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TPP国会審議~数による意思決定の場に堕落してよいのか

20161030

 『農業協同組合新聞』電子版が連載している<シリーズ:TPP阻止へ! 現場から怒りの声>の本日付紙面に以下のような筆者の談話が掲載された。1028日に取材を受けて話した内容を編集部がまとめたものである。
 TPPがろくに審議もされないまま、週明けにも採決されようとする現実を目の当たりにして、日本の議会制民主主義が「数だけがものをいう」野卑な多数決主義に堕落していることを告発しようとしたものである。
 審議事項に関して識者の知見を聴き、審議の参考に供するのが本旨のはずの「公聴会」が採決のための単なる通過儀式に成り下がっている姿はその象徴である。以下、全文を転載する。

 
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国民への忠誠忘れた与党 民主主義は完全にマヒ
 
【醍醐聡・TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会呼びかけ人(東京大学名誉教授)】
(『農業協同組合新聞』電子版 20161030日)
 http://www.jacom.or.jp/nousei/rensai/2016/10/161029-31231.php 

 私はこれからの大事なキーワードは「地方」であり、地方が主体だと思いますが、TPP協定による農業への打撃は地方を衰退させると思っています。
 農業はもちろん食料の供給源であり、TPPによって食料自給率がさらに低下し危機的になる恐れがありますが、農業が衰退するということは地方の人口減、農業関連産業も含めた産業の衰退による就業機会の減少などでさらに人口減に拍車をかけることも心配されます。
 それは地域の医療機関を成り立たなくさせて医療機関の統合などとなれば住民の医療機関へのアクセスが悪くなる。それがまた人口減につながり学校も廃れていってしまう。
 TPP協定では公共事業調達で地元調達をしようとすると内外無差別の原則に反するということですから、学校給食での地産地消も、韓米FTAの例を見ても明らかなように脅威にさらされてしまう懸念があります。
               ◇    ◇
 医療や薬価の問題では、ガン治療薬のオプジーポなど良く効くけれども、非常に高額で患者負担も大変です。これをかりに高額療養費制度で負担を抑えたとしても、それは結局、保険財政に回っていくことになります。無くては困りますが、年間1人3000万円もかかってしまう。抜本的に薬価の決め方を変える必要がある状況に至っています。
 しかし、こうした医薬品は米国企業やその子会社のものです。これから外資が入ってくるというのではなく、すでに外資が上位を占めている。TPP交渉と並行して行われた日米並行協議では、外資が薬価決定にわれわれも参画させろといっている。薬価を引き下げるような決定をしようとすればISDS条項などを使って脅しがかけられる懸念もあります。日本の保険財政の立て直しに対して横やりが入ってくる可能性があるのです。
 こうしたことについて何の議論もせず、国民皆保険制度は交渉のテーブルに乗っていないから心配ありません、という言い方で批准しようとしている。
               ◇    ◇
 国会審議を見ていると結局、政治の質が問われていると思います。これまで国会決議には与党も賛成してきました。もちろん選挙のときの公約もありました。
 それにも関わらず、ここに及んで与党のなかから何ら異論がまったくない。本当に一色に染まっている。
 これを見ていると、日本では自分が属している集団や組織への忠誠は強いが、自分たちの集団外や組織外、とくに今回の場合は国民への忠誠ということですが、それはまったくどこかに行ってしまうということが、今回如実に表れているのではないか。自分が属している政党への忠誠はあっても、国民への忠誠というものは消えてしまう。
 TPPに限らずいろいろな問題でこうした体質が表れてしまうと日本の民主主義というのが完全にマヒしてしまい、政治とはただ数による意思決定の場でしかなくなってしまう。審議など非常に無意味なものになっているのではないか、それを露骨に現しているのではないか。単なる多数決主義に民主主義が堕落してしまった姿を痛感します。非常に重大な問題です。



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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋                ~赤旗編集局への書簡(7/7)

20161020


上村氏の著書の書評依頼に関する経緯に思うこと

  最後に、貴紙と上村氏と私の三者にかかわるエピソードを振り返って思うことをお伝えします。
   昨年(2015年)秋、貴紙の文化部の方から、上村氏の新著『NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか』(201510月、東洋経済新報社)について書評依頼の電話が拙宅にありました。(貴部署はご存知なかったかも知れませんが、確かめていただければ、今でも経緯はおわかりになると思います。)
  私が「お受けしますが、この書物なら批判的な意見も書くことになると思います」と告げると、文化部の方は戸惑われたようで、「そうですか。・・・・それではどうするか検討して、改めてご連絡します」ということでいったん、電話は終わりました。
  約15分後に再度、先ほどの方から電話があり、応対した連れ合いに、「趣旨が違いますので、今回は見送らせていただきます」とのこと。

  それからしばらくして、貴紙の書評欄に、あるNHKOBの方の同書の書評が掲載されました。それは上村氏の著書を高く評価し、私なら指摘したはずの疑問・問題点の指摘は皆無でした。

  書評の評者を誰にするかは雑誌なり新聞なりの編集部の判断に委ねられるものですから、結果についてどうこう申し上げるつもりはありません。私の脳裏に残っているのは、私への依頼を見送る旨、告げられた際に聞いた「趣旨が違う」とはどういう意味なのだろうということだけです。機会がありましたら、「趣旨」とは何だったのか、お聞かせいただけると幸いです。

最後に

  この書簡に書いたような私の考えを私の周りにいる方々に話かけた時、返ってきそうに思える反応、異論は、「あなたが言うような意見の違いは、この時期に持ち出すのは控えた方がよい」、「今は多様な意見を互いに認め合って一致点で共同するべきだ」という「融和論」「多様性尊重論」です。
  実際、このような「融和論」、「多様性尊重論」は、私の経験に照らしても、今日の日本の市民運動の内部で広く共感され、支持される傾向があるように思えます。
  しかし、一致点と不一致点といっても一様ではありません。
  私がこの書簡で指摘した上村達男氏の言説を知った方々が、それでも上村氏を悪名高い籾井NHK会長を退かせる運動のための貴重な人材とみるのか、そうではなく、上村氏は真正の籾井批判者に値せず、同氏のNHK論全般を見れば、むしろ有害な見解が随所に含まれていると見るのか‐――この点を大いに冷静に議論する必要があるというのが今の私の考えです。
  この書簡で記してきた検討に照らせば、私が後者の見解にたどり着いたことは充分、おわかりいただけると思います。

 最後に一言しますと、最近、日本で見受ける「融和論」が「棚に上げる」のは、正確に言うと、「不一致点」ではなく、問題の核心に関わる不一致点を熟議することを避ける「理性の棚上げ」ではないかと私は考えています。


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〔追記〕

  以上(7回に分けて掲載した)が、しんぶん赤旗編集局/同ラジオ・テレビ部に宛てた書簡の全文である。
  連載を閉じるにあたって、この書簡を送った知人から届いた感想への返信をまとめながら考えたことを追記として、載せておきたい。

  私はアンチ共産党でも何でもないが、「主(あるじ)なし」の人間でよかったと最近、つくづく思う。
  今の市民運動を見ていると、「政府が右という時、左とは言えない」という籾井NHK会長の言葉を本当に批判できるのかと思うことがある。「政府」の代わりに「○○党」と置き換えたら、そっくり当てはまるような団体や人たちを見かけることが珍しくない。「左翼」にもタブーがあるような空気なのである。

  言論の自由というと対権力を念頭に、かまえた議論をしがちだが、私たちの日常生活や市民運動の内部でも、共感やほめ言葉は飛び交うが、批判や異論は疎まれがちである。「違いを認め合う」というと、日本古来の「和の精神」に適いそうだが、違いは認め合って脇に置くものではなく、すり合わせ、議論をするべきものではないのか? 

