大学生の「国策動員」に思うこと~オリンピックは国家の事業ではない(2・完)~

2018821

オリンピックの主役は国家ではなく選手
 上記の『毎日新聞』の記事では「国家的事業というだけで明確な根拠があるとは思えない」という大学生の声が紹介されている。しかし、オリンピックは国家的事業ではない。「個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」(オリンピック憲章(2017915日改訂)61。この点を周知することが重要だと改めて感じさせられた。
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2017.pdf
 
しかし、大学生がそう語るのは、個人的な誤解ではなく、政府、メディアこぞって、オリンピックをあたかも国家的事業かのように喧伝し、政治的に利用してきた事実がある。

 「個人の前に国があった」~増田明美さん~
 たとえば、元マラソン選手・増田明美さんは2016815日の『読売新聞』に掲載された「『お国』の重み マラソンで私も」というタイオルが付けられたインタビューの中でこんな体験を語っている。


 「私がロス五輪のマラソン代表に選ばれたのは20歳の時。日本記録を連発したこともあり、大きな期待を寄せていただいて。・・・・本番では、多くの選手に抜かれて心が折れ、16キロ地点で途中棄権に終わりました。
 成田空港に着いた時でした。通りすがりの男性に指さされ、非国民、と言われました。伯母が私に自分の青い帽子をかぶせ、私は家族と逃げるように帰ったのです。それから3ヶ月間、寮の自室に閉じこもり、死ぬことばかり考えた。人生で一番苦しい時期でした。非国民という言葉が、心に突き刺さっていました。」

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 この言葉の手前で増田さんはこう語っている。
 「でもあの頃、国を背負うということは、今とは違う重みをもっていた。個人の前に国があり、期待にたがえた時の批判にも、異質な厳しさがあったのです。」

 「国を背負う」、「個人の前に国があり」という言葉からは、そうした重みを背負わされた選手ならではの実感が伝わってくる。ただ、「今とは違う」重みと述懐して済むとは思えない。「今も」というべきではないか。

「国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」~森喜朗JOC会長~
 2016年のリオ・オリンピックの壮行会で、来賓あいさつに立った東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は、こう述べた。
 「森喜朗氏、リオ五輪壮行会で君が代歌わぬ代表に苦言」
 
2016731738分 日刊スポーツ)
 
https://www.nikkansports.com/sports/news/1672805.html

 
「なぜ国歌を歌わないのか。選手は口もぐもぐするのではなく、口を大きくあけて国歌を歌ってください。国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない。そう思う。」

個人の上に「お国」を置く
ムードに翼賛するNHK
 政治家やオリンピック関係者ばかりでない。NHKのスポーツ担当解説委員も、2016821日の「おはよう日本」に登場してリオ・オリンピックを振り返り、「五輪開催5つのメリット」として、国威発揚、国際的存在感、経済効果、都市開発、スポーツ文化の定着」を挙げた。
 また、当時、NHKは夜7時、9時のニュースで連日、その日の日本選手のプレーの模様を伝えたあと、「これまでの日本のメダル獲得数は〇です。これは〇〇国に次いで〇番目です」と語った。

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 しかし、オリンピック憲章はこう謳っていた。
 「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第16
 「IOCOCOGは国ごとの世界ランキングを作成してはならない」(第557項)

 この点を質す文書をNHKにメールで送ったところ、NHKから、国別のメダル数を報道したのはIOCに事前の承諾を得たうえでNHKの編集権にもとづいて判断した、という回答がメールで届いた。
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/nhk-626f.html

 
しかし、IOCの承諾を得た、得ない以前に問われるのは、オリンピックの理念をNHK自身がどう理解しているのかである。編集権は融通無碍に使いまわしてよいフリーパスの護符ではない。NHK解説委員がオリンピックに参加するメリットして、国威発揚、国際的存在感、経済効果を臆面もなく挙げるのは、オリンピックが国単位、国家主体ではなく、選手主体、都市主催のスポーツ競技大会であることを全く理解していない証左である。
 『NHK放送ガイドライン』は「2 放送の基本的な姿勢」の章でこう明記している。

