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「戦力不保持」こそ最善の自衛

2018921

専守防衛に代わる不戦の戦略

 では「専守防衛」に代わる不戦の砦はなにか? 結局、どの国からも武力攻撃の標的になるような武力を持たない「戦力不保持」が最善の自衛であるという考え方が、シンプルではあるが、もっともリアリティのある答えとなる。なぜなら、これもシンプルではあるが、戦力を持たないということは他国を攻める意思がないことを内外に事実で示すことであり、それによって「潜在的脅威の抑止」とか「防衛的先制」とかを大義名分にした武力攻撃を受ける可能性を排除できるからである。

 「他国の攻撃に丸腰でいいのか?」、「独立国として自分の領土を自分で守るのは当たり前」という意見が多いが、単純すぎてリアリティに欠ける。

 「丸腰はダメ」? では、どんな武器を腰にぶら下げたら足りるのか? 武器が武器を呼び、これで抑止力として足りるという天井がないのが実情である。
 いや、その前に「他国からの攻撃」というが、「他国」とはどこなのか? 北朝鮮? 射程を伸ばしたミサイル開発、核開発がその証拠? 

 しかし、冷めた目で見れば、北朝鮮のこうした行動は、いずれも外交カード、伝統的に言えば「瀬際外交」のカードであって、日本を含むどこかの国を攻撃する軍事的動機を持っていないどころが、そのような行動が自らにもたらすリアクションをわきまえないほど北朝鮮はおろかな国ではないはずだ。
 もちろん、「外交上のカード」とはいっても、「アメリカを火の海にする」と公言したり、日本上空を跳び越すミサイルを発射したりするのは挑発以外の何物でもなく、北朝鮮にとっても、軍事的リアクションでないせよ、経済制裁というリアクションを招いた。

 ただし、愚かな行為とはいえ、北朝鮮が日本を標的に挑発行為をした背景には、自衛隊が北朝鮮に対して軍事的圧力をかけるアメリカに追随して共同演習を行ったり、米艦隊の防護に出動したり、安倍政権が「対話のための対話は意味がない」などと唱えてアメリカの経済制裁に忠実に同調してきたりした経緯があったことは間違いない。

 であれば、日本が戦力不保持を明言し、自衛隊が米軍との共同演習を停止した場合、北朝鮮が日本に対して軍事的挑発行動をする動機はなくなる。また、日本が北朝鮮を仮想敵国と見立てて、先制攻撃能力はもとより、専守防衛能力の整備・増強に努めなければならない理由はなくなる。また、日本防衛のための「用心棒」として米軍に頼る理由もなくなる。

米朝対話の進展
 折から、南北朝鮮首脳の3回目の会談がピョンヤンで開催された。そこで採択されたピョンヤン宣言2018では、南北間の恒久的不戦宣言が盛り込まれた。また、アメリカの対応的行動(朝鮮戦争の終結)を条件として、北朝鮮が非核化を早期に完遂する意思も表明された。
 これを受けてポンペオ米国務長官は、南北朝鮮首脳のこうした合意を歓迎するとともに、米朝首脳の2度目の会談の実現に向けて担当者間で早急に協議する意向を表明した。

 このように米朝間の対話による和平実現に向けた動きが加速しつつある背景には文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領の粘り強く、優れた仲介があったことは間違いない。それによって南北首脳間で信頼関係が醸成された意義は大きい。「信頼こそ外交の礎」の見本といえる。

(注)
「田中均氏『国内に威勢のいいこと言うのが外交じゃない』安倍首相の拉致対応に苦言(朝日新聞デジタル 20180704 0759分)
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/03/abe-diplomacy_a_23474167/ 

「非核化への米朝外交『信頼が欠如』 在韓米軍司令官、核能力を警戒」
(『東京新聞』2018723日、夕刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201807/CK2018072302000237.html

