2008年3月26日 (水)

新銀行東京への追加出資 PartⅡ:      まやかしの付帯決議は石原都政に追随する免罪符にならない


採決を目前に控えて

 新銀行東京への追加出資案は今日、都議会の予算特別委員会で採決される。各紙の世論調査によると、都民
7割以上が追加出資に反対している。それでも都議会与党の自民・公明両党は賛成する意向と伝えられている。その際、両党は、
 1
400億円が毀損されないよう、再建計画に基づいて全  力を挙げる。
 2.外部委員による監視組織を整備する。
 3.再度の追加出資は認めない。
などを盛り込んだ付帯決議を付けて、無条件の賛成ではないことをアピールする準備を進めているという。しかし、このような決議を付けても追加出資に賛成するアリバイづくりにはならない。以下は、そう考える理由の説明である。

280
億円は損失補てんのために取り崩すことを織り込み済み

 本年3月に都産業労働局が都議会経済・港湾委員会の要求に応じて提出した資料の中の「追加出資400億円の考え方」と題する資料によると、今回の追加出資は、「新BIS規制〔自己資本比率規制のこと――醍醐〕により、従来の自己資本比率確保に加え、貸倒引当金ではカバーできない将来発生の可能性がある損失を自己資本で手当」するためと記され、400億円を次のようなリスクへの備えとして割り当てるとしている。

 1.貸出金が回収できなくなるリスク、保有資産に損失が  生じるリスク等々への備え 280億円
 2.銀行における最低所要自己資本比率を確保するため    80億円
 3.その他(中小企業のニーズにきめ細かに対応するため  の資本、災害発生等のリスクに対応するための資本)  40億円

 このうち、80億円は自己資本比率規制(国内業務行の場合は4%)をクリアするために必要な自己資本という意味でひとまず別にするとして、再建計画では400億円のうち280億円は貸倒損失や保有する有価証券の値下がり損失の補てんのために取り崩すことを織り込み済みなのである。もちろん、この場合の損失は予想の潜在的な損失であって、確定した損失ではない。しかし、20079月末の中間決算の段階でいうと、新銀行東京には次のとおり、金融再生法で不良債権に分類される債権(破産更生債権、危険債権)のうち担保・保証等で保全もされず、貸倒引当金でカバーもされていないものが約102億円存在する。また、保有する有価証券には約20億円の評価損(値下がり損)が発生している。

   表1 新銀行東京の不良債権の保全状況
     (20079月末現在)
             (単位:百万円・%)
  不良債権(A)          29,066
  担保・保証等による保全額(B)      538
  貸倒引当金(C)         18,310
     
非保全額(A-B-C)                  10,217
   保全率(B+C)/A        64.85%

 このように、再建計画の想定どおりに経営が進捗したとしても、すでに追加出資額280億円のうちの120億円前後は不良債権の貸倒損失や保有する有価証券の値下がり損失を補てんするために毀損される可能性が生じているのである。こうした現実を直視せず、「400億円が毀損されないよう、再建計画に基づいて全力を挙げる」と決議しても<おまじない>にしかならない。

新銀行東京は貸し手を選別できる銀行ではなく、借り手に選別される銀行

 では付帯決議案の二つ目の<外部委員による監視組織の整備>はどうか? ここでの監視組織とは新銀行東京のさんな与信審査体制の改善が目的のようである。その理由として新銀行東京の経営破たんは甘い、ずさんな貸出審査にあったという指摘が多い。しかし、新銀行東京はその出自からして、厳格な審査体制の整備という一般論が通じる銀行ではなかったことを認識することが重要である。その理由は新銀行東京の預貸金の利子構造の特異性にある。後発の新銀行東京は預金獲得のために開業以来4回にわたる預金キャンペーンを実施し、民間銀行の利率を大幅に上回る利率を付けていた。たとえば、20065月から9月にかけて5年定期で1.7%、3年定期で1.5%の利率で預金を集めた。これは当時の国内行の56年物の定期預金の平均金利0.510.79%と比べて破格の水準であった。今年1月末の預金残高4,000億円のうちの約1,250億円はこうした破格の水準の利率が付いた定期預金だった。

 ちなみに、新銀行東京の預金債券等利回りを地方銀行のそれと比較すると次のとおり、同行の利回りが地方銀行より4倍かそれ以上、高かったことがわかる。

  表2 新銀行東京と地方銀行の預金債券利回り
     の比較(%)

        2004  2005  2006  2007中間
 地方銀行           0.04     0.03     0.11       0.25
 地方銀行Ⅱ       0.07     0.07     0.14       0.28
 新銀行東京       0.55     0.68     1.03       1.12
(出所)地方銀行は『全国銀行財務諸表分析』各
       年版、
新銀行東京は各期決算説明資料

 そうなると、順ざやを保ちつつ所要の経費や信用リスク分を上乗せして決まる新銀行東京の貸出金利は他行と比べ、割高にならざるを得ない。それなら、信用リスクが低い優良な事業者は割高な利率の新銀行東京の融資を受けるよりも、自己の相対的に低い信用リスクに見合った利率で融資に応じてくれる他行の貸出を選ぶことになる。新銀行東京の預貸率が38%前後と異常に低いのは、融資先を確保するのに四苦八苦する同行の実態を物語っている。逆に、それでも、新銀行東京から融資を受ける事業者は他の金融機関からは融資を受けられない信用リスクの高い顧客になってしまい、どうしても貸倒れ率が高くなる。

