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「虚妄の自由貿易原理主義で農業を荒廃させてはならない」

2018112

 日本ほか11ヶ国が合意したTPP11がこの1230日に発効することになった。これを受けて、JAcom(農業協同組合新聞)が緊急に企画した「TPP11 1230日発効」に寄稿したところ、今日、同紙の〔電子版〕にアップされた。以下はその全文である。
 https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/2018/11/181102-36561.php 

 なお、
この緊急特集には、今の時点で、田代洋一さん(横浜国立大学名誉教授)、小林光浩さん(JA十和田おいらせ代表理事専務)の寄稿も掲載されている。
 https://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/111230-1/ 

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  虚妄の自由貿易原理主義で農業を荒廃させてはならない

                          醍醐 聰

農業に相容れない自由貿易原理主義

 自由貿易主義を支えるのは、生産性で比較優位の財を輸出し、比較劣位の財を輸入することで、貿易当事国双方の利益を最大にするという国際分業論である。はたして、農業に対等な国際的分業は成り立つのか? 多国籍ならぬ無国籍企業が幅を利かせるTPPやEPSに国際分業は当てはまるのか?
 人間の生命維持に関わる農産品の需要は工業製品のように価格弾力性が高くはない一方、農産品の供給は収穫が自然環境に左右されて変動する。そのため、世界的規模での農産品の価格は、わずかな供給量の変動でも大きく変動し、供給過剰の時は価格が暴落して生産者は打撃を蒙る一方、供給不足の時は、生産国は自国の需要充足を優先し、余剰品は購買力の大きな先進国が買い占めるため、購買力の乏しい国々では飢餓が絶えない。
 生産不足の時の輸出制限、生産過剰の時の輸出補助金によるダンピング輸出の奨励、相手国の需給バランスを無視した余剰米の押し売り輸出(ミニマムアクセス米など)などは、農業に国際分業が成り立ちにくい事情を物語っている。

 かつてクリントン米大統領が国際世界食料デー(20081016日)で「食料は他の商品と同じではない。われわれは食料自給率を最大限高める政策に戻らなくてはならない。世界の国々が食料自給率を高めることなく、開発を続けることができると考えることは馬鹿げている」と演説したのも至極、正論だった。
 そもそも食料自給率38%(穀物自給率28%)の日本と穀物自給率が押しなべて100%を超えている米国、カナダ、EU先進国が同じ土俵で自由貿易を議論する(できると考える)こと自体、ナンセンスなのである。いわんや、穀物自給率28%の日本の政府が自由貿易を牽引するなどと得意げに語ること自体が滑稽なのである。自国ファーストのトランプ米大統領から「いうことを聞かなかったら自動車にものすごい関税をかけるぞと脅かすと、直ぐに〔二国間〕交渉をすると言ってきた」と見くびられた安倍政権が自由貿易主義を牽引すると語るのは笑止の沙汰である。

 

◆TPPを上回る譲歩

 結局、この先の日米二国間交渉は、自動車をカードに使って、日本にTPPを上回る農業市場の開放を迫るトランプ流の大国主義的「ディール」に安倍政権が、巨額の兵器購入も含め、屈する売国交渉となることが避けられそうにない。農業に関しては、全容が定かでない、TPPに備えた国内対策を織り込んで試算された影響額はあてにならない。また、目下、政府が検討している外国人労働者向けの在留資格の緩和措置に対象業種に農業が含まれた場合、TPPそれ自体の影響かどうかは別にして農業に及ぼす影響が懸念される。

 そもそも、性格の異なる自動車と農業を「ディール」と称して天秤にかけること自体、不見識である。また、自動車も農業分野の交渉のカードで終わるわけではなく、来年1月からの交渉入りを待たず、早くも、米国内の雇用拡大を目指す米国政府に、輸入関税の大幅引き上げや現地生産の拡大を迫られている。
 政府は農業など物品の分野ではTPPの水準を守ったというが、国内向けのPRに過ぎない。合意文書では「尊重する」と謳われただけで、対米交渉でアメリカを拘束するものではない。TPPはひどい内容だと不満を募らせて政権発足早々にTPP合意から離脱したトランプ大統領がTPP合意を尊重する意思などあるはずがない。

 そもそも論を言えば、TPP水準ならいいなどと日本の農業・酪農関係者は誰一人考えていない。たとえば牛肉の関税を今の38.5%から16年後に9%まで下げるというTPP並みの水準は、これ自体、激変である。しかも、16年かけてというが、初年度に27.5%まで一気に引き下げるスケジュールになっている。また、合意停止のセーフガードも牛肉の場合は16年目以降4年間連続で発動されなければ廃止(豚肉は12年目で廃止)となっている。
 しかも、政府は米国のTPP復帰の見通しが消えた場合、セーフガードの発動基準数量などを見直すとしてきたが、今現在、いつ、どのように見直すのか不明である。経済成長といえば、GDPと企業の経営環境しか眼中にない安倍政権にとっては、それでよいのかもしれないが、基幹的食料の自給率の低迷は百年の災いとなって後代にのしかかる。