 この先、重要なのは、金正恩氏が非核化に関して言行一致を貫くこと、ポンペオ氏が米国内になお根強い北朝鮮への不信感を説得し、ぶれるトランプ大統領を補佐して、米朝間の「行動対行動」の和平を加速させる役割を果たすことだと思う。そのためにも、金正恩氏の非核化に向けた言行一致が強く求められる。
 (ただし、そもそも論を言うと、アメリカが、北朝鮮が保有する核兵器(10未満)と比較にならない(約4000)核兵器を保有する現実を棚に上げて北朝鮮の非核化ばかりを要求したり、核不拡散条約への署名を拒む日本がアメリカに同調して北朝鮮に非核化の履行を迫るのは、条理に反している。)

2017

Photo                (「報道ステーション」2018年8月9日より)

吉田茂ドクトリンへの回帰
 こうして朝鮮半島をめぐる軍事的緊張が解消するなら、日本のこれまでの防衛政策の通念も見直しを迫られる。なぜなら、武力で自衛しなければならない「仮想敵国」、武力で自衛の備えをしなければならない「脅威」の策源地が名実ともになくなるからである。
 そもそも論をいうと、日本国憲法が制定されてまもない194950年当時の国会では「自衛権」といっても、「武力による」自衛を意味しないという議論が主流だった。それは吉田茂首相(当時)の答弁に明快に示されている(以下、これを「吉田ドクトリン」という)。

 「私はこう考えております。日本は戰争を放棄し、軍備を放棄したのであるから、武力によらざる自衛権はある、外交その他の手段でもつて国家を自衛する、守るという権利はむろんあると思います。」
 
19491121日、衆議院外務委員会)

 「また、わが国の将来の安全保障につき内外多大の関心を生じていることは当然のことでありますが、我が憲法において厳正に宣言せられたる戦争軍備の放棄の趣意に徹して、平和を愛好する世界の論を背景といたしまして、あくまでも世界の平和と文明と繁栄とに貢献せんとする国民の決意それ自身が、わが安全保障の中段をなすものであります。(拍手)戦争放棄の趣意に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります。(拍手)わが国家の政策が民主主義、平和主義に徹底し、終始この趣旨を厳守して行動せんとする国民の決意が、平和を愛好する民主主義国家の信頼を確保するにおきましては、この相互の信頼こそ、わが国を守る安全保障であるのであります。(拍手)この相互信頼が、民主国家相互の利益のため、わが国の安全確保の道を講ぜんとする国際協力を誘致するゆえんであるのであります。」(1950123日、衆議院本会議)

 3年前、集団的自衛権を容認する安保関連法が上程されたとき、多くの憲法学者がこれに反対の意思を表した。自からの学問的見識を社会に向けて表明したという意味では重要な出来事だった。
 しかし、そこでは、個別的自衛権との区別で集団的自衛権の違憲性がもっぱら語られ、個別的自衛権それ自体の合憲性なり、リアリティなりはほとんど語られなかった。

 私がこの記事で述べた「戦力不保持こそ最善の自衛」という考え方は、決して目新しいものではなく、67年前に当時の吉田茂首相が語った上記の考え方そのものなのである。

吉田ドクトリンは、その後の米ソ冷戦や核による抑止力競争の負の連鎖に伴って現実味があせたかに見え、「武力ではなく、信頼を礎とする対話」は政治の表舞台から遠のいた。

 しかし、韓国での政権交代によって登場した文在寅大統領の対北朝鮮対話路線、それに呼応した北朝鮮政権の軍事一辺倒の外交路線から対話併用路線への転換に伴い、「武力ではなく、信頼を礎とする対話」の流れが再び、現実味をおびてきた。

 こうした流れの中で日本の防衛政策はどうあるべきなのか?
 集団的自衛権の実績作りに躍起になっている安倍政権の動きを封じなければならないのは当然だが、それだけでなく、否、そのためにも、「専守防衛」の国是を抜本的に改める必要がある、というのが私の考えである。

 なぜなら、「専守防衛」も「武力による自衛」を容認し、前提にしている点では、吉田ドクトリンと相容れず、吉田ドクトリンの真価が発揮されるべき今の東アジア情勢と相容れないからである。そればかりか、専守防衛はその名に反して、「防衛的先制」を内包し、軍事的抑止力競争の負の連鎖を押しとどめることができないジレンマを抱えている。

