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3つの依存症(2-1)――知名度依存症――浜矩子さんの日銀金融緩和批判の真贋

20184月24日

知名度依存の病理
 「知名度依存症」とは読んで字の通りなので説明は要らないと思う。もとはといえば、官庁の審議会人選の常習になっているオピニオン・ショップされた「有識者頼み」かと思う。しかし、主義主張は真逆とはいえ、リベラルを掲げる市民運動や革新を掲げる野党にも、通俗的な事大主義というべき「知名度依存症」が近年とみにはびこっている。
 どこかの講演会や出版物で、ある人物の評判が立つと、その人の聴衆受けする威勢の良い言葉がネットを通じて拡散され、評判が評判を呼ぶ形で「知名度」が高まり、その人への講演依頼や執筆依頼が殺到する状況が市民運動や出版界の日常風景になっている。
 もちろん評判が立つこと、知名度が広まること自体が不健全というわけではない。良質の言説が評価を得て、影響力を持つことは好ましいことである。
 私が依存「症」と名付けて一種の「病理現象」とみなすのは、主体的自律的な咀嚼なしに周りの評判(評価といえない代物)が受け売りされている実態である。こうした「知名度依存症」は健全な民意形成とはほど遠く、普通の市民には近寄りがたいカルト的性格さえおびる。

 さらに言うと、市民運動の中には、日頃、自らが支持する政党の機関紙や催しに特定の人物が登場し、党の幹部と対談したり講演したりすると、それがまるで「お墨付き」かのように、その人物に、党の支持者や支持団体から講演依頼が殺到する状況が見受けられる。そして、その人物の威勢のよい「安倍批判」が喝采を浴びる――「知名度依存症」と「安倍依存症」が相乗効果を発揮し増幅していく状況になっている。その典型例として、再び、浜矩子さんのアベノミクス批判を取り上げたい。

根拠のない金融緩和批判 
 浜さんは随所で日銀の(異次元)金融緩和を取り上げ、金融政策の面からアベノミクス批判を展開している。その要点は次のとおりである。

 債権大国日本と債務大国アメリカの通貨の関係を考えれば、1ドル=50円に向かうのが理にかなっている。にもかかわらず、現実の為替レートがそこから外れて趨勢的に円安に振れているのは、「自国通貨の価値をどんどん下げることに情熱を燃やす中央銀行」の量的緩和(=円安誘導)政策によって、円相場が本来の軌道から外れ、「道草」をしているためである。(『さらばアホノミクス』2015年、毎日新聞出版、34ページ)。

 そこから浜さんは「日本銀行が『アホノミクス』のお先棒を担いで金融調節を行っている限り、円は本来の軌道を外れて大いなる道草を食い続けることを強いられる」(同上、34ページ)と断じている。

 しかし、このような浜さんのアベノミクス=金融緩和批判は幾重にも的外れである。

 (1)事実と反する円安誘導論
 
まず、事実として、日銀が異
次元金融緩和を実施した20144月から201410月に追加緩和を発表するまでの間は円安が進んだが、マイナス金利を導入した20161月以降は急激な円高が進むという逆相関の動きが起こった。その後、20169月に長期金利操作を導入して以降はしばらく円安傾向に転じたが、4か月後には再び円高に戻り、以後は円高と円安が小幅で交叉する動きになっている。つまり、日銀の金融緩和は円レートの動きと相関していないのである。
 Photo            (『朝日新聞』2017年9月22日)
        
 要するに、異次元金融緩和が導入されて以降の円相場は浜さんがあるべき方向と見立てた1ドル50円に向けた円高基調とはかけ離れた趨勢だったが、日銀の金融緩和(通貨供給量=通称マネタリーベースの増加による円安誘導)がそれを阻んだとみなすのは事実に照らして無理なことを上の事実は示している。これは別の資料からより明確に裏付けられる。

 (2)量的緩和の実態を無視した日銀批判
 
次の表は20103月以降20183月までのマネタリーベースの推移を内訳ごとに示したものである。

Photo_3
 これを見ると、マネタリーベース残高は4.9倍に膨らんでいるが、そのうち市場流通高(日銀券発行高+貨幣流通高)は1.4倍にとどまっている。マネタリーベース総量に占める市場流通高の割合でいうと、金融緩和が導入される直前の20143月には43.5%だったのが、20153月には33.3%、20163月には27.5%へと急落し、それ以降は20173月には23.9%、20183月には22.8%と低い水準で推移している。
 そうなったわけは、異次元緩和で年間80兆円という目標を掲げて日銀が大量の国債を民間銀行から買い取る見返りに通貨を供給したが、金融機関はそれを貸し出しに充てず、大半を日銀当座預金として日銀に戻し、「塩漬け」したからである。
 つまり、金融の量的緩和と言っても市場に流通するのはマネタリーベース総量の23割で、これではインフレ(円安)誘導にはほど遠く、2%の物価上昇目標が実現しないのも当然である。
 そこで、円ドル・レートとマネタリーベース総量ならびに市場流通マネタリーベースの対前年同月比の推移をグラフで示すと次のとおりである。

