2007年3月10日 (土)

飼い犬と過ごした思い出のアルバム

 マイリスト(左サイドバー最後部)に「思い出のアルバム」を追加し、最初のアルバムとして飼い犬と過ごした日々の写真を掲載した。時期は私の幼年時代から一昨年まで半世紀以上に渡る。

 幼稚園児、小学生時代の写真は実家で一人暮らしをしていた一番上の姉が昨年11月に引越しをするとき、80年住み慣れた実家の隅々まで片付けをした中で出てきた山ほどのアルバムをめくり、抜き取って持ち帰ったものをデジカメに収めたものである。

 実家はみな犬好きで歴代4,5匹を飼った。中にはねずみ駆除の団子を食べ、家中のた打ち回って息を引き取った犬もいた。放し飼いをすることが多かったため、野犬と間違えられて捕獲され、連れて帰ろうとする保健所の職員に姉が必死に説明して引き取ったこともあった。

 一昨年、今の我が家で撮った姉妹犬の写真は、台所でコーヒーをひく私(?)をじっと見つめる光景である。姉妹どちらもコーヒーを少し混ぜた温かい牛乳が好物だ(った)。この写真を見た知人から、手前の妹犬(ウメ)のことを、「ソックスをはいているみたい」とよく言われる。

 少し気恥ずかしいが、犬の思い出にかこつけて私の幼年時代の写真も「おまけ」で載せた。

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2007年1月10日 (水)

飼い犬の死と向き合って

 昨日(9日)午後1時2分、わが家の姉犬チビが息を引き取った。翌10日、近くの動物霊園「やすらぎの郷」で火葬した。享年16歳。
 
 メニエル病から認知症へ
  チビとわが家の縁は、このブログの昨年4月11日付けの記事「啄木の犬の歌に寄せて」のなかで触れたとおりである。
  そこでも書いたが、一昨年12月4日、突然、横転を繰り返しながら、ぐるぐると時計回りに歩き出すメニエル病の症状が現れた。投薬と点滴で2週間後には食欲も回復し、スローペースながら妹犬といっしょに散歩にも出られるようになった。
  しかし、発病を機に声が出なくなり、飼い主の呼びかけにもまったく反応しなくなった。目も見えにくくなったようで、遠近感覚がなくなり、物にぶつかることが多くなった。動物病院の担当医に言わせると、人間でいう認知症とのこと。そんな自分に不安を感じたのか、発病以来、居間から離れようとせず、食卓や台所にいる連れ合いや私の足元にまつわりつく室内犬に様変わりした。

 冬場になって再発、新たに膣脱
  
こういう状況で昨年12月まで小康状態を保ったが、冬場になるにつれ、メニエル病の再発を思わせるような傾斜歩行がぶり返し、横転することも多くなった。1年前の発病のころはバレーの回転レシーブのように、横転してもすぐさま自力で起き上がったが、今回は転ぶと仰向けになったまま、両足で水をかくような仕草をするだけで、もはや自力で起き上がることはできなくなった。排便にも失敗するようになり、紙おむつが必需品になった。
  そのうえ、もうひとつ、厄介な症状が起こった。人間にも見られる膣が体外に垂れ下がって露出する「膣脱」である。12月初旬には、1センチ足らずはみ出る程度だったが、見る見る垂れ下がってきて、亡くなる1週間ほど前には5、6センチも脱出するまでになった。紙おむつで覆ってはいたが、転んだ拍子に何かに脱出部分をぶつけたのか、突然、患部から大量の出血をし、動物病院へ駆けつけたこともあった。膣脱のせいか、排尿がしにくくなり、少しの間、室外へ連れ出すだけでぐったりして息苦しそうに深呼吸をするようになった。
  医師に外科的治療のことを尋ねると、「この年齢では手術前の検査に耐えられえるかどうか。麻酔をかけると、そのままで終わってしまう可能性が高い」とのこと。

 夫婦交代で添い寝
  こうなると、夜一人で放っておくわけにはいかず、昨年12月20日ごろから、夫婦交代で居間で添い寝をするようになった。夜中も、ほぼ3時間おきに動き出す。あわてて抱きかかえ、外へ連れ出すと、タイミングよく排尿。その後はまた、飼い主にもたれかかる格好で寝入る有様だった。
  昼間も寝たきりに近く、もはや自力で歩行できない状況になってしまった。亡くなる3日前からは食事も受けつけなくなり、自宅で12時間おきに点滴をすることにした。背骨の近くを手でつまんで針を挿そうにも、やせ細っていて、挿す場所を決めるのに手間取った。
  1月7日からは意識もまだら模様となり、時折、目をさましては、かすれ声で何かを訴えるようになった。しかし、それが何を意味するのか飼い主はわからず、オムツを開いたり、脱脂面に水をしみこませて口元へ運んだりの試行錯誤だった。