憲法「改正」ではなく、自衛隊法の改正こそ急務
 「自衛隊は違憲というが、それなら災害救助に当たる自衛隊も違憲なのか」という議論がある。
 こうした意見は自衛隊違憲論者の本意にそぐわないが、しかし、今の自衛隊法をそのままにした自衛隊違憲論の不備を突く意見ではある。
 これに関する私の考えは要点だけ記すと、自衛隊の主要任務を定めた自衛隊法第3条の改正が必要だと言うことである。

 現行の自衛隊法は第3条で「自衛隊の任務」を次のように定めている。

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」(以下の各項、省略)

 では、自衛隊が災派遣等に当たる根拠規定はどこにあるのかというと、第83条で次のように定められている。

 災害派遣
 「第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。

2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。」

 地震防災派遣
 「第八十三条の二 防衛大臣は、大規模地震対策特別措置法(昭和五十三年法律第七十三号)第十一条第一項に規定する地震災害警戒本部長から同法第十三条第二項の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。」

 原子力災害派遣 
 「第八十三条の三 防衛大臣は、原子力災害対策特別措置法(平成十一年法律第百五十六号)第十七条第一項に規定する原子力災害対策本部長から同法第二十条第四項の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。」

 もっとも、政府・防衛省は自衛隊の災害等への派遣を、自衛隊法第3条後段の「公共の秩序の維持」に含まれると説明してきた(2012314日、参議院予算委員会、田中直紀防衛大臣答弁)

 しかし、これは民主党政権時代の政府の条文解釈答弁であり、明文に定めがあるわけではなく、政府見解として定着したものかどうかも明らかでない。
 かりに、政府見解だとしても、災害派遣等は「必要に応じ」と定められた副次的任務とみなされている。

 前回とこの記事で述べてきたような昨今の日本を取り巻く安全保障環境が「厳しさを増す」のではなく、「和平の方向に進む」状況では、「武力不保持」=近隣諸国との「信頼を礎にした対話外交」に舵を切るなら、国土防衛はもはや自衛隊の主たる任務でも副次的任務でもなくなる。
 (ただし、たとえば、原発を標的にした小型の武器や化学兵器等を使ったテロの可能性などは残っているから、現在の自衛隊に蓄積されたこれらの武器使用の危険を防護する人員、技術、装備は保持する必要がある。)

 むしろ、近年、自衛隊に期待されるのは、相次ぐ大雨・水害・土砂災害、地震災害等による被災地救援のための活動である。
 であれば、自衛隊法第3条を改め、
自衛・他衛を問わず、「防衛」を主たる任務とした定めを削除し、代わって、災害等の被災地救助を主たる任務とするよう改正するのがふさわしい。
 また、こうした法改正とあいまって、「自衛隊」を「災害救助隊」(仮称)と改め、同じ目的で任務に当たる消防庁、警察庁などとの組織統合あるいは組織的連携(情報の共有、指揮監督系統の整備など)も検討されてしかるべきである。

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専守防衛は不戦の砦とならない

2018921

要約
 はじめに、この記事と次の記事で私が言おうとしていることを要約しておく。専守防衛はなぜ不戦の砦にならないと考えるのか? 専守防衛に代わって何を不戦の砦にするべきなのかについての私の考えの骨子である。

 (1)「専守防衛」はその言葉のイメージに反して、自衛を超えた武力装備、武力行使の歯止めにならない。それどころか、自衛のための武力装備のはてしない競争を通じて、軍事的緊張を高める源になる危うさを孕んでいる。
 (2)「自衛」と「他衛」、「専守」と「先制」の区別は、現実の軍事では、自明でない。「自衛」は「武力による」自衛を想定する限りは、先制攻撃の必要性を排除できない危うさを伴う。
 (3)「専守防衛」も武力による自衛を意味する点では、昨今、「信頼」を礎にして日本周辺で進展する対話による和平(武力に頼らない和平)の流れに逆行する。

