「利敵行為」論を考える(1)

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「利敵行為」論を考える(1
  ・「利敵行為」との指摘に対する応答
  ・自分の外に「主人」を持たない自立した個人こそ民主主義社会の支柱
  ・異なる意見との討論が思想の硬直化を防ぎ、対話力を鍛える

「利敵行為」との指摘に対する応答
 私が14日以降、新旧宇都宮陣営の選対のあり方、宇都宮氏の資質、選挙運動費用収支をめぐる疑問点について一連の記事をこのブログに掲載し、それを関係する政党、団体、少なからぬ知人に知らせたが、数名の知人を除いて直接、私宛に感想を伝えてきた人はない。ほとんどが沈黙のままである。ゆっくり読む時間がないのか、ややこしそうな問題には関わらないという態度なのか、今は私が提起した問題より、もっと重要な問題が山積しており、そちらに関わるべきだという判断なのかもしれない。最後だとしたら、当然とも思う。
 しかし、沈黙の理由の多くは、自分の経験に照らして、ややこしそうな問題には関わらないという態度によるものではないかと想像している。その限りでは予想した状況なので特段驚いていない。
 ただ、ネット上で散見される異論、違和感の多くは「利敵行為論」に該当するといってよい。そこで、この点に応答しておきたい。
 この議論の要旨はこうである。―――都知事選は告示日を控え、複数の候補者が立候補(の意向)を表明して、いよいよ論戦が始まろうとしている。そのような時期に不特定多数の目に留まるブログ等で宇都宮氏やその陣営に対して公然と批判をするのは、対立する陣営を利するものであり、好ましくない。意見があるなら、関係者に直接伝えるべきだ、と。
 結論からいうと、この議論は今回、私が一連の記事を書く動機として述べた次のような見解と相反するものである。
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 私が入手した旧宇都宮選対の体質に関わる情報、それを正すために宇都宮氏がどのように対応したかを示す情報は、私自身が近年、市民運動に係わる中で体験したいわゆる革新陣営(個人か団体かを問わない)の中に少なからず存在する言動の内外落差――対峙する陣営に対して向けるのと同じ反民主主義的体質、個の自立の欠如、身内の弱点を自浄する相互批判を回避・抑制する悪弊に染まっている弱点――を感じた。
 これは宇都宮氏の再出馬にどう向き合うかを考えるうえでゆるがせにできない問題であると同時に、それを超えた日本の革新陣営と市民運動全体に再考を迫る問題と思えるので、問題が具体的に表面化した実態を題材として私の見解を明らかにすることにした。日本の市民運動に民主主義的理性を根付かせるためにこの連載記事がオープンな議論の一助となれば幸いである。
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 つまり、私が一連の記事を私設のブログに掲載した動機は、告示日ぎりぎりまで最善と思える革新統一の都知事候補の選考のために政党、団体、個人が叡智を寄せ合って協議を深めてほしいという差し迫った願いと同時に、革新陣営に少なからず存在する上記のような言動の内外落差を再考するきっかけとしてほしいという、より根源的な思いからだった。
 このような動機、特に後者の動機は今でも正当なものと考えており、ネット上で少なからぬ方々から同感、賛意が寄せられたことを心強く思っている。

自分の外に「主人」を持たない自立した個人こそ、民主主義社会の支柱
 後者のような動機からすれば、私の見解を特定の関係者にだけ伝えるということは、動機を実行する方法として不相応である。特定の主義・信条で集まった政党、団体であっても、個人の間であっても、さまざまな問題をめぐって、初めから常に意見が一致しているということは、よほどマインドコントロールが強固で自立した個人の存在が不可能な組織でないかぎりあり得ない。むしろ、異なる意見を相めぐり合わせて、各人が知見を広げ、自分の思考力、判断力を磨き、鍛錬することが、政党なり団体なりの構成員の意欲、組織外の人々への信頼と影響力を広げる基礎になるはずである。少なくとも私は、自分の判断なり意見表明をするにあたって、耳を傾ける先達、友人はたくさんいるが、自分をコントロールする「主人」なり「宗主」は持ち合わせていない。そういう「主人」持ちの人間を私は尊敬する気になれない。
 もちろん、私も、問題によっては政党なり団体なりの内部で議論をし、解決を見出するのが適切だと思う。だから、なんでもかんでもオープンにすべきといった極論をいうつもりはない。
 しかし、今回、私が提起した東京都知事選の候補者選考とか、選挙母体の運営のあり方といった公的な問題に関しては、さまざまな意見を特定の団体なり、グループなり、関係者の間だけにとどめず、できる限りオープンにし、極力すべてのメンバーに、異なる意見に出会う機会、自分の意見を述べる機会を開くのが言論の自由を支柱にした民主主義の本来の姿だと考えている。
 「身内のごたごたや弱点を組織外に広めるのは支持者を離反させ、対立する陣営に塩を送るようなものだ」という意見をよく聞く。確かに、問題によっては―――個人のプライバシーが絡む問題など―――団体なり組織の内で議論をし、解決するのが適切なこともある。また、異論を提起する場合もその方法に配慮が必要である。しかし、内々で議論をするのが既成のマナーかのようにみなす考えは誤りである。むしろ、組織内の意見の不一致、批判を内々にとどめ、仲間内で解決しようとする慣習や組織風土が、反民主主義的体質、個の自立の軽視、身内の弱点を自浄する相互批判を育ちにくくする体質を温存してきたのではないか。