 異様を察知したのか、妹犬が
  1月9日、鳴き止まないチビを見かねて、抱きかかえ外へ連れ出して用をたすのか試したが何もなし。ところが室内へ連れ戻したところで容態が急変。胸に手を当てた連れ合いが「呼吸をしていない」とつぶやく。私も手をあててしばらく様子を窺ったが反応はない。そのうちに口を大きく開いて最期の呼吸を数回したところで、動きが止まった。
  そのとき、玄関の外につないでいた妹犬(ウメ)が室内に向かって吠え出した。静かに姉犬をふとんに寝かせたあと、ウメをチビのそばに連れてきた。ふとんにちらちらと視線を向け、様子を確かめる仕草をしたのを見届けて、玄関先に連れ出すと、さきほどの様子が嘘のように、ぴたりと鳴き止やんだ。

  骨壷を抱えて柔らかな日差しの野道を帰る 
  10日、午前10時半、前の日に手配した動物霊園の「霊柩車」がやってきた。用意された棺に収め、その日の朝に帰宅した長女と夫婦の3人で後部座席に乗り込んだ。玄関では顔にあてがった布をとり、妹犬と最期の対面。
  霊園は隣の八千代市だったが、10分足らずで到着。受付で手続きを済ませると、一回り大きい棺に移し、そこへ生花と菓子を供えて焼香。人間の場合と変わらない。「1時間ほどかかるので、あちらのロッジ風の部屋でお待ちください」と係の職員に言われて外へ。しばらくあたりの墓石を巡り歩いたあと待合室に入った。CDと思われる静かな曲が流れるだけの室内だったが、入れ替わりで2組の家族が入ってきた。
  ちょうど1時間経った12時に別の職員が呼びに来た。皿に入れられた骨の部位の説明を聞いたあと、箸で壷に収めた。すべて人間の火葬と同じだ。白い袋に収められた骨壷を受け取り、かばんに入れて受付へ。支払いを済ませて霊園の外へ出た。帰りは柔らかな日差しが注ぐ野道を3人で歩き、チビとのいつもの散歩コースを通って帰宅した。
  「走馬灯のように」などと常套句を使う気にはならないが、歩きながら、ともに過ごした春夏秋冬を想い起こし、死別の実感がこみ上げてきた。

   みつめる

   犬が飼い主をみつめる
   ひたむきな眼を思う
   思うだけで
   僕の眼に涙が浮かぶ
   深夜の病室で
   僕も眼をすえて
   何かをみつめる

   (高見順『死の淵より』)


   円空が仏像を刻んだように
   詩をつくりたい
   ヒラリアにかかったナナ(犬)が
   くんくんと泣きつづけるように
   わたしも詩で訴えたい
    カタバミがいつの間にかいちめんに
   黄色い花をつけているように
   わたしもいっぱい詩を咲かせたい
   飛ぶ鳥が空から小さな糞を落とすように
   無造作に詩を書きたい
   時にはあの出航の銅鑼のように
   詩をわめき散らしたい

   (高見順『死の淵より』)

       Chibi2                  Chibi_reizen   

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2006年4月11日 (火)

啄木の犬の歌に寄せて

犬を飼わんと妻にはかれる
 
先月、実家に住む一番上の姉から、千勝三喜男編『現代短歌分類集成』(おうふう、2006年刊)が送られてきた。副題にあるように明治・大正・昭和・平成の歌人316名の短歌30,026首を3,184の小項目に分類した「20世紀“うた”の万華鏡」という体裁の大著である。なにげなく「犬」の項を繰っていくと、石川啄木の次の歌が目に止まった。

庭のそとを白き犬ゆけり。/ふりむきて、/犬を飼はむと妻にはかれる。(悲しき玩具)

下の句の「犬を飼はむと妻にはかれる」という表現に啄木の(というより男の)幼児性を想い浮かべながら、わが家の飼い犬の来歴を重ね合わせた。こういう場合、犬を飼おうとか飼いたいとか言い出すのはたいてい、男性や子どもである。しかし、飼ったあとの毎日の散歩、食事の世話をするのは母であり妻である女性の務めとなるのが慣わしのようだ。そういう先のことがわかっているから、女性は庭の外を走る犬をみかけたといって、わが家で飼おうと気安く「はかられても」困るのだろう。