 このことは、新銀行東京が貸し手を選別できる銀行ではなく、借り手に選別される銀行であったことを意味している。かといって、新銀行東京が融資にあたって審査を厳しくすると、貸倒損失を引き下げる効果はあっても、借り手がさらに狭まり、融資実績はいっそう細る結果になる。同行が審査体制を問題にする以前に、借り手に選別される銀行であったとみなすゆえんである。

付帯決議は免罪符にならない

 以上のような検討結果から、都議会与党(自民党、公明党)が新銀行東京への
400億円の追加出資案に賛成する条件として準備している付帯決議案は追加融資の毀損を防ぐ手段としても、新銀行東京の再建を図る手段としても無力同然の便法と言って差し支えない。これでは、無謀な追加出資の免罪符にならないことを両党は思い知るべきである。また、東京都民はこうしたまやかしの付帯決議で無謀な石原都政への追随を糊塗しようとする都議会議員の行動を鋭く見極める必要がある。

融資の引き継ぎ先の確保・あっせん
――石原都政に求められる真の責任――


 新銀行東京の支配株主でもある石原都政に今、真に求められるのは死に体の銀行を公金を投入して延命させることではなく、新銀行東京の債権・債務を丁寧に仕訳して清算を進めながら、引き続き、融資を必要とする中小企業等について、現在の融資残高を都の制度融資に切り替える、あるいは民間金融機関の融資へとスムーズに移行できるよう、あっせん等を責任を持って完遂することである。

| | コメント (4)

2008年3月23日 (日)

新銀行東京への追加出資:           可決が一蓮托生なら責任も一蓮托生で

見苦しく、あさましい石原都知事の自己保身
 新銀行東京に対する400億円の追加出資を盛り込んだ都の補正予算案の採決が目前に迫っている。今回の追加出資について私はこのブログの2つ前の記事で、無謀無益な公金の浪費だと書いた。しかし、伝えられるところでは都議会の議席の過半を占める与党(自民、公明両党議員)は追加出資案に賛成する意向という。
 ならば、今回の400億円の追加出資が、すでに出資された1,000億円もろとも毀損したとき、誰が損害賠償責任を負うのか? 事態がここまで来た今、後々の責任の取り方を見据えた議論なり住民の監視なりが必要である。

 新銀行東京は石原知事自らが選挙公約に掲げて設立し、東京都が84%の出資をしている事実上の都の公設銀行である。また、設立当時、石原都知事は返済リスクが高い中小企業向け融資を無担保・無保証で行う銀行を立ち上げること自体に反対する周りの意見を聞き入れず、独断専決で同行を設立したとの証言も出ている。にもかかわらず、このところ石原都知事は新銀行東京の経営破たんの責任を旧経営陣に、あげくはその経営陣を自分に推薦した経団連幹部に転嫁するなど、自己保身に汲汲としている。その姿は実に見苦しく、あさましい。また、これに呼応するかのように新銀行東京の現経営陣はもっぱら旧経営陣に対し、損害賠償の訴えを起こす準備をしているという。
 しかし、損害賠償というなら、誰よりも石原知事自身の責任を問うのが先決であるが、追加出資が都議会で可決されるとなれば、議案に賛成した議員の議決責任を不問にして済むのか?

議会で議決されたことを理由に市長を無罪にした判決
 
1990年に下関市が姉妹都市、釜山と下関間に高速船を就航させるために第三セクターとして設立した日韓高速船株式会社(以下、「日韓高速船」という)が開業当初からの業績不振で1年半後に運休した。これに伴って、下関市は市議会による補正予算の可決を得て1994年に日韓高速船が傭船契約の中途解除のために必要とした解決金相当額46,500万円(第1補助金)と、同社が地銀、信金から借り入れた融資残高相当額38,000万円(第2補助金)を同社に交付した。これに対して下関市民グループがこれら2の補助金は地方自治法232条の2定められた「公益上必要ある場合」に該当しない違法な公金支出にあたるとし、住民監査請求の棄却を経て当時の下関市長を相手に支出相当額に金利分を加算した金額を市に払うよう求める住民訴訟を起こした。

 第1審判決(山口地判
平成1069日)と2審判決は、範囲は異なるが訴えを認め、下関市長に補助金の損害賠償を求めた。しかし、最高裁第1小法廷判決(平成171110日)は、本件補助金交付は、その支出の当否につき市議会において審議の上で可決されたものであることを理由の一つに挙げて、市長には裁量権の逸脱または濫用があったと断定するほどに不合理なものとはいえないとして原審を破棄し、住民らの請求を棄却した。
 もっとも、この多数意見に対して、裁判長の才口千晴氏は、補助金交付について市長は、①納税者たる市民の負担増加に思いを致し、政治的判断を優先させることなく、これを無益な補助金であるとして議会に提出しないか、予算執行を避けるなどの決断をして経費の支出を必要最小限度にとどめる義務があった、②補正予算として議会の承認を経ていたとしても、裁判所が公益上の必要性の有無について独自に判断することを妨げるものではないという少数意見を述べた。

免責特権は議会に対する王権の介入を排除するために生まれたもの
 確かに議会の議決を経て行われた補助金の交付や損失補償の履行などについて、首長個人の責任だけを問うことには私も納得できない。しかし、それは最高裁多数意見のように首長の損害賠償責任を無に帰すという趣旨ではなく、被告適格(損害賠償の責任主体としての適格性)の拡張という形で解決を図るべきだというのが私見である。