異なる意見との出会い・討論が思想の硬直化を防ぎ、対話力を鍛える
 往々、日本社会では同じ組織メンバー間の争論を「もめごと」とか「内ゲバ」とか、野次馬的に評論する向きが少なくない。しかし、「もめごと」と言われる状況の中には上記のとおり、組織(革新陣営を自認する政党や団体も例外ではない)が抱える体質的な弱点――少数意見の遇し方の稚拙さ、反民主主義的な議論の抑制や打ち切り等――が露見した場合が少なくない。その場合、組織内の少数意見を組織内ですら広めず、幹部など限られたメンバーだけにとどめて「内々に」処理しようとする場合もある。あるいは、組織外から寄せられた賛同や激励の意見は組織内外に大々的に宣伝するが、苦言や批判は敵陣営を利するとか、組織内に動揺を生む恐れがあるという理由で、組織外はもとより、組織内でさえ広めようとしない傾向が見受けられる。これは大本営発表と同質の情報操作であり、組織内外の個人に自立した判断の基礎を与えないという意味では近代民主主義の根本原理に反するものである。
 この世には全能の組織も全能の個人も存在しない。自らに向けられた異論や批判にどう向き合うか、それをどう遇するかはその組織にどれだけ民主主義的理性が根付いているかを測るバロメーターである。その意味では、組織内外から寄せられた異論、批判、それに当該組織はどう対応したかを公にすることは、その組織に対する信頼を多くの国民の間に広げるのに貢献するはずであり、相手陣営を利することにはならない。また、異なる意見、少数意見も尊重し、真摯な議論に委ねる組織風土を根付かせることこそ、「自由」に高い価値を置く多くの国民の共感を呼ぶと同時に、組織構成員の対話力を鍛え、組織の影響力を高めるのに貢献するはずである。このように考えると、組織内の問題を公にする行為を「利敵行為」というマイナス・イメージの言葉で否定的にとらえるのは偏狭な思考の産物といえる。
 私は、今回の問題に限らず、これからもこうした理性を支えにして、必要と考えた時に自分なりの見解を伝え、行動していきたいと考えている。
 次の記事では、公益通報者保護制度と海外での「利敵行為」をめぐる司法判断や立法動向を題材にして、「利敵行為」をめぐるそもそも論を考えることにしたい。

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入不二基義『相対主義の極北』を読んで(2)

相対主義は自己無効的か?
 著者は、相対主義は自己矛盾によって自己論駁的であるとも、無限後退によって自滅するとも証明されていないという。しかし、それでも、と著者は続けて次のように反問する。

 「相対主義は、相対主義者でない者を説得して自らの考え方を認めさせるだけの力を持たないのではないか。いわば、相対主義は、自らを否定しないまでも、他者に対して自らを積極的に肯定できない。そうして、相対主義は自らその主張を弱体化し、結局は自ら退場していく思想ではないのか。相対主義は、自分の主張が認められるという目標を、自ら拒んでいる主張ではないのか。つまり、相対主義は『自己無効的』ではないかという批判である。」(102~103ページ)

 著者はこうした相対主義批判を、メイランドの「認識の相対主義のパラドックス」(Meiland, J. W,. “On the Paradox of Cognitive Relativism,” Metaphilosophy, Vol. 11, No.2, 1980の第5~8節)に従って次の3つに分解し、それぞれを順番に検討している(103ページ以下)。

①相対主義者でない者が相対主義を受け入れる可能性は、まったくない。
②相対主義者でない者には、相対主義を受け入れる理由――合理的な根拠――はまったくありえない。
③相対主義者は、相対主義の説を述べる動機、特に、相対主義者でない者に向かって述べる動機をまったくもちえない。

 しかし、私は相対主義の自己無効性に関する議論をこのように整理するのは多分に恣意的で、「有効な議論(批判)とはいえない」という答えを半ば誘導するのに等しいと思えた。なぜなら、①のように「受け入れる可能性がまったくない」と表すと、「可能性はまったくないとは言えない」というおざなりの批判をあてがうことはたやすいからである。また、②のように「合理的な根拠はまったくない」と表すと、メイランドならずとも、「批判者の言う『合理性』の要求自体が合理性を欠いたイデオロギーではないのか」という切り返しをいとも簡単に思いつく。しかし、これでは水掛け論に過ぎず、哲学的思惟に基づく応答とは言えない。では、③はどうか? 入不二氏も言うように、これに対するメイランドの返答はいたってシンプルである。つまり、相対主義者はそもそも何かを「語る」「言う」動機をもちえないのではないかという批判は「語る」「言う」ということを狭くとらえ過ぎているから、相対主義者の「語り」が無力に見えてしまうだけである。しかし、純粋に客観的なあるいは絶対的なことだけが表明に値するわけではなく、文学・美術・音楽・詩など私たちの生に意味や意義を与えてくれる主観的な世界経験を語ることも意義があるはずである、とメイランドは反論する。入不二氏はこうしたメイランドの反論を援用して相対主義の自己無効性という批判は挫折すると結論づけている(109~110ページ)。