 
 「共闘」がキーワードになった時代のせいなのか、最近は主義の左右を問わず、
「摩擦」を負のエネルギー消費と捉える傾向が強まっているように思える。しかし、力学になぞらえていえば、「摩擦」は自省、進歩の契機として正のエネルギーとなり得るものである。
  というより、私には「摩擦のない同調、共感」はある種、宗教的で不気味な同質化としか思えない
  今は自民党政権を倒すことが革新の大義とされる。それ自体に疑問の余地はない。しかし、ここ数年、私はそうした政治体制の転換の後に来る言論、メディアの状況はいかなるものなのかについて、自分の体験に照らし、思いを馳せることがある。私の言論などは「趣旨に沿わない」と疎まれ、排除される状況になりはしないか、と想像したりする。げんに、その前兆と思える状況も一度ならず体験している。
  自分が生きているうちに、そんな政治体制の転換も深刻な言論状況も生まれそうにないという逆説で、安らぐのが賢い生き方なのかと思ったりするが。


                             (この連載、完)


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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋                ~赤旗編集局への書簡(6/7)

20161019


視聴者目線が欠落した上村氏のNHKガバナンス論

1)経営委員会の職責をわきまえない上村氏の余剰資金活用論

   
NHKの次期3ヶ年経営計画が審議された20141014日の経営委員会で、籾井会長と上村氏(経営委員長職務代行/当時)が次のようなやりとりをしています。

 
 「(籾井会長)この3か年間での増収の合計1,000億円を何に使うのだということですね。これは明確に、何に使うというのか予定があります。ご承知のとおり、今、2つの大きなプロジェクトを抱えております。一つは東京オリンピック・パラリンピック、一つは新センターの建て替えでございます。やはり巨額のお金が要るものについては、そのときになってぱっとやるわけにはいかず、例えばオリンピックの場合は数百億円規模の放送権料をNHKは支払う必要があり、これを準備していかなければなりません。新センターの場合は、建設に要する経費も場所もまだ決まっておりません。そういう中で、今の建設費の高騰などを考えると、3,400億円で高いと言われていたものが、これでも足りないかもしれないということもあるわけです。結局、建てた後に急激な資金不足を来すことになり、損益が赤字になるということは、受信料収入で成り立っているNHKは、受信料を値上げしなければなりません。それを回避するためにも、今のうちから積み立てていき、余裕が出てきたら受信料を下げて還元することは、宿命的なものだと思います。私流に表現しますとそういうことですが、この2つの大プロジェクトを抱えているがゆえに、今の段階で値下げをすることは、必ず後に急激な値上げをする必要がでてきますので、今の計画のまま進め、この間にオリンピックの償却をしていくというのが一つです。やはり一番大きいのは、新センターの建て替え用の積み立てです。積み立てにより、将来の急激な受信料の値上げを回避する。NHKは収支を全部オープンにしていますので、そのときの収支の状況を見て、値下げなどについて検討させていただければと思います。」

   「(上村代行)これは感想ですが、余剰資金がある場合は、NHKがやりたいことを、あるいは国民が望んでいることがこんなにできるということを、NHKの側が言うのは当然だと思います。もう使い道はありませんといったら返すしかないということになる。日本の企業で、余ったお金があれば配当するように言われ、怪しげなファンドにただ金を移しているような風潮に非常に違和感を持っています。何となく戻すというものではなく、これだけの余剰資金で、こんなことができるということを是非おっしゃっていただきたい。」

  籾井会長の発言を受けた上村氏のこのような発言を知ると、NHK執行部とどのように向き合うのが経営委員会の職責なのか、考えさせられます。東京オリンピックや築地市場の豊洲移転をめぐって、当事者が立案した予算や事業計画のずさんさ、時間が経つにつれ、予算が膨らんでいく実態を市民、都民は厳しいまなざしで見つめています。

  NHKの放送センターについてもNHK執行部は第1期、第2期に分けた建設・財政計画を公表していますが、第1期計画でさえ、目下の予定で、今後の変更がありうることを断っています。いわんや第2期計画の予算は金額こそ公表していますが、概算にすぎません。
 
であれば、受信料の「公金意識」を徹底するよう謳っているNHKを監督する経営委員会の第一次的職責は、執行部が提案した建設・予算案を精査し、無駄を排除した上で必要な施設を建設するものになっているか、華美、不要不急の計画はないかをチェックすることであるのは明確です。

 
 (議事録を読む限り)そのような精査を行わないまま、「余剰資金がある場合は、NHKがやりたいことを、あるいは国民が望んでいることがこんなにできるということを、NHKの側が言うのは当然だ」、「もう使い道はありませんといったら返すしかないということになる」などと発言するのでは、上村氏が経営委員会の職責をいかに理解できていないかを示すものです。「国民が望むこと」を上村氏はどのように確かめたのでしょうか?
  しかも、そうした「感想」を営利企業の配当に例えて説明するのは、上村氏の「ガバナンス論」が営利企業版の引き写しで、公共放送には通用しない、有害なものでさえある言ってもよいでしょう。
 
 上村氏は放送法を引いて、健全な民主主義や公共を語っています。しかし、実践的な問題に直面した場面での発言を確かめると、上村氏の言う「公共」の真相は荘宏氏が語った放送法の原点、立法精神とは似て非なるものと言わなければなりません。
 ちなみに、上記の上村発言の後で、美馬委員、室伏委員は、次のように発言しています。

 
 「(美馬委員)語る会などに出席していると、年金生活者の方とか高齢者の方々からいろいろご意見をいただきます。特に受信料がかなり負担になっているというお話を伺います。そのような状況において、オリンピックがあるからという理由で、そういう方々に説明ができるのかということです。受益者負担ということをもし言うならば、その方々がオリンピックを見られるかどうか、そのために今新放送センター分を出しておくことについて、理解が得られるのかということ。それから、函館という地域に生活していますと、経済格差というのはかなり拡大している地域の状況を実感しています。例えば、この冬から北海道電力が20%値上げする。それはかなり問題になって、結局16%台に落ち着きましたけれども、生活がかなり厳しい方々が出てきている中で、NHKの今回のこういう話が出てくるとなると、全国、地域の人たちに対してきちんと説明ができるのかということですね。ぜひ考えていただきたい。・・・・
 
例えば、先ほどはそういうことで立ち行かなくなると、放送サービスの削減につながるというご説明がありましたが、それもいたし方ないのではないかとも思います。BBCはこれから1つチャンネルを減らすようですね。日本では人口があるところまで減少するというのが予測されているわけですし、労働人口が少なくなって、NHKも国内だけでは人材を確保できないということもあります。新放送センターも巨大な頑丈なものということですが、例えば今の技術を利用すれば、小さな組織で分散化するということだって考えられると思います。東京という、いろいろな課題があるところで、巨大な頑強なものを建てるということが、本当にそれが唯一絶対の最適の解決なのかということも踏まえてお考えいただければと思います。」

   「(室伏委員)建物について概算でこういう金額を出した。そして、それに設備費などをつけた3,400億円は既に公表している値だというご説明でした。私が危惧するのは、計算した根拠やNHKとしての方針などが明確ではないうちに、この数字を公表したことで、NHKの建て替えに、何とか参入しようとしている業者の方がたくさんいらっしゃるわけですから、数字が独り歩きしてしまうことで、いろいろな意味で課題が生まれてくる可能性です。皆さまがとてもご心配になっている数字の根拠については、こういう言い方をしては失礼ですが、NHKはやはり多少厳しくないという感じがします。私は別の企業で社外取締役をしていますが、やはり数字に関しては非常に厳しく詰めて、そしてこれでという確実な線を出していらっしゃるので、やはりNHKとしてもう少し考えていただかなければならないという気がします。世間で、NHKは受信料頼みで、のんびりしているということをおっしゃる方がいますが、そういう話を聞くたびに、いや、そうではありませんと申し上げていますが、今のやりとりを聞いていますと、やはり多少心配になります。ですから、こういう数字が公表される前に、もっと厳密な計算なども必要だったと思いますし、渡邉委員や石原委員がおっしゃったように、民放の建物の値段と比べてはるかに高いので、もう少し見直しをという話が以前にあったことを思い出しました。そういったことが、議論が進み、時間が経つと忘れられてしまうことがありますので、今後はしっかりと経営委員会での議論を生かしていただきたいと思っています。」

  ところが、上村氏は2人の委員の発言の後で、例によって自己流の「ガバナンス論」を持ち出し、次のような発言をして、議論を拡散させてしまっています。

 
 「(上村代行)今、各委員の方がおっしゃったことはそのとおりだと思います。ただ、当時はガバナンスと申しますか、経営委員会制度という監視監督機関がきちんと機能していなかった時代であって、そう言い切れるかどうかは別として、今のシステムでは大分違います。ですから、少なくとも当時は、今のような経営委員会制度、監査委員会制度のシステムはなかったわけです。総務省という役所があまり介入しない、これだけ公益性の高い組織で、会長に全部権限がある。そうすると、よりどころは経営委員会しかないです。その経営委員会のよりどころは監査委員会しかない私は思っています。・・・・」