 「③人権の尊重 基本的人権の尊重は、憲法が掲げる最も重要な原則であり、放送でも優先されるべき原則である。」

 NHKが自律的に定めたこの放送倫理規範に照らせば、
NHK解説委員がオリンピックのメリットのトップに国威発揚を挙げたのは、NHKが率先して、オリンピック代表選手に「国を背負わせ」、「個人の前に国がある」と意識させる風潮を煽ったのも同然である。
 また、NHKがリオ・オリンピック開催期間中、定時のニュースで連日、海外と対比しながら日本のメダル獲得数をくどいほど伝えたのは、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めたオリンピック憲章にそぐわない。
 ましてや、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長たる人物が、リオ・オリンピック代表選手に向かって、「国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」などと公言するのは、オリンピック憲章の無知・無理解をさらけ出したものであると同時に、オリンピック代表選手の思想・信条の自由に手を突っ込む人権無視の言動である。これだけでもJOC会長失格である。
 「日の丸を背負った」などという言葉が気易く使われる風潮は、個人の上に「お国」を置く前近代的な思想が日本のスポーツ界でまかり通っている証しである。


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大学生の「国策動員」に思うこと~オリンピックは国家の事業ではない(1)~

2018820

大学生の国策動員
 昨日の『毎日新聞』朝刊の5面に次のような見出しの記事が掲載された。

「学生頼みの『国策動員』」「授業より五輪ボランティア 通知」

「長期拘束 休日返上も」「強制参加 懸念の声」

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通知を出したのはスポーツ庁と文科省。

大学生が個人として、この機会に新しい体験をとボランティアを志願するのは自由だが、「国は4月の授業開始を繰り上げたり、祝日に授業を実施したりすることも可能と通知した」とある。
 ここでいう「通知」とは、2018726日付で今里譲スポーツ庁次長と義本博司文部科学省高等教育局長の連名で、各国公私立大学長ならびに各国公私立高等専門学校長 宛てに発出された「平成32年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法及び平成31年ラグビーワールドカップ大会特別措置法の一部を改正する法律による国の祝日に関する法律の特例措置等を踏まえた対応について」を指している。
 
http://www.mext.go.jp/sports/b_menu/hakusho/nc/1407708.htm 

 このような通知が出された背景には、多くの大学で7月下旬から8月上旬頃まで授業や期末試験が続き、東京オリンピック開催期間と学事日程が重なってしまうという実情を回避するためである。
 五輪ボランティアには組織委員会が募集する「大会ボランティア」(8万人)と自治体が募集する「都市ボランティア」(東京都は3万人)がある。このうち、大会ボランティアを募集する組織委は全国約800の大学・短大と連携協定を結び、9月中旬からボランティアの募集を始めるという。
 記事によると、国の通知に合わせて、すでに授業日程の変更を決めた大学があるとのこと。東京では、明治大学が授業日程の繰り上げ、5月の大型連休中に授業を実施すると表明、立教大学は東京オリンピックの開会式の前日までに授業と試験を終えることを決めたという。

 このように国が大学教育の根幹といえる学事日程にまで口出しして大学生の参加を促すのでは、ボランティアではなく、まさしく「国策動員」=個人本位ではなく大学を介した参加の半強制である。

文科省・スポーツ庁は大学への口出しを止め、スポーツ界の体たらくを正すのが務め
 しかも、上記「通知」はこうした「国策動員」が大学教育の理念に沿うものと取り繕うため、こう記している。

 「学生が,オリンピック・パラリンピック競技大会等に参加することは,競技力の向上のみならず,責任感などの高い倫理性とともに,忍耐力,決断力,適応力,行動力,協調性などの涵養の観点からも意義があるものと考えられます。さらに,学生が,大学等での学修成果等を生かしたボランティア活動を行うことは,将来の社会の担い手となる学生の社会への円滑な移行促進の観点から意義があるものと考えられます。」

