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弟を詠んだ半世紀前の姉の歌に出会って

2017114

(あわただしい日々が続き、更新が1ヶ月以上、滞ってしまいました。)

半世紀前の姉の歌との出会い
  今朝、起きて居間へ行くと、「お姉さんのこんな歌があったよ」と連れ合いがコピーを指し出した。このところ、国立国会図書館へ出かけて斎藤史の戦中、戦後の短歌の軌跡を調べる中で、発見したらしい。
  目をとおすと、『女人短歌』80号、1969年6月号に「今日」という題で醍醐志万子の歌、33首が掲載されていた。かすれて小さ目のコピーだったが、目を近づけて読むと前半(8ページ)の13首が弟を詠んだ歌だった。

Img060
  野球のまた駅伝の選手なりし褐色の脚土蹴りゆきし
  守るべきものみずからに持ち得たる弟のいまだ幼顔たつ
  テレビにうつるどの学生も弟に見ゆるしかしヘルメットは被りおらぬ
  はず
  大学を守ると夜を出で行ける弟の電話取り次ぐべきか
  火炎瓶に服焼しのみと告げ来たるその臭い消ゆる日ありや弟
  荒廃を伝うるに東大なみといい学べぬ嘆き今にして言う
  立場明らかになれば傷つくことの多からむ髪ふくれ夜の風に去り
  行く
  紛争の大学より帰り一夜ねる弟のたつるもの音つづく
  家に帰ればみるうちに顔の線まるくなりたる弟をうとむ
  常緑樹の下にベンチあり無口になる弟と言葉探すでもなく
  ある時のわれにし似たる弟をいたき心に見守れるのみ
  縞美しくまろき小石を見よという旅より帰り数日ののち


駅伝のゴール手前で声援を送ってくれた姉
  すぐに思い当たる歌もあれば、回想と思える歌もある。詠まれた事実をすぐに思い出せない歌もある。
  一首目は、中学生の頃の私の様子を詠んだ歌であることは確かだ。当時、私は夏に野球部の選手を終え、陸上部に誘われて秋には800mのトラック種目の選手として練習に明け暮れた。といって、野球部で1年生の時から冬場の走り込み、うさぎ跳びの練習で足腰を鍛えていたので、陸上部に移ってからの練習は苦にならなかった。
  800mのトラック競技で県大会に出て終わりかと思ったら、今度は駅伝のチームに誘われ、県大会予選レースを兼ねた地区大会でアンカーを走ることになった。3.5kmほどの短い距離だったが、2位でタスキを受け取った私は前を走る選手を追いかけた。すると、途中から私の横を車が並走してきて、「抜けるぞ」と叫んだ。振り向くと、自営業の父の職場で働いてもらっていた人だった。「そうか」と気を引き締めて追いかけ、ゴール(郷里の市民グランド)手前200mほどの地点で追い抜いてトップでゴールした。
  忘れられないのは、そのゴール200m手前の地点に、なんと姉が待ち受けていて声援を送ってくれたことだった。「褐色の脚土蹴りゆきし」と詠んだのはその時の光景ではないかと思う。

大学「紛争」に突き進んだ弟を感情移入なしに見守った姉の歌
  28首目は京大に在籍して大学「紛争」に足を踏み入れた学部4年生当時の私の様子を姉の目から詠んだ歌である。
  「大学を守ると夜を出で行ける弟」と詠まれたのは、京大で「紛争」がピークに達した時、「東京の○○大学から△△旅団がこちらに向かっている」という真偽不詳の情報が入り、突入阻止を叫んで、本部の正門に逆バリケードを組んで待ち構えた日のことではないかと思う。
  当時、経済学部の自治会で活動していた私は徹夜になることを覚悟して、着替えのため、3人目の姉と一緒に入居していたアパートにいったん帰った。「電話」云々は、その時の事かと思うが、私が直接、実家の姉に掛けたのか記憶は薄れている。もしかしたら、3人目の姉が伝えたのかもしれない。
 「荒廃を伝うるに東大なみといい学べぬ嘆き」という句が何を指すのか、自分の言葉ながら不確かだが、当時、経済学部は大学解体を叫んだ別の学生グループが学部図書室に突入し、書架をなぎ倒した。そのため、入室不可となっていて、調べものができない状態だった。仕方なく、私は小さな学部資料室と府立資料館に毎日のように通って調べものをした。
  そのような状況を何かの時に姉に話しかけたのを詠んだのではないかと思う。

安易な社会詠に与しなかった姉の沈着なまなざしに触れて
  姉が「常緑樹の下にベンチあり無口になる弟と言葉探すでもなく」という歌を書き留めていたことを初めて知った。この歌に限らず、「今日」に収められた歌は、どれも、姉がのちに出版したどの歌集にも収録されていないと思う。
  生前、帰省した私は、夜なべする姉と黙ってお互いの仕事をする時間を過ごしたことがたびたびあったが、「常緑樹の下のベンチ」で姉と語り合った記憶はなかなか、思い起こせない。思わせぶりなフィクションを挿入する姉ではないので、確かな事実(記憶)をもとにして詠んだのだと思う。

向きあひて本読むよふけこの家に残る二人の姉弟として
             (醍醐志万子『木草』1967年、初音書房、所収)

  どのような情景かは不確かだが、2人向き合って、ふと手を止めて目線を合わせ、ぽつりと交わしたやりとりには、日頃、口にしない本心がのぞき、遠い思い出として大切にしたいと思っている。

 立場明らかになれば傷つくことの多からむ髪ふくれ夜の風に去り行
 く
 

 姉は歌の上で主義主張を押し出す作風には一貫して与しなかった。芸術至上主義ではなく、主義主張は赤裸々に表現するものではなく、事実の観察を冷静に作歌する技量を通して読者に自然体で伝わるのを良しとしていたように思える。
 そのような姉が晩年、社会の風潮に思わず警鐘を発した歌を作ったのを知ってはっとしたことがあった。

 正しきものつねに敗るといふ理論それを見てゐるひとりとなるな
      (醍醐志万子『照葉の森』2009年、短歌新聞社、12ページ)

 姉が半世紀前に「立場明らかになれば傷つくことの多からむ」と詠んでいたことを知って、当時から姉の心深くに晩年の歌に通じる心棒があったように思え、感慨深かった。

 ある時のわれにし似たる弟をいたき心に見守れるのみ

 この歌を目に留めた時は、感無量の極みである。

(追伸)

 醍醐志万子の短歌(1)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-3b5e.html

 醍醐志万子の短歌(2・完)
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5178.html

 歌人、醍醐志万子をたどる
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/post-2d98.html



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