国民に「伝える義務」を果たすNHKにするために
2016年12月28日
「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」の運営委員会は12月26日、「籾井会長退任後の当会の運動の進め方」と題する文書をまとめ、同日、会員に通知するとともに、会のHPにアップした。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/
また、翌27日には、この文書を次期NHK会長に就任することが決まった上田良一氏宛に発送した。
今回の文書は、
*籾井氏不再任に伴う受信料凍結運動の解除
*上田新体制のNHKに対する当会の基本的立場
という構成になっている。
文書の後半に書かれているように、「当会は従来から、NHKの政府広報化、国策放送化は会長の資質に還元して済む問題ではなく、政治部による報道番組のコントロール、番組制作現場の職員のジャーナリズム精神の劣化といった要因によるところが大きいと考えてき」た。
そこから、「会長が交代したことによって、NHKの『政府広報』体質が改まるのかどうか、・・・・『会長が籾井氏だから、どうにもならない』といった言い訳が通らなくなったこれからが、NHK職員の矜持と力量が問われる時だと言っても過言ではない」と考えている。
また、これに続けて書いているように、「目下、日本では数の力に頼んだ愚劣な政治が横行し、憲法『改正』、海外での武力行使、沖縄での米軍の基地機能の拡大強化、本土へのオスプレイ配備、原発再稼働、世代を超えた貧困の深刻化など、悪政の犠牲が広がっている。このような悪政を国民の意思で一掃するには、多くの国民が『事実を知ること』、『参政に当たって十分な判断材料を持つこと』が不可欠であり、そのためにメディア、とりわけNHKが担うべき役割は非常に大きい。」
この1年を振り返ると、安倍政権の反理性・棄民の政治が対震災被害者、対韓国(「慰安婦」問題に関する日韓「合意」)、対沖縄(基地機能の強化の問題)で際立った年だった。
と同時に、韓国市民、沖縄県民の権力を振りかざした不条理との非妥協的な運動と比べて、私たち(「本土」の)日本人1人1人、さらには日本の市民運動の地力の脆弱さ、「情と和の精神が理性を覆う」政治意識のひ弱さを実感させられた1年だった。
その背景には、1人の有権者として「知っておかなければならない事実」を知らない実態、知らされない実態がある。これからNHKにどう向き合うかを考える時、政府に不都合な事実を「知らせないNHK」を、政府に不都合であればなおさら「知らせるNHK」に変えていく運動を、さまざまな方法、創意で強めることが重要になっていると痛感している。
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2016年12月26日
籾井会長退任後の当会の運動の進め方
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
運営委員会
籾井氏不再任に伴う受信料凍結運動の解除
NHK経営委員会は12月6日の会合で籾井現会長を再任せず、現経営委員で監査委員を兼務した上田良一氏を新しい会長に選出した。NHKの政治権力からの自立と独自の取材にもとづく調査報道の意義をまったく理解しない妄言を繰り返してきた籾井氏の資質に照らせば当然の判断である。というより、資質の点でも品性の点でも、公共放送のトップと真逆の籾井氏を名ばかりの注意で放免し、任期を全うさせた経営委員会の無責任が厳しく問われなければならない。
籾井氏を退任させたのは、多くの視聴者が粘り強くかつ継続的に籾井氏の言動に厳しい批判を向け、籾井氏が「非行・悪行」を行う度に即刻の罷免を要求して来たことが最大の要因である。各地で開かれた「視聴者と経営委員が語る会」で籾井氏の言動に手厳しい批判が相次いだことも、経営委員会の任命責任の重さを自覚させる大きな力になったのは間違いない。
と同時に、各地の市民団体が3年近くにわたって続けた罷免要求の署名運動が8万筆を超えたこと、さらに、籾井氏の任期切れ半年前から、21の市民団体が共同で取り組んだ籾井氏不再任の要求署名が4か月足らずで3万5千筆を超えたことも、籾井会長の退場を促すダメ押しの力となった。
