質問制限どころか「弁士中止」の再来

2019218

事実誤認はどちらなのか
 官邸は昨年1228日に、菅官房長官の会見における特定に記者の質問が事実誤認の連続として、是正を求める要請文書を内閣記者会に送った。
 しかし、2016年に沖縄防衛局がまとめた報告書で明記されていた辺野古沖における軟弱地盤の存在を「承知していない。防衛局に聞いてほしい」としらを切り、フェーク発言であることが明らかな安倍首相の「サンゴ移植」発言を弁護して見せた菅氏が記者に向かって「事実誤認」と決め打ち発言をしたり、記者の所属する新聞社に9回も注意をしたと得意げに語るのはおこがましい。赤土問題は事実誤認ではなく、地元では周知の事実である。語調の強さは真実の証しにならない。

「弁士中止」の再来
 官邸が内閣記者会に要請文書を出したことについて、菅氏は「会見は記者会の主催なので協力を依頼したまで」と語った。それなら、主催者でもない官邸の一員(報道室長)が特定の記者の質問の時に限って、約10秒ごとに「簡潔に」を連発するのは「質問制限」ではなく、「質問妨害」である。質問を受ける官邸がこれほどあからさまな発言妨害をするのは言論統制時代の「弁士中止」と同じだ。
 新聞労連は抗議声明を出したが、「要請」を受け、「問題意識の共有」を求められた内閣記者会が沈黙を続けるのはどうしたことか? 官邸と「問題意識を共有」するつもりなのか?

後藤謙次氏の気骨ある発言 
 212日の「報道ステーション」は816秒にわたって、「質問制限」問題を取り上げた。この番組で解説を務める後藤謙次氏については、官邸との親密さが問題になったことがある。しかし、この日のこのコーナーの最後に後藤謙次氏が語った発言は記者出身のベテラン解説委員の気骨を発揮した傾聴に値するものだった。以下は後藤氏の発言を私が原稿に起こしたものである。

 「今回の問題は1人の記者と菅官房長官の構図のように見えるが、本質は国家権力とメディアがどう向き合うのか、そこにある。政府のスポークスマンが国民の知る権利に誠実に応える、これが基本なんですね。どんな形にせよ、それが制限につながることはしてはならない。
 われわれ新聞記者は国民の知る権利を担って国民の目となり、耳となり、そして権力の考え方、方針、それを国民に提示していくというのが仕事なんですね。
 
私はその記者を直接知りませんけれども、その記者が発言する質問、それは我々全体に課せられた問題なんですね。 今回の官邸から『東京新聞』あるいは記者クラブ宛てに文書が出たようですが、記者クラブ宛ての文書は、記者クラブ全体で、この記者を村八分にしてくれよ、そういうメッセージと受け取れるんですね。
 これ記者クラブ側の問題があると思うのですが、こういう問題があった場合、なぜ、一致団結して、それをはねのけないのか、我々かつてやりましたけれども、どんな問題であるにせよ、考え方の違う人も一致して権力側に向かい合っている。それが記者のあるべき姿だと思うのですね。
 これを一記者の問題、あるいは一会社の問題として捉えている、そこ自体が私は間違いだと思う。現役記者の奮起を促したい。」


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宮城前の土下座写真、実はやらせだった?

 

201922

2015826日の『西日本新聞』に次のような記事が載っていたのを知った。

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「土下座写真、演出だった?」
https://www.nishinippon.co.jp/feature/postwar_vol11/article/191171/ 

 「(19458月)15日の国民の様子は翌日の朝刊に載った。<永久忘れじ 痛恨の歴史 熱涙に拝す大御心>の見出しに、土下座をした人々の写真が添えられた。」
 「実はこの写真、15日に撮影されていない“やらせ”の可能性が高いことが分かってきた。同じ写真が他の地方紙でも使われており、通信社が配信したようだ。17日付で掲載した東奥日報(青森県)の説明文には「十四日」とある。
 その14日に写真を撮られた人の証言もある。74年、週刊誌で終戦の新聞について評論した外交評論家の加瀬英明さん(78)に一通の手紙が届いた。差出人は花田省三氏。宮城前を通り掛かったところ、腕章をしたカメラマンに土下座をするよう頼まれたという内容だった。他にも20人くらいが協力していたという。」

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記事は「報国報道も“終戦”を迎えた」で結ばれている。確かに、威勢のよい進軍ラッパを鳴らす「報国報道」は70余年前に終わった。しかし、それとは意識しにくい形で国策を後押しする、あざとい「報国報道」が今、強まっているように思える。

 
また、象徴天皇は、君主ではなく「象徴」であることによって、かえって、より多くの人々(かつては天皇制打倒を叫んだ政党の末裔までも)を自発的に恭順させ、臣民意識を温存する情動的思考停止装置として機能しているように思える。この装置は「平成」天皇一代限りではなく、「国民統合の象徴」という仕掛けで、この先も機能し続けるだろう。

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テレ朝の無断録音放送についてBPOに審議を申立て~有志8名で~ 

2018914

 831日放送のテレビ朝日「報道ステーション」が、塚原千恵子氏側から提供された録音データを、相手方(宮川紗江選手)の事前の確認・了解なしに放送したのは宮川選手の人権を侵す恐れがあると同時に、公平公正な番組編集に反し、放送倫理を背く疑いがあると考え、今日、大学教員(元・現)、弁護士ら8名の連名で、BPO(放送倫理・番組向上機構)に対して審議を求める要望書を送った。
 あわせて、この要望書をテレビ朝日内の放送番組審議会と日本体操協会にも送った。要望書の全文は以下のとおり。URLは、
 http://sdaigo.cocolog-nifty.com/bpoate_tereasa_rokuon.pdf 

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                 2018914

 

 BPO放送倫理検証委員会 御中

  テレビ朝日が塚原千恵子氏側から提供を受けた音声
   データを
放送した件について審議を求める要望書 

   (現/元)大学教員・弁護士・ジャーナリスト有志 
                 (有志名簿は後掲)

 目下、女子体操界でのコーチの暴力問題、日本体操協会の一部幹部による選手へのパワハラ問題が大きな社会問題になっています。これについて、831日に放送されたテレビ朝日「報道ステーション」(以下「番組」と略す)は、放送の中で、宮川紗江選手からパワハラを受けたと告発された塚原千恵子氏の代理人弁護士から提供を受けたとして、716日に塚原千恵子氏が録音したとされる、宮川選手との会話の音声データを223秒にわたって放送しました。
 しかし、私たちは、このようなテレビ朝日の番組制作は、以下のような理由から、放送倫理上、大きな問題があると考え、貴委員会に審議を要望いたします。

(1)力の上で優位な立場にある塚原千恵子氏が、弱い立場にある宮川紗江選手の了解なしに録音した音声データを、宮川選手の事前の確認なり了解なしに、一方的に放送したのは、宮川選手の人権を侵す恐れがあると同時に、かりに違法とまで言えないにしても、放送倫理上も慎重な配慮を欠くものである。

