徴用工判決:韓国政府に請求せよという小林節氏の主張は的外れ
2018年11月19日
元徴用工をめぐる韓国の大法院判決について、日本政府は「1965年日韓協定で完全かつ最終的に解決済み」と繰り返している。しかし、その一方で、個人の請求権まで消滅させたものではないという従来の外務省見解を否定するつもりはないと述べている。が、「解決済み」と「消滅していない」は両立しない。
小林節氏の「韓国に請求すべき」論に条理はあるか?
このジレンマから脱出する(?)ためか、無視するつもりか、一部の論者は、個人の請求権の存否には触れず、元徴用工は韓国政府に請求すべきと主張している。たとえば、小林節氏は『日刊ゲンダイ』の紙上でこう主張している。
「韓国の最高司『法』府である最高裁は、その事件に判決を下すに当たり、その国際的問題に関する国際「法」(つまり条約、つまり政府の意向として既に公式に対外的に表明されたこと)を「正しく」認識して、それに従って判決を下すべきで、それが三権分立の意味である。」
「韓国最高裁としては、本来、外交権を有する政府が署名・発効させた国家としての対外的約束(条約、これは紛れもなく国際法秩序の一部)に従い、「日本企業でなく韓国政府に補償を請求すべきである」と威厳を持って判決を下すべきであった。」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241557/2
こういう小林氏の主張に条理はあるのか?
問題は、ほかでもない小林節氏自身が1965年日韓協定ならびに今回の韓国大法院の判決を「正しく」読み込んでいるのかどうかに尽きる。
もともと、この件は韓国の個人(元徴用工)が日本企業に賠償を求めた訴訟であり、政治判断の次元ならともかく、法理論的には、元徴用工の損害賠償請求の相手方を、日本企業から韓国政府に転換するロジックはどこからも導けない。
1965年の日韓協定書を咀嚼すれば、一つ前の記事で説明したように、本協定の実質は、請求権協定というより、「経済協力協定」だった。そのことは協定の第1条第1項の末尾に「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済発展に役立つものでなければならない」と明記されたことからも明らかだ。
また、同条第1項(a)で、日本が韓国に無償供与する3億米ドル相当は全額現金でではなく、日本の生産物、及び日本人の役務で供与するものと明記されたこと、また、同条同項(b)で、日本が韓国に対して行う2億米ドル相当の貸付は、この協定にしたがって実施される経済協力事業に必要な日本の生産物、日本人の役務を調達するために充てるものと明記された。
こうした条文からして、1965年の日韓協定の実質は経済協力協定であり、日本政府から韓国政府に引き渡された供与、貸付けは、元徴用工個々人に分割して分配できるものでなかった。
また、この協定に附属して両国が交わした第一議定書の第6条陀3項では、「日本国の国民及び法人は、生産物又は役務の供与から生ずる所得につき、大韓民国における課税を免除される」と定められ、経済協力事業に参画した日本企業が当該事業から得る利益は韓国には帰属しないものとされている。
このような1965年日韓協定の条文に照らすと、この協定にもとづいて日本が韓国に引き渡した供与、貸付けは経済協力事業に充てる旨、使途が特定され、分割して個人に分配する(できる)趣旨のものでなかったことは明らかである。
したがって、1965年日韓協定の実質は、少なくとも韓国の元徴用工らから見れば、請求権を整理・決済する協定ではなかった。また、国家間の次元でいえば無償供与の部分に何らかの「補償」の意味があったとしても、貸付けの部分を含め、全体としては、国家間の経済協力協定とみるべきものだった。
さらに、本件裁判で元徴用工が請求したのは、戦時下の反人道的不法行為に対する慰謝料で、それらは日韓請求権協定の交渉過程で韓国側が提出した8項目の請求外のものだった(大法院判決、張界満・市場淳子・山本晴太仮訳、8~11ページ参照)。こうした加害・被害の対称関係を考えれば、元徴用工の請求権を加害国の企業から被害国の政府に転換させることがいかに不条理かは明らかである。
「条約は司法審査の外」とする小林節氏の主張は根拠のない独断
小林節氏の主張で見過ごせないのは、「条約」という国家の対外公約に司法審査を及ぼすべきではないという見解である。
憲法学者の小林氏に向かって、専門外の私が言うのはおこがましいが、この問題は「違憲立法審査権は条約にも及ぶか」という形で長年、日本でも議論されてきた。小林氏の主張は、及ばせるべきではないという考え方だとみて間違いない。
確かに、日本国憲法第81条には違憲審査の対象は「一切の法律、命令、規則又は処分」と定められている。しかし、今日の通説、判例は憲法が条約に優位するという立場を採用し(衆議院憲法調査会事務局「憲法訴訟に関連する用語等の解説」平成12年5月、22ページ)、憲法第81条の「法律、命令、規則又は処分」は例示にとどまり、条約の国内法的効力については違憲審査の対象となり得るとみなされている(諸橋邦彦「違憲審査制の論点」、国立国会図書館『調査資料』2005-2-a、2006年2月、18ページ)。
