雇用不安の最中、なぜ多額の失業給付予算が使い残されるのか?~知られざる雇用保険特別会計の実態~

  自己都合退職の3割、実態は会社都合
 20091027日の『毎日新聞』に「自己都合退職 3割『本当は会社都合』」という見出しの記事が掲載された(東海林智記者稿)。若者の労働問題に取り組む大学生らが立ち上げたNPOPOSSE」が18歳~39歳の若年労働者を対象に行ったアンケート調査の結果を紹介した記事である。調査は東京都内4か所と京都市のハローワーク前で行われ(実施時期が記載されていない)、522人から回答を得た。それによると、離職した理由の69.9%は自己都合、19.3%が解雇など会社都合だったという。そこで、自己都合の理由を尋ねると、「パワハラやセクハラ」(12.5%)、「雇い止め」(12.8%)、「長時間労働」(6.9%)、賃金・残業代の不払い」(4%)となっていたという。しかし、後述のとおり、これらの退職理由はどれも会社都合となり得るものである。
 
 失業後の生活苦を加重する「自己都合」強要
 働きざかりの若年世代にまで雇用不安が広がる中、退職と失業保険に関して法律相談が目立っているのは「会社に自己都合退職を強要された」というものである。その一端を伝えた『中日新聞』の
2009130日の記事を紹介しておきたい。

 「人員整理や強要など、会社側の都合で退職したにもかかわらず、会社が労働者に原因をかぶせて「自己都合」にしてしまうケースが目立つ。解雇が多いと、新たに労働者を雇う際に国の助成金がもらえないという企業の論理が見え隠れする。労働者は自己都合にされると失業手当支給が先延ばしに。それだけに「会社の不当行為を許さない国の対策が必要」と指摘されている。
 東京都内の教育関連会社で編集業務をしていた女性(42)は昨年6月、営業への部署替えと賃金の大幅カットを提示され、社長から「嫌なら退職するように」と言われ、悩んだ末に退職した。
 ただ、残業代のことで納得がいかず、1人でも加入できる労働組合に相談したところ、退職理由が自己都合になっているのはおかしいと指摘された。交渉の末、会社は理由を会社都合に変更、残業代の訴えも聞き入れた。
 倒産や解雇など会社都合の場合、退職8日目から失業手当がもらえるが、自己都合だと3カ月間待たねばならない。希望退職の募集や退職の強要、セクハラなども会社都合だが、立証が難しいと泣き寝入りする例もある。
 事務機器メーカーで働いていた派遣社員の男性(38)は昨年9月、雇い止めに。同時に派遣会社も解雇された。離職票には、退職は自己都合だと記され、ハローワークに異議を申し立てたが認められなかった。
 失業手当受給までの3カ月の生活は預金を取り崩してももたない。男性は手当をあきらめて別の派遣会社に登録、事務の仕事に就いた。
 「失業手当があれば、じっくり仕事を探せた。一番苦しい時期に受給できないなんて」と憤る。派遣ユニオンによると「会社都合を自己都合とされるトラブルは、雇用保険に関して寄せられる相談の半分以上」という。」(下線は引用にあたって追加)

 このように実態は会社都合であるのに自己都合による退職を強いられると、『毎日新聞』の記事にも記されたように、離職後、給与所得が断たれるのに加え、失業給付も受けらなくなり、失業者の生活苦が加重され、求職活動もままならなくなる。そのため、会社の強要に「応じた」失業者の怨嗟の声がネット上にも溢れている。次のデータはILOが今年の3月に発表した失業手当受給状況報告書に収められた資料からの抜粋である。

   失業給付を受けていない失業者の割合
 中国(2005年現在)       84%
 日本(2006年度現在)           77%
 米国(2008年12月20日現在)  59%
 カナダ(2008年12月現在)      56%
 英国(2008年Q4現在)       45%
 フランス(2008年12月現在)     20%
 ドイツ(2008年10月現在)        6%
  (ILO, The financial and Economic Crisis: A Decent Work Response, 23 March 2009, P.16

 これをみると、日本では失業者の77%が失業給付金を受けていないことにあり、その割合は中国に次いで高く、米国、カナダ、英国、フランス、ドイツと比べても突出して高い水準になっている。
 政府はこの3月に成立した雇用保険法の改正により、失業手当の受給に必要な保険料納付期間をそれまでの1年から半年に短縮するなどして受給条件をいくぶん緩和した。しかし、こうした措置だけでは、会社都合を自己都合とする強要がなくならないかぎり、会社都合なら退職8日目から失業手当がもらえるにもかかわらず、自己都合とされたがために3カ月間待たなければならないという不利益はなくならない。

その結果、失業給付の受給資格期間(1年)が自動的に短くなる。また、それ以前に、会社都合の退職であれば雇用保険の必要加入期間は半年以上のところ、自己都合の場合は1年以上が必要となる。

 平成21年に改正された
「雇用保険法等の一部を改正する法律」(平成21年法律第5号)は、こうした事情を考慮して、「特定受給資格者」という制度を創設し、一定の救済措置を講じている。ここでいう「特定受給資格者」とは、「倒産・解雇等の理由により再就職の準備をする時間的余裕がなく離職を余儀なくされた者」と定められている。具体的には次のような基準で「特定受給資格者」に該当するかどうかを判断することになっている。
  「特定受給資格者及び特定理由離職者の範囲と判断基準」
  http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/koyouhoken05/pdf/03.pdf
 
 これをみると、解雇以外の理由であっても、①労働契約で締結した労働条件(採用条件)と実際の労働条件が著しく異なったことにより離職した者、②3分の1を超える賃金の未払いが2ヶ月以上発生したことにより離職した者、③賃金が85%以上カットされたことにより離職した者、④離職の直前3カ月間に連続して労基法に定められた基準を超える時間外労働等があったことにより離職した者、⑤上司、同僚等から故意の排斥、著しい冷遇、もしくは嫌がらせを受けたことにより離職した者、⑥事業主から直接または間接に退職を強要されたことにより離職した者等の離職者は被保険者期間が1年以上でなくても、6カ月以上であれば失業給付の受給資格を得ることができる。また、期間工の場合もいわゆる「雇い止め」により離職した場合や体力の不足、心身の障害、疾病等により離職した場合等の場合には、上で述べた特定受給資格者と同様の受給条件の読み変えが適用される。
 このような現行法に照らすと、冒頭で紹介したNPOPOSSE」のアンケート調査で明らかになった自己都合による離職の理由――「パワハラやセクハラ」、「雇い止め」、「長時間労働」、賃金・残業代の不払い」の多くは会社都合により余儀なくされた離職に該当する可能性がある。
 ただし、実際にハローワークの窓口で離職票を記入する時の扱いがどうかは別途、具体的な実態把握が必要である。げんに、上記の判断基準も後段で、実際に受給資格を得るための条件を細かに定めている。たとえば、①労働契約で締結した労働条件(採用条件)と実際の労働条件が著しく異なったことにより離職した場合であっても、事業主が正当な手続きを経て労働条件を変更した場合は、この基準に該当しないとされている。しかし、事業主と労働者が対等の立場で労働条件の変更を協議できない場合が少なくない実態の下で、「正当な手続き」を経た労働条件の変更かどうかを離職者が立証することは困難が予想される。また、⑤上司、同僚等から故意の排斥、著しい冷遇、もしくは嫌がらせを受けたことにより離職した場合でも、「当該労働者が事業主(又は人事担当者)、雇用均等室等の公的機関にセクハラの相談等を行っていたにもかかわらず、一定期間(概ね1カ月)経過後においても、事業主が雇用継続を図る上での必要な措置を講じなかったため離職した場合が該当する」とされている。となると、離職前に上記のような相談等を行うことなく離職した労働者は失業給付の受給条件の読み変えを認められない可能性がある。
 こうした職場での労使の力関係の格差に起因する交渉力の不均衡が不本意な「自己都合」離職者に失業給付の面で不利益を生まないためには、離職者の立場に立った専門の相談員が応対するネットワークを強化する必要がある。この点で、冒頭で紹介したNPOPOSSEの活動は同じ世代の若者の雇用を守る自発的ネットワークとして貴重な運動体といえる。