 「高い倫理性」云々とは余計なおせっかいだ。文科省やスポーツ庁は大学長や高専学長に余計な説教を垂れる前に、自分が所管するスポーツ連盟やスポーツ選手の間で、パワハラ・公金流用・セクハラ・買春と恥ずべき行為が後を絶たない現状を正すのが務めだ。 

政府の通知に従順に応じる大学当局のふがいなさ
 こういう時、いつも思うのは、大学の自律的な教育プログラム決定権と大学生の就学の権利を侵害する国の干渉に対し、国立大学協会、日本私立大学連盟など、あるいは個々の大学当局はなぜ、無言なのかということである。 
 本務校での講義や非常勤で出講した私立大学での私の限られた体験ではあるが、大学の年間学事日程は、在学生に対する定期試験、補講、入試日程を組み入れながら、所定の単位習得条件を満たす正規の授業コマ数の確保に四苦八苦しているのが実態である。
 こうした実情の中で、4月の授業開始を繰り上げるとなると、23月に集中する学年末試験、入試日程と近接して、学生はもとより、教職員に過重な負担がかかるのは目に見えている。
 また、ボランティアとはいえ、学生は自分の都合に合わせて自主的に参加できるわけではない。組織委が所掌する大会ボランティアは18時間程度、10日以上が基本とされているから、『毎日新聞』も指摘するようにかなりの期間、休日も返上の拘束を受けることになる。大学生の中にオリンピック・ボランティアを歓迎する声があるからと言って、大学当局が大学まるごと、学生の国策動員に協賛するのは大学の自治、教育責任をないがしろにするものである。
 自民党総務部会に呼び出されて、従順に出向く各放送局幹部のふがいなさを思うのと似た感想を抱く。

 私事にわたるが、現職中、授業やゼミの時間帯に食い込むのを承知でゼミ生(会計事務所への就職内定者)を研修に呼び出した会計事務所や公認会計士協会に抗議と撤回を求める手紙を出した(20081211日)ことがある。

 「大学生の就学機会を侵害する研修等の自粛を求める要望書」
   ――日本公認会計士協会会長宛に発送――」
 
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3d41.html 

 学部の教務掛に要望書を出したことを伝えたら、自分たちも問題ありと考えているので返事が来たら、知らせてほしいとのことだった。結局、なしのつぶてだったが。

  今からでも遅くはない。国大協、私学連盟、高等専門学校、ならびに各大学はスポーツ庁、文科省の通知の撤回を求めるとともに、通知の有無にかかわらず、2020年度の学事日程は教育における大学の自治を堅持する立場から、主体的に決定すべきである。  
















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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大相撲賭博の調査委員会の拙速な判断と不可解な行動

「初めに場所開催ありき」の拙速決定
 力士、付け人、床山に限らず、親方にまで広がっていたことが発覚した日本相撲協会の野球賭博問題について「外部」有識者からなる特別調査委員会は予定を繰り上げて、627日、相撲協会の理事会に対して処分案を勧告し、それを受け入れることを条件に名古屋場所の開催を容認するとの判断を示した。相撲協会理事会はこれに素早く対応し、勧告案を受け入れる方向で74日の理事会に諮るとし、名古屋場所の開催を先行決定した。
 ところで、調査委が理事会に勧告した処分案は「予想以上に厳しいもの」と報道されているが、いままで百年一日のように言われてきた「ウミを出し切る」ことができる内容とは程遠いと思える。
 ①そもそも、621日に発足した特別委がわずか1週間の期間、2回の会合でどこまで賭博汚染の実態を解明できたのか、疑問である。ここで実態というのは、賭博汚染の範囲と暴力団とのかかわりである。現に名前が挙がった協会員からさえ、一週間でどこまで丹念な調査ができたのか、疑問視されて当然である。
 ②賭博汚染の範囲についていうと、調査委は今週末までに約1000人の協会員全員に調査票を届け、回答を求めることにしている。その調査結果を待たず、現時点で判明したという状況にもとづく条件を付けて名古屋場所の開催にゴーサインを出したのでは「初めに場所開催ありき」と言われてもやむを得ない。もし、今後の調査で賭博汚染の新たな広がりが発覚した場合、場所開催はどうなるのか、拙速の感は否めない。
 ③暴力団との関わりについていうと、調査委は調査したどの協会員もつながりはなかったと断定したが、賭博には表か裏かは別にして胴元が存在し、掛け金の一部が暴力団に流れることが多いとされている。現に、勝ち金の支払いを求めた琴光喜が逆に恫喝を受け、口止め料の支払いを迫られた場には相撲関係者以外の人物が同席していたと言われている。調査委は賭博を申告した親方、力士以外のこれら関係者からどこまで事情を聴取したのだろうか? また、今回の野球賭博行為が発覚する直前に明るみに出た「維持員」席を協会員が暴力団関係者に横流ししていた問題を調査委は究明したのだろうか? さらに、スポーツ評論家の中には、賭博は野球だけにとどまらないのではないかと指摘する論者もいる。こうした疑問を積み残したまま、場所開催を先行決定した調査委と相撲協会理事会の関係について、厳しい監視が必要である。


