自分の外に主人(あるじ)を持たない一市民として ~新年のご挨拶に代えて~

201511

               迎 春


平凡な年越しだったが
 
 荒れ模様の天候の地も多いと伝えられていますが、皆さま、穏やかな新年をお迎えのことと思います。私は年々、「新年」を迎えるという感慨が薄れ、いつもと変わらない年越しの時間を過ごしました。
 昨年はこのブログに初めて訪ねていただいた方々、更新が途絶えがちなこのブログへ根気よく訪ねていただいた方々に厚くお礼を申し上げます。

 暮れから連載を始めた「安倍首相の自画自賛を検証する」を年内に終えるつもりでしたが、4回目を書く途上で、調査不足を思い知らされる資料に出くわし、データをあれこれいじるうちに、新年に持ち越す羽目になりました。あと2回(5まで)書いて終える予定です。

以下、新年のご挨拶に代えまして。

昨年1年間のアクセス・ベスト10
 1年の締めくくりのつもりで年末にブログのアクセス解析で去年1年間のアクセス件数(トップ・ページへのアクセスを除く)の上位記事を調べたところ、次のとおりだった。

 第1位 受信料支払い義務が放送法ではなく受信規約で定められている理 
    由を説明できないNHK 〔掲載日2014827日〕
 第2位 衛星映画評「ジュリア」――反戦の知性に裏打ちされた2人の女
    優の演技に魅せられる―― 〔2008221日〕
 第3位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(1) 〔2014
    年14日〕
 第4位 安倍首相の資金管理団体を虚偽記載で告発 〔2014819日〕
 第5位 受信料凍結運動で籾井NHK会長の辞任を求める包囲網を! 
    〔201451日〕
 第6位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(3) 〔2014
    年14日〕
 第7位 護憲を掲げる団体が自由な言論を抑圧するおぞましい現実(2
    〔201419日〕
 第8位 宇都宮健児氏を支持する前にやるべきことがある(2:前篇) 
    〔201414日〕
 第9位 医薬品メーカーを独り勝ちさせている高薬価の是正が急務 
    〔2012421日〕
 第10位 「クローズアップ現代」がおかしい 〔201473日〕

摩擦を避けるNHK
 1は掲載日以降、コンスタントにアクセスが続いた記事だったが、私にとってはこれがトップとは意外だった。訳ありで受信料を止めている人の中には、NHKから定期的に「受信料お支払いのお願い」文書が届くが、今のNHKでは払う気になれない、どう抗弁したものかと思案する人が少なくないと思われる。そのような方の目にとまり、一読いただけたのなら、ありがたいと思う。

 昨年12月の衆議院総選挙にあたって自民党からはNHKや在京テレビ・キー局に対して、選挙報道についてこと細かな「要請」が出されたと伝えられている。これについてNHKは、余計なおせっかいと拒否なり抗議なりをしたのかというと、「そのような要請文書を受け取ったかどうか自体を答えない」という対応だった。

「自民党からテレビ局各社への放送法違反の「要請」に関する質問状」およびこの質問状をめぐるNHK視聴者部との応答メモ」
2014
126日、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」HPより)

http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-c3ed.html

 「摩擦を避けるNHK」(ベンジャミン・クリフォード『日本のマスコミ臆病の構造』2005年、宝島社)を地で行く様である。

 しかし、受信料支払い義務が放送法でではなく、視聴者とNHKとの双務契約である受信規約で定められているということは、受信料は、無条件の義務ではなく、NHKが放送法等で定められた自主自立、不偏不党、民主主義の発達に資する放送を提供しているという視聴者の信頼を見合いとして成り立つものである。
 そうなら、昨今のNHKの番組、とりわけ、ニュース報道は視聴者の参政権行使に資する情報を自主自立の立場で編集し、伝えていると言えるのか。私は国策放送に急旋回していると感じている。(この点は今月中旬に刊行される雑誌『季論』No.27, 2015年冬号、に「国策放送に急旋回するNHKというタイトルで寄稿した。)
 自民党による選挙報道への干渉に対してNHKがだんまり戦術を押し通す様は、政権からの自立がNHKの内部に「組織の文化」として、いかに根付いていないかの証しと言ってよいだろう。

異論と真摯に向き合わない「革新陣営」への警鐘として
 昨年1月に投開票された東京都知事選に宇都宮健児氏が立候補したことに端を発して書いた記事のうちの4つがアクセス・ベスト10に入ったことは印象深かった。私としては、異論と真摯に向き合わない、組織内で自律した意見を発信せず、付和雷同する「革新陣営」の体質について日頃から(今も)感じている疑問、異論に対して、そうした体質が露見したと思えた具体的な事実をとらえて、警鐘を鳴らすつもりで書いた記事だった。1年前の新年早々だったが、自分なりに準備し思案の上で書いたつもりだ。それだけに、これらの記事に多くのアクセスがあったのは、私の見解への賛否は別にして、ありがたかった。
 しかし、私がその中で書いた次の指摘は、例えば昨年末の衆院選の結果をめぐる議論や昨今の政党・市民運動の状況を見るにつけても、意義を失っていないと思える。(以下、下線は今回追加。)