 こうしたメイランドの反論はどうも直感の域を出ない月並みな議論と思える。しかし、だから価値が低いというわけではなく、そこには重要な示唆が含まれていると感じる。それはどういうことかというと、相対主義には他者に向かって何かを主張するという能動性に欠ける点があるとしても、相対主義でないものの主張に絶えず懐疑を差し向け、その否定形として機能し、彼らに絶えず内省を促す「ネガ」としての役割を果たす、という点である。入不二氏はこれを相対主義の一つの帰結である懐疑論の潜在力という観点から次のように述べている。

 「徹底的な懐疑論とは、実在や真理についての知をただ『否定する』だけでの単純な不可知論ではないし、実在や真理をただ『否定する』だけのニヒリズムでもない。むしろ懐疑論は、全体化する否定性を介して、到達不可能な実在や真理との関係を創出し続ける。」(176ページ)

 入不二氏がいわんとすることはわかるような気がするし、私が相対主義に対して抱く上記の積極的側面と近いようにも思える。現に、「ネガ」という巧みな言葉は入不二氏が用いたものである。ただ、入不二氏が相対主義の帰結としての懐疑論がたんなる不可知論でもニヒリズムでもない、それ以上の何か積極的なものを持つというなら、下線部分の意味が重要になるのだが、肝心のその部分の文意が私には理解不可能である。むしろ、懐疑論の積極的意義を考えるには、下線部分のような難解な言い回しよりも、その箇所の少し後で入不二氏が記している次のような文章を吟味する方が懐疑論の功罪をより日常レベルで考えるのに適していると思える。

相対主義の建設的転回
 「懐疑論は、証拠によっても(超越的な)論証によっても、根絶することはできないとしても、それを回避し無視することはできるかもしれない。現に私たちの実際の生は、懐疑論的な疑いの可能性とは別のところで進行していく。・・・・懐疑論もその批判もともに生じることのない、ただ『実際こうなっている/こうやっている』という無根拠な原事実こそが、私たちの自然なのである。・・・・私たちの生のありよう=自然は、懐疑論を論駁するのではなく、それを『遊び駒/遊んでいる歯車』として無力化して脇へ退けてしまうのである。」(178~179ページ)

 入不二氏がまとめた懐疑論に対するこうした自然の生の立ち位置は私が懐疑論に対して抱く感想とぴったり重なる。野矢茂樹氏は本書に収録された解説のなかで、入不二氏の議論が「きわめて明解な論理をもちえているのは、その図式性によるところも大きい。だが、図式的な議論の明快さは、やはりそれなりに失うものをもっている。錯綜した構造をもつ議論が大胆に裁ち切られていくとき、何か断ち切りがたい思いが手元に残される。そして再び、(これはつまりどういうことなのか)という感に打たれるのである」と述べた後、「せめて、読者とともに本書の議論に少しでも寄りつき、入不二がどこで私を振り切って走り去っていくのか、その地点のひとつを示してみたい」(296~297ページ)と記している。
 この野矢氏の巧みな表現を借用していうと、「私たちの生のありよう=自然は、懐疑論を論駁するのではなく、それを『遊び駒/遊んでいる歯車』として無力化して脇へ退けてしまうのである」という言葉は、現実の私たちの生は懐疑論を擁護する入不二氏の難解な言い回しを「遊び駒」として「無視し」、入不二氏を「脇へ退けて」黙々と走り去っていくのである、というように反転させることができるのではないか?

 しかし、入不二氏は、このような懐疑論、あるいはそれを擁護しようとする入不二氏自身を脇に退け、無視して通り過ぎしまおうとする人々を次のように引き止めようとしている。

 「しかし、自然と反省とを対置し峻別するというその思考自体は、哲学的な反省ではないのだろうか。あるいは逆に、自然に逆らう哲学的思考をすること自体もまた、私たちの生の原-事実=自然ではないのだろうか。むしろそのことを確認することは、(無視され回避されるものとしての)懐疑論を呼び出し続けることになる。自然主義は、懐疑論を忘れることはできても、忘れたということを忘れてしまうことはできないのである。」(179ページ)

 はたしてそうだろうか? このような言葉からは懐疑論者と日常の生を営む市井の人々の間の哲学的思考力の落差が問われているかに聞こえる。確かに事実としてそのような落差があることが否定するまでもない。しかし、話はそれを確認し、「自然主義は、懐疑論を忘れることはできても、忘れたということを忘れてしまうことはできない」という、いささかレトリックめいた言い回しを投げ返して済むとは思えない。これは本書全体を通して私が感じることであるが、入不二氏の議論には、相対主義批判の有効性を判断するハードルと、相対主義の反批判の有効性を判断するハードルには相当な落差があるように思えてならない。後者と比べて前者のハードルは不均衡に高いという落差である。こうした落差は懐疑論と自然主義の論理を比較検討する時にも見受けられるような気がする。
 つまり、懐疑論擁護者は、私たちの実際の生のあり様に反省を促す前に、自らの論理―日常の生を営む市井の人々になぜ自分たちは無視され、退けられるのか、自分たちの議論が市井の人々の関心を惹き付けるに足る魅力を持ちえていないのはなぜなのかを内省する必要があるのではないか?

