« 2017年8月 | トップページ | 2017年12月 »

「地中のごみ」=「瑕疵」→「値引き」という思考停止の議論の害悪(Ⅱ)

20171123

判例の定説を当てはめると森友案件の土地に瑕疵はない

 では近畿財務局が森友学園に売却した土地にも通説は当てはまるのか?
 告発状で示したように、本件土地の売買契約書に明記された地下埋設物とは「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」であって、校舎建築(杭打ちなど)の支障となるような土間コンや基礎コンなどは記載されていないし、発見されていない。不動産鑑定士が作成した評価書でも地中埋設物として、「廃材、ビニール片等の生活ごみが確認されている」と記載されただけである。
 さらに、大阪航空局が現地視察した参議院予算委員会委員向けに作成した説明資料によると、ごみ撤去費用の見積もりの対象となったのは地下3.89.9mに存在すると推定された廃材等であり(下図1参照)、土地履歴調査等の結果、それらは昭和40年代初頭頃まで池や沼だった時代に相当量の廃材等が直積されたと推察している(下図2参照)。

 図1
Photo_5
   図2
99m_2
  であれば、半世紀ほど前に蓄積され、地下3.89.9mに存在すると推定される廃材等が現時点での校舎建築に支障を及ぼすとは到底考えられない。現に、佐藤善信国交省航空局長も、こうしたごみは「工事の施工には問題はございません」と答弁している(参議院予算委員会、2017228日、会議録)。実際、森友学園はこうした地下深くから廃材等を撤去することなく、今年の4月開校に向けて校舎の建築を進めてきた。これで一体、どこに「瑕疵」があったというのか?

無知をさらけ出した安倍首相の答弁

 安倍首相は国会答弁の中で、「その土地は言わば
ごみが入っているから言わばそういう価格になったということでありまして、至極、至極当然のことであって、ごみがあるからディスカウントしたわけで……」(参議院予算委員会、201736日、会議録)と自信ありげに発言した。しかし、これは「ごみ」という言葉を連発するだけで、ごみの中身に一切触れず、「ごみ=瑕疵→値引き」という稚拙な理解を国会の場でさらけ出して恥じる気配がない発言である。

Photo_4  
 ましてや、プロの国交省担当が当たった(会計検査院渉外広報課)会計検査で、土地の瑕疵の法的意味、判例を知らず、「ごみ」と聞いただけで無造作に値引きの要因とみなし、ごみ量の推計に付き合ったのは、それこそ検査の重大な瑕疵というべきである。

 上記のように、判例の定説を本件土地に当てはめて吟味する限り、本件土地には値引きの要因とカウントすべき「瑕疵」はなかったのであるから、ごみの量がいくらであれ、売買価格の減額要素としなければなければならないような「ごみ撤去費用」はなかったのである。したがって、また、ごみの処分単価が不明だから売買価格が適正だったかどうか判断できないと結論を留保した会計検査院の姿勢は政府を追い詰めるのを手控えようとする「忖度」か、そうでなければ職務遂行上の重大な過失である。

マスコミはなぜそもそも論を避けるのか?

 会計検査院の検査報告を伝えた新聞記事・テレビニュースを視て痛感するのは、会計検査院が「ごみ総量の算定、37割過大」、「ごみ撤去費用の根拠不十分」と指摘したことに焦点をあて、政府にさらなる説明を求めるという論調で共通している点である。
 このような会計検査院の指摘は、政府のこれまでの説明に疑義を投げ掛けるものであり、「重く受け止める」でやり過ごしてはならない指摘である。しかし、会計検査院は、関係書類が残っていないため、ごみの処分単価を計算できないとして、売買価格が妥当だったかどうかは意見を差し控えた。政府はこのような「落ち」に飛びついて、「会計検査院は売買価格の妥当性に異議を唱えたわけではない。政府としては従来から答弁してきたとおり、適正な時価で売却したものと考えている」と答えて、追及をかわそうとするだろう。

 確かに、資料不備のため、結論を下せないと留保するほかない場合もあるだろう。そのような場合は、必要な資料を廃棄または隠匿した行政機関の責任を追及するとともに、公文書管理のあり方を見直すほかないだろう。しかし、森友案件は、これに該当するケースではない。
 そもそも、本件土地には定着した判例の基準に照らして、「瑕疵」がないのだから、「瑕疵」を補償する値引きはどれだけかを計算する必要もないのである。よって、ごみの総量はいくらか、ごみを処分する時の単価はいくらかを思案する必要はないのである

