問われるべきは「賛否のバランス」ではなく、「情報の質」

2016617日 

 昨日、
日本記者クラブで「放送メディアと放送法~何が争点か~」をテーマに、放送法遵守を求める視聴者の会」と「放送メディアの自由と自律を考える研究者有志」の公開討論会が開かれた。私は研究者有志の1人として、この討論に参加した。討論の模様は次の録画でご覧いただけるとありがたい。

 
討論者
 視聴者の会:ケント・ギルバート、上念司、小川榮太郎
 
研究者有志:砂川浩慶、岩崎貞明、醍醐聰


前半録画

https://www.youtube.com/watch?v=wXRLW_TQtjU&feature=youtu.be

 後半録画

https://www.youtube.com/watch?v=PVTaB8lPT7U&feature=youtu.be

 討論では、「視聴者の会」が手掛けたTBSの安保法案関連の報道番組の検証方法~法案に関するコメント等を賛否の意見に振り分ける基準、報道番組を評価する基準は「賛否のバランス」なのか、国民の知る権利に応え、法案に対する判断材料を提供する「報道の質」なのか、放送法第4条は法規範なのか倫理規範なのか、倫理規範だとしたら、それを機能させる方法は何か-----「視聴者の会」が要請したような行政の介入や番組スポンサーからの圧力なのか、それとも放送事業者の自己規律、外部からの監視などなのか-----が議論になった。
 また、「視聴者の会」が取り上げなかったNHKの報道の現状(報道の不作為や籾井会長の「原発報道は公的発表をベースに」という発言をどう見るかなど)についても議論が交わされた。

 討論の模様は「産経ニュース2016.6.16 16:5517:34)が次のように伝えている。

(引用開始)
【テレビ報道と放送法・公開討論】
「 <前文略> 
 ◇
 冒頭、小川氏は「日本のテレビ報道の現状が政治プロパガンダになっている」として、視聴者の会が特定秘密保護法や安保法案をめぐるテレビ報道の賛否バランスを独自分析した結果を紹介。法案への反対意見の紹介が賛成意見を著しく上回っているとして、「(賛否バランスが)91というこの数字をおかしいと感じるかどうか聞きたい」と問題提起した。
 その上で、岸井成格氏や古舘伊知郎氏ら報道番組に出演していたキャスターらが「政治的圧力」を否定したことをめぐり、「いつの間にか『安倍政権になって圧力が強まった』という印象になり、それが国際社会にも宣伝されている」と述べた。
 これに対し、岩崎氏は「キャスター個人が圧力を受けていることはないかもしれない」と発言。その上で、安倍晋三首相が一部メディアの個別取材に「選別的に」応じていることや、視聴者の会がTBS報道をめぐってスポンサーへの働きかけを示唆したことなどを挙げ、「歴史的には(メディアが)追い込まれている、と私は見ている」と述べた。
 また、第1次安倍政権時代、総務省が放送局に行政指導を行った件数が「突出して多かった」として、「安倍政権はメディアを気にしている」とも述べた。
 ◇
 一方、視聴者の会のまとめたテレビ報道の「賛否バランス」について、醍醐氏が言及。醍醐氏は「(視聴者の会が、報道内容の)賛否の振り分けをどのような基準で行ったのか。重要なのは報道の質ではないか」と疑問視。その上で、「法案のどこに論点があるのか、アジェンダを自律的に設定し、調査報道を手掛けることこそがメディアの最も重要な使命だ」と述べ、視聴者の会の主張を「メディアの権力監視機能を理解しない曲論」と切り捨てた
 また、岩崎氏は「安保法案への疑問や論点を多くの角度から紹介すれば、当然否定的な意見の放送が長くなる。賛成、反対で色分けをすることが知る権利につながるのか」と述べた。


 こうした意見に対し、上念氏は「安保報道では、南シナ海などの緊迫した情勢、憲法との関係など、本来議論すべき安全保障の論点から外れた、反対デモが盛り上がっているということに力点を置いた報道が多かったのではないか」と主張。小川氏は賛否バランスの振り分けについて、「作為的かどうか分析してほしい」として、調査結果を公開しており、第三者からも検証可能であることを強調した。
 ◇
 討論会では、NHKの籾井勝人会長が熊本地震に関連する内部の会議で、「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と述べたことも遡上に上った。
 醍醐氏から見解を問われた小川氏は、その報道を知らなかったことを明かした上で、「普通に考えたら問題ではないか」と発言。ケント氏も「公共放送ではなく国営放送になってしまう」「NHKが偏向報道をしたら、それを指摘すればいい」と述べた。

 

テレビ報道と放送法をめぐる公開討論会の後半では、番組編集に当たっての政治的公平などを求めた放送法4条をめぐって見解が分かれた。まず、東京大名誉教授の醍醐聡氏が「政府が4条違反を判断することになると、それは違憲だと思う。メディアに監視されないといけない権力がメディアをチェックするのは矛盾だ」と問題提起した。

 

これに対し、米カリフォルニア州弁護士でタレントのケント・ギルバート氏は「私は違憲とはかぎらないと思う。限られた(電波)資源を独占的に利用する交換条件として適用されるものだ」と主張。文芸評論家の小川榮太郎氏は「4条は『倫理規定にすぎない』という言い方があるが、倫理規定であれば無視していいのか。国民が(放送に)関与できる状況を作るべきだ」と反論した。


 一方、醍醐氏は、「視聴者の会」が昨年の安保報道をめぐり、TBSにスポンサーへの働きかけを示唆したことを問題視。「スポンサーに関与させようということには、極めて賛成できない」と述べた。その上で、国民が放送に関与し、適正な放送を実現させるため、放送倫理・番組向上機構(BPO)や番組審議会などの機能強化の必要性を訴えた。

 

また、立教大教授でメディア総合研究所所長の砂川浩慶氏は「放送法は憲法21条の表現の自由の下にあり、放送法を順守することは表現の自由を拡大する方向に向くはずだ。なぜ、視聴者の会は特定の放送局に制約をかけるような動きをするのか」と疑問を呈した。

 ケント氏は「(スポンサーへの呼びかけも)国民の権利の一つで、最終手段かもしれないが、あってもいい」と主張。小川氏は「土俵を作ろうという話をしているだけで、制約をかけようとしているのではない」とした上で、「安保報道では『戦争法案』『赤紙』という言葉まで飛んだ。こういうプロパガンダと報道を切り分ける成熟や自制心が必要だ。マイクを独占している(放送界の)人の表現の自由と視聴者では権力の度合いが全く違う」と反論した。
 また、今後の放送制度のあり方について、経済評論家の上念司氏は「電波オークションを導入して、もっと放送局を増やすべきだ」と主張。ケント氏は「新聞とテレビを分離すべきだ。メディア財閥みたいになっている」と付け加えた。

 ◇
 討論会後の質疑応答で、岩崎氏は「『メディアが一つの権力ではないか』という点は拭えないところがあり、(メディアの)資本系列の問題は私も疑問を持っている。ただ、もう少し議論を深める面も期待したが、前提の部分で意見の相違が出た」と振り返った。醍醐氏は「考え方の違う人たちが議論するこういう機会が、日本でもっとあった方がいいと思う」と総括した。」(引用終り)


 私は1回目の発言用の原稿を用意して討論に臨んだ。「視聴者の会」の小川氏の冒頭の発言が予想したとおりの内容だったので、用意した原稿をそのまま使って最初の発言をした。その内容は昨日の討論会に臨む私の基本的な見解をまとめたものなので、以下、その全文を掲載しておきたい。

            1回目の発言用原稿
 
 「視聴者の会」の皆さんとかみ合った討論をするため、「視聴者の会」が手掛けられたTBSの安保法案関連報道に関する検証について発言します。お手元に発言用原稿をお配りしています。

「視聴者の会」の番組検証の要旨
 「視聴者の会」は、安保関連法案を扱ったTBSの報道番組を何らかの意味で法案に「賛成」「反対」の色がついたもの、「どちらでもない」ものの3つに分け、それぞれの意見を放送した時間を集計しています。
 その結果、「どちらでもない」を除くと、賛成報道の時間が15%であったのに対して、反対報道の時間は85%にも上ったとし、「TBSは報道の名のもとに、法案反対の立場からの政治的プロパガンダを繰り広げた」と結論付けておられます。

重要なことは賛否の「色」ではなく、情報の「質」
 このような番組検証について私が感じたもっとも大きな疑問は、賛否の振り分けをどのような基準で行ったのか、そのような色分けをして賛否報道のバランスを強調することが、「視聴者の会」も重視される「国民の知る権利」に応える上で、どれほど有意義なのかということです。
 たとえば、「視聴者の会」は、「法案への理解が進んでいない」というコメントは、「どちらでもない」に含めてはいますが、会の見方としては「法案反対の意図が明白なコメント」だとされています。
 しかし、安倍首相も国会答弁で「国民の理解が進んでいない」ことを認めています。とすれば、「法案への理解が進んでいない」というコメントは「意見の表明」というよりも、「事実の紹介」といった方がようにも思えます。ただ、そうは言っても、どのような意見を紹介するかは、それ自体、一つの価値判断とも考えられます。
 となれば、ここで重要なことは、あるコメントについて「賛否の色を嗅ぎ分けること」ではなく、取り上げられた情報が法案の可否を判断するのにどれほど有用なものかどうかという「報道の質」ではないでしょうか?

賛否の意見をバランスよく伝えることが第一義的使命なのか?

そもそも論から言えば、国民に有用な判断材料を提供するというメディアの役割に照らして最も重要な課題は賛否の意見をバランスよく伝えることだとは思えません。 
 NHKはニュース番組の中で、しばしば街角インタビューを挿入し、決まり文句を添えた賛成、反対、どちらともいえない、という街の声をバランスよく伝えます。こうした報道が、視聴者に何ほどの判断材料を提供したのか、はなはだ疑問です。
 国民に有用な判断材料を提供するという観点から見て、最も注視すべきだったのは、各種の世論調査で、「議論が尽くされたとは思えない」、「政府は法案の内容を十分に説明したとは思えない」という意見が78割を占めたこと、そうした中で採決がされようとしていたという事実です。

的確なアジェンダ設定と充実した調査報道がカナメ
 そのような状況の下では、法案のどこに、どのような未解明の論点があるのか、国会や国民がそれらの論点を判断するのにどのような材料が不足しているのかというアジェンダを自律的に設定して調査報道を手がける---------これこそがメディアに求められた最も重要な使命だったと私は考えています。
 「集団的自衛権を発動するかどうかは政府が総合的に判断する」という物言いで、政府があいまいな説明を繰り返す論点について、調査報道を手掛け、法案の疑問点や不明点を考える材料を提供するのが熟議を促すメディアの使命です。そうした報道が、安保関連法案に関する政府の説明に懐疑的な見方や批判的な見方を広げたとしても、取り立てて問題ではありません。
 そうした報道を指して、「法案反対の立場からの政治的プロパガンダ」と非難するのはメディアの権力監視機能を理解しない曲論だと私は考えますが、「視聴者の会」はどのようにお考えでしょうか?



