2008年3月22日 (土)

強迫的な日銀総裁空白リスク報道に思うこと

横並びの思考停止報道の標本

 最近の新聞、放送を見ていると、横並びの思考停止報道を繰り広げるメディアの腐食ぶりを思い知らされる。

 アメリカ民主党大統領候補の予備選をめぐって「オバマ候補はどういう政策を掲げているのか、クリントン候補とどこが具体的に違うのか」にほとんど触れず、オバマ・ブームだけをあおる報道が続いている。これでは、一国の大統領候補を選ぶ政治報道として落第である。

 あるいは、日銀総裁のポストが1日でも空席になったら、市場から不信を突きつけられ、株価がさらに暴落する一大事かの強迫的報道は何を根拠にしているのか? 総裁ポストが空席になることは異例には違いない。しかし、期日までに誰でもよいから決めればよいというものではない。総裁、副総裁候補として名前が挙がった人物は過去、日銀が採用してきた超金利政策をどう評価しているのか、今後、物価上昇にどう対処しようとするのかなど、日銀首脳候補に不可欠な見解を問うことなく、経歴ばかりに焦点を当て、空白責任をめぐる与野党の駆け引きばかりをズーム・アップする報道も政局報道ではあっても政治・経済ジャーナリズムに値する報道ではない。
 
自分の持ち場で直球勝負を

 一昨日(321日)の『毎日新聞』朝刊2面の「発信箱」に経済部記者の中村秀明氏筆の<歴代総裁の責任>というタイトルの短い論評が載っていた。中村氏はその冒頭で次のように記している。

 「マスコミの編集幹部が数人集まった会合で、だれかが言った。『いまさらだけど、日銀総裁って、大事な仕事なのかな?」

 そう思うなら、仲間うちの雑談で済ませず、コラム欄でやんわりと疑問をもらすのではなく、自分の持ち場の政治・経済紙面で日銀総裁人事の核心に迫る記事を書くのがメディアに携わる人間の本領ではないのか――そう思いたくなるコラム記事であった。

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2008年2月17日 (日)

オバマ氏は何をしたいのか? メディアは何を伝えるべきなのか?

オバマ氏は何をしたいのか?
 このところ連日、アメリカ大統領候補の民主党予備選挙の話題で日本のメディアも持ち切りである。これだけ長期間にわたり各候補が数十億円の資金を投入して選挙運動を繰り広げる様は、有権者の直接選挙で大統領を選ぶというアメリカの事情はさておくとしても、日本人にはなじみにくいように思える。

 それは別にして、この件の報道を見るたびにもどかしく思うのは「オバマ氏はいったい何をしたいのか?」がなかなか伝わってこないということである。これはオバマ氏と接戦を続けるヒラリー・クリントン氏についてもいえることであるが。

 そんな中、214日(木)午後730分からのNHK総合「クローズアップ現代」が<大逆転? 猛追オバマの舞台裏>と題する番組を放送した。放送時間の大半はオバマ氏の猛追の背景に何があるのか? オバマ氏のどこが有権者、特に若者を惹きつけるのかの解説に割かれた。

 番組の中では、その背景を探るために、タイムズ誌の政治アナリスト、マーク・ハルぺリン氏のインタビューを入れていた。同氏によると、「原宿で立候補演説をしたら当選すると想像してほしい」、「政治のイメージを身近かで格好よいものにしたことが若者を惹きつける要因ではないか」と語っていた。
 また、番組の中ではオバマ氏の「言葉では言いにくい笑顔やふるまいが人々を感動させる」とも解説していた。

 確かに、支持票の騰落のたびに感情の起伏を表に出すクリントン氏と比べて、オバマ氏は終始、クールな身のこなしで「短いフレーズ」を散りばめた演説のスタイルがぶれない。そうした冷静沈着な選挙運動のスタイルにおいては年長のクリントン氏とあべこべとさえ思える。

 このようなイメージを流し続ける「クローズアップ現代」にいささかのいらだちを感じていたところ、残り5分ほどになって、前記のマーク・ハルぺリン氏が再び登場し、国谷裕子キャスターと次のようなやりとりをした。

 「アメリカは多くの問題を抱えているのに、なぜシンプルな<変革>を訴えるオバマ氏に人々は惹きつけられるのか?」

 「それは非常に重要な問題です。アメリカ人はオバマ氏がいう<団結>という言葉に惹かれている。しかし、有権者は若くて経験不足の彼が大統領になることの不安をよく考えていない。」

 メディアは何にペンを、マイクを、向けるべきなのか?
 私としては、最後の約5分間でやりとりされた問題にこそ、もっと時間が割かれるべきであったと思えた。
 オバマ氏にアメリカの有権者の熱い視線が注がれる背景には、国内での経済不況、災害に弱いアメリカをよそ目に、「テロとのたたかい」を標ぼうして、イラクをはじめ、世界各地で武力介入を続け、各国で「アメリカ嫌い」を生みだしたブッシュ政権への不満があると想像できる。

 しかし、オバマ氏の言う「変革」が、そうした不満の出口となりうるのかどうか――メディアが伝える彼の演説をいくら聞いても読んでも伝わってこない。今回のアメリカ大統領選挙でオバマ氏についていえば、

 ①国内の医療制度の危機、貧困に対しオバマ氏はどのような政策を提起しているのか、その点でクリントン氏とどこがどのように違うのか、
 ②オバマ氏はイラク派兵や対北朝鮮外交について、どのような政策を提唱しているのか?
 ③オバマ氏はサブプライムローン問題で揺れる国内経済の立て直し、格差是正にどのような政策と実行プランを提唱しているのか?
 ④オバマ氏は地球温暖化対策としてアメリカは何をすべきと考えているのか?

 少なくともこれらのテーマについて、踏み込んだ取材をし情報を提供することこそ、メディアの政治報道に不可決の課題である。こうした地に足のついた調査・取材報道がないまま、耳障りのよいワン・フレーズとスタイルだけを追い続け、垂れ流すのでは政治ジャーナリズムとして失格である。
 それは、元小泉首相が呼号した<改革>というキャッチ・フレーズを、その内実を問うことなく思考停止のまま<善なるもの>と予断して垂れ流し、有権者の郵政民営化をめぐる判断に資するなにほどの資料、情報も提供しなかった日本の政治ジャーナリズムの荒廃と同質である。

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2007年8月26日 (日)

「私は貝になりたい」(日本テレビ放映)はBC級戦犯の叫びをどこまで伝えたか?

加藤不二子さんからの一報

 去る8月24日の21時から23時24分まで、日本テレビで「終戦記念特別ドラマ」と題して、「私は貝になりたい―ー真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎―ー」が放送された。副題にあるとおり、このドラマは終戦時の1945年、新潟の俘虜収容所の所長をしていた主人公・加藤哲太郎(中村獅童役)が同収容所で起こった捕虜射殺事件(犯人不明)の責任を一人で被る決意をし、3年に及ぶ逃亡を続けた末逮捕され、BC級戦犯裁判にかけられた事件を題材にしたものである。原作は加藤哲太郎が各所に匿名で発表した手記を収録して出版された『私は貝になりたい』(1994年、春秋社)である。

 その日の朝刊のテレビ番組表と各紙の番組予告欄でドラマ放映のことを知っていたが、午後に加藤不二子さんから電話をいただき、ぜひ視てほしいという知らせをもらった。番組をご覧になった方はすぐおわかりのことと思うが、加藤不二子さんはドラマでは優香が演じた、加藤哲太郎の妹さんで、死刑判決が下った兄の助命をマッカーサーに嘆願するため、皇居前のGHQに出向き直訴文を手渡した並外れた正義感と行動力の持ち主である。