  経営委員会のよりどころは監査委員会しかない、監査委員会をどうにかしなければ経営委員会はなかなか職責をまっとうできないというのが、上村氏の「NHKガバナンス論」の一貫した「専門的」見解のようです。
  しかし、大きな権限と責務を負った監査委員会がNHKの経営・財務に関して厳正な監査をするのは当然としても、経営委員会自身、放送法291項でNHKの事業計画、収支予算、資金計画など、NHKの経営全般に対する議決権を付与されています。こうした放送法の定めに照らせば、監査委員会の職務がどうという以前に経営委員会自身の職責、その遂行状況が問われるのは当然です。
 この意味で、上村氏が得意げに語る「NHKガバナンス論」は専門用語をちりばめた一知半解の机上の議論と言っても過言でないと私は考えています。
 その上で指摘しなければならないのは、上村氏の議論には、他の経営委員の発言と対比しても、視聴者目線が終始、欠落しているという事実です。それは上村氏の受信料収納目標に対する考え方にもよく表れています。

2)視聴者目線が欠落した上村氏の受信料徴収論

  今年の524日に開催された経営委員会で、外部法人委託の拡大、民事調停の活用等による受信料の徴収強化策についてNHK担当者から説明がされました。
  これを受けて、石原進委員(当時)は「支払率が76.6%に上がったというのは大変すばらしいと思います。九州では大分が非常に悪かったのが76.1%となったことは、こういった施策をいろいろと行った結果だと思います」とNHKの実績を高く評価する発言をしました。
  他方、美馬委員は、「民事調停の活用についての質問です。受信料をお支払いしていただけるのであれば、なるべく民事調停まではしたくないとお考えだと思います。予告文書は定型の文書をお送りするだけでよいと思いますが、申立文書を作成する際の経費や手間について教えていただけますか」と質問しています。


  さらに、佐藤友美子委員は次のように発言しています。

 
 「(佐藤委員)2つあります。外部法人委託により非常に成績がよくなっている一方で、この前の『視聴者のみなさまと語る会』でも、受信料徴収の対応についてのご意見がかなりありました。法人委託化することで、逆にNHKに対する不信感を抱くような方もいらっしゃるのではないかと思います。その対応策についてお聞かせください。これまでもいろいろと研修はしているということでしたが、なかなかそれでは納得していない方がいらして、NHKとして、きちんと対応しているというメッセージも送っておかないと、ご理解していただくことが難しいと思います。そのときは銀行振り込みについてのお話で、NHKの都合であるにもかかわらず高圧的であったというご意見でした。自分の成績のためにやっているような節があったというご意見でしたので、その対応策がきちんと行われているかどうか不安な気がしました。」

  目下、外部営利法人への集金委託、民事督促の裁判の活用を通じたNHK「対話なき」強引な受信料徴収に対して、各地の多くの視聴者から苦情・批判が出ています。その意味で、佐藤委員や美馬委員の発言は視聴者に目線を向け、NHKの高圧的な受信料徴収をチェックしようとしたものと言えます。
  上村氏は既に経営委員を退任していて、この日の委員会には出席していませんが、在任中の201499日に開かれた経営委員会で、NHKの営業担当理事が、平成27年度から3ヶ年の営業目標(ここでは受信料支払い率の達成目標)を80%とする計画を説明したのを受けて、上村氏は次のように発言しています。

  「(上村代行)それは自己矛盾というか、本来は全員支払う義務がありますね。仕方なく75%でしょう。それなのに目標は80%ということは、それは80%でよいのだというメッセージになりませんか。全員に義務があるのだから裁判をやってでも取ろうと言っているときに80%が目標ですというのは、何か違和感がありますが、だからこれは公表しなくてもいいのではないかと思いました。」

  このような上村氏の発言を聞かされると、上村氏は今のNHKによる外部営利法人への委託を通じた受信料徴収の実態、そこから報告される「収納率改善」の真相をどこまで理解しているのか、理解しようとする問題意識があるのか、疑問に思えます。
  とりわけ、美馬委員が「視聴者と語る会 in 函館」(2016514日開催)で語った次のような発言と対比すると、なおさら、上村氏の受信料制度論の薄っぺらさが際立ちます。

 
 「(美馬委員)受信料制度について『公平負担を徹底するために、税金のように全員から徴収するべきでは』というご意見は、これまでの『視聴者のみなさまと語る会』でも度々出てくるご意見ですが、公共放送の財源をこのような方法で徴収し、80%近い方々にお支払いいただいている国は他になく、イギリスやフランスやドイツの方と話をすると『税金のように徴収せずに、そこまでよく払ってくれますね』と言われます。このことを翻って考えてみると、それだけ皆さまとNHKの間に厚い信頼関係があり、その信頼関係の下に公共放送が成り立っているということを強く感じています。
  税金のように徴収することで徴収にかかる経費は削減できますが、一方で、現在のような形で受信料をお支払いいただいているからこそ、NHKに対して意見を言うことができたり、『視聴者のみなさまと語る会』のような場があり、意見交換ができるのではないか、と考えます。」 (前掲「語る会」実施報告より)

 以上のように受信料収納率目標、徴収方法に関する上村氏と他の経営委員の発言を読み比べると、上村氏の発言には、「対話なき」受信料の「取り立て」についての関心がいかに希薄か、視聴者目線がいかに欠落しているかが浮かび上がってきます。
 こうした視聴者目線の欠落は、上村氏が経営委員は国会で選ばれた、国会と共働でNHKをコントロールする使命を負っているという「国会目線」、政府によって任命された以上、いかに問題のある会長でも罷免しにくいという「政府目線」の強さに災いされたものであると思えます。

  
                    (以下、次回に続く)

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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋                ~赤旗編集局への書簡(5/7)

20161018

 

経営委員の人事制度と職責に関する上村氏の曲解


  では、上村氏の上記のような稚拙な釈明が生まれた原因は何かを考えていくと、経営委員人事制度と経営委員の職責に関する上村氏の歪んだ認識に起因するように思えます。

 
上村氏は経営委員選考制度を政府人事と見るか、国会人事と見るかという点にこだわり、国家公安委員、公正取引委員会委員、中央労働委員会公益委員、人事院人事官、日銀総裁、NHK経営委員等の「国会同意人事とは、時々の政府の意向に左右されてはならない独立性の強い人事」であるのに、「安倍内閣になって以来、NHK経営委員の人事は政府任命人事と同視され、NHK予算も政府予算と同等の扱いを受けるようになった」(上村達男「NHKの再生はどうすれば可能か」(『世界』20156月、p.95)と述べています。

 
つまり、上村氏は経営委員を選任する仕組みが、政府の意向で決まる政府人事ではなく、野党も含む国会人事としての実を備えるなら、NHK経営委員は国民の代表である国会で選ばれたという意味での独立性を担保できると考えているようです。
  上村氏が、「NHK予算に対して国会が審議するのは、国会が公益を代表して1年に一回、NHKに対するガバナンスの機能を果たしているのです」、 「国会が関与しない間は、そうしたガバナンスの機能は国会が同意した人物たちからなる経営委員会に委ねられているのです」((上村達男『NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか』2015年、東洋経済新報社、p.131)と述べていることからも裏付けられます。

  さらに、上村氏は、「言い換えると、NHKの放送・経営等に対するガバナンス機能という点では、国会と経営委員会はその使命を共有していると見ることができます。・・・・国会が果たす役割・機能を、日常的にNHKの経営に接することのできる経営委員会がその代替機能を果たさなければなりません。」(前掲書、p.131)とも述べています。これは経営委員が政府とではなく、国会とつながるのは経営委員会の独立性を脅かすどころか、経営委員会が職責を全うする上で当然の姿であるとみなしていることを意味します。

  確かに、政府が委員を指名するという形の政府人事(審議会委員など)と比べ、国会の審議を経る国会同意人事は、政府の独断的な偏った人選をチェックする機能が伴うことは確かです。
 しかし、現在の国会同意人事を上村氏の言うように、「政府の意向に左右されない独立性の強い人事」と評価するのは実態を無視した議論です。なぜなら、