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公開討論「テレビ報道と放送法――何が争点なのか」開催のお知らせ

2016610

 高市総務大臣の「電波停止発言」や報道の自由、自律、放送メディアの影響力(権力性)などをめぐってさまざま議論が交わされている。このブログでも何度か、この問題を取り上げてきたが、これらの点について異なる意見を持つ言論人が公開で討論をする企画が以下のとおり実現することになった。

タイトル:公開討論「テレビ報道と放送法――何が争点
   なのか」
日時:平成28 616 日(木)10001200 
場所:日本記者クラブ
  〒100-0011 東京都千代田区内幸町2丁目21
  日本プレスセンタービル 9階 会見場 
  地図:http://www.presscenter.co.jp/access.html 

登壇者:

 <放送メディアの自由と自律を考える研究者有志>

  砂川 浩慶(立教大学教授/メディア総合研究所所長)

  岩崎 貞明(放送レポート編集長)

  醍醐 聰(東京大学名誉教授)


 <放送法遵守を求める視聴者の会>

  ケント・ギルバート(米カルフォルニア州 弁護士、タレン
ト、放送法遵守を求める視聴者の会 呼びかけ人)

  上念 司(経済評論家、放送法遵守を求める視聴者の会 呼び
   かけ人)

  小川 榮太郎(文芸評論家、放送法遵守を求める視聴者の会
   事務局長)

 

参加の呼びかけ

  日本記者クラブ加盟の報道関係者のほか、クラブ外の報道関係者、その他傍聴希望者(事前申し込み制。定員に達したところで締め切り)

 

◆討論の模様は次のとおり、中継・録画で配信される。多くの
 方々に視聴いただけるとありがたい。
 
 ★ニコニコ生放送(ドワンゴ公式チャンネル)
  http://live.nicovideo.jp/watch/lv265721005
 

 ★IWJチャンネル CH4
   http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
 


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お知らせ 『季論21』フォーラム~電波はだれのものか~

2016411

〔追記〕4月12日
  今日、下記のフォーラムの主催者から、岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員、TBSスペシャルコメンテーター)が新たにパネリストとして参加されることになったという連絡が届いた。あわせてチラシの更新版が届いたので、それにあわせて、この記事も更新することにした。

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 雑誌『季論21』編集委員会の主催で次のようなフォーラムが開かれることになった。

             『季論21』フォーラム
              電波はだれのものか
  
 ~「停波」発言と報道・メディア、言論・表現の自由を考える~


     2016526日(木) 午後215分~
   東京・文京シビックセンター スカイホール(26F
        (地下鉄・丸ノ内線「後楽園」駅 すぐ)
   パネリスト
    青木 理さん(ジャーナリスト)
    新垣 毅さん(「琉球新報」東京支社長)
    岸井成格さん(毎日新聞特別編集委員、TBSスペシャル
                               コメンテーター)
    永田浩三さん(メディア社会学、元NHKプロデューサー)
    醍醐 聰(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」
                        共同代表)
 

   どなたでも参加できます。資料代・500

   チラシ http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kiron21forum_chirasi_20160526_2nd.pdf

 私もパネリストの1人として、目下の重要テーマについてメディアに造詣の深い方々と討論する機会を得たので、高市総務大臣の停波発言を単に「言論への介入」と批判するだけでなく、停波発言のどこが、なぜ、どう、問題なのかを考えるためにも、

 ①TBSの安保報道の「偏向」を執拗に批判する「放送法遵守を求め
   る視聴者の会」が採用した報道番組検証の方法――意見が分かれ
     るテーマについて賛否の取り上げ方の時間的バランスを問題にす
     る時間的公平の角度から政治的公平を論じる方法ーーに内在する
     問題点、時間的公平と多角的論点の提供はどのような関係にある
     のか
、しばしば言われる報道の「中立性」とは何なのか、どう評
     価すべきなのか、
 ②放送法4条の枠組みの遵守以前に、自主自立の報道の要というべ
     き自律的な「調査報道」の役割、それが劣化している現状、
 ③組織としてのジャーナリズムの使命と、そこにおける11人の
     放送人の個人としての責務はどのような位置関係にあるのか、

についても論点を提出し、議論をかわしたいと考えている。

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小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(下)~

2016318

「政治的に公平」は「多角的な報道」と関わらせて
 今回の小川氏の見解に限らず、報道の政治的公平が議論とされる場合、賛否の意見をバランスよく伝えたかどうかが問題にされることが多い。しかし、言葉の本来の意味に立ち返ると、それはいわゆる報道の「中立」の問題であって「公平」の問題ではない。しかも、放送法には「公平」という言葉はあるが、「中立」という言葉はない。

 ここで私が留意したいと思うのは、放送法第4条第1項第4号が「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めていること、「意見が対立している問題については、それぞれの意見を公平に伝えること」とは定めていないことである。

 どちらであるかで意味が全く異なることは明らかである。では、放送法が前者のような定めをしたのはどうしてだろうか? この点を考える上で参考になるのは荘宏氏(放送法の制定作業にかかわった元電波監理局次長)の次のような指摘である。

 「この〔政治的公平を要請した放送法の〕規定は一見政治的な不公平を避ければよいとの消極的制限の規定にとどまるかのように見える。しかしながら政治的な公平・不公平が問題となるのは意見がわかれている問題についてである。そこで本号では第4号との関連において、単なる消極的制限のみの規定ではなく、政治的に意見の対立している問題については、積極的にこれを採り上げ、しかも公平を期するように各種の政治上の見解を十分に番組に充実して表現していかなければならないとしているものと解される。」

(荘宏『放送制度論のために』1963年、日本放送協会、136ページ。下線は醍醐が追加)

 つまり、荘氏は、放送法第4条第1項第2号の「政治的に公平であること」は、それ単独でではなく、まして、対立する意見をバランスよく伝える「中立性」の意味ででもなく、同項第4号の「多角的な論点の提示」と関連付けて解釈すべきものと理解しているのである。

  では、第2号規定と第4号規定を関連付けるとはどういうことか? この点を考える上で、荘氏の次のような指摘は含蓄に富んでいる。

  
政治運営に不可欠な常識の普及 (前略)この政治のあり方を決定づけるものは主権者たるわれわれである。すなわちわれわれは国会議員などの議員を選挙し、その活動ぶりを注視し、議決された法律・予算等を理解し、政府その他の行政当局の施策を知ってこれに基づいて行動するとともに、これを批判し、立法及び行政について希望を表明し、さらに次の選挙における意思を固める。・・・・民主主義国家が完全に運営されるためには、国民にあまねく高度の常識が普及していることが必要である。放送はこの目的のためにその機能を発揮しなければならない。
(荘、同上書、148ページ。下線は醍醐が追加)

 メディアの使命をこのように、「国民にあまねく高度の常識を普及させる、それを通じて国民の政治参加を民主主義国家にふさわしいものとすること」と理解することは、放送法がその目的を謳った第1条で、「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と定めたことと整合する。また、国民の知る権利に奉仕することがメディアの根幹的使命と広く理解されていることとも合致する。

「多角的な論点報道」に「中立」はなじまない
 ところが小川氏は記事の中で、放送法4条第14号の定めを原文で紹介しながら、在京6局の安保報道を批判する段になると、上記の4で紹介したように、安保報道番組における法案に対する賛否のバランスを問題にしている。
 しかし、意見が分かれている問題について、「賛否をバランスよく伝える」ことと、「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は全く別個の問題である。
 意見が分かれている問題だからこそ、国民に賢明な判断の拠り所となる情報を多角的に伝える報道機関の使命が大きいと解するのが立法趣旨に適った解釈なのである。

 小川氏が事務局長を務める「放送法遵守を求める視聴者の会」のHPを見ると、「知る権利とは?」と題した記事が掲載され、その中で、次のように記されている。

 「ただし『報道の自由』の目的は、国民の「知る権利」に奉仕することです。報道が多様な情報や意見を公平に紹介することによって、国民は主権者としての政治判断を適切に行うことが可能になります。報道が国民の『知る権利』への奉仕であるからこそ、取材や発表が自由に行えること(=報道の自由)が大切となるのです。」

 最後の文章に異論はない。問題は、「国民の知る権利に奉仕する報道」とは何を指すのかである。安保法案に賛成する意見と反対する意見をバランスよく伝えること(それも必要な要素の一つではあるが)が国民の知る権利にどれほど奉仕するのか? 
  「多角的に論点を明らかすること」と定めた放送法第4条第14号規定の趣旨に沿っていうなら、疑問点が多岐にわたる法案を報道する時にそれらの疑問点を考える情報を独自の調査報道も手掛け、掘り下げて伝えてこそ、「国民は主権者としての政治判断を適切に行うことが可能にな」るのである。

 こう考えると、疑問点が多岐にわたる法案を報道する時に、多くのコメンテーターが、それらの疑問点を指摘し、それに費やす放送時間が多くなるのは自然なことであり、「政治的に公平であること」と矛盾するわけではない。
 そもそも、法案の疑問点を指摘することを以て「法案に反対する論者」と決めつけること自体が稚拙な独断である。このようなレッテル貼りこそ、事なかれ主義を報道機関にはびこらせ、メディアの劣化に拍車をかける罪深い主張なのである。

植木枝盛は次のように述べている。
 
「人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、これを信ずること厚ければ、益々これにくけ込み、もしいかなる政府にても、良政府などといいてこれを信任し、これを疑うことなくこれを監督することなければ、必ず大いに付け込んでいかがのことをなすかも斗り難きなり。」 (家永三郎編『植木枝盛選集』岩波文庫、1112頁)

 メディアの権力監視は市民による政治監視を有効にするための土台であり、ジャ―ナリストは政治権力者のパ-トナー、広報官であってはならない。メディアによる権力監視の基礎には「権力を疑え」という思想がある。このような使命を持つメディアの政治報道に「中立」を要求するのは、「国民の知る権利に奉仕するメディアの使命」を理解しない低俗で危険な反理性主義である。

 「放送法遵守を求める視聴者の会」が昨年1114日(産経新聞)と15日(読売新聞)に出した意見広告の中で名指しで攻撃された岸井成格氏は、「私たちは怒っている」という横断幕を掲げた6人のジャーナリストの記者会見(2016229日)に出席し、意見広告に関する感想を聞かれて、「低俗だし、品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」と答えた(「朝日新聞」201631日)。このような気骨が報道界に広がり、共有されることを私は期待している。 


