天皇夫妻の沖縄訪問をめぐる報道を考える
2018年3月29日
最近のNHKの報道の中で、森友問題の他で私が注視しているのは目下の天皇夫妻の沖縄訪問の報道である。
NHKのイメージ報道に警鐘を鳴らした原武史氏
この件で、有数の天皇制研究者といえる原武史さんは次のようにツイートしている。
原武史 2018年3月27日、6:02
https://twitter.com/haratetchan/status/978618225368883200
「天皇皇后の沖縄訪問に関するNHKの報道を見ていると、当初行幸啓に違和感をもっていた県民も、天皇皇后の沖縄を思う気持ちが明らかになるにつれ見方が変わり、温かく迎えるようになったというストーリーになっているが、このストーリー自体に政治的な匂いを感じないわけにはいかない。」
鋭い警鐘と思うが、私はNHKが描いたストーリーが虚構とは言えず、昨今の日本の市民社会に浸透している現天皇夫妻への心情に合わせたものと思う。問題は、日米の沖縄統治政策に果たした天皇(制)の歴史、象徴天皇制の存在理由を不問にしたまま、心情として現天皇夫妻への共感が広がっている現実そのものであり、そうした心情に倚りかかり、助長するNHKの報道フレームである。私はそうした状況に危惧を感じている。
その一方で、同じテレビ報道でも『琉球朝日放送』が次のような報道をしていることも注視したい。
沖縄にとっての天皇制を問いかけた『琉球朝日放送』
「Qプラスリポート
「対馬丸」の生存者が思うこと」
(『琉球朝日放送』2018年3月26日 18時32分)
http://www.qab.co.jp/news/20180326100697.html
「あすから3日間の日程で天皇皇后両陛下が沖縄を訪問されます。過去10度の訪問で両陛下は、戦地を訪ね平和訴え、沖縄に思いを寄せられてきました。しかし一方で、地上戦を経験した沖縄では、戦後73年が経った今も、天皇への複雑な気持ちを抱える人もいます。学童疎開船で多くの友達を失った女性は、あすの訪問を前に何を思うのでしょうか。」
「平良さん『(天皇陛下に)お会いする気持ちは今もありません。天皇のために死ぬと教えられた子たちが帰って来ないからね』国頭村出身の平良啓子さん。国民学校4年生のころ、疎開船対馬丸に乗り遭難しました。今も忘れることができない、悲惨な体験を語る活動を続けています。
「平良さん『御真影室に向かっておじぎをするというふうに教えられるし教室に入ると『天照大神』というのがあってそれに向かって大麻を拝む」平良さんは国民学校令が施行された1941年に入学しました。その頃、沖縄の教育関係者らが発行していた雑誌からは、方言を封じて標準語励行を行い、天皇への忠誠心を育む軍国主義教育を徹底することで日本への同化をすすめていったことがわかります。』
「戦後、平良さんは戦争の悲惨さと命の尊さを伝えようと、教師として39年間教壇に立ち、その後も県内外で平和を発信し続けています。4年前、天皇皇后両陛下が対馬丸記念館を訪れた際には、参列者として招待されましたが、そこに平良さんの姿はありませんでした。
平良さん『(両陛下が)人間としては平和に対する想いや沖縄に対する謝罪のような気持ちを持っているのはわかるからある程度心許すけれど天皇制というのがある限りまたどういう事になるかわからないからそれが嫌なの。天皇って何者だったのかな、こんなに尊いものだったのかな、命を惜しみなく投げるだけの価値のある天皇だったのかと思うと心が複雑になるんです。』
戦争の歴史に向き合ってきた陛下の姿に心境の変化を持ちつつも、天皇制については今なお不安と恐怖を拭えません。」
「現在83歳になる平良さん。天皇制が再び、戦争に利用されるのではないか、その恐怖心がある一方で、現在の天皇陛下が平和を発信し続ける姿勢には心強いものを感じると話しています。」
番組の中で対馬丸事件のことが出てきたので、2014年8月19日、那覇市の対馬丸記念館を訪ねた時に撮った写真を貼り付けておく。
同調圧力発散装置としての象徴天皇制
私がNHKに望みたいのは「象徴天皇制」の意味を正面から歴史的理性的に問う番組である。日本国憲法の冒頭に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という条文が置かれている。
主権在民を謳った現憲法の冒頭に天皇制の規定が置かれていること自体、違和感があるが、ここで謳われた「国民の総意に基づいて存する天皇」が「象徴」として、国民を「統合する」とはどういう意味なのか--------主権者の総意に依存する天皇が国民を「統合する」という、一見、倒錯した条文を矛盾なく説明する(できる)論理、沿革的史実とはどのようなものなのか?