もちろん、司法審査の対象内としても、その先の司法判断は、司法消極説をとるか、積極説をとるかで結論は分かれると言うのが従来の通説的解説だった。
司法積極主義に期待される今日的役割
しかし、11月17日に「国策に加担する司法を問う」と題して開かれた司法制度研究集会(日本民主法律家協会主催)に参加した澤藤統一郎弁護士によると、司法積極主義といっても、「逃げるな最高裁」「違憲判断をためらうな」「憲法判断を回避するな」という従来の主張だけではかみ合わない現実になってきたようだ。
澤藤氏によると、「最近の判決では、司法部が積極的に政権の政策実現に加担する姿勢を示し始めたのではないだろうか。つまりは、われわれが求めてきた『人権擁護の司法積極主義』ではなく、『国策加担の司法積極主義』の芽が見えてきているのではないかという問題意識である。言わば、『人権侵害に目をつぶり国策遂行に加担する司法』の実態があるのではないか。これは社会の根幹を揺るがす重大な事態である。」
(「第49回司法制度研究集会―『国策に加担する司法を問う』」、澤藤統一郎の憲法日記、2018年11月17日、http://article9.jp/wordpress/?p=11499 )
そうであるなら、今回の徴用工裁判で、韓国の大法院が原告の尊厳と人権を蹂躙する強制労働に対する慰謝料を加害企業に請求した訴えを正面から受け止め、日韓協定の条理を慎重に咀嚼しながら、その枠組みを超えてでも条理にかなった結論を求めた司法積極主義を非難するいわれはない。それどころか、韓国の大審院の判断は、先例踏襲に逃げ込んで、人権蹂躙の救済を求める市民の訴えをことごとく斥ける日本の司法機関とって、範とすべき判決と言わなければならない。この点、改めて、小林節氏の見解を問いたい。
個人の賠償請求権をめぐる国際訴訟における日本政府の主張
もっとも、上記のような条約の違憲審査論は、国内法的効力に関するものであって、国際法に通じる論理かどうかは別途、具体的に検討しなければならない。
この点で、参考になるのは、戦後補償をめぐる国境を超えた訴訟において日本政府が示した見解である。
たとえば、日本の原爆被爆者が、サンフランシスコ平和条約第14条(b)、第19条(a)によって被爆者の対米損害賠償請求権を日本政府が放棄したのは自国民の財産権を不当に消滅させたものであるとして、日本政府に補償請求訴訟を起こした。この時、日本政府は次のように主張した。
「対日平和条約第19条(a)の規定によって、日本国はその国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない。
(一)国家が個人の国際法上の賠償権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利を国家が外国との合意によって放棄できることは疑いないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから、国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。」
(東京地裁、昭和38年12月7日判決、下級裁判所民事裁判例集、第14巻、2450~2451ページ。下線は醍醐追加)
また、シベリア抑留訴訟においても日本政府は次のように主張した。
「日ソ共同宣言6項2文により我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交的保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。ここに外交保護権とは自国民が外国の領域において外国の国際法違反により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利である。」
(山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」、2~3ページ)
http://justice.skr.jp/seikyuken.pdf
こうした日本政府の主張を踏まえると、政府自身の請求権は放棄したとしても、日本国民個人の請求権は国境を超えて生きているという解釈になる。であれば、請求権を韓国国民の立場に置き換えても、同じ論理、すなわち、元徴用工の国境を超えた損害賠償請求権は、たとえ韓国政府が放棄したとしても、生きているとみなすのが条理である。
このように検討すると、元徴用工は韓国政府に請求せよとか、韓国の大法院に対して、政府が交わした条約を覆すような判決を出すべきではなかったという小林節氏の主張は、1965年日韓協定、ならびに一連の戦後補償訴訟における日本政府の見解に関する小林氏の無知または認識不足に起因する的外れな主張と言わなければならない。
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