保革を超えて共有される「専守防衛」への疑問 
 自衛隊の存在を合憲とする趣旨の条文を憲法9条に追加するかどうかが目下の改憲問題の大きな争点になっている。
 今の9条の条項をそのままにして、こうした趣旨の条項を追加することに整合性があるのか? 今、そうした条項を追加するのはどういう意図からなのか? 自衛隊の合憲・違憲をめぐる今後の議論を縛ることにならないか?など、疑問だらけである。

 しかし、その一方で、保守政党もリベラル立憲政党も防衛省も、自衛隊を「戦力」とみなした上で、「専守防衛」を国是とすることによって、自衛隊が他国に脅威を与えるような「戦力」とならないよう歯止めをかけるという原則で、自衛隊をめぐる憲法論争に対処してきた点では共通している。

 たとえば、『防衛白書』(2016年版)は「専守防衛」を「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」と説明している。
 また、集団的自衛権の行使を容認する安保関連法案を阻止しようとしたリベラルル立憲勢力も、自衛隊を違憲とする論者と、自衛隊を合憲としながらも集団的自衛権は容認できないとする論者が連携した運動だった。その際、連携を支えた共通項はやはり「専守防衛」だった。 

 しかし、現実はどうか?
 (以下、高橋杉雄「専守防衛下の敵地攻撃能力をめぐって――弾道ミサイル脅威への1つの対応――」『防衛研究所紀要』200510月を参照)

 「専守防衛」は、「他に手段がない場合に」「必要最小限度の」という言葉と接合されると、武力行使に自制的なニュアンスを醸し出し、支持を取り付けやすい。しかし、もともと「専守防衛」はいうなれば理念の宣言であって、近年、政府が進めている自衛隊の装備の実態(自衛隊のリアル)との乖離がどんどん大きくなっている。
 防衛問題の専門家の間では、以前から、「攻勢防衛」とか「積極防衛」とか言った形容矛盾と思える言葉が使われてきた(高橋、前掲論文、106ページ)。
 政府・防衛省も近年、「防衛」のための「必要最小限度の攻撃力」を広く解釈して、相手国からの長距離ミサイル・核ミサイル攻撃を抑止し、無効にするための先制的な策源地攻撃能力の向上に努めている。

「いずも」の空母化
 たとえば、海上自衛隊の護衛艦「いずも」は最大14機のヘリコプターの搭載が可能と言われている。政府は「護衛艦」と説明しているが、各国の軍事関係者はヘリ搭載「空母」とみなしている。そして今、政府・防衛省内では、この「いずも」を戦闘機が離着艦できる空母に改修する案が検討されている。
 これが実現すると、「いずも」は尖閣列島など離島防衛に出動する米軍戦闘機に補給を行えるようになり、自衛隊と米軍の一体化がさらに加速することになる。
 また、将来的には、日本自身が短距離・垂直の離着艦ができる、アメリカの最新鋭ステルス戦闘機F35Bを導入して、「いずも」に搭載する案まで浮上している。
 こうした空母を自衛隊が保有するのは憲法92項が禁じた「戦力」に当たらないか、国会でたびたび論議された。しかし、その都度、政府は、いやこれは「攻撃型空母」ではなく、「防衛型空母」であると称して疑念をかわしてきた。
 (以上、「いずも」の運用については、増田剛「検討進む『攻撃力』強化 問われる『専守防衛』」(NHK「時論公論」2018116日、を参照)

 しかし、「攻勢防衛」の意味があやふやなのと同じ様に、「防衛型空母」と「攻撃型空母」はどういう基準で、誰が線引きするのか? 「空母化の研究 
 専守防衛からの逸脱だ」(『朝日新聞』社説、201863日)といっても、解釈論争から抜け出せそうにない。「自衛のための必要最小限度の範囲内」といっても実効性のある議論にならないのは、安保関連法案の国会審議からも明らかだ。