Photo_4
 これを見ると、マネタリーベース総量の変動幅に比べ、円レートの変動幅は小さく、逆相関の局面も少なくないが、趨勢としては市場流通マネタリーベースを上下するレンジで円レートが変動していることが分かる。

 ちなみに浜さんは、『どアホノミクスの断末魔』(2017年、角川書店、156159ページ)の「補論1」でミルトン・フリードマンのいわゆる「ヘリコプターマネー」を引き合いに出して、アベノミクスの金融政策を批判している。大量のカネを人々の頭上からばら撒いて落ち込んだ経済活動を手っ取り早く浮揚させるという議論である。その方策として浜さんが紹介しているのはイギリスで提唱された永久債(=返済期限のない国債)の活用で、浜さんは永久債を使うよう日本政府に薦めたアデア・ターナーを「大日本帝国会社の経営方針の立役者」(同上、159ページ)と批評している。
 しかし、ヘリコプターマネーを引き合いに出すなら、あれこれの経済学者の名前を挙げるよりも、ヘリマネの日本版と称された日銀の量的金融緩和策では市場にばら撒かれたマネーが公称マネタリーベースの23割に過ぎず、ヘリマネ散布による円安・インフレ誘導が看板倒れに過ぎなかったことを指摘した方がはるかに説得力のあるアベノミクス批判になったはずだが、浜さんのアベノミクス批判にはそうした実証は皆無である。 

 もともと、円ドルの為替レートを動かす主な要因は日米間の金利差であり、日本の金融政策が単独で機能して為替相場が動くものではない。2017年に入ってドル高/円安の傾向が強まったが、それは日銀の金融緩和の影響ではなく、6月頃からFRBが利上げに踏み切るという予測が強まり、米国の長期金利が上昇して日米の金利差が拡大した結果だった。米国金利が上昇する局面では円を売ってドルを買う動きが強まり、ドルに対する需要の増加がドル高をもたらすからである。
 このように見てくると、為替レートがあるべき円高に進むのを阻んだという理由で日銀の金融緩和を批判する浜さんの議論は事実の因果関係に基づかない非経済学的な粗雑な主張といって差し支えない。

 
3)根拠のない円高歓迎論/1ドル=50円説 
 そもそも論に戻って言うと、日本にとって円高が理に適っているという浜さんの議論も信用できない。
 先ほども述べたように円高とは対ドルの関係でいえば国内金利の上昇と表裏の関係にある。まして1ドル50円となればドル売り、円買い一色の状況で、国内金利が急上昇することを意味する。
 そうなると、現在の国債発行残高(約8651,579億円)の平均利率から試算して、利率が0.1%上昇するごとに国債利息は約8,650億円増加すると同時に、国債の市場価格が暴落することが想定される。このようなリスクを予想するからこそ、日銀は20169月に長期金利操作を導入するとともに国債の買い入れを当初の目標の年80兆円から圧縮して60兆円程度に抑える政策に軌道修正しはじめたのである。

 日銀の金融緩和が出口の見えない迷路に陥っていることは確かであるが、確かな根拠もなく、威勢のよい言辞で日銀の金融緩和策を円安誘導策と批判するだけでは批判として説得力がないだけでなく、円安誘導への対案として円高を理のある政策と唱道するのは、日本の財政状況をかえって悪化させる粗悪な議論である。
 ここまで肥大化した国債の財政負担を小手先の金融政策で解消することはできない。新規国債に代わる財源を示し、国債依存度を着実に引き下げて利上げのリスクを緩和していくほか道はないが、浜氏はそのための代替財源も金融緩和からの出口戦略も示していない。
 
 なお、浜さんは、現実の為替相場が、2010年以来、浜さんが唱えてきたⅠドル=50円説に一向に近づかない事実を指摘されても、「私は50円説の旗は降ろさない」と気丈な発言をしている。それが自説に関する理論的確信に裏付けられているなら非とするには及ばない。
 しかし、『朝日新聞』が20176月に主要100社を対象に行った景気アンケート調査によると、「望ましい対ドルの為替レート水準は」という質問に対して、もっとも多かった(26社)のは「110円程度」で、以下、「115円程度」が9社、「120円程度」が6社、「105円程度」が5社、「100円程度」が3社で、100円以下という回答はゼロだった。
 それでも「1ドル=50円」説の旗を降ろさないと言うなら、世に知られていないよほどの説得的説明材料を示す必要があるが、浜さんの書物を読む限り、それらしい経済学的説明は皆無である。

