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冷酷な黒人差別に敢然と立ち向かった女性の生涯~映画「ハリエット」鑑賞記~

2020年6月25日

 昨日、東京ディズニーランド近くの「シネマイクスピアリ」へ出かけ、友人から紹介された「ハリエット」を見てきた。

 アメリカ南部で林業を営む白人経営者のもとで奴隷労働を強いられた主人公ハリエット・タブリン(1822~1913年)が自由を求めて脱走を果たした後、奴隷州に残った黒人を次々と救出する姿を描いた作品である。
 ちなみに、ハリエットの肖像は2016年4月、新しい20ドル紙幣に採用することが決まったが、トランプ大統領の横やりで目下、頓挫している。
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自由か、それとも死か
 自由を求めて最初は単身で、「地下鉄道の車掌」(逃亡奴隷の誘導役)に介助されながらフィラデルフィアに辿りつき、自らの解放を果たしたハリエット。
 その後は、延べ10回、多くの黒人を救出するために奴隷州へ向かい、銃と捜索犬を従えた農場主らの追跡をかわして、70名の黒人を連れて、無事、自由州にたどり着いたハリエット。
 映画出演3作目でハリエット役を演じたシシアン・エリヴォを始め、各俳優が自分の役回りに徹した名演技も相まって、ハリエットのたくましい行動力と機敏な判断力に吸い込まれ、あっという間に2時間半が過ぎた。

 追手に挟み撃ちされた橋の上で、「殺さないから生け捕りになれ」と口説く雇い主の息子に向かって、ハリエットが「自由か、それとも死か」と言い返し、眼下の濁流に飛び込むシーンは、自由を求める彼女の固い意思を閃かせた。
 
 仲間の奴隷救出の作戦会議で、妥協的な主張をする自由黒人や白人たちに向かって、「あなたたちは苦労知らずで、美しい家、美しい妻を持ち、快適に暮らす人」、「私はおぞましいほど苦しむ奴隷たちを解放するために血の最後の一滴まで捧げる」と言い放ち、現に一度の失敗もなく、それをやってのけたハリエットの気迫と行動力は圧巻だった。

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改めて学んだアメリカ史における冷酷な黒人差別 
 アメリカの黒人奴隷というと南部の綿花プランテーションをイメージしがちだが、同じ南部と言ってもそれは南西部のこと。この映画の舞台は南東部沿岸で、黒人を使って林業を営む傍ら、経営難を乗り切る「含み資産」かのように、「所有した」奴隷を売りに出したり、貸し出したりする白人の事業所。
 ちなみに、主人公ハリエットの3人の姉妹は白人「所有主」によって売り飛ばされた。ハリエットが逃亡を決心したのも、次は自分も売り飛ばされる、そうなると、家族は離散してしまうと身の危険を感じたからだった。

 なお、同じ奴隷でも、一定の年齢になったら解放すると雇い主から約束された「期限付き黒人」が混在したことを初めて知った。
 しかし、映画の冒頭にも出てきたが、解放の約束は雇い主によって、反故にされることが珍しくなかった。ハリエット一家の農場主の曽祖父も、母リットが45歳になったら子供たちも一緒に奴隷の身分から解放すると記した遺言状を残していた。その約束を果たすよう弁護士を雇ったとハリエットの夫ミンティが告げたことに怒った農場主はミンティを追放した。

 黒人が、当たり前のように、白人経営者の「財産」とみなされ、家族まるごと黒人の運命を翻弄する奴隷制度の冷酷な現実を見せつけられた映画だった。

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