 会計検査院もマスコミも、なぜ、こういう「そもそも論」を避けるのか? 私が立てる「そもそも論」は抽象的な建前論でもなければ高尚な極論でもない。「買った土地を買受目的のために使うのに不都合がないなら、土地に欠陥はないのだから値引きをする必要はない」という、至って常識的な議論であり、判例でも定着した判断である。
 このような「そもそも論」から出発すれば、「8億円のごみ撤去費用」をカウントするのは、もはや「疑惑」ではなく、「故意または重大な過失による背任」であるという結論にたどり着けるはずである。 

「ごみ」という言葉を独り歩きさせてはならない

 もう一度言う。
 「ごみ」という一語を無批判に一人歩きさせてはならない。森友問題で問題になっているのは世間話の「ごみ」ではない。「瑕疵」に当たるのかどうかを問題にする場合の法的な意味での「ごみ」=地下埋設物なのである。

行政文書廃棄は検査妨害、応報の懲戒請求を

 会計検査院は国会への検査報告の最後の項で、財務省、国交省において、本件国有地の貸付及び売却に関する行政文書が適切に保存されていなかったことを問題にし、両省に対して、国有地の売却等に関する会計経理の妥当性の検証が十分に行えるよう、必要な措置を講ずることを求めている。
 しかし、両省の行政文書の廃棄は会計検査院による国の財政検査に重大な障害となったのだから、「必要な措置」を講じるよう求めて済む話ではない。代価が10年分割払いで、まだ初回の不払いが済んだにすぎず、買戻し特約が付いた売買契約を締結しただけで事案は終了、よって交渉記録は廃棄、などという無謀な行政文書の廃棄は検査妨害に相当し、「会計検査院法」第31条で定められた「故意または重大な過失」にあたると考えられる。
 であれば、同法第31条を適用して当該職員の本属長官その他監督責任者に対して、懲戒処分を要求するのが当然である

| | コメント (0)

「地中のごみ」=「瑕疵」→「値引き」という思考停止の議論の害悪(Ⅰ)

20171123

会計検査院報告と私たちの告発状の決定的違い

 昨日(20171122日)、私ほか3名は、森友学園への国有地馬売買契約で売主となった近畿財務局長(当時)美並義人氏背任罪(刑法第247条)で東京地方検察庁に刑事告発した。

 告発状全文
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/minami_kokuhatuzyo.pdf 

 また、昨日、会計検査院は参議院予算委員会に対し、森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査結果の報告書を提出した。

 学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果についての報告書(要旨)
 
http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/pdf/291122_youshi_1.pdf

 学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果についての報告書(全文)
 
http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/pdf/291122_zenbun_1.pdf 

 私たち有志4名(いずれも「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」のメンバー)の告発状と会計検査院の検査報告は、国有地の売買価格の算定にあたって「ごみ撤去費用」の名目で約8億円が値引きされた根拠を質した点では共通している。また、検討の結果、値引きの根拠に疑義を投げかけた点でも共通している。
 国会の要請を受けて検査した会計検査院が8億円の値引きの前提とされたごみの算定方法に疑義を投げ掛けた事実は重い意味を持つ。なぜなら、会計検査院が指摘したように、ごみの総量が3割~7割過大だったとしたら、国交省が用いた処分単価をそのまま当てはめるとしても、「ごみ撤去費用」は少なくとも3割、最大で7割過大となり、売買価格は3割~7割廉価だったということになるから、「鑑定価格からごみ撤去費用を差し引いた適正な時価で売却されたもので何も問題はない」と答弁してきた政府は窮地に立たされることになるからである。

 しかし、私たち有志4名の告発事実と会計検査院の指揮事項には決定的な違いがある。それは8億円の「ごみ撤去費用」の算定に疑義を投げかけた「疑義の根拠」の決定的な違いである。
 なぜなら、会計検査院は、国交省大阪航空局が用いた「ごみ撤去費用」の算定方法(ごみの総量を推計し、それに処分単価を掛け合わせるという方法)の妥当性には異議を挟まず、もっぱら、ごみ総量の推計の妥当性に焦点をあてた。
 ということは、処分単価を問わないとすると、「ごみ撤去費用」の少なくとも3割~7割は適正であり、その分だけ、売買価格を値引いたことは問題ないということになる。本当にそれでよいのか?