 失業給付歳出予算が3割近くも使い残されている現実
 連年、特別会計に多額の不用額が発生しているにもかかわらず、一部の例外を除いてそれが放置されることはこのブログでも何度か指摘した。しかし、特別会計の歳出予算額と歳出済み額の差がすべて文字通りの不用額かというとそうではない。中には、給付条件を過度に厳しくした結果、本来給付(執行)されるべき歳出が抑制された結果、使い残しが生じている例もないわけではない。社会保障関係の歳出予算の使い残しにはこれに該当する例が少なくない。地方公共団体の介護保険給付金と並んでこの失業給付金はその典型例といえる。


失業給付額(労働保険特別会計の雇用勘定の歳出項目)と雇用安定化基金の決算状況
                              (単位:億円)
  
 年  度        2003     2004   2005    2006     2007
  失業給付額
   歳出予算現額(A) 23,475  22,676    21,782  20,459    16,783

     支出済歳出額           19,618     14,672    13,772   12,803    12,598
   不用額(B              3,858      8,004     8,010     7,657      4,185
   不用率(BA       16.4%    35.3%     36.8%    37.4%     24.9%
  雇用安定化基金    
   支出(取り崩し)            0             0             0           0            0
   年度末残高               3,011       4,070      5,674     8,106    10,004
   (財務省主計局『特別会計決算参照書』各年度版より作成)


 上の表をみると、過去5年間、失業給付予算は連年、3,0008,000億円の「不用額」が発生し、不用率は1637%にも達している。国会に提出された歳入歳出決算書では「不用額を生じたのは、一般求職者給付の受給者が少なかったこと等のため」とそっけなく説明されている。しかし、実態はどうかというと、歳出予算の甘い査定による無駄の放置を意味するものではなく、国会で議決された歳出予算が失業給付の受給資格要件の過度の規制や離職者の正当な受給の権利が事業主による自己都合離職の強要によって侵害され、本来受給すべき離職者が受給できない状況に追いやられている実態を直視する必要がある。しかも、上の表からも明らかなように雇用の安定のために積み立てられたはずの基金は過去5年間、1円も取り崩されず増加する一方で、2007年度末時点で残高は1兆円を超えている。
 このような事実を知れば、新たな財源措置を講じるまでもなく、国会で議決され、財源を確保済みの歳出予算を適正に執行することによって、失業者の生活難の緩和、再就職活動の支援を可能にする財源が現に確保されていることがわかるのである。多くの市民が雇用保険特別会計のこうした実態を知ることがぜひとも必要である。

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無謀無益な新銀行東京への追加出資

400億円の追加出資に公益性はあるのか
 累積赤字(利益剰余金のマイナス)1,016億円を抱えた新銀行東京へ都が400億円の追加出資をする案をめぐって都議会で議論が交わされている。これに先立って同行は220日、現在の6店舗を1店舗に、行員を450人から120人に、融資残高を2,218億円(20079月期末)から約700億円に縮小することを柱とする再建計画を発表した。これについて、同行の生みの親である石原都知事は「常識はずれの経営がされた」と旧経営陣を非難する一方で、「中小企業を支える銀行として重要な役割を果たしている」と強気の答弁を続け、400億円の追加出資をあくまでも貫く姿勢を変えようとしていない。そこで、このような財政支援に公益性(都が公金をつぎ込んでまで支援をする公益的理由)があるのかどうかを、あまり周知されていない財務データに基づいて検討しておきたい。

 財務データが物語る新銀行東京の空洞化
 まず、同行の預貸率{貸出金/(預金+譲渡性預金+債券)}の推移を地方銀行(64行)、地方銀行Ⅱ(46行)の平均値と比較してみよう。ここで取り上げる「預貸率」とは上の計算式からもわかるように、銀行が集めた預金のうち、どれだけを融資に回しているかを表す、金融機関の基本的機能のバロメーターといえる指標である。表1を見ると、新銀行東京は設立初年度こそ民間銀行を上回る高い比率であったが、次年度以降、2030%台へと急落し、その後は民間銀行よりも3035パーセント・ポイントも低い水準で推移している。

    1 新銀行東京と地方銀行の預貸率の比較

(期中平均:%)

          地方銀行  地方銀行Ⅱ  新銀行東京
2004
    71.6               74.4                   84.8
2005              71.6               74.4                   26.1
2006             72.2               75.8                   38.9
2007/9                                                          38.0

(出所)地方銀行、地方銀行Ⅱについては、『全国銀行
    財務諸表分析』、新銀行東京については、同行
    『ディスクロージャー誌』

 他方、資産構成に占める有価証券と貸出金の割合を比較してみると、表2のとおりである。

 2 新銀行東京と地方銀行の資産総額に占める
    有価証券と貸出金の割合の比較
    地方銀行  地方銀行Ⅱ  新銀行東京

2004          26.7               21.5                    

      64.3             68.5                    

2005          28.1              22.4                  
31.7
                 63.9              68.6                    34.3
2006          27.1              22.4                  
 
51.0
                 64.8              69.7                    34.6
2007/9                                    
                        
47.4
                                                                35.1

(注)上段は有価証券の割合、下段は貸出金の割合
(出所)地方銀行、地方銀行Ⅱについては、『全国銀行
    財務諸表分析』、新銀行東京については、同行
    の『決算短信』

 これを見ても、新銀行東京が地方銀行と比べて、貸出金の比重が低く、その反面、有価証券(20079月期でいうと、その87.4%は国債)保有額の割合が異常に高いことがわかる。

