2008年3月30日 (日)

映画「犬と私の10の約束」を観て考えたこと

 先日、近くのシネマ・ホールで松竹映画「犬と私の10の約束」を観てきた。NHK総合18時10分からの「首都圏ネットワーク」で紹介されているのを見たのがきっかけだった。映像の予告編であらすじをご覧いただくのが早いと思うので、ネットで知ったURLを貼り付けておく。
 http://www.inu10.jp/trailer/index.html

あらすじ
 両親と娘の3人家族の斎藤家が庭に迷い込んだ子犬のゴールデン・レトリバ-を飼い始めたことから物語は始まる。母親芙美子(高島礼子)が体調の急変で入院した病院へ子犬を連れて出かけ、家で飼いたいと言い出した娘のあかり(福田麻由子→田中麗奈)に向かって芙美子は「犬との10の約束」(ルーツはインターネットで広まった作者不詳の短編詩「犬の十戒」とのこと)を教える。
 
 子犬は前足の片方が靴下を履いたように白いことから「ソックス」と名付けられた。しかし、新しい家族を迎えた生活も束の間、母親はまもなく他界する。そのショックであかりは首が回らなくなるが、それを癒し治してくれたのは母親の形見のソックスだった。その後、父娘の2人暮らしが続いた。その間、大学病院に勤める父親祐市(豊川悦司)は仕事に多忙を極め、遅い帰宅が続く。あかりはそれに不満をもらしながらも、同級生でギタリストを目指す星進(佐藤翔太→加瀬亮)との楽しい語らいの時間を過ごした。しかし、その進は両親の強い勧めでロンドンへ留学に旅立つことになった。この別れを機に二人の間には強いきずなが芽生えた。ある日、街角で見かけた演奏会のポスターで進が帰国していたのを知ったあかりは進との再会を果たし、結婚へとストーリーは進行する。このあたりはありふれた展開である。

 話しは前後するが、父親の祐市はあかりと一緒の時間を増やしたいと大学病院を辞して開業医として再スタートする。しかし、それとすれ違うかのように、大学の獣医学部を卒業したあかりは旭川の動物園に就職し、獣医の仕事を始める。そして、今度は動物の世話に追われるあかりの方が帰省もままならず、帰宅した時も仕事のストレスからソックスを邪険にするようになる。しかし、ソックスの方はそんなあかりに対し、これまでと変わらないひたむきなまなざしを向ける。そんなある日、あかりの携帯電話に父親からソックス危篤の連絡が入る。仕事のために旭川にとどまろうとするあかりに対して上司の中野(ピエール瀧)は強い口調で帰宅を悟した。実家に駆けつけたあかりは居間に横たわったソックスを父親ととともに看取るのである。

犬との10の約束
 さて、母親があかりに教えた犬との10の約束とは次のとおりである。
 1.私と気長につきあってください。
 2.私を信じてください。それだけで私は幸せです。
 3.私にも心があることを忘れないでください。
 4.言うことを聞かないときは、理由があります。
 5.私にたくさん話しかけてください。人の言葉は話せ  ないけど、わかっています。
 6.私をたたかないで。本気になったら私の方が強いこ  とを忘れないで。
 7.私が年を取っても、仲良くしてください。
 8.あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私に  はあなたしかいません。
 9.私は10年くらいしか生きられません。だから、でき  るだけ私と一緒にいてください。
 10.私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。  そして、どうか覚えていてください。私がずっとあな  たを愛していたことを。

犬への過剰で身勝手な感情移入の戒め
 上のあらすじからわかるように、この映画のストーリーはいたって平凡であり、安直さを覚える場面も少なくないが、ホームドラマと思えば、自然なことなのだろう。だから、私自身、犬との長いつきあいがなければ、さらに、今、わが家にいる犬(ウメ)も前足の両方がソックスどころか、「ストッキングを履いているみたい」と通りがかりの人に何度か言われた体験がなければ、この映画に関心を持たなかっただろう。