 (4)「消えたマイナス金利」論の無理筋な安倍批判
 浜さんの「経済論説」のうち、市民の間で流布された議論の一つに「消えたマイナス金利」(『東京新聞』2016612日<時代を読む>欄に掲載)と題する論稿がある。消費税増税の再延期を発表した201661日の安倍首相の記者会見の場での発言を捉えた安倍批判である。批判の要点は次の一節である。

 「あの時の総理大臣冒頭発言の中に、次のくだりがある。『現下のゼロ金利環境を最大限に生かし、未来を見据えた民間投資を大胆に喚起します。』ここで、筆者は『えっ?』と思った。今って、マイナス金利じゃなかったっけ?
 今年の12829日両日にわたる金融政策決定会合で、日本銀行は、『マイナス金利付き量的・質的金融緩和』を導入することを決定した。当日の議事要旨には、『今後は、「量」・「質」・「金利」の三つの次元で緩和手段を駆使して、金融緩和を進めていくこととする』と記載されている。つまり、ここで日銀が三つ目の金融緩和手段として打ち出したのは、あくまでも、『マイナス金利』なのである。ゼロ金利政策をやるとはいっていない。
 これはどういうことなのだろう。まさか、日銀がマイナス金利政策を導入したことを、総理大臣がご存じないはずはない。知っていながら『ゼロ金利』という言い方をしているわけだ。ということは、マイナス金利じゃイヤなのだろうか。マイナス金利は無かったことにしてしまいたいのか。」

 安倍首相がこの日の会見で「マイナス金利」という言葉を使わず、「ゼロ金利」と言った理由はわからない。しかし、国会会議録を調べると、日銀がマイナス金利政策を採用した直後の201623日以降、安倍首相は国会答弁で計14回「マイナス金利」に言及している。安倍首相を擁護するつもりはないが、このような事実に照らすと、同年61日の記者会見での上記の一語を捉えて、安倍首相は「マイナス金利は無かったことにしてしまいたいのか」と憶測するのは当たらない。

 むしろ、私が驚くのは、安倍首相が「ゼロ金利」という言葉を使ったことをさして、「えっ?・・・今って、マイナス金利じゃなかったっけ?」と浜さんが驚いたことである。なぜなら、安倍首相が「ゼロ金利」とだけ言って「マイナス金利」と言わなかったのは不正確ではあるが、ことさらそれを捉えて批判的な評価をするのは事実から外れた「無理筋の安倍批判」だからである。

 事実はどうかというと、次の図で示されているように、民間金融機関が国債買い取りの対価として日銀から受け取る資金を日銀に戻す当座預金のうち、マイナス金利が適用される(政策金利残高)のは8%程度(約10兆円)に過ぎず、基礎残高と呼ばれる約210兆円には+0.1%の金利が適用される。そして、マクロ加算残高と呼ばれる残りの約40兆円にゼロ金利が適用される。日銀当座預金はこのように適用金利が異なる三層構造を採用することによって超低金利による民間金融機関の収益性の悪化を緩和させる仕組みにしているのである。

Photo_6
 このような事実に照らすと、「今はマイナス金利じゃなかったっけ?」という浜さんの指摘は民間金融機関が日銀に預けた当座預金全体の8%を捉えたに過ぎず、安倍首相がそれを知ってかどうかは別にして、この8%分のことを触れなかったというだけで鬼の首でも取ったかのように安倍首相に批判を向けるのは問題の核心から外れた針小棒大な議論といってよい。
 
 浜さんが上の論説の中で「民間金融機関の日銀当座預金に部分的なマイナス金利が適用されると・・・・」と記しているところを見ると、浜さん自身もマイナス金利が適用されるのは日銀当座預金の一部にとどまることを知っていたと取れる。現に、この時の金融政策決定会合の議事要旨には上記の「三層構造」とそれぞれの層に三通りの金利が適用されることが説明されており、浜さんもこれを読んだはずである。
 http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160129a.pdf

 であれば、マイナス金利が日銀当座預金の一部に適用されるに過ぎないこと、ゼロ金利が適用される部分があることを知りながら、ゼロ金利とだけ語ってマイナス金利と言わなかった安倍首相の発言を捉えて仰々しく批判する浜さんの議論はいささか姑息である。