 そこで次に、新銀行東京の貸出金総額に占める中小企業向けの貸出金の割合を見てみると、表3のとおりである。

 3 新銀行東京の貸出金総額に占める中小企業
    向け貸出金の割合

    貸出金総額  中小企業向け  B
     (A               B           A

2004        92
百万円   92百万円   100.0
2005
    174,394          109,005                 62.5
2006         246,719          127,106                 51.5
2007/9 
     221,800          104,694                    
47.2
(出所)表1と同じ。

 これを見ると、初年度末こそ100%だったが、2005年度末には62.5%へと急落し、その後も急落傾向が続いている。
 
 極端に低い預貸率が意味するもの
――中小企業からも見放された無用無益な存在――
 
400億円の追加出資の構想が持ち上がったのを受けて、東京中小企業家同友会がこの2月末から3月にかけて会員企業に対して行ったアンケート調査(回答があったのは会員企業の1割弱の162社)によると、新銀行東京が役立っていないと回答したのは61.7%で、役立っているの9.3%を大きく上回っている。また、57.4%が同行について「早急に整理した方がよい」と回答している。これは、同行の貸出利率が民間銀行よりも高い例が珍しくないこと、融資期間が短いことなどによるものと考えられる(200835日、NHKニュース)。

 新銀行東京はこのように、主たる融資先であるはずの中小企業からさえ、そっぽを向かれているばかりか、開業当初に掲げた融資残高目標9306億円に対し、20079月期末現在の残高実績は2,218億円と目標額の4分の1にも達していない。これが極端に低い預貸率となって表れているのであり、中小企業以外でも貸出先を得るのに四苦八苦している実態が窺える。
 新聞報道によると、「大手銀行のある幹部は『発足まもなく、大企業向けで構わないので貸付先を譲ってほしいと打診があった。中小企業向けという理念が当初から破綻していた』と明か」(『朝日新聞』2008224日)している。これでは新銀行東京は中小企業支援行としてはもとより、一金融機関としての存在理由さえないに等しい。

 再建の効果も回収の見込みもない無暴な追加出資
 では、今回の400億円の追加出資が新銀行東京の財政再建に果たして寄与するのかどうか、最悪、出資を回収できる目途はあるのかどうかを検討してみよう。直近の20083月期決算の予測値によると、新銀行東京の累積赤字は1,016億円に達すると見込まれている。その結果、貸借対照表上の純資産は200億円を割り込むことになる。しかも、同行の資産内容を子細に吟味すると、後掲の表4で示したように不良債権(金融再生法開示債権)のうち、担保・保証、貸倒引当金で保全されていない債権が約100億円存在する。

 となると、今後、これら非保全債権が貸倒れになるとともに、それ以外にも非開示の不良債権が露見するなどして追加的な損失が発生すれば、同行は20083月期決算で債務超過に転落する可能性も否定できない。しかも、表1でみたように、貸出先を確保することさえ、ままならない同行へ新たな資金を供給しても中小企業に回る部分はわずかで、大部分は国債等の有価証券を買い込んで低利の運用で塩漬けされる公算が大である。となると、新銀行東京への都の追加出資は事業上の必要からではなく、もっぱら債務超過への転落を先送りする延命措置としての意味しかないことになる。したがって、今回の追加出資額も早晩、赤字の補てんのために毀損され、都の財政の浪費で終わる公算が大きい。にもかかわらず、事実上の役員任命権者としての自らの責任、支配的株主としての自らの経営監督を忘れ、まるで被害者かのようにふるまう石原知事の言動は的はずれで見苦しい限りである。
 
 このような無謀な出資が提案され、都議会がそれを可決するとすれば、都民に対する重大な背任を意味する。都民はこうした重大な背任行為が強行されないよう、石原知事をはじめとする都政当局と都議会を厳しく監視する必要がある。

1~表4(新銀行東京の財務データ)のオリジナル
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/singinko_tokyo_zaimu_deta.pdf


(追記)
 今日の都議会で、石原都政当局は、①ここで追加出資をしなければ、新銀行東京の自己資本比率は4%を割り込み、業務を遂行できなくなる。②今、清算するとしたら都の負担は預金者の取り付けに対応するため1,000億円の追加的貸付が必要になるが、追加の財政支援なら400億円で済むかのような答弁をしている。しかし、たとえ、追加出資をしてもそれが新銀行東京の再建に寄与しない以上、現在の預金者をどのように保護するかは追加出資の有無にかかわらず避けて通れない問題である。とすれば、他の要素をすべて無視してざっくり言うと、比較すべきは、1,000億円か400億円かではなく、1,000億円か1,400億円かである。なぜなら、今の空洞化した経営状況では追加出資の400億円もいずれ毀損する可能性が高く、ここで清算を遅らせれば400億円が無益に浪費される結果になる公算が大だからである。

 また、自己資本比率を4%以上に維持するのは目的ではなく、所要の業務(融資)をするのに必要な条件だからである。業務が空洞化しているなかで、手段だけを守ろうと追加出資をするのは本末転倒である。

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「ワーキングプアⅡ」NHKふれあいミーティングに参加して

 印象深かった若い世代の参加
 2月3日、NHK放送センターで開かれた「ワーキングプアⅡ」ふれあいミーティングに夫婦で参加した。いきさつは、このブログの本年1月15日付の記事で触れたが、昨年12月10日に放送された「ワーキングプアⅡ」~努力すれば抜け出せますか?~をテーマに視聴者と番組制作者が直接意見交換をするという企画である。パートⅠの後に開かれたふれあいミーティングに応募したものの夫婦そろって抽選に外れたが、今回はどちらにも案内が届いた。

 開始時刻10分まえにNHK放送センターに着き、会場へ案内されると30人分ほど用意された席に20数名がすでに着席していた。
 正面のテーブルにはチーフプロデューサーのSさんほか5名のNHK関係者が着席していた。参加者の席を見渡して気がついたのは、20~30歳代と思われる若い男女が思いの外、多いことだった。もちろん、50~60歳代の男女、とくに男性も多かったが。特に、担当教員といっしょに参加した高校生、台湾出身の留学生が堂々と発言する様子を見ていて頼もしく感じた。
 
 “努力しても貧困から抜け出せない”現実にどう向き合うのか? 
 