『私は貝になりたい』の出版記念会で

 今から15年ほど前、ある機縁で加藤不二子さんのことを知り、2、3回私信を交わしたころ、上記の『私は貝になりたい』(1994年、春秋社刊)の出版記念会の案内状をいただいた。確か、皇居前(旧GHQ本部近く)の東京會舘で開かれたと記憶している。私のような縁の薄いものにまで案内をもらったときは驚いたが、自分の世界を広げるためにと思い立って出席した。確か、日立鉱山の俘虜収容所で哲太郎氏と一緒だったという高齢の人が同じテーブルに着き、「なぜ自分がB級で○○がC級なのか、わからない」と話しておられたのが記憶に残っている。

 あの日の記念会が加藤不二子さんとは初対面だったが、各テーブルをこまめに回って多くの出席者と精力的に挨拶を交わしておられた姿が印象に残っている。そのとき、会場の受付で『私は貝になりたい』を買った。これまで何度か読み返したが、今回、放送後に改めて読み直し、ドラマで伝えられたこと、伝えられなかったことを確かめることができた。

原作と脚本のはざまで

 新聞数紙でドラマの予告記事を読んだとき、原作がどのようにドラマ化されるのか、期待半分、不安半分だった。A級戦犯の裁判の陰に埋もれがちなBC級戦犯の裁判の実態に光を当て、長時間の放送枠を組むこと自体、貴重な企画に違いない。加藤不二子さんからの電話で日本テレビの下請けの制作会社の若いスタッフが原作を読んで感銘し、ぜひ取り上げたいといって取材に訪れたいきさつを聞いた。

 ただ、新聞の試写室欄を読むと、逃亡生活中に出会った女性・倉沢澄子さん(飯島直子役)との純愛物語あるいは肉親の助命を必死に嘆願する家族愛の物語に仕立て上げられたのではないかという危惧も拭えなかった。

 実際、放送されたドラマの前半を見た限りでは、この危惧が当たらずとも遠からずだった。とりわけ、哲太郎との出会いから結婚、逃亡の身の哲太郎に寄り添うことを決意した澄子の一途な姿、逃亡・逮捕、そして絞首刑の日が刻々と迫る中、哲太郎の安否に気をもむ加藤家の煩悶の描写にかなりの時間が割かれ、BC級戦犯を生み出した時代背景、哲太郎が獄中から何を訴えたかが背後に追いやられているという印象を拭えなかった。

 こんなドラマ仕立てを見ながら、番組制作・放送局への取材協力者の信頼の利益をどのように保証するのかという大きなテーマが頭をよぎった。そして、テレビで取り上げてもらおうと思えば、原作者や取材協力者はどの程度の脚色を受け入れ(甘受し)なければならないのかという複雑な問題を当事者ではない私も考えさせられた。

 ただし、どこまでが原作でどこからが脚色かは正直、私もわからない部分があったが、ドラマの後半で、哲太郎が死刑の執行を免れるために発狂を装ったことから入院させられた米軍361病院での目を覆うような虐待(原作117~118ページ)、狂人のまねを止めて巣鴨の死刑囚ブロックに戻されてから「死の待合室」で同居した中村雅俊役の元軍医との会話、元軍医が絞首台に連行される際に残した叫びは、このドラマを締めくくるにふさわしい圧巻だった。また、脚色の功罪は別にして哲太郎役の中村獅童、不二子役の優香、上記の中村雅俊など、スタッフ一同、それぞれの持ち役に徹した熱演はさすがだった。

 しかし、こうしたドラマの功の部分を認めながらも、最後まで見終えた私には、「終戦記念特別ドラマ」と銘打つなら、ぜひに伝えてほしかった原作の真髄の部分がさらりと流された印象を拭えなかった。それは哲太郎が巣鴨刑務所から危険を覚悟で匿名で書き付けた手記(原作に収録)の中の次のようなくだりである。

BC級戦犯釈放は再軍備の引換え切符ではない

 「下されたカーテン〔講和条約のこと―ー醍醐〕の中で両者は妥協へと急いだ。吉田〔茂〕は事実上の再軍備、即ち漸進的な予備隊の強化を約し、ダレスは将来に於て戦犯釈放の可能性への道を残した。そして其の時期は日本が再軍備をした時であった。」(原作92~93ページ)

 「私達は再軍備の引換え切符ではない。私達は戦争地獄へ渡る三途の川の渡し守へ支払う一文銭であってはならない。
 私達が欲するのは、人道的見地を盾にとった、他からきり離して戦犯釈放だけを対象とした、死の商人達の運動のおかげで釈放されることではない。
 私達が望むのは、祖国がそのすべての旧交戦国と友誼的な平和条約を結び、植民地の圧制から独立し、平和を愛する諸国民の寛大な取りはからいによって、私達が戦争に協力した道徳上の罪を赦され、暖かい日本国民の懐に帰り、平和愛好の国民の一員として祖国の独立と平和とを守り、以って人類の幸福に貢献し得る機会を与えられることである。」(原作95~96ページ。この手記は『世界』1952年10月号に「一戦犯者」の匿名で発表されたもの。)

天皇陛下、こんご日本人に生まれかわってもあなたの思うとおりにはなりません

 「天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。そして日頃から常に御勅諭の精神を、私の精神としようと努力した。私は一度として、軍務をなまけたことはない。そして曹長になった。天皇陛下よ、なぜ私を助けてくれなかったのですか。きっとあなたは、私たちがどんなに苦しんでいるか、ご存じなかったのでしょう。そうだと信じたいのです。だが、もう私には何もかも信じられなくなりました。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べということは、私に死ねということなのですか? 私は殺されます。そのことは、きまりました。私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。ですから、もう貸し借りはありません。だいたい、あなたからお借りしたものは支那の最前線でいただいた七、八本の煙草と、野戦病院でもらったお菓子だけでした。ずいぶん高価な煙草でした。私は私の命と、長い間の苦しみを払いました。ですから、どんなうまい言葉を使ったって、もうだまされません。あなたとの貸し借りはチョンチョンです。あなたに借りはありません。もし私が、こんご日本人に生まれかわったとしても、決して、あなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。」(原作、26~27ページ。この手記の日付は1952年10月20日。飯塚浩二編『あれから七年』光文社、1953年に志村郁夫の名で収録されたもの)

 私の拙い解説はもはや不要だろう。原作の末尾に収録された内海愛子さんの解説で引用された資料によると、起訴されたBC級戦犯容疑者は5,700人、有罪者は3,419人、うち984人が死刑であったが、死刑囚の11%は俘虜収容所関係者だったという。
 
 思えば、私が生まれた1946年、哲太郎は絞首刑の恐怖におびえながら逃亡生活を続けていたことになる。BC級戦犯とその裁判の実相、13段の絞首台に引き出されるのが明日とも知れない極限の状態で彼らが必死に書き残したメッセージは60年近く経った今でも極く限られた人々にしか知られていない。それを次世代の若者に伝えるのは、BC級戦犯にならずに済んだ私たち戦後世代の道義的責任である。

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2007年7月12日 (木)

不公平な政見報道に対する抗議と予防的申し入れ

 1ヶ月近く更新が滞ってしまったが、この間、掲載したい題材は山積している。取り急ぎ、私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が「NHK問題を考える会(兵庫)」と連名で、今日(7月11日)、不公平な政見放送を行った民放3局宛てに送った抗議声明を掲載する。このほか、当会と兵庫の会は、同日、他の報道機関(NHK、全国紙、民放各社)にも政治的に公平な報道を求める申し入れ書を送った。

 なお、民放3局に対する抗議の文書の末尾に記しているように、3局が当会の要求に応じない場合は、BRC(報道と人権等権利に関する委員会)に苦情の申し立てをする予定である。

 下記の文書の後に、私のコメントを掲載したので、併せてご笑覧いただけるとありがたい。

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                           2007年7月11日

    放送法第3条に反した報道に対する緊急抗議声明

 日本テレビ 御中
 ラジオ日本 御中
 テレビ東京 御中

                      NHK問題を考える会(兵庫)
              NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ

 日本テレビ、ラジオ日本、テレビ東京の各局は、7月5日から6日にかけて、自由民主党総裁である安倍晋三首相のみを生出演させ、その主張を自由に述べさせました。参議院議員選挙という民主主義の根幹をなす選挙を目前に控えたこの時期になされた本報道が国内放送の編集等について、放送事業者に対して課した規定「放送法第3条の二第1項 二 政治的に公平であること」に違反し、一党に偏したものであることは明白であり、当会はここに強く抗議します。

 そもそも、放送メディアが、数千万の市民に、同時一斉に言論・情報を提供する媒体の独占・寡占を許すのは、放送法に従った報道の遵守が確約されているからです。本件は上記3局がこうした放送メディアの使命を没却した蛮行であり、とうてい認めることは出来ません。直ちに自由民主党以外の政党に謝罪すると共に、各政党の党首を生出演させ、同様の意見表明の場を提供するよう要求します。

 なお本件は、「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」が定めた「公平・公正を書いた放送により著しい不利益を被った」に相当する報道と判断し、当会の要求が受け入れられなかった場合は同委員会に苦情申立をいたします。

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(コメント)

 そもそも「言論の公共空間」としての公共放送・メディアの根幹的使命は、市民が政治・社会のあり方を思索し、有権者として事情に通じた意思決定をするのに必要な知見を提供すること、異なる意見が交わる場を提供し、思考の可塑性を保つのに貢献する点にある。

 いわゆる「従軍慰安婦」問題や第二次大戦末期の沖縄での集団「自決」強要問題などを歴史教科書から抹消しようとするわが国政府の策動や、プレスコードによって原爆被害の実態を伝えることを禁じた占領期のアメリカ当局の出版・報道統制は、市民が世代を超えて歴史認識を継承・共有し、連帯するのを寸断しようとする野蛮な行為にほかならない。

 「押し付け憲法」論や「戦後レジームからの脱却」などという一部の政治家の戯言も、歴史認識の世代間分断を図り、それを拠り所にして、主権者たる市民を「自分の思い」に沿う方向に誘導するための傲慢で悪質な政治的レトリックといわなければならない。

 むしろ、市民が国境と世代を超えて、戦争と平和の歴史、現代の政治・経済・社会等をめぐる根幹的な事実を共有しあい、異質な思考と交わる機会を保ってこそ、各人の思考の固定化(少数派が陥りがちな引き籠もり的独善主義も含め)を防ぎ、理性を共通の基盤にした対話を成り立たせることができるのである。

 その結果、今日の少数説が明日は多数説に入れ替わる可能性も担保し、多数説と少数説が互いに切磋琢磨して社会全体の理性の水準を底上げするーーこうした民主主義の成熟に寄与するところに、不特定多数の市民に同時一斉に言論・情報を提供できる媒体の寡占を許されたメディアの使命があることを、報道と言論に携わる関係者は銘記すべきである。

 上記のような特定の政党を引き立てる偏向した報道のみならず、有権者の「関心」に応えるという標榜の下に、「政権交代」が国政選挙の焦点かのように描き、2大政党・党首の動静を別格扱いする報道にも、上記のようなメディアの使命に照らして、厳しい批判の目を注ぐ必要がある。

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2007年6月 8日 (金)

全国紙4社と菅野俊秀氏に対して公開質問書を発送――NHK経営委員長「内定」報道をめぐって――

 このブログの直近の3つの記事で取り上げたNHK経営委員長の「内定」報道について、本日、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ、NHK問題を考える会(兵庫)、メディアの危機を訴える市民ネットワーク事務局の三者連名で、朝日新聞社、読売新聞社、毎日新聞社、日本経新聞社の4社と、この問題に関してコラムを執筆した(5月25日の朝日新聞朝刊に掲載。その内容はこのブログの前回の記事に収録)菅野俊秀氏宛に公開質問書を発送した。6月20日までに文書による回答を要請している。

 これら5つの質問書は、引用した記事の原文の表現上の違いを別にすると、ほほ同じ内容なので、ここでは朝日新聞社宛の質問書の全文を掲載することにしたい。その他の質問書はURLを貼り付けることにする。

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                           2007年6月8日
朝日新聞社 御中

  NHK経営委員長の人事をめぐる貴社の報道についての
               公開質問書

 時下、貴社におかれましてはご清祥のことと存じます。
 さる5月18日の貴紙朝刊1面に、「新経営委員長に古森氏 NHK経営委 富士フィルム社長」という見出しの記事が掲載され、その中で次のように記されています。

  「政府は17日、NHK経営委員会の新しい委員長に富士フィルムホールディングスの古森重隆社長(67)を起用する方針を固めた。今国会で経営委員に就くことに同意を得られれば、6月にも正式に就任する。」「17日午後の安倍首相と菅総務相の会談で内定した。」「NHKの経営委員は、国会の同意を得て首相の任命で決まる。委員長は12人の委員が互選する。」

 私たちは、この記事には、NHK経営委員長の選出をめぐる報道のあり方について、さらに、NHK経営委員会と政治の関係をめぐるジャーナリズムの見識について、重大な疑問があると判断し、以下の質問を提出します。これについて貴社の見解を6月20日までに文書で下記宛にお送りくださるよう、お願いいたします。

質問1 この記事について、これまでに、政府あるいは古森重隆氏側から、何らかの訂正の申し入れがあったでしょうか? あったとすれば、どのような申し入れだったのでしょうか?

質問2 上記の記事にも記されているように、NHKの経営委員長は経営委員の互選で選出することになっています(放送法第15条第2項)。したがって、内閣総理大臣が放送法第16条第1項に従い、両院の同意を得て特定の人物を経営委員に選任することと、その人物が経営委員長に選任されるかどうかはまったく別個の問題です。
 にもかかわらず、上記の記事で安倍首相と菅総務大臣の会談で経営委員長が「内定した」と記された根拠はどこにあったのでしょうか? 理由を明確にご説明ください。

質問3 記事にあるように、政府が個人名まで特定して、経営委員長の人事に介入しているとすれば、それは放送法第15条第2項に反する違法行為に当たることは明白です。にもかかわらず、上の記事がこうした政府の行為の違法性に一切触れず、古森氏の経営委員長就任が既定の事実となったかのように報道しています。これは、経営委員長の選任権を持つ経営委員を冒涜するものであるとともに、政府の違法な人事介入を追認するばかりか、それを喧伝・助長するものであると当会は考えますが、貴社はどのようにお考えか、ご回答ください。

質問4 同じ5月18日の貴紙朝刊の34面で、この件についての解説記事が掲載され、古森氏の起用は「首相との近さが決め手か 独立性に課題も」という見出しが付されています。また、この記事では、政府が目論む経営委員会の「権限強化は放送に対する政治介入の余地を生む恐れもある」と指摘しています。
 しかし、ほかでもなく、今回の経営委員長の人選をめぐる政府の動きは、時の政権トップの人脈・意向でNHKの最高意思決定機関の長を選ぼうとする、権力を笠に着た傲慢な政治介入そのものです。従って、「独立性に課題も」というなら、NHK経営委員会の独立性を侵す政府の介入を質してしかるべきところ、これを不問にした貴紙の記事は権力を監視すべきジャーナリズムの使命を放棄したのも同然と考えられます。これについて貴紙の見解をお聞かせください。

                                   以上

             NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
                                        共同代表:湯山哲守・醍醐 聰
          HP:http://space.geocities.jp/shichoshacommunity/
              メールアドレス:shichoshacommunity@yahoo.co.jp
                                              専用電話:048-873-3520

                     NHK問題を考える会(兵庫)
                                                            代表:貫名初子
                                        電話&FAX:078-351-0194

                メディアの危機を訴える市民ネットワーク事務局
                  HP:http://www.jca.apc.org/mekiki/index.html
              メールアドレス:mekikinet-owner@hayoogroups.jp

 ご回答は文書にて下記へお送りくださるよう、お願いいたします。(以下、省略)

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他の4通の公開質問書は次のとおり。

読売新聞社への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_yomiurisinbun20070608.pdf

