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「国家の干渉からの自由」を超えて「国家への干渉の自由」を

20161110

 私も共同代表の末席に加わっている「東京・教育の自由裁判をすすめる会」から昨日、第12回定期総会の案内状が届いた。その中で出席がかなわない場合はメッセージを、と書かれていたので、欠席の通知と併せ、次のようなメッセージを送った。小見出しはこのブログに転載するにあたって追加したものである。

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                      20161110
東京・教育の自由裁判をすすめる会
12回定期総会へのメッセージ

                      醍醐 聰

「内心の自由」は個人の尊厳を守る最後の砦
 長らく名ばかりの共同代表となっていることを申し訳なく思っています。
 「絶望の裁判所」ともいわれる司法の扉を一歩ずつ開かせ始めた皆様の長期にわたる粘り強い運動に心より敬意を表します。

 私は日の丸、君が代の強制に反対する運動に関わって以来、「内心の自由」は人間の尊厳を守る最後の砦と考えてきました。
 と同時に、私は「内心の自由」とそれを表現する「外的行為の自由」を
切断する論法にも大いなる異議を感じてきました。
 なぜなら、言論の自由が奪われた極限的状況のもとでは「沈黙する自由」は人間としての尊厳を守る最後の砦と言えますが、言論の自由が強権的に封じ込められたわけではない今日、言論・表現の自由とは個人の興味にふける自由でもなければ、「
国家の干渉からの自由」だけでもなく、「国家への自由」、つまり、主権者たる国民に国家を奉仕させる能動的自由でなければならないと考えるからです。

意見の違いは「認め合う」だけでよいのか?
 
今回、お送りいただいた案内封筒に「この国をいろいろな意見の違いを認め合う寛容な社会に」というタイトルが付けられたパンフレットが同封されていました。日の丸、君が代の強制に反対する運動の啓蒙的な文書としてはもっともです。
 ただ、言論、表現の自由のそもそも論から言えば、意見の違いを認め合うことが究極の目的ではないと私は考えています。各々の意見、思想を尊重し合いながら、ぶつけ合うことによって、互いに自省し、啓発し合って、各人の理性を磨き、高め合うことこそ、言論の自由の究極の価値であり、目的であると思うからです。

 上記のパンフレットで使われた例えでいえば、「原発は安全だと主張する自由」も「原発は危ないと主張する自由」も認め合うことが言論、思想の自由の本意ではなく、真理に近づくために不可欠な、「思いの通りに物を言う」自由のことだと思うのです。

 日の丸、君が代にしても、教職員の方々自身の人権、尊厳という面からは別の議論があり得ると思いますが、教育という観点からは、「起立する自由」と「起立しない自由」、「歌う自由」と「歌わない自由」を認め合うことが究極の目標ではないと考えています。そうではなくて、日の丸、君が代の成り立ち、使われ方を共同で考え、討論すること通じて、日本の歴史、とりわけ近・現代史の真実を、世界史の中で、学ぶ機会にするという能動的な位置づけが重要ではないかと感じています。
 両方の自由を認め合うということは、意見の違いを「脇に置く」、「棚に上げる」ことでも、日の丸、君が代を「タブーにする」ことでもないと思うのです。

「日の丸・君が代」強制に対する「攻めの運動」を
 昨今、国家の統治権と人権を逆転させる動きが強まっています。しかし、本来、国家は人権の保障のために形成された機構であり、国家の統治権は人権の保障という目的に沿ってのみ行使されうるものです。

 天皇の生前退位、天皇の「公務」の範囲に関して議論が集まっています。しかし、それ以前に、私は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という日本国憲法の第1条で言われる「統合」とはいかなる行為、表象的効果を意図するのかに関心を向けています。

 「主権の存する日本国民の総意に基く」と断りながら、天皇の名において意図される「国民統合」とは何を意味するのか、象徴に過ぎない人物、造物が主権者を統合するとは、いかなる意味なのか、日の丸、君が代はそうした「国民統合」のツールとは無縁なのかどうなのか、という疑問です。

 過日のリオ・オリンピックでは、「国威発揚」を掲げ、国家が国旗・国歌というシンボルを用いて国民、世論を束ねようとする動きが顕著でした。東京五輪・パラリンピック組織委会長の森喜朗元首相は「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのか。国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」と公言しました。

 机上の理想論と言われることを承知のうえで、私は前記のような問いかけを掲げた「攻めの運動」を皆様に期待したいと思います。
 私も、この十数年、関わっているNHKの報道を正す市民運動の中で、また、ささやかな自分のライフワークの中で、言論、報道の自由を「国家からの干渉を拒む自由」にとどめず、国民の知る権利に応える「国家への自由」に近づける運動に微力ながら、参加したいと考えています。




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