参加者の発言で目立ったのは、個人の力では解決しようがない社会の歪みを番組がリアルに伝えたことを高く評価する意見だった。これからも続編を、という要望も多かったが、「努力しても貧困から抜け出せない原因に迫ってほしい」、「解決の道筋も触れてほしい」といった注文も少なくなかった。
 そうした中で議論が集中したのは、努力しても貧困からなかなか抜け出せない社会の現実を教育の現場で生徒にどう伝えるのか、自分はそれにどう向き合うのかということだった。途中で話題が中断したが、この問題について、次のような意見が交わされた。

 中学校教員:「努力しても貧困から抜け出せない社会の現実を生徒たちにどう見せていくのか、なかなか難しい。」

 参加者Aさん:「21世紀のワーキングプアの背中に乗っているのは誰なのか? 働く者の権利について学校で教えてほしい。」

 制作スタッフXさん:「あの番組から、正社員がえらいんだ、正社員にしがみつくんだといったような受け止め方をしてほしくない。」

 参加者Bさん:「私は経理関係の仕事をしているが、決算で忙しいときだけ、派遣の人を雇う。繁忙期が過ぎたらさっと止めさせている。そういう現実を見ていると、自分もワーキングプアの背中に乗っている一人かなと思うことがある。」

問われるべきは<景気回復の原動力は何か>ということ
 「21世紀のワーキングプアの背中に乗っているのは誰なのか?」という言葉でAさんが何を問いかけようとしたのか、私には今ひとつわからなかった。もしかしたら、働いても働いても貧困から抜け出せない大量のワーキングプアを生み出しつつ、「雇用調整」という名の下に人件費削減で業績を回復基調に乗せた大手企業のことを指していたのかも知れない。私自身、この番組に労働経済学の専門家として登場した八代尚宏さんの要旨次のような発言、

  「ワーキングプアが増えている最大の要因は長期の経済停滞にある。もっと高い成長を実現することによって雇用機会を増やすこと、それが何よりのワーキングプア対策である。」

という主張こそ、リアルな現実で検証されなければならない机上の議論だと考えている。そして、ほかでもないこの番組が八代さんの主張のリアリティを検証する場にもなったように感じた。
つまり、問われるべきなのは景気回復が先なのかどうかではなく、何を原動力とした景気回復なのか―ーコスト削減を主因にした景気回復なのか、それとも内需拡大を主因にした景気回復なのか―ーという点である。
 この問題を経済学説に翻訳すると、ケインズ学派と構造改革派の対立に帰着する。これについて私は2005年9月に書いた次の小論で自分の見解を述べた。
 http://www.dhbr.net/booksinreview/bir200509.html

 つまり、日本経済の最近の現実がそうであるように、コスト削減、特に「雇用調整」という名の人件費削減を主因にしたいびつな景気回復であれば、景気回復はワーキングプア対策どころか、ワーキングプアを拡大再生産させる主因ですらあるといえる。ワーキングプアⅡでも取り上げられた外国人留学生・実習生の低賃金雇用が国内の零細事業所内の賃金をさらに押し下げたり、これらの人々を正規から非正規へ、さらには失業へと追い立てる貧困の連鎖はその典型例といえる。
 逆に、家計の購買力の回復→内需拡大→景気回復→雇用の拡大、という循環を主因とするとき初めて、景気回復はワーキングプアの解消と両立することになる。

 正規職員vs非正規職員という構図の危うさ
 NHK側のスタッフXさんの上記の発言、―-制作する側として、非正規より正規職員の方がえらいんだ、といったような固定観念を生むといやだなあという思いがあるーーをめぐって議論が盛り上がった。その中で、自分もワーキングプアの背中に乗っている一人かも知れないという趣旨の発言が出たことに危うさを感じた。非正規職員を見下すような態度を自戒するという趣旨かと思う。

 しかし、ここで重要なことは、正規職員vs非正規職員という構図に分け入ることではなく、両者の垣根は流動的だということである。自分はいつ要介護あるいは認知症の状態になるかもしれない、そのとき自分を介護してくれる人、施設をあてにできるのか? 離婚や夫婦のどちらかが病に臥したら、夫婦双方あるいは、一方の生活は激変するのが通例である。一部の富める世帯は別にして、正規勤務の継続もままならないという場合も少なくないだろう。

 この点では、障害児学級に勤めているというある
参加者が「この世の中には障害者と健常者がいるのではない。誰しも潜在的障害者なのであり、発症の時期に違いがあるだけだ」という意味の発言をされたのが印象深かった。

 貧困を拡大させる原因に迫る企画を
 先に述べたように討論のなかでは、「貧困の原因にまで迫ってほしい」、「今の政治の問題にぶつかるとしてもひるまず伝えてほしい」、「解決の道筋にも触れてほしい」といった発言が少なくなかった。
 これに対して、NHKのスタッフからは、「NHKは政府批判をするつもりはない」、「評論よりも多くの人が知らない現実をあぶりだしていくことを心がけたい」という返答があった。

 私も過剰な主張ではなく、事実に語らせる、その解釈を視聴者に委ねるというスタイルに共鳴する。しかし、ここで重要なことは、「事実」か「評論・主張」かではなく、どのような「事実」をクローズアップするのかということである。この点で私は、生活保護行政を引き合いに出して、「現代日本の貧困の多くは行政被害と呼べるものである。この点で、ワーキングプアの原因と考えられる現実にタブーなく迫ってほしい」と発言した。

 最後になるが、討論の中で、この番組の取材にあたったCさんから、今回の取材の原点は家庭の状況にあるとして、ご自分の家庭内での経験を縷々発言されたのが印象深かった。

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わいろ献金お助け判決―熊谷組政治献金判決を考える―

熊谷組の政治献金をめぐる係争事件の争点
  8月30日、福井地裁は熊谷組(本店福井市)の政治献金をめぐって争われた株主代表訴訟で原告(株主オンブズマン)の訴えを退ける判決を言い渡した。この件では数日前に『朝日新聞』福井総局と『毎日新聞』福井支局から判決に対するコメントの依頼を受けた。判決の翌日の両紙朝刊に掲載された記事は次のとおりである。私の元のコメントはもっと長いが、紙面の制約からかなりカットされた。

『朝日新聞』福井版、2006年8月31日
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kumagaigumi_kenkinhanketu_asahi.pdf

『毎日新聞』福井版、2006年8月31日
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/kumagaigumi_kenkinhanketu_mainichi.pdf

  この訴訟の争点は、①熊谷組が1993~99年にかけて自民党長崎県連に対して行った政治献金(総額2500万円)は見返りとして諫早湾開拓企業に関連する公共事業の受注を期待したわいろにあたるのかどうか、②本件献金は国民の参政権、国民主権を侵害するものかどうか、③本件献金は株主の政治的信条の自由を侵害するものかどうか、④本件献金は熊谷組の定款の目的の範囲外の行為かどうか、⑤本件献金は選挙に関して寄附を行うことを禁じた公職選挙法第199条1項に違反するのかどうか、⑥本件献金は取締役の善管注意義務に違反するのかどうか、という点であったが、福井地裁判決はいずれの争点についても原告の訴えをほぼ全面的に退けるものであった。

見返りを期待すればわいろ、見返りを期待しなければ会社財産の目的外浪費
ーー政治献金に宿る二律背反ーー

  もともと、企業の政治献金は、見返りを期待するものであればわいろにあたり、見返りを期待しない(できない)ものであれば、取締役が株主から受託した財産を会社目的外に浪費したこと、つまり、取締役の職務遂行上の善管注意義務違反が成立するという二律背反の原罪を背負っている。今回の判決で私がもっとも注目したのは、企業の政治献金に宿るこのジレンマを裁判所がどのように裁くのかという点だった。これを本件の争点にあてはめていうと、争点①で被告無罪(見返りを期待した献金でない)となれば、争点⑥で被告有罪(会社財産の目的外浪費)とならざるを得ず、逆に争点⑥で被告無罪となれば、争点①で被告有罪とならざるを得ないのである。