(2)塚原氏の代理人弁護士は、録音を提供した目的は、「塚本千恵子氏の話し方が高圧的でなかったことを知ってもらうため」と説明
したが、この説明は次の理由から説得力に欠けている。

 ① そもそも、社会常識から、録音をした塚本千恵子氏が録音中、自分に不利な発言(この場合は高圧的と受け取られるような口調の発言)をするとは考えられない。また、放送された音声データは会話全体のごく一部と考えられるから、メディアに提供した音声が塚原氏の主張に沿った内容であるのは当然で、利害関係者が自ら選択した音声データを提供しても、公正な証拠価値とは言い難い。番組は、このように客観性・公平性に疑問が持たれる音声データを無造作に使った点で、放送倫理上、重大な瑕疵がある。

 ② 宮川選手が高圧的で恐怖を覚えたと訴えたのは715日のやりとりの場での塚原氏の発言であるが、番組が流したのは翌16日の2人のやりとりの一部である。16日のやり取りは、前日、塚原千恵子氏が宮川選手に対して言った発言(「あなたの家族は宗教みたい」、「2020に参加しないと協会として協力できない」、「オリンピックにも出られなくなるわよ」等々)にショックを受け、一睡もできなかった宮川選手が合宿参加を止めて家に帰りたいと申し出たのを塚原氏が引き留めるやりとりである。
 したがって、宮川選手が訴えたパワハラの有無を検証するには715日のやりとりが焦点になるはずだから、番組が流した音声データは、塚原氏の代理人弁護士が説明する目的と齟齬がある。こうした齟齬を十分吟味することなく、一方の当事者の言い分をそのまま受けて提供された音声データを流したのは、番組編集上の自主自律の欠如を意味し、放送倫理上、極めて問題があった。

(参考)
 「放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。」
 (NHK・民放連「放送倫理基本綱領」)

 「(34) 取材・編集にあたっては、一方に偏るなど、視聴者に誤解を与えないように注意する。」(「日本民間放送連盟 放送基準」)

(3)そもそも論から言うと、829日の記者会見で宮川選手が訴えた塚原夫妻によるパワハラとは、話し方が高圧的だったというのは副次的な問題で、重要なことは「言うことを聞かなければ、オリンピックに出られなくなる」等と宮川選手が受け取った塚原千恵子氏の発言の中身である。さらに、宮川選手が挙げたパワハラとは、義務ではなかった2020強化プロジェクトに宮川選手が加わらなかった(他にも多くの選手が加わっていなかった)というだけで、ナショナル選手であるにもかかわらず、ナショナルトレーニングセンター(NTC)の使用を制限されたり、2年連続で海外遠征から外されたりし、あげくはオリンピック選考にも影響するかのような発言があったという、より具体的な問題であり、女子体操強化本部長という地位を濫用した差別扱いだった。

 にもかかわらず、番組がこうしたパワハラの核心部分に口を閉ざしたまま、話し方が高圧的だったかどうかに焦点を当てようとする塚原氏側の言い分に沿って、それを立証するために塚原氏側から提唱された音声データを流したのは、自主自立、公平公正な番組編集の原則に反するものだった。

 以上のような私たちの要望とその理由を慎重に検討いただき、標題の件について慎重に審議されるよう、貴委員会に求めます。

                        以上

     有志申立人
       浮田 哲(羽衣国際大学教授)
       右崎正博(獨協大学名誉教授)
       澤藤統一郎(弁護士)
       杉浦ひとみ(弁護士)
       醍醐 聰(東京大学名誉教授)
       浪本勝年(立正大学名誉教授)
       根本 仁(「NHKとメディアを語ろう・
            福島」代表) 
       湯山哲守(京都大学元講師)

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NHKに意見を送信~体操の宮川選手の勇気ある告発に応える調査報道を~

2018831 

 今日、N
HKFAXで次のような意見・要望を送った。
(参考)
 宮川紗江選手の記者会見   冒頭本人発言ノーカット(1934秒) 
 http://tsuisoku.com/archives/54065047.html  

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                       2018
831

NHK
 御中
FAX
0354534000

  体操の宮川選手の会見を巡るNHKの報道に関する意見・要望 

 830日の「おはよう日本」は、宮川紗江選手が829日の記者会見で説明したコーチの暴力問題、日本体操協会幹部から受けたパワハラ問題を取り上げました。が、結びの語りは、「選手がパワハラと感じたと指摘するやりとりは、主に電話での会話や少ない関係者の間で行われたものだということで、事実の解明がどこまで進むかが焦点となります」というものでした。まるで、真相解明の行き詰まりを予断するかのような話しぶりです。

 しかし、NHKの使命は、他人事のように真相解明の行き詰まりを予見することではなく、独自の取材・調査を手掛けて、真相解明の先頭に立つこと、具体的には、昨今、日本のスポーツツ界で頻出している選手の人権を蹂躙する連盟・協会幹部の権限の私物化の真相に迫ること、です。

 現に宮川選手の会見以降、民放各局は、かなりの時間を割いて、体操の元オリンピック代表選手などに取材して得た有益な証言を報道しました。たとえば、日本テレビの「スッキリ」(830日)はバルセロナ五輪体操代表選手の池谷幸雄さんに取材し、「これはもう体操界の中では本当に激震ですよね。」「歴史が代わるというぐらい大きな出来事」と評した池谷さんの生の発言を伝えました。
 また、複数の局は830日のワイド番組で、朝日生命体操クラブが有力選手を他のクラブから引き抜いた先例、その手法を証言する関係者の声を伝えました。
 さらに、前記の「スッキリ」は、塚原千恵子氏のことを「ザ・パワハラ」「一言でいうと『女帝』」と語る、かつて朝日生命体操クラブに所属した人物の証言を伝えました。

 ところが、これまでのNHKニュースは宮川選手と日本体操協会幹部の言い分をそのまま手短に伝えるだけで、独自の取材にもとづく情報を加味して真相に迫る場面は皆無といってよい状況です。
 830日の夜は、報道ステーションとTBSニュース23がトップで宮川選手の告発が投げかけた波紋を続報したのに対し、NHKニュースウッチ9は、この問題を完全にスルーしました。

            (意見・要望)

 1宮川選手が会見の中で「権力を使った暴力」と告発した日本体操協会幹部のパワハラ問題は、ワイドショ-で見受ける興味本位の話題ではなく、日本のスポーツツ界が抱える利権がらみの構造的腐敗の問題であり、選手個人の自己決定権と尊厳にかかわる社会問題です。また、オリンピック代表選考に象徴されるような権限を持つ者と権限に翻弄される者という力の格差がまかり通る世界で起る普遍的な問題です。
 このような問題を取材・報道する時にNHKに求められるのは当事者の対立する言い分を「中立的に」伝えることではなく、権力の非対称性を念頭において、権力を持つものの力の行使のプロセスに迫り、国民に知らせる使命を果たすことです。
 NHKは宮川選手が提起した問題をこのような視点から受け止め、この先、充実した調査報道を手掛けるよう要望します。