 「特定の主義・信条で集まった政党、団体であっても、個人の間であっても、さまざまな問題をめぐって、初めから常に意見が一致しているということは、よほどマインドコントロールが強固で自立した個人の存在が不可能な組織でないかぎりあり得ない。むしろ、異なる意見を相めぐり合わせて、各人が知見を広げ、自分の思考力、判断力を磨き、鍛錬することが、政党なり団体なりの構成員の意欲、組織外の人々への信頼と影響力を広げる基礎になるはずである。少なくとも私は、自分の判断なり意見表明をするにあたって、耳を傾ける先達、友人はたくさんいるが、自分をコントロールする『主人』なり『宗主』は持ち合わせていない。そういう『主人』持ちの人間を私は尊敬する気になれない。」

 「『身内のごたごたや弱点を組織外に広めるのは支持者を離反させ、対立する陣営に塩を送るようなものだ』という意見をよく聞く。確かに、問題によっては――個人のプライバシーが絡む問題など――団体なり組織の内で議論をし、解決するのが適切なこともある。また、異論を提起する場合もその方法に配慮が必要である。しかし、内々で議論をするのが既成のマナーかのようにみなす考えは誤りである。むしろ、組織内の意見の不一致、批判を内々にとどめ、仲間内で解決しようとする慣習や組織風土が、反民主主義的体質、個の自立の軽視、身内の弱点を自浄する相互批判を育ちにくくする体質を温存してきたのではないか。」

 「往々、日本社会では同じ組織メンバー間の争論を『もめごと』とか『内ゲバ』とか、野次馬的に評論する向きが少なくない。しかし、『もめごと』と言われる状況の中には上記のとおり、組織(革新陣営を自認する政党や団体も例外ではない)が抱える体質的な弱点――少数意見の遇し方の稚拙さ、反民主主義的な議論の抑制や打ち切り等――が露見した場合が少なくない。・・・・あるいは、組織外から寄せられた賛同や激励の意見は組織内外に大々的に宣伝するが、苦言や批判は敵陣営を利するとか、組織内に動揺を生む恐れがあるという理由で、組織外はもとより、組織内でさえ広めようとしない傾向が見受けられる。これは大本営発表と同質の情報操作であり、組織内外の個人に自立した判断の基礎を与えないという意味では近代民主主義の根本原理に反するものである。」

 「この世には全能の組織も全能の個人も存在しない。自らに向けられた異論や批判にどう向き合うか、それをどう遇するかはその組織にどれだけ民主主義的理性が根付いているかを測るバロメーターである。その意味では、組織内外から寄せられた異論、批判、それに当該組織はどう対応したかを公にすることは、その組織に対する信頼を多くの国民の間に広げるのに貢献するはずであり、相手陣営を利することにはならない。また、異なる意見、少数意見も尊重し、真摯な議論に委ねる組織風土を根付かせることこそ、『自由』に高い価値を置く多くの国民の共感を呼ぶと同時に、組織構成員の対話力を鍛え、組織の影響力を高めるのに貢献するはずである。」

衆院選の結果をどう受け止めるべきか
 昨年1214日に私は「本土の有権者・政党はオール沖縄の選挙態勢から何を学ぶべきか(2)」というタイトルの記事を書いた。その中で記した次の一文は、1年前に東京都知事選をめぐって書いた上記の考えの延長線にある。

 「選挙後に予想される衆議院の議席分布から見ても、政策面で自民党と対峙する野党とはいえない政党を除くすべての野党が連合したとしても、自公政権と伯仲する勢力とはなり得ない。
 このような政治状況のもとで『自党が伸びることが自民党政治の転換につながる』と訴えるだけでよいのか? そのような訴えが果たして与野党伯仲を期待する有権者の願いに沿うリアリティを持つのか? 今、野党各党はもちろん、政治の革新を求める有権者が熟慮すべきはこの点である。」 

 「・・・・有権者や各界の団体には、自分がどの党を支持するかは別に、自分が第一義的には支持しない政党、意見に隔たりがある有権者や団体であっても、目下の喫緊の課題――憲法改悪を阻止し、憲法を生活の様々な局目に活かす課題、集団的自衛権の法制化を阻止する課題、原発再稼働を阻止し、原発に依存しない社会を目指す課題、特定秘密保護法による知る権利の侵害を排除し、同法の廃案を目指す課題等――での共同を追求し、共同の輪を広げ、組織化するために、政党の動き待ちではなく、政党の呼びかけに受け身的に応えるだけもなく、自らが政治の主人公らしく、望ましい政治勢力の結成のために何をなすべきかを主体的に熟慮し、行動を起こすことが求められる。
 こうした行動は、節度を保ちさえすれば、自分が支持する政党の伸長のために行動することと二者択一ではなく、両立するはずである。そのために強く求められるのは『異なる意見と真摯に向き合い、対話する理性』である。ここでは、気心の知れた仲間の間でしか通用しない『身内言葉』、『われこそ正論』と構える独善的な態度は最悪の風潮である。」