「放送法」遵守というなら、放送法違反を繰り返す籾井NHK会長の罷免こそ急務
 
 小川氏は放送法違反を口にし、小川氏が事務局長を務める視聴者の会は「放送法遵守を求める」という文言を冠している。それなら放送の自主自立を謳った放送法のイロハに反する言動を繰り返す籾井会長の資質を問題にし、同氏の会長不適格、辞職を促すのが筋であり、急務である。

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権力監視  大切な自立性

                                                                     醍醐 聰

  メディアには時の権力を監視する役割が期待されています。テレビで放送された番組が政治的に公平かどうかを総務大臣が判断するのは、監視される側が、監視先をチェックするという矛盾が起き、問題です。
 政権の意向におもねることなく、伝えるべき課題を探り、それを調査して報道する使命がメディアにはあります。

 例えば昨年、安全保障関連法案の違憲性が指摘されました。政府は「必要な自衛のための措置」はとれるとした1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に、集団的自衛権の行使は「合憲」と主張しました。これに対しテレビ朝日系の「報道ステーション」は裁判に関わった元最高裁判事が判例集に書き込んだメモを発見し、政府の解釈に無理があると指摘しました。
 こうした調査報道こそメディアの自立的報道の強みを発揮したものです。番組内容には偏りがあるか判断するのは視聴者、各放送局の審議会、NHKと民放が設置した放送倫理・番組向上機構(BPO)です。

 「政治的に公平である」などと書かれた放送法第4条は、放送事業者が自覚すべき倫理規定だと考えています。4条に違反したとして行政処分や法的制裁が科されれば、憲法21条で保障された言論や表現の自由を侵害する恐れがあるからです。

 自民党はやらせ問題などを理由にNHKやテレビ朝日の幹部から聴取するなど、メディアへの介入を強めています。政権との摩擦を避けるためか、当たり障りのない番組が増え、テレビ界全体で自粛ムードが広がっている気がします。政権に物申してきた報道番組のキャスターもこの春、一斉に交代します。

 今回の総務相発言について、わたしたちは発言撤回と大臣の辞職を求める申し入れを行いました。しかし、肝心の放送事業者から反論が噴出して来ないのが気になります。(上田貴子)

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小川榮太郎氏の対論を読んで~放送法第4条の理解を深めるために(上)~

2016年3月18日
 

「北海道新聞」に対論が
 目下、高市総務相の停波発言(28日、9日の衆議院予算員会で高市総務相が、政治的に公平であること等を定めた放送法第4条に違反する放送を繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して停波もあり得ると答弁したこと)をめぐって各方面で論議が広がっている。

 そのような折、「北海道新聞」の314日朝刊の<月曜討論>欄に、「放送局電波停止発言 どう考える」というタイトルで、「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎さんの見解と私の見解が対論形式で掲載された。掲載された私の見解の全文(元原稿)は2回めの記事の末尾に載せておく。

 このような状況の中で、TBSの「NEWS23」のアンカーを務めていた岸井成格氏の発言を捉えて「政治的に公平であること」と定めた放送法第4条に違反するとして、岸井氏を名指して攻撃した意見広告を読売、産経両新聞に出した「放送法遵守を求める視聴者の会」事務局長の小川榮太郎氏の見解は、高市発言がはらむ問題点を考える上でも有益と思われる。

 そこで以下、小川氏の見解を論点ごとに2回に分けて検討することにした。各項冒頭の引用文は今回の記事に掲載された小川氏の文章からの抜粋である。

小川氏は放送法4条をめぐって何が問題なのかを理解できていない
1. 
「放送法4条は民主党政権時代から、倫理規定ではなく法規範性を持つと解釈されてきました。」

 小川氏はこう述べて、放送法を倫理規定ではなく、法規範だと解釈するのは民主党政権時代も同じだったと説明している。しかし、民主党と自民党の解釈が同じかどうかは政党間の話であって、視聴者・国民から見てどうなのかに関わる議論ではない。
 政治の世界での解釈、見解というなら、国権の最高機関である国会での次のような経緯を知っておくことが肝心である。

 いわゆる「ねじれ国会」時代の2007年の国会で、政府から提出された放送法改正案の中に、ねつ造番組を放送した事業者に対し、再発防止計画提出を義務付ける行政処分規定が盛り込まれ た。しかし、衆参両院の法案審議において、こうした規定は「公権力による表現の自由への介入にあたる」との反対意見が出されたのを受けて、新たな行政処分規定は削除され、代わって、衆参両院の総務委員会は、放送界が共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議を採択した。
 当時、総務大臣だった菅義偉・現官房長官も、放送法改正法案の趣旨説明の中で、新たな行政処分は「BPOによる取り組みが発動されるなら、私どもとしては作動させないものにしていきたい」と述べ、BPOによる再発防止策が機能している間は、行政処分規定を凍結する考えを示していた(2007522日、衆議院本会議 )。
 以上については、奥田良胤「『ねつ造』に関する新行政処分放送法改正案を国会に提出」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所、20076月も参照)

 こうした経緯に照らしても、今回の高市発言はこれまでから政府・総務大臣が言ってきたことを繰り返したまで、という小川氏や高市総務相、菅官房長官の反論は事実に反する説明である。

2
. 「 放送法が悪法と言うなら野党は法改正を提案するべきですし、報道機関もその観点で批判してはどうでしょうか。現にある法律を執行するなと迫るのはルール違反です。」

 小川氏はこう述べているが、誤解ないしは曲解である。高市発言をめぐって野党あるいはいくつかの視聴者団体や報道機関、多くのメディア関係者が指摘しているのは、「放送法は悪法だ」ということではなく、「高市氏は放送法第4条の解釈を誤っている」(放送局が自覚的に遵守すべき倫理規定を法的な義務規定かのようにみなす曲解)ということである。言い換えると、放送法4条を「執行するなと迫っている」のではなく、「放送法第4条は行政処分を発動する根拠にならない」と言っているのである。

報道機関への行政指導には反対と言いつつ、報道機関への行政指導を促す自己矛盾

3
. 「民間放送局は視聴者が支持しなければスポンサーがつかず、抑制が働く建前になっています。しかし日本では企業が広告を出すに当たり、報道の内容を精査して判断する状況になっておらず、有効な監視手段が行政以外にないのが現実です。」

 小川氏はこう語っている。小川氏は、日本ではと断って、広告主が報道内容を精査する状況になっていないと言う。しかし、広告主が報道内容をチェックすることを期待できないのは、広告主にその意思があるかないかにかかわらず、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(第3条)と定めた放送法総則が民間放送にも適用されるからである。

 公共的資源というべき電波の割り当てを受けた放送事業には、第三者による放送内容の検証、チェックが必要だが、問題はそれを「誰が」「どういう方法で」行うのかである。チェックをするのは政府・行政なのか、視聴者なのか、BPOなのかを区別せず、自明のように行政を監視役に見立てて、「強いパワーには抑制する仕組みを持つのが民主主義の基本原理だ」という小川氏は立憲民主主義の何たるかをわきまえず、憲法・放送法が言論の自由、放送の自主自立を謳った意義を理解できていないことになる。
 また、それ以前に、総務省も含んだ政府はメディアによって、その言動・国策を監視される対象である。その政府が監視役の報道のあり方に口を挟むのは主客を転倒させた自己矛盾である。

権力の監視報道に「中立性」を要求する俗流解釈
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. 「私が代表理事を務める社団法人日本平和学研究所が昨年9月の安全保障関連法の成立直前5日間、在京6局の主要報道番組の賛否バランスをキャスターの発言などに基づき調べたところ、6局合計で賛成11%(1462秒)、反対89%(11452秒)と極端な偏りがありました。これでは視聴者はハト派の局とタカ派の局が主張を競い合うという多様性を期待できません。放送法に基づき、各局の番組内で多角的な論点と公平性を確保する以外ないのです。」

 まず、前段の指摘について。ここで小川氏は報道番組に出演したキャスターの安保法案に関する賛否を発言時間(秒数)をもとに計測し、その偏りを問題にしている。調査方法の是非はここでは論じないとして、念のため指摘しておくと、放送法にもNHK放送ガイドラインにも番組基準にも「中立であること」と謳った条項はない。
 小川氏も紹介した「多角的な論点と公正性の確保」からすると、安保関連法案には、日本の平和と安全、世界の平和に関わる重大な論点が数多く含まれていた。発進準備中の戦闘機への給油を認めるのは武力行使との一体化に当たるとの指摘が参考人として国会に出席した元法制局長官から出された。国会審議では野党から、自衛隊の内部資料にもとづいて、安全な「後方支援」というものがあり得るのかという疑問が提起された。

 一昨年、安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認することは現憲法の解釈としても可能とする見解を決定した際、安倍首相は武力紛争から避難しようとする赤ん坊を抱えた母親のパネルを指し示し、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認しなければ、こうした邦人を救出しようとする米艦船を日本は防護できないと、記者会見で訴えた。

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 ところが、昨年826日、参議院安保特別委員会で中谷防衛相は「邦人が乗っているか乗っていないか、これは絶対的なものではございません。総合的に判断するということで・・・」とあっさり答弁した。

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 また、昨年723日、イランのナザルアハリ駐日大使が日本記者クラブで記者会見した折、安倍首相が集団的自衛権を行使できる事例としてホルムズ海峡の機雷掃海を例示したことに対し、「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」と述べ、イランが機雷を敷設するなどして同海峡を封鎖する可能性を否定した。その理由としてナザルアハリ大使は「イランは有数の原油輸出国。(核開発疑惑を巡る)制裁で輸出額が半減し、これから輸出を増やそうとしているのに、なぜ海峡を封鎖する必要があるのか」と強調した。
 また、ナザルアハリ駐日大使はイランの核開発をめぐる主要6か国との最終合意が成立したのを受けて、中東をめぐる緊張緩和が進展したこともあって、ホルムズ海峡の機雷掃海という集団的自衛権行使の事例も信憑性がはげ落ちた。結局、安保法案は「立法事実」(立法を必要とする根拠)の欠落が次々と明らかになったのである。
 そして、とどめは違憲性だった。昨年7月に「朝日新聞」が憲法学者209人を対象に行ったアンケート調査によると、回答した122人のうち104人(85.2%)が「憲法違反」と答え、15人(12.3%)が「憲法違反の可能性がある」と答えた。「憲法違反にはあたらない」と答えたのは2人だった。
 また、昨年7月の時点で、全国で144の地方議会が国会や政府に対して安保法制や集団的自衛権の行使容認に「反対」の意見書を可決していた。「賛成」の意見書を可決したのは6議会、「慎重」は181議会だった。
 
 このような法案内容、法案審議の状況の中でテレビの報道番組に出演したキャスターの多くが、法案をめぐって多岐にわたる疑問点を指摘したら、「反対」の意見表明にカウントされるのか? 事実として多くの疑問点が存在するのなら、それを指摘するのに多くの時間を費やしたとして何が問題なのか? 