 最近、行政訴訟では「原告適格」のハードルを下げる見直しが検討され、
2004の行政事件訴訟法改正にあたって、裁判所は法律上の利益の有無(原告適格性)を判断するにあたっては法令の文言のみでなく、法令の趣旨、目的を考慮するよう定めた9が新設された。しかし、原告適格のハードルの引き下げが強調されたのに対して、被告適格の範囲については、これまでほとんど議論がされてこなかった。

 改めて説明すると、「被告適格」とは訴訟上の原告適格と対をなす当事者適格のことをいう。「当事者適格」とは、ある者を訴訟上の当事者から除くことによって、紛争の有効で妥当な解決の妨げになるのかどうか、裁判の効率化に役立つのかどうかに照らして、特定の者が訴訟当事者(原告または被告)として適格かどうかを判断することをいう。そして、その下にある「被告適格」とは、原告に法的利益を得させる上で被告とすることが必要と判断された者のことをいう。先の日韓高速船補助金交付事件のような場合は被告を行政組織(の長)に限るのか、それとも予算案の議決に加わった議員も被告にすべきかどうかが問題になる。

 行政訴訟という以上、訴えの相手を行政(の長)に限るのは当然のことと考えられてきた。特に、議会内での議員の発言は院外で刑事上、民事上の訴追を受けないという議員の免責特権は、議員を相手どった院外からの刑事・民事の訴訟から議員を守る盾として大きな威力を発揮してきた。わが国では、憲法
51条で、議会内での議員の言動は議会外で責任を問われないという免責特権が与えられている。そして、この場合の「発言」は、意見の表明だけでなく、賛否の表決も含むとされ、民事上の責任とは院内の発言に起因する被害者への損害賠償責任を指すと考えられてきた。

 しかし、明文上、地方議会議員には同様の免責特権は与えられていない。そもそも、1689年のイギリスの権利章典第5項第9号に起源を持つといわれる議員の免責特権は、議会での法案提出や発言を理由として、しばしば議員が国王から刑事上の訴追を受け、投獄されたという事件を踏まえて、国王からの議会の自律を確保するために生まれた制度である。そのため、フランスではすでに18世紀末から、対市民との関係で議員免責特権をどう捉えるべきかが活発に議論され、議員の独立性を強調することが自らの義務からの独立になってしまうのを警告する議論が現れた。また、「人民に敬礼」という名のもとに、対住民との関係では議員免責特権を否定する意見も見受けられた

 以上、免責特権の沿革については次の文献を参照
1
土橋友四郎「国会議員の特権――比較法的考察――」  『専修大学論集』19571
2
新井誠「フランス憲法学における議員免責特権――その  歴史的・理論的位置付けについて――」『法学政治学論  究』慶応義塾大学、19996

無謀な公金支出に賛成した議員も被告席に
 このような沿革を持つ議員の免責特権を住民からの訴追の盾にするのは時代錯誤である。むしろ、今回の都の追加出資のように、無謀な浪費で終わることを十分予見できる公金の支出は、それを提案した首長のみならず、その提案の可決に加わった議員も住民から損害賠償責任の訴追を受ける被告適格者とすることを避けて通れない。それによって初めて、行政に対する議会の監視を実効あるものとし、財政規律の維持、向上に議会が十分な機能を果たすことを期待できるのである。

| | コメント (0)

2007年7月12日 (木)

不公平な政見報道に対する抗議と予防的申し入れ

 1ヶ月近く更新が滞ってしまったが、この間、掲載したい題材は山積している。取り急ぎ、私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が「NHK問題を考える会(兵庫)」と連名で、今日(7月11日)、不公平な政見放送を行った民放3局宛てに送った抗議声明を掲載する。このほか、当会と兵庫の会は、同日、他の報道機関(NHK、全国紙、民放各社)にも政治的に公平な報道を求める申し入れ書を送った。

 なお、民放3局に対する抗議の文書の末尾に記しているように、3局が当会の要求に応じない場合は、BRC(報道と人権等権利に関する委員会)に苦情の申し立てをする予定である。

 下記の文書の後に、私のコメントを掲載したので、併せてご笑覧いただけるとありがたい。

****************************************************

                           2007年7月11日

    放送法第3条に反した報道に対する緊急抗議声明

 日本テレビ 御中
 ラジオ日本 御中
 テレビ東京 御中

                      NHK問題を考える会(兵庫)
              NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ

 日本テレビ、ラジオ日本、テレビ東京の各局は、7月5日から6日にかけて、自由民主党総裁である安倍晋三首相のみを生出演させ、その主張を自由に述べさせました。参議院議員選挙という民主主義の根幹をなす選挙を目前に控えたこの時期になされた本報道が国内放送の編集等について、放送事業者に対して課した規定「放送法第3条の二第1項 二 政治的に公平であること」に違反し、一党に偏したものであることは明白であり、当会はここに強く抗議します。

 そもそも、放送メディアが、数千万の市民に、同時一斉に言論・情報を提供する媒体の独占・寡占を許すのは、放送法に従った報道の遵守が確約されているからです。本件は上記3局がこうした放送メディアの使命を没却した蛮行であり、とうてい認めることは出来ません。直ちに自由民主党以外の政党に謝罪すると共に、各政党の党首を生出演させ、同様の意見表明の場を提供するよう要求します。