 政党で言えば、選挙で自党(ここでは反自民の野党)に一票を投じた有権者の中には、自党の理念なり政策、体質なりを全面的に支持したわけではなく、選挙区では他に選択肢がない状況で棄権するかどうか迷った末に、反自民の意思を優先して、セカンドベスト、サードベストで自党に投じ、比例区では別の野党に投じた有権者が少なくないという事実を直視する必要がある。
 また、それ以前に、自民・公明与党と対抗しうる大きな枠組み(既存の野党間での候補者調整に限る必要はない)が選択肢として作られることを願った有権者が少なくなかったと思われる。
 自党に投票した有権者の中にも少なくない、このような意識を冷静に見極め、それに謙虚に向き合い、今後の政党活動のあるべき形を検討することが重要と思える。

 また、政党がどうか以前に、有権者自身、自らが支持する政党の伸長のために尽くすだけでなく、自・公両党が衆議院で3分の2を超える議席を占めた現実を直視し、日本の政治の行方を危惧する多くの国民との共同を広げ、強めるために何をなすべきかという大局的な見地から、自分と大なり小なり意見が異なる人々との対話を強め、広げる努力が強く求められている。

「自分の外に主人(あるじ)を持たない」の矜持を貫いて
 大げさな言い方かも知れないが、私は一人の自立した人間としての尊厳を守りつつ生きている証しとして、「自分の外に主人(あるじ)を持つ」ような宗派的言動とは一線を画したい、「自分の理性が自分の思考の主人」という、言葉としては当たり前だが、いざという時に頓挫してしまいがちな矜持
をこれまで以上に毅然と貫いていきたいと考えている。

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TPP影響試算作業のこと、安部首相の「脅しに屈しない」発言のこと

IWJ代表の岩上安身さんとの「対談」あとがき
 好天に恵まれた今年の連休。皆さんはどうのように過ごされただろうか? 一つ前の記事に載せたように、わが家の生垣には今年も大きな花びらの鉄線が咲いている。
 その記事で予告した430日のIWJ代表の岩上安身さんのインタビュ-。実際はインタビューというより岩上さんの博識が随所に現れた対談だった。多くの方に過分のツイートをしていただき、ありがたく思っているが、声が低すぎてマイクにうまく入らず、お聞き苦しいところが多々あったと思う。ぶっつけに近い中継だったので、資料の出し方などで手際の悪いところがあった。いくつになっても自分を磨くよう精進しなければと反省させられた。

安倍首相の「脅しに屈しない」発言に反応しないメディアーー異常が常態になる空気の怖さ――
 3時間半ほど話し続け、のどが渇き、空腹になっていたので近くで一緒に夕食をとることになった。連日、様々なテーマで各界の人達とインタビューという名目の「対談」をこなす岩上さんの博識と情熱と体力に敬服する。食事中、岩上さんはJA全中に対する持論を展開。話題が安倍首相の歴史観に及んだところで、私は、韓国や中国からの抗議を「脅し」と発言して憚らない安倍氏の歴史観に日本のメディアが全く反応しなかったことに呆れていると話した。そして、こうした歴史観を反証するのに一番効果的なのは、安倍氏らが「英霊」と持ちあげる特攻隊員の生存者が、自分たちを英霊と呼ぶのは欺瞞だと憤っていることを示すのが一番ではないかというと、岩上さんは大変関心を寄せ、手許にある資料を全部貸してもらえないか、できることなら生存者に取材に出向きたいと言い出した。岩上さんらしいなと思ったが、残念ながら特攻経験者で存命の人もほとんど他界されたようだ。もし、話を聴ける方がおられるなら、私も出かけたい。
 帰宅後、去年、地元の講演会用に作った資料――知覧訪問記――をメール添付で岩上さんに送った。以下はその中の一節である。

体当たりという強制された自殺を殉国と美化するのは欺瞞
 「平素率先垂範、陣頭指揮を唱えながら特攻に加わらず、生き残った幹部が出撃していった若者を賛美し、志願によるもの、憂国の情から莞爾として飛び立った等と語るのは欺瞞以外の何物でもあるまい。我々は特攻美化論の背後に、彼等旧軍幹部に潜んでいた責任回避と日和見保身主義を見落としてはならない。」
 