  もっとも、争点①と争点⑥は同じ次元で両立するしないを論じられる性格の問題ではない。なぜなら、株主は違法行為を犯してまでも取締役に会社の利益を追求するよう期待することはできないから、争点①に関してある献金が違法と判断されれば、争点⑥に関して、その献金が会社に利益をもたらすと期待できるものであっても、そのことをもって争点①の違法性が相殺免責されるものではない。

福井地裁は政治献金に宿る二律背反をどのように裁いたか?
  上記の二律背反に関する福井地裁の判断は次のとおりである(以下、「判決要旨」より引用)。

  「熊谷組がほかのゼネコン各社とは全く異なる理由で本件寄附をしたという被告らの主張に副う各証拠をそのまま信用することはできず、少なくとも、本件寄附には、公共工事の受注上の不利益を回避する目的があったことは否定できないと認められる。
  そして、このような性質を有する県連に対する寄附は、発注先である県と企業との間の癒着を招き、贈収賄等の犯罪の温床となる危険性を有するから、コンプライアンス重視の観点からすれば、可及的に解消されることが望ましいといえる。」

  「しかしながら、熊谷組が営利法人であることを考慮すれば、競合する多数の会社が政治資金を寄附している状況下で、寄附を拒否することによって生ずる営業上の困難を防止するという意味で、本件寄付が会社の利益となっていたことは否定できないから、本件寄附をもって、熊谷組の目的の範囲外の行為であるということはできない。」

  一読してわかるように、判決は争点⑥では本件寄附が公共事業の受注に絡んで会社の利益に資するものであったことを認めた。そのうえで、争点①に関しても、一般論として企業の政治献金は贈収賄の温床になる危険性を有するから可及的に解消されることが望ましいとも述べている。
  ところが、本件寄附のわいろ性はどうかとなると、次のように述べて争点①についても被告無罪の判断を導いている。

  「長崎県連に対する寄附と長崎県からの公共工事の受注額との間に明確な相関関係があるとはいえないから、本件寄附が賄賂に近いものであると評価することはできない。」

  つまり、原理的にいえば、被告にとって二律背反の争点①と⑥について、福井地裁は「寄附と工事受注額の相関関係」という新たな判断基準を挿入することによって、本件寄附が会社の利益に資する見返りを期待できるものであることを認めながら、そのわいろ性を否定するというレトリックを仕立て上げたのである。

献金額と工事受注額の相関関係を使い分けて二律背反の宿罪を放免した判決
  しかし、争点①に関して寄附と工事受注額の相関関係を判断基準にするのであれば、争点⑥に関しても同じ相関関係を判断の拠り所にするのが首尾一貫した判決というものである。とすれば、同業他社との対比で寄附の額に比べて受注額が不相応に少ない分(わいろ性が乏しいと見なされる根拠になった対価性がない分)は会社財産の目的外浪費にあたると判断し、取締役の責任を問うのが道理である。ところが、判決は、争点⑥に関しては寄附と受注の金額の相関関係には何ら言及せず、献金をしなかった場合との対比で献金の効果を認定している。

  反対に、判決が争点⑥で示したように、同業他社との相対関係で献金と受注額の相関性を問題にすることなく、献金が会社の利益に資する効果を期待できるものであったとみなすのであれば、争点①で献金が見返りを期待するわいろにあたると認定するのが首尾一貫した判断である。

  このように献金額と工事受注額の相関関係を便宜的に使い分けて、原理的には二律背反の争点①と⑥を「双方両立」を導くよう仕立て上げたところに今回の福井地裁の最大の特徴がある。私が今回の福井地裁判決を「わいろ献金お助け判決」と評したのは、つぎはぎの判断基準で本件政治献金のわいろ性を退け、とにもかくにも被告無罪に着地する苦肉のシナリオを仕立てあげたと考えたからである。

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社会福祉を解体させる「小さな政府」路線

  中小商工業研究所が編集・刊行している『中小商工業研究』No.88, 2006年7月号に、「社会福祉を解体させる『小さな政府』路線」と題する小論を発表したが、編集部の了解を得て、このブログに転載することにした。ただし、本文に挿入した5つの図表は、ここでは別掲している。
  目次は次のとおり。
    1.社会福祉を標的にした「小さな政府」路線
    2.日本はすでに「小さな」政府
    3.国民負担率は国民の負担を表さない
    4.社会福祉が担う積極的役割

  本文  社会福祉を解体させる小さな政府路線
      「shakaifukusiwokaitaisuruchiisanaseifurosen.pdf」をダウン
      ロード

  図表1 OECD加盟国の家計の所得階層別の実質可処分所得の推
      移
             「oecd.pdf」をダウンロード
 図表2 国民経済に占める政府財政の比重(国際比較:2004年)
      「2_.pdf」をダウンロード
 図表3 国民負担率の国際比較
      「3.pdf」をダウンロード
 図表4 税と社会保障の所得再分配による所得格差是正効果(ジニ
      係数の改善効果)
      「4_.pdf」をダウンロード
 図表5 ジニ係数の概念図
      「fg5.pdf」をダウンロード
            
      
            
      
      
      
      

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「遷延性意識障害への理不尽な現実」(『毎日新聞』記者の目記事)を読んで

 519日『毎日新聞』朝刊の「記者の目」欄に掲載された「遷延性意識障害への理不尽な現実」(赤間清広稿)を読んで日本の社会福祉の現状を考えさせられた。そこで、今日、この欄の末尾に記された係宛にE・メールで次のような感想を送った。記事の全文は下記。

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/archive/news/2006/05/20060519ddm004070060000c.html

 なお、「遷延性意識障害」とは交通事故や病気で脳に重い障害が生じ、寝たきりとなった状態を指す。従来、「植物状態」呼ばれてきた。自力で食事が取れず、自分の意思を言葉や表情で伝えられないため、24時間の介護が必要とされる。

  *****************************************

毎日新聞「記者の目」係 御中

政治の光、メディアの光が当てられない社会の谷間に放置された人々の苦難に寄り添う「記者の目」の一連の記事を日頃から注意深く読んでいます。

特に目下、「社会福祉における小さな政府論」をテーマにした原稿を書いているのと、実家で一人暮らしをしてきた身内の高齢者が道路拡張工事で立ち退きを迫られ、住み替えの計画を立てたところ、行く先々のマンション、空家で高齢者の単身入居を拒まれ、日本の社会福祉の虚弱さを考えさせられているところです。

そうした最中に、519日付け貴欄に掲載された赤間清広記者の「遷延性意識障害への理不尽な現実」を読み大変啓発され、筆を取りました。なお、同じ赤間記者が執筆された「声が聞きたい:遷延性意識障害 現状と課題 県ゆずり葉の会・沼田会長に聞く/宮城」(200634日)も読みました。以下は記事を読んだ私の感想です。