巡航ミサイルの導入
 2017128日、小野寺防衛大臣は長距離巡航ミサイルの導入を正式に表明し、それに向けた関連経費として約22億円を2018年度予算案に追加要求した。北朝鮮のミサイル警戒にあたるイージス艦の防護や離島防衛が目的と説明した。
 しかし、各方面から指摘されているように、巡航ミサイルに搭載するアメリカ製のミサイルは射程900キロは、日本海から発射すれば北朝鮮全域に届くことになる。小野寺氏は相手国の攻撃から届かない遠方から攻撃するためというが、これほどの長距離を射程にした巡航ミサイルが離島防衛のためとは想定しにくい。いくら防衛用といっても、相手国には先制攻撃用の装備強化と受け取られ、軍事的緊張をいっそう高め、防衛予算の際限ない肥大化を生むのは必至である。

 実際、政府・防衛省は2018年度「防衛」予算に、「島嶼部に対する攻撃への抑止・対処力の向上」のためとして戦闘機(F-35A)の取得(6785 億円)、輸送機(C-2)の取得、2435 億円)、水陸両用作戦における部隊の展開能力等を強化するためとしてティルト・ローター機(V-22)の取得(4393 億円)の購入予算を計上した。
 また、弾道ミサイル攻撃等への対処として、陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)と、それに搭載する迎撃ミサイル(SM-3ブロックIIA等。一式627億円)の購入予算を計上した。

 
結局、一方当時国がいくら専守防衛用と言っても、相手国から見れば先制攻撃用となり、それぞれが対処能力を向上させる装備体系の競い合いが避けられず、仮想「防衛」のための予算の肥大化に歯止めが利かなくなる。緊縮財政を叫ぶ一方で、有権者はいつまでこうした仮想防衛に税金を託すのか?

「専守防衛」のリアル 
 近年、折に触れて議論される「敵地攻撃能力」は専守防衛の理念のリアルを問いかける先鋭な問題である。
 従来から、「他に適当な手段がない場合」は「座して死を待つ」のではなく、一定の制限の下で攻撃的な行動をとることは法理論上、許されると解釈されてきた。しかし、たとえば、いくつもの移動式ランチャ-から発射される弾道ミサイルに対する防御的戦力とはいかなるものかとなると、議論は混迷する。
 弾道ミサイル発射後の反撃能力を整備して報復的抑止を利かせると言う考え方がある。しかし、いくつもの移動式ランチャ-から発射されるとしたら、すべての発射位置を事前に把握して反撃するのは事実上、不可能である。また、いくらハイテク兵器を使っても相手国の攻撃能力を抑止するには通常兵器では不可能で、確実な反撃能力というなら、核武装にすすまざるを得ないという見方がある(高橋、前掲論文、115ページ)
 しかし、そうなると相手国もこうした核抑止力を上回る核武装に進むのは必至で、際限のない「抑止力」競争が軍事的緊張をさらに高めるという悪循環を避けられない。

 もう一つ、考えられるのは「先制的一撃」論である。こちらからの先制的一撃で相手国のミサイル攻撃力を破壊し、無力化するという発想である。
 しかし、この場合も、すべての移動式ランチャ-を撃破できなければ、残りのランチャーから即座の反撃に遭うことを覚悟しなければならない。その意味で「先制的一撃」論は危険なオプションと言われる(高橋、前掲論文、116ページ)。
 また、一方が「先制的一撃能力」を整備していると知れば、他方も「座して死を待たない」のは当然だから、相手国の一撃能力を上回る先制的攻撃能力を開発しようとするのは避けられない。

 
このように考えると、「専守防衛」という理念は、相手国の戦力は一定(たえば、ミサイル発射基地は固定型、攻撃能力も当方の攻撃能力の向上にかかわりなく一定不変)という、非現実的な想定の下でしか、意味をなさない
ことがわかる。


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テレ朝の無断録音放送についてBPOに審議を申立て~有志8名で~ 