毎日新聞社への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_mainichisinbun20070608.pdf

日本経済新聞社への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_nikkeisinbun20070608.pdf

菅野俊秀氏への公開質問書
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/situmonsho_to_sugano20070608.pdf

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2007年6月 1日 (金)

NHK経営委員長人事への政府の違法な介入を追認し免罪する報道人の腐食したジャーナリズム精神

  5月25日夜、知人から、今朝の『朝日新聞』にNHK新経営委員長云々の記事が載っている、という連絡をもらった。朝方、あわただしく主要記事に目を通すだけだったので、あわてて紙面を繰ると27面に、「試される経営委員長の手腕」という見出しで菅野俊秀氏筆の囲みの記事が載っていた。
2007_0525_1










そして、読み進むにつれ、知人がいわんとしたことがわかった。

 経営委員長の選出方法をなぜ示さないのか?
 記事は、「NHK経営委員会の新委員長に、富士フィルムホールディングスの古森重隆社長が内定した」という書き出しで始まっている。それに続く文中でも、「新委員長」という表現が2度登場する。記事の趣旨は、見出しの通り、「NHKの新経営委員長に内定した古森氏が課題山積のNHKの職務の執行を監督する経営委員会の長として、いかに手腕を発揮するか」を問うというものである。

 この記事のそもそもの問題は、さりげなく記された次の一節にある。

  「経営委員は国会の同意を得て首相が任命する。同委員会の権限強化は、政府の影響力が増す恐れも指摘されている。」

 放送法を知らない人が読むと、「そんなものか」で終わりそうである。しかし、このブログの直近の2つの記事をお読みいただいた方なら、「あれ」と感じられたのではないだろうか? くどいようだが、NHKの経営委員ならびに経営委員長の選任方法を定めた放送法条文を再掲しておく。

  「第15条2 経営委員会に委員長1人を置き、委員の互選によってこれを定める。」

  「第16条1 〔経営〕委員は・・・・・・両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」

  上の記事で菅野氏が取り上げているのは経営委員の選任ではなく、経営委員長の選任であり、新たに政府が古森重隆氏を委員長に起用する方針を固めたという報道を受けた論説である。とすれば、菅野氏は経営委員の選任方法を定めた放送法第16条1ではなく、経営委員長の選任方法を定めた同法15条2を示すのが道理ではなかったのか? 現に、NHK経営委員会は放送法第15条第2項の定めに従い、新しく選任される経営委員も含めて6月に開催される委員会で、新経営委員長を互選することになっている。

政府の違法な人事介入を追認し免罪するジャーナリズム精神の腐食現象
  いずれにしても、政府あるいは安倍首相が経営委員長就任含みで古森氏を経営委員に選任しようとするのであれば、それは政治権力を笠に着た傲慢かつ違法な政治介入というべきものである。こうした政権中枢の動きを論評抜きに、「新経営委員長内定」と報道するのでは、政府の違法行為を追認し免罪するに等しい。報道関係者から聞くところでは、5月18日に各紙がいっせいに掲載した「新経営委員長内定」の報道は官邸情報に基づく記事であるらしい。

 権力を監視する使命を負い、政治との距離に敏感であるべき報道人が、時の政権トップが公共放送の最高意思決定機関の長を直々に任用しようとする異常な状況を追及しないばかりか、政権中枢からの「おこぼれ」情報を無批判に垂れ流すのでは、政府広報とどこが違うのか? ジャーナリズム精神の腐食現象をまざまざと見せつけらる一齣であった。

 「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、この事態を重く見て、近く、全国紙各紙と菅野氏宛てに公開質問書を出し、文書での回答を求める準備をしている。

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2007年4月30日 (月)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」を視聴して

 昨夜(4月29日、午後9時~10時14分)、NHKスペシャル「日本国憲法 誕生」を視聴した。さきほど、その感想をE・メールでNHKスペシャル担当へ送ったが、600字以内という字数制限のため、用意した原稿を大幅に削らざるを得なかった。そこで、元の原稿をこのブログに掲載することにした。

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 予告で番組を知り、視聴しました。全体を通して、豊富な資料を駆使し、関係者の肉声での証言も交えて、新憲法の制定過程を丹念に検証したドキュメンタリー番組であったと感じました。特に、天皇制の護持に執着する日本政府と日本の再軍備の脅威を根絶しようとするGHQの思惑、さらには天皇の戦犯と天皇制そのものの廃止まで迫ろうとした極東委員会の構成国の意思が絡み、戦争放棄と象徴天皇制が抱き合わせで盛り込まれた経緯が克明に描かれたのが印象的でした。

 しかし、こうした国際的な交渉の狭間で、日本の民間人あるいは各党代表者からなる憲法研究会、小委員会等の発案で生存権条項の追加、義務教育の年限の延長、戦争放棄の条項の補足等がなされた事実が史実に沿って明らかにされたことは貴重でした。こうした知見を提供するところにドキュメンタリー番組の真髄があると感じました。

 個別的なことをいいますと、「至高」か「主権」か、「前掲」か「前項」か、「輔弼」か「助言と同意」かなど、条文の一字一句をめぐる論議にも立ち入った場面は、解釈改憲が叫ばれる今日、示唆に富んだ編集であったと感じました。

 総じて、「押し付け」憲法論が喧伝されてきた中で、①日本人が自主的に新設・補足した条項が少なくなかった点を照射したのは貴重な知見の提供であったと思います。②他面、GHQや極東委員会の強い意思で制定された条項が少なくなかったことも事実として直視すべきと感じました。

 その上で、極東委員会の強い意向で主権在民が明文化されたこと、当時22歳だったベアテ女史の強い進言と起草で女性の地位向上を定めた条項が盛り込まれたこと等を「押し付け」、「戦後レジームからの脱却」などというレトリックで清算しようとしてよいのかという問いかけが重要と思われました。(ちなみに、安倍首相自身の思考回路について言えば、「戦後レジームからの脱却」ではなく、「戦前レジームからの脱却」が強く求められている。)

 
「押し付け」を言う前に、市民の総意を集約して自律的に新憲法を創造する基盤が成熟していなかった当時の日本社会における民主主義の成熟度こそ、現在・将来への反省を込めて、問いかけられるべきであった(ある)と思われてなりません。

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放送法「改正」法案の実態は「総務大臣の権限拡大」法案

 46日、総務省は「放送法等の一部を改正する法律案」を今国会に提出した。そのうち、NHKに関しては、ガバナンスの強化を謳い文句に掲げて、経営委員会の機能を整理・強化する条項を盛り込んだのが特徴とされている。民放に関しては、①総務大臣が定めた要件を満たすことを条件に、傘下に複数の子会社を持つ放送持株会社を容認し、マスメディア集中排除原則を緩和している点(第52条の2937)、②関西テレビの「あるある大辞典」における番組捏造事件のような事態が起こった場合、総務大臣に「再発防止計画」の提出を命じる権限を新設するとともに、提出された計画について総務大臣に意見を付ける権限を設ける条項が新設されている点(第53条の82)、が特徴である。

 これらを総合すると、今回の放送法「改正」法案は、NHKか民放かを問わず、「総務省の権限拡大法案」と呼ぶにふさわしい――これが私の結論である。以下、この記事では、NHKに関係する法案部分に限定して、この見解を検証しておきたい。

実態は経営委員会の権限強化ではなく、総務省の権限拡大
 
法案は、NHKのガバナンスの強化を謳い文句に経営委員会の決定事項として次のような条項を新設している。
  ・「監査委員会の職務の執行のため必要なものとして総務省令   で定める事項」 (第14条第1項一のロ)
  ・「会長、副会長、理事の職務の執行が法令及び定款に適合す   ることを確保するための体制その他協会の業務の適正を確保      するために必要なものとして総務省令で定める体制の整備」
    (第14条1項のハ)
  ・「経営委員会は、前項に規定する権限の適正な行使に資する    ため、総務省令の定めるところにより、第32条第1項の規定に    より協会とその放送の受信についての契約をしなければなら      ないもの〔受信契約者のこと:醍醐追加〕の意見を聴取するも
    のとする」(第14条第2項)