 2.すでにNHKも十分、承知されていることと思いますが、宮川選手が告発した日本体操協会のパワハラ問題については、この先、宮川選手に続いて、体操競技の現・元オリンピック代表(候補)選手やコーチ、審判の中から自らの体験を語る証言が出てくる可能性が高いと考えられます。現に、ネット上では、数名の元オリンピック代表選手(体操)が実名で宮川選手の告発に共感したりコミットしたりする感想を発信しています。
 NHKはこうした取材源に積極的にアプローチして、宮川選手が提起した問題を「言った、言わない」で終わらせない意欲的な調査報道を手掛けるよう期待します。

 3.  NHKは早くから2020年東京オリンピック・パラリンピックに協賛する番組編成や広報を手掛けてきたと私は受け止めています。他方、宮川選手の告発の中には、2020年オリンピックの代表選考、それに向けた強化練習体制等の歪みに触れた点があります。
 この際、NHK2020年オリンピックに協賛する「プレイヤー」的立場を一掃し、「ウオッチヤー」としての立場に徹することがますます重要になっていると考えます。
 でなければ、今後、NHKはさまざまな場面でオリンピックにつき、「アクセル」と「ブレーキ」を踏み分ける利益相反――2020オリンピックの祝賀ムードに「水を差す」という配慮が働いて、オリンピック推進の負の側面を取材・報道するのを手控える萎縮効果――に遭遇すると予想します。
 今回、宮川選手の問題提起を機に浮上した日本体操協会の宿罪についても、こうした報道萎縮が起こらないよう、強く要望するとともに、視聴者の1人として、NHKの報道をチェックしていきます。

 4.会見の最後で宮川選手は次のように訴えました。

 「言うことを聞けば優遇され、聞かなければ排除される、権力があればすべて許されてしまうのでしょうか? 女子の体操はすべての判断が言うことを聞くか、聞かないかで決まるんだと思いました。強化本部長のまわりには、言うことを聞く人たちしか存在しないように見えます。」

 「言いたくても言えば、何をされるかわからないという理由で声を出せない選手、コーチ、審判の方も多くいらっしゃると思います。私はこれこそ権力を使った暴力だと感じます。」

 「みんなが平等な権利を持って納得のいく基準での選考方法、先が描ける具体的なプランなど、一人一人が意見を言える強化体制が存在するべきだと強く感じます。」

 「私はまだ18年しか生きていませんが、今、人生の中で一番の勇気を出してここに立っています。」

 NHKの中にも、長く日本の体操競技・
協会を取材してこられた記者、解説委員の方がおられると思います。皆さんの中には、宮川選手が告発した日本体操協会のパワハラ体質を以前から承知していた方がおられるのではないですか?

 宮川選手の告発は他の同僚選手、コーチ、審判などの思いも代弁したものと言えますが、職業としてスポーツ界をウオッチしてきたメディアの皆さんは、ミニ巨悪を見て見ぬふりをしてきたと言われても仕方ありません。
 取材対象に感情移入するのは禁物ですが、せめて、18歳の現役選手が勇気を奮って声を上げたこの機会にミニ巨悪の膿をあぶりだす調査取材
に精力を傾けられるよう、強く要望します。

                        醍醐 聰


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天皇夫妻の沖縄訪問をめぐる報道を考える

2018329

 
最近のNHKの報道の中で、森友問題の他で私が注視しているのは目下の天皇夫妻の沖縄訪問の報道である。

NHK
のイメージ報道に警鐘を鳴らした原武史氏 

 この件で、有数の天皇制研究者といえる原武史さんは次のようにツイートしている。

原武史 2018327日、602
https://twitter.com/haratetchan/status/978618225368883200
 
 「天皇皇后の沖縄訪問に関するNHKの報道を見ていると、当初行幸啓に違和感をもっていた県民も、天皇皇后の沖縄を思う気持ちが明らかになるにつれ見方が変わり、温かく迎えるようになったというストーリーになっているが、このストーリー自体に政治的な匂いを感じないわけにはいかない。」

 鋭い警鐘と思うが、私はNHKが描いたストーリーが虚構とは言えず、昨今の日本の市民社会に浸透している現天皇夫妻への心情に合わせたものと思う。問題は、日米の沖縄統治政策に果たした天皇(制)の歴史、象徴天皇制の存在理由を不問にしたまま、心情として現天皇夫妻への共感が広がっている現実そのものであり、そうした心情に倚りかかり、助長するNHKの報道フレームである。私はそうした状況に危惧を感じている。
 その一方で、同じテレビ報道でも『琉球朝日放送』が次のような報道をしていることも注視したい。

沖縄にとっての天皇制を問いかけた『琉球朝日放送』

Qプラスリポート 「対馬丸」の生存者が思うこと」
(『琉球朝日放送』2018326 1832分)
 http://www.qab.co.jp/news/20180326100697.html
 
  「あすから3日間の日程で天皇皇后両陛下が沖縄を訪問されます。過去10度の訪問で両陛下は、戦地を訪ね平和訴え、沖縄に思いを寄せられてきました。しかし一方で、地上戦を経験した沖縄では、戦後73年が経った今も、天皇への複雑な気持ちを抱える人もいます。学童疎開船で多くの友達を失った女性は、あすの訪問を前に何を思うのでしょうか。」 

 「平良さん『(天皇陛下に)お会いする気持ちは今もありません。天皇のために死ぬと教えられた子たちが帰って来ないからね』国頭村出身の平良啓子さん。国民学校4年生のころ、疎開船対馬丸に乗り遭難しました。今も忘れることができない、悲惨な体験を語る活動を続けています。

「平良さん『御真影室に向かっておじぎをするというふうに教えられるし教室に入ると『天照大神』というのがあってそれに向かって大麻を拝む」平良さんは国民学校令が施行された1941年に入学しました。その頃、沖縄の教育関係者らが発行していた雑誌からは、方言を封じて標準語励行を行い、天皇への忠誠心を育む軍国主義教育を徹底することで日本への同化をすすめていったことがわかります。』

 

「戦後、平良さんは戦争の悲惨さと命の尊さを伝えようと、教師として39年間教壇に立ち、その後も県内外で平和を発信し続けています。4年前、天皇皇后両陛下が対馬丸記念館を訪れた際には、参列者として招待されましたが、そこに平良さんの姿はありませんでした。
 平良さん『(両陛下が)人間としては平和に対する想いや沖縄に対する謝罪のような気持ちを持っているのはわかるからある程度心許すけれど天皇制というのがある限りまたどういう事になるかわからないからそれが嫌なの。天皇って何者だったのかな、こんなに尊いものだったのかな、命を惜しみなく投げるだけの価値のある天皇だったのかと思うと心が複雑になるんです。』

戦争の歴史に向き合ってきた陛下の姿に心境の変化を持ちつつも、天皇制については今なお不安と恐怖を拭えません。」
 「現在83歳になる平良さん。天皇制が再び、戦争に利用されるのではないか、その恐怖心がある一方で、現在の天皇陛下が平和を発信し続ける姿勢には心強いものを感じると話しています。」