 しかし、それでも、この映画を見た多くの愛犬家は自分と犬の関わり方、自分にとっての犬の存在の大きさを改めて考えさせられたのではないか?
 犬がかくも人間と親密な間柄になれた理由は何かと考えると、それは、自分に対する人間の接し方がどう変わっても、犬は変わらぬまなざしで人間と接してくれるという安心感ないしは犬は人間と違って自分を裏切らないという深い信頼を犬に寄せるからではないか? 言い換えると、犬と人間の深い絆は、人間と人間の絆の希薄さ、はかなさの裏返しといえなくはない。そうだとすると、いつか人間は、人間という大きな身体の小心な動物から身勝手な精神的扶養を求められる犬から疎まれる日が来ないとも限らない。あるいは、今現在、犬から、<自分に依りかかってばかりいないで、人間同士の絆を回復するよう努めてはどうか>と諭されているのかも知れない。犬への過剰な感情移入を戒めながら、犬と静かに意思を通い合わせることができる共生の関係をどのように築けばよいのか――そんなことを感じさせられた映画だった。

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2008年2月21日 (木)

衛星映画評「ジュリア」――反戦の知性に裏打ちされた2人の女優の演技に魅せられる作品――

作品紹介
 昨夜220日)21時~2259分、BS2衛星映画劇場で放送されたアカデミー受賞作品特集「ジュリア」を観た。原作リリアン・ヘルマン、監督フレッド・ジンネマンの1977年作の知る人ぞ知る作品である。原作者のユダヤ人劇作家ヘルマンの回顧録を映画化したものといわれ、彼女の人生に大きな影響を与えた2人の人物――幼馴染のジュリアと恋人のハードボイルド作家ダシール・ハメット――との交友と愛情が展開していく。特に、アメリカの大富豪の娘として生まれながら、当時ベルリンで反ナチスの運動に身を投じたジュリアとの再会と別離の息の詰まるようなシーンが圧巻だった。以下では、ナチス統治下のベルリンで反ナチス運動を続けるジュリア(ヴァネッサ・レッドグレーブ)の下へジェーン・フォンダ扮する主人公が活動資金を携えて出向く場面を中心に紹介しておきたい。

反ナチ運動の資金の運び役を引き受けた主人公
 主人公がモスクワ演劇祭に招かれてパリに滞在中に、ジュリアからの言伝を携えたヨハンと名乗る男が主人公に近づき、5万ドルをベルリンに居るジュリアのもとへ運ぶ役を引き受けてくれないかと持ちかける。ベルリン経由でモスクワに行くことにして、途中、下車してもらえないかというのである。
 宿泊のホテルでヨハンと朝食をとった後、二人はホテルの向かいのチェルリー公園のベンチに腰をかけてベルリン行きの話をする。(以下、不正確な箇所があるかも知れない。)

「わたしたちのために、ベルリンまで5万ドルを運んでいただけませんか? 獄中にいる仲間を釈放させるための賄賂として使うのです。私たちはナチに抵抗するグループです。特定のイデオロギーも宗教もありません。カトリック教徒、共産主義者など思想はさまざまです。ただし、よく考えてけっして無理はしないでください。たぶん大丈夫だとは思いますが。」

 「ちょっと飲みものをとりませんか?」

 「いえ、もう一度言います。心配はないと思いますが、よく考えて無理はしないでください。」

 「ちょっと考える時間をください。2、3時間ほど」

 「あまり突き詰めて考えない方がいいですよ。それでは明日の朝、北駅のホームにいます。決心がついたら、とおりすがりにハローと言ってください。もしお引き受けにならないなら、わたしの前を通り過ぎてください。」

 次の日、制止も聞き入れず見送りについてきた友人といっしょに北駅のホームに着くと、あの男がこちらへ近づいてきた。主人公はどうにか友人を振り切ると、目の前を通り過ぎた男の背後から、大声で叫んだ。