こうした象徴天皇制のそもそも論を考える材料を市民に提供する番組をNHKに求めたい。
すでに国民の間に広く定着した象徴天皇制を今さら、と思われるかもしれない。しかし、昭和天皇が死去したとき、マスコミでは「崩御」という聞きなれない言葉が氾濫し、大半の通称「有識者」もいかめしく、この言葉を唱和した。さらに、日本国中、昭和天皇の死去を悔やむためと称した「自粛」が同調圧力となって社会を覆い、諸々の行事が相次いで中止された。
この先、天皇の代替わりの際、マスコミをはじめ、日本中が祝賀ムード一色に染まり、言論界も仮死状態とならないか---------そのような場面で、同調圧力の強力な源としての「心情」象徴天皇制の「威力」が露見するように思える。
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コメント
天皇に関して言えば、前天皇の死亡に関して、その当時住んでいた自治体の公共施設で合唱サークル交流会のため、借りていた会場が、「天皇崩御」のため歌舞音曲禁止との理由で断ってきた。交渉したが結局断念させられた。ことを思いだした。
憲法上「総意に基づき」とあるが、その根拠は何もない。(国民に意見は全く聞いていない)まして代替わりの儀式に昔ながらの神式儀式が入っているという。なし崩し的に戦前の天皇制
に戻そうという意識が明白としか言えない。現天皇はことある毎に「平和と憲法を守り」との発言があり、それ自体は良しとするが、むしろそれを利用して、戦前の天皇制復活の意図は見え見えである。
投稿: 西川 寛 | 2018年4月14日 (土) 14時01分
毛沢東に巣食うむかでよ、森友モリダクサンを指揮する諜報人よ、音に聴け‼︎刮目せよ‼︎我は末日聖徒イエスキリスト教会に住まうエフライムが末裔 松原義也‼︎ 貴様の悪あがきは永遠に続かないことを雷の声で申す‼︎‼︎ あのな、天皇陛下の沖縄訪問ごときでぐちぐちうるせ‼︎‼︎‼︎‼︎💢💢💢😠😡🤬💢💢🖕🖕🥊💥😠😡⚒🔨はだしのゲンと変わんねーが‼︎ 貴様、中核派を擁護する気か⁉︎
後シミンとかコクミンと名指してアベ氏ねーと麻薬中毒者のように暴れてたいと思ったら大間違いだ‼︎大体なんだよ、天皇陛下をバカにする記事出すことこそ国家反逆罪だぞ‼︎覚えてとえ‼︎
まだまだ雷下すから覚悟しろ、もりかけの幕引きを死を持って出まで許さない市民の会 会長‼︎
末日聖徒イエスキリスト教会の反動分子 松原義也
投稿: 松原義也 | 2018年4月14日 (土) 00時00分
醍醐先生。
態々のご返礼を有難うございます。
私は、護憲の立場から、現憲法の天皇制を厳守したいと思っております。
しかしながら、先の大戦に一兵卒として実戦に参加した亡父は、絶対的な天皇制反対の立場でした。
何故、一兵士として従軍しながらも絶対的な天皇制反対の立場にたつのかと思い、従軍経験を仔細に訊きただしたことがあります。 しかしながら、従軍経験によって反天皇制の立場になった訳ではありませんでした。
本人に依れば、幼児の頃より天皇制も個人としての天皇も大嫌いであったそうでした。 しかも、当時の幼児から大人までの多くが同様であったそうでした。 それなのに、何故、反対できなかったのは、当然ですが、教師から公務員に至るまでが天皇を敬うように国民に強制し、従わねば警察や憲兵が何をするか分からなかった、と云うのでした。
しかも、それが実は建前であり、厳しい筈の帝国陸軍内部でも、上官の将校に敬礼を忘れると、「貴様ら、この階級章が見えぬのか。 これは、恐れ多くも・・・」と大袈裟に責めて、ニコリと笑う将校がいたりする、と云うのでした。