 また、運営上の規則として、次のような条項を新設している。
  ・「〔経営〕委員長は、総務省令で定めるところにより、定期的に   経営委員会を招集しなければならない。」(第2222項)

 以上、一見してわかるように、新設される経営委員会の権限、運営規則はすべて、今後、総務省が定める省令等で実施の細目が決められる仕組みになっている。言い換えると、監査委員会の職務の執行に必要な事項、会長・副会長、理事の職務の執行状況を経営委員会が監督するのに必要な事項、経営委員会が受信契約者の意見を聴取する権限を行使するにあたっての規則は、外見上、経営委員会の決定事項となっているが、法案をよく読むと、これら規則等はすべて総務省が省令で具体的な運用規則を決めることになっているのである。おまけに、経営委員長が経営委員会をどのように招集するかまで総務省がおせっかいを焼くと名乗りを挙げている。

省令は国会の審議も議決も要しないことを銘記すべき
 さらに、ここで注意しなければならないのは、「省令」の制定の仕方である。大辞泉によると、省令とは、「各省大臣が、主任の事務について発する命令。執行命令と委任命令とがある」と解説されている。このうち、「執行命令」とは「法律の規定を執行するために必要な細則を定める命令」で、「施行令」、「施行規則」などを指す。また、「委任命令」とは、「法律の委任に基づいて発せられる命令」のことで、「政令」、「省令」などがこれにあたる。今回の放送法「改正」法案に頻繁に登場する「省令」とは、この法案の委任に基づいて発せられる命令といえるから、「委任命令」に当たる。

 つまり、法律の委任を受けて所管大臣が発令すれば法的効力を持ち、国会での審議・議決を経る必要はないのである。このように、今回の放送法「改正」法案は、国会の関与なしで決定される省令に実施細則の重要部分(経営委員会の権限の整理・強化に関わる部分)が委任されている点でも、総務省の権限拡大法案という性格が加重される。

法律の重要部分を省令に委ねるとどうなるか
――男女雇用機会均等法における「間接差別」の判定基準を事例にして――

 では、法律の根幹に関わる実施細則を国会での審議・議決を必要としない省令に委ねるとどうなるか――この41日から施行された改正男女雇用機会均等法における「間接差別」の範囲を決定するプロセスを参考事例にして、この点を検討しておきたい。

 2006615日の衆議院本会議で改正男女雇用機会均等法が全会一致で可決・成立した。今回の改正で大きな論点の一つになったのは、性別の中立性を標榜しながら、結果として一方の性に不利になるような「間接差別」の禁止をいかに実効あるものにするかという点だった。これについて法案の第7条は、次のような表現になっていた。

  「事業主は、募集及び採用並びに前条各号に掲げる事項に関する措置であって労働者の性別以外の事由を要件とするもののうち、措置の要件を満たす男性及び女性の比率その他の事情を勘案して実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置として厚生労働省令で定めるものについては、当該措置の対象となる業務の性質に照らして当該措置の実施が当該業務の遂行上特に必要である場合、事業の運営の状況に照らして当該措置の実施が雇用管理上特に必要である場合その他合理的な理由がある場合でなければ、これを講じてはならない。」(下線は醍醐が追加)

 これについては、国会審議の場で「何が間接差別に当たるのか」を省令でどのように定めるのかについて各党から懸念が示され、次のような附帯決議が全会一致で採択された(下線は醍醐が追加)。

  「政府は、本法の施行に当たり、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。
 1.間接差別の法理・定義についての適正な理解を進めるため、事業主、労働者等に対して周知徹底に努めるとともに、その定着に向けて事業主に対する指導、援助を進めること。また、厚生労働省令において間接差別となるおそれがある措置を定めるに当たっては、国会における審議の内容、関係審議会における更なる検討の結果を十分尊重すること

 2.間接差別は厚生労働省令で規定するもの以外にも存在しうるものであること、及び省令で規定する以外のものでも、司法判断で間接差別法理により違法と判断される可能性があることを広く周知し、厚生労働省令の決定後においても、法律施行の5年後の見直しを待たずに、機動的に対象事項の追加、見直しを図ること。そのため、男女差別の実態把握や要因分析のための検討を進めること。」(以下、省略)

 しかし、20061011日に公表された「労働省令第183号」では、間接差別は、①募集・採用の際に身長・体重・体力を要件とすること、②総合職を募集・採用の際に転居を伴う転勤に応じることを要件とすること、③昇進にあたり、転勤の経験があることを要件とすること、の3点に限定され、それ以外の間接差別が存在する余地は明文化されなかった。また、5年後の見直し規定も盛り込まれなかった。

スケジュ-ル消化に堕落したパブリック・コメント
 もっとも、国会での審議を要しない代わりに、省令の制定にあたっては、通常、審議会への諮問が義務付けられている。また、最近では、パブリック・コメントが募集されるのが通例になっている。2006年の男女雇用機会均等法に係る省令の制定にあたっても、約1ヶ月間(2006829日~927日)、パブリック・コメントが実施された。では、その実態はどうであったか? 間接差別関係に限定して、それを確かめておきたい。

 厚生労働省雇用均等・児童家庭局雇用均等政策課が発表した意見募集の結果に関する報告によると、計197者から意見が寄せられたが、寄せられた意見に対し、担当部局課は次のような「考え方」を示している。

      (意見の概要)            (意見に対する考え方)
 間接差別の規定について5年    通常、省令に見直し規定をおくこ
 以内見直しを明記することを求  とはない。
 めたもの

 間接差別と考えられるものの   均等法上の間接差別として違法
 例を追加することを求めるもの   とするものについては、労働政策
                     審議会でコンセンサスの得られた
                      3つの措置についてとされたところ
                      であり、その他の例を省令上規定
                      することは適当ではない。

 これを見てもわかるように、寄せられた意見に対する行政側の応答は木で鼻をくくったようなそっけないものである。特に後者のように、間接差別の範囲は前年に提出された審議会の報告(建議)で示された3項目で決まりといって、寄せられた意見を退けてしまうぐらいなら、そもそも意見を募集する以前に「結論ありき」だったことになる。これでは意見募集は「スケジュール消化」の通過儀礼に過ぎず、まじめに意見を寄せた関係者を愚弄するものである。また、これでは、「総務省による総務省のための」放送法「改正」と言ってもなんら過言でない。

視聴者主導の放送法改正論議が求められる
 つまり、外見上、広く市民・利害関係者の意見を聞くデュー・プロセスを踏むかの体裁を整えても、寄せられた意見の扱いは所管庁の判断次第というのが実態である。ことほど左様に所管庁の裁量が幅を利かせる省令に、法案の運用細則を委任する条項が随所に盛り込まれた今回の放送法「改正」案を成立させることは、後々に大きな禍根を残すことを視聴者はくれぐれも銘記しておく必要がある。

 具体的にいうと、第14条第1項一のロを受けて定められる総務省令を通じて、総務大臣は監査委員会の権限の及ぶ範囲を自在にコントロールできる。
 また、第14条1項のハを受けて定められる総務省令を通じて、総務大臣は経営委員会が会長以下NHKの理事の職務執行に対する経営委員会の監視の範囲を自在にコントロールできる。
 さらに、総務大臣は、第14条第2項を受けて自らが定める省令によって、経営委員会と受信契約者の関係を自在に定めることが可能になる。

 しかし、それでも、市民・視聴者の中には、「あるある大辞典」に見られたような番組捏造事件や、低俗なやらせ番組が頻発すると、放送の公共性、番組内容の健全性を維持するには、国会や行政の関与もやむを得ないという意見も少なくない。しかし、本当にそうなのか? この点を考える際には、次の指摘が含蓄に富んでいる。