会計検査院の報告に倚りかかったのでは疑惑究明は頓挫する

 週明けの国会で野党は会計検査院が指摘した疑義を材料に政府を追究するとみられる。しかし、ごみ総量の推計方法をめぐって国交省と会計検査院の計算結果に開きが出たことを取り上げ、どちらが正しいのか?と質して、どういう質疑になるのか? 「会計検査院は独自の立場で計算をされたものであり、それについて政府として申し上げる立場にない。ただし、会計検査院は売買価格が不適正なものだったと指摘したわけではない。政府としてはこれまで答弁してきたとおり、適正な手続きを経た時価で売買されたものと承知している」という型通りの答弁を繰り返すと予想される。
 あるいは、野党は、会計検査院が、必要な書類が残されていなかったことから適正な処分単価を把握できなかった、と指摘した点を取り上げ、近畿財務局、財務省、国交省における行政文書の管理のずさんさを追究するものと思われる。それはそれで重要なことである。しかし、これに対して政府は「会計検査院の指摘を重く受け止め、現在、公文書管理法の見直しを含め、公文書管理のあり方について改善の検討を進めている」と答弁するものと思われる。このような政府の答弁に野党はどのような「次の一手」を持ち合わせているのか?

 野党の追及に期待したい気持ちはやまやまだが、これまでの経過を振り返ると、会計検査院の報告によりかかるだけでは、疑惑は疑惑のまま残り、野党の追及は決め手を欠く結果で終わるように思える。

工事の障害にならない「地下埋設物」は「瑕疵」ではない

 国会や野党の真相究明の意気込みをはぐらかして、政府の逃げ切りで終らせないためには何が必要か? それは疑義の向け所を根本から転換することである。私の考えではその端緒は、
    「地中のごみ」=「瑕疵」→値引きが必要
という議論の組み立て自体を一から問い直すことである


  一つ前の記事で、地下に土地の売買において埋設物が確認され、それが補償を必要とする瑕疵に当たるかどうかが争われた2つの判例を紹介した。
 
 「工事に支障のない地中埋蔵物は瑕疵ではない~森友問題で会計検査院へ2度目の意見送信~」
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-48ad.html 

 一方の事案の判決は瑕疵と認め、もう一方は瑕疵と認めなかったが、それは判断基準が分かれたからではなく、それぞれの事例に問題になった「地下埋設物」の形状が違ったからである。どちらの判決も、「売買の目的物に『瑕疵』があるとは、目的物に欠陥があり、その価値を減じたり、その物の通常の用途もしくは契約上特定した用途に適しない場合、または売主が保証した性能を具備しない場合をいう」という大判昭8114民集1271頁)を踏襲した点では共通している。また、その後、同種の事件に対して示された判決でも、同じ判断基準が採用されている。
 つまり、売買される土地の地中に土以外の異物が存在するというだけで、土地に『瑕疵』があると言えるわけではないという点では判例は概ね一致している。そして土地に「瑕疵」があると言えるのは買主が買い受けた土地を予定した用途に充てるための建築をするにあたって工事の障害となるような質・量の異物が地中に存在する場合に限られると解釈する点でも判例は共通している。(中原洋一郎・廣田善夫「地下埋設物が存在する土地の売却における瑕疵担保責任と行うべき調査――福岡地裁小倉支部平成21714日判決・判例タイムズ1322188頁」『季刊不動産研究』201310月、61ページ)。

 1122日、東京地検に告発状を提出した後、司法記者クラブで開いた記者会見の場で、代理人の澤藤弁護士が本件国有地の埋設物は瑕疵に当たらない理由を分かりやすく簡潔に説明している。また、同じ記者会見で醍醐は上記2つの判例の要点を手短に説明した。これらを動画でご覧いただけると幸いである。

記者会見の模様(Uplan 投稿動画)
https://www.youtube.com/watch?v=MEuapgZVsTI
 澤藤弁護士の説明 6:1111:18
 醍醐の説明 11:302040

Pb228936_2
(次稿に続く)


| | コメント (0)