  ①経営委員候補者名簿は内閣の一部門である総務省が作成し、野党はこれにYes, Noの意思表示をするだけで、候補者推薦権はありません。
  ②国会同意人事と言っても、多数与党の意思で議決されるのが通例です。また、かりに政党ごとの議席占有比で経営委員を割り振ることにしても、世論調査で無党派層が与党支持率に匹敵する現状では民意の分布に見合った人事とも言えません。
  ③そもそも、「国会=国民の代表」と言っても、言論・報道機関としてのNHKは多数決原理で決せられる国策を遂行する機関ではありません。むしろ、多数与党と同与党によって組織される政府の国策遂行を監視するのが言論報道機関の使命です。そのように政権を監視する使命を負った言論報道機関としてのNHKの予算、事業計画を国会の審議、議決事項にしていることが、NHKに対する政権与党の干渉の温床になってきたことは否めません。
  またNHKの監督機関(経営委員会)の委員を政府が選任した候補者の中から両院の同意を経て任命する国会同意人事を政府人事とは異なる独立性の高いものと評価するのは、制度の本質を見損なった曲解です。

  上村氏は多くのメディア研究者、ジャーナリスト、市民が経営委員の公募・推薦制の採用を求め、総務省に替わって放送行政を所管する独立行政機関の設置を求めてきた理由、運動の歴史をどう受け止めているのでしょうか?
  ここでは、政府人事と国会人事の違いを過度に強調し、言論報道機関の人事や経営決定に多数決原理がなじまないことを理解しない上村氏に対し、放送法制定当時に川島武宜氏が述べた見解を紹介しておきます。

川島武宜氏の経営委員人事論を顧みて

  「川島公述人 私は東京大学の法学部におります川島でございます。先ほど委員長から忌憚のない意見を述べろというお話でございましたから、私は忌憚のないことを申し上げます。
  この法律に対して私は全体的に反対の意見を持つております。私が問題にしたい点を簡單に申しますと、まず第一にこの法律は、日本放送協会に対して国会と政府とが、非常な力でもつて統制をし、監督をするという点に、大きな眼目があるように思うのであります。はたしてこういうコントロールをする必要があるだろうか、それでよいだろうかということを、私は非常に疑問に思うのであります。・・・・
  と申しますのは、たとえば一番大きな問題は、経営委員会というものは内閣総理大臣が任命いたします。そうしてその経営委員になつた人は、委員たるに適しない非行があるときにはこれは何どきでも総理大臣が首を切ることができることになつておりますが、これは一体どういう場合に委員たるに適しない非行があるのか、これは考えようによつてはたいへんなことになるのであります。・・・・
  それからもつとこまかに言えば、これを国会でコントロールするという問題もあるのであります。私は国会や政府が一種の言論機関であるところの、しかもほとんど独占的な言論機関であるところの日本放送協会に対して、これほど強大な監督権を持つているということに、私は疑問を持つのであります・・・・
  もちろんこういう議論が成立つと思うのであります。つまり国会において多数を占める政党は、国民が選んだのである。従つて国民が多数を支持したのであるから、その多数の政党が言論機関を自由にするのは、結局国民が言論機関を使つておるのである。だから多数政党が言論機関を支配してもよいのだという議論をお持ちになつておる方が、あるいはあるのじやないかと思います。私はその議論に対して根本的に反対したのであります。・・・・
  私は特定のある政党が、たまたまそのときに多数になつたら、言論機関及び学問というものを・・・・全部コントロールして、自分の支配下に置いて、自分の権力を使用して使つてよいというロジックは、全然成立たない。それを成立つとするならば、これは今までまさに全体主義国家がやつて来たことであり、今日日本はそれで苦労をなめておるのであります。私たちはこういう苦労はもうたくさんであります。・・・・
  政府及び国会が直接に干渉し得るというような地位に置かないで、もつと直接に民衆の監督統制のもとに置くようなことを、ひとつ考えていただきたいと思うのであります
 
195028日、衆議院電気通信委員会公聴会会議録)

 
つまり、川島氏は政府によるコントロールか、国会によるコントロールかをことさら区別せず、両者は多数者によるコントロールと言う点で実質に差はないとみなし、政府人事であれ、国会人事であれ、多数決原理で言論報道機関の人事を律することに強く反対したのです。こうした川島氏の見解は今日のNHK経営委員人事にも通じる卓見と思えます。

 

さいたま地裁のワンセグ判決の示唆

  2016826日にさいたま地裁が言い渡した通称ワンセグ判決は今日のNHK経営委員選任制度がNHKの性格に関して、どのような法解釈を導くかを示した判決として注視するべき箇所があります。
  さいたま地裁はワンセグ機能付きの携帯電話の所有者は放送法641項がいうNHKの「放送を受信できる受信設備を設置した者」に該当しないから、NHKと受信契約を締結する義務はない、したがって受信料を支払う義務もないという判決を言い渡しました。
 その理由として、さいたま地裁は放送法214号で「設置」と「携帯」が区別されている事実を顧みず、「設置」には「携帯」を含むというNHKの主張は文理解釈上、相当の無理があると判断したのです。

  問題は、さいたま地裁がそう判断した際に、憲法84条が定めた課税要件明確主義と財政法3条が定めた「国が国権にもとづいて収納する課徴金等」をつなぎ合わせた解釈をした点です。
  つまり、判決は、「被告〔NHK〕は、放送法16条により設立された特殊法人であって、・・・・内閣総理大臣が任命した委員により構成される経営委員会が、受信料について定める受信契約の条項(受信規約)について議決権を有しており(同法2911号ヌ)、受信規約は総務大臣の認可を受ける必要があること(同法643項)からすれば、受信料の徴収権を有する被告は、国家機関に準じた性格を有するといえるから、放送法641項により課される放送受信契約締結義務及び受信料の負担については、憲法84条(租税法律主義)及び財政法3条の趣旨が及ぶ国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解するのが相当であり、その要件が明確に定められていることを要すると解するのが相当である」という論を一気に展開したのです。

   こで注視しなければならないには下線の部分です。つまり、内閣総理大臣が経営委員を任命する現行の人事制度を根拠の一つにして、NHKは国家機関に準じた性格を持つ、受信料は国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解釈されたことです。
 言い換えると、現在のNHK経営委員選任制度は、国会の同意という手続きを経るにせよ、実質は政府任命人事とみなされ、それを根拠の一つにしてNHKの政府からの自立を否定するに等しい法解釈が導かれたのです。

自民党調査会ならダメでも国会議員ならOKという浅慮
NHKを国政調査権の対象とみなすに等しい上村氏の危険な言説~

  私は、現在のNHK予算の国会承認制、国会の同意を経たNHK経営委員の政府任命制がこのような国権主義的法解釈を生む土台になっている、NHKの自主自立を求めるなら、こうした土台そのものを改革する視点と実践が求められと考え、これまで微力ながら、その方向に向けた運動を呼びかけてきました。しかし、上村氏の経営委員人事論がこうした運動の方向と相容れないことは明白です。

 こうした疑念は、上村氏が、自民党調査会によるNHK、テレビ朝日からの事情聴取(2015417日)について、放送の自主自立を保証した放送法3条の規定に照らして問題があると指摘しながらも、「国会が国政調査権に基づいてNHKを調査することは、その調査が放送法の基本理念との関係で許されるのかという大事な問題が残るものの」、「法律に定める権限に基づく場合と一応は言える」(前掲、『世界』掲載論文、96ページ)と記している点にも向けられる疑念と同根です。

 これでは上村氏は、NHKは国政調査権の対象だとみなしているのも同然ですが、その根拠は何でしょうか?国政調査権は、放送法3条でいう「法律の定める権限」に該当すると考えているのでしょうか? 自民党調査会ならダメでも国会議員(政権与党議員)としてなら、放送法3条に抵触しないとみなすのは危険なこじつけの解釈です。

                              (以下、次回に続く)

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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋                ~赤旗編集局への書簡(4/7)

20161017


籾井会長の任免経緯をめぐって迷走した上村氏の釈明

 
上村達男氏はNHK経営委員長職務代行者の職を退任して以降、なぜ在任中に籾井会長罷免を発議しなかったのかについて釈明していますが、その内容は迷走と言ってよく、見苦しいものです。