 「視聴者は有権者と同義なのか。有権者の代表たる衆参両議院の議員は、同時に、税金とは別に受信料を払っている視聴者を代表できるということか。あるいは、NHKは予算等の説明を国会ですれば、視聴者へのアカウンタビリティ-(説明責任)を果たしたことになるというのだろうか。おそらく、そうではない。NHKに限らずマスメディアは、立法・行政・司法の三権から十分な距離をとって存在し、広範な視聴者や読者とのあいだに<直接的>な信頼関係を築くことで、その存在の根拠と正統性を獲得するものである。」(「デジタル時代のNHK懇談会」最終報告書より)

 私もこの指摘に共鳴するところ大であり、公権力を介さない視聴者とNHKの受信料を通じた一種の信託関係(川島武宣)に基づく自律的な放送法改正論議が待たれるところであると痛感している。ただ、これは極めて大きなテーマなので稿を改めて議論することにし、ひとまず、その手がかりになると思われる資料を添付しておきたい。これは、去る421日に開催された「拡大放送フォーラム」(「放送を語る会」主催)で私が担当した報告の際の参考資料として作成・配布したものの一部である。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sankoshiryo_nhk_gyoseifu.pdf



 

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2007年4月11日 (水)

放送法「改正」法案の全文判明

 総務省は先日、「放送法等の一部を改正する法律案」を国会に提出したが、昨日夕方、法案全文が総務省のHPにアップされていることがわかった。URLは次のとおり。
  http://www.soumu.go.jp/menu_04/k_houan.html

 この間の経過は、「「ちょっと待って! NHK受信料義務化を考える全国市民連絡会」のHPに掲示されている。
  http://nhk-shiminrenrakukai.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_267e_1.html

 その連絡会の記事でも指摘されているが、総務省のHPにアップされた文書はかなりの分量である。部外者には、そのうちの「放送法等の一部を改正する法律案新旧対照条文」が有用と思われる。このブログの今回の記事では、法案の全容判明という情報の掲示にとどめ、次回の記事では、この新旧対照条文にそって、主な「改正」箇所とそれに関する私見を述べていくことにしたい。

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2007年4月 5日 (木)

被爆少女の手記にまで及んだGHQによる原爆記録の検閲

NHKアーカイブス(川口)へ行く
 一昨日(43日)、川口市にあるNHKアーカイブスへ出かけた。
 (道順と番組ライブラリーはこちら↓)
 http://www.nhk.or.jp/archives/kawaguchi/access/index.html
 このブログの前回の記事で取り上げた正田篠枝の足跡を記録した「耳鳴り~ある被爆者の20年~」を視るのがもともとの目的だった。しかし、数日前から、WEB上で「番組ライブラリー」を調べるうちに、原爆の記録や報道を取り締まった当時の占領軍の検閲制度を扱ったドキュメンタリ-が数点、保存されていることを知り、それらも併せて視ることにした。

 アーカイブスは埼玉県が中心となって推進しているSKIPシティ(中小企業、映像関連産業を核とした、さいたま次世代産業拠点)の一画にある。JR川口駅からバスで13分ほどで、11時過ぎに着いた。平日とあって70ほどあるブースの約3割が埋まっていた。受付で、「2時間交代制」と告げられた。荷物を置いたまま長時間、席を離れる人がいるため、こういう時間決めにしたそうだ。ただし、平日で比較的空いているので、間違いなく更新できると告げられ、1630分ごろまで3回転で落ち着いて視聴できた。

 この日は次の5点を視聴した(括弧内の年月日は初回放送日)。
  1.耳鳴り~ある被爆者の20年~(平和アーカイブス)(196511   28日。)
  2.人生読本 「ヒロシマを語りつぐ」(1)栗原貞子(198285    日。ラジオ)
  3.人生読本 「ヒロシマを語りつぐ」(2)栗原貞子(198286    日。ラジオ)
  4.NHKスペシャル あの炎を忘れない~被爆少女の手記とGHQ   検閲~(199389日)
  5.ドキュメンタリー 爆心地のジャーナリスト(198086日)

 以下では、4番目に視た「あの炎を忘れない~被爆少女の手記とGHQ検閲~」のあらましと感想記を書きとめておきたい。次回のブログ記事では、5番目の「爆心地のジャーナリスト」を取り上げたい。

検閲に抵抗した父親
 アメリカ・メリーランド州立大学に保存されているプランゲ文庫で、14歳の時、長崎で被爆した石田雅子さんが兄の勧めで家族新聞用に書いた手記をまとめた『雅子斃れず』と題する手書きの稿本が発見された(注:これは、おそらく、モニカ・ブラウ著/立花誠逸訳『検閲 19451949 ――禁じられた原爆報道――』283ページで注記されている、検閲用に提出された仮刷版ではないかと思われる。日付は1947620日となっている)。

 プランゲ文庫とは、メリーランド州立大学教授のままGHQの参謀Ⅱ戦史室に勤務していたゴードン・W.プランゲ氏が持ち帰った出版物を同大学が「プランゲ文庫」と名づけて保存している日本占領期の資料集である。この書物の元原稿を手がかりに、被爆当時の長崎市内の模様を綴った日記風の手記にまでGHQの事前検閲が及んでいた実態に迫ろうとしたのが、この番組である。

 番組の主な舞台は石田家であり、存命の雅子さんをはじめ、兄の譲一氏、さらには当時の民間検閲官、長崎軍政府代表団に所属した司令官らも登場する。しかし、主役は雅子さんではなく、原爆投下の当時、雅子さんと宿舎で2人暮らしをしていた父、壽(ひさし)氏である。壽さんは当時、長崎地方裁判所の所長の職にあったが、この番組は、職業上の法律知識と広い人脈を活かして、わが子が記した被爆の記録を書物にしようと奔走した壽さんの執念の行動を貴重な資料や関係者の証言をまじえながら生々しく再現している。

推薦状を書いて出版に力添えをした長崎軍政府司令官
 (旧姓)石田雅子さんは爆心地から1.5キロ離れた兵器工場で働いていたところで被爆した。長崎県立高等女学校の3年生の時だった。その時の模様を「雅子斃れず」という表題で家族新聞に掲載したのを壽さんは手書きの書物にして民間検閲支隊福岡支部に提出した。当時は、1945919日付で発出された「プレスコード」によって一切の出版物に事前検閲がしかれ、ゲラ稿を検閲当局に提出しなければならなかったからである。しかし、6日後、福岡の検閲当局から、「申請は手書きでは受け付けない、活字にして2部提出せよ」という簡単な返事が届いた。

 そこで、壽氏は出版許可を待たず、乏しい紙をかき集めて印刷にとりかかる一方、交友のあった長崎軍政府デルノア司令官に推薦状を依頼した。この書物が反米感情をあおるおそれありとしてプレスコードにひっかかるのを恐れたからである。番組制作当時、マサチュセッツ州に在住し、インタビューに応じたデルノア氏は、壽氏が「娘さんの作文を持ってきたときは親バカだと思ったが、読んでみてすばらしい内容で娘さんに敬意を持った」と当時の様子を語った。その心情をデルノア氏は当時作成した推薦状に次のように記している。

  「我々アメリカ人が原子爆弾の意味を正しく認識すること、多くの日 本人が体験したことと、その心境を知ることが今、大切である。」

「公共の安寧を害する」との理由で発禁処分
 しかし、1947716日、福岡の検閲当局は『雅子斃れず』を発禁処分にした。その理由はプレスコード第2条に違反するというものだった。念のため、この条文を原文で引用しておく。

  Nothing should be printed which might, directly or indirectly,   disturb the public tranquility.