 なお本件は、「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」が定めた「公平・公正を書いた放送により著しい不利益を被った」に相当する報道と判断し、当会の要求が受け入れられなかった場合は同委員会に苦情申立をいたします。

***********************************************

(コメント)

 そもそも「言論の公共空間」としての公共放送・メディアの根幹的使命は、市民が政治・社会のあり方を思索し、有権者として事情に通じた意思決定をするのに必要な知見を提供すること、異なる意見が交わる場を提供し、思考の可塑性を保つのに貢献する点にある。

 いわゆる「従軍慰安婦」問題や第二次大戦末期の沖縄での集団「自決」強要問題などを歴史教科書から抹消しようとするわが国政府の策動や、プレスコードによって原爆被害の実態を伝えることを禁じた占領期のアメリカ当局の出版・報道統制は、市民が世代を超えて歴史認識を継承・共有し、連帯するのを寸断しようとする野蛮な行為にほかならない。

 「押し付け憲法」論や「戦後レジームからの脱却」などという一部の政治家の戯言も、歴史認識の世代間分断を図り、それを拠り所にして、主権者たる市民を「自分の思い」に沿う方向に誘導するための傲慢で悪質な政治的レトリックといわなければならない。

 むしろ、市民が国境と世代を超えて、戦争と平和の歴史、現代の政治・経済・社会等をめぐる根幹的な事実を共有しあい、異質な思考と交わる機会を保ってこそ、各人の思考の固定化(少数派が陥りがちな引き籠もり的独善主義も含め)を防ぎ、理性を共通の基盤にした対話を成り立たせることができるのである。

 その結果、今日の少数説が明日は多数説に入れ替わる可能性も担保し、多数説と少数説が互いに切磋琢磨して社会全体の理性の水準を底上げするーーこうした民主主義の成熟に寄与するところに、不特定多数の市民に同時一斉に言論・情報を提供できる媒体の寡占を許されたメディアの使命があることを、報道と言論に携わる関係者は銘記すべきである。

 上記のような特定の政党を引き立てる偏向した報道のみならず、有権者の「関心」に応えるという標榜の下に、「政権交代」が国政選挙の焦点かのように描き、2大政党・党首の動静を別格扱いする報道にも、上記のようなメディアの使命に照らして、厳しい批判の目を注ぐ必要がある。

| | コメント (0)

2007年6月 8日 (金)

全国紙4社と菅野俊秀氏に対して公開質問書を発送――NHK経営委員長「内定」報道をめぐって――

 このブログの直近の3つの記事で取り上げたNHK経営委員長の「内定」報道について、本日、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ、NHK問題を考える会(兵庫)、メディアの危機を訴える市民ネットワーク事務局の三者連名で、朝日新聞社、読売新聞社、毎日新聞社、日本経新聞社の4社と、この問題に関してコラムを執筆した(5月25日の朝日新聞朝刊に掲載。その内容はこのブログの前回の記事に収録)菅野俊秀氏宛に公開質問書を発送した。6月20日までに文書による回答を要請している。

 これら5つの質問書は、引用した記事の原文の表現上の違いを別にすると、ほほ同じ内容なので、ここでは朝日新聞社宛の質問書の全文を掲載することにしたい。その他の質問書はURLを貼り付けることにする。

    *********************************************

                           2007年6月8日
朝日新聞社 御中

  NHK経営委員長の人事をめぐる貴社の報道についての
               公開質問書

 時下、貴社におかれましてはご清祥のことと存じます。
 さる5月18日の貴紙朝刊1面に、「新経営委員長に古森氏 NHK経営委 富士フィルム社長」という見出しの記事が掲載され、その中で次のように記されています。

  「政府は17日、NHK経営委員会の新しい委員長に富士フィルムホールディングスの古森重隆社長(67)を起用する方針を固めた。今国会で経営委員に就くことに同意を得られれば、6月にも正式に就任する。」「17日午後の安倍首相と菅総務相の会談で内定した。」「NHKの経営委員は、国会の同意を得て首相の任命で決まる。委員長は12人の委員が互選する。」

 私たちは、この記事には、NHK経営委員長の選出をめぐる報道のあり方について、さらに、NHK経営委員会と政治の関係をめぐるジャーナリズムの見識について、重大な疑問があると判断し、以下の質問を提出します。これについて貴社の見解を6月20日までに文書で下記宛にお送りくださるよう、お願いいたします。

質問1 この記事について、これまでに、政府あるいは古森重隆氏側から、何らかの訂正の申し入れがあったでしょうか? あったとすれば、どのような申し入れだったのでしょうか?