調査委は相撲協会の代役者なのか?
 もうひとつ、不可解なのは調査委が、相撲協会理事会が行うはずのNHKとの協議を買って出ようとしている点である。私がこの件を知ったのは次のような報道ニュースからである(下線は引用にあたって追加)。

 
NHK相撲中継、4日夜にも結論(20106290134  読売新聞)
 
日本相撲協会の緊急理事会の決定を受け、NHKは28日、今後の視聴者意見の動向と4日に開かれる理事会での結論を踏まえた上で、早ければ同日夜にも中継するかどうか決める方針を固めた。NHK幹部によると、今回の理事会の決定に対し、「NHKとしてある程度納得できる部分はあるにしても、放送する側としてまだ最終結論を出す必要はない」と判断。特に、「将来的な抜本的な改革」を同協会が十分に示していない点を問題視。「4日の時点で、協会側がどこまでそこに踏み込めるか注視したい」としている。今回の件については、他の幹部以上に福地茂雄会長が重大視。「中継を行うことを前提としないで検討するように」と関係職員に指示を出している。また、同協会の特別調査委員会が28日までにNHKに対して事情説明を申し出たが、NHK側がこれを拒否していたことも明らかになった。幹部によると「今はまだそれを受け入れる段階ではないため」という。

名古屋場所中継、NHKなお慎重姿勢 協会側の接触断る(asahi com  201062931分)
 
名古屋場所を中継するかどうかについて、NHKは慎重な構えを崩していない。「勧告について説明したい」と特別調査委員会が接触を求めてきたが、「まだ話を聞く段階ではない」と断ったという。 調査委の勧告が27日に出たのちも、NHKには視聴者からの意見が相次いでいる。28日は午前中だけで電話やメールが約170件寄せられ、約6割が名古屋場所の中継に反対する声だった。賛成は1割ほどしかないという。相撲協会が処分を決める7月4日の臨時理事会を待ち、組織の自浄能力や視聴者の反応などを見極めた上で、結論を出す方針だ。

 調査委は文部科学省の意向を受けて、相撲協会理事会が委嘱して設置された「外部」調査委
員会のはずである。調査委は調査の結果とそれを踏まえた勧告を相撲協会に提出するのが務めであって、その勧告を受けてNHKと間で名古屋場所の開催の如何、開催した場合の中継の如何等について協議するとしたら、それは相撲協会理事会の任務であって、NHKから勧告について説明を求められたわけでもない調査委の出る幕ではない。これでは調査委は相撲協会理事会に外向けには厳しい対応を迫っているかにみえて、水面下では、「謹慎中」の相撲協会理事会になり代わって、NHKが中継をできる環境づくりに動いていると受け取られてもやむを得ないのではないか? 調査委ははたして相撲協会から本当に自立した第三者機関といえるのか、注意深いウオッチが必要である。
 (注:もともと、調査委委員長の伊藤滋氏、委員の村山弘義氏は相撲協会の外部理事であり、同じく調査委の委員の吉野準氏は協会理事会の監事であることから考えると、調査委を「外部委員会」と呼べるかどうか、疑問である。)

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