 番組の中で対馬丸事件のことが出てきたので、2014819日、那覇市の対馬丸記念館を訪ねた時に撮った写真を貼り付けておく。

2014819
同調圧力発散装置としての象徴天皇制 

 私がNHKに望みたいのは「象徴天皇制」の意味を正面から歴史的理性的に問う番組である。日本国憲法の冒頭に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という条文が置かれている。
 主権在民を謳った現憲法の冒頭に天皇制の規定が置かれていること自体、違和感があるが、ここで謳われた「国民の総意に基づいて存する天皇」が「象徴」として、国民を「統合する」とはどういう意味なのか--------主権者の総意に依存する天皇が国民を「統合する」という、一見、倒錯した条文を矛盾なく説明する(できる)論理、沿革的史実とはどのようなものなのか?
 こうした象徴天皇制のそもそも論
を考える材料を市民に提供する番組をNHKに求めたい。
 すでに国民の間に広く定着した象徴天皇制を今さら、と思われるかもしれない。しかし、昭和天皇が死去したとき、マスコミでは「崩御」という聞きなれない言葉が氾濫し、大半の通称「有識者」もいかめしく、この言葉を唱和した。さらに、日本国中、昭和天皇の死去を悔やむためと称した「自粛」が同調圧力となって社会を覆い、諸々の行事が相次いで中止された。
 この先、天皇の代替わりの際、マスコミをはじめ、日本中が祝賀ムード一色に染まり、言論界も仮死状態とならないか---------そのような場面で、同調圧力の強力な源としての「心情」象徴天皇制の「威力」が露見するように思える。




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問われるべきは「賛否のバランス」ではなく、「情報の質」

2016617日 

 昨日、
日本記者クラブで「放送メディアと放送法~何が争点か~」をテーマに、放送法遵守を求める視聴者の会」と「放送メディアの自由と自律を考える研究者有志」の公開討論会が開かれた。私は研究者有志の1人として、この討論に参加した。討論の模様は次の録画でご覧いただけるとありがたい。

 
討論者
 視聴者の会:ケント・ギルバート、上念司、小川榮太郎
 
研究者有志:砂川浩慶、岩崎貞明、醍醐聰


前半録画

https://www.youtube.com/watch?v=wXRLW_TQtjU&feature=youtu.be

 後半録画

https://www.youtube.com/watch?v=PVTaB8lPT7U&feature=youtu.be

 討論では、「視聴者の会」が手掛けたTBSの安保法案関連の報道番組の検証方法~法案に関するコメント等を賛否の意見に振り分ける基準、報道番組を評価する基準は「賛否のバランス」なのか、国民の知る権利に応え、法案に対する判断材料を提供する「報道の質」なのか、放送法第4条は法規範なのか倫理規範なのか、倫理規範だとしたら、それを機能させる方法は何か-----「視聴者の会」が要請したような行政の介入や番組スポンサーからの圧力なのか、それとも放送事業者の自己規律、外部からの監視などなのか-----が議論になった。
 また、「視聴者の会」が取り上げなかったNHKの報道の現状(報道の不作為や籾井会長の「原発報道は公的発表をベースに」という発言をどう見るかなど)についても議論が交わされた。

 討論の模様は「産経ニュース2016.6.16 16:5517:34)が次のように伝えている。

(引用開始)
【テレビ報道と放送法・公開討論】
「 <前文略> 
 ◇
 冒頭、小川氏は「日本のテレビ報道の現状が政治プロパガンダになっている」として、視聴者の会が特定秘密保護法や安保法案をめぐるテレビ報道の賛否バランスを独自分析した結果を紹介。法案への反対意見の紹介が賛成意見を著しく上回っているとして、「(賛否バランスが)91というこの数字をおかしいと感じるかどうか聞きたい」と問題提起した。
 その上で、岸井成格氏や古舘伊知郎氏ら報道番組に出演していたキャスターらが「政治的圧力」を否定したことをめぐり、「いつの間にか『安倍政権になって圧力が強まった』という印象になり、それが国際社会にも宣伝されている」と述べた。
 これに対し、岩崎氏は「キャスター個人が圧力を受けていることはないかもしれない」と発言。その上で、安倍晋三首相が一部メディアの個別取材に「選別的に」応じていることや、視聴者の会がTBS報道をめぐってスポンサーへの働きかけを示唆したことなどを挙げ、「歴史的には(メディアが)追い込まれている、と私は見ている」と述べた。
 また、第1次安倍政権時代、総務省が放送局に行政指導を行った件数が「突出して多かった」として、「安倍政権はメディアを気にしている」とも述べた。
 ◇
 一方、視聴者の会のまとめたテレビ報道の「賛否バランス」について、醍醐氏が言及。醍醐氏は「(視聴者の会が、報道内容の)賛否の振り分けをどのような基準で行ったのか。重要なのは報道の質ではないか」と疑問視。その上で、「法案のどこに論点があるのか、アジェンダを自律的に設定し、調査報道を手掛けることこそがメディアの最も重要な使命だ」と述べ、視聴者の会の主張を「メディアの権力監視機能を理解しない曲論」と切り捨てた
 また、岩崎氏は「安保法案への疑問や論点を多くの角度から紹介すれば、当然否定的な意見の放送が長くなる。賛成、反対で色分けをすることが知る権利につながるのか」と述べた。


 こうした意見に対し、上念氏は「安保報道では、南シナ海などの緊迫した情勢、憲法との関係など、本来議論すべき安全保障の論点から外れた、反対デモが盛り上がっているということに力点を置いた報道が多かったのではないか」と主張。小川氏は賛否バランスの振り分けについて、「作為的かどうか分析してほしい」として、調査結果を公開しており、第三者からも検証可能であることを強調した。
 ◇
 討論会では、NHKの籾井勝人会長が熊本地震に関連する内部の会議で、「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と述べたことも遡上に上った。
 醍醐氏から見解を問われた小川氏は、その報道を知らなかったことを明かした上で、「普通に考えたら問題ではないか」と発言。ケント氏も「公共放送ではなく国営放送になってしまう」「NHKが偏向報道をしたら、それを指摘すればいい」と述べた。

 

テレビ報道と放送法をめぐる公開討論会の後半では、番組編集に当たっての政治的公平などを求めた放送法4条をめぐって見解が分かれた。まず、東京大名誉教授の醍醐聡氏が「政府が4条違反を判断することになると、それは違憲だと思う。メディアに監視されないといけない権力がメディアをチェックするのは矛盾だ」と問題提起した。

 

これに対し、米カリフォルニア州弁護士でタレントのケント・ギルバート氏は「私は違憲とはかぎらないと思う。限られた(電波)資源を独占的に利用する交換条件として適用されるものだ」と主張。文芸評論家の小川榮太郎氏は「4条は『倫理規定にすぎない』という言い方があるが、倫理規定であれば無視していいのか。国民が(放送に)関与できる状況を作るべきだ」と反論した。