実は、これが、笑い話のようですが、天皇制国家の実相である、と思われるのです。
理論的にその実相を明らかにしたのが、有名な藤田省三著「天皇制国家の支配原理」と思われます。
そして、その原理に基づく政治を顕現しているのが、現安倍政権なのでしょう。 従って、モリカケ疑惑は、かの将校が自身の軍服の襟に付けた階級章を見せびらかすのに似た行為を行ったことが淵源であるのでしょう。
実に、それこそが天皇制国家の支配原理と云うことなのでしょう。
投稿: イチロウ | 2018年4月 5日 (木) 20時45分
ASさま
私は、ご指摘のように、天皇制は人間平等の思想と相容れないとズバリ言う人が絶滅危惧種になっていることに空恐ろしさを感じています。
投稿: 醍醐聰 | 2018年4月 5日 (木) 04時18分
イチロウさま
中身の濃いコメントをいただき、大変、勉強になりました。象徴天皇制について、間をおかず続編を書くつもりでしたが関心が交叉してずれ込んでいます。
投稿: 醍醐聰 | 2018年4月 5日 (木) 04時12分
「陛下」とのみ呼ばれ下にも置かれぬ扱いを受ける人間がいることを異常だと思わない人々が多くいる限り、この国はいつまでも民主主義ではなく君主主義です。いずれ憲法も前世紀の主権在君に戻されるでしょう。
投稿: AS | 2018年4月 4日 (水) 12時43分
醍醐先生。
戦前の天皇制においても、当時の憲法学の権威・美濃部達吉は、ドイツ憲法学に倣い法学としての憲法学を発展させ神がかり憲法学の主唱者上杉慎吉等の神学を少数説とされ、限界はあるものの臣民の庇護に努められ、事実上の公定学説にまで発展させていたのです。
因みに当時の天皇も、美濃部学説を認めておられたそうでした。
処が、軍部を中心としたファシスト達の策略で、純粋法学理論である天皇制に係る記述に難癖をつけられ政治的に攻撃され、暴漢に襲われもする災難に見舞われましたが、これは、当時の日本を戦争の惨禍に落す魁となるものでした。
即ち、天皇機関説事件ですが、この憲法学を神学に貶めた事件以後、憲法学の書物の巻頭に「国家は、道徳の最高なるもの」等と期した神学を公定学(?)説とする神がかり憲法学が跋扈する国となったのです。
東京大学法学部の憲法学の講義では、当時の教授が恭しく金文字の書名が踊る憲法学(?)の書物を捧げ柏手を打ち、天照大神の御話から講義が始まったそうでした。
私は、数十年前に神田の古書店で当時の憲法学と行政法学の古書を蜜柑箱に入れる程も買いましたが、神がかり憲法学の書物は、殆どただ同然であったので苦笑したものでした。 勉強と雖も、法理論とも呼べない只のほら話を読むのが苦痛でしたが、当時、このほら話を笑えば、自分がどうなったのかを考えると背筋が凍りました。
先生の御論稿では、今また、当時と同じく、現憲法上の天皇を憲法に定める制度を超えて己が意思に叶うものへ変転させようとする企図で運用する輩が居る、との御指摘のように思えます。
彼等の思考は、象徴天皇制に相応しい存在にならんとされておられる現天皇陛下の御意思にも反する企図に依るものと思われ、現憲法体制への反逆とも思えます。
時恰も、国会では、「国権の最高機関」において、主権者たる国民では無く、時の政権に阿る官僚がこれまた同じく主権者を無視する政党の走狗の質問に歩調を合せて御経を唱える時節です。
この国では、悲劇では無く喜劇の歴史再演が見られる、と笑っていても良いのでしょうか。
投稿: イチロウ | 2018年4月 1日 (日) 18時49分