工事に支障のない地中埋設物は瑕疵ではない~森友問題で会計検査院へ2度目の意見送信~

20171116

 今朝がた、森友学園への国有地売却問題を検査中の会計検査院(の意見受付窓口)へ以下のような2度目の意見を送った。

 佐川宣寿理財局長(当時)や近畿財務局は、約8億円のゴミ撤去費用は売却される国有地の地中埋設物に関する瑕疵担保責任を免除させる見返りだと説明してきた。しかし、小学校建設になんら支障がない(佐藤航空局長も工事に支障はないと国会で答弁した)ような地中の生活ゴミまで、どうして国が瑕疵責任を負い、売買価格を大幅に値引きする根拠にするのか、疑問に思ってきた。
 そこで、本件国有地の売買契約書、不動産鑑定書など関連資料と類似の事件(地中埋設物が売主の瑕疵担保責任、賠償責任となるかどうかが争われた事件)の判例を調べた。その結果、国が主張する瑕疵担保責任はたいへん恣意的な解釈で、「ごみ撤去費用」という名目で大幅な値引きをする口実にされたことは間違いないと確信するようになった。そこで、まずはこのことを会計検査院に伝えることにした。

 ------------------------------------------------------------------------------------------- 

タイトル
「森友学園問題:工事に支障のない地中埋設物は瑕疵に当たらない。それを売買価格から差し引くのは不当」
                         醍醐 聰 

 (1)近畿財務局は森友学園へ国有地を売却するにあたって、約82000万円を「ごみ撤去費用」として差し引きました。これについて佐川宣寿理財局長(当時)はこの82000万円は本件土地の瑕疵担保責任を免除させるための対価であると繰り返し答弁しました。しかし、かりに本件土地の地中に埋設物が存在したとしても、それが土地の瑕疵に該当し、土地の売却価格の形成要因となるのかどうかは別途、検討が必要です。

 (2)そこで類似の問題が争点となった判例を調査したところ、①地中埋設物を瑕疵とみなし、売主の瑕疵担保責任、撤去費用相当額の損害賠償責任を認めた判決(類型A)と、認めなかった判決(類型B)に分かれていること、⓶類型AとBに属する判決に共通するのは、買主が当該土地を買受の目的に供するために工事を行うにあたって、当該地中埋設物が障害となると認定された場合に「瑕疵」と判断したこと、がわかりました。
 こうした判断のリーディング・ケースといえる2つの判決の要点のみを記しておきます。

 (事例1)「宅地の売買において、その地中に、大量の材木等の産業廃棄物、コンクリートの土間や基礎が埋設されていたことが、土地の隠れた瑕疵になるとされた事例」(東京地裁、平41028判決、『判例タイムズ』No,831,199421日、159頁)
 
その理由として東京地裁は、「本件の場合、大量の材木片等の産業廃棄物、広い範囲にわたる厚さ約15センチメートルのコンクリート土間及び最長2メートルのコンクリート基礎10個が地中に存在し、これらを除去するために相当の費用を要する特別の工事をしなければならなかったのであるから、これらの存在は土地の瑕疵にあたるものというべきである」と指摘しています。つまり、地中埋設物が存在したこと自体ではなく、買主が土地を買受の目的に充てる工事を遂行する上で、埋設物が障害になったという事実にもとづいて「瑕疵」に当たると判断し、当該地中埋設物の撤去に要した費用を売主が賠償すべき損害と認定したのです。

 
(事例2)「鉄筋三階建ての分譲マンションを建築する目的で買い受けた造成地の地下にビニール片等の廃棄物が混入していたとしても、杭打工法により予定どおりのマンションを新築して買受目的を達している場合には、右造成宅地に瑕疵があるとはいえないとされた事例(神戸地裁、昭59920判決、『判例タイムズ』No.541, 198521日、180頁)
 その理由として神戸地裁は、本件土地にはビニール片等の廃棄物が混入していたため、当初予定していたベタ基礎工法を杭打工法に変更を余儀なくされたにせよ、現にこれを新築することができてその買受目的を達していたこと、工法の変更が必要不可欠なものであったという確証はないことを挙げています。