 福岡地区検閲官ソロブスコイ少佐は1947716日に九州軍政府司令官に宛てて送った回答の中で次のように記している。

  「本地区は、小説『雅子斃れず』が日本における公共の安寧を乱す であろうということ、そしてその小説が、爆撃は人道に対する犯罪で あることをほのめかすものであると信じるものである。」「戦争の傷跡 をあけたり、敵意をふたたびあおりたてるような風潮がもっとしずまる とき」までは日本では出版されるべきではない。(モニカ・ブラウ著/ 立花誠逸訳、前掲書、133ページ)

 その際、ソロブスコイ少佐の返信では、原爆の傷跡をあまりに写実的に描いている箇所として次のような文章を引用していた(モニカ・ブラウ著/立花誠逸訳、前掲書、133ページ)

  「火傷で皮ふがむきだしの裸体、皮をむいた桃のような死体・・・・。 私は気が動転していました・・・・。死体、脚が大きな川を埋めていま した。・・・・親子が抱き合って其の儘焦げちじれている死体・・・・。  ああ、何と悲惨な光景でありましょう。・・・・」

 結局、『雅子斃れず』はゲラ奥付の「昭和22630日発行」という年月日を削除のうえ、仮刷のまま、私家本として100部(一説では200部)を非売品として個人的に配布された(武市銀治郎「アメリカの対日占領期における検閲政策――原爆報道を中心にして――」『防衛大学校紀要』19969月、75ページ参)。

検閲隠し
 占領期の言論・出版に対する検閲のなかで、特筆すべきことは、検閲の事実を一般読者の目に触れないよう、隠蔽する措置が取られたという点である。これについて、「GHQ占領下のジャーナリズムと原爆文学研究」(平成13年度~平成15年度科学研究費補助金〔基盤研究C〕、研究代表者:岩崎文人)は、CCD(民間検閲支援隊)がプレスコードの運用指針として配布した補足文書「出版社への注意書」の中で次のような事細かな注意書きを記していたことを明らかにしている(2ページ)。

  「一.削除を指令されたる場合は左の如き行為をせず必ず組み変え印刷すること
    1.墨にて塗りつぶすこと
    2.白紙をはること
    3.○○○等にて埋めること
    4.白くブランクすること
    5.頁を破り取ること」
 こうした指示が、検閲の痕跡を消す意図をもってなされたことは明らかである。


人道の罪で他者を裁きつつ、自ら原爆投下という人道の罪を抱えた米国の自己撞着

 19471015日を機に、占領軍の事前検閲は事後検閲に移行し、194910月には事後の検閲も廃止された。壽氏が検閲当局を尋ねて、この書物にも事後検閲が適用されると知ったのは19489月だった。そして、『雅子斃れず』が婦人タイムズ社(長崎)から出版されたのは、半年後の1949220日だった。

 武市銀治郎、前掲論文は、「占領軍が自由唱道の表看板の裏で徹底した“検閲隠し”を実行し」たこと、原爆記録の出版が事後検閲へ移行と同時には増加せず、それからしばらく経って(極東国際軍事裁判が終了して以降に)遅延した背景をいくつかの文学作品等を例にして考証し(『雅子斃れず』もその一例として)、次のような仮説を提示している。

  「極東国際軍事裁判の遂行過程と原爆報道の抑制との関連は、 極めて密接である。それは、裁判の対象になった『平和に対する罪』 『人道に対する罪』『戦争法規違反に関する罪』のいずれに対しても、広島・長崎〔へ〕の原爆投下が大きな障害になり得る可能性を孕み、その実態報道を禁圧する必要に迫られたからである。」(78ページ)

 もとより、現存する資料から、この仮説を完璧に立証するのは至難のことだろう。しかし、当時の米国占領軍が、平和に対する罪、人道に対する罪で日本人戦犯を裁き、日本に言論・出版の自由を回復する措置を講じる一方で、自らも原爆投下という平和に対する罪、人道に対する罪を抱えるという抜きさしならない自己撞着を抱えていたことは疑う余地がない。原爆被害に関する言論・出版に殊のほか目を光らせ、過敏なまでの検閲を敷くと同時に、検閲の痕跡を残さない措置も周到に講じた理由は、こうした自己撞着のなせる業ではなかったと考えられる

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2007年3月20日 (火)

「従軍慰安婦」問題再論:日本政府に必要なのは身勝手な「証拠」ではなく、史実と被害者の叫びを直視する「理性」である

NHKは日本政府の北朝鮮政策のスポークスマンなのか?


 「従軍慰安婦」問題をめぐって安倍首相は持論を封印したり、開封したり、右往左往している。途中から河野談話を受け継ぐといい、一度は元慰安婦に「お詫び」を強調するなど持論を封印する姿勢を見せた。しかし、その後も強制連行という「狭義」の強制を裏付ける証拠はないと蒸し返し、16日に政府は「発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」という答弁書を提出した。


 こうした日本政府の発言に対する米国議会や各国政府・世論の批判の広がりは各紙でそれなりに報道された。しかし、不思議なことにNHK、特に夜7時のニュースはこうした動きを全くといってよいほど伝えていない。その一方で、北朝鮮の核開発問題をめぐる6カ国協議の報道を定番のように大きく報道し、北朝鮮への経済支援と絡めて日本人拉致問題を議題に乗せようと苦心する日本代表の姿を連日クローズアップしている。


日本政府は日本人拉致被害者に向けるのと同じ正義と人道を、なぜ他国の元慰安婦にも向けられないのか?


 北朝鮮による日本人拉致が極悪非道の行為であること、経済支援を引き出す交渉のカードのように拉致被害者を扱う北朝鮮政府の姿勢が常軌を逸していることは論を待たない。そして、年少期に家族から引き離され、人生を狂わされてしまった拉致被害者の一刻も早い帰国を果たすよう、日本政府が外交交渉を続けるのは当然のことである。しかし、それなら、日本政府は日本人拉致被害者に向けるのと同じ正義と人道の精神をなぜ、他国の元慰安婦にも手向けることができないのか?


 アジアをはじめとする諸国の多数の女性たちは、青春期に甘言や強制で慰安所に連れ込まれ、事実上の軟禁状態のもとで幾人もの元日本人兵士の性的処理の相手をさせられた。自分の一生を根こそぎ台無しにされ、生死をさまよい、その後の人生に深い傷を背負った点では日本人拉致被害者とどう違うのか?

 NHKも、「視聴者にできる限り幅広い視点から、情報を提供する」(新放送ガイドライン)というなら、従軍慰安婦問題に関する安倍発言に対して、米国下院外交委員会の公聴会で元慰安婦がどのような証言をしたかをなぜ伝えないのか? また、その証言を受けて、シエーファー駐日米大使が「私は元慰安婦の証言を信じる。元慰安婦は旧日本軍に強姦されたということだ」と語ったことをなぜ伝えないのか? オランダ外相がオランダ駐在の日本大使を呼んで「強制連行はなかった」という安倍発言に対し強い憂慮と不快感を伝えたことをなぜ報道しないのか? 先日来日したオーストラリアのハワード首相が訪問中に日本政府に対して「つまらない言い訳をするな」と警告したことをなぜ伝えないのか? 


 これでは、いかに「自主的な編集判断」と言っても、自国政府にとって追い風となる事実の報道には熱心な反面、自国政府に「耳の痛い」「不都合な」事実の報道には消極的だと推測されてもやむを得ない。自主自立は言葉でではなく、日ごろ「何を」「どのように」報道したかで具体的に試されるものである。

「家に乗り込んでいって強引に連れていったのでなければ強制にはあたらない、したがって謝罪する必要はない」と言っているに等しい安倍首相の、世界の物笑いになるような発言を垂れ流すだけでは、ジャ-ナリズムではない。

日本のメディアは「従軍慰安婦」、「日韓併合」をめぐる東国原知事の歴史認識をなぜ伝えないのか?