質問2 上記の記事にも記されているように、NHKの経営委員長は経営委員の互選で選出することになっています(放送法第15条第2項)。したがって、内閣総理大臣が放送法第16条第1項に従い、両院の同意を得て特定の人物を経営委員に選任することと、その人物が経営委員長に選任されるかどうかはまったく別個の問題です。
 にもかかわらず、上記の記事で安倍首相と菅総務大臣の会談で経営委員長が「内定した」と記された根拠はどこにあったのでしょうか? 理由を明確にご説明ください。

質問3 記事にあるように、政府が個人名まで特定して、経営委員長の人事に介入しているとすれば、それは放送法第15条第2項に反する違法行為に当たることは明白です。にもかかわらず、上の記事がこうした政府の行為の違法性に一切触れず、古森氏の経営委員長就任が既定の事実となったかのように報道しています。これは、経営委員長の選任権を持つ経営委員を冒涜するものであるとともに、政府の違法な人事介入を追認するばかりか、それを喧伝・助長するものであると当会は考えますが、貴社はどのようにお考えか、ご回答ください。

質問4 同じ5月18日の貴紙朝刊の34面で、この件についての解説記事が掲載され、古森氏の起用は「首相との近さが決め手か 独立性に課題も」という見出しが付されています。また、この記事では、政府が目論む経営委員会の「権限強化は放送に対する政治介入の余地を生む恐れもある」と指摘しています。
 しかし、ほかでもなく、今回の経営委員長の人選をめぐる政府の動きは、時の政権トップの人脈・意向でNHKの最高意思決定機関の長を選ぼうとする、権力を笠に着た傲慢な政治介入そのものです。従って、「独立性に課題も」というなら、NHK経営委員会の独立性を侵す政府の介入を質してしかるべきところ、これを不問にした貴紙の記事は権力を監視すべきジャーナリズムの使命を放棄したのも同然と考えられます。これについて貴紙の見解をお聞かせください。

                                   以上

             NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
                                        共同代表:湯山哲守・醍醐 聰
          HP:http://space.geocities.jp/shichoshacommunity/
              メールアドレス:shichoshacommunity@yahoo.co.jp
                                              専用電話:048-873-3520

                     NHK問題を考える会(兵庫)
                                                            代表:貫名初子
                                        電話&FAX:078-351-0194

                メディアの危機を訴える市民ネットワーク事務局
                  HP:http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html
              メールアドレス:mekikinet-owner@hayoogroups.jp

 ご回答は文書にて下記へお送りくださるよう、お願いいたします。(以下、省略)

************************************************

他の4通の公開質問書は次のとおり。

読売新聞社への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_yomiurisinbun20070608.pdf

毎日新聞社への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_mainichisinbun20070608.pdf

日本経済新聞社への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_nikkeisinbun20070608.pdf

菅野俊秀氏への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_sugano20070608.pdf

| | コメント (0)

2007年4月30日 (月)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」を視聴して

 昨夜(4月29日、午後9時~10時14分)、NHKスペシャル「日本国憲法 誕生」を視聴した。さきほど、その感想をE・メールでNHKスペシャル担当へ送ったが、600字以内という字数制限のため、用意した原稿を大幅に削らざるを得なかった。そこで、元の原稿をこのブログに掲載することにした。

***********************************************


 予告で番組を知り、視聴しました。全体を通して、豊富な資料を駆使し、関係者の肉声での証言も交えて、新憲法の制定過程を丹念に検証したドキュメンタリー番組であったと感じました。特に、天皇制の護持に執着する日本政府と日本の再軍備の脅威を根絶しようとするGHQの思惑、さらには天皇の戦犯と天皇制そのものの廃止まで迫ろうとした極東委員会の構成国の意思が絡み、戦争放棄と象徴天皇制が抱き合わせで盛り込まれた経緯が克明に描かれたのが印象的でした。

 しかし、こうした国際的な交渉の狭間で、日本の民間人あるいは各党代表者からなる憲法研究会、小委員会等の発案で生存権条項の追加、義務教育の年限の延長、戦争放棄の条項の補足等がなされた事実が史実に沿って明らかにされたことは貴重でした。こうした知見を提供するところにドキュメンタリー番組の真髄があると感じました。

 個別的なことをいいますと、「至高」か「主権」か、「前掲」か「前項」か、「輔弼」か「助言と同意」かなど、条文の一字一句をめぐる論議にも立ち入った場面は、解釈改憲が叫ばれる今日、示唆に富んだ編集であったと感じました。

 総じて、「押し付け」憲法論が喧伝されてきた中で、①日本人が自主的に新設・補足した条項が少なくなかった点を照射したのは貴重な知見の提供であったと思います。②他面、GHQや極東委員会の強い意思で制定された条項が少なくなかったことも事実として直視すべきと感じました。

 その上で、極東委員会の強い意向で主権在民が明文化されたこと、当時22歳だったベアテ女史の強い進言と起草で女性の地位向上を定めた条項が盛り込まれたこと等を「押し付け」、「戦後レジームからの脱却」などというレトリックで清算しようとしてよいのかという問いかけが重要と思われました。(ちなみに、安倍首相自身の思考回路について言えば、「戦後レジームからの脱却」ではなく、「戦前レジームからの脱却」が強く求められている。)

 
「押し付け」を言う前に、市民の総意を集約して自律的に新憲法を創造する基盤が成熟していなかった当時の日本社会における民主主義の成熟度こそ、現在・将来への反省を込めて、問いかけられるべきであった(ある)と思われてなりません。

| | コメント (2)

2007年1月26日 (金)