 (3)近畿財務局と森友学園が交わした「国有財産売買契約書」で本件土地に存在すると確認された埋設物は「陶器片、ガラス片、木くず、ビニール等のごみ」(第4条第1項)であり、前掲(事例1)に見られたようなコンクリート土間・基礎といった杭打工事に支障をきたすと思えるものは発見されていません。佐藤善信国土交通省航空局長(当時)も、こうした廃材、生活ごみが存在していても「工事の施工には問題はございません」(参議院予算委員会、2017228日)と答弁しています。現に、森友学園は本年4月の小学校開校に向けて校舎の建設工事を支障なく続けました。
 さらに、本件国有地の「不動産鑑定評価書」を近畿財務局総務部次長宛てに提出した不動産鑑定士も評価書の中で「最有効使用である住宅分譲に係る事業採算性の観点からは地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難く、正常価格の観点から逸脱すると考えられる」と指摘しています。

 (4)以上から、本件土地の地中埋設物が「瑕疵」に当たらないことは明らかです。近畿財務局が森友学園側との価格交渉の中で「土地の瑕疵を見つけて価値を下げていきたい」などと発言していた事実(「新たなメモ見つかる」『報道ステーション』201783日)に照らせば、近畿財務局は正常な売買交渉ではないことを十分認識しながら、森友学園に利益を得させるため、瑕疵担保責任を故意に拡大解釈し、異常な廉価での売却を実行する背任を犯したと言わなければなりません。貴院の検査報告において、この点を徹底究明されるよう強く要望いたします。

Photo       (2017年8月3日、「報道ステーション」より)


| | コメント (0)

会計検査院へ意見発信~書類の不備を口実に意見見合わせは許されない~

20171110

 NHKは昨夜7時のニュースで会計検査院の河戸院長のインタビューを伝えた。

「森友学園問題 会計検査院長『検証に必要な書類欠けている』」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171109/k10011217871000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_027
 

 国会への検査報告前に会計検査院長が報告の内容を先触れするような発言をしたことに非常に疑問を感じた。しかし、森友学園への国有地の異常な安値売却をめぐる解明にあたって、会計検院がどのような検査報告を出すのか(今月中)は重要な意味を持つ。
 そこで、今朝がた、会計検査院のHPに設けられている「意見・感想受付窓口」へ後掲のような意見をメールで送信した。

会計検査院 意見・感想受付窓口 
https://www.jbaudit.go.jp/form/opinion/index.html 
 郵送 〒100-8941 東京都千代田区霞が関3-2-2 会計検査院渉外広報室
 メール 入力フォーム 
 https://www.jbaudit.go.jp/form/opinion/form.html
 
 字数:2000字以内 個人情報:記載任意(私は名前を明記して送った。)

 なお、私も参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は112日、会計検査院へ次のような申し入れ文書を提出した。あわせて、ご参照いただけるとありがたい。

「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」
「会計検査院への申し入れ--- 森友学園への国有地売却についての真相究明を求めて」
 http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/----7e15.html 

---------------------------------------------------------------------------

     会計検査院に送った意見(20171110日)

タイトル「昨夜のNHKニュース7で放送された河戸院長のインタビューについて」

 (1)国会へ検査報告を提出する前に、「必要な書類が欠けている」、「そのため十分な検証ができない(のは問題)」などと、部分的とはいえ、検査報告の内容を示唆するような、あるいは予断を生むような院長の発言が報道されたことに驚き、大変疑問に思った。

 (2)財務省、国交省のずさんな公文書管理は検査妨害と言えるから厳重な抗議、批判を報告に書き込む必要はある。

 (3)しかし、真相究明を半ばあきらめたかのような院長の発言は、関係省庁のずさんな公文書管理を口実にして、検査の限界を先触れし、「確かなことは言えない」という結論をエクスキューズする意図が透けて見える。それでは「国民の高い関心」に応えたことにはまったくならない。

 (4)過日の報道によると、会計検査院は「ごみ撤去費用」の算定は妥当だったかどうかを「ごみ混入率」から検証しているとのことである。それなら、その前提として、有益費に算入されなかった「新たなごみ」が実在したことを確認するのが先決だが、会計検査院は実在を確認できたのか? 
 ちなみに、佐藤善信・国交省航空局長は「どの箇所から、どこのくいを打ったところから出たかということについては確認をできておりません」、「9.9メートルまでのくい打ち工事を行った過程で発見された地下埋設物という、そういう連絡があり、それをその工事関係者から説明を受けたというふうに承知をしてございます。したがいまして、その9.9メーターまでのどこの深さからそのごみが出てきたかということについては、残念ながら確認をできておりません」(2017228日開催、参議院予算委員会)と答弁している。
 要するに、売買価格の値下げを希望する利害関係者から「報告を受けた」というだけで会計検査院は約8億円の値引きの証拠とするのか? ごみの実在を不問にして、「書類不備のため、ごみ撤去費用が過大かどうかは判断できなかった」で済ませるつもりなのか? それでは、政府、関係省庁は安どしても、国民の疑問は全く解消しない。