 取材対象に多くの問題点が含まれていることを指摘するのは「多角的な論点の提示」に適ったことではないのか? そのような状況でも、「法案にはこんないい点もあります」とバランスを取る「中立」が「公平」なのか?

 数万人の安保法案反対のデモと、数百人の安保法案賛成のデモをバランスよく伝えて世論が二分しているかのような印象を与えるのは「公平」な報道ではなく、「中立」の外装をこらして、政府に不都合な事実をゆがめて伝える政権援護報道であり、権力を監視するという自らの使命を投げ捨てるメディアの自殺行為である。

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メディアの監視対象である政権がメディアを監視しようとする愚かで危険な野望

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 28日、9日の衆議院予算員会で、高市総務相は放送法第4条に違反する、政治的に不公平な放送などを繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して電波停止の処置を取ることもあり得ると発言した。
 これについて、高市氏や菅官房長官は、総務省がこれまでから言ってきたことを繰り返しただけで、当たり前のこと、と平静を装っている。しかし、多少とも国会会議録等を調べるとわかることだが、今回の停波発言は、菅総務相(2007年当時)の国会説明や国会審議の経緯をたどると、これまでの総務省見解の繰り返しどころか、反故というべきものである。
 また、ネット上では、虚偽の放送をした以上、行政が乗り出して正すのは当然と言う意見が見受けられるが、「何が虚偽か」「何が公平か」を誰が、どのような基準で判断するのかは、番組編集の根幹にかかわる問題である。ましてや、放送法第4条第14号で定められた「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に適合するかどうかは報道番組の編集の生命線ともいえる問題である。
 時の政権の一員である放送事業の所管庁が、こうした問題の審判者かのように振る舞うとしたら、放送の国家統制の入口に立つことになる。
 そもそも、報道番組の多くは、時の政権が推進しようとする国策を取材対象とするものである。そのように取材・報道の対象(国策のプレイヤー)である行政機関が取材・報道のアンパイアかのように振る舞い、自らを監視するメディアをコントロールしようするのは、相互に独立し、緊張関係を保つべき一方当事者が2役を兼ねる矛盾である。

 このような認識から、私も共同代表の1人を務める「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は運営委員会の協議を経て、今日、高市総務大臣宛てに次のような申し入れ文書を発送した。また、同文を放送界の次の団体(の長)宛てにも発送した。
 ・BPO 濱田純一理事長
 ・BPO放送倫理検証委員会 川端和治委員長
 ・BPO放送人権委員会 坂井 眞委員長
 ・NHK 籾井勝人会長
 ・日本民間放送連盟 井上 弘会長
 ・民放労連
 ・日本放送労働組合 中村正敏 中央執行委員長


   高市総務相の「停波」発言の撤回と総務大臣の辞職を
                             求める申し入れ
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/takaichi_daizin_ate_mosiire_20160215.pdf

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総務大臣 高市早苗様

       高市総務相の「停波」発言の撤回と総務大臣の辞職を
                              求める申し入れ


          NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
               共同代表 湯山哲守・醍醐 聰

 さる28日、9日の衆議院予算員会で、高市総務相は、政治的に公平であること等を定めた放送法第4条に違反する放送を繰り返した放送事業者に対しては電波法第76条第1項を適用して停波もあり得るとの答弁をした。安倍政権のもとで放送に対する介入が頻発している状況の中で放送事業を所管する大臣から、放送番組の内容と関わらせて行政処分を発動する可能性が公言されたことは、報道の自由、放送の自主自立の原則に照らして、極めて由々しき問題である。当会は以下の理由から、高市総務相に対し、上記の発言の撤回を求めるとともに、高市氏が放送事業を所管する大臣としてわきまえるべき資質を欠いていると判断し、総務大臣の職を辞するよう求める。

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. 倫理規範たる放送法第4条違反を理由に行政処分を可とするのは法の曲解であり、違憲である

 憲法・放送法学者の間では放送法第4条は放送事業者に法的義務を課す規範ではなく、放送事業者が自覚すべき倫理を定めた規定とみなすのが定説である。その理由は、政治的公平であること、報道は事実を曲げないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること、などを定めた放送法第4条は、言論・表現・報道の自由の根幹をなす番組の編集方針や番組内容に関わるものであり、これらに違反するかどうかを所管庁や政権が判定し、違反を理由に行政処分や罰則など法的制裁を発動するとなれば、憲法21条で保障された言論・表現の自由を侵害するおそれが強いからである。
 現に、真実でない放送をされ、人権を侵害されたとして放送事業者に訂正放送を請求できるかどうかが争われた事件で最高裁は申立人の訴えを棄却する判決を言い渡した(20041125日)。その判決文の中で最高裁は放送法第4条の性格を次のように解釈している。

 「法41項自体をみても,放送をした事項が真実でないことが放送事業者に判明したときに訂正放送等を行うことを義務付けているだけであって,訂正放送等に関する裁判所の関与を規定していないこと,同項所定の義務違反について罰則が定められていること等を併せ考えると,同項は,真実でない事項の放送がされた場合において,放送内容の真実性の保障及び他からの干渉を排除することによる表現の自由の確保の観点から,放送事業者に対し,自律的に訂正放送等を行うことを国民全体に対する公法上の義務として定めたものであって,被害者に対して訂正放送等を求める私法上の請求権を付与する趣旨の規定ではないと解するのが相当である。」

 
このような最高裁の法解釈に照らしても、放送法第4条が放送事業者に対外的義務を課す規範規定ではなく、4条各項で定められた事項を自律的に確保するよう促した倫理規定であることは明らかである。したがって、放送法第4条に違反する放送がなされたことを以て行政処分の根拠とするのは法の趣旨の曲解であり、違憲であって許されない。
 
 もっとも、ここで言う「倫理規定」とは放送事業者の「編集権」なるものを無条件に容認する趣旨ではない。まして、放送法第4条第1項各号への適合を番組編集者の裁量に無制約に委ねたものでもない。「倫理」とは最高裁判決も指摘するように放送事業者が国民全体に負う「義務の自覚」を前提にした自律を意味している
 昨今のNHKの放送、特に報道番組は政府の意向を忖度し、代弁する政府広報に偏したものが多い。こうした政治的偏向を正すには、NHKの自律を待つだけでなく、BPOによる監視はもとより、NHKの主権者というべき視聴者からの理性的な批判が不可欠である。NHKはこうした視聴者の批判に真摯に向き合い、「義務の自覚」を実際の番組編集に活かすことが不可欠である。放送事業者の「自律」とは国民の知る権利に奉仕する使命を果たすために与えられた自治であって、視聴者からの批判を「聞き置く」身勝手な裁量を意味するのではないことを、ここで強調しておく

2.  
停波発言は2007年の放送法改正にあたって行政処分の新設案が削除され、真実性の確保をBPOの自主的努力に委ねるとした国会の附帯決議を無視するものである。
 
 2007年の国会で、政府から提出された放送法改正案の中に、ねつ造番組を放送した事業者に対し、再発防止計画提出を義務付ける行政処分規定が盛り込まれた。しかし、衆参両院の法案審議において、こうした規定は「公権力による表現の自由への介入にあたる」との反対意見が出された。日本弁護士連合会も2007328日に発表した「会長談話」の中で、「行政機関が,免許権限を背景として再発防止計画の提出を求めることは,その要件が必ずしも明確でないことも相まって,放送事業者に萎縮的効果をもたらすおそれが強く,国民の知る権利を損なうものとなることが懸念される」とし,「放送倫理上の問題は,放送事業者が自らを厳しく律することによって解決されるのが望ましい」と指摘した。

 こうした意見を受けて、新たな行政処分規定は削除され、代わって、衆参両院の総務委員会は、放送界が共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議を採択した。
 この附帯決議は放送法第4条が倫理規範であることを踏まえた妥当なものであった。義偉総務相(当時)も、新たな行政処分は「BPOによる取り組みが発動されるなら、私どもとしては作動させないものにしていきたい」と述べ、BPOによる再発防止策が機能している間は、行政処分規定を凍結する考えを示した。
 (2007522日、衆議院本会議 。なお、以上については、奥田良胤「『ねつ造』に関する新行政処分放送法改正案を国会に提出」『放送研究と調査』NHK放送文化研究所、20076月も参照)

 ところが、高市総務相はさる今年28日の衆院予算委員会で、「BPOBPOとしての活動、総務省の役割は行政としての役割だと私は考えます」と答弁し、BPOの自立的な努力の如何にかかわらず、行政介入を行う意思を公言した。このような発言は2007年の衆参附帯決議の趣旨に反し、菅総務相(当時)の答弁とも相反する不当なものである。

3.  
放送法第4条に違反するかどうかを所管庁が判断するのは編集の自由の侵害である。

 
放送法第4条違反を理由に停波を発動することがあり得るとした高市総務相の発言は、放送された特定の番組の内容が事実を曲げたものかどうか、政治的に公平かどうか、意見が対立している問題について多くの角度から論点を明らかにしたかどうかを所管庁(総務省もしくは総務大臣)が判断することを意味している。当会が今回の高市発言で最も問題視するのはこの点である。
 というのも、事実を曲げたかどうか、政治的に公平だったかどうか、多角的に論点を明らかにしたかどうかは往々、価値判断や対立する利害が絡む問題である。そして報道番組の取材対象の大半は、時の政権が推進しようとする国策であり、報道番組では政府与党自身が相対立する当事者の一方の側に立つのがほとんどである

 このような状況の中で、政府の一員であり、放送に関する許認可権を持つ総務大臣が、放送された番組が政治的に公平かどうかの審判者のようにふるまうのは、自らがアンパイアとプレイヤーの二役を演じる矛盾を意味する。その上、総務大臣が自らの判断で放送法第4条違反を認定し、その結果をもとに行政処分に踏み切る可能性を公言するとなれば、放送事業者に及ぼす牽制・威嚇効果は計り知れず、そうした公言自体が番組編集の自由、放送の公平・公正に対する重大な脅威となる

 当会は以上挙げた理由から高市総務相の停波発言に抗議し、直ちに発言を撤回するよう求める。さらに、放送法の番人を装いながら、その実、行政処分権をちらつかせて放送事業者を萎縮させ、放送を政府のコントロール下に置こうとする野望を隠そうとしない高市氏は放送事業の所管大臣として失格であり、すみやかに辞任するよう求める。


                         
以上

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死刑支持は85.6%ではなく、52.6%と伝えるべき~NHKに意見を提出~