違憲の手続きで改憲を誘導する国民投票法案

 主権者の注視と意思表示が急務 : 与党と民主党の修正協議
 改憲の手続きを定める国民投票法案について、与党が民主党の主張を取り入れた修正に応じた場合、25日から始まった通常国会で法案が成立する公算が強まったと報道されている(『毎日新聞』2007年1月23日朝刊)。
 では、与党と民主党の協議で与党修正案のどこがどう変わるのか、それは法案全体の骨子を変えるものなのかどうかを国民が注視し、判断の意思表示を発信することが急務と感じる。
 そのための参考資料として、自由法曹団のホームページに掲載されている<改憲手続法案 与党案・民主党案と『修正案』>の比較表を紹介しておきたい。
   http://sdaigo.cocolog-nifty.com/tohyohoan_hikakuhyo.pdf

財力が物をいう有料広告を放任
 国民投票のための広告放送をどの程度、制限するのかが論点の一つになっている。これについての与党修正案と民主党修正案を比較すると、次のとおりである。

 与党修正案 :
   投票日の14日前から投票日まで禁止
 民主党修正案 : 次の3案を検討
   A.14日前から禁止
   B.14日前から禁止、かつ賛否平等扱い
   C.発議した日から禁止

 上記の『毎日新聞』記事によると、これについて、与党と民主党は双方の共通項、すなわち、「14日前から禁止」で合意に至ったと伝えている。
 察するところ、民主党が、他に2案を並列したとはいえ、与党修正案と同じ案を掲げること自体、協議の落としどころをはじめから用意したのも同然ではないだろうか? かりに、このA案に「賛否平等扱い」を追加しても、有料広告となれば、財力の格差で広告量に差がつくのは歴然としており、賛否の平等扱いは形骸と化すことは容易に予見できる。また、この意味では14日前までならOKとするのも小手先の規制に過ぎない。
 憲法改定という国の基本に関わるテーマをめぐる報道を、多数与党の意思で決まる法案で規制すること自体が誤りである。こうしたテーマの報道のあり方はメディアの自立的判断と有権者の監視に委ねるのが道理である。

 改憲ラインを作為的に引き下げるトリック
 何をもって改憲が承認されたと判断するのかという基準は、投票の帰趨を左右する重要な論点である。これについて、与党修正案と民主党修正案を比較すると、ポイントは次のとおりである。

  与党修正案 : 投票総数の2分の1超 
            投票総数=賛成票+反対票、とする。
  民主党修正案 :                       
          A.賛成は自書、記載なしは反対と分別する場合は、
            投票総数の2分の1超
          B.「賛成」○、「反対」×の自書の場合、あるいは、
            「賛成」、「反対」、「棄権」から選ぶやり方の場合
           は、
            投票総数=賛成票+反対票、とする。

 一見してわかるように、与党修正案も民主党修正案も大同小異である。「棄権」の選択肢を設けることで、国民の意思にかなう形式が揃えられたかに見えるが、「2分の1超」かどうかを判定するときの「投票総数」に棄権や白票を加えない点では与党修正案も民主党修正案も共通している。しかし、これでは、「投票総数」の真相は「有効投票数」にほかならない。投票率の下限が設けられないことと併せ、こうした母数の作為的引き下げが可決ラインの作為的引き下げを意味することは容易に察知できる。

言論・表現活動の重大な侵害
 与党修正案も民主党修正案も、国民投票運動において、国家公務員法、地方公務員法等における政治的行為の制限規定を適用しないことにしている点は共通している。公務員の政治的行為を一律に(休日も含め)禁止した現行法自体に問題があるとはいえ、特定公務員(選管委員等)の国民投票運動にそれを適用しないとしたことは、その限りでは評価できる。
 しかし、与党修正案も民主党修正案も、「地位利用による国民投票運動の制限」なる項を設け、公務員等や教育者の国民投票運動を禁止している。これについて、与党と民主党は「違反について罰則はしない」という点で合意したと伝えられているが(前記、『毎日新聞』)、行政処分の対象にはなるとみなされている。
 これでは、国家公務員法、人事院規則による規制から外れた大学法人の教員などは、国民投票法案の成立を機に、言論・表現活動に逆戻りの規制がかけられることになる。
 しかし、このように、改憲派が大々的に手がけることが可能な有料広告には規制を設けないか、緩和する一方、財力で対抗できない教育者らの言論活動を禁止するのでは、身勝手な改憲手続き法案というほかない。

 そもそも、「政治活動の自由は、単なる政治的思想、信条の自由のような個人の内心的自由にとどまるものではなく、これに基づく外部的な積極的、社会的行動の自由をその本質的性格とするものであり、わが憲法は、参政権に関する15条1項、請願権に関する16条、集会、結社、表現の自由に関する21条の各規定により、これを国民の基本的人権の一つとして保障しているのである」(猿払事件最高裁判決、1974年11月6日、における少数意見より)。
 とすれば、憲法で保障された国民の参政権、請願権、表現の自由を含む政治活動の自由がもっとも発揚されてしかるべき憲法改定論議の過程で、そうした国民の基本的人権に逆に制限を加える国民投票法案は、違憲の手続きで改憲を誘導する悪法と称して過言ではない
 一国の運命が左右されかねない憲法改定の手続きを、与野党の「出来レース」に近い修正協議で決しようとする状況を市民は座視してはならない。

| | コメント (1)

2006年11月30日 (木)

電波監理審議会会長宛に抗議・質問書を送付

 NHKに対して、北朝鮮による拉致問題に留意した国際放送命令を発することを適当とする即日答申を総務大臣に提出した電波監理審議会会長の羽鳥光俊氏に対して、7つの市民団体が連名で抗議と質問書を11月27日に提出した。以下はその全文である。