1.障害の認定業務を名実ともに行政から独立した専門家から成る第三者機関で行う仕組みを確立する。「認定」業務と福祉「行政」が一体化すると、行政の不作為がまかり通る結果になりがちです。

2.実態調査が先決ですが、これについても行政は予算化に責任を負い、調査自体は企画の段階から報告書をまとめる作業まで独立した第三者機関に委ねることが重要と思います。

3.支援策は記事にあるとおり、専門施設の充実が喫緊の課題と思います。

4.施設さがし、費用の工面、介護者自身の健康管理などをワン・ストップで担当するマネ-ジャ-の養成が急務だと思います。

目下、わが国では「民にできることは民に」をスロ-ガンに、社会福祉を標的にした「小さな政府」路線が強行されようとしています。しかし、OECDの国際比較統計(添付-ここでは省略)をみても、日本は社会保障の分野でとっくに「小さすぎる」政府になっています。

遷延性意識障害者をたらいまわしする民間医療機関の実態を知るにつけても、今、日本で力説されなければならないのは、「民にできないことは公が」です。

追伸:
 「水俣病公式確認から50年」(200659日、平野美紀記者稿)にも大変啓発されました。特に、「政府代表の小池百合子環境相は『悲劇を二度と繰り返さない』と述べたが、『一度目』の悲劇は今も続いている」という指摘が胸に迫ってきました。

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人を憎んでミスを憎まない日勤教育

 これまで2回の記事では、JR西日本が行ってきた日勤教育が乗務員の人格権をいかに蹂躙するものかを見てきた。今回は、日勤教育が安全教育という面でどういう意味を持っていたのかを考えてみたい。

ミスを憎んで人を憎まず――ヒュ-マン・エラ-への対処の原則――

 福知山線脱線事故の発端になったオ-バ-ランのような運転士(人間)の操作ミスは「ヒュ-マン・エラ-」と呼ばれる。その中には、ひとつ間違えれば大事故につながるような出来事も含まれる。こうした事故一歩手前のトラブル(ヒュ-マン・エラ-に限られないが)のことを「ヒヤリハット」と呼んでいる。ヒュ-マン・エラ-やヒヤリハットを、それらが起こった状況を分析することによって、有効な事故対策を立案するための生きた基礎資料として活用するというのが交通におけるリスク・マネジメントの基本とされている。
 しかし、企業内での取り扱いを見ると、ヒュ-マン・エラ-やヒヤリハットの調査はエラ-をおかした個人の責任追及のために行われる傾向が強い。そのため、ミスを起こした状況の共有化が進まず、安全教育は精神主義的な懲らしめに流れる場合が多いといわれている。これについて、二つの専門的文書に記された見解を紹介しておきたい。 一つは、国土交通省自動車交通局内に設置された自動車運送事業に係る交通事故要因分析検討会が2002年にまとめた報告書『ヒヤリハット調査の方法と活用マニュアル』https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha03/09/090722/03.pdfである。その中で次のような指摘がされている。
 「ヒヤリハット調査はヒヤリハットを起こしやすいドライバ-を特定し、個人責任の追及のために行うわけではない。ヒヤリハットの経験をドライバ-個人の経験に止めず、全てのドライバ-が共有することにより、ヒヤリハットの起こる状況、つまりヒヤリハットの起こる構造性をつかみ、より有効な事故リスクの低減のための対策を講じることにある。」
  こうした基本哲学に続けて報告書は、ヒヤリハット調査を成功させる3つの鍵を示しているが、その1つとして「ヒヤリハットの申告に対して、不利な扱いはしない」、むしろ、「申告を大いに歓迎し、事故対策の糧とする」と記している。報告書は、これとは逆に、ヒヤリハット調査失敗の3つの鍵の1つとして「ヒヤリハットの申告を個人の評価に使う」ことを挙げている。


 もう一つは、福知山線脱線事故をきっかけに国土交通省内に設けられた「公共交通に係るヒュ-マンエラ-事故防止対策検討委員会」がこの4月に公表した「最終取りまとめ」http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/01/010426/01.pdfである。その中に次のような指摘がある(下線は醍醐が追加)。
 「従来、ヒュ-マンエラ-が関連する事故やトラブルが発生すると、エラ-をおかした人間の不注意(ミス)のみがあげつらわれる傾向があるが、不注意は災害の原因ではなく結果である。なぜエラ-をおかした人間がそういう不注意を招いたかの背後関係を調べることが重要である。」 「このようなシステム全体を考えるアプロ-チをとらないと、『ヒュ-マンエラ-』を単なる『失敗』と同一視して、エラ-をおかした人間だけをどう改善するかということが問題視され、エラ-防止に有効なシステム改善がなされないで終わる危険がある。」
 以上のような考え方は一口でいえば、「ミスを憎んで人を憎まず」という安全対策の哲学と呼ぶことができる。

人を憎んでミスを憎まない日勤教育

 言われてみれば当たり前のことだが、これと対比してみると、JR西日本が行ってきた日勤教育は「人を憎んでミスを憎まない」前近代的な個人制裁と呼ぶべきものであったことが思い知らされる。つまり、

 1.日勤教育中、乗務手当を支給しないというやり方は、ミスの申告を個人の評価に用いないという原則と背反している。
 2.その結果、ミスをおかした状況の共有が妨げられる。福知山線脱線事故でオ-バ-ランをした運転士が車掌にミスを過小に報告するよう頼んだのはその一例といえる。
 3.日勤教育の内容はミスをおかした個人の責任追及、陰湿な制裁の場となっており、エラ-が起こった背後関係の調査・検討がなおざりにされるため、ミスを安全対策の基礎資料として活用する途が閉ざされている。
 4.さらに言えば、JR西日本は事故当時も、1秒単位で運転の遅れを報告させ、遅れの程度に応じてボ-ナスを減額する仕組みが採用されていたという。そうなると、運転士は途中で遅れが出た場合、「回復運転」と称する無理なスピ-ドアップに駆られる心理的状況に置かれるのは必定である。

 こうした事故の因果関係からすれば、JR西日本の運転管理者(使用者)が安全配慮義務違反ないしは業務上過失致死傷容疑で刑事責任を追及されるのは当然といえる(asahi com, 2005年4月29日、0628分)。

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人格権を蹂躙する日勤教育を放免してきた司法と行政(2)

日勤教育の長期化だけが問題なのか?
 