(西川吉光『特攻と日本人の戦争――許されざる作戦の実相と遺訓』2009年、芙蓉書房出版、211ページ)

 「体当たりという自殺行為の記憶は、時代とともに美化された思い出に変わるものではなく、三十数年間を経過したいまでも、身体の傷とともに心の傷として残り、消え去らないものである。」
 
「殉国も、献身も、そのことへの賛辞も、私にはすべてが不謹慎な偽りの言葉に聞こえ、すなおに喜ぶことができない。」
 
(鈴木勘次『特攻からの生還--知られざる特攻隊員の記録』2005年、光人社、1112ページ)

 安倍氏は近隣アジア諸国への侵略に赴かされた日本軍兵士を「英霊」と讃える前に、彼らのこうした叫びに耳を傾けるのが人の道である。

TPP
影響試算で試行錯誤の連休
 その連休だが、日本がTPPに参加し、原則すべての関税撤廃を余儀なくされた場合の影響を独自に試算する作業で明け暮れている。
 428日は試算作業チームに加わってもらった2人の若手の財政研究者と都内で3時間余り検討会。1人は島根から駆け付けてもらった。これまで使ったことのない営農類型別農業経営統計を使って関税撤廃の影響が農業生産額の減少・農業所得の減少・国と地方の税収への影響という波及効果を試算できないかという難しい作業。特に関税撤廃の対象となる品目と農業経営統計で用いられる品目とが1:1で対応しないケースが多く、入口の品目マッチングで作業は試行錯誤の連続。
 これは外部の人間の解釈では手に負えないので、51日、事前のアポで農水省へ出かけ、大臣官房統計部のメンバー5人に質問を投げる。
 54日は、静岡へ出かけて、産業連関表を使った影響分析、特に関連産業の生産額・雇用者所得・営業余剰・消費支出の誘発(この場合は減殺)効果の試算を担当してもらっているDさんも交え、メンバー3人で3時間ほど資料をにらみながら議論。切迫した現実に対峙して自分たちの専攻分野の知見を傾けるやりがいを感じさせられたひとときだった。それまでも、メールで情報交換・意見交換を続けてきたが、少しずつ試算値も定まり、先の見通しが立ってきた。また、自分たちの独自の試算と並行して315日に内閣府が発表した政府統一試算、および農水省が発表した農林水産分野の影響試算の信憑性も検証中である。

思い立って北海道へ
 
 しかし、関税撤廃の影響試算といっても仮定の置き方で結論が大きく左右される点が少なくない。例えば、小麦やてんさい・さとうきびといった農産物の生産が壊滅したら、それを加工・精製する川下の関連産業(製粉業や製糖業など)はどうなるのか? 極端な場合、廃業に追い込まれるのか、それとも原材料を輸入に置きかえて操業を継続するのか、輸入するとしたら、それは政府が踏襲したGTAPモデルの貿易収支にどのように織り込まれているのか? 
 こうした点はもともとモデルで割り切れるものではなく、産業連関、物流の実態を確かめなければ、机上の数いじりになってしまう。
 そこでというと話が飛躍するが、来週、関税撤廃で壊滅的打撃を受けると言われている北海道へ出向き、道庁で農政・酪農・水産の各担当部署のスタッフと面会することになった。道庁のスタッフとは、少し前から電話やメールで質問を投げてやりとりをしてきたせいもあってか、面会のアポを快諾してもらった。道庁での調査の後、全国有数の酪農地・帯広/十勝地方へ出向き、TPP・関税撤廃の影響を現場の人々がどのように受け止めているかを見聞する予定だ。
 こんな風に、思い立ったところへ意欲の赴くままに出かけられるのは自由な時間と自分を含めた家族の心身の健康あってのこと。あと何年、こんな環境が続くのかと思うと、持ち時間の尊さを否応なしに感じさせられる。

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修学旅行プレーバック~小豆島の車中で聴いた「オリーブの歌」~

2012年9月18日

 先日、Yu Tubeの録画を検索していると、「小豆島のオリーブの歌」というタイトルが目に止まった。もしかしたらと思って聴いて見ると、やっぱり、あの歌だった。中学校の修学旅行に小豆島へ出かけた時に島めぐりのバスの中でガイドさんが歌ってくれた郷土の歌だ。二葉あき子さんが歌った歌だとは初めて知った。

「オリーブの歌」(加西新太郎作詞・服部良一作曲/二葉あき子歌唱、1957年)
http://www.youtube.com/watch?v=hxK0akWFeZA

 夢も楽しい そよ風に 
 みどり明るい オリーブの
 枝がさやさや 揺れている 
 ああ恋を知り 恋に泣く
 島の乙女の 胸のように

 小豆島町のHPに掲載された解説によると、小豆島とオリーブの関わりは、明治41(1908)に遡る。この年、農商務省は三重・香川(小豆島)・鹿児島の3県を指定して、アメリカから輸入した苗木の試作を行ったが、小豆島町の西村地区に植えたオリーブが順調に成育し、大正初めには搾油ができるまでになったという。