 一方、醍醐氏は、「視聴者の会」が昨年の安保報道をめぐり、TBSにスポンサーへの働きかけを示唆したことを問題視。「スポンサーに関与させようということには、極めて賛成できない」と述べた。その上で、国民が放送に関与し、適正な放送を実現させるため、放送倫理・番組向上機構(BPO)や番組審議会などの機能強化の必要性を訴えた。

 

また、立教大教授でメディア総合研究所所長の砂川浩慶氏は「放送法は憲法21条の表現の自由の下にあり、放送法を順守することは表現の自由を拡大する方向に向くはずだ。なぜ、視聴者の会は特定の放送局に制約をかけるような動きをするのか」と疑問を呈した。

 ケント氏は「(スポンサーへの呼びかけも)国民の権利の一つで、最終手段かもしれないが、あってもいい」と主張。小川氏は「土俵を作ろうという話をしているだけで、制約をかけようとしているのではない」とした上で、「安保報道では『戦争法案』『赤紙』という言葉まで飛んだ。こういうプロパガンダと報道を切り分ける成熟や自制心が必要だ。マイクを独占している(放送界の)人の表現の自由と視聴者では権力の度合いが全く違う」と反論した。
 また、今後の放送制度のあり方について、経済評論家の上念司氏は「電波オークションを導入して、もっと放送局を増やすべきだ」と主張。ケント氏は「新聞とテレビを分離すべきだ。メディア財閥みたいになっている」と付け加えた。

 ◇
 討論会後の質疑応答で、岩崎氏は「『メディアが一つの権力ではないか』という点は拭えないところがあり、(メディアの)資本系列の問題は私も疑問を持っている。ただ、もう少し議論を深める面も期待したが、前提の部分で意見の相違が出た」と振り返った。醍醐氏は「考え方の違う人たちが議論するこういう機会が、日本でもっとあった方がいいと思う」と総括した。」(引用終り)


 私は1回目の発言用の原稿を用意して討論に臨んだ。「視聴者の会」の小川氏の冒頭の発言が予想したとおりの内容だったので、用意した原稿をそのまま使って最初の発言をした。その内容は昨日の討論会に臨む私の基本的な見解をまとめたものなので、以下、その全文を掲載しておきたい。

            1回目の発言用原稿
 
 「視聴者の会」の皆さんとかみ合った討論をするため、「視聴者の会」が手掛けられたTBSの安保法案関連報道に関する検証について発言します。お手元に発言用原稿をお配りしています。

「視聴者の会」の番組検証の要旨
 「視聴者の会」は、安保関連法案を扱ったTBSの報道番組を何らかの意味で法案に「賛成」「反対」の色がついたもの、「どちらでもない」ものの3つに分け、それぞれの意見を放送した時間を集計しています。
 その結果、「どちらでもない」を除くと、賛成報道の時間が15%であったのに対して、反対報道の時間は85%にも上ったとし、「TBSは報道の名のもとに、法案反対の立場からの政治的プロパガンダを繰り広げた」と結論付けておられます。

重要なことは賛否の「色」ではなく、情報の「質」
 このような番組検証について私が感じたもっとも大きな疑問は、賛否の振り分けをどのような基準で行ったのか、そのような色分けをして賛否報道のバランスを強調することが、「視聴者の会」も重視される「国民の知る権利」に応える上で、どれほど有意義なのかということです。
 たとえば、「視聴者の会」は、「法案への理解が進んでいない」というコメントは、「どちらでもない」に含めてはいますが、会の見方としては「法案反対の意図が明白なコメント」だとされています。
 しかし、安倍首相も国会答弁で「国民の理解が進んでいない」ことを認めています。とすれば、「法案への理解が進んでいない」というコメントは「意見の表明」というよりも、「事実の紹介」といった方がようにも思えます。ただ、そうは言っても、どのような意見を紹介するかは、それ自体、一つの価値判断とも考えられます。
 となれば、ここで重要なことは、あるコメントについて「賛否の色を嗅ぎ分けること」ではなく、取り上げられた情報が法案の可否を判断するのにどれほど有用なものかどうかという「報道の質」ではないでしょうか?

賛否の意見をバランスよく伝えることが第一義的使命なのか?

そもそも論から言えば、国民に有用な判断材料を提供するというメディアの役割に照らして最も重要な課題は賛否の意見をバランスよく伝えることだとは思えません。 
 NHKはニュース番組の中で、しばしば街角インタビューを挿入し、決まり文句を添えた賛成、反対、どちらともいえない、という街の声をバランスよく伝えます。こうした報道が、視聴者に何ほどの判断材料を提供したのか、はなはだ疑問です。
 国民に有用な判断材料を提供するという観点から見て、最も注視すべきだったのは、各種の世論調査で、「議論が尽くされたとは思えない」、「政府は法案の内容を十分に説明したとは思えない」という意見が78割を占めたこと、そうした中で採決がされようとしていたという事実です。

的確なアジェンダ設定と充実した調査報道がカナメ
 そのような状況の下では、法案のどこに、どのような未解明の論点があるのか、国会や国民がそれらの論点を判断するのにどのような材料が不足しているのかというアジェンダを自律的に設定して調査報道を手がける---------これこそがメディアに求められた最も重要な使命だったと私は考えています。
 「集団的自衛権を発動するかどうかは政府が総合的に判断する」という物言いで、政府があいまいな説明を繰り返す論点について、調査報道を手掛け、法案の疑問点や不明点を考える材料を提供するのが熟議を促すメディアの使命です。そうした報道が、安保関連法案に関する政府の説明に懐疑的な見方や批判的な見方を広げたとしても、取り立てて問題ではありません。
 そうした報道を指して、「法案反対の立場からの政治的プロパガンダ」と非難するのはメディアの権力監視機能を理解しない曲論だと私は考えますが、「視聴者の会」はどのようにお考えでしょうか?