前回の記事で紹介した2つの判決は日勤教育に見られた不当労働行為(労働組合活動への支配介入)と日勤教育対象者が蒙る経済的不利益(根拠のない日勤勤務期間の延長による逸失利益)を無効とした点では重要な意義を持っている。特に、日勤勤務の期間があらかじめ定められておらず、現場の区長の裁量で恣意的に延長されることが日勤勤務対象者の心理的不安を増幅させ、精神的に彼らを追い詰める原因になっていることからいうと、大阪地裁判決が区長の根拠のない主観的判断で日勤教育が長期化した点を不当としたことは高く評価されてよい。
 しかし、どちらの判決も日勤勤務期間の長期化を対象者が蒙る経済的不利益の観点から違法とするにとどまり、人格権を侵害する日勤教育の実態には一切踏み込んでいない。例えば、大阪地裁は、知悉度テストの成績不良等知識技術の不足など客観的な根拠がある場合はやむを得ないとしても、区長面談の際の態度や応答、提出レポ-トに意欲や反省が不十分などという主観的な判断を主たる理由として日勤勤務期間を長期化させたのは違法と指摘している。
 しかし、そこでは、そもそも日勤教育の内容自体が安全教育など運輸業に必要とされる業務の再研修とは無縁の、「教育」に名を借りた懲罰の場、上司への忠誠・服従を誓わせる場として濫用された実態(労働者の人格権侵害行為)の認定には一切及んでいないのである。これを前記の広島地裁事件に即して検討してみよう。

業務命令権は治外法権なのか?
 
この事件は運転士が上司の命令に従わず、被告会社から支給された白手袋を着用しなかったこと、右手での指差喚呼をしなかったことを理由に日勤教育を命じられたことに端を発したものである。まず、白手袋着用についていうと、ここでの白手袋が被告会社の厚生業務規程
35条に記載された「被服類」に該当するとすれば、職務の執行にあたってそれを着用しないのは服務規律違反といえる。
 問題はこうした行為が
26日に及ぶ日勤教育を正当化するに足る理由になるのかどうか、日勤教育の内容がそうした規律違反を是正するためのものであったかどうかである。これについて被告JR西日本は「運転士が白手袋を着用することは、乗客に対して清廉な印象を与え、規律ある職場であることをアピールして、安全輸送に対する信頼感を高めると共に、運転士に対して事業の公共性とその任務の重要性を認識させ、自らの職責に対する自覚を高めることにつながる」(判決文より引用。下線は醍醐が追加。以下、同じ)と述べている。こういう物言いを聞くと、「服装の乱れは品行の乱れ」などと古めかしい道徳論を持ち出して制服着用を義務付けた学校教育を思い起こさせる。白手袋の着用を「清廉な印象」と誇張し、「安全輸送に対する信頼感」、「公共性の認識」へと舞い上げる独善的な主張が司法の場でまかり通れば、業務命令権は治外法権となるに等しい。
 次に、「右手での指差喚呼」の件を検討しよう。これについて、原告側は次のように主張している。「被告会社には列車が駅で停車した際の指差喚呼を右手で行うべきとする規程はないし、原告
Bも右手で指差喚呼を行うよう指導されたのも本件が初めてであった。また、被告会社金沢支社や和歌山支社のように左手による指差喚呼を求めているところもある。」
 これについて、被告会社側は次のように反論している。「被告会社には右手により指差喚呼すべきことを定めた規程はなく、左手による指差喚呼を求めている支社もあるが、原告
Bが所属する被告会社広島支社では、列車運転の際、原則として右手で指差喚呼を行うようかねがね指導してきた。けだし、運転士に対し、運転動作の際、指差と声出しの動作を加えた確認を行い、乗務員によるヒュ-マンエラ-の防止の徹底を図り、指差喚呼を確実に行うためには、指差喚呼することを体質化する(確実に身につける。)必要があり、そのためには左右いずれか決まった手で常に指差喚呼を行う癖をつけておくことが望ましいからである。」
 こうしたやりとりを読むと、安全運転の見地から見れば、指差喚呼を左右どちらの手でするかで安全運転に有意な違いはないと考えられる。被告会社がいうように、右手で指差喚呼することが安全運転の面で必要不可欠なら、同じ社のなかで左手による指差喚呼を求めている支社を放置している責任が問われなければならない。

人格権蹂躙の日勤教育そのものを断罪すべき
 百歩譲って、それでも広島支社内では一律に右手指差喚呼を義務付けるというなら規程に明記し、日常的に周知徹底を図るべきところ、そうした前提がないまま、右手で指差喚呼しようとしなかったことを以って原告
Bの言動を上司の指導指示に反発する非違行為と断じ、それを理由に日勤教育を命じた被告会社の行為は業務命令権の濫用に当たると見なすのが当然である。しかも、日勤教育の内容はというと、「自責ノ-ト」なるものに就業規則を機械的に書き写させたり、反省文を書き直させるだけで「白手袋着用の必要性」、「右手で指差喚呼を行う必要性」についての説明は何もなかった。また、知悉度テストも被告会社の資本金、発行済株式数、事業内容、各種利益、経営理念を問うたり、広島支社の支社長・次長の念頭挨拶を虫食い問題として問うものであった。
 こうした実態から見ると、日勤勤務の長期化以前に日勤勤務の内容及びそうした内容を承知のうえで原告
Bに日勤勤務を命じた区長ならびに被告会社の行為そのものが業務命令権の濫用に当たるというべきである。しかも、原告Bが涙ながらに反省文を何度も書き直し、部長面談の折に職場への復帰を懇願したにもかかわらず、上記のような自責ノ-トなるものへの規程等の機械的な書き写し作業を強いたり、可部駅本部での朝の点呼の際に、他の社員の面前で「可部鉄道部箇所目標」の読み上げを強いたりした上司の行為は教育的効果がないばかりか、原告Bの人格権と人間としての尊厳を蹂躙する残忍非道な見せしめ行為として断罪されなければならない。
 現に、たとえば、最高裁は
1996223日の判決(最高裁二、平成5年(オ)502棄却)で、国労のマ-ク入りベルトを着用して就労した組合員に対し、JR東日本が仕事として就業規則の書き写し等を命じたことは人格権の侵害に当たるとして、会社に損害賠償を命じた原審(仙台高秋田支平41225(ネ)142)の判断を支持している。

経営に優しく労働者に冷たい判決
 ところが、広島地裁は「本件日勤勤務の原因は上司への反発・反抗という原告
Bの非違行為にある以上」、原告Bに上記のような自責ノートへの書き込み作業を命じた被告会社の措置には必要性が認められると言い放っている。また、被告らが原告Bに他の社員の面前で点呼を命じたことについても「可部鉄道部に所属する運転士として同部の目標を認識させ自覚を深めさせることは原告Bの非違行為の内容を考慮すると有用なものというべき」と述べている。要するに、「上司に立てついた者にはこの程度の見せしめもやむなし」という物言いである。ここでは、日勤教育の中身が、問題の発端となった「白手袋着用の必要性」、「右手指差喚呼の必要性」を理解させる教育的意味を持つものであったのかどうかという肝心の判断をスキップし、問題の焦点がいつの間にか「上司への反発・反抗」という職場秩序の議論にすり替えられている。
 しかも、被告会社と広島地裁は「非違行為」という栄華物語に登場する思わせぶりな言葉を多用して上司とのトラブルの原因を原告
Bの反抗に帰そうとしている。実態はどうだったのか? 繰り返しになるがトラブルの発端は白手袋着用の必要性と右手での指差喚呼の必要性に関する理解の相違である。その内容については既に触れたので繰り返さないが、それが一般乗客からの苦情を招く口論に発展したとしても、判決も「原告Bのみならず、被告Cも感情的になっていたと認めるべきである。したがって、本件では、原告B、被告Cの双方共に感情を高ぶらせて、だんだんと声を荒げていったと認めるのが相当であり、この認定に反する主張及び供述はいずれも採用できない」と記している。ところが、結論部分になると、トラブルは原告Bに帰責され、Bの「非違行為」の根拠にフレ-ムアップされている。
 このように実態をつまみ食いした事実認定に基づく判決では「経営者に優しく乗務員に冷たい」判決と評しても過言ではない。しかし、これでは経済的地位・交渉力の面で劣位の労働者の経済的利益ばかりか、人権をも蹂躙する経営者の傍若無人の行為を放免するに等しく、法の番人たる司法の役割を放棄したのも同然である。

