「立憲主義を取り戻す」の公約
 「立憲主義を取り戻す」という点も大きな「共通公約」となっていますが、内容はいかにも曖昧です。というより、特段、縛られることもない曖昧な内容だからこそ、「共通公約」になったというのが実情ではないでしょうか?

 「立憲主義」の中身は「個人の尊厳を大切にすることだ」という説明がされています。それなら、共産党は、従軍「慰安婦」の尊厳に再度、塩を塗るような昨年末の「日韓合意」をなぜ前進と評価するのでしょうか? 
 オバマ大統領の広島訪問をかなえるためなら、原爆投下に対する米国の謝罪も事実上、棚に上げるような不条理になぜ同調したのでしょうか? 
 存在自体が人間の不平等、差別の権化といえる天皇が高座から「お言葉」を述べる国会開会式に同席して一礼するという行為を、共産党はなぜこの時期に始めたのでしょうか?
 支持を広げるためなら、こういう不条理、同調圧力にも順応するという態度では、共産党の理性はどこまで劣化するのか、計りかねます。

 

 野党4党、特に共産党は、今回の「野党選挙協力」を画期的な出来事と連日、機関紙でPRしています。しかし、少し、立ち止まって内容を確かめると、共闘優先のあまり、まとまりやすい点に照準を当てたという気がします。これで本当に選挙後に有権者に責任を負う選挙共闘といえるのか、大変、疑問です。
 「野合」批判はためにするものですが、それに反論したからといって、「共闘」の中身の価値が立証できるわけではありません。

 異論と真摯に向き合う姿勢こそ
 以上、述べてきたことは私の特異な思想なり、背景事情から生まれたものでしょうか? 私は野党共闘なり、共産党に他意、悪意を抱く動機をなんら持ち合わせていません。むしろ、私が指摘したような疑問、異論が政党内や支持者内から全くといってよいほど聞こえてこないことに大きな疑問、気味悪さを感じています。

 上のような疑問を向けると、必ずと言ってよいほど「利敵行為論」が返ってきます。宇都宮選挙の時も体験しました。しかし、異論、批判に真摯に向き合わない体質が国民と溝を作る要因であることに、なぜ気づかないのでしょうか?
 「今は○○が大事だから」という物言いで、組織の根深い体質にかかわる問題や自らの政策に宿る未熟な部分を直視しない態度を、いつまでとり続けるのでしょうか? 

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