 さる3月15日、東国原宮崎県知事は東京有楽町の外国特派員協会で記者会見を行った。これについてはいくつかの民放が報道をしていた。しかし、その内容は、同知事が英語でジョークを混じえてスピーチをした模様を面白しろおかしく伝えたものだった。


 これに対して、The Japan Times HIROKO NAKATA 記者名の“Gov. Sonomanma: What sex slaves?” という見出しの次のような記事を掲載した(抜粋)。

 My position is that it is hard to make a comment (on the issue) unless the history is verified, “ he said. “Both cases of existence and nonexistence (of coercion) should be verified objectively. ”


  「(この問題については)歴史が証明するまではコメントするのはむずかしいというのが私の見解です。」「強制があったという主張も、なかったという主張も、どちらも事実にもとづいて立証されなければなりません」と彼は語った。

Aside from the question of whether there was coercion to get the sex slaves into the trothels, Higashikokubaru said he believes there was nothing wrong with Japanese engaging in the sex trade in pre-1945 Korea, because under a “bilateral accord” in 1910, the Korea Penisula became part of Japan, where the sex business had been allowed under certain regulations.
 

  東国原氏は次のように発言した。「性的奴隷を慰安所に集めるにあたって強制があったかどうかは別にして、朝鮮半島が“双方合意のうえで”日本に併合された1910年から1945年当時は、売春は合法だったから、朝鮮半島から売春婦が日本へ来て性的な商売をするのはなんら問題なかった。」

 この報道から判断する限り、東国原氏は従軍慰安婦を慰安所に徴集する際に強制があったかどうか、不明と解釈していることになる。そればかりか、彼は従軍慰安婦を売春婦と同列に置くかのように認識していること、さらに日韓併合が両国「合意」の統治であったかのように受け止めていることがわかる。宮崎県知事がこうした歴史認識の持ち主であることをわが国の有権者に伝えることと、大リーグのキャンプ地での日本人選手の一挙一動を伝えることと、どちらを優先すべきなのか―――日本のメディアにはこのことが問われているのである。

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2006年11月 3日 (金)

命令による国際放送について電波監理審議会へ申し入れ

  菅総務大臣はNHKに対して北朝鮮による日本人拉致問題に留意した国際放送を行うよう命令する意向を固め、今月8日に開催される電波監理審議会に諮問する予定と伝えられている。
  これについて私は報道機関の表現の自由、番組編集の自立という点から強い危惧を感じ、メディア研究者、ジャーナリスト11名が10月30日付けで発表した「命令による国際放送に反対する緊急アピール」に名前を連ねた。

 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/meireihoso_hantaiapiiru.pdf

  これに続いて11月1日付けで、同じ11名が連名で電波監理審議会委員宛てに後掲の申し入れ書を発送した。私の見解はこの申し入れ文書でおおむね尽きているが、この場でもう少し踏み込んだコメントを付け加えておきたい。

  1.課題の指示は放送への行政介入そのもの
  菅総務相は、今回の命令は安倍政権の重要課題である拉致問題をNHKの国際放送でも重点的に取り上げるよう指示するに止まり、NHKの番組編集に介入するものではないと繰り返し発言している。しかし、限られた放送時間枠のなかで、何を(what)、なぜ(why)放送するかの判断
は、どのように(how)放送するか以前に、メディアの自主的編集の根幹に関わる問題である。この意味で、放送内容に立ち入らないから介入には当たらないなどというのは、報道の自立をわきまえない皮相な物言いである。

  2.「自主編集で命令に従う」というNHKの自己撞着
  今日(11月2日)の『東京新聞』朝刊(3面)は「自主編集で命令従う」という見出しで橋本NHK会長の会見の模様を伝えている。今回の命令放送に対するNHK首脳の対応を一言でいえば、この見出しのとおりだろう。しかし、そもそも論として、「自主的に編集する」ということと、「命令に従う」という言葉を並べるのは自己撞着である。
  
  現行の放送法第33条には、総務大臣は必要な事項を指定してNHKに対し、国際放送を命令できるという定めがある。しかし、これを前提にしても、<様々な報道テーマの一つとして拉致問題をどう扱うかはNHKが自立的に判断するので、政府は表現の自由、報道の自由に配慮して、個別の課題を指示するのは控えてほしい>と
なぜいえないのか? 受信料義務化法案の成立に向け、政府・与党にお世話にならなければならないから、ご機嫌を損ねたくないのか? こうした政治に弱腰な体質がNHKに対する視聴者の不信の根底にあることをNHK首脳は思い知るべきである。

  3.時の政権の重要課題にNHKは寄り添ってよいのか?
    ―-メディアに国籍はない―ー
  菅総務省は、<拉致問題は安倍政権の重要課題なのでNHKにもこの点に留意して欲しいということだ>という趣旨の発言をしている(『東京新聞』2006年10月24日)。しかし、時の政権の重要課題=NHKが取り上げるべき重要課題、という意識にこそ、より本質的な危うさがある。文書による命令は今回が初めてということから議論が高まっているが、総務省(旧郵政省)は従来から口頭で、①時事、②国の重要な政策、③国際問題に関する政府の見解を指定し、これらをNHKが本来業務として行う短波国際放送と一体として放送するよう命令してきた。

  しかし、②や③をNHKの自主編集部分と一体的に放送するとなれば、NHKは国策宣伝機関となる、少なくとも視聴者にそう受け取られるのは必定である。また、たとえ自主放送部分と区別するとしても国策放送にNHKの施設・人材を提供するのではNHKは政府広報に手を貸すことに変わりはない。この意味で、10月30日付けの上記アピールでも提言しているように、今回の事態を教訓として、NHKに国の重要政策の放送を命令できるとした放送法33条、35条の廃止にむけた議論を起こすことが問題の根本的解決に通じると私は考えている。

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電波監理審議会委員 各位
電波監理審議会事務局 御中
                                                            
200611月1日

 
NHKに対する国際放送命令の審議についての申し入れ

 私たちは先に「NHKに対する国際放送命令に反対する緊急アピール」を公表し、菅義偉総務大臣がNHK短波ラジオ国際放送で北朝鮮による拉致問題を重点的に取り上げるよう命令を発することの是非を118日に開かれる電波監理審議会に諮問する方針を明らかにしたことに対して、強く反対するとともに、総務大臣に対し諮問の取り止めを含め命令実施の方針の撤回を要求し、かりに諮問がなされた場合には、電波監理審議会は事案を慎重に吟味し、放送命令を認めない答申を行うよう求めた。

 私たちが今回の放送命令の試みに反対するのは、先の緊急アピールにも記したように、従前からなされてきた一般的、抽象的な放送命令の慣行も疑義が残るのに、今回のような個別具体的な政策課題の放送が時の政府により命じられることになれば、政府の放送介入はいっそう明白となり、憲法が保障する表現・報道の自由の根本原則に反し、放送法に定める放送の自由、番組編集の自由などの基本原則を侵害すると考えるからである。

 私たちはあくまでも今回の放送命令を認めない答申を求めるが、事柄は放送制度の根幹に関わることを考え、審議に際し次のような措置を取るよう申し入れる。

  (1) 事案の重大性に鑑み、諮問の当日に即日答申などという拙速な判断を行うことは到底されず、さまざまな意見に耳を傾け、十分な時間をかけて慎重に審議すること。

 
(2) 市民の知る権利に応え、透明な政策決定プロセスを確保するため、審議の情報公開を徹底し、8日の会合をはじめ、会議について報道機関や市民による取材および傍聴を認めること。

   
(3) 市民の参画と公正な政策決定を確保するため、事案について広く専門家、関係団体、市民などからパブリックコメントを求めるとともに、そうした個人、団体の代表等が参加する公聴会(ヒアリング)を開催すること。

 以上の申し入れに対する回答を、11月7日までに下記に文書で送付するよう求めたい。

 連絡先:岩崎 貞明(メディア総合研究所)
      
東京都新宿区荒木町1-22-203
   
電話 03-3226-0621  FAX 03-3226-0684

梓澤和幸(弁護士)
石川 明(メディア研究者)
岩崎貞明(放送レポート編集長)
桂 敬一(日本ジャーナリスト会議会員)
醍醐 聰(東京大学教授)
田島泰彦(上智大学教授)
津田正夫(立命館大学教授)
野中章弘(アジアプレス代表)
服部孝章(立教大学教授)
原 寿雄(ジャー