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人格権を蹂躙する日勤教育を放免してきた司法と行政(1)

早くから告発されていた日勤教育の実態
 
425日でJR西日本の福知山線列車脱線事故から1年が経過した。その2日後の27日、同社の「日勤教育」によって人格権を侵害されたとしてJR西日本労働組合(JR西労)に所属する運転士と車掌264人が大阪地裁に総額で2億6,400万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。多くの人は今回の事故で始めて「日勤教育」という言葉を知ったと思われる。私もその一人である。しかし、調べていくと、日勤教育は福知山線事故以前から、運転士(の遺族)らによっていくたびか違法性が提訴され、判決でも部分的にせよ訴えが認められていたことがわかった。ここでは判決文を入手できた2件の要旨を紹介しておく(下線は醍醐が追加)。

区長の権限濫用、差別処遇を違法とした大阪地裁判決(平成10年(ワ)第4622号、損害賠償請求事件、2000927日判決
 
*「日勤期間が長期に及ぶことによる賃金の不利益は大きいのであるから、いかに指導教育のためとはいえ、・・・・客観的な根拠もなく長期の日勤勤務を命じることは違法というべきである。」
 *「・・・・客観的な根拠を有する場合はやむを得ないとしても、同被告が述べるところでは、主として区長面談の際の態度や応答、提出レポ-トにわずか数行しか記載がなく、また、記載内容も真摯なものと認められないことから意欲や反省が不十分と判断したなどというものであり、主観的な判断が主たる理由となっているのであって、かかる主観的な理由を根拠に実質1か月以上に及ぶ日勤勤務を合理化することはできず、少なくとも、右
26日以上の13事例の日勤勤務はいずれも違法であったというほかない。」
 *「右のとおり違法と考えられる長期の日勤勤務が著しく原告組合所属の組合員に偏っていることを併せ考えると、原告組合所属の組合員に対して命じられた右違法な日勤勤務は、被告
Fが、原告組合らを嫌悪しその弱体化を企図して原告組合所属を理由になしたものであり、不当労働行為意思に基づくものと推認することができるというべきである。」

69日に及んだ日勤教育の一部を不当労働行為、業務命令権の濫用と判断した広島地裁判決(平成14年(ワ)第991号損害賠償等請求事件、20041222日判決
 
*「原告Bには就業規則上の指揮命令系統に反したとの非違行為が認められるが、その具体的態様は・・・・ヒヤリハットなどといった過失に基づくものではなく、上司の指導に対して反発・反抗したという故意に基づくもので、態様が過失行為に比して悪質であるといわざるを得ない。・・・・また、旅客運輸鉄道を業とする被告会社では、経営理念として客本位のサービス提供を掲げ、旅客の信頼確保を行動規範としているところ、・・・・本件における原告Bの言動は一般乗客からの苦情を招来するなど、その信頼を裏切りかねないものであった。これからからすれば、原告B勤務種別を変更するについての業務上の必要性を認めることができるから、本件日勤教育は必要性を欠いており違法であるという原告らの主張は採用できない。」
 *「部長面談において、被告
Aは、原告Bに対して、渡り鳥をしてどの組合が1番かを確かめればわかるという趣旨の発言をしたことが認められるが、これは原告組合に所属する原告Bが同組合を脱退して他の組合に加入することを慫慂する発言と解することができる。そして、・・・・この被告Aの発言は支社からの叱責と組合の変更とを関連づけてなされたものといえる。これらを考慮すると、被告Aの発言は、被告会社として原告Bに原告組合から脱退するよう勧奨するものといえるから、労組法7条3号が禁止する原告ら組合活動に対する支配介入として、不当労働行為に該当するというべきである。」
 *「・・・・同月〔平成
142月のこと〕6日を経過する段階においては、本件日勤教育を継続する理由及び必要性は既に実質的にはほとんど消滅していたものといわなければならない。このことは、同月7日以降の日勤教育では、教育の成果を確認するための部長面談が1度も行われず、ただ自責ノ-トの作成が続けられたに過ぎないことによっても裏づけられる。 したがって、・・・・同月7日以降同年34日までに実施された本件日勤教育は不当労働行為意思に基づくものであって違法であるといわなければならない。そして、上記不当労働行為に該当する行為は、被告らの業務命令権を逸脱濫用するものとして、その意味でも違法である。」

日勤教育を苦に自殺したとする損害賠償の訴訟も
 
このほか、
200196日、運転中の通勤電車に警告灯がついたことから安全点検を行ったため、列車に約50秒の遅れが出たことを理由に日勤教育を命じられた服部匡起さん(JR西労所属)がそれから3日後に自宅で電気コードで首を吊って自殺するという事件が起こった。それから1年後の200292日、匡起さんの父親であり、元国鉄職員でもあった服部栄さんが自殺は日勤教育による精神的苦痛に起因するうつ病によるものであるとして損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしている。今現在、この裁判の経過を把握できていないが、訴状は日勤教育の実態について次のように記している。
 *日勤教育の中心的な作業は業務命令にしたがって
1時間1テーマのレポートを作成することであるが、そこでのテーマは「同業他社を凌ぐ強い体制づくりについて」とか、「指示に対してあなたは社員としてどうあるべきか」など、列車遅延とは無関係なものが多かった。
 *「水平展開」と称して、各駅のプラットホームに立って、自分が起こしたミスを見せしめ的に読み上げさせられた。
 *日勤教育期間中は同僚と話をすることもお茶を飲むことも禁止され、トイレに行くのも管理者の許可が必要だった。また、日勤教育期間中、管理者から様々な罵詈雑言を浴びせられた。
 *日勤教育中は乗務手当(月額
10万円前後)等の支給がなくなるにもかかわらず、日勤教育の期間が定められておらず、終了の基準となる教育効果の評価は区長の主観的判断に委ねられていた。
  イギリス紙『サンデータイムズ』は同年10月21日号でこの事件を「1分の遅れの代償を命で支払った列車運転士」(Train driver pays for one-minute delay with his life)という見出しで報道した。

(上記の判決に関する論評は次の記事で)
 

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