 330日、NHKニュース番組制作担当宛てに、「死刑制度に関する内閣府世論調査の報道のあり方について」と題した意見を提出した。
 詳しい経過は、このブログの1つ前の記事に書いたが、意見の要点は、2009年に内閣府が行った死刑制度の存廃に関する世論調査の集計結果を多少なりとも冷静に読めば、「死刑支持は85.6%」ではなく、「死刑支持は52.6%」と伝えるのが的確な報道だ、ということである。
 なお、文中、「人が人を殺す」と書いたが、死刑は私人間の行為ではなく、私人に対する国家の意思行為であることを銘記しなければならない。

 
 今回、小川敏夫法務大臣が3人の死刑執行に踏み切ったことを伝えた3月30日の朝日新聞朝刊(2面)では、「法務省、『転換』を歓迎、法相代わるたび機会うかがう」という見出しの記事を掲載した。その中で、小川氏が法務大臣に就任直後から法務省刑事局は死刑囚2人を候補に挙げ、死刑執行の署名を求めていたと記している。

 こうした背景を知るにつけ、政府が実施・集計・公表する世論調査をメディアが国民に伝えるに当たっては、設問の仕方、回答の選択肢の設け方、集計の仕方に恣意性はないか、年代別・性別・職業別など調査対象ごとの回収率に偏在はないか等を原資料にあたって主体的に吟味し、必要とあればしかるべきコメントを添えて報道する自律性が強く求められることを痛感させられる。そして、常日頃から政府の言動にこうした鋭利な注意力、理知的な懐疑心を研ぎ澄まし、報道に活かすことがメディアの国家「からの」の自由、国家「への」自由の要であると私は思う。

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                     2012330
NHK
ニュース番組制作担当 御中

  死刑制度に関する内閣府世論調査の報道のあり方について

                        醍醐 聰

 昨朝(329日)、殺人などの罪を犯した3人の死刑囚に対する死刑が執行されました。おととし7月以来、18ヶ月ぶりの執行でした。
 昨夜7時のNHKニュースはこの件を伝えた後、死刑制度の存廃について24ヶ月前(200911月~12月)に内閣府が行った世論調査を画面に示し、「死刑を容認する国民は約85%に上っている」と伝えました。今朝の各紙も、小川敏夫法務大臣は「85.6%が死刑容認」という内閣府の公表数字を挙げて、「死刑執行は国民の支持を得ている」と語ったと伝えました。たとえば、朝日新聞朝刊は内閣府が公表した調査結果を基に折れ線グラフを掲載し、2009年の時点では85.6%が「死刑存続(「存続」と表記していることに要注意)を支持」、「死刑廃止を支持」は5.7%と作図しています。

 しかし、私は昨夜のNHKのニュース画面にこの85.6%という数字が「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢への回答だったことが映されたのを見て奇異に思いました。「場合によっては」という条件を付けた死刑に関する意見を「死刑容認」と一括りにカウントしてよいのか? こうした回答は「死刑の是非はケースバイ・ケース」という意味だと解釈することも大いにありうるのではないか? ・・・・・NHKのニュース制作担当者にはこういう素朴な反問は思い浮かばなかったのだろうか? という疑問です。

 もちろん、死刑制度をめぐっては世論の意思は重要な要素ですが、制度の存続を支持するにせよ、支持しないにせよ、それぞれの意見の根拠――死刑制度は犯罪の抑止力になるという主張は実証されているか? 応報思想で死刑を正当化できるのか? 更生の可能性がないことを以て人が人を殺すことを正当化できるのか? 犯罪被害者およびその遺族の求める償い、癒しに死刑を以て応えることが正当かつ望ましい方法なのか、等々――を理知的に検証することが求められます。

 また、より現実的な問題として、近年、わが国では長期に拘留された死刑囚が再審を請求する事例が生まれ、中には請求が認められ、無罪(冤罪)に至る例も生まれています。また、殺人の罪で拘留された被疑者に対する違法な取り調べがあったと法廷で断罪されたり、別人の犯行を示す有力な証拠が提出されたりする事例も生まれています。こうした現実を直視しますと、死刑制度の存廃をめぐっては、無罪か死刑か、死刑が無期懲役かという生死を分ける判断の重みを受け止めた熟議が不可欠です。

 その点を断った上で、死刑制度をめぐる内閣府の世論調査に関するNHKの報道のあり方に絞って意見をお伝えします。
 なにはともあれ、原資料に当たるのが先決です。そこでインターネットで検索しますと、

 「基本的法制度に関する世論調査」平成2112月調査(内閣府大臣官房政府広報室)
  http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/index.html

というサイトが見つかります。問題の回答集計はこの中の表21(死刑制度の存廃)にあります。その質問事項に対する回答として、次の3つの選択肢が用意され、回答の分布が( )のように示されています(a, b, cは私が追加)。

 内閣府が公表した回答の集計結果:
 
  a. どんな場合でも死刑は廃止すべきである(5.7%)
   b. 場合によっては死刑もやむを得ない(85.6%)
   c. わからない・一概に言えない(8.6%)

 こうした質問形式に私は3つの疑問を感じました。

〔疑問:その1〕 「場合によっては」という条件付き選択肢がなぜ「死刑容認」の回答にだけ付けられ、「死刑廃止」の回答には付けられなかったのか(「場合によっては死刑廃止もやむを得ない」という選択肢がなぜ設けられなかったのか?)

〔疑問:その2〕 「場合によっては」の中味は一様だったのか、様々だったのか? その中味を問うことなく「死刑容認」と括ってしまってよいのか?  

〔疑問:その3〕年代別の回収率と年代別の意見分布の開きを突き合わせて回答結果を吟味しなくてよいのか?

 このうち、疑問12は論点が重なるので一緒に検討します。

 「場合によっては」の内訳も調査されています。なぜそれも伝えないのでしょうか?

 内閣府大臣官房政府広報室の上記のサイトを見ていきますと、「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者を対象にした「将来も死刑存置か」という設問があることがわかります。回答の選択肢としては、「将来も死刑を廃止しない」、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」、「わからない」の3つが用意されていますが、この設問に対する回答の集計結果(表61)は次のとおりです(d, e, f は私が追加))。

  d. 将来も死刑を廃止しない(60.8%)
  e. 状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい(34.2%)
  f. わからない(5%)

 とすれば、死刑制度の存廃に関する世論は次のように集約するのが正しいはずです。
 
  g. 将来とも存続させるべきである(85.6×0.608=)52.6
  h. 現在はやむを得ないが、将来、状況が変われば廃止してもよい(85.6×0.342=) 29.3
  i. どんな場合でも廃止すべきである 5.7
  j. わからない・一概に言えない(8.685.6×0.05=)12.9

 これをもとに言えば、「死刑制度存続に賛成」は85.6%ではなく52.6%と伝える方が正しいことになります
 内閣府あるいはNHKは、hを「少なくとも現在は容認」と解釈したのかもしれませんが、皇室のあり方に関する調査と似て、死刑制度は今日明日に変わるものではありません。したがって、死刑制度に関する世論調査は、単に現時点での容認・否認を確かめるだけでなく、制度の今後のあり方も含めた世論の動向を調査しようとしたものではなかったでしょうか? 「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた人のうちの34.2%が「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と答えている点に着目しますと、朝日新聞の記事のように、85.6%を「死刑存続を支持」と括るのは明らかに誤りです

 この点で言いますと、hの回答が約3割を占めたことは、少なくない国民の間で死刑制度に関する揺らぎが起こっていることを物語っています。
 にもかかわらず、上記のような報道のあり方では、政府が公表するさまざまな情報や資料を扱うに当たってメディアが備えるべき注意力を欠き、その結果、視聴者に誤った心証を形成させる恐れが高いことは否めません。NHKの上のニュースの中でも、「死刑制度に関する国民的な議論が必要」と語られましたが、これはメディアにとって他人事ではなく、死刑制度をめぐって国民の間で理知的な熟議がなされるよう、必要な判断材料を公共の電波を通して国民に伝えることは公共放送NHKの根幹的な使命です。

 年代別の回収率と年代別の意見分布の開きを無視してよいのでしょうか?

 死刑制度に関する内閣府の世論調査の集計結果を利用する時に、重要と考えられる点をもう一つ指摘しておきます。それは、内閣府の上記のサイトに掲載されている「9.性・年齢別回収結果」の読み方です。また、表21には「死刑制度の存廃」に関する年代別の意見分布が示されています。これら2つの資料をもとに、年齢別の回収率と意見分布をまとめますと次のようになります。

 

(注:以下、意見書に挿入した3つの表はブログにはうまくアップできないので、PDF版のURLを貼り付ける。)

<死刑制度の存廃について:年代別の回収率と意見分布>
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_nendaibetu_shukei_1.pdf

<将来も死刑制度存置か>(年代別の回収率は同前)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_nendaibetu_shorai_no_zonpai.pdf

 これら2つの資料を重ね合わせますと、死刑制度の存廃に関する年代別意見は次のように集約するのが正しいといえます。

<死刑制度に関する年代別の意見集約> 

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/sikei_sonpai_nendaibetu_ikenshuyaku.pdf

 これを見ますと、回収率は年代が下がるにつれて大きく減少すると同時に、年代が下がるにつれて、「将来も存置」が減り、「無条件廃止」、「将来は状況によっては廃止可」が増える傾向が読み取れます。こうした傾向から判断して、仮に年代を問わず、回収率が近似していれば、全体の集計結果は「将来も存置」が減少し、「無条件廃止」、「将来は状況によっては廃止可」が増加したと考えられます。したがって、回収率の年代別の偏りを考慮せず、集計結果だけから死刑制度の存廃に関する世論の分布を忖度するのは不適切です。

 以上をまとめますと、内閣府の死刑制度に関する世論調査から死刑制度の存廃に関する世論を利用するにあたっては、①「場合によっては死刑を容認」という回答を「死刑支持」と括ってしまう恣意的な集計がなされていること、②その前提として、「死刑を容認」が大勢という集計結果を導くような不適切な選択肢や設問の仕方がなされていること、③相対的に「死刑制度廃止」の意見がかなりの割合を占める若い年齢層の回収率が低いこと、に十分留意する必要があります。

 こうした意見をどう受け止められるのか、感想をお聞かせいただけると幸いです。また、今後、死刑制度のあり方を番組制作において取り上げられる場合、上記のような私の意見を参照していただけましたら、幸いです。

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浅ましいのはどちらか?~メディアの自死を意味する消費税増税路線への翼賛~

野田政権に消費税増税をけしかけるメディアの異様な光景
 
 『毎日新聞』は1229日、民主党が今年度中に消費税増税の法案提出を決定したのは先の選挙で同党が掲げたマニフェストに違反するとして同党の9名の議員が離党を表明したのを受けて、「浅ましい年の瀬の混乱」と題する社説を掲載した。この社説は、昨年末に民主党政権が消費税増税や八ツ場ダムの建設再開などを決定したのは、同党が政権交代を果たした選挙の折に掲げた公約は総崩れしたことを意味するとみなし、「党の主要政策の方向と離党議員らの主張はかけ離れており、同じ党にいることがもはや不自然にすら思える」と記している。しかし、そういう一方で、9名の民主党議員が離党に踏み切った行動を「次期衆院選での逆風をおそれ、党に見切りをつけた自己保身」と断じ、野田首相に対して「時期や税率も含めた意見集約と法案化への作業をひるまず断行すべきである」と主張している。これでは野田政権に対して、公約違反も辞さず、消費税増税路線を突き進むよう叱咤激励するに等しい。