 昨年12月に合意された日・EUEPA(経済連携協定)について農水省は大臣談話(201776日の大筋合意の時点)で、長期の関税引き引き下げ期間と輸入急増に対するセーフガード等を確保したというが、ソフト系チーズ、スパゲティ、マカロニ、小麦、ワインではTPPよりも譲歩した内容となっている。たとえば、ワインのセーフガードはTPPでは8年目撤廃であるが、日・EUEPA合意では発効時に撤廃となっている。年間醸造量が100kl以下の小規模ワイナリーが80%を占めると言われる日本のワイン業への影響が懸念される。

 そもそも、新規就農/離農は経営の将来見通しをもとに判断されるのであるから、関税の段階的引き下げとかセーフガードの一定期間後の撤廃という猶予の意味は乏しい。
 こうした農業への甚大な影響を阻止、緩和するには日米二国間交渉の中止、日EUEPAの見直しが不可欠であるが、今の政府に日本農業を守るという意志がないなら、農業者は政権選択まで踏み込んだ意思表示と行動が必要になってくる。

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経済」カテゴリの記事

コメント

yasusanさま
私は仏道の心得はないのですが、「釈迦は命令したもの、直接手を下したものどちらでも最大の罪だと言っています」という言葉に共感します。
どのような形で罪に関わったにせよ、それぞれ責任の取り方はあるというご指摘もその通りと思います。
終戦直後、「一億総ざんげ」という言葉で戦争責任を国民全体に希釈しようとする論調が流行ったことへの反発からでしょうか、「進歩勢力」と称された人々の間で、戦争の罪責を政治指導者、軍部に絞る論調が目立ちました。
しかし、罪に軽重はあるにしても、私は、「罪は無罪と同様に集団に関わることではなく、人間ひとりびとりに関わることであります」というヴァイッゼッカーの言葉に真理が宿っていると考えています。
「組織」とか「集団」とかが個人の罪を空洞化する鎧として機能している点に、日本で主権者が主権者としてふるまえない根源的な理由があるように思えてなりません。

投稿: 醍醐 | 2018年11月10日 (土) 01時54分

醍醐さんからの賛同心から御礼致します。このような回答を今まで一度もいただいたことがありません。大方の知識人は話をそらすか無視でした。とても残念に思っています。先の戦争で心ならずとも他人を殺めてしまった無数の日本人の元兵士のことを考えてしまいます。人を殺してしまったことに対してどのような気持ちで暮らしたのか知りたいと思います。慚愧の心があればそれなりの償いをしてからあの世に旅立つことが人間の最低の行いだと思います。釈迦は命令したもの、直接手を下したものどちらでも最大の罪だと言っています。私もその様に思います。それを自分勝手に解釈して罪をそのままにしてきたのが日本人兵士でした。又、その兵士と並んでほとんどの国民も戦争を賛美して加担してきました。それも大きな罪悪だと思います。罪を犯した人はできる限りの懺悔と償いをすべきだと思います。財産がある者はその半分くらいは施しを行うべきだと思います。財産がない者は平和主義に協力したり、応援したりして援助すべきです。それもできなければ毎日両手を合わせて拝むべきです。そして戦後生まれの人は先人の過ちを二度と繰り返さないように、殺人鬼にならないように十分に注意して右翼化している自民党などに与しないように心を戒め、軍国化に協力してはなりません。そして暮らしを改め節制して欲望を戒めなければなりません。又、政治を改めないと流されてしまいます。日本は議会制民主主義です。だからこそ今後国民の国民による、国民のための政治を目指す新党を結成すべきだと強く思います。現存の野党ではあまりにも惰性に流され根本的な解決ができません。このような精神で早急に動きたく存じます。今後ともご指導ください。

投稿: yasusan | 2018年11月 9日 (金) 12時15分

yasusanさま
「今一度73年前に戻り終戦を仕切りなおす勇気がいると思います。それが日本の夜明けだと思います。」

このご意見に全く同感です。日本人自身の手で戦争責任、侵略責任を究明し、裁くことができないまま、今に至ったことが、今回の徴用工賠償問題に関する日本政府、日本のマスコミ、日本人の反応にも災いしていると思います。

投稿: 醍醐 | 2018年11月 9日 (金) 03時53分

日本は73年前の終戦時に戦争の総括、原因、分析をせずにアメリカや連合国に任せきりにしていい加減に戦争を終わらせてしまいました。本来は軍隊や、それに加担した日本人を徹底的に調査、分析して国民自身が裁くべきだったのです。そして、アメリカなどに対して莫大な戦争の賠償を支払うべきでした。日本はそれをやらずにアメリカの傀儡政権化、奴隷化を選んだのでした。ですから、日米協議で日本の政治はアメリカの言うがままにするしかない運命です。それを打開するには、今一度73年前に戻り終戦を仕切りなおす勇気がいると思います。それが日本の夜明けだと思います。

投稿: yasusan | 2018年11月 8日 (木) 20時44分

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