  たとえば、退任まもない201533日『朝日新聞』に掲載されたインタビューの中で上村氏は次のように語っています。

――― 籾井会長を満場一致で選んだのは、上村代行を含む12人の経営委員です。

 
 「確かに経営委に責任があります。ただ、籾井氏の経歴を見ると、一流商社で副会長まで務め、海外経験も豊富な人物。数人の候補者がおり、籾井氏に異論は出なかった。」

―――市民団体などには「経営委は籾井氏を罷免すべきだ」という声もあります。

  「私はずーと罷免すべきだと思っていた。ただ、罷免の動議をかけて、否決されると、籾井会長は『信任された』と思うでしょう。それでは逆効果になると考えました。」

 
ところが、『毎日新聞』のインタビュー記事(2015526日、夕刊)では、上村氏はこんな発言をしています。

―――〔籾井氏への〕批判はさりとて、上村さん自身、籾井氏を会長に選んだ経営委員の一人だった。『内心忸怩たる思いです』と打ち明ける。

  「三井物産の副社長を務めるなど経営手腕があり、海外勤務経験も長いというのが推薦理由でした。経済界のトップクラスという点は
品質保証になると思いましたご本人も選任後のヒアリングで『放送法は順守する』と語っていましたから・・・・』と悔いる。」

 

これでは、罷免動議が否決されたら逆効果云々以前に、自分の不明をさらけ出すような罷免動議を出すのを躊躇ったというのが真相ではないかと思えます。

 

確かに、経営委員会内に設置された指名委員会がまとめた、籾井勝人氏をNHK会長に推薦する理由の一つに、「ITに関する見識も深く、日本ユニシスの社長に就任して以降、3,000億円以上年間総売上を達成するなどの実績を持つ」という記載がありました。

しかし、ITに関する見識があること、三井物産の副社長、日本ユニシスの社長を歴任したこと、日本ユニシス社長として年間3,000億円以上の総売上を達成したこと・・・・それがNHK会長の資質とどう関係するのでしょうか? そうした経歴がどういう理由で公共放送のトップとしての「品質保証」になるのでしょうか?

メディアであり、放送文化の担い手であるNHKのトップというなら、ジャーナリズムに関する造詣、教養文化の深さと広さをなぜ真っ先に問わなかったのでしょう? 放送法の字面を復誦できるということで、公共放送を理解しているとでも受け取ったのでしょうか?

 

あにはからんや、籾井氏の会長としての第一声は、「私の主たる任務は(NHKの)ボルトとナットを締め直すことになるんではなかろうかと思っている」という発言でした。会長就任早々、このような発言が口をついて出る人物を「経済界のトップクラスという点は品質保証になる」と思い込んだ上村氏の見識に唖然とするばかりです。

 

ところが、上村氏は前掲『赤旗日曜版』記事の中では、こんな釈明をしています。

 

「経営委員会が会長を選びますが、書類とその場でのやりとりだけでは本当に最適任かはわかりません。推薦者の推薦を信頼するしかありません。」

 

この発言が真意なら、上村氏は籾井氏の資質について何も「品質保証」をもたないまま信任したことになり、自らの軽挙を恥じなければなりません。

 

極めつけは次のような釈明です。

 

会長に問題があると思っていても、政権与党から承認を受けて委員になった以上、〔会長〕罷免までは踏み込めないと考えてもおかしくないでしょう」 (前記『毎日新聞』インタビュー)

 

ここまでくると、上村氏は、経営委員会を含むNHKの政治からの自立の意味を理解できているのかという根源的な疑問に行き着きます。
  これでは、上村氏は「NHKの反知性主義」を問う前に、自らの知性はいかばかりかを内省する必要があるでしょう。と同時に、籾井氏を放送法無理解で批判するのなら、放送法の基本精神に関する自分の理解の至らなさを認識しなければなりません。

  なお、今年の34日に開かれた「NHK包囲行動実行委員会」主催の院内集会の準備の過程で、実行委員会のメンバーであった湯山哲守氏は、実行委員宛てに次のような意見を発信しています。湯山氏の了承を得ましたのでご紹介します。

 
 「私は上村達男氏の招聘は反対です。これまで経営委員(経営委員長代理)時代に市民運動側が再三にわたり『籾井氏の罷免』を要求してきたのにそれを実行してこなかったことに対する『弁明』が数々なされていますが、まったく説得力がありません。」

上村氏はまっとうな籾井会長批判者といえるか

  上村達男氏は経営委員退任後、急先鋒の籾井NHK会長批判者として、たびたびマスコミや論壇に登場しました。では、上村氏の籾井会長批判の要旨は何かというと、籾井氏は放送法に反する自分の発言を個人的見解と断ってかわそうとするが、その個人的見解を撤回しないままNHK会長職にとどまろうとするのは許されないというものです。
  しかし、上村氏が放送法に反すると指摘する籾井氏の一連の発言—――「政府が右というとき、左と言うわけにはいかないい」等々―――が公共放送のトップに求められる資質と真逆のものであるということは、いまや衆目の一致するところです。それどころか、私たちが受け取った視聴者からメッセージの中には、上村氏よりも、はるかに深く鋭く籾井氏の発言の問題性を射抜いた指摘が数多くあります。メディア研究者やジャーナリストの中にそのような見識を持った人物が数多くいることは言うまでもありません。

  また、上村氏のこれまでの言説を見る限り、株式会社の統治になぞらえたNHKガバナンス論はあっても、現行の会長選考制度や番組審議会委員の選考制度、NHKの経営や番組編成に視聴者の声をどのように反映するかといった公共放送に固有の制度論は見当たりません。放送番組に関する批評となると、さらに見当たりません。

  なお、後述しますが、受信料制度に関する見識となると、同期の他の経営委員の見識と比べても上村氏の見識は稚拙なものです。

  にもかかわらず、上村氏がしばしば論壇に登場してきたのはなぜかというと、結局は、籾井会長時代の「経営委員長職務代行者」という職歴が重宝がられたからではないかと思われます。
   しかし、この職歴をいうなら、「三井物産の副社長を務めるなど経営手腕があり、海外勤務経験も長いというのが推薦理由でした。経済界のトップクラスという点は
品質保証になると思いました」と語って、籾井氏をNHK会長に任命することに賛同した上村氏の稚拙な履歴も問われなければならないはずです。
  
さらに、会長就任後、籾井会長が数々の妄言を繰り返したにもかかわらず、「会長に問題があると思っていても、政権与党から承認を受けて委員になった以上、罷免までは踏み込めないと考えてもおかしくないでしょう」などという、あまりに愚かな物言いで籾井会長を免罪してきた上村氏の資質、見識の信を問うべきは当然です。
  上村氏のこのような言動は、経営委員会を含むNHKの政治からの自立を求める私たち視聴者運動の目標とも根本的に相容れません。

  今や周知となった籾井氏の愚かな資質、言動に対する批判者というだけで、上村氏の言動の全体像、根本的な問題性に目をつむって、同氏を高く評価する側の見識も問われなければなりません。

                           (以下、次回に続く)


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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋                ~赤旗編集局への書簡(3/7)

20161016

 
上村氏は議事録に残る会合でどのように発言したか
 
~美馬のゆり氏の発言を参考にして~

上村氏は経営委員退任後、籾井会長の言動を批判する発言を行っていますが、会長任免権を持つ経営委員在任中はどうだったでしょうか?
  上村氏は、経営委員在任中の自らの言動の対外的発信方法について、「経営委員会に広報機能がない」と記しています(同上論文、p.91)が、そんなことはありません。「放送法」で作成と公表が義務付けられた「経営委員会議事録」は強力な広報機能を果たすものです。
  現に、上村氏と在任期間が重なった美馬のゆり委員は定例の経営委員会で、たとえ1人ででも、誰に対してでも、しばしば堂々と持論を述べ、質すべきことを質しました(この節の末尾の【参考2】をご覧ください)。

  その美馬委員は、今年の514NHK函館放送局で開かれた「視聴者のみなさまと語る会 in 函館」に出席し、まとめの発言の中で次のように述べています。

  「経営委員会は、第2、第4火曜日に開かれていますが、経営委員会で議論されたことは、資料とともに議事録という形で、かなり詳しく公表されています。本日の参加者の中にも、議事録をお読みになっている方がいらっしゃいましたが、議事録は毎回、次の経営委員会で承認され、その週の金曜日に公開されています。経営委員会の中で、私たちがどのような発言をして、執行部をどのように監視監督しているか、ということについて、興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ議事録をお読みいただきたいと思います。
  本日のご意見の中で『議事録の中に「今後考えます」「善処します」と書かれていても、その後、どうなっているのかがわからない』という貴重なご指摘がありました。
  この点については、私自身もとても深く感じるところであり、毎回、膨大な量の、いろいろな議論がある中で、執行部からの回答を待つだけではなく、経営委員会としても積極的に、『どうなったのか』 『どのようにしていくのか』ということを確認していかなければならないと思います。」

 (「視聴者のみなさまと語る会in函館、2016514日、開催報告より)

こうした美馬委員の発言は、視聴者目線に立った貴重な意見と思えます。

 

  では、上村氏は議事録に残る経営委員会の場で籾井会長の言動について、どのような発言をしてきたでしょうか?