当会は会長就任会見で籾井氏が「政府が右と言う時、左と言うわけにはいかない」などと発言したことを重大視し、2014年5月1日から、籾井会長の辞任を求めて半年間の受信料凍結運動を呼びかけた。残念ながら、それから半年が経過した10月末日に至っても籾井氏は会長職にとどまった。そこで、当会としては当初の呼びかけ通り、その時点で受信料凍結運動の解除をやむなきことと判断し、11月17日付でその旨の見解を発表した。
ただし、当時、籾井氏が会長職にとどまり、NHKの国策報道化が顕著になっていたことから、会員が自らの意思で受信料の凍結を続けるなら、その意思を尊重するという判断も明らかにした。
今回、会長職への不再任という形ではあるが、籾井氏の退場が確定したことで、受信料凍結運動の所期の目的は達成された。そこで、当会は、会員ならびに当会の呼びかけに応えて受信料凍結運動を続けて来られた方々に凍結の解除、受信料の支払い再開を呼びかける。
上田新体制のNHKに対する当会の基本的立場
次期会長に上田良一氏が選任されたことについて、「4代続けて財界出身の会長」、「経営委員から会長を選ぶのは異常」といった指摘がある。確かに、財界人の出身母体に由来する利害と公共放送のトップに求められる使命には無視できない利益相反がある。これまで経営委員として同僚だった上田氏と経営委員会が緊張関係を保ちながら各々の職務に専念するかどうかも注視しなければならない。他方、上田氏は今年の5月に函館市で開かれた視聴者と語る会で、
「受信料は、契約を締結する義務は法律で定められていますが、支払い義務は負っていません。支払いを義務化するということは、『支払いの義務を負わせて、支払わない人に対して罰則を設ける』ということであり、国の力で受信料を徴収するということになりますので、国の影響が及んでくるという懸念があります。」
「放送、ジャーナリズムが国家権力に追随するような形というのは、必ずしも望ましい形ではありません。」
と発言したことは注目に値する(NHKホームページ・「『視聴者のみなさまと語る会』in函館」より)。当会は、上田次期会長が今後、こうしたジャーナリズム精神を貫いて職務にまい進するのかどうか、注意深く見守り、是々非々の立場で新執行部と向き合っていく。
その際、重要なのは会長が交代したことによって、NHKの「政府広報」体質が改まるのかどうかである。当会は従来から、NHKの政府広報化、国策放送化は会長の資質に還元して済む問題ではなく、政治部による報道番組のコントロール、番組制作現場の職員のジャーナリズム精神の劣化といった要因によるところが大きいと考えてきた。「会長が籾井氏だから、どうにもならない」といった言い訳が通らなくなったこれからが、NHK職員の矜持と力量が問われる時だと言っても過言ではない。
目下、日本では数の力に頼んだ愚劣な政治が横行し、憲法「改正」、海外での武力行使、沖縄での米軍の基地機能の拡大強化、本土へのオスプレイ配備、原発再稼働、世代を超えた貧困の深刻化など、悪政の犠牲が広がっている。
このような悪政を国民の意思で一掃するには、多くの国民が「事実を知ること」、「参政に当たって十分な判断材料を持つこと」が不可欠であり、そのためにメディア、とりわけNHKが担うべき役割は非常に大きい。
当会は今後も、予断をまじえず、NHKの番組をウオッチし、良質の報道・ドキュメンタリィ番組、豊かな文化と教養を育む番組には激励を送り、国策を援護したり、視聴者の知る権利に背いたりするような番組には厳しく批判を続けていく。また、NHKの番組に対し、政治権力の介入や圧力があった場合は報道の自由を守るために毅然と抗議していく。
当会はNHKの報道の自由を守り、NHKのガバナンス改革を進めていくうえで経営委員会が果たす役割が大きいことを踏まえ、経営委員の選考過程の透明化、選任基準の明確化を求めると同時に、他の市民団体と共同して公募・推薦制を含む経営委員の選考制度の抜本改革を目指す運動に取り組んでいく。
と同時に、さしあたっては、経営委員会の会議の公開(傍聴)、「視聴者と語る会」の充実(回数を増やすこと、語る会の模様をNHKの番組として放送することなど)を要望していく。
以上