 (5)河戸院長はNHKのインタビューに応えて「正解がひとつとはなかなか決められないのではないか」と発言された。それはもっともなことと思うが、億円過大、と言えなくても、過日、報道されたように〇~〇億円過大、という報告を躊躇うべきではない。書類の不備から正確な撤去費単価の算定などができないとしても、その不備の責は財務省や国交省が負うべきものであり、会計検査院に帰す責任ではない。“Best Estimate”の手法で幅を持たせた算定を示すことは可能なはずだ。

 (6)会計検査院としては、具体的な積算の上で売買価格の妥当性を検査するという任を負っていることは理解するが、それだけでなく、国有財産の売却をめぐる近畿財務局職員が取った手法の顕著な不当性、脱法性も検査し、意見を付してほしい。特に、問題なのは、近畿財務局職員が、本件国有財産の売却価格となんら関わりのない有益費をベンチマークとして、適正な時価を大幅に下回ることを十分、認識しながら、値引きを希望した森友学園の意向に応えるように交渉を進めたという点である。

 このような不当なベンチマークによる売買交渉が異常な廉価売却を生み出す根本的原因となったことを厳正に糾していただきたい。

 (7)最後に。会計検査院が、関係省庁のずさんな公文書管理を理由にして、「確かなことは言えない」という結論をエクスキューズするようでは国民はまったく納得しないことを銘記してほしい。会計検査院に与えられたさまざまな調査権限は主権者である国民から負託されたものであることを銘記していただきたい。

                       醍醐 聰

| | コメント (0)

弟を詠んだ半世紀前の姉の歌に出会って

2017114

(あわただしい日々が続き、更新が1ヶ月以上、滞ってしまいました。)

半世紀前の姉の歌との出会い
  今朝、起きて居間へ行くと、「お姉さんのこんな歌があったよ」と連れ合いがコピーを指し出した。このところ、国立国会図書館へ出かけて斎藤史の戦中、戦後の短歌の軌跡を調べる中で、発見したらしい。
  目をとおすと、『女人短歌』80号、1969年6月号に「今日」という題で醍醐志万子の歌、33首が掲載されていた。かすれて小さ目のコピーだったが、目を近づけて読むと前半(8ページ)の13首が弟を詠んだ歌だった。

Img060
  野球のまた駅伝の選手なりし褐色の脚土蹴りゆきし
  守るべきものみずからに持ち得たる弟のいまだ幼顔たつ
  テレビにうつるどの学生も弟に見ゆるしかしヘルメットは被りおらぬ
  はず
  大学を守ると夜を出で行ける弟の電話取り次ぐべきか
  火炎瓶に服焼しのみと告げ来たるその臭い消ゆる日ありや弟
  荒廃を伝うるに東大なみといい学べぬ嘆き今にして言う
  立場明らかになれば傷つくことの多からむ髪ふくれ夜の風に去り
  行く
  紛争の大学より帰り一夜ねる弟のたつるもの音つづく
  家に帰ればみるうちに顔の線まるくなりたる弟をうとむ
  常緑樹の下にベンチあり無口になる弟と言葉探すでもなく
  ある時のわれにし似たる弟をいたき心に見守れるのみ
  縞美しくまろき小石を見よという旅より帰り数日ののち


駅伝のゴール手前で声援を送ってくれた姉
  すぐに思い当たる歌もあれば、回想と思える歌もある。詠まれた事実をすぐに思い出せない歌もある。
  一首目は、中学生の頃の私の様子を詠んだ歌であることは確かだ。当時、私は夏に野球部の選手を終え、陸上部に誘われて秋には800mのトラック種目の選手として練習に明け暮れた。といって、野球部で1年生の時から冬場の走り込み、うさぎ跳びの練習で足腰を鍛えていたので、陸上部に移ってからの練習は苦にならなかった。
  800mのトラック競技で県大会に出て終わりかと思ったら、今度は駅伝のチームに誘われ、県大会予選レースを兼ねた地区大会でアンカーを走ることになった。3.5kmほどの短い距離だったが、2位でタスキを受け取った私は前を走る選手を追いかけた。すると、途中から私の横を車が並走してきて、「抜けるぞ」と叫んだ。振り向くと、自営業の父の職場で働いてもらっていた人だった。「そうか」と気を引き締めて追いかけ、ゴール(郷里の市民グランド)手前200mほどの地点で追い抜いてトップでゴールした。
  忘れられないのは、そのゴール200m手前の地点に、なんと姉が待ち受けていて声援を送ってくれたことだった。「褐色の脚土蹴りゆきし」と詠んだのはその時の光景ではないかと思う。