 その後、一般の農家も栽培するようになり、昭和31年には72ヘクタール、昭和39年には130ヘクタールまで栽培面積が拡大した。また、オリーブは昭和29年には県花に指定された。その後、農産物輸入自由化によりスペイン等から安価なオリーブ製品が輸入されるとともに栽培面積が減少し、昭和60年代前半には34ヘクタールまで減少したという。
 しかし、近年、消費者の健康志向やオリーブの持つ平和の象徴などのイメージからオリーブ関連商品の人気が高まり、小豆島のオリーブ製品も国産志向も相まって需要も増え、栽培面積は100ヘクタール以上まで回復したそうだ。

 小豆島というと、郷土生まれ壷井栄の原作・木下恵介監督で1954年に映画化された「二四の瞳」(主演:大石先生/高峰秀子)のことを外せない。小豆島と特定されたわけではなかったが、地元で行われたロケは島中を湧きかえらせたそうだ。その時の島の様子は、Yu tubeに投稿された次の録画でガイドさんが堂に入った解説をしている。

映画「二十四の瞳」ロケの秘話(201063日撮影)
http://www.youtube.com/watch?v=_TFt1wHSoJw&feature=related

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↑ こんな写真を見ると、私も小学3年生の時、昼食の時間になると、学校の東隣のため池へ担任のK先生に連れられ、土手で弁当を広げたのを思い出す。先生は近くの小枝をポキンと折って箸にしていた。弁当をすませると池の南側に広がる墓地でみんなとかくれんぼをした。ある日、鬼が近づいてきた時、先生は大きなスカートをぱあと広げ、すっぽり私にかぶせて隠してくれた。

 話を修学旅行のことに戻す。「オリーブの歌」は最初の一節は覚えていなかったが、その後の「みどり明るい・・・」以下は歌詞もメロディも、しっかり暗誦できる。それほど記憶に残っているのは、小豆島の島めぐりも終わりに近づいた時、バスガイドさんがぽろぽろ涙を流しながら、この歌を熱唱してくれた光景が忘れられないからだ。私には、あれほど一途な人の姿を見るのは生まれて初めてだった。いくつになっても、心底、純真な態度、振る舞いは人の心を打つものだ。私は小学生の時代、そういう先生に恵まれた。4年生の時は、週末、担任のY先生に汽車とバスを乗り継いで何度も植物採集に連れていってもらった。
 年を経るごとに、そしてあの小豆島の修学旅行のバスの中で聴いた「オリーブの歌」を聴くたびに、小学生時代の恩師と級友のことを懐かしく思い出す。

 小豆島町の人口は、1947年の33,328人をピークに減少が続き、2010年の国勢調査では16,152人まで減少したとのこと。町では、島内の空き家情報を提供するなどして、移住を呼びかけている。

 3日前、連れ合いに「もういちど行ってみたい」と声をかけると、「いいよ。一度もいっていないから」という返事だった。

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春の上野公園界隈を歩く

 「東京新聞」に同じ猫?の写真が
 昨日(4月8日)の「東京新聞」の26面を見てびっくりした。「ニャンパスライフ満喫~東大の自由気ままな猫たち」という大見出しの記事に載った、車のうえで寝そべる猫の写真が目に飛び込んできたからだ。
 
45日の昼休み、研究室から降りて三四郎池に向かって歩いていたら、1人の女性が駐車中の車の屋根に携帯電話のカメラを向けていた。近づくと一匹の猫が人の気配など無視するかのように足を投げ出して寝そべっていた。急いでシャッターを押したのが、このブログのひとつ前の記事に載せた写真である。もっとアップで撮れたらと後で思うが。いずれにしても、「東京新聞」に載った写真は場所といい格好といい、同じ猫に間違いなさそうだ。

 「あゝ上野駅」
 先日、陽気に誘われて久しぶりに京成上野で降りた。桜の季節の上野公園を歩くのが目的だが、その前にJR上野駅の広小路口近くにある「あゝ上野駅」の歌碑を見ることにした。何度もそばを通ったが気がつかなかったようだ。近くで見ると、平成152003)年76日、設立というから、井沢八郎が亡くなる2年半前に建てられたわけである。歌碑を見にいこうと思い立ったのは今年の1月、ある新聞で井沢八郎の二周忌を記念して美代子夫人が『素顔の井沢八郎とともに』(文芸社)を出版したのを知り、買い求めて読んだのがきっかけだ。スポーツ刈りの姿のせいか、享年70歳と知って驚いた。また、この本に序文を寄せた遠藤実氏もこの本の刊行を目前にした2008126日に他界された。「歌は世につれ」というが、「世につれない歌」が出回る昨今、「あゝ上野駅」は生活者が自然に口づさむ稀有な歌である。