  籾井氏が会長就任会見の場で問題発言を連発してから最初の経営委員会(2014128日開催。ここではNHK理事が入室後の会合)で籾井発言が取り上げられました。
  冒頭、浜田委員長(当時)が「議論が複数ある事項について個人的見解を述べたことは、公共放送のトップとしての立場を軽んじたものであると言わざるを得ません」などと苦言を呈し、「放送法の趣旨にのっとり、覚悟を持って運営の手腕を発揮し、職務を遂行していただくことを強く希望します」と発言、それに続いて、室伏委員、美馬委員が籾井氏を諫める発言をしました。
  さらに、小野副会長も「きのうまでに視聴者から3,300件の反響があり、きょうの午前中は1時間に500件を超える反響」があったことを紹介したうえで、「ある意味深刻な状態になっていると認識している」旨、発言しました。
  しかし、この経営委員会に出席していた上村氏は議事録を見る限り、無言です。

 上のやりとりの中で、美馬経営委員は、次のように発言しています。

 

「(美馬委員)きょう会長から先日の就任会見の際のご発言に対してご説明いただきましたが、今後具体的にどのようにして事態の収拾を図ろうとされているのでしょうか。個人的に、あるいは執行部の皆さんと相談して対応されることになると思いますが、具体的なアクションについてのお考えや計画をお聞かせください。」

  この発言を受けて、美馬委員は次回、2014212日に開かれた経営委員会で次のように発言しています。

 
 「(美馬委員)会長にお聞きしたいと思います。きょう承認いただいた前回の経営委員会の議事録の中にある、私の質問についてです。今起こっている事態の収拾をどのようになさっていくお考えなのか、具体的なアクションについて質問させていただいたところ、放送法にのっとり職責を粛々と実行していきたいというお答えをいただきました。その後2週間の間にいろいろな動きがあったと思います。私自身は、これは組織における危機的事態だと認識しています。会長として、このクライシスマネジメントをどのような体制で行うのか、そしてその計画はどうなっているのかについてお伺いしたいと思います。欠陥商品あるいは不祥事などが生じた際、発生発覚後の対応によっては組織の信頼が失墜することがあるように、今回のことは、公共放送機関としてのNHKの存亡にかかわる事態に発展する可能性もあると考えます。そこで、具体的な今後の対策や組織体制等を教えていただければと思います。」

  こうした美馬委員の質問に対し、籾井会長は自分の真意とはほど遠い報道がされた、ぜひ会見の議事録を通読してほしい、と応答しました。そこで美馬委員はすかさず、次のように問い返しています。

  「(美馬委員)もう十分読みました。」
  「(籾井会長)それでもなおかつ私は大変な失言をしたのでしょうか。」
  「(美馬)その場での発言がどうだったかということを言っているのでは なく、その後発生した今起きている事態に対して、組織としてどのよう に対応していくのかについてお尋ねしたのです。私は経営委員として、NHKがこれまでの信頼を回復して、ぜひとも世界に誇る公共放送機関として存続していただきたいと考えています。私もそこにかかわっていることから、組織としてどうしていくのかについてお聞きしたわけです。」

  しかし、この場面でも、上村氏は無言のままでした。

  その後、上村氏はいくつかの場面(理事の担務の変更をめぐる籾井氏の独断的決定など)で籾井氏を批判した例があったことは確かです。しかし、籾井氏の言動が最も先鋭に問われた上記の経営委員会で他の数名の委員が籾井氏を厳しく質す発言をした中で、上村氏が沈黙し続けた事実は重要です。上村氏は、経営委員退任後、マスコミにたびたび登場して籾井会長批判を展開するのなら、なぜ経営委員在任中のシリアスな場面で籾井氏を厳しく質す発言をしなかったのか、その当事者責任が問われて当然です。

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 【参考1  2014422日開催、経営委員会でのやりとり

   「(籾井会長)石田専務理事は、過去2年間放送総局長を担当している際に偏向放送など、いろいろなことを経験し、今度は番組の考査業務統括を担当していただき、コンプライアンスも統括していただきます。」
 
 「(美馬委員)いま会長は、『石田専務理事はこれまで偏向放送の中で放送総局長としてやってきた』というように発言なさいました。会長は偏向放送があったとお考えなのですか。」
   「(籾井会長)偏向放送があったと言われている、そういう経験も持っておられるということであり、偏向放送があったと申し上げているわけではありません。
  考査は、制作から放送までをつかさどっている人が、一番ポイントがわかるわけです。偏向というのは必ずしも政治的な偏向だけではないです。いろいろな物の見方というのを、もう少し正していこう、放送法にのっとって、公正・公平をきちんと守れるようにするという意味で、非常に重要なポストです。」
  「(長谷川委員)今のご発言について意見がございます。我々は、この1月以来、メディアがいろいろな意見を言い、その意見が現実にいろいろ経営に関することに響いてくるということを体験してきました。ですから、偏向放送という意見があったとき、誰がそれを言っているのだという反論は、余り成り立たないのです。偏向放送という印象を持つ人間がいた場合、それにどう対処していくのか、最後は会長のおっしゃるとおり、放送法にのっとって本当にこのとおり公正に事実に基づいて事実をねじ曲げないで放送していますということを言っていくほかないのです。」
  「(上村代行)それはそうです。私は人事の分担表の説明のときに、偏向放送を経験したということを理由にされたから、それはどうですかという意味です。」
  「(長谷川委員)「それは、会長がご説明になったとおりでしょう。私はこう理解しました。偏向放送だという批判は非常に厳しくあり、国会でも意見があったわけです。そういう場を経験した人なら、どうすれば一般の視聴者にも偏向放送というレッテルを張られないで、誰の目に見ても公正・公平な番組とわかるような番組がつくれるかがきちんとできる、と理解しましたが、籾井会長、間違っていますか。」
 「(籾井会長)間違っていないです。」
 「(長谷川)現実に偏向放送問題という出来事はあったわけです。」

【参考2】  美馬のゆり氏の発言録

  「(美馬委員)本日、会長におうかがいしたかったのですが、ご欠席ということでしたので、1点お伝えいただければと思います。4月1日の入局式で新人に対して、放送法をよく読むべきであるけれども、会長を辞めさせるための手続については読まなくてもよい、どうでもよいというようにおっしゃったことの真意をおうかがいしようと思っておりました。というのは、放送法の第52条で経営委員会は会長を任命して、第55条は罷免することができるということが書かれていますけれども、これは経営委員としてとても重要な役割だと認識しています。そのため、私としては、読まなくてもいいという発言は、入局式という新人に対してお話をする場で、経営委員会の役割を軽視しているとも思われる発言というように思えました。新人に対してなぜこのようなときにおっしゃったのかということをおうかがいしたかったのです。もし、これが冗談とするならば、その発言の持つ大きな影響をきちんと意識していただきたいと思いますので、お伝えいただければと思います。」
 
201448日開催、経営委員会議録)

 
 「(美馬委員)今回、「クローズアップ現代」の報道に関する調査報告書が出て、処分が明らかになったわけですが、今回、新しい理事の方にその担当であった方がいらっしゃいます。先ほどの理事のご挨拶では、このことについては一切触れられていませんでした。今このような報告を受けた上で、改めてお考えがあればお聞かせください。・・・・・」
  
2015428日開催 経営委員会議事録)

                           (以下、次回に続く)

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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋                ~赤旗編集局への書簡(2/7)

20161015


上村達男氏の長谷川三千子氏評価に対する異議

 雑誌『世界』20156月号に、NHK経営委員、同委員長職務代行者を退任して間もない上村達男氏の論文「NHKの再生はどうすれば可能か」が掲載されました。
 
この寄稿については、籾井NHK会長の資質、個人的見解に触れた部分など賛同できる箇所が少なくありませんでした。しかし、上村論文が一番強調しようとしたNHK再生論は、NHK存立の生命線といえる政治権力からの自主自立を強めるどころか、むしろ、危うくする内容を随所に含み、多くの疑念を感じました。