隣家から1匹目の犬を引き取った事情
 わが家には2匹の飼い犬がいる。どちらも隣家が2度(一度は夫君の職場の異動のため、もう一度は一家そろっての転居のため)引っ越すときに、1匹ずつ引き取った犬である。といってもそうなったのは偶然である。1匹目がわが家へ来たのは、引越しの途中、暴れてトラックから飛び降り、2週間放浪の末、ようやく元の飼い家(隣家)へかけ戻って来たのを引き取ったからである。放浪中、野犬に襲われたのか、首の周りは噛み付かれた傷跡が痛々しく肉がむき出て痩せ細っていた。
 
元の飼い主に連絡をしたが、引き越し先が遠方のため引取りにはいけないとのこと。といって、命からがら生還した犬をおいそれと保健所へ連れていくわけにはいかない。こういう成り行きで「チビ」はわが家の飼い犬になった。このときは、妻にはかるもはからないもなかった。

隣家から2匹目の犬を
 ここまでなら特別珍しい話ではないが、それから2年後に同じ隣家から2匹目の犬を引き取ることになった。先の転居のあと、夫君の職場の関係で隣家は家族そろって、また当地へ戻ってきた。話はややこしくなるが、隣家にはもともと「チビ」とその母犬が同居していたのだが、当地へ戻ってきてしばらく経ってその母犬は2度目の出産をした。ところが隣家は、今度は土地・建物を売り払い、一家そろってマンションへ引っ越すことになった。
 
問題は母犬と生後1年あまりの子犬の行方である。世話焼きといえばそれまでだが、なんとなく気になり、もらい手を捜すポスタ-をあちこちに貼る手伝いをした。しかし、引越しの日が近づいても、引き取り手が現れた気配はない。「親子2匹をマンションに連れていくのは無理だろうな」と連れ合いと話す日が続いた。引越し前日になっても親犬、子犬の姿はそのままだ。いよいよ保健所行きかなどと案じる。
 
10時ごろ、私が受話器を取ろうとすると、連れ合いは「どこへかけるのよ!まさかお隣じゃないでしょうね!絶対反対だよ。これ以上引き取ってどうなるの!」とすごい剣幕だった。「妻にはかれる」という雰囲気ではなかった。制止する連れ合いの声をさえぎって電話をすると、夫君が出た。
 「どうですか、どこか見つかりましたか?」
 「いやあ、だめです。」
 「そうですか・・・・」
 「もし、ほかにあてがなければ、うちが“ウメ”を引き取りましょうか?」
 「ええ!そうですか、そうしてもらえると助かります!」
 連れ合いは簡単に納得できる風ではなかったが、翌朝、母子2匹の最後の散歩を申し出た。近くの中学校の校門前で撮った写真は今もアルバムにある。いよいよトラックが来て手際よく荷物の詰め込みが終わった。母犬を運転席に乗せ、子犬の紐は私が持って動き出した車を見送った。こうして子犬の「ウメ」はわが家の飼い犬となったのである。


声が出なくなったチビ
 こうして2匹はわが家に住むようになったが、14歳を過ぎた「チビ」は昨年12月4日夜、突然、ぐるぐる回り歩き出した。そして何度も身体のバランスを崩し、起き上がってはまた転ぶ有様だった。一瞬、私は狂牛病の情景を想い起こした。深夜12時を過ぎていたが、タクシ-を呼んで2キロほど離れた動物病院へ駆けつけた。医師に言われて初めてわかったのだが、「チビ」の眼球はぐるぐる回っていた。「三半規管がやられているか、脳に悪い病気があるか、どちらかだと思います」とのこと。
 とにかくめまいを止める注射と抗生薬をもらい、約1週間、点滴だけで過ごした。車がないわが家はタクシ-で通院したが、そのたびに車の中で大暴れ。2度、膝のうえで大便も。これではというので、1週間ほど経ったところで自宅での点滴に切り替えた。この間、正月をはさみ、夫婦交代で「チビ」の添い寝をした。明け方になって布団のなかへ導くとすんなり入ってきて朝まで熟睡した。
 1月中旬になって食欲も戻り、スロ-ペ-スながらも妹の「ウメ」といっしょの散歩をできるところまで回復した。しかし、これが後遺症かと思うのだが声が出なくなった。飼い主が呼んでも、大きな声で話しかけても反応しなくなった。娘がプレゼントしてくれたオイル・ヒ-タ-が気に入ったようで、昼夜、動き回るとき以外はそのそばでうたた寝する時間が多い。足が弱らないようにと晴れた日、連れ合いは近くの公園へ散歩に連れて行くのが日課になっている。私はといえば、週末、昼と夕方の散歩に出るだけになっている。男は「外面のよさ」を見せかけ、苦労するのは女性という構図はわが家も同じなのかと思い知るこのごろである。

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