2018914

 831日放送のテレビ朝日「報道ステーション」が、塚原千恵子氏側から提供された録音データを、相手方(宮川紗江選手)の事前の確認・了解なしに放送したのは宮川選手の人権を侵す恐れがあると同時に、公平公正な番組編集に反し、放送倫理を背く疑いがあると考え、今日、大学教員(元・現)、弁護士ら8名の連名で、BPO(放送倫理・番組向上機構)に対して審議を求める要望書を送った。
 あわせて、この要望書をテレビ朝日内の放送番組審議会と日本体操協会にも送った。要望書の全文は以下のとおり。URLは、
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/bpoate_tereasa_rokuon.pdf 

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                 2018914

 

 BPO放送倫理検証委員会 御中

  テレビ朝日が塚原千恵子氏側から提供を受けた音声
   データを
放送した件について審議を求める要望書 

   (現/元)大学教員・弁護士・ジャーナリスト有志 
                 (有志名簿は後掲)

 目下、女子体操界でのコーチの暴力問題、日本体操協会の一部幹部による選手へのパワハラ問題が大きな社会問題になっています。これについて、831日に放送されたテレビ朝日「報道ステーション」(以下「番組」と略す)は、放送の中で、宮川紗江選手からパワハラを受けたと告発された塚原千恵子氏の代理人弁護士から提供を受けたとして、716日に塚原千恵子氏が録音したとされる、宮川選手との会話の音声データを223秒にわたって放送しました。
 しかし、私たちは、このようなテレビ朝日の番組制作は、以下のような理由から、放送倫理上、大きな問題があると考え、貴委員会に審議を要望いたします。

(1)力の上で優位な立場にある塚原千恵子氏が、弱い立場にある宮川紗江選手の了解なしに録音した音声データを、宮川選手の事前の確認なり了解なしに、一方的に放送したのは、宮川選手の人権を侵す恐れがあると同時に、かりに違法とまで言えないにしても、放送倫理上も慎重な配慮を欠くものである。

(2)塚原氏の代理人弁護士は、録音を提供した目的は、「塚本千恵子氏の話し方が高圧的でなかったことを知ってもらうため」と説明
したが、この説明は次の理由から説得力に欠けている。

 ① そもそも、社会常識から、録音をした塚本千恵子氏が録音中、自分に不利な発言(この場合は高圧的と受け取られるような口調の発言)をするとは考えられない。また、放送された音声データは会話全体のごく一部と考えられるから、メディアに提供した音声が塚原氏の主張に沿った内容であるのは当然で、利害関係者が自ら選択した音声データを提供しても、公正な証拠価値とは言い難い。番組は、このように客観性・公平性に疑問が持たれる音声データを無造作に使った点で、放送倫理上、重大な瑕疵がある。

 ② 宮川選手が高圧的で恐怖を覚えたと訴えたのは715日のやりとりの場での塚原氏の発言であるが、番組が流したのは翌16日の2人のやりとりの一部である。16日のやり取りは、前日、塚原千恵子氏が宮川選手に対して言った発言(「あなたの家族は宗教みたい」、「2020に参加しないと協会として協力できない」、「オリンピックにも出られなくなるわよ」等々)にショックを受け、一睡もできなかった宮川選手が合宿参加を止めて家に帰りたいと申し出たのを塚原氏が引き留めるやりとりである。
 したがって、宮川選手が訴えたパワハラの有無を検証するには715日のやりとりが焦点になるはずだから、番組が流した音声データは、塚原氏の代理人弁護士が説明する目的と齟齬がある。こうした齟齬を十分吟味することなく、一方の当事者の言い分をそのまま受けて提供された音声データを流したのは、番組編集上の自主自律の欠如を意味し、放送倫理上、極めて問題があった。

(参考)
 「放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。」
 (NHK・民放連「放送倫理基本綱領」)

 「(34) 取材・編集にあたっては、一方に偏るなど、視聴者に誤解を与えないように注意する。」(「日本民間放送連盟 放送基準」)