1)経営委員就任前の長谷川氏の言動について

  その一つは、上村論文が、同期の経営委員(本田勝彦委員、長谷川三千子委員。特に長谷川氏)に対する世間の「誤解」を正そうとする「気配り」を示した点です。

 
 「大昔に安倍首相の家庭教師をしたことで批判されている本田勝彦委員や経営委員就任前のことでのみ批判されている長谷川三千子委員が経営委員としては公平な立場で発言・行動されていることはお伝えしておきたい。」(92ページ)。

  しかし、本田氏のことはここで触れないとして、長谷川氏について、委員就任前の言動を取り上げ、それが経営委員としての資格要件に適うのかどうかを議論するのは、上村氏が強調した、会長候補者の段階での籾井会長の個人的資質を問題にするのと同じです。

   
 「放送法」は法の目的を定めた冒頭の「総則」第1条で「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と明記しています。ちなみに、ここでいう「放送に携わる者」には、NHKの役員でもある経営委員も含まれています。
  また、「放送法」は、経営委員の任命要件を定めた第31条で、「委員は、公共の福祉に関し公正な判断をすることができ」と明記しています。
  経営委員を選考するにあたって候補者に挙げられた人物がこうした資格要件を満たすかどうかを判断するには、各候補者の委員就任前の言行を確かめるのは当然のことです。

  では経営委員に就任前、長谷川氏の言動はどのようなものだったでしょうか?  長谷川氏は『正論』20092月号に「難病としての民主主義」と題する小論を寄稿したほか、『月刊日本』20136月に掲載された論稿では、

 
 「『すべての国民は、個人として尊重される。』 日本国憲法第13条冒頭のこの一文が、いかに異様な思想をあらはしてゐるかといふことに気付く人は少ない。」「『個人』などといふ発想に基づくのではない、『人の道』にかなった憲法こそ、われわれが求めてゆくべきものであらう

と述べています。
  民主主義を「難病」と貶め、基本権人権の尊重を謳った日本国憲法を「異様な思想」と侮蔑する人物が、健全な民主主義の発達に資することを目的とする公共放送に携わる者に求められるのとはまったく相容れない資質の持ち主であることは明らかです。
  このような異様な時代錯誤の資質の持ち主が公共放送の監督・議決機関のメンバーとしてふさわしいかどうかを議論することに何の問題もないどころか、大いに必要です。
 現に、私たち視聴者団体は長谷川氏が経営委員に就任した当初から、長谷川氏を含む3名のNHK役員の罷免を求める運動を続け、幾度も経営委員会に申し入れをしてきました。上村氏はそれをどう受け止めたのでしょうか?
  上村氏が、上記のように長谷川氏を弁護する発言をするなら、なおさら、この点が問われなければなりません。

 
2)経営委員就任後の長谷川氏の言動について

 
では、経営委員就任後、長谷川氏は、上村氏が言うように「公平な立場で発言、行動されている」(92ページ)のかというと、公表された経営委員会議事録を読む限り、とてもそうはいえません。むしろ、籾井会長に批判の矛先が向きかけた時、それを遮るような発言をしたことがしばしば見られました。
  その一例として、籾井会長が理事の新任とそれに伴う理事の担務の変更を経営委員会(2014422日開催)に諮った時の籾井会長、上村代行、美馬、長谷川委員の間で交わされたやりとりがあります。ここで引用すると長くなりますので、次節の末尾に【参考1】として議事録の関連部分を抜粋しておきます。

  また、これは上村氏が経営委員を退任した後のことですが、籾井会長の私的なゴルフ用のハイヤー手配、料金支払いにあたって、公私の区別が問題になった経営委員会(2015319日開催)での長谷川氏の発言も同氏の言動の「公平性」を確かめるのに有用です。

  「長谷川委員 ・・・・事実確認が非常によくわかったのですが、それを追っていくと明らかにミスは秘書室にある。つまり、秘書室はそうやってプライベートという認識で、このハイヤー手配をしたにも関わらず、その業務手続きを通常の処理にしてしまったということが一番のポイントではないかと思います。」

    
 「長谷川委員 結論を出すのは早すぎるかも知れませんが、今回の問題は、基本的に秘書室の体質、意識の不徹底という問題が中心であると。会長に責任があるとすれば、会長からすれば、秘書室は自分の手足なので、秘書室に対して会長が公私混同を戒める厳しい人であれば、秘書室もそれにならうところですが、会長も徹底した姿勢・厳しさを欠いていたと言える。ただ、基本的な問題は秘書室の体制の甘さにあるという印象が強くあります。」

 
 「本田委員 ・・・・秘書室の責任云々に焦点があたっていますが、もう少し、幅広くNHK全体の、コンプライアンスの意識の向上に努める。秘書室の体制といった次元の話ではなく、安全の確保は当然のことですが、コンプライアンスと、セキュリティーは両立しないといけないわけです。秘書室だけがけしからんという受け止め方をされないように、ブリーフィングで報告していただければと思います。」

 
 「浜田委員長 私もそのように思っています。秘書に責任を負わせるというのはよくないと思います。」

 
 「長谷川委員 秘書の一人一人にミスがあったということではなく、組織としての秘書室の連絡不徹底ということが、結果的に組織のミスにつながった。」

 
 「浜田委員長 いいえ、報告書にはそうありますが、ご発言の中には、秘書室の問題に特化されたご発言もあったような気がしました。」

  このようなやりとりを読むと、長谷川氏は一番の問題は会長ではなく秘書室の怠慢だという発言を繰り返し、籾井会長の責任をそらす態度をあらわにしました。こうした意見は本田委員とも浜田経営委員長とも異なる長谷川氏の意見の際立った特徴でした。
  しかし、早い話、NHKが籾井会長用にハイヤーを手配するとき、籾井氏が一言、「請求は自分に」と指示し、その後、「まだ請求が来ないが、どうなっているのか」と自分から秘書室に尋ねていれば、システムがどうのと大げさな話をしたり、必死に籾井氏をかばいたてしたりする必要はなかったのです。こうした常識的対応すらしなかった籾井氏をことさらかばいだてした長谷川氏の言動を指して、「公平に発言されている」とはとても評価できません。

  また、長谷川氏は、NHK経営委員に任命された翌201416日の『産経新聞』のコラム欄に「『あたり前』を以て人口減を制す」というタイトルの一文を寄稿しています。その中で長谷川氏は日本の人口減少問題に触れて、「『性別役割分担』は哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然なもの」、にもかかわらず、「男女共同参画社会基本法」で謳われたように、出産可能期間中の「女性を家庭外の仕事にかりだしてしまうと、出生率が激減するのは当然のこと。日本では昭和47年の「男女雇用機会均等法」以来、政府・行政は一貫してこのような方向へと個人の生き方に干渉してきた、と男女共同参画社会への流れを「性別役割分担」社会に巻き戻すよう促す時代錯誤の見解を公にしました。

  こうした異様な考えの持ち主が「公共の福祉に関して公正な判断ができる」人物とは思えず、男女平等、共生という民主主義の理念を広めるためにNHKを監督できる資質を備えた人物とは到底思えません。それだけに、経営委員就任後に限定しても、長谷川氏は「経営委員としては公平な立場で発言・行動されている」などと評価する上村氏の「公平観」ひいては見識に強い疑念を覚えたのは当然です。

                           (以下、次回に続く)


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上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋              ~赤旗編集局への書簡(1/7)

20161014

 上村達男氏は昨年2月末にNHK経営委員を退任して以降、経営委員在任時の体験を織り交ぜながら、様々な著作や紙面・論壇で、自らも同意して選任した籾井NHK会長に対する批判とNHKガバナンス論を展開して注目されてきた。
 
しかし、この1年半ほど、NHK問題に取り組む市民運動に関わる中で私は上村氏の籾井批判を額面通りに受け取るには余りに偽善が多く、同氏のNHKガバナンス論も株式会社版ガバナンス論の焼き直しであって、公共放送のガバナンス論にはなっていないと感じてきた。

 
そこで、新たにNHK経営委員会議事録における上村氏の発言歴を辿って、これまで書き溜めてきたメモに書き加え、
102日にしんぶん赤旗編集局宛に、「上村達男氏の籾井会長批判、NHKガバナンス論について」と題する書簡 (以下、「本書簡」という) Eメール添付と郵送で送った。