 これに関する私の応答は単純といえば単純である。入不二氏も言うように、懐疑論がたんなる不可知論でもニヒリズムでもない、それ以上の何か積極的なものを持っていて、反相対主義者との建設的な対話を可能にすると同時に、日常の生を営む市井の人々を自分たちの議論に引きとめるよう動機付けるためには、絶対主義に内省を促す「ネガ」としての他律的存在にとどまらず、既成の真理を相対化する新しい見解を能動的に提示するよう心掛けることであると思われる。他者の議論を相対化することが自己目的かのような存在になった相対主義の極北は、やはり不可知論ないしはニヒリズムでしかない。市井の生活者はもとより、社会の実践的課題に向き合う規範的倫理学にとって、他者に内省を促す「ネガ」に甘んじることはできない。そればかりか、自らがポジティブな別の認識の枠組みを提示してこそ、他者の議論を相対化し、他者に内省を促す説得力が増すのである。

歴史相対主義を超えて
 議論を歴史相対主義に具体化し、日清、日露戦争を朝鮮半島に南下しようとするロシアとの対抗上、やむなく開戦するに至った受け身の戦争と捉え、そうした時代背景のもとで日本が朝鮮半島に派兵したことを「侵略」と呼ぶのは時代錯誤であるという議論の真偽を考えてみよう。と言っても、ここで問題にするのは結論ではなく、論証の方法・枠組みである。入不二氏は行論でしばしば、互いに共有できない前提条件に基づく批判は外在的批判ないしは「遠回りの批判」であるとみなしている。はたしてそうか? この論法でいくと、歴史学における相互批判の大半は外在的批判となり、入不二氏によるとそれは有効でないとみなされることになる。しかし、特定の歴史認識は関連する史実の累積的分析・評価に基づいて形成されるものであり、そこでは史実の分析は歴史認識を支える前提条件といってよい。むしろ、そうした史実の丹念な調査・分析の支えを欠いたさまざまな議論が「○○史観」と称されて通用しているところに歴史学の不幸な混乱があるのではないか(と門外漢の私には思える)。とすれば、どのような史実をキー要素とするかは論者の恣意に委ねられてよいわけではないし、仮に論者によって史実の取捨選択に差が出たとしても、それを以て共有不可能な前提条件にもとづく外在的批判として斥けたのでは歴史学の分野の論争は大半が「不毛な」論争とみなされてしまい、それこそ不可知論が闊歩する状況になりかねない。
 あるいは、議論を転換させて、外在的批判ではなぜいけないのかという開き直りも可能と思える。研究者が用いる史実は研究技術や資料の公開の進展度に応じて時代の制約を受けるが、そうした制約の中で入手可能な史実を丹念に渉猟し、それを踏まえて議論を交換することにより、見解の幅を不断に狭めていくことは十分可能である。たとえば、日清・日露戦争の性格を議論する場合、開戦に至る経緯を明らかにすることが重要であるが、日清戦争についていうと近年、福島県立図書館に所蔵された佐藤文庫に収められている『日清戦史』草案を解読することによって、1894年7月23日に日本軍が実行した朝鮮王宮占領事件とそれを機に大院君に強要して日本軍が清兵掃討の「嘱託」を得た実態が克明に明かされた(これについては、中塚明『歴史の偽造をただす~戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」』1997年、高文研を参照せよ)。また、日露戦争についていうと、近年、ロシア側に遺された資料が利用可能になり、ロシアの研究者との共同研究も進展したことによって、当時のロシアの極東戦略が従来以上に明らかになってきた。これを受けて日露戦争が必ずしも不可避ではなかったことが明らかになり、「ロシアの南下戦略の脅威」という開戦の大義名分が大きく揺らいでいる(和田晴樹『日露戦争起源と開戦』上、下、2009年、岩波書店、を参照)。このような史実は日清・日露戦争の性格を見極める上での前提条件に違いはないが、それが直ちに論者の間で共有されないからといって、有効な議論でないと退けたのでは歴史学は成り立たない。