*****************************************************

                           2006年11月27日
電波監理審議会会長
羽鳥光俊 様

                          大阪市民グループ
                             放送を語る会
              メディアの危機を訴える市民ネットワーク
                         NHK問題京都連絡会
                     NHK問題を考える会(兵庫)
                 NHK番組改ざんを考える市民の会
                  NHK受信料支払い停止運動の会

   NHKに対する国際放送命令を容認した即日答申に
     対する抗議と質問書

 私たち7団体は、菅義偉総務大臣がNHK短波ラジオ国際放送で北朝鮮による拉致問題を重点的に扱う命令を行うことに反対してきました。そして、かりにそうした放送命令を発することの是非を電波監理審議会に諮問された場合、問題の重要性に照らして電波監理審議会が会議を公開し、透明で徹底した審議を行うよう、11月7日に連名で申し入れました。

 私たちが放送命令に反対するのは、一般的な事項を挙げて放送命令を発すること自体、放送の自由・自律に照らして大問題である上に、今回のように時の政府の個々の重要課題に留意した放送を行うようNHKに命じるとなれば、NHKを政府の広報機関、国策宣伝機関に変質させてしまうからです。これでは権力の監視を使命とするジャーナリズムが権力の統制の下でそのプロパガンダの一翼を担う結果になってしまいます。

 ところが、菅総務大臣から諮問を受けた電波監理審議会は、私たちが求めた会議の公開さえ拒み、わずか1時間ほどの審議で放送命令を適当とする即日答申を行いました。答申書は諮問を可とした理由として、「18年度国際放送実施命令の変更は、内閣総理大臣を本部長とする拉致問題対策本部が内閣に設置され、拉致問題解決を最重要課題として政府一体となって推進することとなったことに伴う変更であり、適当である」と記しています。しかし、これでは、NHKを政府一体の国策遂行に組み込み、政府広報の役割を負わせることを容認するのも同然であり、公共放送の自殺につながる暴挙です。

 以上の認識を踏まえ、私たちは電波監理審議会が公共放送の使命をわきまえない政府・行政の諮問を可とする拙速の即日答申を行ったことに強く抗議するものです。
 その上で、私たちは、総務大臣による今回の暴挙を追認して終わった電波監理審議会の形骸化を質す意味から、次の諸点を羽鳥会長に質問いたします。これらについて文書による回答を12月5日までに下記宛へお送りくださるよう、お願いいたします。
 (回答の宛先省略)

 質問1  11月7日に私たち8つの市民団体(その後、「NHK問題を考える会」(兵庫)も同日夜に同旨の要望書を提出しています)が連名で提出した4項目の要望を電波監理審議会はどのように検討されたのか、項目ごとにお答え下さい。

 質問2  電波監理審議会が11月8日の審議会会合を非公開とされた理由をお答え下さい。

 質問3  新聞報道によれば、羽鳥会長は「諮問を認めた理由の一つに、安倍内閣が拉致問題を最重要課題としていることを挙げた」(『毎日新聞』2006年11月9日)とされています。そこで伺います。国営放送ではなく、公共放送であるNHKに、時の内閣の意向を受けた課題を放送(広報)する責務があるとお考えかどうか、お答え下さい。「ある」とお答えの場合はその理由を付記下さい。

 質問4  新聞報道によれば、羽鳥会長は即日答申した理由として、「拉致問題は現在進行形であり、早く答申することが大事」(『毎日新聞』同上記事)と語ったとされています。しかし、今回のように個別の課題を挙げてNHKに放送を命じることについては、私たち市民団体のほか、メディア研究者やメディア関連団体、民放各社首脳、さらには与党内からも、憲法21条が保障した表現の自由、放送法1条、3条で定められた放送の自由と相容れない、放送への行政介入に当たるのではないかという異論や懸念の声が相次ぎました。また、NHK自身、拉致問題についてはこれまでから自主的編集でたっぷり放送してきたと述べています。
 にもかかわらず、電波監理審議会がNHKの自主的判断を超えて、命令による拉致問題の放送を急ぐことを優先された理由はどこにあったのか、明確にお答え下さい。 
                                                                       以上
**************************************************

  ところで、総務省のホームページを見ると、11月8日に開かれた電波監理審議会の議事要旨が公開されている。http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/denpa_kanri/pdf/061108_2.pdf
  上記の抗議・質問書と重ね合わせながら、この議事要旨を読んで次のようなことを考えさせられた。

1.<公共の福祉による放送の自由の制限>に関する総務省の杜撰  な解釈
2.諮問をした総務省にお伺いを立てるばかりで、自らの意見を持たな  い審議会の無機能ぶり

 このうち1を論じるには、それなりの心得と紙幅が必要なので、ここではひとまず2について論じることにしたい。
 議事要旨を読むと、肝心の論点について審議会委員が自らの意見を述べるのではなく、審議会事務局であり諮問をした総務省にお伺いを立てる場面が随所に見られる。例えば、

 「いくつか申し入れなどがなされている中で、特に表現・報道の自由に今回のような命令が抵触するのではないか、と言う議論があるが、これについて総務省ではどのような考えを持っているか

 「いろいろなところから申し入れや要望書が出ており、その中で審議の過程でパブリックコメントを募るという申し入れがいろいろな団体の中に書いてあるが、これに対して、総務省はどのように考えているか。この案件に関してパブリックコメントを募るべきであるという申し入れに対して現状の判断があれば聞かせて欲しい。