 離党した議員に対して、あくまで党にとどまり、マニフェストの履行を執行部に粘り強く迫るべきだと促すのなら道理がある。彼らに、このまま民主党にとどまるよりも離党した方が次期選挙にとって得策という読みがなかったとはいえないだろう。しかし、選挙の時に掲げたマニフェストが総崩れしたと断じながら、それに抗議して党を離れた議員を自己保身と決めつけるのでは論理が支離滅裂であり、公約を反故にしてでも消費税増税路線を突き進めと『社説』でけしかけるのは異様としか言いようがない
  この点では、9人の民主党議員の離党を「公約破りへの警鐘」とみなし、「政権幹部が彼らの行動を支えている国民の怒りを軽んじるなら民主党にもはや存在価値はない」と言い切った『東京新聞』の1229日付けの社説の方が道理にかなっている。

メディアは政治のプレイヤ―ではなくウオッチャーに徹すべき
 論理が支離滅裂なのは『毎日新聞』だけではない。『朝日新聞』は1231日の朝刊に「首相と増税――豹変して進むしかない」という社説を掲載し、野田首相が「『君子は豹変す』という立場で行革にも取り組む」と語った言葉を引き、覚悟を決めて消費税増税を断行するよう迫っている。しかし、行政改革を断行することは、その中味こそ問われなければならないが(注)、一般論としては当然のことであり、野田首相自身、民主党代表選にあたって発表した政見のなかで明言していることである。したがって、それを実行するのに政策を「豹変」する必要は全くない。むしろ、「行財政革が増税の地ならしに使われるようでは困る」(『北海道新聞』20111231日、社説)というのが正論である。

 (注)消費税増税に先立って政治家が「身を切る」努力の証しとして民主党は衆議院議員の定数を80名削減することをしきりに唱えている。また、大半のマスコミもこのような主張にそっくり同調している。はたして、日本の国会議員の定数が人口比で多すぎるのかどうかはこの先の記事で触れたいと考えているが、この問題は消費税増税と何の因果関係もない。むしろ、昨今の民主党の公約破りから、民・自2大政党の基本政策は限りなく近似していることが明らかになった。そうした中で、少数政党の議席の削減に帰着する衆議院の議員定数を削減することは、有権者の政策選択の幅を狭め、少数政党に期待する民意を切り捨てることになる。こうした選挙制度のあり方と直結する議員定数の削減を消費税増税に絡めるのは論外である。

 「豹変」というなら、政権交代時のマニフェストに全く掲げず、政権発足時に4年間は消費税を増税しないと明言した公約を翻して消費税増税路線を突き進むことこそ「豹変」である。朝日新聞の社説がこうした野田首相の発言を引き合いに出して消費税増税を断行するよう激励するのであれば、それは民主党のマニフェスト違反を擁護するにとどまらず、マニフェスト違反を奨励するに等しい
 ところが朝日社説は「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していたのではなかったのか」という物言いで、政府・与党執行部が消費税増税法案の国会提出を決したことがマニフェスト違反にあたる事実から目をそらし、そうした党執行部の「豹変」に反発して離党を決意した9人の民主党議員の行動に非難の矛先を向けている。しかし、このような『朝日新聞』社説子の物言いは事実誤認・無視に基づく支離滅裂な主張である。
 
 まず、昨年8月の民主党の代表選にあたって決選投票を争った海江田、野田両氏が発表した政見のうちの財源論に関する見解を確かめてみよう(以下、民主党のHPより)。

海江田万里氏:
 「基礎的社会保障財源として、景気回復後に消費税導入を検討する。その場合には逆進性に配慮する。」
野田佳彦氏:
 「震災対策における財源措置を含め、財政健全化の道筋においては、税金の無駄使いを徹底的に排除する等歳出面での改革に全力を挙げなければならない。その上で歳入面での改革も併せて実行していく。」

 つまり、消費税増税というなら、野田氏よりも海江田氏の方がその点を明記しており、野田氏は増税についてさえ明記しておらず、「歳入面での改革も併せて実行していく」と記すにとどまっている。なお、代表選の投票直前に同党の全国会議員を前にした演説のなかでも野田氏は「議員定数削減、公務員定数と人件費削減にも全力で戦う。それでも足りないときは国民に負担をお願いするかもしれない」と語っているが、そこでの「負担」が何を指すのか、一切明言していない。

 
つまり、消費税増税というなら、野田氏に敗れた海江田氏の方が、景気回復を前提にして、と断りながらも明確に政見に掲げていたことがわかる。この意味で、朝日の社説が「国民に負担をお願するかもしれない」という野田氏の発言をさして増税方針と読み取り、「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していた」と解釈するのは消費税増税に前のめりする主観に災いされた牽強付会な主張である。そもそも、増税というだけでそれが消費税増税を意味すると了解すべき理由がどこにあるのか?増税=消費増税という論調は自民党政権時代から政府・財務省が常用した世論誘導のなし崩し手法である。それと同じレトリックを民主党が用いているという意味では、政権交代ではあっても政策転換ではなく政策継承である。

 朝日社説が、増税といえば消費税増税を指すと了解しているのであれば、それは朝日社説が、自民党政権以来、政権政党が世論誘導のために常用してきたレトリックに一蓮托生で同化している実態の証左にほかならない。これでは時の政府与党の財政運営の批判的オブザーバーであるべきメディアの使命放棄にほかならない。なぜなら、消費税増税をめぐって日本のメディアに求められる最も基本的な役割は増税=消費税増税という論理の飛躍に待ったをかけ、それとは異なる歳入確保の選択肢を国民に指し示す自立した言論だからである。

 言いかえると、時の政権が推し進めようとする「なし崩しの現実に流されない」理知と知見を世論に付与することこそ、政治ジャーナリズムに課される最大の使命である。このような使命を忘れて、時の政権が唱える消費税増税路線に「進軍ラッパ」を鳴らすのではメディアは自死を選んだのも同然である。(『東京新聞』20111225日、<新聞を読んで>欄に掲載された水無田気流「『なし崩し社会』の問題」はこうしたメディアの役割を考えるうえで示唆に富んでいる)。

 次に、議論をもっと前に戻していうと、民主党代表選での各候補の政見はあくまでも党内向けの政見であって、そこで、あれこれの候補者が、かりに、政見交代時のマニフェストに掲げたわけではない消費税増税方針を打ち出したとしても、それによって民主党のマニフェスト違反を正当化できるわけではない。国民向けの公約と党内向けの政見を区別して議論をすべきことは政治評論のイロハである。

問題は増税の実施時期ではなく法案提出の時期である
 ところで、「浅ましい」という評語に話を戻すと、この言葉は離党した9人の民主党議員に向ける言葉ではなく、野田代表ら民主党執行部の党内合意の取り付け方にこそ向けられるべきである。なぜなら、増税反対派の抵抗にひるまずなどと大義を振りかざしているが、その実、民主党執行部が消費税増税について党内の了承を取り付けるにあたっては、8%への引上げ時期を当初案の201310月から半年ずらして20144月とするという小細工を弄している。そうすることで、増税実施の半年前には閣議決定が必要というタイムスケジュールを考慮しても、現衆議院議員の任期中(20138月まで)は増税しないとした政権交代時の公約をクリアできると考えたそうだ。しかし、選挙公約に違反するかどうかは増税の実施時期が任期内かどうかではなく、国会への法案提出が任期内かどうかで決まると考えるのが常識である。マニフェストに反する消費税増税の法案を現衆議院議員の任期内の今年度中に国会に提出しておいて、実施時期を任期外にずらすことで公約違反でないなどと言い募るのは、まさに姑息で浅ましい言いくるめである。それでも公約に反する増税を民主党政権下で行いたいのなら、解散して民意を問いなおすのが正論である。そうした手順を踏まず、将来の消費税増税を先食いする交付国債を発行するのも姑息の上塗りというものである。

 さらに、消費税増税にとどまらず、沖縄普天間基地の移設(撤去)、子供手当、八ッ場ダムの建設再開など、民主党が掲げたマニフェストは昨年末には総崩れの状態になった。私は民主党を離党した議員も、ここに至るまでの間にフニフェストを反故にしようとした党運営のあり方にどこまで異議を投げかけ、有権者に公約したことを守る主体的な努力をしてきたのか厳しく問われなければならないと考えている。しかし、「浅ましい」というなら、民主党が有権者に対する公約を反故にし、自民党政権時代の政策に回帰する政策を次々と打ち出して、政権交代に託した多くの国民の期待を裏切った自党の方針を結局は了承して鉾を納める議員の方がよほど浅ましくないか? それでも政権政党にとどまるのであれば、この先、党運営を抜本的に改めるよう自党に対して異議申し立てをする「覚悟」が求められる。そうした「覚悟」もなしに適当に「ガス抜き」をされて終わるのなら、そうした民主党議員の不作為あるいは無策こそ、自己保身として断罪されなければならない。

国民を熟議に導く取材報道こそメディアの使命
 もちろん、消費税増税をめぐって問題なのは、マニフェストとの整合性や政権・政党の政策の一貫性だけではない。それ以前に、財源といえば消費税しか俎上に乗せない民主・自民2大政党の異床同夢の発想、それに同化するメディアの報道姿勢がはたして正当化なのか? 今回、消費税の逆進性対策として提唱されている給付付き税額控除は逆進性を緩和・解消するうえでどれほどの効果を期待できるものなのか? 消費税の逆進性というと、最終消費の段階での逆進性が重要であることは確かだが、問題はそこだけなのか、仕入れ・販売の段階での転嫁の逆進性(販売力の格差に起因する転嫁の能力の格差)をなぜ問題にしないのか?全ての税目の滞納額の中で消費税の滞納が最も多いのはなぜなのか?滞納というと決まって「益税」が俎上に載せられるが、政府・与党は、なぜ、中小零細事業者が訴える「損税」(消費税を転嫁できない事業者が「自腹」切って納税をすること)の実態把握に努め、是正を検討しないのか?