 以上を要約して私の感想をまとめると、歴史上の出来事をめぐる議論や評価は何らかの史実を前提にして形成されるものであり、そこでどのような史実を主要なものとして採用するかは論者により一様ではないから、複数の見解が並存するのは当然のことである。しかし、このことを以て、歴史上の出来事をめぐる評価はその出来事が起こった時代背景、採用する史実の違いに応じて相対的な真実性しか持ち合わせないという議論を絶対視するのは誤りである。
 ある見解が相対的な真実性しか持ち合わせないとその見解を懐疑し、相対化することは、特定の見解を不易な真理として付和雷同するのを戒め、新たなより質の高い真理の探究に向けて人々の努力を誘う契機として極めて重要である。しかし、それは特定の見解の相対性を明かすことを自己目的とする相対主義を受け入れることを何ら意味しない。特定の見解の相対性を明かすことを自己目的とする相対主義は、選挙に臨む有権者にたとえていえば、「どうせどの政党が政権をとっても政治は変わらない」というニヒリズムを蔓延させ、有権者を政治から遠のかせる役回りを果たすことに帰着する。相対主義がこのような不可知論ないしはニヒリズムを帰結するのではなく、逆に、より高次の真理、よりよい質の生活や政治に人々を誘う建設的な役割を社会において果たすためには、他者の議論の矛盾なり限界を突いて相対化する「ネガ」の役割を果たして事足れりとするのではなく、他者の議論をより説得的に相対化するためにも、自ら別の見解を立てることが望まれるのである。これによって初めて、相対主義は他者の議論を弱体化させるだけで他者に対して積極的な見解を表明することがない自己無効の議論であるとか、相対主義は他者に自らの主張を認められたいという目標を持ち合わせない自閉的な議論であるとかいった批判を正面から跳ね返すことができるのだと私は思う。ただし、かくいう姿に相対主義が変貌したら、それはもはや語の本来の意味での相対主義ではなくなるのかもしれない。しかし、それは私からすれば相対主義の安らかな死であり、「相対主義死して相対化の価値残る」なのである。

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入不二基義『相対主義の極北』を読んで(1)

司馬史観を支える歴史相対主義
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』に示された日清・日露戦争の歴史認識とそれを肯定する論者の思考回路を見ていくと、根底に歴史相対主義が共有されていることに気がつく。司馬史観をより根源から評価するには、この歴史相対主義と対峙しなければならないと考え、その基礎として、相対主義を扱った何冊かの書物を読み始めた。この記事では、そのうちの一つ、入不二基義『相対主義の極北』(ちくま文庫、2009年、2001年刊の原書を文庫本にしたもの)を読んだ感想を記すことにしたい。

 まず、この後の議論のために入不二氏が前記の書物で示した「相対主義」のとりあえずの定義を紹介しておく。

 「とりあえず、相対主義とは『真偽や善悪などは、それを捉える『枠組み』や『観点』などに応じて変わる相対的なものであり、唯一絶対の真理や正しさなどはない』という考え方だとして話を始めよう。」(21ページ)

 こうした相対主義はさまざまな学問領域や分野に浸透しており、「制度・信念・慣習などの『文化現象』は、他の文化から持ち込まれた概念・基準によって理解されてはならないのであり、各々の文化にはそれぞれ異なった理解の仕方や基準がある」(25ページ)という考え方は「文化相対主義」と呼ぶことができる。また、列強が領土争奪戦をした時代に日本はやむにやまれず参戦したのであって、それを侵略と批判するのは筋違いだという議論、昭和の戦争は悪かったかもしれないが明治時代の戦争はよかったという議論、現在の価値観で過去を見てはならないという議論などは歴史相対主義といえる(歴史相対主義の主なタイプは、山田朗『歴史修正主義の克服』2001年、Ⅲで平易に説明されている)。

 相対主義なり歴史相対主義をこのように定義した上で、私が日清・日露戦争をめぐる司馬史観の根底に歴史相対主義が流れていると考えるのは、『坂の上の雲』の中の次のような記述を念頭に置いている。


 「そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。原因は朝鮮にある。といっても韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば朝鮮半島という地理的存在にある。・・・・・清国が宗主権を主張していることは、ベトナムとかわりがないが、これに対しあらたに保護権を主張しているのはロシアと日本であった。・・・・・朝鮮を領有しようということより、朝鮮を他の強国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。・・・・・その強烈な被害者意識は当然ながら帝国主義の裏がえしであるにしても、ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。」(文春文庫、第2分冊、48~49ぺージ)

 「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることにはまちがいない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったことはまぎれもない。」(文春文庫、第3分冊、182ページ)

 平たくいうと、日本は日清・日露戦争を領土的野心からではなく、朝鮮半島が清国なりロシアなりの領土になった場合、日本はこれら列強と近接することになる、そうした国家の存亡に関わる脅威を排除するために日本は、やむなく清国およびロシアと戦ったのだという論法である。こうした論法は、ある戦争をどう評価するかはその戦争が起こった特定の時代状況(ここでは領土拡張に列強がしのぎを削った時代状況)、地政学的環境(ここでは朝鮮半島という地理的要因)に依存し、戦争の功罪を評価する唯一絶対の基準はないという思考の枠組みを採っている。この意味で日清・日露戦争を祖国防衛戦争と捉える司馬の歴史観は歴史相対主義を支柱にしているといってよい。

 また、日清・日露戦争を歴史相対主義の観点から捉える思考は、司馬の歴史観を擁護する人々の思考の支柱にもなっているように思われる。当時は清国やロシアが朝鮮半島の領有を虎視眈々と窺っていたのであり、日本が手をこまねいていたら、日本自身がロシアの植民地になった可能性がある、そうした時代背景を顧みず、日本の朝鮮出兵を侵略と決めつけるのは特定のイデオロギーによる断定にすぎない、という議論がそれである。