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公開討論「テレビ報道と放送法――何が争点なのか」開催のお知らせ

2016610

 高市総務大臣の「電波停止発言」や報道の自由、自律、放送メディアの影響力(権力性)などをめぐってさまざま議論が交わされている。このブログでも何度か、この問題を取り上げてきたが、これらの点について異なる意見を持つ言論人が公開で討論をする企画が以下のとおり実現することになった。

タイトル:公開討論「テレビ報道と放送法――何が争点
   なのか」
日時:平成28 616 日(木)10001200 
場所:日本記者クラブ
  〒100-0011 東京都千代田区内幸町2丁目21
  日本プレスセンタービル 9階 会見場 
  地図:http://www.presscenter.co.jp/access.html 

登壇者:

 <放送メディアの自由と自律を考える研究者有志>

  砂川 浩慶(立教大学教授/メディア総合研究所所長)

  岩崎 貞明(放送レポート編集長)

  醍醐 聰(東京大学名誉教授)


 <放送法遵守を求める視聴者の会>

  ケント・ギルバート(米カルフォルニア州 弁護士、タレン
ト、放送法遵守を求める視聴者の会 呼びかけ人)

  上念 司(経済評論家、放送法遵守を求める視聴者の会 呼び
   かけ人)

  小川 榮太郎(文芸評論家、放送法遵守を求める視聴者の会
   事務局長)

 

参加の呼びかけ

  日本記者クラブ加盟の報道関係者のほか、クラブ外の報道関係者、その他傍聴希望者(事前申し込み制。定員に達したところで締め切り)

 

◆討論の模様は次のとおり、中継・録画で配信される。多くの
 方々に視聴いただけるとありがたい。
 
 ★ニコニコ生放送(ドワンゴ公式チャンネル)
  http://live.nicovideo.jp/watch/lv265721005
 

 ★IWJチャンネル CH4
   http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
 


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お知らせ 『季論21』フォーラム~電波はだれのものか~

2016411

〔追記〕4月12日
  今日、下記のフォーラムの主催者から、岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員、TBSスペシャルコメンテーター)が新たにパネリストとして参加されることになったという連絡が届いた。あわせてチラシの更新版が届いたので、それにあわせて、この記事も更新することにした。

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 雑誌『季論21』編集委員会の主催で次のようなフォーラムが開かれることになった。

             『季論21』フォーラム
              電波はだれのものか
  
 ~「停波」発言と報道・メディア、言論・表現の自由を考える~


     2016526日(木) 午後215分~
   東京・文京シビックセンター スカイホール(26F
        (地下鉄・丸ノ内線「後楽園」駅 すぐ)
   パネリスト
    青木 理さん(ジャーナリスト)
    新垣 毅さん(「琉球新報」東京支社長)
    岸井成格さん(毎日新聞特別編集委員、TBSスペシャル
                               コメンテーター)
    永田浩三さん(メディア社会学、元NHKプロデューサー)
    醍醐 聰(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」
                        共同代表)
 

   どなたでも参加できます。資料代・500

   チラシ http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kiron21forum_chirasi_20160526_2nd.pdf

 私もパネリストの1人として、目下の重要テーマについてメディアに造詣の深い方々と討論する機会を得たので、高市総務大臣の停波発言を単に「言論への介入」と批判するだけでなく、停波発言のどこが、なぜ、どう、問題なのかを考えるためにも、

 ①TBSの安保報道の「偏向」を執拗に批判する「放送法遵守を求め
   る視聴者の会」が採用した報道番組検証の方法――意見が分かれ
     るテーマについて賛否の取り上げ方の時間的バランスを問題にす
     る時間的公平の角度から政治的公平を論じる方法ーーに内在する
     問題点、時間的公平と多角的論点の提供はどのような関係にある
     のか
、しばしば言われる報道の「中立性」とは何なのか、どう評
     価すべきなのか、
 ②放送法4条の枠組みの遵守以前に、自主自立の報道の要というべ
     き自律的な「調査報道」の役割、それが劣化している現状、
 ③組織としてのジャーナリズムの使命と、そこにおける11人の
     放送人の個人としての責務はどのような位置関係にあるのか、

についても論点を提出し、議論をかわしたいと考えている。

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小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(下)~

2016318

「政治的に公平」は「多角的な報道」と関わらせて
 今回の小川氏の見解に限らず、報道の政治的公平が議論とされる場合、賛否の意見をバランスよく伝えたかどうかが問題にされることが多い。しかし、言葉の本来の意味に立ち返ると、それはいわゆる報道の「中立」の問題であって「公平」の問題ではない。しかも、放送法には「公平」という言葉はあるが、「中立」という言葉はない。

 ここで私が留意したいと思うのは、放送法第4条第1項第4号が「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めていること、「意見が対立している問題については、それぞれの意見を公平に伝えること」とは定めていないことである。

 どちらであるかで意味が全く異なることは明らかである。では、放送法が前者のような定めをしたのはどうしてだろうか? この点を考える上で参考になるのは荘宏氏(放送法の制定作業にかかわった元電波監理局次長)の次のような指摘である。

 「この〔政治的公平を要請した放送法の〕規定は一見政治的な不公平を避ければよいとの消極的制限の規定にとどまるかのように見える。しかしながら政治的な公平・不公平が問題となるのは意見がわかれている問題についてである。そこで本号では第4号との関連において、単なる消極的制限のみの規定ではなく、政治的に意見の対立している問題については、積極的にこれを採り上げ、しかも公平を期するように各種の政治上の見解を十分に番組に充実して表現していかなければならないとしているものと解される。」

(荘宏『放送制度論のために』1963年、日本放送協会、136ページ。下線は醍醐が追加)

 つまり、荘氏は、放送法第4条第1項第2号の「政治的に公平であること」は、それ単独でではなく、まして、対立する意見をバランスよく伝える「中立性」の意味ででもなく、同項第4号の「多角的な論点の提示」と関連付けて解釈すべきものと理解しているのである。

  では、第2号規定と第4号規定を関連付けるとはどういうことか? この点を考える上で、荘氏の次のような指摘は含蓄に富んでいる。

  
政治運営に不可欠な常識の普及 (前略)この政治のあり方を決定づけるものは主権者たるわれわれである。すなわちわれわれは国会議員などの議員を選挙し、その活動ぶりを注視し、議決された法律・予算等を理解し、政府その他の行政当局の施策を知ってこれに基づいて行動するとともに、これを批判し、立法及び行政について希望を表明し、さらに次の選挙における意思を固める。・・・・民主主義国家が完全に運営されるためには、国民にあまねく高度の常識が普及していることが必要である。放送はこの目的のためにその機能を発揮しなければならない。
(荘、同上書、148ページ。下線は醍醐が追加)

 メディアの使命をこのように、「国民にあまねく高度の常識を普及させる、それを通じて国民の政治参加を民主主義国家にふさわしいものとすること」と理解することは、放送法がその目的を謳った第1条で、「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と定めたことと整合する。また、国民の知る権利に奉仕することがメディアの根幹的使命と広く理解されていることとも合致する。

「多角的な論点報道」に「中立」はなじまない
 ところが小川氏は記事の中で、放送法4条第14号の定めを原文で紹介しながら、在京6局の安保報道を批判する段になると、上記の4で紹介したように、安保報道番組における法案に対する賛否のバランスを問題にしている。
 しかし、意見が分かれている問題について、「賛否をバランスよく伝える」ことと、「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は全く別個の問題である。
 意見が分かれている問題だからこそ、国民に賢明な判断の拠り所となる情報を多角的に伝える報道機関の使命が大きいと解するのが立法趣旨に適った解釈なのである。

 小川氏が事務局長を務める「放送法遵守を求める視聴者の会」のHPを見ると、「知る権利とは?」と題した記事が掲載され、その中で、次のように記されている。

 「ただし『報道の自由』の目的は、国民の「知る権利」に奉仕することです。報道が多様な情報や意見を公平に紹介することによって、国民は主権者としての政治判断を適切に行うことが可能になります。報道が国民の『知る権利』への奉仕であるからこそ、取材や発表が自由に行えること(=報道の自由)が大切となるのです。」