(3)そもそも論から言うと、829日の記者会見で宮川選手が訴えた塚原夫妻によるパワハラとは、話し方が高圧的だったというのは副次的な問題で、重要なことは「言うことを聞かなければ、オリンピックに出られなくなる」等と宮川選手が受け取った塚原千恵子氏の発言の中身である。さらに、宮川選手が挙げたパワハラとは、義務ではなかった2020強化プロジェクトに宮川選手が加わらなかった(他にも多くの選手が加わっていなかった)というだけで、ナショナル選手であるにもかかわらず、ナショナルトレーニングセンター(NTC)の使用を制限されたり、2年連続で海外遠征から外されたりし、あげくはオリンピック選考にも影響するかのような発言があったという、より具体的な問題であり、女子体操強化本部長という地位を濫用した差別扱いだった。

 にもかかわらず、番組がこうしたパワハラの核心部分に口を閉ざしたまま、話し方が高圧的だったかどうかに焦点を当てようとする塚原氏側の言い分に沿って、それを立証するために塚原氏側から提唱された音声データを流したのは、自主自立、公平公正な番組編集の原則に反するものだった。

 以上のような私たちの要望とその理由を慎重に検討いただき、標題の件について慎重に審議されるよう、貴委員会に求めます。

                        以上

     有志申立人
       浮田 哲(羽衣国際大学教授)
       右崎正博(獨協大学名誉教授)
       澤藤統一郎(弁護士)
       杉浦ひとみ(弁護士)
       醍醐 聰(東京大学名誉教授)
       浪本勝年(立正大学名誉教授)
       根本 仁(「NHKとメディアを語ろう・
            福島」代表) 
       湯山哲守(京都大学元講師)

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NHKに意見を送信~体操の宮川選手の勇気ある告発に応える調査報道を~

2018831 

 今日、N
HKFAXで次のような意見・要望を送った。
(参考)
 宮川紗江選手の記者会見   冒頭本人発言ノーカット(1934秒) 
 http://tsuisoku.com/archives/54065047.html  

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                       2018
831

NHK
 御中
FAX
0354534000

  体操の宮川選手の会見を巡るNHKの報道に関する意見・要望 

 830日の「おはよう日本」は、宮川紗江選手が829日の記者会見で説明したコーチの暴力問題、日本体操協会幹部から受けたパワハラ問題を取り上げました。が、結びの語りは、「選手がパワハラと感じたと指摘するやりとりは、主に電話での会話や少ない関係者の間で行われたものだということで、事実の解明がどこまで進むかが焦点となります」というものでした。まるで、真相解明の行き詰まりを予断するかのような話しぶりです。

 しかし、NHKの使命は、他人事のように真相解明の行き詰まりを予見することではなく、独自の取材・調査を手掛けて、真相解明の先頭に立つこと、具体的には、昨今、日本のスポーツツ界で頻出している選手の人権を蹂躙する連盟・協会幹部の権限の私物化の真相に迫ること、です。

 現に宮川選手の会見以降、民放各局は、かなりの時間を割いて、体操の元オリンピック代表選手などに取材して得た有益な証言を報道しました。たとえば、日本テレビの「スッキリ」(830日)はバルセロナ五輪体操代表選手の池谷幸雄さんに取材し、「これはもう体操界の中では本当に激震ですよね。」「歴史が代わるというぐらい大きな出来事」と評した池谷さんの生の発言を伝えました。
 また、複数の局は830日のワイド番組で、朝日生命体操クラブが有力選手を他のクラブから引き抜いた先例、その手法を証言する関係者の声を伝えました。
 さらに、前記の「スッキリ」は、塚原千恵子氏のことを「ザ・パワハラ」「一言でいうと『女帝』」と語る、かつて朝日生命体操クラブに所属した人物の証言を伝えました。

 ところが、これまでのNHKニュースは宮川選手と日本体操協会幹部の言い分をそのまま手短に伝えるだけで、独自の取材にもとづく情報を加味して真相に迫る場面は皆無といってよい状況です。
 830日の夜は、報道ステーションとTBSニュース23がトップで宮川選手の告発が投げかけた波紋を続報したのに対し、NHKニュースウッチ9は、この問題を完全にスルーしました。

            (意見・要望)