相対主義に対する外在的批判
 話を入不二氏の前掲書に戻すと、本書を読んで一番「頭の体操」になったのは相対主義に対するポピュラーな批判、つまり、認識の枠組みに依存しない絶対的な真理は存在しないという相対主義の主張は自己論駁的(self-refutation)だ、ないしは「自己無効的だ(self-vitiation, self-vitiating)」という批判の有効性を徹底的に吟味した箇所である。
 著者は、反相対主義者がいう「自己論駁的」にもさまざまなタイプがあると指摘したうえで、まず、外在的批判(ここで「外在的」と呼ぶのは私の解釈で、相対主義者が共有しそうにない前提条件を拠り所に相対主義を批判するタイプのこと)の有効性を吟味している。つまり、このタイプの批判者は、しばしば「相対主義の考え方からは、ある受け入れがたい帰結が出てくる」(75ページ)というのであるが、この場合の「受け入れがたい帰結」の中身は様々で、「相対主義からは非合理主義が帰結する」という主張もあれば、「相対主義からはニヒリズムが帰結する」という主張もある。また、著者は「普遍的な真理の探究を放棄する相対主義からは道徳的な退廃が帰結する」という主張もこれと類似の反相対主義とみなしている。
 しかし、著者はこれらの主張は相対主義への批判としては強力なものではないという。なぜなら、著者によると、批判者が挙げる帰結(非合理主義、ニヒリズム、道徳的退廃など)は受け入れがたいものであるという前提条件は批判者にとっての前提であっても、それを相対主義者が共有する保証はなく、そうした帰結が相対主義の考え方から導かれる結論であると論証されているわけでもないからである。要するに、こうした相対主義批判は、相対主義から導かれると自らが想定したものを、自らの前提条件に基づいて批判しているだけで、相対主義者に届いていないのである(75~76ぺージ)。

相対主義は自己論駁的か? ~相対主義の自己適用問題~
 そこで、次に著者が吟味の俎上に乗せるのは、相対主義は自己論駁的であるという内在的批判である。ここで「内在的」批判というのは、相対主義自体の前提に基づいて相対主義を否定する帰結を導こうとする批判の仕方という意味で(入不二氏ではなく)私が命名した用語である。真理は認識の枠組みに依存するという相対主義が自己論駁に帰着するかどうかを著者は相対主義の自己適用問題として検討している。

 まず、著者は、相対主義は自己適用されないと想定した場合の論理的帰結を吟味している。ここで「自己適用されない」というのは、「どんな主張や見解もある認識の枠組みにおいて相対的に真であるにすぎない」という相対主義の命題は相対主義自体には適用されないという意味である。となると、相対主義は、なんらの認識の枠組みにも依存しないような絶対的真理の存在を否定すると同時にそれを肯定するという自己矛盾(自己論駁)に陥っているというのが、ここでの相対主義批判のエッセンスである。
 しかし、入不二氏はこうした相対主義批判は成功しているとは思えないという。なぜか? 著者によると、相対主義は自己適用されないというのは、相対主義は自分にだけを例外扱いし、自らを絶対的な真理の位置においているという点でその「尊大さ」を責められるかもしれないし、なぜ相対主義だけが例外でありうるのかが問われるだろうという。しかし、こうした尊大さや不誠実は「矛盾」ではないと著者はいう。さらに、相対主義は絶対的な真理の存在を考察対象のオブジェクトレベルで否定する一方、絶対的な真理の存在をメタレベルで肯定しているのである、このように真理の相対性と絶対性を異なるレベルで主張することは矛盾ではない、よって、相対主義はそれを自己適用しない場合、自己論駁には陥らないというのが入不二氏の結論である。

 では、相対主義を自己適用する場合はどうか? ここで相対主義を自己適用するとは、「『どんな主張や見解も採用される認識の枠組みに依存するという意味で相対的に真であるにすぎない』という主張もまた、採用される認識の枠組みに依存するという意味で相対的に真であるにすぎない」という命題を指す。著者は、このような帰結は相対主義の矛盾でも自己否定でもないという。むしろ、著者は「すべての真理は相対的である」という真理もまた相対的であるという帰結は、すべての真理を例外なく相対化する相対主義の力(魅力)の発現とみなし、自己論駁ではないと切り返すのである。