 
こう書くと、「なぜ、赤旗編集局なのか?」という問いが返ってきそうである。詳しくは本書簡の「まえがき」と末尾の節をご覧いただきたいが、要は、革新を自認する日本共産党の機関紙までも、上村氏の言説を賞賛することへの強い異議と、同紙の論調がわが国の市民運動にも少なからず影響を及ぼしていると感じ、それに対する私見を当事者に伝えたいと考えたからである。

   
 「まえがき」で書いたように、本書簡は赤旗編集局に回答を求める趣旨のものではないが、一読のうえ、感想をもらえば、同局の考えを知るよい機会にはなると考えて送ったものである。送付後、約10日経つが応答はない。
 
しかし、元々の動機から言えば、NHKのガバナンス(会長、経営委員の選考方法、受信契約を介した視聴者とNHKの関係、日常的な番組ウオッチなど)に関心を寄せる方々に読んでほしいというのが本書簡をまとめたゆえんである。
  そこで、多くの方々にご覧いただければと考え、本書簡のタイトルを「上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡」と改め、7回に分けて全文をこのブログに順次、転載することにした。

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                               2016102

しんぶん赤旗編集局 御中 
   テレビ・ラジオ部 御中

   上村達男氏の籾井会長批判,NHKガバナンス論について

                                  醍醐 聰

  日頃より、NHK問題に取り組む市民運動に関心を寄せていただき、ありがとうございます。その件で皆様に何かのご参考にしていただければと考え、標題のような書簡を送らせていただきます。すべて、私の個人的見解です。
  昨日の貴紙紙面の「テレビ・ラジオ」欄に、104日に予定されているNHK退職者有志主催の集会のことを紹介する記事が掲載されました。そこでは、基調報告に上村達男氏が登壇することも紹介されました。
  その上村氏について、私が知る範囲で、貴紙は次のように同氏のインタビュー記事等を掲載されました。
 
 ・「政府が人事で独立性を壊した。」(『赤旗日曜版』2015614
   日)
  ・「『公共』国民的議論が必要」(『しんぶん赤旗』20151223日)
このほか、短い文章ですが、
  ・「籾井会長に抵抗した人たち」(『しんぶん赤旗』2015530
の中で、上村氏を「籾井会長に抵抗した人たち」の1人として紹介されました。

 
これらの記事から、貴紙が、籾井NHK会長に対する批判者として、上村氏を高く評価されていることが明瞭に読み取れました。他のメディア等も上村氏を同様の評価で紹介してきました。
  しかし、籾井会長批判という観点も含め、上村氏に関する私の評価は貴紙とは大きく異なっています。そこで、以下、上村氏の言説に関する私の認識と評価の要点をお伝えいたします。一読いただけましたら幸いです。

  この書簡は貴紙へのお尋ねとか質問とか言ったものではありませんが、一読いただいて、ご感想をお知らせいただけましたら、貴紙のお考えを知るよい機会になるのではないかと考えています。
  (引用文も含め、文中のゴチック、下線は私の追加です。)
        
              本書簡の目次

   上村達男氏の長谷川三千子氏評価に対する異議
 
    (1)経営委員就任前の長谷川氏の言動について
 
    (2)経営委員就任後の長谷川氏の言動について
   上村氏は議事録に残る会合でどのように発言したか
     ~美馬のゆり氏の発言を参考にして~
   籾井会長の任免経緯をめぐって迷走した上村氏の釈明
   上村氏はまっとうな籾井会長批判者といえるか
   経営委員の人事制度と職責に関する上村氏の曲解
   川島武宣氏の経営委員人事論を顧みて
   さいたま地裁のワンセグ判決の示唆
   自民党調査会ならダメでも国会議員ならOKという浅慮
 
    ~NHKを国政調査権の対象とみなすに等しい
     上村氏の危険な言説~
   視聴者目線が欠落した上村氏のNHKガバナンス論
     (1)経営委員会の職責をわきまえない上村氏の
      余剰資金活用論
    (2)視聴者目線が欠落した上村氏の受信料徴収論
   上村氏の著書の書評依頼に関する経緯に思うこと
   最後に
 
                     (以下、次回に続く)


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次期NHK会長選考に関する要望署名の第2次分11,390筆を提出

20161013
 
 全国の27の市民団体は810日から、次期NHK会長選考に関する要望(籾井現会長の再任に絶対反対、公募制、推薦制を採用して視聴者の声を反映した透明な方法で公共放送のトップにふさわしい会長を)に賛同を募る署名を呼びかけている。
 1012日にはその第一次集約分8,704筆を会長選考機関であるNHK経営委員会に提出したが、1011日には第二次集約分11,390筆を提出した。これで累計署名数は20,095筆となった。

 この日は27団体を代表して、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の河野慎二さんと私が渋谷のNHK放送センターに出向き、応対したNHK広報局視聴者部の2人の副部長と約45分間、面会して署名簿とネット署名に添えられたメッセージを提出した。
 面会の後、河野さんがレポートをまとめられたので転載しておく。

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(JCJの河野さんのレポート)

 1011日、「籾井会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求める」署名第2次集約分をNHKに提出しました。
 本日提出したのは、昨日までに集約した用紙署名1万1169筆とネット署名221筆の計1万1390筆です。9月11日までの第1次分8705筆を加えますと、2万95筆となり、短期間で2万筆を超えました。
 午前10時、NHKハートプラザに出向き、厚さ30センチを超える署名簿をデスクに積み上げ、NHK視聴者部の両副部長に渡しました。
 またこの席で醍醐氏は日本児童文学作家協会の有志から寄せられた手紙を紹介し、「いまの会長にはもうこりごりだ、2度となってほしくないとう声が圧倒的だ。経営委員会は重く受け止めてほしい」と強く求めました。
 そして、NHK経営委員会が署名簿の実物を自ら見て、視聴者の願いを実現するよう求めるとともに、指名部会の議事内容をリアルタイムで公開するよう要請しました。
 このほか、石原経営委員長が経営委員会の席で、原発肯定・推進の立場からの報道を検討するようNHKに要請したのは、放送法に反するとして、「『放送法』に違反する貴職の原発関連発言についての質問書」を、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の申し入れとして提出しました。
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3次の署名は114()まで
 経営委員会による次期会長の選考はまだ続いている。27の市民団体は、相談の結果、この先、114()を集約日として第3次の署名を続けることにした。
  第3次集約用署名用紙 
  
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/nhkkaichoshomei_3.pdf

その後は経営委員会での選考の進捗状況を見極めて署名をいつまで呼びかけるか、判断することにしている。

 第2次集約期間中にネット署名に添えて寄せられたメッセージの中から1つだけ紹介しておきたい。

 「現在のNHKは政権の広報局以外の何物でもない。権力監視がメディアの最低限の使命であるのに、公共放送を自称するNHKがこの為体であれば、受信料徴収の資格なし。フクシマとチェルノブイリとの避難・帰還基準値の比較、ドイツやフィリピンの米軍地位協定と日本のそれとの比較検証、ドイツと日本の空襲被害者に対する補償の差、慰安婦の実態、沖縄での政府によるむき出しの暴力、大元帥昭和天皇の戦争責任の解明。戦前から存在する唯一の放送局(当時のなまの資料も大量にストックしているはず)であり、民間からの広告料に依存する必要のない唯一のメディアであるからこそ、報道しなければならないことはいくらでもある。「巨大災害」。いいシリーズだ。ならばそれが原発事故につながる巨大なリスクへの注意喚起を、世界中で凶作のリスクが高まるなか、農業を壊滅させるTPPなんかやってる場合か(農業だけではない。日本の財産がまるごと危機にさらされる)?という危機意識の喚起をやるのが本来の公共放送ではないのか。中央構造線の真上に原発がある。夜間の事故で・台風接近中の事故で・船で九州へ(笑)?避難ができるわけがない。この恐怖を理解できる人間が、NHKにはいないのか。もう一度いう。公共放送を自称する以上、権力を厳しく監視せよ。できないならば「自民党広報局」と、実態に合わせて名称を変更せよ。公務員ではないゆえに、会長には(受信料から)年額3千万円超の報酬が支給されていると聞くが、全く理解不可能。コスパ悪すぎ。せめて次期会長には批判精神のある本物を選ぶべし。」
 (925日、兵庫県)

     NHK経営委員会に提出した署名簿(第二次集約分)

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