 これらの箇所を読んで、私は電波監理審議会委員の当事者意識の欠落に唖然とした。放送命令が表現の自由と調和するのかどうかの判断・見識を問われているのは総務省ではなく、審議会委員である。これに対する回答を他人事のように総務省に丸投げするくらいなら審議会はいらない。「諮問」とは言ってみれば審議会に宿題を投げることである。宿題を与えられた審議会が出題者に解答を尋ねるようでは職務放棄である。これが「有識者」の素顔だとしたら、正視に堪えない。

 パブリックコメントを実施するとなれば、審議会事務局(を務める総務省)のサポートが必要なことは私も審議会委員を務めた経験から理解している。しかし、パブリックコメントを実施するかどうかは諮問をした行政にお伺いを立てて決める問題ではなく、宿題の答案づくりをする審議会が主体的に判断すべき問題である。電波監理審議会委員の中には大学教員もいる。彼らはキャンパスでは、自分が指導する院生や受講生に向かって日頃、「自分の頭で考えよ」と言っているはずである。審議会の場で、その言葉の何分の1かを自分自身に向けてはどうか? 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月15日 (火)

意地を主義と偽る小泉首相の靖国神社参拝

靖国神社にはじめて出かけた

  百聞一見にしかずで、昨日、友人のSさんと靖国神社に出かけた。詳しいことは別の機会に書こうと思っているが、境内のあちこちに小泉首相の参拝を待ち受ける報道陣やカメラマンが見受けられた。そして、今朝、小泉氏参拝のニュースが流れた。今回の参拝に関する小泉首相の言動を観察すると、2つの論理矛盾が突き止められる。

小泉首相の言動の二つの矛盾

  1つは公約と内心の混同である。周知のように小泉氏は総裁選に立候補したとき、8月15日に靖国神社に参拝することを公約に掲げた。ところが、その参拝について内外から歴史認識をめぐる批判が起こると、「参拝は個人の内心の問題。誰からも干渉されるいわれはない」と開き直った。
  これについて、13日の『朝日新聞』朝刊の「声」欄に、「心の問題なら公約にするな」という投書が掲載されていた。投稿をしたのは東京都在住の46歳の主婦である。「小泉首相自ら『心の問題』と言っているように、私的なことなら、そもそも公約にすべきではなかった」と指摘していた。実は、私もこの11日にBCCで知人に送ったE・メールのなかで、次のようなことを書いた。
    「それにしても、日本の政治家は、靖国神社参拝を、あるときは
  自分の内心の問題といい、あるときには有権者への『公約』と公言
  する支離滅裂な総理大臣を筆頭に(個人の内心と公約が並立する
  はずがありません!)論理的な思考力も真摯な応答責任倫理の
  片鱗も窺えない低劣な人間がなんと多いのかと感じさせられる
  このごろです。」

  小泉首相の言動に見られるもう一つの論理矛盾は、公約の実行と職務の遂行の使い分けである。今日の参拝のあと、小泉首相は「参拝は職務に基づくものではない」との談話を発表した。こうした解釈は従来からの政府見解を踏襲したものである。昨年10月に公表された「靖国神社参拝に関する政府の基本的立場」でも、小泉首相は「総理の職務としてではなく、一人の国民としての立場で靖国神社に参拝している」と記していた。
  しかし、小泉氏の8月15日の靖国神社参拝が一人の国民としての行動なら、公約を実行したことにならない。逆に、公約を実行するための参拝なら職務としてなされた行動であり、「自然人たる小泉に対して認められた前記信教の自由の実現にほかならない」(平成13年(ワ)第2870号損害賠償請求事件における被告答弁書、平成14年5月23日)とはいえず、政教分離の原則に反する行為となる。

  私は小泉氏の参拝が総理大臣としての地位に基づくものか、一個人の内心の外形化にあたるものかは、当人の主観に委ねて判断されるものではなく、参拝をめぐる内外の客観状勢から判断すべきものと考えている。
  また、かりに、これほど外交面で甚大な影響を及ぼす小泉氏の靖国神社参拝という「内心の外形的表現」が許される一方で、卒業式等学校行事に特段の混乱を来たすわけではない君が代の不起立不斉唱という教員の「内心の外形的表現」が処分の対象とされる不平等はどう説明されるのか、政府は応答する責任がある。

小泉首相に捧げる内村鑑三の警句

  最後に、最近知る機会があった内村鑑三の諸言集のなかから、次の言葉を小泉首相に捧げたい。

  「意地と主義
    意地と主義とはその外形において相類す。
    しかもその内容において相反す。
    意地は我意の固執なり。主義は真理の奉戴なり。
    意地は自己のためにして、主義は美徳なり。
    ゆえに意地は害悪にして、主義は美徳なり。
    吾人、意地を張るを称して主義を守ると唱うべからざるなり。」
      (『聖書之研究』1904年12月より)
      
(注) この語録は、精神的自由権をめぐる言論史を調べている中で、web上で知った次の資料を参照したものである。目下、勤務先の附属図書館に所蔵されている、内村鑑三、矢内原忠雄、南原繁などの著作集を調べている。上記の語録も原文で確認しなけれればと思っている。
       http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/uchimura/goroku/goroku.htm

     

| | コメント (0)

2006年5月 8日 (月)