相対主義の自己適用の徹底~相対主義の彼岸にあるものは?~
 しかし、著者はこうして相対主義が自己論駁を免れることを論証してよしとせず、相対主義の自己適用を徹底した彼方に見えてくる帰結を追跡する。本書ではそれを素人にはいささかくどく思える記号式を使って説明しているが、平たく言うと、
 T0:すべての真理は相対的である。
 T:T自体も相対的である。
 T:T自体も相対的である。
 T:T2自体も相対的である。
 ・・・・・・・
 T:Tnー1自体も相対的である。
 ・・・・・・・
という無限後退(無限遡及)となり、相対主義の「あらゆる真理を相対化する力」は「相対化に終わりはない」という帰結を導く。では、無限後退するということは相対主義にとって何を意味するのか、と著者は問いかける。相対主義の徹底は確定した主張に収斂しないということは自滅なのか? 著者はそうとは見ない。むしろ、著者は昆虫の変態をたとえにして、「蛹」という時期には食事も移動も行われず、幼虫期の身体の構造がいったん失われてしまうが、そうした時期を経過して初めて、内部器官や組織が成虫へと改変されるのと同様に、相対主義は無限後退を続けることで新たな生の段階へ移行することを意味しているという。
 著者はこうした相対主義の無限後退が意味することを、出来事の過去・現在・未来という時制の無限後退をたとえにして説明している。我流の理解で平たく要約すると、ある出来事はそれが生起する以前に予見という未来事象として認識される。やがて時間の経過ととともに、予見された事象が現に生起し、現在事象となる。が、その出来事は瞬時に過去事象となる一方、新たな出来事が予見されたり(新たな未来事象)、現に生起したり(現在事象)する。歴史上のすべての事象はこうした未来・現在・過去という時間軸上の無限連鎖を経て生成・消滅を繰り返す。それと同様に、相対主義も無限後退を通じて次々と真理を相対化する潜在力を発揮するーーー著者が言いたいのはこういうことらしい。「らしい」というのは、正直のところ、この箇所は私には非常にわかりにくく、誤読の可能性もあるからである。しかし、入不二氏と同学の野矢茂樹氏が書いた「解説」を読んで、本書のこうした難解さはどうも私の理解力の不足だけに起因しているのではなさそうだと思えてきた。野矢氏は「解説」の中の数箇所で哲学者たちの議論の構造を分析する入不二氏のメタ哲学的手腕を称賛しながらも、必ずといってよいほどそれに続けて、著者が用いた例は抽象的であると記し、「ふーむ、これはつまりどういうことなのだろうという感を強くした」と述べている。相対化の無限運動というくだりについても、である(301302ページ)。

 そもそも、私には、さまざまな出来事が時間軸の上で未来事象・現在事象・過去事象へと転変するという、それ自体自明の無限連鎖は、真理の相対性を主張する相対主義の相対性の無限連鎖の帰結を評価するときのたとえとして適切なのか、形式的に対比が可能だとしても両者を対比することにどのような実質的含意があるのか、疑問に思えるし、著者はそれについて何も語っていない。

 しかし、私が相対主義の自己論駁性をめぐる入不二氏の議論のなかでより重要と思ったのは、相対主義の論理に内在的な矛盾があるかどうかということよりも、著者が相対主義に秘められた力とみなす「相対化の無限の力」の中身であり役割である。これを著者自身の言葉で言い換えると、「相対主義を修正するのではなく、相対主義を徹底することによって、相対主義が純化され、その極点で蒸発するまでのプロセスを追いかけるというのが、私の基本方針である」(355ページ)と入不二氏がいう時の「相対主義を徹底する」とか「相対主義を純化する」とか「その極点で蒸発する」という言葉の中身は何なのかということ、そして、「相対主義を徹底し純化したその先に現れる帰結」とは何なのか、その帰結にどのような効用が期待されるのかということである。しかし、著者が採用するメタ倫理学的手法からすれば、ある主張なり見解をその効用に照らして評価するという方法が共有されるとは限らない。現に、本書では相対主義の無限後退に続く節で「相対主義は自己無効的か」という見出しで相対主義の有効性を対論者との関係の中で吟味している。(この稿、続く。)

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今に生きる内村鑑三の「愛国心」論

 国歌・国旗への「敬意」の強要
 
 近年、東京都はじめいくつかの地域の公立学校で、学校行事における国歌斉唱・国旗掲楊の場面で起立せず、斉唱に参加しない教員を教育委員会が処分をする事例が多発している。そればかりか、東京都では再発防止のためと称して、処分を受けた教員を呼び出し、国歌・国旗と無関係な一般的服務規律を筆記させるなどの「研修」を強制している。内容からして、「再発防止」という名目の公権力による「思想改造」の勧めの場といってよい。

君が代斉唱時に起立しなかった北海道文化賞受賞者

 このように国歌・国旗への「敬意」の強要は学校現場にとどまらない。昨年11月5日、札幌市内で開かれた北海道文化賞贈呈式で壇上にいた受賞者の一人で演劇作家の鈴木喜三夫氏(76歳)と夫人が、国歌斉唱時にいったん起立したものの、国旗に背を向けたまま自席に着席し、斉唱に参加しないという一幕があった。

 道教委は入学式や卒業式で国歌斉唱時に起立しない教職員を処分しており、今回の事態についても「道教委の行事で国旗・国歌を尊重しない行為があったことは問題だ」という声が上がっているという。道教委は「こういう事態は聞いたことがない。事前にこういう考えの人だとは聞いていなかったので、事情を調べる」(吉田洋一教育長)そうである。式典後、鈴木氏は「先の戦争で多くの仲間が特攻隊で死んでいった。とても立って(国歌を)歌う気になれない」と語ったという。
(以上、『産経新聞』2007年11月5日、17時16分配信)