大学「紛争」に突き進んだ弟を感情移入なしに見守った姉の歌
  28首目は京大に在籍して大学「紛争」に足を踏み入れた学部4年生当時の私の様子を姉の目から詠んだ歌である。
  「大学を守ると夜を出で行ける弟」と詠まれたのは、京大で「紛争」がピークに達した時、「東京の○○大学から△△旅団がこちらに向かっている」という真偽不詳の情報が入り、突入阻止を叫んで、本部の正門に逆バリケードを組んで待ち構えた日のことではないかと思う。
  当時、経済学部の自治会で活動していた私は徹夜になることを覚悟して、着替えのため、3人目の姉と一緒に入居していたアパートにいったん帰った。「電話」云々は、その時の事かと思うが、私が直接、実家の姉に掛けたのか記憶は薄れている。もしかしたら、3人目の姉が伝えたのかもしれない。
 「荒廃を伝うるに東大なみといい学べぬ嘆き」という句が何を指すのか、自分の言葉ながら不確かだが、当時、経済学部は大学解体を叫んだ別の学生グループが学部図書室に突入し、書架をなぎ倒した。そのため、入室不可となっていて、調べものができない状態だった。仕方なく、私は小さな学部資料室と府立資料館に毎日のように通って調べものをした。
  そのような状況を何かの時に姉に話しかけたのを詠んだのではないかと思う。

安易な社会詠に与しなかった姉の沈着なまなざしに触れて
  姉が「常緑樹の下にベンチあり無口になる弟と言葉探すでもなく」という歌を書き留めていたことを初めて知った。この歌に限らず、「今日」に収められた歌は、どれも、姉がのちに出版したどの歌集にも収録されていないと思う。
  生前、帰省した私は、夜なべする姉と黙ってお互いの仕事をする時間を過ごしたことがたびたびあったが、「常緑樹の下のベンチ」で姉と語り合った記憶はなかなか、思い起こせない。思わせぶりなフィクションを挿入する姉ではないので、確かな事実(記憶)をもとにして詠んだのだと思う。

向きあひて本読むよふけこの家に残る二人の姉弟として
             (醍醐志万子『木草』1967年、初音書房、所収)

  どのような情景かは不確かだが、2人向き合って、ふと手を止めて目線を合わせ、ぽつりと交わしたやりとりには、日頃、口にしない本心がのぞき、遠い思い出として大切にしたいと思っている。

 立場明らかになれば傷つくことの多からむ髪ふくれ夜の風に去り行
 く
 

 姉は歌の上で主義主張を押し出す作風には一貫して与しなかった。芸術至上主義ではなく、主義主張は赤裸々に表現するものではなく、事実の観察を冷静に作歌する技量を通して読者に自然体で伝わるのを良しとしていたように思える。
 そのような姉が晩年、社会の風潮に思わず警鐘を発した歌を作ったのを知ってはっとしたことがあった。

 正しきものつねに敗るといふ理論それを見てゐるひとりとなるな
      (醍醐志万子『照葉の森』2009年、短歌新聞社、12ページ)

 姉が半世紀前に「立場明らかになれば傷つくことの多からむ」と詠んでいたことを知って、当時から姉の心深くに晩年の歌に通じる心棒があったように思え、感慨深かった。

 ある時のわれにし似たる弟をいたき心に見守れるのみ

 この歌を目に留めた時は、感無量の極みである。

(追伸)

 醍醐志万子の短歌(1)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-3b5e.html

 醍醐志万子の短歌(2・完)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5178.html

 歌人、醍醐志万子をたどる
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/post-2d98.html



| | コメント (0)

« 2017年8月 | トップページ | 2017年12月 »