「経済学」の装飾を施しながら、これほど粗悪な議論が、勇ましい安倍批判というだけで、熱心な市民運動メンバーから喝采を浴びるのは何とも嘆かわしい状況である。



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3つの依存症(1)――安倍依存症――

2018419

 以下、3回に分けて3つの依存症(安倍依存症・憲法依存症・知名度依存症)を順次、議論したい。最初のこの稿では「安倍依存症」を考える。

浅羽通明さんの問題提起
 2016716日の『朝日新聞』朝刊の<耕論>欄で「瀬戸際のリベラル」という大きな記事が掲載された。その年の参議院選で自民・公明両党が大勝した結果、衆参両院で改憲勢力が3分の2を占める結果になったのを受けたタイトルである。
 紙面に掲載されたインタビューの中で浅羽通明氏がリベラル野党を叱責して次のように語っているのを興味深く思い、記事を保存している。

  「すべて『安倍』を前提にしないと何も打ち出せない『アベ依存症』です。ライバルだけ見ているから、国民=顧客が何を望んでいるのかがさらに見えなくなってゆく。」

 私も、このブログで何度か、「アベ政治を許すな」と声を掛け合い、限られた同心円の中で仲間内だけで意気投合する今の市民運動の「内弁慶」ぶりに疑問を呈してきた。こうした内弁慶症候群の根底にあるのは、無意識のうちに、安倍政治の余りの俗悪さに引きずられて自らの運動の質を劣化させている実態である。そして、そうした運動の質の劣化、稚拙さが安倍政権の消極的支持層を温存させる遠因になっているという逆説的因果関係を、熱心な安倍政治批判者は気づいていない。

一例としての浜矩子さんの「アホノミクス」論
 ここではその典型例として、多少とも私の専攻に関わりがある浜矩子さんのアベノミクス批判を取り上げたい。
 浜矩子さんと言えば、「アホノミクス」と題した書物を相次いで出版したが、さらに舌鋒をエスカレートさせて「どアホノミクス」と題した書物を公刊した。全国各地の市民団体や出版界からは講演・執筆依頼がひっきりなしで、「経済学的視点」からの安倍政治批判の毒舌に喝采が広がっている。
 その浜さんの講演を聞いたある方の感想が掲載されたある地域団体の会報が2週間ほど前、拙宅にも届いた。今年の217日に地元で開かれた母親大会に参加して浜さんの講演を聞いた人の感想記であるが、私が目を止めたのは以下のくだりである。

 「『今、皆さんが持っている又は預金しているお金が、安倍政権の中ですぐにでも紙切れになるかもしれないんですよ!』に、みんな、ぎょ!。安倍さんをこのままにしておいてはいけないと参加者一同の思い。」

 この短い文章から、講演会に参加した多くの人が、自分が持っている預金が安倍政権の下ですぐにも紙切れになるかもしれないという浜さんの話に大いにうなずき、安倍政権を早く終わらせねば、という決意を新たにした様子が読み取れる。しかし、である。
 安倍政権であれ何政権であれ、預金がすぐにも無価値(紙切れ)になる、円が暴落して価値がゼロになるとは、どういう状況を想定した話なのか? 預金封鎖で引き出しができなくなる? 円の国際的信認が底抜けして無価値になるまで円売りが殺到する?
 浜さんは講演の中でなにがしかの説明をしたのかも知れないし、「かもしれないんですよ!」と断定を避ける言葉を付け加えてはいる。しかし、上記のような感想を参加者一同が共有したとなれば、経済学専門家と通称される人物の学問的責任が問われて当然である。

「安倍依存症」と連なる「知名度依存症」
 私は上記のような品位を欠く、罵倒に近い書名のタイトルからも、浜さんのそれら書物を一読した感想に照らしても、浜さんを「経済学専門家」と呼ぶ世評に同調しない。
 過日、ある集会のスピーカーに浜さんを呼んではどうかとある人から提案があったが、「アホノミクスは勘弁してください」とやんわり反対した。
 この問題は2番目に取り上げる「知名度依存症」と重なるので、そこで追加説明するが、常識を超える扇動まがいの放言がまかり通る背景には「安倍政治批判なら、裏付けのない乱雑な主張でも意に介さない」という意識が安倍政権批判勢力の中に蔓延している状況を物語っている。これすなわち、逆説的な「安倍依存症」である。
 私は、このような扇動まがいの放言をする通称「経済学専門家」の低俗に辟易とするが、それ以上に、そうした放言に喝采を送る市民運動参加者の自律的思考の欠落を空恐ろしく思う。以下は、「知名度依存症」をタイトルにした次稿で議論したい。

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 今年もわが家の庭にも紅白のつつじが咲いた。例年なら姿を消すヒヨドリが毎日、枝に刺すデコポン(糖度13度以上の不知火をデコポンというそうだ。)を突っつきにやって来る。

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