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上野公園を経て不忍弁天堂へ

 その後、JR上野駅の公園口まで歩き上野公園に入った。入口近くにある東京文化会館前には都響メンバーによるティ-タイムコンサート(入場無料)の看板が立ち、その向いの国立西洋美術館の前には「ルーヴル美術館展~17世紀ヨーロッパ絵画」(614日まで)の大きな看板が掲げられていた。さらに進むと、東京都美術館で近く開かれる「日本の美術館名作展」(425日~75日)の予告の看板が立っていた。が、この日はすべて素通り。
 噴水池前の広場(交差点)を左に切ると満開の桜並木の道。両脇はビニールシートの上で宴会に興じるグル-プで賑わっていた。

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桜並木の大通りの途中、五條天神社に通じる石の坂道を下り、弁天堂を通って不忍池へ出た。池にはいつもながらユリカモメが群がり、道路を挟んだボート池では満開の桜の下でボートを漕ぐ人々で華やいだ情景。

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無縁坂

 上野公園を抜け、東大の龍岡門に向って無縁坂を上る。今は大手町経由の通勤だが、以前は京成上野で降りて不忍池に沿って歩き、水上音楽堂の脇を経て無縁坂を上るコースだった。無縁坂というと、「忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂 かみしめる様なささやかな 僕の母の人生」というさだまさしの歌ので知られているようだが(私自身はこの歌をあまり聴いたことがない)、坂の上に無縁寺があったことに由来するという。坂の途中にある講安寺にも無縁寺という庵がある。
 知る人ぞ知るだが、無縁坂は鴎外の「鴈」の中で岡田青年の散策道として登場する。

 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が決まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。」

 鴎外というと、私は『青年』の中に出てくる次の一節に魅かれ、自著『会計学講義』(第3版まで)の第3章のエピローグに掲載してきた。

 「いったい日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり付くと、その職業をなし遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先に生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に画した一線である。この線上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」(岩波文庫、6667ページ)

 経済学部では毎学期末に受講生から授業アンケートを回収する。私の担当科目の受講生のアンケートを読んでいくと、最後の自由記述欄に、上の一節を引いて感慨を書きとめる学生が数人いた。受験時代を駆け抜けた自分と重ね合わせたからだろうか。

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年越しの風景

 皆様、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 皆様はどのような年越しだったでしょうか?

 すぎもとまさと「吾亦紅」によせて
 私は大晦日は近くのマンションに住む姉のところで22時ごろまで一緒に紅白を見た。その中では、すぎもとまさとの「吾亦紅」(われもこう)の歌詞とそれを情感を込めて歌ったすぎもとさんの場面に惹かれた。バイオリンとのハーモニーのよさも熱唱を盛り上げたように思った。ただ、後で歌詞を活字で読み返すと、後半の母を慕う平板なセリフに興ざめを感じた。「マッチをすればおろしが吹く 線香がやけにつきにくい」というてらいのない、しかし意表をつく歌詞が後半までつながっていたら、と一人思いをした次第である。

 ゼミ生の卒論と向き合う日々
 さて、この時期は例年のことながらゼミナールの4年生の卒業論文の追い込みの期間である。今年も夏から一人ずつ、中間発表を2巡したが、年末年始は2稿目、3稿目が進行中である。今年のテーマは、
 *ストック・オプション会計
 *株式会社における剰余金の配当規制
 *環境負債の認識と測定
 *包括的長期為替予約の会計処理
 *国立大学法人会計
と多岐にわたる。
 正月休みの今はゼミ生からE・メールで原稿を受け取り、それに変更履歴付きでコメント・添削を返送する毎日である。教員のコメントに真険に応え、稿を改めるごとに内容が充実していく卒論を見届けると、打てば響くの責任の重さを感じる。
 学部に提出して終わりではなく、学生の意欲に報いるために、大学内外の多くの人々の目に留まるような卒論の公表、優れた作品の顕彰や雑誌への掲載など、もっと考慮されてよいと思う。私が担当するゼミではひとまず、ゼミのHPに完成論文を掲載したいと考えている。

 今年のブログの抱負

 昨年はNHK問題を取り上げた記事が多かった。政治介入の申し子ともいうべき経営委員長に加え、その経営委員長と親しい間柄の財界人が会長に就任するとあっては、NHKに対する視聴者の監視が一層重要になる。その意味では今年もNHKに関係した記事が多くなると予想される。

 ただ、それとともに、現在私が専攻分野で手掛けている会計の研究についても逐次、紹介したいと思っている。さしあたり、1月前半には、昨年12月22日に東大で開催した公会計シンポジウムの模様、特に、昨今「霞が関の埋蔵金」と通称されている特別会計の積立金の活用、不透明性の問題を取り上げたいと思っている。
 