 ちなみに、北海道教育委員会のHPにアクセスして、北海道文化賞の趣旨を調べてみると、「本道の芸術、科学、教育などの文化の向上発展に貢献した方々の功績を讃え」て贈呈すると記されている。では、吉田教育長の「こういう考えの人だとは聞いていなかった」という発言はどういう意味だろうか? 「国歌・国旗を尊重しない」人だとわかっていたら受賞候補者から外したという意味なのだろうか? また、吉田教育長の「事情を調べる」とは、どういう事情を調べるのだろうか? 「愛国心の欠けた人」を事前にチェックできなかった体制の不備を調べるということなのか? 調べてどうするのだろうか? 今後は受賞候補者のリストを作る際に、 「国歌・国旗を尊重する」人かどうかの思想調査をするということだろうか? そうだとしたら、、「本道の芸術、科学、教育などの文化の向上発展に貢献した」人かどうかだけでなく、思想傾向が教育委員会の審査基準にそわなければ受賞はかなわないということにある。
 しかし、このように、まるで教育委員会が人間の思想を裁く権限を持つかのようなふるまいは思想信条の自由を保障した憲法第19条をまっこうから踏みにじる行為である。

  人の真心はその愛国心によりて保証することあたわざるなり、そは愛国心はあまりに「悪漢の最後の拠り所」なればなり(内村鑑三)

 
昨年、あるきっかけで内村鑑三の著作を調べる機会があった。そして、その短い文章の中に現代に生きる鋭い時代評論が数多くあることに驚いた。その中に「病的愛国心」(Diseased Patriotism)と題する時評がある。『万朝報』1898年3月11日に掲載された短文である。以下はその一部である。

 「愛国心が純粋にして真実なる為には、其は無言にして無意識ならざるべ可からず。真実なる人にして己が国に対し熱裂なる愛を有せざる者は有り得ざるなり。・・・・・・我等に真の人を示せ、然らば彼の愛国心を保証せん。然れ共、人の真心は其愛国心に依て保証すること能はざるなり、そは愛国心は餘りに屢々『悪漢の最後の拠り所』なればなり。」

 「無言に畑に耕す農夫、
読書に勤む学生は、愛国心を説くことを職業とする人々より遙かに愛国者なり。しかして数百万の斯る無言の農夫と数十万の斯る勤勉なる学生のこの国にあるは、少数のこれら職業的愛国説教者のあるよりも、日本国民の愛国心のために多くを弁ずるものなり。・・・・・・」

 「しかして愛国心とは、我等が己れの国に負う明白なる義務を果すこと以外の何物なりや! 隣人に親切なること、貧しき者乏しき者に同情すること、謙遜にして鄭重なること、等々は、我等の見る所に依れば、国家の拡大を策し我国民の美徳を誇ることと同じだけ愛国的なり、多くの場合は其以上に愛国的なり。芝居がかりの愛国心は、実に十分以上を有せり。日本が大いに必要とするものは、深き、無言の無意識なる愛国心にして、今日の騒々しき愛国心にあらざるなり。」

 国に帰依する愛の危うさ

 「芝居がかりの愛国心」、「騒々しき愛国心」に対する内村鑑三の警鐘を読むと、研修が必要なのは、国歌斉唱・国旗掲揚の時に起立斉唱しなかった教員ではなく、「愛国心を悪漢の最後の拠り所」にするがごとき教育委員会であるといえる。

 しかし、私は内村鑑三の愛国心論に無条件に傾倒するものではない。私が内村鑑三の愛国心論と一線を画したいと思う所以は、彼が愛国心そのものの価値を認めたうえで、その方法――有言の他律的な方法による「注入」か、自然の内面からの涵養に委ねる自律的な方法か――を問題にしている点である。

 これに対して私はそもそも国に帰依する愛には危うさが付きまとうと考えている。ただし、議論の順序からいえば、愛の対象とする「国」とは何なのかを問うことが先決である。国=民衆なのか、それ自体が一個の巨大な「私」にほかならない国家権力なのかである。隣人に親切なること、貧しき者乏しき者に同情すること、勤勉にして鄭重なること、を指して愛国心というのが内村鑑三の愛国心の本旨であれば、それは前者の意味での「国」を対象にした愛である。それなら私は内村鑑三の愛国心論に異議はないどころか全面的に賛同する。

 しかし、「愛国心とは、われらが己れの国に負う明白なる義務を果たすこと以外の何物なりや」という時の内村鑑三の愛国心は後者の意味も混濁したあいまいさが拭えない。それは彼の真意ではなく、時代の空気へのぎりぎりの配慮だったのかもしれない。その推測は別にして、「国を愛する心」が再び高調される今日、国に帰依させる愛がしばしば排外的で偏狭な愛の喧伝に利用され、国境を超えたより普遍的な愛への進化を妨げる他律的なイデオロギーに通じることを認識する必要がある。
 自己への「愛」を強要する国家がいかほど民(たみ)に災禍をもたらしたかを私たちは歴史から学ぶ必要がある。

一周忌近づく姉犬の骨壺にかけし首輪の硬くなりける

姉犬が遺せし首輪妹犬の首に回せば寸法足りず

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