 最後の文章に異論はない。問題は、「国民の知る権利に奉仕する報道」とは何を指すのかである。安保法案に賛成する意見と反対する意見をバランスよく伝えること(それも必要な要素の一つではあるが)が国民の知る権利にどれほど奉仕するのか? 
  「多角的に論点を明らかすること」と定めた放送法第4条第14号規定の趣旨に沿っていうなら、疑問点が多岐にわたる法案を報道する時にそれらの疑問点を考える情報を独自の調査報道も手掛け、掘り下げて伝えてこそ、「国民は主権者としての政治判断を適切に行うことが可能にな」るのである。

 こう考えると、疑問点が多岐にわたる法案を報道する時に、多くのコメンテーターが、それらの疑問点を指摘し、それに費やす放送時間が多くなるのは自然なことであり、「政治的に公平であること」と矛盾するわけではない。
 そもそも、法案の疑問点を指摘することを以て「法案に反対する論者」と決めつけること自体が稚拙な独断である。このようなレッテル貼りこそ、事なかれ主義を報道機関にはびこらせ、メディアの劣化に拍車をかける罪深い主張なのである。

植木枝盛は次のように述べている。
 
「人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、これを信ずること厚ければ、益々これにくけ込み、もしいかなる政府にても、良政府などといいてこれを信任し、これを疑うことなくこれを監督することなければ、必ず大いに付け込んでいかがのことをなすかも斗り難きなり。」 (家永三郎編『植木枝盛選集』岩波文庫、1112頁)

 メディアの権力監視は市民による政治監視を有効にするための土台であり、ジャ―ナリストは政治権力者のパ-トナー、広報官であってはならない。メディアによる権力監視の基礎には「権力を疑え」という思想がある。このような使命を持つメディアの政治報道に「中立」を要求するのは、「国民の知る権利に奉仕するメディアの使命」を理解しない低俗で危険な反理性主義である。

 「放送法遵守を求める視聴者の会」が昨年1114日(産経新聞)と15日(読売新聞)に出した意見広告の中で名指しで攻撃された岸井成格氏は、「私たちは怒っている」という横断幕を掲げた6人のジャーナリストの記者会見(2016229日)に出席し、意見広告に関する感想を聞かれて、「低俗だし、品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」と答えた(「朝日新聞」201631日)。このような気骨が報道界に広がり、共有されることを私は期待している。 


「放送法」遵守というなら、放送法違反を繰り返す籾井NHK会長の罷免こそ急務
 
 小川氏は放送法違反を口にし、小川氏が事務局長を務める視聴者の会は「放送法遵守を求める」という文言を冠している。それなら放送の自主自立を謳った放送法のイロハに反する言動を繰り返す籾井会長の資質を問題にし、同氏の会長不適格、辞職を促すのが筋であり、急務である。

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権力監視  大切な自立性

                                                                     醍醐 聰

  メディアには時の権力を監視する役割が期待されています。テレビで放送された番組が政治的に公平かどうかを総務大臣が判断するのは、監視される側が、監視先をチェックするという矛盾が起き、問題です。
 政権の意向におもねることなく、伝えるべき課題を探り、それを調査して報道する使命がメディアにはあります。

 例えば昨年、安全保障関連法案の違憲性が指摘されました。政府は「必要な自衛のための措置」はとれるとした1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に、集団的自衛権の行使は「合憲」と主張しました。これに対しテレビ朝日系の「報道ステーション」は裁判に関わった元最高裁判事が判例集に書き込んだメモを発見し、政府の解釈に無理があると指摘しました。
 こうした調査報道こそメディアの自立的報道の強みを発揮したものです。番組内容には偏りがあるか判断するのは視聴者、各放送局の審議会、NHKと民放が設置した放送倫理・番組向上機構(BPO)です。

 「政治的に公平である」などと書かれた放送法第4条は、放送事業者が自覚すべき倫理規定だと考えています。4条に違反したとして行政処分や法的制裁が科されれば、憲法21条で保障された言論や表現の自由を侵害する恐れがあるからです。

 自民党はやらせ問題などを理由にNHKやテレビ朝日の幹部から聴取するなど、メディアへの介入を強めています。政権との摩擦を避けるためか、当たり障りのない番組が増え、テレビ界全体で自粛ムードが広がっている気がします。政権に物申してきた報道番組のキャスターもこの春、一斉に交代します。

 今回の総務相発言について、わたしたちは発言撤回と大臣の辞職を求める申し入れを行いました。しかし、肝心の放送事業者から反論が噴出して来ないのが気になります。(上田貴子)

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小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(上)~

2016年3月18日
 

「北海道新聞」に対論が
 目下、高市総務相の停波発言(28日、9日の衆議院予算員会で高市総務相が、政治的に公平であること等を定めた放送法第4条に違反する放送を繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して停波もあり得ると答弁したこと)をめぐって各方面で論議が広がっている。

 そのような折、「北海道新聞」の314日朝刊の<月曜討論>欄に、「放送局電波停止発言 どう考える」というタイトルで、「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎さんの見解と私の見解が対論形式で掲載された。掲載された私の見解の全文(元原稿)は2回めの記事の末尾に載せておく。

 このような状況の中で、TBSの「NEWS23」のアンカーを務めていた岸井成格氏の発言を捉えて「政治的に公平であること」と定めた放送法第4条に違反するとして、岸井氏を名指して攻撃した意見広告を読売、産経両新聞に出した「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎氏の見解は、高市発言がはらむ問題点を考える上でも有益と思われる。

 そこで以下、小川氏の見解を論点ごとに2回に分けて検討することにした。各項冒頭の引用文は今回の記事に掲載された小川氏の文章からの抜粋である。

小川氏は放送法4条をめぐって何が問題なのかを理解できていない
1. 
「放送法4条は民主党政権時代から、倫理規定ではなく法規範性を持つと解釈されてきました。」

 小川氏はこう述べて、放送法を倫理規定ではなく、法規範だと解釈するのは民主党政権時代も同じだったと説明している。しかし、民主党と自民党の解釈が同じかどうかは政党間の話であって、視聴者・国民から見てどうなのかに関わる議論ではない。
 政治の世界での解釈、見解というなら、国権の最高機関である国会での次のような経緯を知っておくことが肝心である。

 いわゆる「ねじれ国会」時代の2007年の国会で、政府から提出された放送法改正案の中に、ねつ造番組を放送した事業者に対し、再発防止計画提出を義務付ける行政処分規定が盛り込まれ た。しかし、衆参両院の法案審議において、こうした規定は「公権力による表現の自由への介入にあたる」との反対意見が出されたのを受けて、新たな行政処分規定は削除され、代わって、衆参両院の総務委員会は、放送界が共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議を採択した。
 当時、総務大臣だった菅義偉・現官房長官も、放送法改正法案の趣旨説明の中で、新たな行政処分は「BPOによる取り組みが発動されるなら、私どもとしては作動させないものにしていきたい」と述べ、BPOによる再発防止策が機能している間は、行政処分規定を凍結する考えを示していた(2007522日、衆議院本会議 )。
 以上については、奥田良胤「『ねつ造』に関する新行政処分放送法改正案を国会に提出」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所、20076月も参照)