 ↓ 元旦の日差しが注ぐ近くの公園内の池で遊ぶカモ
人目を意識したパフォーマンスなのか、それとも食べ物をねだ
るしぐさなのか、こちらへ近づいてきて何度も水面で羽根をばた
つかせ、しぶきを飛ばしていた。

Photo


↓ わが家の姉妹犬
視線の先は? → 台所でコーヒーを挽く私。姉妹ともどもコーヒー
を混ぜて温めた牛乳が大好物。
(後方は昨年1月に他界した姉犬、手前は9歳の妹犬)
Photo_2

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雑感 NHK「思い出のメロディ」を視て

感動とふるさとの押し売りは相変わらずだったが

 昨夜、NHK総合で「第39回 思い出のメロディ」が放送された。番組表で確かめていたわけではなく、夜7時のニュースを視たまま切らずにいると、この歌番組が始まったことから、今日が放送日と初めて知った。最初の3曲ほどがなじみの曲だったのにつられて、連れ合いと会話しながら最後まで視た。

 タイトルは「ありがとう青春の歌~心を支えた大切な一曲~」だった。友人と懐メロの話しをするとき、私は「演歌ではなく青春歌謡だ」と言い続けてきた。それにしても、番組を制作する側から、「ありがとう」とか「心を支えた」などと押し付けがましく命名されるのは気持よくない。何に感動するかは視る人それぞれの生い立ちや感受性によりけりだ。感動を押し付けるかのような司会者の振り付けは控え目にして、淡々と歌手に歌ってもらった方がすがすがしい。「ふるさとのありがたさ」を押し売りするあたりもNHKの変わらぬ体質だった。

 しかし、こんな不平不満を書き連ねると、それこそ独断の押し売りと言われかねないので、この記事ではなるべく淡白に視聴後の雑感を書き留めることにしたい。

歌手の歳月の歩みを彷彿とさせた曲

 昨夜の「思い出のメロディ」に限らず、最盛期から数十年経た歌手が同じ歌を歌う姿を視て、歌よりも、歌手自身の歳月の歩みに想いを誘われる場面が少なくない。22歳のとき、「若いふたり」というドドンパ調の歌が大ヒットした北原謙二が30年ほど経ったある日のテレビ画面に半身麻痺の姿で現れたときの驚き、その後に北原氏の病状、各地の医療施設を慰問して回っていることを知ったときの歳月の落差は今でも鮮かに記憶している。

 昨夜の「思い出のメロディ」で言うと、「柿の木坂の家」を歌った青木光一、「夜明けの停車場」を歌った石橋正次、「折鶴」を歌った千葉紘子などにその思いを感じさせられた。3人とも初出の頃と変わらぬ、否、それ以上に丹精込めた歌い方に歳月が刻んだ深みを感じさせられた。後で調べると、千葉紘子は現在までに法務省篤志面接委員を委嘱され、非行に走った女子の相談役を務めたり、青少年問題審議会、中央教育審議会委員など各種審議会委員を務めている。それを知ってテレビの画面を想い返すと、なるほどと納得してしまう。やたら、政府の審議会委員に名前を連ねる経歴からは、社会活動の中身が気になるが。

 3人の中で一番、年輪を感じさせたのはやはり最年長の青木光一だった。同氏の歌はどれもいまや「懐メロの中の懐メロ」の感があるが、全盛期と比べてスピードを落とし、その分、高低や強弱の付け方に気を使っている様子が画面からいやというほど伝わってきて、視る人と曲を大切にするプロの心にいつも打たれる。

曲と歌手のミスマッチ

 以上は同じ歌手が数十年の歳月を経て同じ曲を歌った場面についての雑感である。しかし、昨夜も、目下流行中の歌手数人が、自分がこの世にいないか、生まれて間もない頃に流行った歌を歌っていた。その中で、坂本冬美が歌った「一杯のコーヒーから」は本人の歌唱力にもよるが、古臭ささを感じさせない伸びやかな青春歌謡そのものだった。

 しかし、小林幸子が歌った「湖畔の宿」、氷川きよしが歌った「ああ上野駅」はいただけなかった。小林幸子の場合は明らかに曲と歌手のミスマッチ。この歌は元々映画俳優で歌手ではなかった高峰三枝子が素人っぽく歌った気取らない(連れ合い評)曲である。それをこぶしを利かせた演歌調で歌ったのでは清新さは台無しである。小林幸子に恨みはないが、昨日の顔ぶれでいえば、坂本冬美が歌えば元歌のよさを再現できた気がする。氷川きよしの「ああ上野駅」は、のっぺらぼうな歌い方で、曲を歌いこなせていなかった。井沢八郎が墓場で聴いたら「10年早い」と嘆いたのではないか。