 「ミスター・ヨハン、ハロー、ミスター・ヨハン」

ヨハンは向き直ってしばらくこちらを見つめた後、近づいて来た。

「ポーランドに発つ甥がこの列車に乗車します。2等の4号車です。」

 乗車して通路を進むと、まもなくスーツケースと箱をふたつ持った青年と行き会った。すると青年はこう話しかけてきた。

 「わたしは2等の4号車です。これはジュリアからのお誕生日プレゼントです。」

 箱の中には丈の長い帽子と、「この帽子をかぶるように」というメモが入っていた。

ジュリアとの再会、そして・・・
 その後、車中での手荷物検査、検問所でのパスポートチェックを無事通過して、なんとかベルリン着。その間、主人公のそばには次々と見知らぬ男女が寄り添い、リレー式に彼女の道案内をした。そして、ベルリン駅に下車した主人公は言われるままに駅近くのレストランに入ると、テーブルに座ったジュリアの姿が目に飛び込んだ。

 テーブルに向き合って言葉を交わして間もなく、ジュリアはテーブルの下の足を指して「義足なの」と告げた。傍らには二本の松葉杖が置かれていた。二人は再会を喜び合う間もなく、平静を装いながら短い食事をとると、ジュリアは立ち上がって化粧室に入り、しばらくして笑顔で戻ってきた。

 ジュリアは無事、資金を受け取ったことを告げると、なおも話しかける主人公を突き放すように、早くここを離れるようにせかす。こうしてジュリアと別れた主人公はワルシャワ行きの列車に乗り込んだ。

 しかし、主人公とジュリアの出会いはこれが最後となった。 1938523日、パリへ戻った主人公の下へロンドンから電報が届いた。ジュリアが殺害されたことを伝える電報だった。

 2人の女優の見事な演技とそれを裏付けた実践活動
 ドイツ軍占領下のワルシャワでユダヤ人の殺戮を平然と続けるナチス兵士の残忍な行為を容赦なく描いた「戦場のピアニスト」を自宅の近くのシネマホールで見た時のことを思い出した。「ジュリア」には、あの映画の中の椅子に座ったユダヤ人老女を椅子丸ごと窓から投げだすような残酷なシーンこそなかったが、息をつめて見入る場面の連続であった。

 生死と背中合わせの状況に立たされた人間は周りの人間への疑心暗鬼を余儀なくされる。しかし、主人公を演じるジェーン・フォンダとジュリアを演じるレッドグレーブの感情を抑え平静を保つ、息の詰まるような知性がにじみ出た演技は圧巻だった。これは役回りに徹する女優としての力量もさることながら、反ナチズム、反戦に共鳴した彼女らの実生活における思想信条の裏打ちがあればこそ役柄に徹し切れたのではないかと思えた。

 事実、ジェーン・フォンダはベトナム反戦運動に身を投じた闘士として知られている。また、ジュリア役のレッドグレーブはこの映画での演技でアカデミー賞助演女優賞を受賞したが、授賞式のスピーチが政治的であったということで物議をかもした。

赤狩りの非米活動調査委員会でも友人を売り渡さなかったヘルマン
 1950年代のアメリカを席巻した「赤狩り」(共産主義思想の弾圧・排除)は映画人も例外ではなかった。下院に設けられた「非米活動調査委員会」に召喚された映画人の多くは自らの保身のために次々と友人の名前を挙げ、弾圧に加担していった。
 そんな中、1952
5月、委員会へ召喚され、共産党に参加した友人の名前を挙げるよう求められたヘルマンは、あらかじめ用意した次のような文書を読み上げた。

 「自分を救うために長年の知己である無実の人たちを傷つけるのは非人間的で品位に欠ける不名誉なことです。私は政治的な人間ではなく、いかなる政治的団体に身を置いたこともありません。しかし、私は昨今の流行に順応して良心を裁断するようなことはしたくありません。」

 このような証言によってヘルマンは監獄にこそ送られなかったが、以後、ハリウッドの世界のブラックリストに載せられ、長きにわたって仕事から排除された。彼女の生涯については、様々な負の部分を指摘する議論もある。しかし、あの全米を覆ったマッカーシズムに敢然と立ち向かい、堂々と良心を貫いた強靭な理性の劇作家が存在したことはアメリカ映画界の輝かしい記念碑と言ってよい。「ジュリア」はそのような作者の知性を静かに、しかし、確実に視聴者に伝える作品であった。

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