 政府・財務省の広報を受け売りするのではなく、こうした消費税の転嫁、納税の実態を独自に調査し、国民に伝える「取材報道」こそ、メディアの存在価値の根幹である。そして、メディアはこうした取材報道に徹してこそ、消費税増税問題、広くは社会保障等の財源問題についてありうべき選択肢を示し、国民を熟議へと導く本来の任務を果たせるのである。

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浅ましいのはどちらか?~メディアの自死を意味する消費税増税路線への翼賛~

野田政権に消費税増税をけしかけるメディアの異様な光景
 
 『毎日新聞』は1229日、民主党が今年度中に消費税増税の法案提出を決定したのは先の選挙で同党が掲げたマニフェストに違反するとして同党の9名の議員が離党を表明したのを受けて、「浅ましい年の瀬の混乱」と題する社説を掲載した。この社説は、昨年末に民主党政権が消費税増税や八ツ場ダムの建設再開などを決定したのは、同党が政権交代を果たした選挙の折に掲げた公約は総崩れしたことを意味するとみなし、「党の主要政策の方向と離党議員らの主張はかけ離れており、同じ党にいることがもはや不自然にすら思える」と記している。しかし、そういう一方で、9名の民主党議員が離党に踏み切った行動を「次期衆院選での逆風をおそれ、党に見切りをつけた自己保身」と断じ、野田首相に対して「時期や税率も含めた意見集約と法案化への作業をひるまず断行すべきである」と主張している。これでは野田政権に対して、公約違反も辞さず、消費税増税路線を突き進むよう叱咤激励するに等しい。

 離党した議員に対して、あくまで党にとどまり、マニフェストの履行を執行部に粘り強く迫るべきだと促すのなら道理がある。彼らに、このまま民主党にとどまるよりも離党した方が次期選挙にとって得策という読みがなかったとはいえないだろう。しかし、選挙の時に掲げたマニフェストが総崩れしたと断じながら、それに抗議して党を離れた議員を自己保身と決めつけるのでは論理が支離滅裂であり、公約を反故にしてでも消費税増税路線を突き進めと『社説』でけしかけるのは異様としか言いようがない
  この点では、9人の民主党議員の離党を「公約破りへの警鐘」とみなし、「政権幹部が彼らの行動を支えている国民の怒りを軽んじるなら民主党にもはや存在価値はない」と言い切った『東京新聞』の1229日付けの社説の方が道理にかなっている。

メディアは政治のプレイヤ―ではなくウオッチャーに徹すべき
 論理が支離滅裂なのは『毎日新聞』だけではない。『朝日新聞』は1231日の朝刊に「首相と増税――豹変して進むしかない」という社説を掲載し、野田首相が「『君子は豹変す』という立場で行革にも取り組む」と語った言葉を引き、覚悟を決めて消費税増税を断行するよう迫っている。しかし、行政改革を断行することは、その中味こそ問われなければならないが(注)、一般論としては当然のことであり、野田首相自身、民主党代表選にあたって発表した政見のなかで明言していることである。したがって、それを実行するのに政策を「豹変」する必要は全くない。むしろ、「行財政革が増税の地ならしに使われるようでは困る」(『北海道新聞』20111231日、社説)というのが正論である。

 (注)消費税増税に先立って政治家が「身を切る」努力の証しとして民主党は衆議院議員の定数を80名削減することをしきりに唱えている。また、大半のマスコミもこのような主張にそっくり同調している。はたして、日本の国会議員の定数が人口比で多すぎるのかどうかはこの先の記事で触れたいと考えているが、この問題は消費税増税と何の因果関係もない。むしろ、昨今の民主党の公約破りから、民・自2大政党の基本政策は限りなく近似していることが明らかになった。そうした中で、少数政党の議席の削減に帰着する衆議院の議員定数を削減することは、有権者の政策選択の幅を狭め、少数政党に期待する民意を切り捨てることになる。こうした選挙制度のあり方と直結する議員定数の削減を消費税増税に絡めるのは論外である。

 「豹変」というなら、政権交代時のマニフェストに全く掲げず、政権発足時に4年間は消費税を増税しないと明言した公約を翻して消費税増税路線を突き進むことこそ「豹変」である。朝日新聞の社説がこうした野田首相の発言を引き合いに出して消費税増税を断行するよう激励するのであれば、それは民主党のマニフェスト違反を擁護するにとどまらず、マニフェスト違反を奨励するに等しい
 ところが朝日社説は「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していたのではなかったのか」という物言いで、政府・与党執行部が消費税増税法案の国会提出を決したことがマニフェスト違反にあたる事実から目をそらし、そうした党執行部の「豹変」に反発して離党を決意した9人の民主党議員の行動に非難の矛先を向けている。しかし、このような『朝日新聞』社説子の物言いは事実誤認・無視に基づく支離滅裂な主張である。
 
 まず、昨年8月の民主党の代表選にあたって決選投票を争った海江田、野田両氏が発表した政見のうちの財源論に関する見解を確かめてみよう(以下、民主党のHPより)。

海江田万里氏:
 「基礎的社会保障財源として、景気回復後に消費税導入を検討する。その場合には逆進性に配慮する。」
野田佳彦氏:
 「震災対策における財源措置を含め、財政健全化の道筋においては、税金の無駄使いを徹底的に排除する等歳出面での改革に全力を挙げなければならない。その上で歳入面での改革も併せて実行していく。」

 つまり、消費税増税というなら、野田氏よりも海江田氏の方がその点を明記しており、野田氏は増税についてさえ明記しておらず、「歳入面での改革も併せて実行していく」と記すにとどまっている。なお、代表選の投票直前に同党の全国会議員を前にした演説のなかでも野田氏は「議員定数削減、公務員定数と人件費削減にも全力で戦う。それでも足りないときは国民に負担をお願いするかもしれない」と語っているが、そこでの「負担」が何を指すのか、一切明言していない。

 
つまり、消費税増税というなら、野田氏に敗れた海江田氏の方が、景気回復を前提にして、と断りながらも明確に政見に掲げていたことがわかる。この意味で、朝日の社説が「国民に負担をお願するかもしれない」という野田氏の発言をさして増税方針と読み取り、「8月の党代表選で、野田氏が勝った時点で、増税方針は決着していた」と解釈するのは消費税増税に前のめりする主観に災いされた牽強付会な主張である。そもそも、増税というだけでそれが消費税増税を意味すると了解すべき理由がどこにあるのか?増税=消費増税という論調は自民党政権時代から政府・財務省が常用した世論誘導のなし崩し手法である。それと同じレトリックを民主党が用いているという意味では、政権交代ではあっても政策転換ではなく政策継承である。

 朝日社説が、増税といえば消費税増税を指すと了解しているのであれば、それは朝日社説が、自民党政権以来、政権政党が世論誘導のために常用してきたレトリックに一蓮托生で同化している実態の証左にほかならない。これでは時の政府与党の財政運営の批判的オブザーバーであるべきメディアの使命放棄にほかならない。なぜなら、消費税増税をめぐって日本のメディアに求められる最も基本的な役割は増税=消費税増税という論理の飛躍に待ったをかけ、それとは異なる歳入確保の選択肢を国民に指し示す自立した言論だからである。

 言いかえると、時の政権が推し進めようとする「なし崩しの現実に流されない」理知と知見を世論に付与することこそ、政治ジャーナリズムに課される最大の使命である。このような使命を忘れて、時の政権が唱える消費税増税路線に「進軍ラッパ」を鳴らすのではメディアは自死を選んだのも同然である。(『東京新聞』20111225日、<新聞を読んで>欄に掲載された水無田気流「『なし崩し社会』の問題」はこうしたメディアの役割を考えるうえで示唆に富んでいる)。

 次に、議論をもっと前に戻していうと、民主党代表選での各候補の政見はあくまでも党内向けの政見であって、そこで、あれこれの候補者が、かりに、政見交代時のマニフェストに掲げたわけではない消費税増税方針を打ち出したとしても、それによって民主党のマニフェスト違反を正当化できるわけではない。国民向けの公約と党内向けの政見を区別して議論をすべきことは政治評論のイロハである。

問題は増税の実施時期ではなく法案提出の時期である
 ところで、「浅ましい」という評語に話を戻すと、この言葉は離党した9人の民主党議員に向ける言葉ではなく、野田代表ら民主党執行部の党内合意の取り付け方にこそ向けられるべきである。なぜなら、増税反対派の抵抗にひるまずなどと大義を振りかざしているが、その実、民主党執行部が消費税増税について党内の了承を取り付けるにあたっては、8%への引上げ時期を当初案の201310月から半年ずらして20144月とするという小細工を弄している。そうすることで、増税実施の半年前には閣議決定が必要というタイムスケジュールを考慮しても、現衆議院議員の任期中(20138月まで)は増税しないとした政権交代時の公約をクリアできると考えたそうだ。しかし、選挙公約に違反するかどうかは増税の実施時期が任期内かどうかではなく、国会への法案提出が任期内かどうかで決まると考えるのが常識である。マニフェストに反する消費税増税の法案を現衆議院議員の任期内の今年度中に国会に提出しておいて、実施時期を任期外にずらすことで公約違反でないなどと言い募るのは、まさに姑息で浅ましい言いくるめである。それでも公約に反する増税を民主党政権下で行いたいのなら、解散して民意を問いなおすのが正論である。そうした手順を踏まず、将来の消費税増税を先食いする交付国債を発行するのも姑息の上塗りというものである。

 さらに、消費税増税にとどまらず、沖縄普天間基地の移設(撤去)、子供手当、八ッ場ダムの建設再開など、民主党が掲げたマニフェストは昨年末には総崩れの状態になった。私は民主党を離党した議員も、ここに至るまでの間にフニフェストを反故にしようとした党運営のあり方にどこまで異議を投げかけ、有権者に公約したことを守る主体的な努力をしてきたのか厳しく問われなければならないと考えている。しかし、「浅ましい」というなら、民主党が有権者に対する公約を反故にし、自民党政権時代の政策に回帰する政策を次々と打ち出して、政権交代に託した多くの国民の期待を裏切った自党の方針を結局は了承して鉾を納める議員の方がよほど浅ましくないか? それでも政権政党にとどまるのであれば、この先、党運営を抜本的に改めるよう自党に対して異議申し立てをする「覚悟」が求められる。そうした「覚悟」もなしに適当に「ガス抜き」をされて終わるのなら、そうした民主党議員の不作為あるいは無策こそ、自己保身として断罪されなければならない。

国民を熟議に導く取材報道こそメディアの使命
 もちろん、消費税増税をめぐって問題なのは、マニフェストとの整合性や政権・政党の政策の一貫性だけではない。それ以前に、財源といえば消費税しか俎上に乗せない民主・自民2大政党の異床同夢の発想、それに同化するメディアの報道姿勢がはたして正当化なのか? 今回、消費税の逆進性対策として提唱されている給付付き税額控除は逆進性を緩和・解消するうえでどれほどの効果を期待できるものなのか? 消費税の逆進性というと、最終消費の段階での逆進性が重要であることは確かだが、問題はそこだけなのか、仕入れ・販売の段階での転嫁の逆進性(販売力の格差に起因する転嫁の能力の格差)をなぜ問題にしないのか?全ての税目の滞納額の中で消費税の滞納が最も多いのはなぜなのか?滞納というと決まって「益税」が俎上に載せられるが、政府・与党は、なぜ、中小零細事業者が訴える「損税」(消費税を転嫁できない事業者が「自腹」切って納税をすること)の実態把握に努め、是正を検討しないのか?