「長崎の鐘」の出自へのこだわり

 番組の最後の曲は「長崎の鐘」だった。それまでにぎやかに番組を進行させていた司会者が襟を正して「原爆・・・・」と言い出したとき、私は思わず画面に向かって、「あの曲じゃないだろうね」とつぶやいた。あの曲とは「長崎の鐘」である。そして数秒後にやはり、この曲を秋川雅史が歌い出した。秋川のクラシック歌手しての歌唱力を云々する能力は私にはないが、それまで「流行歌手」の歌を聴いた後だけに、声量といい、発声力といい、この曲に似つかわしい歌手だと思えた。

 また、「長崎の鐘」を番組の最後に持ってきた制作者の思いも分かったつもりである。それでも私がこの歌に抵抗を感じたのは、この歌の原作とされる永井隆著『長崎の鐘』が刊行されたいきさつが、かの久間防衛大臣(当時)の「原爆仕方がない」発言とダブルからである。私のこだわりを簡潔に言うと、次の通りである。

 今年の春ごろ、あるきっかけで私は占領期にGHQが敷いた原爆被害の報道・言論に関する禁圧(プレス・コード)に関心を持ち始めた。そこで、いろいろ資料を調べていくうちに、横浜の日本通り駅そばにある放送ライブラリーに長崎放送が放送した原爆関連の番組が保存されていることを知り、出かけた。お目当ては2000年5月31日に長崎放送が放送した「報道特別番組 神と原爆~浦上カトリック被爆者の55年~」だった。最初はざっと流し視するつもりだったが視て行くにつれ、コマを止めてはノートを取る繰り返しになった。

「被爆者は神に差し出された小羊」!?

 そのわけは、原爆投下の直後、自らも被爆しながら、あちこちでもがき苦しむ多くの被爆者の看護に当たった長崎医科大学教員、永井隆作の『長崎の鐘』がGHQによる言論・出版統制をくぐりぬけて刊行されたいきさつが赤裸々に描写されていたからである。中でも衝撃的だったのは、この本の出版を許可すべきかどうかについて、GHQ内で賛否が分かれ、本国の判断を仰いだこと、その結果、アメリカ本国の判断で、フィリピンで日本軍が多数のキリスト教徒を殺害した蛮行を記した連合軍総司令部諜報課著「マニラの悲劇」を合本することを条件に出版が許可されたことだった。そればかりか、この条件を受け入れて出版する場合は、3万部分の用紙をアメリカ側が提供するという申出まで付けられた。

 問題は、なぜアメリカ側が『長崎の鐘』に異例とも思える厚遇を申し出たのかである。上記の長崎放送の番組によると、そのわけは永井隆が『長崎の鐘』の中で原爆を「神の摂理」、地震、津波といった天災(catastrohe as earthquakes, tidal waves)かのように描いているからだった。これなら、原爆投下に対する日本人の反感を打ち消すことができる、とアメリカは考えたという。

 帰宅後、資料を調べていくと、永井隆は原爆投下の同じ年の11月23日に行われた天主公教合同葬で天主公教浦上信徒代表として読み上げた弔辞の中で、天皇による「終戦の聖断」が聖母の被昇天の大祝日に下されたことは単なる偶然ではなく、「天主の妙なる摂理」であると解釈し、被爆者は神に差し出された「汚れなき小羊」であると謳いあげていたことを知った(長崎総合科学大学教授の高橋真司氏は著書『長崎にあって哲学するーー核時代の死と生』1994年、北樹出版、の中でこうした永井隆の論説を「浦上燔祭説」と呼び、厳しく批判している)。原爆投下に対する日本人の批判・反感の広がりを恐れたアメリカが永井隆『長崎の鐘』に高い利用価値を見出したゆえんであろう。

 歌としての「長崎の鐘」はこうした歴史的背景とは無関係に今後も原爆の悲しみを静かに歌い上げた名曲として愛唱され続けるのかもしれない。しかし、歌詞に即していっても被爆者が経験した辛酸を「うねりの波の人の世に気高く生きる野の花よ」と、つつましく生きる人の姿を礼賛するかのように昇華したのでは原爆体験を刻む歌には、およそ不似合いではないか? 

 先の参議院選挙の長崎選挙区では、原爆投下を「仕方がない」と発言した久間前防衛大臣が推した候補が下馬評に反して落選した。今や、「祈りの長崎」の市民も祈りだけで平和と核のない世界は到来しないことを悟った証しであろう。そういえば、上記の長崎放送の番組は最後のシーンで、「原爆は神の摂理などではない」と悟り、原爆語り部に参加していったカトリック教徒Kさんの姿を紹介していた。「長崎の鐘」が原作とは離れて、市民が主体的に平和に関わっていく意思を込めた歌として愛唱されることを願いたい。  

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