 1宮川選手が会見の中で「権力を使った暴力」と告発した日本体操協会幹部のパワハラ問題は、ワイドショ-で見受ける興味本位の話題ではなく、日本のスポーツツ界が抱える利権がらみの構造的腐敗の問題であり、選手個人の自己決定権と尊厳にかかわる社会問題です。また、オリンピック代表選考に象徴されるような権限を持つ者と権限に翻弄される者という力の格差がまかり通る世界で起る普遍的な問題です。
 このような問題を取材・報道する時にNHKに求められるのは当事者の対立する言い分を「中立的に」伝えることではなく、権力の非対称性を念頭において、権力を持つものの力の行使のプロセスに迫り、国民に知らせる使命を果たすことです。
 NHKは宮川選手が提起した問題をこのような視点から受け止め、この先、充実した調査報道を手掛けるよう要望します。

 2.すでにNHKも十分、承知されていることと思いますが、宮川選手が告発した日本体操協会のパワハラ問題については、この先、宮川選手に続いて、体操競技の現・元オリンピック代表(候補)選手やコーチ、審判の中から自らの体験を語る証言が出てくる可能性が高いと考えられます。現に、ネット上では、数名の元オリンピック代表選手(体操)が実名で宮川選手の告発に共感したりコミットしたりする感想を発信しています。
 NHKはこうした取材源に積極的にアプローチして、宮川選手が提起した問題を「言った、言わない」で終わらせない意欲的な調査報道を手掛けるよう期待します。

 3.  NHKは早くから2020年東京オリンピック・パラリンピックに協賛する番組編成や広報を手掛けてきたと私は受け止めています。他方、宮川選手の告発の中には、2020年オリンピックの代表選考、それに向けた強化練習体制等の歪みに触れた点があります。
 この際、NHK2020年オリンピックに協賛する「プレイヤー」的立場を一掃し、「ウオッチヤー」としての立場に徹することがますます重要になっていると考えます。
 でなければ、今後、NHKはさまざまな場面でオリンピックにつき、「アクセル」と「ブレーキ」を踏み分ける利益相反――2020オリンピックの祝賀ムードに「水を差す」という配慮が働いて、オリンピック推進の負の側面を取材・報道するのを手控える萎縮効果――に遭遇すると予想します。
 今回、宮川選手の問題提起を機に浮上した日本体操協会の宿罪についても、こうした報道萎縮が起こらないよう、強く要望するとともに、視聴者の1人として、NHKの報道をチェックしていきます。

 4.会見の最後で宮川選手は次のように訴えました。

 「言うことを聞けば優遇され、聞かなければ排除される、権力があればすべて許されてしまうのでしょうか? 女子の体操はすべての判断が言うことを聞くか、聞かないかで決まるんだと思いました。強化本部長のまわりには、言うことを聞く人たちしか存在しないように見えます。」

 「言いたくても言えば、何をされるかわからないという理由で声を出せない選手、コーチ、審判の方も多くいらっしゃると思います。私はこれこそ権力を使った暴力だと感じます。」

 「みんなが平等な権利を持って納得のいく基準での選考方法、先が描ける具体的なプランなど、一人一人が意見を言える強化体制が存在するべきだと強く感じます。」

 「私はまだ18年しか生きていませんが、今、人生の中で一番の勇気を出してここに立っています。」

 NHKの中にも、長く日本の体操競技・
協会を取材してこられた記者、解説委員の方がおられると思います。皆さんの中には、宮川選手が告発した日本体操協会のパワハラ体質を以前から承知していた方がおられるのではないですか?

 宮川選手の告発は他の同僚選手、コーチ、審判などの思いも代弁したものと言えますが、職業としてスポーツ界をウオッチしてきたメディアの皆さんは、ミニ巨悪を見て見ぬふりをしてきたと言われても仕方ありません。
 取材対象に感情移入するのは禁物ですが、せめて、18歳の現役選手が勇気を奮って声を上げたこの機会にミニ巨悪の膿をあぶりだす調査取材
に精力を傾けられるよう、強く要望します。

                        醍醐 聰


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