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コメント
昨日、知人と話題になった一件。
大本営発表の垂れ流し報道機関化した近年のNHKは、ドラマ制作部門においても著作者人格権の蹂躙や視聴者の知る権利への抵触を繰り返している。
一つは「坂の上の雲」の映像化に表れた著作者の遺言の無視、蹂躙。
「坂の上の雲」は、その作品内容の問題性以前に、原作者の司馬遼太郎自身の遺言によって映像化を禁じていたにもかかわらず、それを無視したテレビドラマ化がNHKにより強行された。
もう一つは「雲霧仁左衛門」など一連の時代劇ドラマにおけるねつ造ドラマの制作。
例えば池波正太郎は、自らの原作に無いストーリーを脚本家によって創作され、あたかも自身の作品であるかのようにドラマ化されることを強く拒絶していた(フジTVプロデューサー能村庸一氏の番組中証言)にもかかわらず、NHKは「雲霧」などの池波作品を換骨奪胎し変造・ねつ造し続けている。
森進一が川内康範の原作を無視して著作者人格権の侵害問題に発展した「おふくろさん事件」と同様、またはそれ以上に悪質な変造・ねつ造行為をNHKも繰り返している。
投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2017年2月20日 (月) 10時15分
上記は、一言で表現すると、「現実社会や人間生活の真実から遊離すると、報道も制作もダメになる」ということでしょう。
投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2016年12月29日 (木) 13時23分
醍醐先生たちのNHK批判は、専ら同局の報道姿勢や報道内容など報道面に焦点を当てた批判・是正要求にとどまっているようですが、NHKへの批判は、原作者の遺言さえ無視して強行された例の「坂の上の雲」の一件のように、番組制作面にも向けられなければならないと思うのです。
近年の日本の放送界、TV界は、ドラマや音楽番組をはじめ、番組制作面でも大幅に劣化していることにも注意を向けなければなりません。つまり、後世に残り得る、視聴者が繰り返し鑑賞したくなるような、良心的な番組制作本数が、大幅に減っていることも大問題だと思うのです。
最近のテレビ(地上波)は、番組制作能力もかなり劣化している。良心的番組や秀逸な番組の数が民放でも「民放に引きずられた(?)」NHKでも大きく減っている。
例えば、時代劇ドラマや「紅白」などがその典型でしょう。
大河ドラマについては評価が分かれるかもしれませんが、NHKでも大河以外の時代劇には観るべきものがほとんど無くなっている。このことは既に少なくない時代劇ファンの間で話題になっています。
また、「紅白」のような歌番組にも、IT化などで視聴者の音楽享受環境が変わったことにより視聴率が低下したということ以上の問題性が指摘されています。歌番組の制作姿勢が、国民生活や視聴者の実態、生活要求から遊離してしまっているというような批判です。音楽番組が体制迎合的業界常識やアナクロニズムにとらわれてマンネリ化しているというような批判も少なくありません。
つまり、近年のNHKは、報道も制作も、共にダメになっているという評価が増えているのです。ダメになっているのは、報道だけではないということです。
この事態で思い出すのが先人の言葉です。
「モノづくりをやめた民族は、文化をも失う」という警告の言葉。
報道はモノづくりではありませんから、ストレートに当てはめられませんが、この言葉はさしずめ「報道の魂を失ったテレビは、芸能芸術や文化番組の制作においても無能力化して行く。」ということではないでしょうか?
報道と制作の間には、深く隠された結びつきが存在するのだと思います。報道がダメになると制作もダメになるという。
いかがでしょうか?
NHK問題において喫緊の重要課題は報道の悪質化・ジャーナリズム精神の喪失状況の是正でしょうが、それに加えて、制作面の劣化についても私たち視聴者は厳しい目を向けて行かなければならないと思うのですが。
ぜひ、拙論の正否をご検証ください。
投稿: バッジ@ネオ・トロツキスト | 2016年12月28日 (水) 09時18分