 こうした経緯に照らしても、今回の高市発言はこれまでから政府・総務大臣が言ってきたことを繰り返したまで、という小川氏や高市総務相、菅官房長官の反論は事実に反する説明である。

2
. 「 放送法が悪法と言うなら野党は法改正を提案するべきですし、報道機関もその観点で批判してはどうでしょうか。現にある法律を執行するなと迫るのはルール違反です。」

 小川氏はこう述べているが、誤解ないしは曲解である。高市発言をめぐって野党あるいはいくつかの視聴者団体や報道機関、多くのメディア関係者が指摘しているのは、「放送法は悪法だ」ということではなく、「高市氏は放送法第4条の解釈を誤っている」(放送局が自覚的に遵守すべき倫理規定を法的な義務規定かのようにみなす曲解)ということである。言い換えると、放送法4条を「執行するなと迫っている」のではなく、「放送法第4条は行政処分を発動する根拠にならない」と言っているのである。

報道機関への行政指導には反対と言いつつ、報道機関への行政指導を促す自己矛盾

3
. 「民間放送局は視聴者が支持しなければスポンサーがつかず、抑制が働く建前になっています。しかし日本では企業が広告を出すに当たり、報道の内容を精査して判断する状況になっておらず、有効な監視手段が行政以外にないのが現実です。」

 小川氏はこう語っている。小川氏は、日本ではと断って、広告主が報道内容を精査する状況になっていないと言う。しかし、広告主が報道内容をチェックすることを期待できないのは、広告主にその意思があるかないかにかかわらず、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(第3条)と定めた放送法総則が民間放送にも適用されるからである。

 公共的資源というべき電波の割り当てを受けた放送事業には、第三者による放送内容の検証、チェックが必要だが、問題はそれを「誰が」「どういう方法で」行うのかである。チェックをするのは政府・行政なのか、視聴者なのか、BPOなのかを区別せず、自明のように行政を監視役に見立てて、「強いパワーには抑制する仕組みを持つのが民主主義の基本原理だ」という小川氏は立憲民主主義の何たるかをわきまえず、憲法・放送法が言論の自由、放送の自主自立を謳った意義を理解できていないことになる。
 また、それ以前に、総務省も含んだ政府はメディアによって、その言動・国策を監視される対象である。その政府が監視役の報道のあり方に口を挟むのは主客を転倒させた自己矛盾である。

権力の監視報道に「中立性」を要求する俗流解釈
4
. 「私が代表理事を務める社団法人日本平和学研究所が昨年9月の安全保障関連法の成立直前5日間、在京6局の主要報道番組の賛否バランスをキャスターの発言などに基づき調べたところ、6局合計で賛成11%(1462秒)、反対89%(11452秒)と極端な偏りがありました。これでは視聴者はハト派の局とタカ派の局が主張を競い合うという多様性を期待できません。放送法に基づき、各局の番組内で多角的な論点と公平性を確保する以外ないのです。」

 まず、前段の指摘について。ここで小川氏は報道番組に出演したキャスターの安保法案に関する賛否を発言時間(秒数)をもとに計測し、その偏りを問題にしている。調査方法の是非はここでは論じないとして、念のため指摘しておくと、放送法にもNHK放送ガイドラインにも番組基準にも「中立であること」と謳った条項はない。
 小川氏も紹介した「多角的な論点と公正性の確保」からすると、安保関連法案には、日本の平和と安全、世界の平和に関わる重大な論点が数多く含まれていた。発進準備中の戦闘機への給油を認めるのは武力行使との一体化に当たるとの指摘が参考人として国会に出席した元法制局長官から出された。国会審議では野党から、自衛隊の内部資料にもとづいて、安全な「後方支援」というものがあり得るのかという疑問が提起された。

 一昨年、安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認することは現憲法の解釈としても可能とする見解を決定した際、安倍首相は武力紛争から避難しようとする赤ん坊を抱えた母親のパネルを指し示し、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認しなければ、こうした邦人を救出しようとする米艦船を日本は防護できないと、記者会見で訴えた。

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 ところが、昨年826日、参議院安保特別委員会で中谷防衛相は「邦人が乗っているか乗っていないか、これは絶対的なものではございません。総合的に判断するということで・・・」とあっさり答弁した。

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 また、昨年723日、イランのナザルアハリ駐日大使が日本記者クラブで記者会見した折、安倍首相が集団的自衛権を行使できる事例としてホルムズ海峡の機雷掃海を例示したことに対し、「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」と述べ、イランが機雷を敷設するなどして同海峡を封鎖する可能性を否定した。その理由としてナザルアハリ大使は「イランは有数の原油輸出国。(核開発疑惑を巡る)制裁で輸出額が半減し、これから輸出を増やそうとしているのに、なぜ海峡を封鎖する必要があるのか」と強調した。
 また、ナザルアハリ駐日大使はイランの核開発をめぐる主要6か国との最終合意が成立したのを受けて、中東をめぐる緊張緩和が進展したこともあって、ホルムズ海峡の機雷掃海という集団的自衛権行使の事例も信憑性がはげ落ちた。結局、安保法案は「立法事実」(立法を必要とする根拠)の欠落が次々と明らかになったのである。
 そして、とどめは違憲性だった。昨年7月に「朝日新聞」が憲法学者209人を対象に行ったアンケート調査によると、回答した122人のうち104人(85.2%)が「憲法違反」と答え、15人(12.3%)が「憲法違反の可能性がある」と答えた。「憲法違反にはあたらない」と答えたのは2人だった。
 また、昨年7月の時点で、全国で144の地方議会が国会や政府に対して安保法制や集団的自衛権の行使容認に「反対」の意見書を可決していた。「賛成」の意見書を可決したのは6議会、「慎重」は181議会だった。
 
 このような法案内容、法案審議の状況の中でテレビの報道番組に出演したキャスターの多くが、法案をめぐって多岐にわたる疑問点を指摘したら、「反対」の意見表明にカウントされるのか? 事実として多くの疑問点が存在するのなら、それを指摘するのに多くの時間を費やしたとして何が問題なのか? 

 取材対象に多くの問題点が含まれていることを指摘するのは「多角的な論点の提示」に適ったことではないのか? そのような状況でも、「法案にはこんないい点もあります」とバランスを取る「中立」が「公平」なのか?

 数万人の安保法案反対のデモと、数百人の安保法案賛成のデモをバランスよく伝えて世論が二分しているかのような印象を与えるのは「公平」な報道ではなく、「中立」の外装をこらして、政府に不都合な事実をゆがめて伝える政権援護報道であり、権力を監視するという自らの使命を投げ捨てるメディアの自殺行為である。

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