 政府・財務省の広報を受け売りするのではなく、こうした消費税の転嫁、納税の実態を独自に調査し、国民に伝える「取材報道」こそ、メディアの存在価値の根幹である。そして、メディアはこうした取材報道に徹してこそ、消費税増税問題、広くは社会保障等の財源問題についてありうべき選択肢を示し、国民を熟議へと導く本来の任務を果たせるのである。

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被災者に寄り添う報道とはなにか(2012年1月2日)

新年のごあいさつ
 
 皆さまそれぞれに、日本中が揺れ動いた2011年の記憶を留めながら新しい年をお迎えのことと思います。月並みではありますが、皆さまには実り多い1年をお過ごし下さいますようお祈りいたします。
 このブログを始めたのは2006213日。それから6年が経過しました。昨年は1年間で43の記事を掲載しましたが、後半は更新が滞りがちでした。今年はマイペースとはいえ、ムラの少ない頻度で更新をしていきたいと思っています。どうか、よろしくお願いいたします。

「明るい話題」を追いかける被災地報道への疑問
 311以降のNHKの震災報道(夜7時のニュースやその前の首都圏ネットワークなど)をみてきて感じるのは、「被災者に寄り添う」というフレーズで、人気タレントが被災地を慰問したニュースや各地で被災者を励ます催しが行われたニュースに何度も接したことである。私も被災者に寄り添おうとする善意や「自分にできることを実行する」市民の姿を軽んじるつもりは毛頭ない。しかし、メディアがそうした「善意」に感情移入し、「明るい話題」、「ほほえましい話題」さがしに努める状況には強い違和感を覚える。
 というのも、被災者に寄り添うというなら、被災者の非日常的な一過性の話題ではなく、今の被災者が日々直面している重い現実、つまり、元の生活に戻れるのか、それとも新しい地で生活の基盤(住まい、職業、子どもの学校など)を築き直すことになるのか、について具体的な展望を探る番組こそが求められていると思うからである。

 そして、元の生活拠点に戻って生活を再建するのであれば、放射能除染の目途はどうなるのか、その際の死活問題になっている汚染物質の仮置き場の確保、最終処分の方法と工程づくりに行政はどう取り組んでいるのかを追跡する取材報道が求められるはずである。政府が掲げた冷温停止状態にこぎつけるという目標にメディアまでが照準を当て、政府発表を右から左へ流すだけの報道ではメディアの役割を果たしたことにならず、それでは真に被災者に寄り添う報道とは程遠いものである。
 また、元の住まいに戻ることを断念し、新しい生活の拠点を確保てし、そこで生活の再建を図るのであれば、新しい住まいの確保、職探しへの国や自治体の支援はどうなっているのか、当面、各地に散り散りになった避難者へ被災地の行政情報が滞りなく届けられているのか、子どもの転校は円滑に進んでいるのか、ばらばらになった家族が行き来するための経費や生活環境の激変に起因する健康被害の治療についても迅速に補償がされる仕組みができているのか――考え出せば、メディアが追跡すべき課題が山積していることが分かるはずである。

 被災者への精神的励ましを軽視するものでは決してないが、ストレスなどの健康被害もその原因と考えられる先の見えない避難生活をどう打開するのかという生活実態を直視することなく、いっときの被災者激励のイベントを追いかける報道では、真の被災者支援にならないことに思いを致さなければならない。
 
 以下では、元の地に戻ってか、新しい地でか、を問わず、被災者が生活を再建する上で必須の条件になっている被害補償のあり方を考えてみたい。なぜなら、メディアが被災者を励ます「明るい話題」を追いかける一方で、被災者にとって生活再建にもっとも切実な被害補償の現実と進捗状況をメディアはほとんど伝えていないからである。

4
人分を書くのに15時間
 
~被災者の根負けを誘導するかのような分厚い補償金請求書類~
 
 東京電力は昨年912日から福島第1、第2原発事故被害者のうち、仮払金を支払った人々に対し、補償金請求に必要な書類一式の発送を行った。しかし、書類は60ページ、それとは別の説明書は160ページに上るうえに、表現も難解で書類を受け取った被災者の評判は頗る悪い。そのせいか、事故発生時から昨年8月までの損害分を対象にした第一次請求の提出は昨年11月末時点で、書類を送った約7万件の3割強(約22400件)にとどまり、うち東電との間で合意に至ったのは約1,560件(計34億円)で発送件数の約2%に過ぎない(『河北新報』20111226日)。

 同じ『河北新報』の20111226日の記事(焦点/東電の損害賠償請求書/「多い、難解」被害者悲鳴)は、南相馬市で農業を営んでいたIさん一家(7人家族)に依頼して実際に請求書を書いてもらったところ、4人分の避難生活に係る補償金請求を書き終えるのに15時間かかったという。その間、東電のコールセンタ-に問い合わせの電話を7回、毎回避難生活の状況を説明するため15分以上かかったという。それから数日後、Iさんが今度は南相馬市の自宅での生活にかかる被害補償の請求書を記入したところ、8時間かかったという。その際、問題は時間の長さだけでなく、精神的損害の請求が避難生活をした場合に限られ、自宅にとどまった場合は請求が認められない点にIさん家族は強い不満を訴えたことも記されている。

メディアが伝えない損害賠償請求の盲点
~日弁連の注意喚起~
 東電が公表した損害賠償請求手続については請求書の説明書類が膨大で、被災者に大きな負担を強いる点については、メディアも報道をするにはした。しかし、それは請求書が発送された時の一過性の報道にとどまり、その後、請求手続がどのように改められたのかを追跡した報道はほとんどなされていない。まして、請求の範囲、損害の証明方法等にみられた問題点は全くといってよいほど伝えられていない。被災者にとって生活再建のための必須の条件である損害賠償にはだかるこうした問題についての入念な取材報道を怠ったメディアが国民個々の善意から生まれる「明るい話題」探しに奔走する様は、「被災者に寄り添う」報道の安直さを如実に示している。

 メディアが「被災者に寄り添う」報道を心掛けるというなら、東電に対する原発被害の損賠賠償請求に関して被災者に立ちはだかる問題点を被災者はもとより、広く全国の国民に具体的に伝え、関心を喚起するよう努めるべきである。その際、東電に対する原発被害の損賠賠償請求に関して被災者に立ちはだかる問題点を知る上で、昨年9月以降、日弁連が会長声明の形で公表した以下のような一連の見解が非常に参考になる。

東京電力株式会社が公表した損害賠償基準に関する会長明(日連:2011年9月2日)

東京電力株式会社が行う原発事故被害者への損害賠償手続に関する会長声明(日弁連:2011年9月16日)

東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者に対する損害賠償に関する会長声明(日弁連:2011年9月30日)

東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者及び居住者に対する損害賠償に関する指針についての会長声(日弁連:2011年12月2日)
 
 これら一連の日弁連会長声明の中で私が特に重要と考えた点を摘記しておきたい。

1
請求を認めるべき損害の範囲について(その1
  昨年830日に東電が発表した損害賠償基準は賠償請求する被害額を(1)避難生活による精神的損害、(2)避難、帰宅費用、(3)医療費など生命、身体に関わる損害、(4)失業、休業による減収の補償、(5)放射性物質検査費、等に区分しているが、畜産農家にとって死活の問題である牛肉の放射性セシウム汚染に対する補償を認めるべきとの指摘、また、観光業とは違って、解約や予約控えといった形で被害を捉えられない小売業や外食産業等については、過去数年の売上げと利益の実績に基づいて損害額を算定することがより公平である、と指摘していること。

2.
請求を認めるべき損害の範囲について(その2
 
子どもや妊産婦の安全を考えて避難対象とされた区域以外の地域からも多くの人々が自主的に避難をし、それが長期化している実態に照らして、これら自主的避難者にも賠償請求を認めるべき、との指摘をしていること。

3
請求を認めるべき損害の範囲について(その3
 避難区域等にとどまって生活を続けてきた住民も、原子力発電所事故に伴う社会的混乱の中で多くの生活上の不利益を受け、放射性物質により汚染されている可能性のある地域で将来の健康上の不安などを抱えて生活することを余儀なくされているのであるから、避難区域等にとどまって生活を続けてきた住民の精神的損害も賠償請求を可能とするべきである、と指摘していること。

4損害を証明する書類の整備について
 緊急の避難や避難先の移動を迫られるなどの理由により、東電が求めるような損害を証明する資料を整えることが困難な被災者が請求を断念して泣き寝入りすることがないよう、こうした被災者に対して、東京電力の窓口への相談のみに頼るのではなく、各地の弁護士会に相談をするよう呼び掛けていること。また、各弁護士会が作成している「原子力災害被災者・記録ノート」を紹介し、これを活用するよう呼び掛けていること。
  原子力災害被災者・記録ノート

5
東電が提出を求めた賠償請求書ならびに合意書を提出することへの注意喚起
 東電が合意書を添えて提出を求めている請求書は複雑な書式になっており、請求漏れが起こったり、他の救済手段が採れなくなったりする恐れがあるという注記を被災者に喚起し、賠償額に不満あるいは疑念があるときには、安易に合意書に署名せず、原子力損害賠償紛争解決センターへの申立てや裁判所に対して訴訟を提起するなど他の手段も検討するよう呼び掛けていること。

 以上は、東電福島原発事故による被災者の生活再建にかかる損賠賠償に限定した問題点とそれに対処するために日弁連が発表した声明を紹介したものである。当然のことながら、これとは別に、津波によって生活の基盤を根こそぎ失ったり、地震によって家屋の被害を蒙るなどした人々の生活再建に不可欠な災害からの復旧・復興のための国・地方自治体の施策の具体化とその進捗状況を持続的に調査報道することもメディアに求められる役割であることはいうまでもない。

 繰返していうが、メディアに求められる「被災者に寄り添う」報道とは、被災者を和ませ、勇気づける「明るい話題」を追い求め、伝えることが主ではない。被災者が切実に求める生活再建の前途に立ちはだかる課題を調査報道で追跡し、掘り下げて国民に伝えること、それをとおして、被災者の生活再建の展望を具体的実体的に示すことこそ、メディアに求められる本来の使命であると私は思う。

2012 元旦に近くの神社に出かけた帰り道で。ウメは昨夏、体力が衰え、散歩の足取りも弱々しくなって気をもんだが、秋以降は元気を取り戻して、ご覧のような様子で年を越すことができた。

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